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カダフィ大佐と国際社会。萬晩報、2003年09月04日
http://www.asyura2.com/0601/war80/msg/813.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 5 月 18 日 18:24:59: SjhUwzSd1dsNg
 

(回答先: 「狂気の独裁者と抱擁するのか」 リビアとの国交正常化に反論 [ベリタ通信] 投稿者 white 日時 2006 年 5 月 18 日 16:37:11)

古い記事ですが200機余の艦載機で60トンの爆弾を投下して政治家一人を殺そうとしれ、101人を殺したのは、アメリカのほうでっせ。

* これも、きっかけは「パレスチナ支持」だから、アメリカを支配するユダヤ勢力の意向ということになるのだろう。

* 「支持」の「報復」が「73年にはイスラエル機によってリビアのボーイング727機が撃墜され、110人死亡。81年にはリビア沖で、リビア領空に侵入してきた米軍機が、リビア機2機を撃ち落とすという事件も発生」というのが凄い。ほんま、米イは、やくざだ。

http://www.yorozubp.com/0309/030904.htm

カダフィ大佐と国際社会

2003年09月04日(木)
萬晩報コナクリ通信員 齊藤 清

 米国によりテロ支援国家とされていたリビアが、このところ妙に枯れた動きを見せています。昔日のアラブの青年将校の過敏な猛々しさから脱皮して、アフリカの盟主を任ずる老練なカダフィ大佐への変身。世界地図はいま、色が塗り替えられようとしているようにも思えます。その立役者カダフィ大佐の足跡を、急ぎ足で洗いなおしてみました。

 ◆サッカーへの夢

 カダフィ大佐自身はもちろんなのですが、その息子のサーディ・カダフィ(30才)もサッカー好きで、2002年には、日韓共催のワールドカップ観戦のために、銃を携えた護衛を連れて韓国、日本を訪れています。――もっとも、銃は経由地で没収されてしまったらしいのですが...。彼本人もリビアを代表する優秀な選手とされていて、かねてからプロとして海外で活躍することを夢見ていたようです。

 カダフィ一族の経営する会社が、昨年イタリアのサッカーチーム・ユベントスに資本参加(およそ30億円)し、第2位の株主となったとするニュースが伝わっていました。

 そしてつい最近には、同じイタリアのサッカーチーム・ペルージャが、カダフィ大佐の息子を選手として獲得したと伝えられました。クラブ経営者の経営戦略・政治戦略の一環であるのかもしれないのですが、話題になることは確かです。7月からチームでの練習を始め、練習試合ですでに2ゴールを決めたなどという報道も。蛇足ながら、このチームはアフリカでも有名人の中田英寿が活躍したチーム。

 これはサッカークラブの話題づくりとしてばかりではなく、リビアのイメージアップ戦略としても有効なものとなりそうです。ことに、大佐が今後の戦略地域として想定しているアフリカでは、サッカーはスカッドミサイルなどよりもずっと大きな威力があります。もっとも、サーディ自身はサッカー一直線だけなのかもしれないのですが。

 ◆テロリズムの連鎖

 これまでのリビアは、英米主導による国際社会からの隔離政策によって、国のイメージばかりではなく、実質経済的にも大きなダメージを受け続けてきました。

 その最大の原因は、1969年に無血クーデターでカダフィ大尉(当時)が政権についたあとで、それまでリビアを含むアラブ世界を蹂躙していたと彼が信ずる西側の国に叛旗を翻し、PLO、IRAへの支持を鮮明にしたことにあったと考えられます。――石油産出国ですから資金は豊富でした。

 報復として、73年にはイスラエル機によってリビアのボーイング727機が撃墜され、110人死亡。81年にはリビア沖で、リビア領空に侵入してきた米軍機が、リビア機2機を撃ち落とすという事件も発生。

