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高校の履修不足問題は正直者が馬鹿を見る事を教えている。クラスメートが「いじめ」を受けても誰も助けない今の子供達。
http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/593.html
投稿者 TORA 日時 2006 年 11 月 01 日 14:51:32: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu131.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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高校の履修不足問題は正直者が馬鹿を見る事を教えている。
クラスメートが「いじめ」を受けても誰も助けない今の子供達。

2006年11月1日 水曜日

◆日教組様の見解を伺いたいもので 10月26日 A day in the life of Nagoya
http://aoyagi.txt-nifty.com/ura/2006/10/post_d68b.html

テレビを見ていたら「受験に関係のない科目にこれからの貴重な時間を使うのはまるで無駄ですよ」ってコメントしている東大志望の高校三年生が出てましたが、お前ら、甘えてるんじゃねえよ、入試科目に無いから勉強しないという捻じ曲がったクソッタレな根性が気にいらねえ、って感じですかね。

いったい誰なんだよ、センター試験の科目数を減らせって主張した奴は。そう主張した奴等がこういう精神的な不具者を量産してる元凶だという自覚はあるんだろうかね。

そもそも個人的には「世界史」と「日本史」とをわける発想が間違っているって思うし。特に中世以降において「一国の歴史」が他国との関わり抜きに理解できるとも思えないし、他国との関わりを理解しようと思ったらその関わりのある国の歴史をも理解する必要があるし、両方つかんでおかないと歴史的真実は絶対にわかりませんよ。

そういう歴史に理解のない奴が東大志望?で、官僚やら政治家やらになって国家運営するって?笑わせるんじゃありませんよ。

あとね、テレビで「冬休みに補習授業をやるっていっていますけど、出席はするけどそんな意味のない授業は聞かずに、その時間は受験に必要な科目を勉強しますよ」と堂々と公言していたキミ。補修授業のテストでは合格点は取れないだろうから単位不足で留年しなさいね。こんなふざけた野郎を何事もなかったかのように卒業させたらさらに問題ですよ。

世間的には生徒同情論が多いようですが、全国には受験に必要ない科目でも必修科目として履修して合格点を取りながら(つまり「無駄な時間」を費やしながらも)東大に合格する受験生もいるという否定しがたい真実に注目すべきです。

「自分たちは全国の受験生の中でも特別に甘やかされてきたんだ」という自覚もなしに「自分たちは被害者である」ということばかり強調する高校三年生たちがテレビに出てくるのでだんだん腹が立ってきました。

マスコミも「単位履修不足が懸念される生徒」の側の視点だけではなく「受験科目かそうでないかにかかわらずきちんと必修科目を履修してきた生徒」の視点でも報道することを望みますね。ま、マスコミ人は知能の低い人間しかなれないらしいから、そんな当たり前の発想はチャラもないだろうけどさ。

とにかく世界史も日本史もせめて両方の概略を知った上でオトナになってほしいと思う昔懐かしい共通一次世代のワタシでした。

それにしても、今判明している66校の中には日教組様所属の組合員が多数いらっしゃると思いますが、その人たちは書類を偽造してまで学習指導要領を無視して受験教育一色に染まっていた学校の方針をなんとも思わなかったの?

普段は日本政府の教育行政を徹底批判しているくせに、自分の学校の大学進学率はズルをしてでも上げたいのか?

変なの。

当然今年だけに起こった突発的な出来事ではないことは明白ですから、文部科学省は向こう何年か溯ってきちんと調査して卒業認定の取り消しとかも厳正にしてくださいね。これじゃ真面目に履修して卒業してちゃんと受験にもパスしてきた人間からみれば明らかな不公平ですから。

公立高校もさ、土曜日の午前授業を復活させなよ。まあ、常に崇高なる理念に基づいて行動する労働組合員の先生たちは猛反対するだろうけどさ、「土曜日に自分たちが休むため」に書類を偽造してまで足りない授業時間を満たしたかのようにみせかけるのはいくらなんでも本末転倒だよね。

◆バランス感覚を失った日本の教育現場 10月31日 総動員でいきまっしょい
http://seizaikai.exblog.jp/4459176

ここのところ、教育現場に纏わる事件が連日報道されている。履修単位の問題、いじめの問題、どれもこれも自然発生した問題ではなく、ある意味人為的に起こった問題である。

 本来、教育現場というのは、偏向することなく、バランス感覚が常に保たれているべきである。ところが、戦後60年、日本の教育現場は、荒廃してしまったと言っても過言ではない。その根本には、日本人の精神を骨抜きにせんがための進駐軍による戦後政策が影響していることは間違いない。アメリカ人は、日本人の精神性に驚異を感じていた。彼らの思考回路では、到底理解できないことであった。だからこそ、骨抜きにしてしまうことが、今後再び日本をアメリカにとっての脅威として復活させないための道と思ったのだ。

