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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳(その三)
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投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 3 月 30 日 02:32:38: tTp1/cyvuKUmU
 

 5.主客転倒

     @)悪霊として描かれるパレスチナ人
2001年秋、そして特に2002年の春にブッシュ政権は、イスラエルの占領地域での拡張主義者政策を停止させパレスチナ国家の創設を提唱することにより、アラブ世界の反米感情を減少させてアル=カイーダの様なテロリスト集団への支援を弱体化させようと試みた。ブッシュは反対する者に対する非常に有効な説得の手段を持っていた。彼はイスラエルに対する経済的・外交的な支援を減少させると脅すこともできたし、米国民は恐らく大部分が彼を支持しただろう。2003年5月の世論調査によれば、米国人の60%以上は紛争を和解せよという米国の圧力にイスラエルが抵抗する場合は援助を保留する事に同意した。その比率は「政治的に活発」である人々の間では70%に上昇した。実際、73%の米国人はどちらの側も好きでないと述べた。

しかし、米国政府はイスラエルの政策を変更させる事に失敗し、結局イスラエルを支援することになった。やがて、米国政府はイスラエル自身の自己正当化論を受け入れ、その結果米国の説明はイスラエルの説明を模倣したものになり始めた。2003年2月には、あるワシントンポスト紙の見出しが状況を要約したものになっていた。「ブッシュとシャロンは中東政策でほとんど一致している」この方向転換の主な理由は、イスラエル系圧力団体だ。

この話は2001年9月の末から始まる。その時、ブッシュはシャロンに占領地域で自制を示す様に説得しはじめていた。ブッシュはアラファトの指導性に非常に批判的であったにも関わらず、シャロンに対してイスラエルの外務大臣であったシモン=ペレスがヤセル=アラファトと会うのを認めるよう圧力をかけた・ブッシュはパレスチナ国家の創設に賛成すると公式の場で発言しさえした。警戒したシャロンはブッシュを「我々の負担でアラブに譲歩すること」を試みていると非難し、イスラエルは「チェコスロバキアにしてはならない」と警告した。

ブッシュはチェンバレン英首相と比較されたことに激怒したと伝えられる。ホワイトハウスの報道担当官はシャロンの発言を「受け入れられない」と言った。車輪は形だけの謝罪を申し出たが、即座に米国政府と米国民を「米国とイスラエルはテロリズムからの共通の脅威に直面している」と説得しようとするイスラエル系圧力団体に加勢した。イスラエルの担当者とイスラエル系圧力団体の代表は、アラファトとオサマ=ビンラディンの間には実際には差はない、米国とイスラエルはパレスチナ人をの選出した指導者を孤立させるべき、アラファトとは無関係であるべきと主張した。

イスラエル系圧力団体は議会にも働きかけた。11月16日、89名の上院議員がブッシュにアラファトと会っていないことを賞賛しイスラエルがパレスチナ人に報復することを制止しない様要望する手紙を送った。米国政府はイスラエルを後援すると公式に述べるべきだと彼らは書いた。ニューヨークタイムズ紙によれば、その手紙は「米国のユダヤ人共同体の指導者達と重要な上院議員たちの間で2週間前に行われた会合から由来」しており、アメリカ・イスラエル公共問題委員会は「その手紙について助言することに特に熱心」であったと付け加えていた。

11月末には、イスラエル政府と米国政府の関係は見違えるほど改善した。これは部分的にはイスラエル系圧力団体の努力のおかげであるが、米国のアフガニスタンに於ける緒戦での勝利がアル=カイーダに対処する際に必要であると認識されていたアラブの支持の必要性を減少させたことも原因である。シャロンはホワイトハウスを12月初旬に訪問し、ブッシュと友好的な会合を持った。

2002年の4月に再度問題が発生した。イスラエル軍が防衛障壁作戦に着手し、ヨルダン川西岸の主要なパレスチナ人地区のほとんど全てを再び支配し始めたのだ。ブッシュはイスラエルの行動がイスラム世界での米国の評判を損ない、テロに対する戦争を弱体化させる事を理解していた。それ故、ブッシュはシャロンに「侵略を停止して撤退を始める」ことを要求した。ブッシュは2日後にこのメッセージを強調し、イスラエルが「遅れなしに撤退する」ことを望むと発言した。4月7日には当時は国家安全保障担当大統領補佐官であったコンドリーザ=ライスが、報道陣にこう語った。『「遅れなしに」というのは遅れなしと言う意味だ。今、と言うことだ。』 同じ日に、コリン=パウエルは全ての関係者を説得して戦闘を停止させ交渉を開始させるために出発した。

