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教育制度改革へ提言
http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/752.html
投稿者 tanbo 日時 2006 年 12 月 01 日 13:28:23: .WPV82c58ZnIw
 

http://www.dab.hi-ho.ne.jp/sinai-yano/teigen.htm

<現下の重要記事>

<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止> 

http://ameblo.jp/sinai-yano/entry-10019176244.html

<このページ開設にあたって>

文部科学省からでしょうか、それとも国家公安委員会か、いずれにしろ、公的機関からの妨害が入ったようです。

ある掲示板で、上記の提言のアドレスを貼り付けて、ワンクリックで入れるようにしていたところ、

そのURLの貼り付くが拒否されるようになったのです。

ヤフーは「システムの不都合でした。直しました」と

返答してきたものの、こんどは、関連のURLも妨害されたのです。

したがって掲示板を利用して、上記の「提言」へ入ることが不可能となりました。

やむなく、このHP上で公開します。

ここからなら、ワンクリックで入れるはずです。

何方か、試みてください。もし何らかの異常がありましたら、

お手間ですが、メールして下さい。

(ヤフーへ強く抗議する中で、後日、復元しました。このHPスタートの動機となった出来事につき、この文は残します)

メール宛名に「フー」と、記入してね。迷惑メールと区別できるようにね
メール送信上の、お願い。
表題に、迷惑メールではないと、一目で分かるように、記入しておいて下さい!
でないと、開封しないまま、削除しますので。

教育改革への提言

<関連記事>クリックしてください。

学校の犠牲になる子供たち

  投稿トピックの集計

 初発:ある新聞社への投稿

 l========== フー ==========

<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止>


 <はじめに>
 昨今の学校にまつわる事件は、教育制度そのものが最早完全に末期状態に陥っていることを示しています。制度の見直しや小手先の改革などで解決するような問題ではありません。

 尊い児童が次々に自殺しています。子供を育てるべき場所において、子供が死を選ぶと言うことは、尋常なことではありません。子供は死をもって訴えているのです。

 「今の学校は、人間のための教育場所ではない!」と。
 ところが、世上、それを直視しているとは思えない空虚な論議が、延々と続けられています。

 曰く、教師のレベルの問題とか、教育委員会の管理責任とか、はたまた「ゆとり教育」の間違いとか、「学びのすすめ」とか……。そんなことではないのです。それがなぜ解らないのでしょうか!?

 子供が自殺で訴えた根本的な問題点を取り上げ、その解決に乗り出そうという気配が見られないのには、怒りさえ覚えます。子供の無念を少しでも汲み取れるのなら、学校という物、教育制度というものを、小手先改革ではなく、常識に囚われずに、根本的に考え直さなければならないでしょう。

 現下のエリート宰相は、いかにもエリートらしく、官邸主導云々の「教育再生会議」を立ち上げ、その座長に最高のエリートを据えました。犠牲になった子供の親を座長にする、などという発想はそこにはありません。エリートが考える改革案など、底が知れているもので。

l========== フー ==========

 <提言:入学試験と卒業証書の廃止>
 高校・中学・小学校といった教育制度の問題点の根本には、大学の問題があります。大学こそ、狂った教育の:元凶です。学校の頂点に君臨する大学の制度改革こそ、愁眉の急と言えます。

「試験問題の見直し」云々の末節的な事ではありません。

 それは、
 大学の@入試試験とA卒業証書というこの二点に、根本の問題があります。
 その二点を撤廃せよ!
 もし、それを実行するなら、現下の非人間的な教育問題は確実に解決するでしょう。

 「入学試験をやめ、卒業書を出さない」
 エリートには青天霹靂・荒唐無稽にしか思えないことでしよう。故に、エリートの発想は底が知れているのです。自分を育ててくれた大学制度の撤廃など、考えられもしないでしょうし、実行する意志もない、はず。

 しかし、それなくしては、由々しき事態に陥っている「学校」の問題は解決しません。一人のエリートを作るために、何人の子供が自殺すれば満足できるのですか?
 それは許されません。エリートが生まれなくてもよい。子供を自殺させてはならない!