 もっともこの間、ドイツ、イギリス等々で、リビアが関与したとされる複数のテロが発生し、それによる非難を受けてもいます。この中にはCIAがでっちあげた気配が濃厚なものもあり、フレデリック・フォーサイスの愛読者でもある私めには、それは充分にありうることだろうという気はするものの、その真相は...。

 そして極めつけは、当時の米国レーガン大統領の指示による、86年のリビア襲撃。これも、カダフィが裏に控えて操作しているとされる国際テロリズムに対する「報復」ということでした。米爆撃機F-111sの発進基地提供の要請を受けた当時の英国サッチャー首相は、「テロはテロを呼ぶ」として躊躇したものの、盟友レーガンの説得に負けて承諾。あらかじめ地中海に展開していた6隻の艦船と200機余の艦載機の支援を受け、まったく抵抗のない状態で爆撃機はリビアへ60トンの爆弾を投下。

 この襲撃で、カダフィはからくも生き延びたものの、彼の養女を含む101人が殺されたと伝えられています。『変り行くリビアの近況』と題するメッセージの中で松本剛氏が、《同大佐のトリポリでの居所となっている軍司令部構内にある「カッザーフィの家」(1986年に米軍機の爆撃を受けて破壊されたが、現在に至るも米軍の蛮行を示すモニュメントとして残されている)》と書いています。
http://www.meij.or.jp/countries/libya/matsumoto2.htm

 そしてこの年、米国は独自の対リビア経済制裁を実施し、リビアで事業を展開していたすべての米系企業を撤退させています。この中には、複数の石油採掘会社も含まれていました。(ただしこの権利は剥奪されることなく、現在までリビア政府預かりとなっている)

 ◆航空機爆破事件

 「テロはテロを呼ぶ」というサッチャーの懸念の通り、88年には英国スコットランド上空で米パンナム機爆破事件(ロッカビー事件)が発生。このときの英米人の犠牲者は270人。翌89年には、フランスUTA機がアフリカ・ニジェール上空で爆破され、170人の犠牲者。これらすべてについて、欧米側からはリビアの関与が指摘されていました。リビア側は関与を否定。

 これに呼応するようにして88年、リビア側の解説によれば、フランスの諜報機関SDECEによるカダフィの暗殺計画が実行され、最後の段階で露見するという、観客席へのサービス度は満点のニュースも発信されました。

 当然のようにこの頃も、英国諜報機関M15/M16、CIA、リビア諜報機関等々が、カダフィをめぐって世界各地で小説以上に派手な動きをしていたことが、現在の時点ではかなり信憑性のある資料で知ることができます。

 そして国連安保理は、リビアに対して航空機爆破事件への捜査協力などを要求したものの、拒否されて、92年、93年に対リビア制裁決議を二件採択しました。これ以降リビアは国際社会から隔離された状態となって、経済的にも政治的にも逼塞した状況が続くことになります。

 この頃、国外に亡命していた反カダフィ勢力としてのイスラム原理主義グループが、英国諜報機関M15などの資金援助を受けて、リビア国内にいる現役軍人などと連動し、96年に政権転覆計画を実行したものの、カダフィの乗った車の爆破に失敗して頓挫するまでの経緯を知ることのできるM15の極秘文書が、2000年になってから何らかの意図でネット上に漏洩され、「諜報員の生命に危険が及ぶ可能性がある」として、英国政府がプロバイダーに削除要請をしたことが、プロバイダーからの発表として報じられました。これについては英国内務省もコメントを出していたようですので、おそらくは本物の極秘文書だったのでしょう。(その世界のことは、どこまでが本当なのかよくわかりませんけれど)

 舞台裏では、国連安保理側は航空機爆破事件の容疑者と目するリビア人の引渡しを、リビア側は国外にいるカダフィ政権転覆計画の関係者たちの引渡しを、それぞれ要求していたもののようです。爆破事件容疑者として英米から名指しされていた人間を、99年にリビアが引き渡したときには、表のニュースには出てこなかったものの、政権転覆を企てたイスラム原理主義グループがリビア側に引き渡されていた、ということです。