イスラエルとイスラエル系圧力団体は直ちに行動を開始した。ロバーロ=ケーガンやウィリアム=クリストルの様な新保守主義の専門家とともに副大統領の事務所や国防省に在籍する親イスラエルの職員はパウエルに激怒した。彼らはパウエルを「テロリストとテロリストと戦う者の区別をほとんどなくしてしまった」とまで非難した。ブッシュ自身もユダヤ系の指導者とキリスト教福音主義者たちに圧力をかけられた。トム=ディレイとディック=アーメイは特にイスラエルを支援する必要について歯に衣を着せず主張し、ディレイと上院の少数派の指導者であるトレント=ロットはホワイトハウスを訪問してブッシュに退却するよう警告した。

ブッシュの降伏の最初の兆候は4月11日-ブッシュがシャロンに撤兵するよう命令した一週間後-に表れた。大統領官邸の報道官は、大統領はシャロンを「平和の人物」であると信じていると言った。ブッシュはこの声明を、パウエルの失敗に終わった派遣任務からの帰国の時に公式に繰り返した。そして、自分が直ちに全員を撤退させる様に電話した時、シャロンは満足げに返事したと記者に話したのだ。シャロンはそんなことは決してしなかったが、ブッシュはもはやそれを問題視する意志はなかった。

その一方で、議会もまたシャロンを支援するため動いていた。5月2日には大統領の反対を押し切ってイスラエルへの支援を再確認する決議を通過させた(上院の投票は94対2、下院の決議は352対21であった)。この二つの決議は共に米国に「イスラエルと連帯」し、下院決議の文章を引用すると「テロリズムに対する共通の戦いに現在関わっている」と考えるものであった。下院の決議案は更に「ヤセル=アラファトによる、現在進行中のテロに対する支援と連携」を非難していた。そこではアラファトはテロ問題の中心部分として描かれていた。二つの決議は共にイスラエル系圧力団体の支援によって起草された。数日後には、イスラエルでの事実調査の任務に関する超党派的な議会の代議員団が、シャロンはアラファトと交渉すべきと言う米国の圧力に抵抗すべきだと述べた。5月9日には、下院の政府予算小委員会が、テロリズムと戦うためのイスラエルへの2億ドルの追加援助を考慮するために開かれた。パウエルはその政策に反対したが、イスラエル系圧力団体はそれを支持しパウエルは敗北した。

一言で言えば、シャロンとイスラエル系圧力団体は米国大統領と対決して勝利したのだ。イスラエルのマーリフ紙の記者であるヘミ=シャレフは「パウエルの失敗もあり、シャロンの救援は彼らの満足を隠すことは出来なかった」と報道した。シャロンはブッシュ大統領が白目を出し、そして大統領が最初に瞬きした、と彼らは自慢した。しかし、ブッシュを打ち負かすのに重要な役割を果たしたのはシャロンでもイスラエルでもなく、米国内のイスラエルの擁護者であった。

それ以後、状況はほとんど変化していない。ブッシュ政権はそれ以後、アラファトとの取引を行うことを決して二度としなかった。アラファトの死後に米国政府は新たなパレスチナ人の指導者であるマーモウド=アッバスを承認したが、彼を助けることはほとんど行わなかった。シャロンはガザからの「解放」と一体となったヨルダン川西岸での拡張政策の継続に基づき、パレスチナ人に対して一方的な入植地を押しつけるという計画を推進し続けた。あっバストの交渉を拒否紙、彼がパレスチナの人々に目に見える利益をもたらすことを不可能にすることによって、シャロンの戦略は直接、選挙でのハマスの勝利を導いた。しかしながら、ハマスが権力の座に就くことで、イスラエルは交渉しないためのもう一つの言い訳ができた。米国政府はシャロン(及びその後継者であるイュード=オルマート)の行動を支持してきた。ブッシュは占領地域での一方的なイスラエルの併合すら承認し、リンドン=ジョンソン以来の全ての大統領の国策を反転させた。

米国政府関係者はイスラエルの行動の幾つかに対して穏やかな批判を行ったが、生存可能なパレスチナ国家の建設を援助することはほとんど行っていない。元国家安全保障担当大統領補佐官であるブレント=スコウクロフト氏は2004年の10月に、シャロンはブッシュを「自分の小さな手のひらで包み込んだ」と語った。もしブッシュが米国とイスラエルの距離をおこうとしたならば、あるいは占領地区でのイスラエルの行為を批判しようとするだけでも、イスラエル系圧力団体と議会にいるその支持者たちを激怒させることは覚悟せねばならない。民主党の大統領候補は人生の現実であると理解している。ジョン=ケリーが2004年に純粋なイスラエルへの支援を誇示することを厭わなかったのも、ヒラリー=クリントンが現在同じ事をしているのも、それが理由である。

