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615行動に賛同された皆さんへ(ちきゅう座)
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投稿者 木村愛二 日時 2006 年 7 月 04 日 22:06:56: CjMHiEP28ibKM
 

615行動に賛同された皆さんへ(ちきゅう座)

我は生き彼女は逝きし六月の雨は今年も沛然と降る(朝日新聞2000.6.14.夕刊)
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http://chikyuza.net/modules/news3/article.php?storyid=19
6/15行動に賛同された皆さんへ <蔵田計成>

<くらた・けいせい:9条改憲阻止の会 世話人>
あの日、現場でお会いした知友人の一人ひとりの笑顔を、そして、お会い出来なかった知友人の表情を想い描きながら、キーを叩きはじめたところです。
参加された皆さん、互いにご苦労さまでした。声援を送って下さった皆さんに、感謝します。固い握手も、歓談もないままに、出会いだけで、その日が終わってしまいました。せめて、「また会おうな」という言葉くらいは交わしたかったのですが、そんな瞬時もないのが心残りです。でも、互いに参加した行為が、交わした最大の言語であり、たった1キロのデモ行進の肉体的代償として得た「筋肉痛」が、友誼と連帯の証になるでしょう。
やはり、当日も雨でした。確率的には、降水60%、曇り20%、晴れ20%、というのが、ネットで調べた過去5年間の降水確率です。当日の降雨についても諸説ありました。自然現象説に始まって、死者の感涙説や悲雨説、デモつぶしの政治的陰謀説など、真顔で語る人もいました。
そのような悪条件にも関わらず、当日は、230名の参加者(予想が的中!)があり、量的には上々の成功といえるでしょうか。出発時点では約170名でしたが、解散地点では230名近くに増えていました。その他、私達の青春を彷彿させたに違いない、若い学生諸君150名の飛び入り参加組を加えれば、老と若の対極世代・400名近い堂々たる行進でした。
かって、「安保は重い」とばかり、闘わないための口実として語られていた59年初期の、「全学連書記局通信」風の表現を用いれば、「500名、堂々の国会デモ戦取」といったところですが、そんなハッタリは、今は「つわものどもの夢の後」です。しかも当時の全学連部隊が、国民会議のデモを横目に、お焼香デモを批判した構図までが、見事なまでに歴史上に再現されるという寸劇もあり、ため息混じりの感慨を覚えました。
それはともかく、先に触れたように、終着点で参加者が増えるというハプニングが起こりましたが、このような事態が発生した原因は、新聞の記事でした。警備側との取り決めが2転3転して、出発時間の変更を余儀なくされ、新聞報道の予告時間よりも早めに出発したからです。新聞記事にまで目配りしないで、コトを進めてしまった、不注意が原因でした。
ところが、心配ご無用! 遅れて参集された40名前後の人達は、突発的事態に対して機敏さを発揮し、最終的には無事隊列に合流を果たしました。以下、その見事なお手並みを報告しないわけにはいきません。
デモ隊の出発時間に間に合わなかった人達は、日比谷公園出発地点(霞門)付近で、それらしき年輩者を探し出し、声をかけ合い、グループを作り、同時刻に野外音楽堂で集会中の自治労主催者に「強訴、直談判!」して、場内放送してもらったり、自宅の家族に「ネット検索」してもらって、デモ隊の動静を把握したり、最後には、タクシーに分乗してかけつけたり、地下鉄に乗って国会議員面会所を目指したそうです。
結局、60年安中派世代が引き起こした不始末を、同世代の経験、知恵、機転という連係プレーによって、互いに補完し合い、新しい連帯の輪を広げるという、予期しない結末を迎えることが出来たのは、救いでした。
久しぶりの邂逅には、興奮に近い感動を覚えました。おそらく、闘争や運動の現場にいるかいないかに関わらず、各自が各様な思いを抱きながら、集まり散じたはずです。参加者の中には、50年代の闘争を経験したという人達のグループもあり、幾重にも重なる世代が、60年安保闘争という共通な原体験に寄せる思いと、感慨が飛び交っていたのではないでしょうか。
そのような感慨とは別に、「いま、何故6/15だったのか」「そこにあったからだよ」と自問自答を試みてはみたものの、私自身が「呼びかけ人」の立場にありながら、明快な理由と答えを用意することは出来ません。
確かなことは、歴史の逆動化現象が、剣が峰に差しかかっているという深刻な歴史認識が、頭の中を駆けめぐっているという事実です。このまま、あと1歩を踏み越えれば、果てしない暗黒の世界に転がり落ちるに違いないという、歴史的教訓と、世代的経験に学んだ「確かな予感」に突き動かされながら、それを行動へのバネにしているという事実です。
「9条改憲阻止!」という、たった1本のスローガンがもつ意味を、これほどまでに重く、ずっしりと背負い込んだ記憶は、あの「安保粉砕!」のスローガンを除いては存在していないような気もします。つまり、安中派世代にとっては、60年安保闘争が内面に刻んだ原点とするならば、9改憲阻止運動は生きてきた証として重なり合う、自己存在の原点として位置付けることができるかも知れません。
その安中派世代にとっては、実に46年ぶりの国会デモでした。2〜3人を誘い合わせて参加したある友人は、60年安保闘争のあの挫折のあと、そのまま市井にあり続けた友人です。その友人は述懐していました。