l========== フー ==========

 以下に、提言事項とその考察を列記します。

@大学への入学を「無試験」「無資格」とする。
(誰でも大学で勉強したい者は、いつでも、自由に、好きなだけ勉強すればよい)

A大学は卒業証明書を発行しない。
(卒業証書は肩書き作りのために機能しているだけである。大学の本来の目的ではない)

l========== フー ==========

@の考察
 名門大学へ入るために、昨今は幼稚園時代から高校までの長い間、親の資力をかけて取り組まれるようになった。そのために、生まれつきの万能天才でも無い限り、通常の生活を送る児童は、大学へ入ることが出来なくなっている。

 それでも、大学へ入らないことには、現在の学歴社会では、子供たちの将来に多大な不安を与える。従って、ほとんどの子供が大学を目指すことになる。すると当然なことながら、受験勉強は直前の高校では間に合わず、中学時代から、親懸かりで取り組むことになる。

 そこで重大な問題が発生する。

 人間としての素養・人格形成に一番大事なこの時期に、受験勉強一本槍で、同年代の者よりも抜きん出ることばかりを考えている状態で、どうして、まともな人間に育つであろうか、ということ。

 それは、競争心と自己中心的保身主義の性格が身に付くだけである。そして弱者への痛みの共感、他者への愛情、公徳心、正義感、人類愛といった、人間としての基本素養が身に付いていない欠陥人間となってしまう。

 それでも有名大学への潜り込みに成功した者は、後は学歴にものを言わせて、社会の中枢へ入って行く。
 その中には、教員になる者、公務員になるもの者。医者になる者。弁護士や裁判官になる者もいる。

 最も健全且つ豊かな人間性が要求されるこれらの職業において、いびつな人格を形成した者によって占められるということには、寒気を覚えようというもの。
 まさか、それで良いという者はおるまい(歪が何世代も続いて常態化すれば、それでなにが悪い!という開き直りが通るようになるかもしれないが、今はまだそこまで異常ではないと期待したい)

 では、どうすれば健全な教育システムが可能か? その答えを導き出すためには、教育についてのいかなる固定観念をも払拭できる心づもりを持っている事が必要である。

 まず、固定観念の常識を破壊すべきである。
 その準備ができた者において、初めて@とAが受容可能となる。

 大学とは、入試を通して入るもの、という固定観念に囚われてはならない。(でなければ、発想は袋小路に陥って、最善の解決策が見いだせなくなる)
入試に囚われなくなれば「無試験」「無資格」という発想も自然に生まれてくる。

 大学とは、その時代における最高の知識と学問を、人々に伝えるためのものである。それを学ばんと欲する者を、取捨選択する必要はない。学閥を構築して、虚栄と保身を維持しようと欲するような似非学者のみがそれを求める。学問に垣根を巡らせようとする彼らは、百害あって一利なし。放逐すべきである。

@の考察・続
 子供は受験勉強から解放される。
 教員もカリキュラムの重圧から解き放たれ、本来の人間教育に取り組める。
 やがて、豊かな情操を培った子供たちが社会へ出て行き、現在のような受験勉強で歪な性格となった“困った大人”たちに取って代わることであろう。

 社会では、学歴は一切不要。唯、仕事の分野での実力、資格だけがものをいう。その資格取得にも、学歴は無用となる。
 また、中学生・高校生でも、大学の講義が自由に受けられ、実力が有れば、資格試験に挑戦できる。

 時には生まれるであろう天才を、凡才たちのレベルで押し殺してしまうことなく、存分に育てることもできる。

l========== フー ==========

Aの考察
 親も子供も、死力を振るって大学を目指すのは、その卒業証書が欲しいだけのことである。それは社会が要求するからである。学歴社会という人間の幸せのためには、何一つ役に立たない悪魔のごとき仕組みに弄ばれて、卒業証書を欲するのである。