イスラエルのパレスチナ人に対する政策への米国の支持を維持することはイスラエル系圧力団体に関する限りは最も重要である。しかし、その野心はそこでは止まらず、イスラエルが支配的な地域大国であり続けることを支援することも米国に求めている。イスラエル政府と米国内の親イスラエル集団は共同で、米国政府の中東の並び替えという壮大な構想はもちろんのこと、イラク、シリア、イランに対する政策をも方向付けるために働いた。

A)イスラエルとイラク戦争
イスラエルとイスラエル系圧力団体からの圧力は2003年3月のイラク攻撃を決定した唯一の要因ではないが、決定的に重要であった。この戦争は石油のための戦争と信じている米国人もいるが、その主張を支持する直接的な証拠はほとんどない。そうではなく、この戦争はおおかたのところ、イスラエルをより安全にしたいという欲望が動機であった。大統領の外交諜報審議会の元代表であり、911委員会の常任理事であり、今はコンドリーザ=ライスの相談役であるフィリップ=ゼリコフによれば、イラクからの「真の脅威」は米国にとっては脅威ではなかった。この「公表されない脅威」は「イスラエルに対する脅威」であったと、ゼリコフは2002年の9月にバージニア大学で聴衆に向かって述べた。そして、「米国政府は誇張してそれに頼りすぎる事を望んでいない。人気があることではないからだ」と付け加えた。

2002年の8月16日、ディック=チェイニーが対外戦争の退役軍人に強硬派の演説を行って戦争を求める運動を開始する11日前、ワシントンポスト紙は「イスラエルは米国の当局者に対し、イラクのサダム=フセインへの軍事攻撃を遅らせない様に要請している」と報道した。シャロンによれば、この点によってイスラエルと米国の間の戦略的連携は「前例のない次元」に至った。そして、イスラエルの情報機関の当局者は米国政府にイスラエルの大量破壊兵器計画に関する様々な警戒すべき報告を与えた。ある引退したイスラエルの将軍はこう表現した。「イスラエルの情報機関はイラクの非通常兵器能力に関しては、米英の情報機関が提示する実態について完全な仲間である。」

イスラエルの指導者達はブッシュは安保理に戦争の承認を求めると決めた時非常に心配した。サダムが国連の査察官を復活させたときは更に困惑した。「サダム=フセインに反対する運動は無くてはならないものだ。査察や査察官はまともな人にはよいものだが、不誠実な人は容易にそれを切り抜けてしまう。」とシモン=ペレスは2002年9月に記者に述べた。

同じ頃、イュード=バラクはニューヨークタイムズ紙の論説に寄稿して「現在の最大の危険は、行動に移さないことだ」と警告した。彼の前任の首相であるベンヤミン=ネタニヤフもウォールストリートジャーナル紙に「サダム打倒論」と題する同様の記事を書いた。「今サダムの体制を破壊することほど役に立つことはない。私は、イスラエル国民の圧倒的多数がサダムの体制に先制攻撃を加えることに賛成であると信じる。」と宣言した。ハーレツ紙も2003年2月に「イスラエルの軍隊や政治家の指導層はイラクでの戦争を渇望している」と報道した。

しかしながら、ネタニヤフが言ったとおり、戦争への欲求はイスラエルの指導者たちだけには限定されなかった。サダムが1990年に侵略したクウェートを別にすれば、イスラエルは政治家も一般国民もともに戦争を好む唯一の国だった。報道記者のギデオン=リビーは当時イスラエルを「イスラエルはその指導者が遠慮なく戦争を支持し、戦争以外の意見が発言されない西側で唯一の国」であると観察した。事実、イスラエル人は余りに熱狂的であり、米国の同盟軍はその誇張を鎮める様に要求した。さもなくば、この戦争はイスラエルの利益のために行われるかのように見えたことだろう。

     B)イスラエル系圧力団体とイラク戦争
米国国内では、この戦争の推進力は新保守主義者の小さな集団であり、その多くはリクードとの関係があった。しかし、イスラエル系圧力団体の主要組織の指導者たちはこの運動への発言を引き受けた。「ブッシュ大統領がイラクでの戦争を(国民に)受け入れさせようとした時、米国の最も重要なユダヤ系組織は団結して彼を弁護した。共同体の指導者達はサダム=フセインと彼の大量破壊兵器を世界から取り除くことの必要性を強調する声明を次々と発表した。」とフォワード誌は報道した。その論説は「イスラエルの安全への関心は当然なことに、主要なユダヤ系団体の討議という因子に因数分解された。」と続けた。

