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どうして、日本ではそうならないのか?(転成仁語)⇒ドイツ左翼党とドイツ労働総同盟の共闘合意記事を『しんぶん赤旗』で読んで
http://www.asyura2.com/0601/war77/msg/720.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 1 月 19 日 21:37:32: KbIx4LOvH6Ccw
 

五十嵐仁の転成仁語
1月19日(木)
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm から転載。


どうして、日本ではそうならないのか?

今朝の『しんぶん赤旗』の国際欄を読んで、「どうして日本はそうならないのか?」と思いました。私としては、大変羨ましく感じた記事です。
 これは、総選挙後のドイツの左翼党とドイツ最大の労働組合ナショナルセンター・ドイツ労働総同盟(DGB)の共闘合意について報じた記事です。「ドイツ最大労組と左翼党 協力関係を確立 共闘も合意」という表題で、次のように書かれていました。

 ゾンマーDGB議長は十日、左翼党の連邦議会会派の会議が開かれていたマグデブルグ市を訪れ、同党指導部と会談しました。左翼党側からは、ギジ、ラフォンティーヌ両連邦議会会派共同議長、ビスキー党首が出席、双方は正常な関係の確立や賃下げを招くとして問題になっている欧州連合(EU)のサービス自由化指令案反対闘争での共闘などで合意しました。

 DGBが左翼党と公式に会談を持ったのは、左翼党が民主的社会主義党(PDS)の名称だった時代を通じても初めて。DGBは、PDSに対し、東独の元政権党とは話し合いはできないとして距離を置いてきました。

 しかし昨年の総選挙で、DGBは従来の社会民主党(SPD)支持をやめ、左翼党も選択肢として「労組員自身が判断し」投票するとの姿勢に転換しました。今回のDGBの公式の対応の変化は、左翼党が連邦議会選挙で大躍進したことが背景にあります。


 このような記事に接するときです。「やはり、『しんぶん赤旗』の国際欄は優れているなあ」と思わされるのは……。兵本さんは「ウソハタ」などと悪口を言っていましたが、このような外国の左翼の動きについて一般の新聞はほとんど注目せず、きちんと報ずるのは『しんぶん赤旗』くらいしかありません。

 そして同時に、「羨ましいなあ」と思います。新たな積極的な動きがあり、それはドイツの左翼にとって大きな希望を生みだしているからです。

 このような動きが、どうして日本では起きないのでしょうか。このような外国の事例を積極的に報じている共産党は、どうして、同様の動きを日本で作り出すためのイニシアチブを取ろうとしないのでしょうか。


 もちろん、ドイツと日本とでは様々な条件の違いがあります。しかし、東ドイツ時代の負の遺産を引き継いできた民主的社会主義党(PDS)からすれば、日本共産党は数段有利な条件を持っていたはずです。

 それが、アッという間に追い抜かれてしまったように感ずるのは、私だけでしょうか。どのような形でも結構です。ドイツの例を参考に、是非、日本でも左翼の結集を図っていただきたいものです。

 そして、いつの日か、『しんぶん赤旗』の一面で、「日本最大労組と左翼党 協力関係を確立 共闘も合意」という見出しを目にしたいものです。それは、見果てぬ夢に終わるのでしょうか。


 いや、どんな夢でも、それを追い続けている限り、いつかはかなう可能性があるということを、もう一つの外信記事が教えてくれています。それは、チリの大統領選挙についての報道です。

 これについて、『東京新聞』1月16日付夕刊は、次のように報じています。

 南米チリで15日、大統領選の決選投票が行われ、即日開票の結果、中道左派の与党連合候補バチェレ前国防相(54)=社会党=が、中道右派のピニェラ前国民改進党党首を破り、当選を確実にした。バチェレ氏はチリで初の女性大統領として3月に就任する。


 新たに大統領に就任するバチェレさんは、女性で社会主義者、年齢は54歳で私と同い年です。この方の経歴についても、『東京新聞』は次のように報じています。


 ピノチェト軍事独裁政権下で拷問を受け、海外へ亡命。1990年の民政移管後は医師として拷問被害者のケアに取り組み、国民和解に尽くした。波乱に満ちた女性の生き様を、軍政の後遺症に苦しみながら経済発展を遂げたチリの歴史と重ね合わせる人が多い。

 チリ大医学部入学後に社会党に入党。3年後の73年、同党のアジェンデ政権を打倒したピノチェト将軍(当時)のクーデターをキャンパスで目撃した。空軍の将軍だった父親はアジェンデ派とみなされ、拷問で死亡。自分も母親と2カ月間拘束され、拷問も受けた。

 オーストラリア、旧東ドイツへの亡命を経て帰国。小児科医となり、拷問被害者や軍政下に親を失った子供らを支援した。2000年に保健相に抜てきされ、02年には初の女性国防相に就任。


 チリでは、1990年にピノチェトの軍政から民政化して以来、中道左派系の与党連合による政権が続いています。バチェレさんは与党連合で4人目の大統領になりますが、女性では、もちろん初めてです。

 しかも、軍事独裁政権で拷問を受け、父親を殺された経歴のある社会党員の大統領です。その意味は大きいというべきでしょう。

 このニュースに接して、「一時的な後退はあっても、歴史は前進している」と思いました。あのチリで、ピノチェトに弾圧された社会党の女性大統領が誕生するのですから……。


 1973年といえば、私が都立大学4年生の時です。民主連合政府を率いていたアジェンデ大統領が、軍事クーデターで殺された日のことを鮮明に思い出します。

 たまたま友人の下宿でこのニュースを知った私たちは、アジェンデの死を悼んで夜遅くまで酒を酌み交わしたものです。遠くない将来、民主連合政府を作ろうと張り切っていた私たちは、チリのアジェンデ政権に格別の思い入れがあったからです。

 遠く日本で、私たちがピノチェトの蛮行に悔し涙を流してやけ酒をあおっていたとき、チリ大学医学部の学生だったバチェレさんは2カ月間も拘束され、拷問を受け、海外へ亡命していました。その後、故国に帰り、医者となって民衆医療に献身し、ついには大統領の座を掴んだというのです。


 ピノチェト将軍の軍事クーデターによる民主連合政府の崩壊は、その後「サンチャゴに雨が降る」という映画になりました。それから30年余。クーデターに抵抗した女性社会主義者が、大統領に選ばれたわけです。

 「ああ、良かったなあ。地下のアジェンデも、さぞかし喜んでいることだろう」と、私の心は打ち震えました。軍事独裁政権の拷問で殺されたお父さんも、草葉の陰で喜んでおられるでしょう。

 やはり歴史は前へと進んでいるのだと思えるような、このうえない朗報です。同時に、その朗報を、30年以上前の当時よりも悪化した日本の政治・社会状況の下で受け取ることになった私は、内心、忸怩たる思いを抑えることができません。

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