 卒業証書を出さななければ、猫も杓子も大学へ入ろうとはしなくなる。
 @と組み合わせることで、大学は本来の学問のための学校となる。
 あとは、各分野における資格試験に挑戦すれば良い。その人物の評価は、○×大学を出た、ということではなく、何の資格を取得しているか、それのみが問われることになる。

 目指す資格のために、大学での授業が必要であれば、いつでも、好きなだけ大学へ行って勉強すればよい。
 資格試験に挑戦するのに、大学での受講の有無などは関係ない。必要であれば、大学へ行く。それだけのことで良いのである。

 従って、あらゆる資格取得のための試験には、学歴を問うてはならないことに決めておこう。例え、問うても、それを証明するものはない。好き勝手に東大受講なり、京大通り抜けなり、言えばよい。

Aの考察・続
 大学受講を続ければ、生活費を保証する。
 それにより、集中的な勉強と研究に没頭できるようになる。その基準などは、いくらでも工夫すればよい。

 例えば、受講のたびに、その場でレポートを書かせる。そのコピーは本人の勉学の証明となる。ある一定以上のレベルをキープする者には、レポート十回で、学生証明を発行し、必要なら生活費を提供する!

l========== フー ==========

<現状の制度を維持し続けることへの一つの問題点>
 現在のように、親がかりで特訓された子供たちで大学が満たされてしまうことは、重大な問題を引き起こす。それは、真実に学問を目指そうする者、研究テーマをもち、情熱を持って取り組もうと欲する者たちを妨害するという由々しきことが発生するのである。

 また、時には現れるであろう天才。人類への神からの贈り物で有るはずの天賦の才能を持った者を、受験勉強という凡愚のための関所に遮られて天才は敗れ去って行く。
(天才という者は、その才能に偏りがある。例えば数学に秀でていても、英語や 国語が不得手とか、その逆であったりとか。それを凡愚と同じように平均化したレベルを求めると、折角の突出した才能は平均化の中で消えるのである)

l========== フー ==========

 予想反論一、
 “入試で選別しなければ学力が下がって、大学の授業に誰も付いて来れなくなる”?
 確かに偏った学力は下がる。だが、勉強する目的に開眼した者は、不足する基礎的知識は、後からいくらでも吸収できるのである。
 一方に、目的意識も学問への情熱もない者は、いくら暗記力・計算力が優れていても、意味を成さないことは、誰でも知っている。
 万一、授業に支障を来すほどの低学力であれば、必要に応じて、そのための基礎学科を設けるなり、特別授業を実施するなりすればよい。

 予想反論二、
 “そのようなことをすれば、名門校に学生が殺到して収拾がつかなくなる”
と言うことは、学生が来ない大学も発生することになる。であれば、そこの校舎を使えば良い。一つの名門校に殺到すれば、他の大学の教室で学ばせればよい。それを推し進めると、やがて、大学の区別はなくなる。一つの地域に一つの大学となる。有るのは、名称の違う校舎だけである。

 予想反論三、
 “大学を目指す学生がいなくなる。人的資源が枯渇し、国際的競争力が無くなり、三等国になる”
単なる学歴目当ての学生が来なくなれば、むしろ好都合であろう。今のように学力も実力もない大卒が溢れてしまったがために、日本人は世界を指導する力も理念も情熱もなく、ただ強国の腰巾着になって満足するような、ふがいなくもみっともなく恥ずかしい民族になってしまったのである。

 予想反論四、
 “学生は単なる一般受講者になって、大学生というプライドもなくなる。他国との学生交流も出来なくなる”
 受講者は単発的な者もいるだろうが、続けて来る者もいる。どうしても大学所属証明が必要なら、前述したように、受講十回以上で(二十回にするか百回にするかは、後日検討すればよい)学生証を発行してもよいであろう。一年以上無受講であれば消滅させるとか。それでも、他国の大学が不満をいうのなら、相手にしなければよい。むしろ、先進的な大学の在り方として、他国を指導すればよい。

 予想反論五、
 “大学の収入が減り、学問を構築発展させることができなくなる”
 整理された大学は、原則的に国公立として、その費用は国庫から出す。私立はその依って立つところの組織において賄い、また国庫補助も受ける。それでも成り立たない私立は廃止もやむなし。
 大学で最高知識と技能を学生に伝授することは、その国と人類に幸いとなるものである。
 それを、学ぶ者から金を取ろうとするのは、根本的に発想が間違っている。
 学んだその力で、例えば特許などで大金を稼ぐようになるかもしれないが、しかし、その収入には税金がつく。税収の増加となり、何ら損失にはならない。
 大学には受講料はいらない! いな、教育そのものに、本人又は保護者の負担を求めてはならない!