新保守主義者や他の圧力団体の指導者達はイラク侵略を渇望していたが、米国のユダヤ系共同体全体はそうではなかった。戦争開始直後、サミュエル=フリードマンは「ピュー調査センターが行った全国規模の世論調査によれば、ユダヤ系は国民全体に比べてイラク戦争への支持が52%対62%でより少ない傾向にあった」と報告した。イラクでの戦争の責任を「ユダヤ人の影響」のせいにするのは明らかに間違いだ。むしろ、それはおおむねイスラエル系圧力団体、特にその中の新保守主義者たちの影響力のせいであった。

新保守主義者たちはブッシュが大統領になる以前からサダムを打倒することを決意していた。彼らは早くも1998年にサダムを権力の座から追放することを呼びかける二通の公開書簡をクリントンに送ったことで騒ぎを起こしている。その署名者の多くは安全保障問題ユダヤ研究所やワシントン近東研究所などの親イスラエル団体と親密な繋がりを持つ者であり、エリオット=アブラムス、ジョン=ボルトン、ダグラス=フェイス、ウィリアム=クリストル、バーナード=ルイス、ドナルド=ラムズフェルド、リチャード=パール、ポール=ウォルフウィッツ等を含む。彼らはクリントン政権を説得しサダムを追放するという総合的な目標を容易に採択させた。しかし、彼らはその目的を達成するための戦争を受け入れさせることが出来なかった。彼らはブッシュ政権初期にもイラクに侵略することへの熱狂を作り出すことが出来なかった。彼らは目的を達成するための助けを必要としていた。9/11とともにその助けが到来した。その日に起きた出来事がブッシュとチェイニーに進路を反転させ、予防的戦争の強い支持者にした。

9月15日のブッシュとの重要な会合で、ウォルフウィッツはアフガニスタンの前にイラクを攻撃することを提唱した。サダムが米国への攻撃に関与したという証拠が無く、ビン=ラディンがアフガニスタンにいると分かっていたのにも関わらずである。ブッシュは彼の忠告を拒否し、アブガニスタンの後に回した。しかし、イラクとの戦争は深刻な可能性があると見なされ、9月21日には大統領は軍隊にイラク侵略の具体的計画を作成するよう命令した。

一方、その他の新保守主義者たちは政治権力の中心で働いていた。我々はその完全な内容は知らないが、プリンストン大学のバーナード=ルイスやジョンズ=ホプキンス大学のフォアド・アジャミーのような学者たちが戦争が最良の選択であるとチェイニーを説得するのに重要な役割を果たしたと伝えられる。しかし、チェイニーの部下である新保守主義者たち-エリック=エーデルマン、ジョン=ハンナ、チェイニーの首席補佐官で政権の中で最も有力な者の一人であったスクーター=リビー-もまた彼らの役割を果たした。2002年の初めにはチェイニーはブッシュを説得していた。そして、ブッシュとチェイニーが乗ったことで戦争は不可避になった。

政権の外部でも、新保守主義の専門家たちは迅速にイラク侵略が対テロ戦争への勝利に必要不可欠であると主張した。彼らの努力は部分的にはブッシュへの圧力を継続するため、あるいは政権内外の戦争反対勢力にうち勝つためであった。9月20日には有力な新保守主義者とその友人の団体が別の書簡を公開した。それは、「米国への攻撃とイラクとの間に直接の関係がないとしても、テロとその後援者を根絶するためのいかなる戦略も、イラクの政権からサダム=フセインを追放するという断固たる努力が必要不可欠だ」というものだ。その書簡はまた、ブッシュに「イスラエルは国際的なテロに対抗するための米国の最も忠実な同盟国であったし、これからもそうであり続ける」ということを思い起こさせた。10月1日には、ウィークリースタンダード誌の記事でケーガンとクリストルはタリバンを米国が打ち破ったらすぐにイラクの政権交代が必要と主張した。同じ日に、チャールズ=クラウトハマーはワシントンポスト紙で米国のアフガニスタンでの作戦が終わったら、シリアが次であり、その後はイランとイラクであり、我々が「世界で最も危険なテロリスト体制を」終結させるとき、「テロに対する戦争はバグダッドで完了」すると論じた。