 確かに、そのアメリカによる戦後政策の結果、日本は60年間平和を維持することができた。軍隊を必要とするような危機的状況に巻き込まれることもなかった。だが、そのような平和と引き換えに、日本人は魂を売ってしまったと言っても決して過言ではない。そのようなアメリカの戦後政策が、戦後60年にして、結実しているのである。アメリカも忘れていた、戦後政策の答えが、今、奇しくも日本の教育現場に症状としてあらわれている。

 一言で言ってしまえば、平和ボケしたが故に、教育現場でも五感が退化し、予期していなかった悲惨な事件が、次から次へと発生しているのだ。ある意味、アメリカの戦後政策は成功したのかもしれない。しかし、日本にとっては等閑にはできない重大なる問題に発展してしまったことは間違いない。

 戦後暫くの間は、日教組が強く、教育現場は荒れていた。自由の履き違えも甚だしい状況であった。大体、自国の国旗や国歌を認めない、とか掲揚したり斉唱したりしない、などということを教育現場で子供達に強要することの方が、教育という事柄を履き違えていること甚だしい。国旗や国歌を敬うな、と教育するような国が、世界中探してみても、日本以外に何処にあるというのだ。

 国旗を掲揚することが正しくないか、国歌を斉唱することが正しくないか、は成長した後子供達が独自に判断することであって、大人が、ましてや教師が強要するものではない。日教組の教師達は、国旗の掲揚と国歌の斉唱を学校で強制することに反対、と唱えているが、それは逆で、掲揚させず斉唱させぬことの方が、子供達へ対しての強制である。教師にその権利はない。

 大体、国旗を認めず、国歌を認めない、というのであれば、学校という教育現場でそのことを子供達に強要するまえに、まず国旗を変えようとか、国歌を変えようという議論を教育現場ではない場で為してからが筋であろう。無垢の子供達が勉学にいそしむべき学校という場で、一番の弱者である子供達を洗脳するような、そのようなことの方が非常識なことは一目瞭然である。そのことは、諸外国のメディアが、常に不思議に思い続けてきたことであった。

 昨今では、教育現場のバランスも少々変わってきた。以前のように、必ずしも日教組が強いというのでもない。日教組に所属する教師の数も年々少なくなってきた。それでも、尚、教育現場での問題は絶えない。何故ならば、やはり教育現場でのバランス感覚が欠如しているからだ。

 昔のように親は、教師を尊敬しなくなった。また、親に尊敬されるような教師も少なくなった。その結果、親は子供達の前で、教師の悪口を平気で言う。当然のことながら、そんな親による教師へ対しての批判ごとを耳にした子供達は、教師へ対して尊敬の念などもてなくなる。それどころか、教師を生徒が馬鹿にさえするようになってしまう。その結果、教室は荒廃する。教師によって、生徒達を纏められなくなってしまう。

 教師は、父母に攻撃されることをおそれ、信念を失う。その姿は、子供達に勘違いをさせる。教師は親がお金を払って雇っているのだから、自分達が言うことを聞く必要などない、と子供達は思ってしまう。

 同じようなことは、家庭内でも起こっている。母親は、子供達の前で、父親を罵倒する。その結果、子供達は父親を尊敬しなくなる。父親は家に居場所がなくなる。当然のことながら、家庭内では不協和音が生じる。そして、両親の不協和音を察知した子供達は、寂しさを癒やそうと、外へと目をむける。または、そのはけ口を、「いじめ」という形で、他人へと向ける。それらの行為は、どれも大人達や親達の行為の後姿を真似した姿なのである。

 教師は教師で、上と親しか見ず、生徒達へ目を向けない。クラスを上手く纏めたいが一心で、生徒の気を惹くために、生徒達が「いじめ」ている生徒を敢えてスケープゴートにしてしまう。本来、教師が救わなければならぬにも関わらず、いじめられた上に、教師にまでスケープゴートにされた生徒は、死を選ばざるを得ない状況に追い込まれる。

 「いじめ」によって死に追い込まれても、その後、その教師や学校長の態度は二転三転する。この期に及んで自らの保身や学校の存続のため、問題と正面から対峙しようとしない。記者会見を開き、ノウノウと「いじめ」が原因であるという証拠がないので、「いじめ」による死とは言えない、などと平気でのたまう。あのようなことを、記者会見の場で平気で言える校長は、教育者でもなければ、人間でもない、悪魔としか言いようがない。あのような人間を校長に奉る、現在の日本の教育現場に問題があることは誰の目にも明らかである。