 予想反論六、
 “優秀な講師が確保できなくなる”
 当然、講師への給料も国費である。現在のように、意欲のない餓鬼たちに講義をしているよりは、はるかに充実するであろう。
学歴だけが目的で来ている腑抜けな学生に、何を言っても右から左という者に、饒舌を振るうのが生き甲斐という講師であれば、大学に来て貰わなくても良いのである。そういう講師は大学向きではない。中学生を相手にしていればよい。
 レベルの低い講師であれば、講師なしでよい。自習しているほうがましである。

l========== フー ==========

 <おわりに>
 人として尊い生命をもって生まれた子供が、準備されている「学校」という組織に強制的に送り込まれて、そこで虐めを受けると言うことは、言語道断の悪魔的な残虐非道に晒されたことになります。そこでは、信頼していたはずの親さえも、子供を守ってはくれない。
 必死に耐えて、乗り越えた子供も、生涯消えることのないトラウマを負う。人間の教育とは、こういうものであったのでしょうか?

 それは違う。通常、親の元で育つ子供は天衣無縫。心配事も対人恐怖もない。そのまま育てば、引きこもりになど、起きるはずはないのです。
 幼児は親の保護が信頼できなくなることから傷ついて行きます。集団生活へ送り込まれるのが、その第一歩です。

 親から分離されて、その筆舌に尽くせない不安・恐怖。それでも親は再び集団の中へ送り込んでゆく。保育園であれば、8時間、場合に寄れば10時間。
 子供は必死で環境に順応しようとしますが、その心には、確実に傷が負わされているのです。そこから、子供の問題が発生します。対人恐怖、警戒感、信頼感の欠如。その傷が癒されないまま、次は小学校へ送り込まれてしまいます。

 すると待っているのは露骨な「虐め」! 親は守ってはくれない。それは幼少からの経験で深層意識に刷り込まれています。自殺は、起こるべくして起こっているのです。

 自殺する子供が弱いから? 性格的に問題があったから?
 何をか況や! 死なずに持ちこたえた子供は、もっと深刻な状態に陥ってゆくことを知らなければなりません。(それを露骨に書くのは遠慮します。推察されたし)

 自殺した子供は、大人たちに、人間たち全てに、我が身を捨てて警鐘を鳴らしたのです。
 「学校はいらない! こんな学校では、人間は破滅する!」と。
 その声を聞くことができれば、現在の教育システムを、抜本的・根本的に、早急に改革しなければならないと、気付くでしょう。(気付かなければ、人類おしまいである。学校でトラウマを負って、なお耐えながら順応した者は、不幸にもそういう薄情で無関心な大人になる!)

 気付くことが出来れば、この提言こそ、実行に移さなければなにないものと、分かるはずです。子供を教育という名の地獄で殺してはなりません。殺すことになるぐらいなら、「学校」はいらないのです。
 子供のための環境を、本気で見直しましょう。そこに人類の明日が賭かっているのですから。

l========== フー ==========

 <付言>
 現下の大人たちの不祥事・数々の問題は、つまるところ、人間の問題であり、その大人たちの人間性は「学校」制度の中から生まれたものに他なりません。

 正義感・公徳心の欠如、博愛精神の希薄さ、などなど、すべて、学校との兼ね合わせで考えると、納得できるものばかり。大学を頂点とした教育制度は、かくまでも人間を破壊した!

