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投稿者 姫 日時 2006 年 11 月 30 日 17:38:22: yNQo0naya4Ss.
 

(回答先: test 投稿者 姫 日時 2006 年 11 月 30 日 17:37:30)

画像は「Scientists Gingerly Tap Into Brain's Power」より転載

 マインド・コントロールの歴史

マインド・コントロールの拡張 浜田至宇(著)より引用

 マインド・コントロールの研究史を辿ると、第二次世界大戦中に始まった自白剤開発の研究が近代的研究の端緒ということができるだろう。当時のナチスドイツの研究者たちは刑務所の囚人たちを実験の対象としてメスカリンなどの薬物投与実験を繰り返していた。一方、アメリカではCIAの前身であるOSSが、やはり自白剤の発見・開発に努カを注いでおり、その被験者となったのはあの極秘プロジェクト、原子力爆弾を開発していたマンハッタン計画のスタッフの中のボランティアたちだった。当時、アメリカ側が最有力と考えた薬はマリファナであったという。

 アメリカでは大戦後にもこの研究は進められ、米海軍の秘密プロジェクト、チャーター計画が1947年に、CIAによるブルーバード計画が1950年に開始され、1953年には後に有名になるMKウルトラ計画が始まっている。こうして極秘計画がその規模を拡大するにしたがって、その実験対象者も当初の研究者自身、自発的志願者から、実験のことを何も知らされていない刑務所の囚人・精神病院の患者たち、軍人、そして一般市民へと拡大されていく。このように次々と被験者を選ばない倫理おかまいなしの実験が繰り返されていくわけだが、これはマインド・コントロールの目的が他人の自由意志をコントールすることにあるので、これら何も知らされていない人々が被験者となるのは研究の必然的な方向でもあったわけだ。

 これらの秘密研究は長年の間、一般のアメリカ市民にも知らされることなく続けられた。秘密がようやく暴かれるのは、長引くベトナム戦争、ウォーターゲート事件などをきっかけとした米国市民のCIAに対する批判が高まる中でのことであった。例えば、1975年に議会に提出されたある報告書の中では、1950年代の初頭に海軍とCIAとの合同作戦で、ある軍人の医師が何も知らされずに薬物を投与され、その影響下にあった時に、自殺をしてしまったという事実も公表された。後の調査では彼の名前も確認され、遺族による賠償要求の訴訟が行われ、時のフォード大統領が遺族に対して公に謝罪するというところまで発展している。

 さらに1977年になると上院でもCIAの非合法活動に関する公聴会が開かれ、これらマインド・コンロール研究の詳しい内容が追及される。しかし、MKウルトラ計画のすべての関連文書は、その内容が将来にも明らかとなることがないように、ニクソン大統領が辞任したのと同じ年の1973年に、ヘルムズCIA局長とMKウルトラ計画の責任者であったゴットリーブ(Sidney Gottlieb)によってすべて焼却されてしまい、現在でもそのプロジェクトの全貌を知ることはできない。

 マインド・コントロール研究には先に述べたように、薬物のほかにも催眠術、脳の電気刺激、電磁波の利用などさまざまな方法がある。しかし、この70年代後半に暴かれたのはあくまでも薬物を中心とした諸研究であった。しかも、その時までにマインド・コントロールの薬物研究はすでに実験段階を終え、実用段階に入っていたといわれており、このときあまり注目を浴びなかったその他のまだ開発段階にあったさまざまな分野の研究は、この後も極秘のうちに進められていくことになる。


 インプラントとESB

 スウェーデンのネスランド氏をはじめとして、自分の頭の中にインプラント装置を知らぬ間に埋め込められたと主張する人々がいる。それでは、そのインプラント装置は何を目的として彼らの頭の中に埋め込められたのだろうか。そのインプラント装置の機能は解明できたのだろうか。彼らマインド・コントロールの犠牲者と呼ばれる人々は、これらのインプラントを双方向の通信機能を持った装置ではないかと疑っている。コントロールする側のコンピュータとインプラント装置が無線により情報を交換しているというのだ。