「自分にとって過ぎ去った46年間は、昔流に言えば、『長い偽装転向の歳月』ではなかっただろうか、という気もする。それを裏付ける理屈もある。『果たして、自分は何をやり残したのだろうか…。しがらみも薄れたいま、何もやらないで、このまま終わってしまうと、きっと悔いが残るだろう』という思いが、日ごとにつのるような気もするよ。」
おそらく、その友人は私同様にきっと忘れ物へのこだわりがあるに違いありません。その忘れ物を探すための、自己再生への旅立ちを試みようとしているはずです。おそらく、このような試みは、私や友人に限定するまでもなく、安中派世代に通底するような、心象風景といえるのではないでしょうか。
今回の行動への呼びかけに際して、留意したことが一つあります。それは、知友人達に対して不必要なプレッシャーを避けることでした。ところが、幾人かの知友人達は、その思惑を越えて明確な意思表示をしました。
この事実こそは、私達にとっては大いなる希望です。私達の生きざまの根底に流れ続けている、このような土壇場に際してみるような、原点への回帰志向は、ほとんどの参加者が、容易に共有できる思いかも知れません。そのような思いの総和の一端が、1000通の問いかけに対して寄せられた167通の賛同人であり、「6/15行動」に示された230名もの、最大公約数的な行動への決意性だと確信しています。
私の出身校「早大安保全学連名簿」80名中、当日のデモ参加者は、現認できただけでも24名を数えました。なかには、46年ぶりに再会した仲間も3名〜4名いました。これは「@@同窓会」の人数を上回る数字ですから、老いの中の心強さを実感させてくれました。おそらく、私同様「1度のぞいた井戸の深さは、忘れられない」のかも知れません。
問題は、この事実を確認した後の、その先にあります。9条改憲阻止運動の第二歩を何から、どこから、どのように始めるか、共々知恵を出し合っていきたいと念じています。次の行動としては、ティーチインが予定されています。9条改憲阻止に向けて、私たちは何ができるのか。様々な立場や問題意識から意見を出し合って,次の行動への手がかりにしようというわけです。
皆さんのご意見を聞かせてください。どんなご意見、感想でも大歓迎です。1行でも、2行でも、心や、気持ちは伝わります。    
追記   
         私の憲法第9条論(レジュメ)
第2次大戦中、すでに連合国側においては、太平洋憲章(41年)、カイロ宣言(43年)、ヤルタ協定(45年)にみるように、ファッシズム解体後の新しい国際的政治環境の中で、世界平和を実現・維持するための国際的枠組み作りが、具体的に検討されていました。
その基本理念は「国際平和主義」です。その平和理念を、現実政治の場において仮託・体現させようとしたのが日本国憲法9条です。その意味で、第9条は、世界史的教訓から学んだ、ある種の歴史的産物です。
ところが、憲法制定直後から、東西冷戦対立が始まりました。日本列島を反共不沈空母にするための占領政策の下で反古にされ、政治的現実が憲法理念から乖離を始めたわけです。
その意味で、河宮信郎も指摘しているように、日本国憲法は世界が平和を志向した、ある一時代の歴史の「隙間=瞬間」に生まれた憲法です。だから「憲法/押しつけ論」は、たんなる形式論理に過ぎません。いまこそ逆に、現実を理念に近づけていく政治的、社会的努力が問われている、というべきです。
遅れて制定されたドイツ憲法は、始まったばかりの東西冷戦下で制定されたために、平和主義を憲法条項に規定しませんでした。しかし、ドイツは戦時領有下の領土を、フランス、ポーランドに割譲して、近隣諸国に対して自国の犠牲を払って謝罪し、ナチズムを徹底的に断罪し、戦前と決別しました。
これに対して、米軍統治下の日本では、天皇の戦争責任を不問にし、国民統合の軸として温存することによって、対ソ第3次対戦に備えようとするなど、近隣諸国との戦後処理を曖昧にしたばかりか、敵視政策を日米合作で演じてきた。その後も内部の矛盾は内攻しつつも、60年安保闘争の高揚を結節点として「軽武装・高成長路線」に路線を転換させて、ひたすら経済大国への道を疾駆しました。だが、発展の基調路線は、東欧社会主義崩壊後も軌道修正させることもなく、いまや、アメリカ一極支配下の軍事一体化に示されるよな、日米軍事同盟を規定する諸関係は、半世紀を経て重大な転回点を迎えようとしています。
そうした中で、戦後処理の曖昧さがもたらした現在的な国家間矛盾は拡大しています。しかも、その矛盾を誇大に喧伝し、利用して9条改憲という「世紀の陰謀」を企てようとしています。これほど、無謀で危険な愚策はありません。何故か。9条改憲は「平和主義を葬り去ること」を意味します。その限りで、現実と理念の乖離という政治的不整合や不都合がもたらす事態よりも、日米軍事一体化、戦争国家化、武断外交への道の方が、数十倍も、数百倍も不都合で、危険この上ないわけです。しかも、果たして何発の北のミサイルが致命的脅威をもたらすというのでしょうか。むしろ、日本国憲法の改憲による歯止めを取り払う危険の度合いの方が、遙かに深刻であり、自国民衆にとっても、断じて許せないのです。
戦争は、別な手段による政治の延長です。その悪しき政治としての戦争が、勝者に対しても、敗者に対しても、いかに愚かな代償を強いるか、これは明白な事実であり、過去、現在を貫く歴史の教訓ではないでしょうか。この歴史の教訓の中にこそ、9条改憲を阻止すべき最大の理由がある、と確信しています。
<記事出典コード> サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

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