 この教育現場で起こっている諸々の問題の解決策は、一つである。それぞれが、逃げず、真正面から対峙する。それだけである。小手先芸では、答えはだせない。その場凌ぎの対応でも、答えは得られない。子供達と真正面から対峙しなければ、この国の未来を支える子供達を救い出すことはできない。子供達を救い出すことができないということは、この国に未来が無いということに等しい。教師も、文科省の役人も、親も、全ての大人達も、そして、子供達も、思惑で言動せず、心で受け止め、心で感じ、心眼で見、心で聞き、心で語って、はじめて解決できる問題である。心で、対峙するしか解決方法はない。私は、強くそう思う。


(私のコメント)
高校の履修不足問題や、「いじめ」による自殺問題がマスコミで取り上げられていますが、学校の校長ばかり攻め立てられている。しかし履修不足も「いじめ」による自殺も家庭や学校や教育委員会や文部省など教育界全部が絡んだ構造的問題だ。ちょうど耐震偽装問題とよく似ている。

マンションを建てるのに建築基準なんて守っていたら赤字になるからと構造計算を誤魔化すのと、学校における指導要領を守らないのとまったく同じ発想なのだ。建築基準や指導要領を真面目に守っていたらばかを見るとばかりに横並びで確信犯的に違反を犯していたのだ。

文部省も教育委員会も校長も教師もみんな知っていながら、受験のために不正と知りながら黙認していたのだ。たまたま生徒が受けてもいない世界史の科目に点がついているのに気がついて公になりましたが、全容が明らかになるのに時間がかかったのは学校側が様子を見ていたのだろう。

履修不足に関しては週休二日制になって土曜日の授業が無くなった事が大きな原因になっているようですが、文部省が週休二日制を「ゆとり教育」の名の元に学校にも採用した。しかしそれだと私立に負けるので公立学校は受験に関係ない科目を除外してしまった。

金持ちの家庭は土曜日も塾などに通って勉強が出来ても、塾に通えない家庭は学力が落ちて教育格差が出来る事になった。格差を解消するには最初のブログにあるように土曜日の午前中の授業を復活させるしかない。そうすれば公立校と私立や塾通いの生徒との不公平は無くなる。

最近は少子化で高校の生徒数が少なくなって、大学全入に近くなった。有名大学志望以外の生徒は家庭学習はほとんどしなくなっている。有名大学の大学生も学力が低下しているのも、このような環境が影響しているのだろう。だから東大出ても偽メール事件の永田議員はどうしようもない馬鹿だった。

最近の教育改革がこのような学力や能力の低下を招いているのですが、能力や学習意欲の無い学生が大学に進学しても時間と教育費の無駄遣いになしかならない。それが分かっていても親達は子がかわいいから無理に大学にまで進学させる。だから大学はレジャーランドになって本当に学習したい学生を妨害している。

学力が落ちたのは時代の流れで仕方がない面もありますが、「いじめ」の問題などの道徳や倫理面などの退廃は何とかしないと将来は社会にも影響してくるだろう。学校のような閉鎖された社会にいると弱いものが「いじめ」にあいやすい。「いじめ」に遭っても逃げられないからだ。

最近では教師も生徒に迎合して「いじめ」に加わっている事もあるようだ。学校のような閉鎖された空間にいると教師までもがおかしくなってしまうのだろう。二つ目のブログに書かれているように価値観の混乱から日の丸や国歌に対しても拒否反応を示す日教組の先生がいるから学校が荒れる原因になっているのだ。

昔は教師は尊敬される存在であり、体罰などがあっても子の親達が学校に抗議するようなことはなかった。今の家庭では子供を叱れない親が増えて体罰すら加えることができない親が多いらしい。だから学校で体罰加えられると子供がびっくりして親に訴えて学校に怒鳴り込む。

このような状況では学校だけ責めても意味がなく、家庭教育における躾から立て直さないといけないのですが、一人っ子では叱る事もできない親が増える。しかも核家族だから社会性が育つ環境も無く、学校で「いじめ」に遭うと引き篭もりになったり自殺したりする。

マスコミは盛んに校長を責めたてるが、一番悪いのは「いじめ」をした生徒であり、「いじめ」をする子に育てた親にある。しかしマスコミはいじめた方の問題を追及しない。子供だからと言う事で甘やかされているのだ。履修不足も高校三年生たちは被害者のごとく扱われているが、大学進学の名の下に甘やかされているのだ。

これでは正直に履修した生徒が馬鹿を見るが、今の学校は一番大切なルールを守るという教育を放棄しているのだ。


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