 例えば、頭の中からは、さまざまな生理学的情報がコンピュータに送信され、コンピュータから頭の中に送られる信号は、脳のコントロールのために使われているというのだ。前者の脳から外部装置への情報送信は、生体から遠く離れてその生体の情報を記録・測定するという意味から、バイオテレメトリと呼ばれている技術だ。そして、後者の脳コントロール技術にはさまざまな方法があるが、その中でまず疑われたのは、脳の電気刺激、(Electric Stimulation of Brain)略してESBと呼ばれる方法であった。

さて、彼らが頭部に埋め込められた装置は、このESBによるマインド・コントロール機能を持っているのだろうか。まず最初に我々は脳の電気刺激の研究から始めていくことにしよう。


 電気と生体

 脳と電気との関係、さらに、生体と電気とはどのような関係を持ってきたのだろうか。人類によってこれらの関係がどのように研究されてきたのか、その歴史を振り返ろう。電気の発見はよく知られるように最初は静電気として発見された。紀元前600年頃、ギリシアでのことだ。琥珀とネコの毛とを擦り合わせることによって静電気が作りだされたのが最初といわれる。エレクトロンとはギリシア語で魂珀のことだ。そして後に、ガラスとシルクによっても同じ現象が起こることが発見されるが、これが同じ静電気であるという理解が当時にはなく、二種類の静電気が存在するのだと長く考えられていた(二流体説)。

 静電気が単純に電子の過不足によって起こると考え、電気の「一流体説」が唱えられるのは、18世紀、アメリカのベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)の登場を待つことになる。とはいっても、電気の人体への応用、つまり治療での活用はすでにローマ時代から始まっていた。紀元46年のローマの医学書には、魚の電気エイを使った治療方法が痛みの激しい患者に対して有効であるとして、特に頭痛や痛風に用いるとよいと記述されている。物を擦り合わせて静電気を作る。これが18世紀の後半まで知られていた唯一の電気の形だった。

17世紀半ばに、オットー・フォン・ゲリック(Otto von Guericke)が発明した発電機は、ガラスの円盤を高速で回転させて別の物質と摩擦させることで大量の静電気を作るものであったし、ライデン大学で1745年に発明された蓄電池(ガラス瓶の内側と外側の両面を金属箔でコーティングしたもの)もこのようにして作られた静電気を蓄えるための装置だった。近代でもこの静電気の治療への活用は行われ、ベンジャミン・フランクリンもこの治療法を使うことで有名だった。発作で苦しんでいたある患者は、フィラデルフィアのフランクリンのもとを訪れ、発電機200回転分のショックを与えられたと日記に記録している。

フランスのクーロン(Charles A. Coulomb)が彼の名前を冠して呼ばれることになる電気の法則を発見したのも、静電気の観察によるものであり、それまでの物理学には、静電気以外の電気、つまり「電流」というものが知られていなかった。そして、電流が発見されるきっかけとなったのが生体であるカエルを使った実験であった。


 動物電流の発見

 有名なカエルの実験が18世紀後半にイタリアのガルバニ(Luigi Galvani)によって行われる。2種類の金属を便ってカエルの神経と筋肉をつなぐと、カエルの筋肉が激しく収縮を繰り返した。ガルバニはこれをカエルの神経と筋肉とによって蓄えられた電気が放電されたためであると考え、この電気を「動物電流」と呼んだ。この実験結果は1791年に出版され、学会のみならず一般にもセンセーションを呼び起こし、同時代の学者だけでなく普通の人々も、カエルを見つけてはこの実験を自ら試みた。彼らの実験はどれも成功し、皆、ガルバニの「動物電流」の存在を確認した。追試によりガルバニを支持した大勢の人々の中に彼の友人、アレッサンドロ・ボルタ(Alessandro Volta)がいた。