これはイラク侵略への支持を得るための容赦のない広報活動運動の始まりに過ぎなかった。そして、その決定的に重要な部分はサダムが差し迫った脅威であるかの様にみせかけるという情報操作であった。例えば、リビーはCIAの分析官に対して戦争に賛成する主張を支持する証拠を見いだすよう働きかけ、現在コリン=パウエルの評判を落としている国連安保理での説明の準備を支援した。国防総省内では、反テロリズム政策評価グループがアル=カイーダとイラクの繋がりを見いだすよう命令されが、情報機関はそれに失敗したと思われる。その鍵となる二人の重要人物は、筋金入りの新保守主義者であるデービッド・ワームサーと、パールと親密な絆を持つレバノン系米国人のマイケル=マルーフである。特別計画室と別の国防総省のグループは、戦争を受け入れさせるのに利用できる証拠を発見する職務を与えられた。これはウォルフウィッツと長期間関係を持つ新保守主義者であるエイブラム・シュルスキーが指揮を執り、親イスラエルのシンクタンクから募集された人々が参加していた。両方の組織は9/11の後に作られ、ダグラス=フェイスに直接報告を行った。

ほぼ全ての新保守主義者と同様に、フェイスもイスラエルに深く関与しているし、リクードとも長期的な関係を有している。彼は1990年代に入植地を支持しイスラエルが占領地区を保持すべきだと主張する記事を書いた。より重要なことは、パールやワームサーと共に1996年にあの有名な「突然の中断」を、当時首相になったばかりのネタニヤフに書いたことである。その中ではネタニヤフに「サダム=フセインをイラクの権力の座から追放することはイスラエル自身の権利において、重要な戦略目標である」と勧めている。更に、中東全体を並び替えることをイスラエルに対して呼びかけている。ネタニヤフは彼らの忠告に従わなかったが、フェイス、パール、ワームサーは間もなくブッシュ政権に対して同じ目標を実行するよう要請していた。ハレーツ紙の特別寄稿者のアキバ・エルダルはフェイスとパールは「米国への忠誠心とイスラエルの国益の間の細い線の上を歩いている」と警告している。

ウォルフウィッツもまた等しくイスラエルに関与している。フォワード誌はかつて彼を「政権の中で最も強硬な親イスラエル派」と描写し、2002年に自覚的にユダヤの現状改革主義を追求する50人の有名人の筆頭に選んだ。同じ頃、安全保障問題ユダヤ研究所はウォルフウィッツにイスラエルと米国の強い友好関係を増進させた事に対してヘンリー・M・ジャクソン殊勲賞を授与した。エルサレムポスト紙は彼を「心から親イスラエル」と評し、2003年の「最も活躍した人物」と名付けた。

最後に、新保守主義者たちの戦争前のアフマド・チャラビへの支持については簡潔な言葉で述べるのが適当だろう。彼はイラク国民会議の代表を務めていた恥知らずの亡命者だった。彼らがチャラビを支持したのは、ユダヤ系米国人の集団と親密な関係を樹立しており、政権を握った暁にはイスラエルとの良好な関係を育むと誓ったからである。これこそまさに、親イスラエルの体制転換擁護者たちが聞きたかったことであった。マシュー=バーガーはユダヤジャーナル誌でこの掘り出し物の真髄に酔っている。「イラク国民会議は関係改善を米国政府とイスラエル政府におけるユダヤ人の影響力への打診を行うための方法と考え、その理由のために支持の増大を喚起している。もしイラク国民会議がサダムフセイン体制の後任に関与した時には、ユダヤ系グループは彼らとしてはイスラエルとイラクの間の良好な関係に道を開くための機会を見つけたのだ。」

新保守主義者たちのイスラエルへの献身、イラクへの執着、彼らのブッシュ政権における影響力を考えると、多くの米国人がこの戦争は更なるイスラエルの国益のために計画されたのではないかと疑うのは驚きでない。昨年3月、米国ユダヤ人委員会のバリー=ヤコブは、イスラエルと新保守主義者たちが共謀して米国を対イラク戦争に持ち込んだという信念が情報機関の中で拡散していることに同意した。しかし、そのことを公式の場で口に出す人はほとんど居なかったし、それを行った人の大部分-アーネスト=ホーリングズ上院議員や-ジェームズ=モーラン下院議員を含む-はその問題を取り上げたことを糾弾された。マイレル=キンスレーは2002年に「イスラエルの役割に関する公的な議論が欠如していることは、部屋の中の象(非常に目立つが、都合上無視される問題)の諺のようだ。」と述べた。彼は、それに関する議論に気が向かない理由は、反セム主義者と呼ばれることへの恐れであると分析した。イスラエルとイスラエル系圧力団体が開戦の決定の大きな要因であることはほとんど疑いの余地がない。彼らの努力なしには、米国がその決定を行う可能性は遙かに小さかったことだろう。

(その四に続く)


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