 共感し賛同するよりも、嘲笑うことを本旨とする者。その性格はまさに「学校」の産物といえます。もし、自ら恥じて、改めうるなら「学校」の被害は最小限であったと言えます。その方にこそ、期待するものです。

==========フー==========

一掲示板投稿者 フーより

==========フー==========

<いきさつ>

ヤフー掲示板に『天下り』というトピックがあります。

そこの論客「ほ」さんが、私の投稿を注目してくれました。「ほ」さんの助言に励まされて、『提言』を書いたのでした。

なるべく多くの人の目にとまって貰わないことには、意味をなさないと、手作業でいくつかのトピックへ投稿しました。

「ほ」さんも協力してくれました。

ある日、投稿文に、この<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止>のURLを貼り付けて投稿しようとすると

「規約違反」云々で、投稿できませんでした。その原因がわからずに、何度か投稿を諦めたこともありましたが、

おかしいことに、『提言』以外は貼り付け投稿できます。そこで、こころみに、

アドレス冒頭の“http”を削除してみると、受理されるのです。

つまり、「提言」のページへ行けないように、妨害された! と分かりました。

民間人の要請で、ヤフーがそこまでやるでしょうか?

要請がありさえすれば、盲目的に応じる、等と言うことは考えられません。

ヤフーをして拒否できないほどの、何らかの権威のある公的機関からの、妨害指示、と

考えずに、なにがあるでしょう。

聞くところ、ヤフーは中国では当局の要請で「天安門事件」を検索しても

内容表示をしないように、協力したと言います。

つまり、権力には弱い体質を持っていると推測されます。

唯々諾々と権力に従うヤフーが悪いのか、

陰湿横暴な権力行使を平気で行う日本の国家が悪いのか、

……昔、日本は、そういう国家犯罪を犯していた前科を持っています。

いま、その血筋を引いた人物が宰相になっています。

彼は鷹派と言われています。左翼の鷹派ではなく、右派の側です。

そして、愛国心とか、原爆保有の論議をするのは当たり前と嘯きます。

なにやら、怖い時代に入ろうとしているのでしょうか?

この道は「いつか来た道」、とならなければよいのですが。

そうなってはなりません。

正当な言論が妨害されて、それで、引き下がっては、それこそ、「いつか来た道」になります。

それは、考えるだけでも身の毛のよだつ恐怖です。戦争です。

正義を叫んで、戦争してはなりません。

殺し合いをすることに、正義はありません。

父を母を、妹を兄を、妻を、子供を、虫けらのように殺されてしまって、それで、正義などありません。

正義は、戦争をしない、人殺しをしない、子供を自殺させない、

そこにあるはずです。

かって我々日本人は、無茶苦茶な殺戮を受けて、その大事な正義を、つかみ取ったはずです。

もう戦争はしない。戦争するための武器は持たない、と。

それは、人類の崇高な理想であり、宿願でした。

それを具体的に実行すると、国境を払うことになります。

日本というこの土地に、どこの国の人でも、来たいときにはいらっしゃい! ということです。

兵隊さんよ、我が日本に鉄砲など持って来なくていいよ。笑顔を持っていらっしゃい!

仮に、無謀な国、無茶な国があって、いわゆる侵略・略奪を目的とする軍隊が、日本を蹂躙したとしても、

目くじらを立てて、目には目、と銃をとって戦えば、どういうことになるでしょう。

多くの人が死んでも良いほどの、意味のあることでしょうか?

日本人の誇りとは、

人殺しをしなければ守れないほどの、下らない誇りでしょうか?

来る者は拒まず。人類すべて兄弟、と、大きな寛容と博愛を持つことの方が、

はるかに立派な誇りではないでしょうか?