 しかし、2年後の1793年にボルタはガルバニの結論を否定し、ここに大論争が始まる。ボルタは電気が流れたのは生体の中にあった電気に原因があるのではなく、単に2つの異なる金属の接触によって電流が発生したのだと結論した。もちろん、有名なこの論争はボルタの勝利で終わり、彼はこの原理を応用して7年後に、ボルタ電池を発明することになる。ここまでが学校の理科の教科書にも必ず紹介され、一般にもよく知られている通史であるが、実はガルバニの実験はこれ以上の内容があったのだ。彼は実際に「動物電流」といえるものを発見していたのである。

 ただ残念ながら彼は論争にあまり熱心ではなかったようだ。先の実験では、2種類の金属をカエルの神経と筋肉につないだが、ガルバニが行った別の実験では、神経と筋肉との間に金属を使用せず、直接、神経と筋肉とを接触させている。ところがこの場合でも、ボルタの主張する電流の元となる金属が存在しないにもかかわらず、カエルの筋肉は収縮を起こした。明らかに、電流が流れたために筋肉が反応を示したのだ。これは現在では「怪我の電流」と呼ばれている、傷を受けた部位はその周囲よりもマイナスに荷電するという、後年に発見される現象によるものだった。


 電気刺激の実験開始

 いずれにせよ、電流が発見されて、そして電池が発明されたことにより電気刺激の実験が可能となった。動物に、さらに人問に電気刺激を行って生体的機能を調べるという実験が、ガルバニの甥であるアルディーニ(Aldini)によって始められた。彼は屠殺場で手に入れた新しい動物の死体を使い、これに電気を流すことにより、ガルバニのカエルのように筋肉の収縮を発生させた。また、時はあたかもフランス革命の真最中であり、そのため彼は新鮮な多くの人間の死体も使用する機会を得ることができた。彼は電気刺激を使って死んだばかりの人問の蘇生を試みる。その刺激により人間の死体は、やはりガルバニのカエルのように激しく跳びはねる痙撃をみせたという。

 また彼は脳の電気刺激により刺激した脳の反対側の顔面が動くのを観察している。アルディーニが使ったのは確かに死んだ人間ではあったが、彼は脳の電気刺激研究のパイオニアということができるだろう。アルディー二がこの実験を行ったのは、1804年のことであったが、彼が試みた電気による蘇生術(心臓の再活性化)が成功するのは20世紀に入ってからのことで、1931年にアルバート・ハイマン(Albert Hyman)が動物実験に成功し、一般への公表は控えたものの彼の患者たちにも応用し、成功させている。


ぺースメーカー

生体への電気刺激といっても、ガルバニのカエルのように電気によって筋肉が収縮などの反応を見せるのは、我々が考える脳のマインド・コントロール技術とは極端にかけ離れたものといえる。死んだ人間の蘇生、つまり止まった心臓を再び動かすというのも単なる電気による筋肉の収縮反応を便ったものだ。これをそのまま応用しているのが、心臓のぺースメーカーだ。初めてのぺースメーカーが作られたのは1952年のことであるが、その基礎的研究は先に紹介したアルディーニの19世紀初頭の研究にまでさかのぼることができるわけだ。

 ぺースメーカーは生きている人間の動いている心臓に電気刺激を与えて、その動きをうまく補助しようというもので、同じ原理による同様な装置は心臓以外にも多くの器官に、例えば呼吸補助のためや膀胱の筋肉刺激などにも用いられている。脳の電気刺激ではことはそう単純ではない。電気による筋肉収縮を目的とするのではなく、生体の制御機構そのものをコントロールしようとするものだからだ。どれだけの電流を流したらよいのか、その時間は、その電流の波の形などと、多くのパラメーターを細かく、そして正確に選択・コントロールする必要がある。

 これらの知識を得るまでには、ガルバニの実験からまだまだ長い時問を必要としたのも当然のことだろう。脳のぺースメーカーの端緒となる研究は20世紀に入ってからのことであり、その基礎となった本格的な脳自体の研究は19世紀後半まで待たなければならなかった。

(つづく)

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