 容疑者の引渡しを受けたことによって、99年4月、国連安保理は対リビア制裁の一時停止を発表。ただし、米国独自の制裁はまだ継続していました。

 ◆アフリカ世界への傾斜

 ひとつ気になっているのは、98年7月、カダフィ大佐が大腿骨を骨折したとして入院した"事件"。これは公式には、日課としていたジョギングの最中に転倒したための骨折、と発表されました。――されているはずです。アラブ世界の首脳が四、五人一堂にそろって、彼の病室にいる写真が添えられていたことも、ただの骨折にしては不自然だと、フレデリック・フォーサイスの愛読者は思ったものです。かなりのダメージを受けたためなのか、治療が適切ではなかったためなのか、いまでも軽い後遺症が残っているらしく、歩行の際には補助の杖を使っている様子が伺えます。カメラの前では杖を置いて移動することもできる程度ではあるものの、かなり危なっかしく、このあたりに往年の迫力と気力を削ぐひとつの素朴な理由があるのではないかと、推測しています。それが彼の思考に変化を与えているかもしれません。

 国連安保理の対リビア制裁一時停止後の2000年7月、西アフリカ・トーゴで開かれたアフリカ統一機構(OAU)サミットは、カダフィ大佐のアフリカ世界への公式復帰を祝うようなものとなりました。

 カダフィは、地中海に面した国リビアから大西洋岸のトーゴまで、300台の車と、1000人を超える従者を連れて、サハラ沙漠を南へ5000キロ走り、ニジェール、ブルキナファソ、ガーナに立ち寄り、沿道の人々のまさに英雄を迎えるような熱い歓迎ぶりに、オープンカー仕立ての白いリムジンから身を乗り出し、こぶしを振り上げて応え続けました。

 このサミットで、ヨーロッパ連合(EU)にならって「アフリカ連合(AU)」の速やかな実現を呼びかけ、2002年7月にそれが実現。彼のアラブ世界離れは決定的なものとなり、いまではアフリカの盟主たらんとして、各地の紛争解決やさまざまの問題にも、さりげない心遣いを見せています。

 今年の2月から4月にかけて、アルジェリア付近のサハラ砂漠で誘拐されたヨーロッパ人観光客の救出に際しても、表の調整を引き受けたマリの大統領を陰で支えて、リビアが動いています。観光客14人(ドイツ、スイス、オランダ人)がおよそ半年間拘束されて、この8月にマリで解放されたのですが、RFIの報道では、その裏ではリビアの人脈が誘拐グループとの交渉を成立させ、カダフィ大佐の息子が運営するカダフィ財団が、身代金として500万ユーロ(およそ6億円)を支払ったといいいます。

 ◆ビジネス優先のリビア

 2001年の911事件の直後、カダフィ大佐は米国の犠牲者に弔意を表し、負傷者に対しては献血をするという動きをアピールしていました。そして、テロリストに関する情報の提供を約束しています。

 また、この年の11月フランス発行の週刊誌『J.A./INTELLIGENT No.2132』のベタ記事によれば、リビア国営石油会社の社長が11月中旬にオーストリアで、アメリカの石油会社三社の代理人と会い、リビアの石油採掘事業へのすみやかな復帰を呼びかけています。この三社は、アメリカ政府のリビア制裁方針をうけて、1986年レーガンの時代にリビアから撤退させられていたもの。

 これは、911事件の本質を見抜いて、デージーカッターをプレゼントされる前に、リビア側がビジネスライクな手を打ったひとつの例といえます。最近のリビアは、テロリズム国家との賢い付き合い方を心得ているようです。もっとも、リビア自身が海外からの投資を激しく求めているという事情もあるのですが。