そういう理念が広く浸透していれば、「いつか来た道」に戻るはずはありません。

もし、気高い理想を見失ってしまえば、

再び歴史を繰り返すことでしょう。

そうならずに済むことを、真剣に願って、

このたびの妨害に立ち向かわんと欲するものです。


さらに、書き込みを続けます。

たの方々のトピックの投稿文も、許可が頂ければ、掲載します。

とりあえず関連URLをご紹介します。

【マスコミへの投書準備】

<この提言について>原文
<要約文>原文

「掲示板よりコピーした原文」

ご参考に(赤字は追加の分)
テーマ:

<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止> リンクします    
<前文?になりました>  リンク可

<この提言について>
 教育基本法が、多数与党の単独採決で通過していますが、教育の問題は小手先の修正・改正などで解決するものではありません。

 教育の頂点に君臨する「大学」にメスを加えることこそ愁眉の急です。子供の問題、さらには、“困った大人たち”の醜悪な問題。これらは何が原因かと言えば、『大学を頂点とした学校制度』そのものにあります。「学校制度」において醸成された、低級且つ利己主義的且つ排他的人間性によってなされているものに他なりません。

 そこで今回、根本的大改革案を提示します。

『大学の無試験・無資格入学と卒業証書の廃止』であります。

 バカげているとお思いでしょうが、これこそ、末期状態に陥っている教育問題の、ひいては日本の社会と人間たちの問題を根本的に解決する妙薬であります。

 これはその気にさえなれば、明日からでも実行できます。

 明日の人類の為に、愛するわが子、孫たちのために、豊かで健全な人間性を培い、危機に陥っている人類の将来を、明るい希望に替えるためには、これより他には、打つ手はないと断言できる確かな方法であります。

 この提言文は、「天下り」という掲示板において、論客「ほ」さんの積極的な声援と激励において書くことができました。

 未だ未熟な提言ですが、基本的な視点の重大性を、是非お汲み取り願いたく存じます。

 一掲示板で語られるだけでは、やがて消滅します。貴誌において全国的に紹介して頂けて、国民的な論議が交わされ、実現の運びとなれば、明るい未来か開けることでしょう。

 これを採用し紹介される勇気を期待します。

<この提言について>
 教育基本法が、多数与党の単独採決で通過していますが、教育の問題は小手先の修正・改正などで解決するものではありません。

 教育の頂点に君臨する「大学」にメスを加えることこそ愁眉の急です。子供の問題、さらには、“困った大人たち”の醜悪な問題。これらは何が原因かと言えば、『大学を頂点とした学校制度』そのものにあります。「学校制度」において醸成された、低級且つ利己主義的且つ排他的人間性によってなされているものに他なりません。

 そこで今回、根本的大改革案を提示します。

<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止>

http://ameblo.jp/sinai-yano/entry-10019176244.html

 明日の人類の為に、愛するわが子、孫たちのために、豊かで健全な人間性を培い、危機に陥っている人類の将来を、明るい希望に変えたいと願っています。未だ未熟な提言ですが、基本的な視点の重大性を、是非お汲み取り願いたく存じます。

 この提言文は、「天下り」という掲示板において、論客「ほ」さんの積極的な声援と激励において書くことができました。
 一掲示板で語られるだけでは、やがて消滅します。貴誌において全国的に紹介して頂き、40年後の日本人をどの様に育てるかを論議する試案の1つとして活用して戴きたいと願っております。

 これを採用し紹介される勇気を期待します。

(下段へ続く)

<この提言について>

 教育基本法が、多数与党の単独採決で通過していますが、教育の問題は小手先の修正・改正などで解決するものではありません。

 教育の頂点に君臨する「大学」にメスを加えることこそ愁眉の急です。子供の問題、さらには、“困った大人たち”の醜悪な問題。これらは何が原因かと言えば、『大学を頂点とした学校制度』そのものにあります。「学校制度」において醸成された、低級且つ利己主義的且つ排他的人間性によってなされているものに他なりません。

 そこで今回、根本的大改革案を提示します。

<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止>

 http://ameblo.jp/sinai-yano/entry-10019176244.html

 明日の人類の為に、愛するわが子、孫たちのために、豊かで健全な人間性を培い、危機に陥っている人類の将来を、明るい希望に変えたいと願っています。未だ未熟な提言ですが、基本的な視点の重大性を、是非お汲み取り願いたく存じます。

 この提言文は、「天下り」という掲示板において、論客「ほ」さんの積極的な声援と激励において書くことができました。

 一掲示板で語られるだけでは、やがて消滅します。貴誌において全国的に紹介して頂き、40年後の日本人をどの様に育てるかを論議する試案の1つとして活用して戴きたいと願っております。 (この40年後 は、 ? 何か、意味がある数字ですか?)

