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靖国神社は多神教の寛容さが無いと理解できない。軍人ではハルノートのウラをかくずる賢さが無かった
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投稿者 TORA 日時 2006 年 9 月 23 日 13:55:25: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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靖国神社は多神教の寛容さが無いと理解できない。
軍人ではハルノートのウラをかくずる賢さが無かった

2006年9月23日 土曜日

◆「心情」から語る靖国論(3) 日下公人
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/40/index.html

◆靖国神社は宗教を問わない

靖国神社について考えるとき、そもそも靖国神社はどんな宗教なのか、という話が取りざたされる。

 一般的に日本には、仏教もあれば神道もある。神道には実は、道教が入っている。日本人はそれら全部を混合して、自分にとって都合のいいものだけをとっている。

 「八百万(やおよろず)の神」などと言ったり、外国から渡来したプリンシプル(原理原則)で割り切るようなものも取り入れたり、そしてもっとリアリズムで考えた常識的なものも取り入れて、それらを適宜使い分けている。そうした日本人の宗教心を踏まえて考える必要がある。

 江戸時代が終わり、明治政府が出来て、国家として軍隊を持つようになり、日本は外国とも戦うようになった。

 軍隊では、兵士同士が会話の中で「もしかしたら今夜は最後で、明日は死ぬかもしれないな」などと語り合って「おまえは仏教徒か」「いや、おれは神道だ」となると、「じゃ、死んだらもう会えないね」となる。

 仏教徒は、阿弥陀仏のところへ行ったり、極楽へ行ったりする。行いの悪かった人は、犬畜生に生まれ変わる。ところが神道の人は、極楽には行かない。どこに行くか分からない。

 とにかく兵士たちが「もう会えないね、寂しいね」と話しているのを聞いて、こんなことでは強い軍隊にならないと思い、明治政府は「東京招魂社」をつくった。これが靖国神社の始まりである。

 招魂社、つまり「魂を招く社(やしろ)」をつくって、死んで故郷へ帰って祭られた人でも、「例大祭」という春と秋の大祭のときには、また靖国神社へ戻って、みんなで集まって同窓会をやれと、明治政府は言ったのだ。

 神道でも仏教でもキリスト教でも何でもいいから、死んだら一度ここへ集まれば、天皇陛下もお参りして、ねぎらってくれる。それが招魂社で、やがて靖国神社になっていく。

 だから「靖国神社は仏教か、神道か」などと問題にする向きもあるが、実はどちらでもない。「死んだらあそこへ集まってから解散しよう」とか、「解散してから、でもときどきは集まろう」という、同窓会の場なのである。

(中略)
◆ハル・ノートを読み解く国語力が足りなかった日本政府

わたしがこの話を聞いた相手は陸軍参謀本部の、対ロシア課にいた人である。

 実は、この東條英機の話はいろいろな文献に出てくる。東條が、1週間くらいは、「平和、平和、平和、何とか米国とまとめろ」といって歩いていたというのだが。

 そこへ「ハル・ノート」が出た。これは太平洋戦争の直前の日米交渉において米国から日本に提出された交渉案だが、ネーミングは米国側の当事者だったコーデル・ハル国務長官(当時)の名前に由来する。

 これの試案を書いたのはハリー・ホワイト財務次官補(当時)とされていて、彼はのちにソ連の二重スパイであったことが発覚している。つまり、ソ連のスパイが米国の国務省の中にいて、日本が怒って米国に立ち向かうようなことを書いた。

 それで、米国のルーズベルト大統領(当時)は、「それもよかろう」ということで、日本を決起させて戦争に持ち込んだ。日本は見事にはまったわけだ。

ハル・ノートについては、戦後、評論家の山本七平氏は、「もっとよく読めばよかったのに」と書いている。「文章を読む力があれば、何も絶望して戦争を始めることはなかったのに」と。

 山本七平氏のようなリテラシーのある人が読めば、ハル・ノートには逃げ道があった。

 例えば「中国から兵隊を全部引け」という記述があったが、それまでの交渉で、そんな話は出ていなかった。日本は米国に「石油と鉄を売ってくれ、そのためにはこのぐらいは譲る」というような交渉をしていたのに、いきなりハル・ノートが来て、中国から全面撤兵せよと書いてあった。

 それで日本は、米国は話をまとめる気がないと即断したが、山本七平氏は「いつまでに撤兵をせよと書いてないじゃないか」と言う。期日が書いていないことは、それ自体、書いていないのと同じだと言うのだ。

 「はいはい、約束します」と言えばいい。中国は広いから、奥地の方から少しずつ撤兵して、港に全部集まるまでには1年や2年はかかる。それでもよかったわけだ。

 もし東條英機に国語力があれば、ハル・ノートをもらっても絶望せずに、むしろ「よかった、これでまた1年ぐらい時間稼ぎができる」となっていた。大御心は平和なんだから、あわててやけっぱちの戦争をしなくてもよかったのだ。

