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世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL100-101:情報通信分野における国家の役割
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投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 5 月 21 日 10:49:51: tTp1/cyvuKUmU
 

◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL100
 江田島孔明

 今回から、情報通信分野における国家の役割を考察する。つまり、情報から見た場合に、どのような国家像が考えられるか、そこから見えてくる問題とは何か、そしてどのような政策が求められているのかである。

 シーパワー戦略の根幹はエネルギー、食料、情報通信、金融そして軍事の5要素(戦略の五道)についての連立方程式を解くことで、適切な解を与えることであり、中でも、情報通信戦略は根幹をなす。
 シーパワーは英米をみても分かるが、情報産業が発達し、情報の優位性により、ランドパワーを封じ込めるという戦略をとる。日本では、この点の考察が弱いようで、明確な情報通信戦略がないことが問題だ。

 情報通信の世界はめまぐるしく変化している。例えば半導体チップの性能は18カ月毎に4倍になるという「ムーアの法則(インテル社のゴードン・ムーアが導き出した経験則)」が知られている。そうした変化の早さに国家という制度・枠組はついていけないかに見える。
 そのために最先端の情報通信技術でつなぎ合わされたグローバル経済・市場には、国家が不要であるという議論もある。しかし、依然として政策や規制の単位は国家であり、国家は主権を放棄していない。従って、変化が著しい情報通信分野においてこそ再び国家に注目する必要がある。

 現代社会が情報化の度合いを進めていることには異論がない。しかし、その情報化の中身は多様である。家庭や職場にコンピューターを導入することをもって情報化とする考え方がある一方で、活字メディアや放送メディアがデジタル化されることを情報化という場合もある。
 本来、我々の世界は情報であふれている。我々の存在自体が情報であり、無意識のうちに大量の情報を発信すると同時に受けとってもいる。そういう意味では情報で満たされた社会に我々は生きている。そこであえて情報化という時には「情報が電子化(デジタル化)され、蓄積され、加工され、伝達され、共有される」度合いが高まっているということが背景にあるのだろう。

 社会の情報化と同時に、政治もまた情報化している。政治を様々な価値や資源の分配に関する意思決定・合意形成のプロセスだと考えるとすると、そのための手段は、暴力や搾取から説得や誘導に移ってきていると指摘されている。 政治は情報を使ったアクター間のゲームになりつつある。冷戦が終わって、大量破壊兵器による大量殺戮の可能性が下がってきた現在、情報としての政治の役割はますます大きくなっている。米国の大統領選挙で顕著なように、テレビや新聞などのマス・メディアを通じた政治は従来から威力を発揮してきた。さらに現代では情報はデジタル化され、インターネットなどの新しいメディアの中で語られるようになっている。

 社会における政治的な営み・行為の結果として人類は、国家という制度・枠組を作り上げてきた。政治において情報が重要な役割を果たし、政治的な制度として国家が重要なものだとするならば、「国家と情報」という問題も重要性を増しているだろう。
 近代的な国民国家(nation-state)の成立を1648年のウェストファリア条約に求めるならば、国家は人類史上まだ新しい制度である。しかし、政治制度としての国家は現代において不可欠なものとなっている。
 情報通信技術の発達による経済のグローバル化に伴って、国家の役割の低下が指摘されているが、しかし、情報を収集し、蓄積し、分析し、活用するためのシステムとして、国家はその役割を失っていない。
 例えば、議員代議制というシステムは、国民の意見という情報を集約し、議論し、国家としての意思決定・合意形成をするためのものであり、これが失われていいと考えることはできない。

 しかし、国家という意思決定・合意形成システムが情報を扱うやり方は一つではない。それは国家制度、国家形態として現れてくる。民主制度は情報を底辺から集約するシステムだが、権威主義体制は情報の流通を制限するシステムであるといえるだろう。
 こうした情報に対する国家の態度に相違があることを踏まえて、情報から見た場合の国家のモデルを特に「情報国家(information state)」と呼ぶことにする。

 なぜこうした国家と情報という視点が重要なのであろうか。第一に、政治学あるいは国際政治学において、情報の問題が必ずしも十分に論じられてきていないということがある。
 情報を扱った枠組としては、国際コミュニケーション論(情報通信あるいはコミュニケーションがコミュニティ形成の重要な要因の一つと考える)や国際レジーム論(放送や通信を規制する国際電気通信連合[ITU]を中心とした電気通信レジームにおける国際協力を考える)、政策過程分析(サイバネティックス・アプローチを応用した政策過程モデルを構築したり、組織内における情報伝達の問題を考える)、ゲーム論(不完全情報の問題がアクターの選好を大きく左右すると考える)などで論じられてきた。
 しかし、例えばインターネットのような通信と放送の両方の要素を兼ね備えたメディアがグローバルに展開していることを分析する枠組は、いまだ議論の最中である。