 これを採用し紹介される勇気を期待します。

(下段へ続く)

要約文の試み <提言の要約>

<はじめに>
 昨今の学校にまつわる事件は、教育制度そのものが最早完全に末期状態に陥っていることを示しています。
 子供を育てるべき場所において、子供が死を選ぶと言うことは、尋常なことではありません。
 学校という物、教育制度というものを、小手先改革ではなく、常識に囚われずに、根本的に考え直さなければならないでしょう。

 <提言:入学試験と卒業証書の廃止>
 高校・中学・小学校といった教育制度の問題点の根本には、大学の問題があります。
 中でも問題の元凶は、@入試試験とA卒業証書というこの二点です。
@大学への入学を「無試験」「無資格」とする。
(誰でも大学で勉強したい者は、いつでも、自由に、好きなだけ勉強すればよい)
 大学とは、その時代における最高の知識と学問を、人々に伝えるためのものである。それを学ばんと欲する者を、取捨選択する必要はない。
A大学は卒業証明書を発行しない。
(卒業証書は肩書き作りのために機能しているだけである。大学の本来の目的ではない)
 親も子供も、死力を振るって大学を目指すのは、その卒業証書が欲しいだけのことである。それは社会が要求するからである。学歴社会という人間の幸せのためには、何一つ役に立たない悪魔のごとき仕組みに弄ばれて、卒業証書を欲するのである。
 卒業証書を出さななければ、猫も杓子も大学へ入ろうとはしなくなる。
 @と組み合わせることで、大学は本来の学問のための学校となる。

<現状の制度を維持し続けることへの一つの問題点>
 現在のように、親がかりで特訓された子供たちで大学が満たされてしまうことは、重大な問題を引き起こす。それは、真実に学問を目指そうする者、研究テーマをもち、情熱を持って取り組もうと欲する者たちを妨害するという由々しきことが発生するのである。

予想反論一〜六(省略)

<おわりに>
 人として尊い生命をもって生まれた子供が、準備されている「学校」という組織に強制的に送り込まれて、そこで虐めを受けると言うことは、言語道断の悪魔的な残虐非道に晒されたことになります。そこでは、信頼していたはずの親さえも、子供を守ってはくれない。
 必死に耐えて、乗り越えた子供も、生涯消えることのないトラウマを負う。人間の教育とは、こういうものであったのでしょうか?
 自殺する子供が弱いから? 性格的に問題があったから?
 何をか況や! 死なずに持ちこたえた子供は、もっと深刻な状態に陥ってゆくことを知らなければなりません。自殺した子供は、大人たちに、人間たち全てに、我が身を捨てて警鐘を鳴らしたのです。
「学校はいらない! こんな学校では、人間は破滅する!」と。
 その声を聞くことができれば、現在の教育システムを、抜本的・根本的に、早急に改革しなければならないと、気付くでしょう。

<付言>
 正義感・公徳心の欠如、博愛精神の希薄さ、などなど、すべて、学校との兼ね合わせで考えると、納得できるものばかり。大学を頂点とした教育制度は、かくまでも人間を破壊した!

(上段より続き)

<本提言を推薦したい理由を述べます>

私達はYahoo!の掲示板で「天下り」の問題点について意見を述べ合っています。

本掲示板では多くの投稿が「性善説に基づいた公務員法」に不満を抱いています。

学生時代「オール優」で難関と言われる国家試験をパスした者が必ずしも社会から評価されていない事を指摘する投稿が多いと感じます。○○大卒と言う肩書きが「職業上の実力」と相関関係が無いなら「大卒の肩書」は無意味じゃないかと感じていました。

そこに<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止>と言う画期的な「教育改革案」が投稿されました。