 2002年7月には、ほぼ20年ぶりに英国の外務大臣がリビアを訪問。日本では《「対テロ戦争」での協力をリビアの最高指導者カダフィ大佐に打診するため》と報道されていましたけれど、それはすでに実行されていたことですから、本当の目的は別のところにあったのです。

 というのは、この年の5月、経済制裁の解除を願うリビアのビジネスマン代表が交渉代理人として、「国際社会復帰のためのライセンス料」との位置づけで、米パンナム機爆破事件に関して総額27億ドルの支払いを提示していました。制裁解除は、リビアにもアメリカにも利益になることだ、と言い切っている様子をBBCが伝えていました。ですから実際のところは、「対テロ戦争」への協力のお礼と、支払いについての直々の確認であったわけでしょう。

 99年4月に国連制裁が一時停止された後、米国独自の制裁が継続する中、欧州や中国など(日米政府に気兼ねしながら日本社も)が積極的にリビアと接触している現実がありました。そして米国内には、出遅れを心配する強い声があがっていたようです。――制裁解除を求めるアメリカ側の力。(現実には、米ビジネスマンが大勢出入りしていたようですし)

 ◆国際社会復帰のためのライセンス料支払い開始

 今年8月下旬になって、リビア政府が補償金総額27億ドル、犠牲者1人当たり1000万ドル(約12億円)の支払いを開始した、と各メディアが報道を始めました。なかには、「爆破事件にリビア政府自身が関与していることを認めた」との文脈で記事を書いている注意力散漫な日本のメディアも目立つのですが、リビアが国連安保理に送った文書では、「その公務員の行動に関しての責任を認める」としか書いていません。

 米パンナム機爆破事件の容疑者とされた二人のうち、終身刑が確定した一人(もう一人は無罪)についての判決では、リビア政府の関与についてはまったく言及していないのです。またフランス機爆破に関してフランス法廷は、カダフィが関与しているとはいえないと明言していました。従って、ここでわざわざリビアが自身の関与を認めてみせることもなくなっていたのです。

 今回の支払い条件は、国連安保理の制裁解除、米国の制裁解除、テロリスト国家呼ばわりの撤回、この三条件が実行されるごとに、順次40%、40%、20%を支払うという約束ですから、もし三条件が整わなければ、遺族の手には全額は届かない仕組みになっています。その実現の責任は、いまや英米の側に投げ渡されてしまいました。

 そしてリビアの外相は、アルジャジーラのインタビューに対して、「リビアとしては、これは補償金ではなく制裁を解除するための支払いだと認識している」と答えています。西欧での報道だけからみればとんでもないコメントではあるのですが、リビア側はあくまで、中東の某国が某国のエージェントと合作したもの、と考えているわけですから...。

 この支払いはリビアにとって、ロン・ヤスと呼び合う仲(古い例えでスミマセン)になるためのショバ代、国際社会への入場料ということでしかないわけです。世界最大の軍事力を持つテロリストに、真正面から歯向かっても勝ち目がないことを、還暦のカダフィは悟ったのでしょう。

 英国などは、少しでも早く最終段階の支払いにまで持ち込みたくて、かなり焦っている感じすらあるのですが、しかし2001年に、170人分として総額3100万ドルを受け取って落着させたフランスは、英米が1人分1000万ドルという数字で決着したことで不満が爆発し、現在リビアと再交渉中であると伝わっています。英米がいくら急がせても、フランスの再交渉が終わるまでは、フランスの持つ「拒否権」という壁に阻まれて、制裁解除の国連決議は前進できないのかもしれません。今度ばかりは国連無視もできませんし。

 ならずものとされていたリビアが、英米とフランスの動き、あるいは彼等の確執を安全圏から眺め、困った連中だと囁いている、――あまり見慣れなかった図が展開されているこの頃です。

 齊藤さんにメールは mailto:bxz00155@nifty.com
 Gold News from Guineaは http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000005790

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