 第二に、現実の問題として、政治経済における情報通信の役割が今後大きくなると予測される。短期的に見ても、1990年代の日本経済はバブルの後遺症に悩まされ続けたのに対し、米国は80年代の不調から一転して、情報技術(IT: InformationTechnology)を使って活力ある経済を取り戻している。
 より長期的に考えれば、国益と情報という問題もある。明治維新まで話をさかのぼれば、明治新政府は「欧米の技術や考え方という情報」を積極的に取り入れ、国家を転換させるのに成功した。情報を国益に結びつけることができたのである。
 しかし、国際社会においてその存在を認知されるにつれて、外部・内部の情報を適切に処理できなくなってしまったように思われる。太平洋戦争を見ても、暗号解読という情報戦で完全に負けていたことが、ミッドウェーの敗戦やその後の敗北に繋がった。
 それに対し、英国と米国は情報を国益に関わる戦術、戦略へ活用することに長けていた。ドイツや日本の暗号解読をはじめ様々な形で情報を吸い上げ、さらに、自分たちがそうした活動によって利益を得ていることを相手に悟らせなかった。

 なお、太平洋戦争中の日本では陸軍、海軍、外務省と独自に暗号体系を開発していた。ほとんどが米英側に解読されている。米英側が無限乱数式暗号などを活用した陸軍の高度の暗号には手を焼いたという話はあるが、外務省、海軍のことはあまり聞かない。  

 ミッドウエー海戦は短期間であったが連戦連勝を続けてきた日本軍側が初めて経験した挫折であり、太平洋をめぐる日米両軍の戦いにおけるターニング・ポイントとなった。
 まさにミッドウエー海戦は「太平洋の戦局はこの一戦に決した」というべき戦いであり、「戦史上特筆大書さるべき」海空戦であったが、それは日本側にとってではなく、戦果絶大なものがあったのは米軍側であった。
 この作戦は山本五十六司令長官のシナリオ通り進行。ミッドウエーを攻略することによって米空母部隊の誘出を図り、これを捕捉撃滅することは現在の戦力からみて容易であると判断、ミッドウエー上陸予定日は月齢や気象を踏まえて6月7日(昭和17年)と計画され、同じにアリューシャン攻撃も行われることとなっており本作戦には日本連合艦隊の決戦兵力のほとんど動員されていた。(350隻の艦隊、飛行機1000機、将兵10万以上の大出動)

 山本五十六司令長官に「日本海軍暗号の解読は絶対にありえない」と言はした暗号であったが、守勢の立場にあった劣勢の米国海軍の強い力となったのがこの暗号解読であった。
 日本海軍主力が太平洋のどこかで遠からず積極的な作戦に出てくることは確実であったが、その時期や目的地について判断がつきかねていた。その時期、日本海軍の最も広く用いられた戦略常務用(海軍暗号書D)の解読に取り組んでいた米軍海軍情報部は5月26日までにほぼその解読に成功。ミッドウエー作戦の計画に関して、日本側の作戦参加艦長、部隊長とほぼ同程度の知識を得ていた。

<参考>
 日米陸海軍暗號解讀史余話。
http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/angoukaidoku.html

 逆に、第二次大戦における英国は、シーパワーの本家らしく、情報の重要性を理解していた。

 1940年6月、フランスがドイツに降伏し、フランス軍はドーバー海峡を渡ってイギリスに逃れる。ヨーロッパ西部をほぽ制圧したドイツは、イギリスに降伏を迫った、イギリスは断固拒否。同年7月、ドイツはイギリス本土へ本格的な空襲を開始した。

 特にロンドンヘの空襲は、9月から10月はじめまで続いた。大きな打撃を受けていたイギリスにとって、ドイツ軍の情報入手が最重要課題だったが、ドイツ軍は「エニグマ」という優秀な暗号作成機を使って通信していた。

 第2次世界大戦においてドイツの「エニグマ」、日本の「パープル」は、解読が困難な暗号として有名である。エニグマは3つの歯車と電気プラグで暗号を組み替えるもので、その組合わせの数は10京(兆の10万倍)。しかも、ドイツ軍は毎日、暗号の組み合わせを変えてくるため、暗号の解読は不可能とされていた。イギリスは、ドイツ軍の暗号を解読するため、外務省暗号研究所に約1万人の人材を投入する。

 その中、数学者のアラン・チューリングを中心とするチームが、電磁石を使った電気式計算機「ボンベ」を開発し、1940年11月、見事にエニグマ暗号の解読に成功したのだ。
 さっそく傍受したドイツ軍の暗号を解読した結果、ドイツは攻撃目標をロンドンから別の都市へ変更。最初の標的はロンドンの北西にあるコベントリーという町で、攻撃の日は、11月14日と判明した。
 情報はチャーチルのもとに伝えられ、暗号研究所のメンバーは、イギリス軍がドイツ軍を返り討ちするニュースを心待ちにしていた。ところが、チャーチルはこの情報を無視。コベントリーは無防備のまま空襲を受け、街は壊滅的な被害を受けた。
 チャーチルはコベントリーを失うことよりも、イギリスの暗号解読能力を知られることを恐れたのだ。