卒業証書が無くなれば「肩書き」に囚われる事が無くなります。

一律の「資格試験」で適正を判断する事になれば、実社会での経験を伴った「実力」だけの評価になり現状の学歴信奉などと言う「迷信」に囚われる事が無く、スッキリした評価基準が確立します。

生徒・学生は一度、自分の希望する職業に付き、幾つか悔しい経験をしながら精神的な脱皮をする中で自発的な目的に目覚めた意欲の有る者が能力向上を目指して当該学部で学ぶ。次に「資格試験」でその理解の度合いを「保証」する。

「子供たちが、学ぶ意味も分からないまま大学を目指してガリ勉をしなくて済む」教育制度が望ましい。「秀才」「天才」は両親から受け継ぐ遺伝の産物であり、幼少期からの無理強いに依って作られるものではありません。

幼少期から勉強を強いる不自然な無理の繰り返しが社会の道理を曲げてしまった。

「汚い・きつい・危険」の3Kを忌み嫌い、司法・立法・行政などの公務員志望を増やしました。

資本主義を標榜する「与党」の教育政策は、確かな身分保障と業務上の責任を問われない公務員を量産し、資本主義と社会主義が同居する国を形成、破産寸前の財政赤字を作ってしまった。

これを断ち切るために「子供の育て方」を考え直す必要があると思います。

メール宛名に「フー」と、記入してね。迷惑メールと区別できるようにね

メール送信上の、お願い。

表題に、迷惑メールではないと、一目で分かるように、記入しておいて下さい!

でないと、開封しないまま、削除しますので。


(上段より続き)

<本提言を推薦したい理由を述べます>

私達はYahoo!の掲示板で「天下り」の問題点について意見を述べ合っています。

本掲示板では多くの投稿が「性善説に基づいた公務員法」に不満を抱いています。

学生時代「オール優」で難関と言われる国家試験をパスした者が必ずしも社会から評価されていない事を指摘する投稿が多いと感じます。○○大卒と言う肩書きが「職業上の実力」と相関関係が無いなら「大卒の肩書」は無意味じゃないかと感じていました。

そこに<教育制度改革への提言:入学試験と卒業証書の廃止>と言う画期的な「教育改革案」が投稿されました。

この提言のように卒業証書が無くなれば「肩書き」に囚われる事が無くなります。

一律の学歴ではなく「資格試験」で適正を判断する事になれば、「実力」だけの評価になり、現状の学歴信奉などと言う「迷信」に囚われる事が無く、スッキリした評価基準が確立します。

 今まで、有効な対策もなく、袋小路に陥っていたのが、この提言で思わぬ眺望が開けてきました。これこそ、国民みんなが願っていたものではないでしょうか。これを無視し、葬ってはならないと思います。論議する価値があると信じます。

 さらに考察しますと、現在の教育制度は、

 幼少期から勉強を強いる不自然な無理の繰り返しが社会の道理を曲げてしまった。

 「汚い・きつい・危険」の3Kを忌み嫌い、司法・立法・行政などの公務員志望を増やしました。

 資本主義を標榜する「与党」の教育政策は、確かな身分保障と業務上の責任を問われない公務員を量産し、資本主義と社会主義が同居する国を形成、破産寸前の財政赤字を作ってしまった。

それに対して、もしこの提言が実現すれば……、

 生徒・学生は一度、自分の希望する職業に付き、幾つか悔しい経験をしながら精神的な脱皮をする中で、自発的な目的に目覚めた意欲の有る者が能力向上を目指して当該学部で学ぶ。次に「資格試験」でその理解の度合いを「保証」する。

 「子供たちが、学ぶ意味も分からないまま大学を目指してガリ勉をしなくて済む」ことになる。

 両親から受け継ぐ遺伝の産物である「秀才」「天才」を、社会のため、人類のために役立つ者に育てて行くためには、この提言は有効であり、現在のように幼少期からの大学受験を目的にした無理強いに依って作られるものではありません。

この提言を嚆矢に「子供の育て方」を考え直す必要があると思います。




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