 しかし、「日本にはもう石油がない」という政府の思い込みもあって、1941年(昭和16年)12月8日に日本は太平洋戦争を始めてしまった。その責任者は、当時の憲法によれば、首相と内閣である。

 だから、英霊の希望として、「東條英機以下の大臣は、我々が許さん」ということなら分かる気がする。ただし、A級戦犯という言い方はしない。それは東京裁判の命名である。

 ともあれ、これは中国や韓国に言われる問題ではない。日本国内における、国民一般の気持ちと、憲法や宗教法人法とのすり合わせができていない問題である。


(私のコメント)
世界がグローバル化して行くにしたがって、日本や日本人は国際的になったかのような錯覚を持っていますが、靖国神社の問題など一つとっても日本人が日本文化を海外の人に説明できる能力は乏しいようだ。外国語が出来ても日本文化が分かっていなかったり、日本文化が分かっていても外国語が出来なくて説明できない。

しかしインターネットの時代になって情報の国際交流が盛んになって、文化の違いによる文化摩擦や情報摩擦が大きくなってきました。靖国問題も日本の宗教文化から説明していかないと、なぜA級戦犯が靖国神社に祀られているのか外国人には理解できないだろう。日本人の中には外国の言うがままにしておいたほうが問題が起きなくていいと言う人もいる。

それ以前に、日本人が日本の文化を説明できる能力を持たなければなりませんが、日本文化のことを我々日本人がどれだけ理解しているだろうか? その為には小学校のの頃からしっかりと日本文化を教えていかなければなりませんが、「日の丸」や「君が代」が分からなくてどうして国際人を育てる事ができるのだろうか?

日教組の教育方針では無国籍の人間を作り上げることが国際人であると勘違いしている先生が多いようですが、国旗や国歌を否定しては国際人の育てようが無いだろう。国語にしても日本語は覚えなくていいから英語を学びましょうと言っていることと同じ事なのだ。だから小学校から英語を教えて、その分他の教科がしわ寄せを食らう事になる。

靖国神社の問題も学者達は沈黙し、政治家達が中国や韓国の抗議に右往左往している。もしインターネットが無ければ靖国問題も90年代の時のように日本の首相は靖国参拝を断念せざるを得なかっただろう。ところが今では自民党総裁選挙でも麻生候補がネットの支援で善戦するなどの影響力を持ち始めた。

現在ではテレビや新聞が左翼の論陣を張って、ネットが右翼の論陣を張って対抗していますが、マスコミが物量戦で攻めて、ネットがゲリラ的な反撃を加えて効果を上げている。マスコミは巨大な本社や放送局を構えて大勢のプロ記者をそろえているのに対して、ネットは無報酬のボランティアの素人がサイトやブログで記事を書く程度なのですが、かなり効果を上げてきている。

日下公人氏はハルノートについて、山本七平氏が指摘するように外交的なずるさで対処していれば時間稼ぎをして状況を転換させる事もできたのでしょうが、軍人の東條首相では政治のずる賢いやり方は無理だったのだろう。外交文書は書いてある事よりも書いてない事の方に意味があるのだ。

それをYESかNOかでの二者択一式の対応では直ぐに追い込まれてしまう。外交はYESでもなくNOでもない煙に巻いたような返答をして相手の出方を見るのが政治的やり方だ。外交に未熟な日本人は短絡的な対応で直ぐに切れてしまう。

アメリカのような超大国には日本は外交的なやり方で対応すべきであり、軍事的に真正面から戦争すれば負けるに決まっている。しかし外交と軍事を組み合わせて対応すれば十分にアメリカをやりこめることができる。そのためにはインテリジェンスが必要なのですが、日本はもともとインテリジェンスの能力に欠ける。

ネットの世界を見ても日本人のブログなどは外交や防衛問題を書いているブロガーが少ない。外交や防衛の専門家では食えないからですが、わずかなブロガーたちも少しの主義主張の違いから感情的になって喧嘩したりしている。これでは政治の世界ではやっていけないし感情的になったほうが負けなのだ。

株式日記のブログにも中傷的な書き込みをして挑発する人がいますが、私はめったに感情的にならないし、挑発にも乗らない。そして明らかに間違った主張に対してはそれは○○で間違っているとクールに反論するだけだ。それくらいでないと外交論争では勝てるわけが無い。

日本では論争のやり方そのものも学校では教えないし、私などは小学校の頃から先生に論争を吹っかけてきた。そして女の先生を泣かした事もある。大学でも大学教授と論争してきたし、会社員時代も鬼営業部長と論争してきた事もある。その経験からすると日本人は直ぐに感情的になって切れてしまう。

その点ではユダヤ人などはつかみ合いの喧嘩になった時も、翌日にはけろっとした顔で挨拶してくるほどしたたかで面の皮が厚い。ユダヤ人は国家と言う後ろ盾を持ってこなかったから個人で議論で世界を生き抜いてきた。まことにずる賢い民族ですが、議論に勝つにはユダヤ人のやり方を真似るべきだ。


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