 この後も、ドイツはエニグマより格段に解読が難しい新型暗号機を開発するが、イギリスも真空管を使った世界初の電子計算機「コロッサス」を1943年12月に完成させ、この暗号を解読させている。
 これらはすべて最重要機密として扱われ、その存在が明らかになったのは、戦後30年たってからである。エニグマ暗号が解読可能なことも、長く秘密にされた。
 大戦後イギリスは、ドイツから大量に押収したエニグマ暗号機を、中南米やアフリカ諸国に「高いコンピューターを使わずに解読不可能な暗号を作る機械」と言って、売却している。エニグマを買った国は大喜びで、外交文書をエニグマで暗号化し、大使館や情報機関とやり取りした。もちろん、この情報はイギリスには筒抜けであった。

 イギリスは国家機密を守るために多くの自国の市民を犠牲にしたが、これは正しい判断であったとされた。チャーチルは英雄となり、1953年には、『第2次世界大戦回顧録』で、ノーベル文学賞を受賞している。

 現代において情報の意義はさらに高まってきており、情報を国益と結びつける技術の重要性はさらに高まってきている。
 米国はそうした情報の戦略性にいち早く気づき、投資を強めている。米国は現代における一つの情報国家のモデルとなっているといえるだろう。
 情報国家には三つのタイプがあると考える。つまり、独占型情報国家、ガバメント型情報国家、ガバナンス型情報国家である。この三つのタイプは、情報独占と情報共有のどちらを重視するかによって位置づけられる。
 つまり国家の内外あるいは政府と国民との間で情報が共有されるか、あるいは一部の人々の間で独占されてしまうかによって、国家の情報に対する態度を区別するのである。そして、この情報国家モデルを使って、主として米国を事例にとりあげて分析をする。
 米国は世界で最も競争力のある情報通信産業を有し、世界の情報の流れを左右することができる立場にあり、現代の情報通信大国である。インターネット発祥の地でもある米国を抜きにして現代における情報と国家の問題を語ることはできない。
 情報通信分野におけるいくつかのトピックをとりあげ、ケーススタディを行い、歴史的な考察と国際比較を織り込みながら、多角的に情報通信大国としてのシーパワー米国と英国の姿をとらえていくことにしたい。

 それによって、日本の国益の確保のみならず、国際関係の安定とグローバルな経済の発展への礎の一つとなることを期待している。 以上
(江田島孔明、Vol.100完)

◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL101
 江田島孔明

 前回に引き続き、国家戦略上の情報通信の重要性を、大英帝国の例を参考にして、考えてみたい。孫子も、用間篇で、スパイによる情報取得こそ最重要と言う事を述べている。

 孫子曰わく、「凡そ師を興こすこと十万、師を出だすこと千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費し、内外騒動して事を操[と]るを得ざる者、七十万家。相い守ること数年にして、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり。主の佐に非ざるなり。勝の主に非ざるなり。故に明主賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり。先知なる者は鬼神に取るべからず。事に象るべからず。度に験すべからず。必らず人に取りて敵の情を知る者なり。 」

 古代においても、情報の重要性は理解されており、アケメネス朝ペルシア帝国の統治にあたっては、全土を20の州に分け、王が任命するサトラップ(知事、総督)を派遣して統治させ、サトラップの監視のために「王の目」「王の耳」と呼ばれた直属の監察官を派遣し、州を巡察させて王に報告させた。

 日本においても、戦国時代の武将は、知略・謀略無くして、生き残れなかった。嘘の情報を流し、敵を撹乱し、戦を有利にもっていく情報戦。それに長けた織田信長は、桶狭間の戦いで、今川義元の命を奪い、勝利した。信長が最高の褒美を与えた者は、今川義元の首を取った者ではなく、「今川軍が田楽狭間で休んでいる」という情報をもたらした梁田政綱である。「情報こそが命」、それを、織田軍勢に徹底させるための、計算された褒美の与え方であった。 まさに、この点に、信長のシーパワー戦略の萌芽を見ることができる。

 生き馬の目を抜く、国益をかけた諸国間のせめぎ合いにおける情報戦の重要性は、今も変わらない。グローバリゼーションの波の中、金融・経済の動きは、大きく素早い。国同士の関係も、一瞬一瞬も止まることなく流動する。
 他国の動きを迅速に察知し、それに戦略的に対応しなくては、日本には未来は無い。得られた情報を、的確に判断・評価し、迅速に対応する「情報力」こそが、国の競争力を高め、次の情報戦で有利な立場を得ることができる。アメリカが相対的な衰退を迎えつつあり、世界が戦国時代に突入した現代にあって、情報の重要性は強調しすぎることができないほどであり、戦略構築の基盤であり、生命線だ。

 シーパワー英国は、19世紀後半から電信ネットワークを作り上げた、情報国家であった。18世紀以降、大英帝国は、進んだ造船技術と海運力、海軍力によって世界の政治経済の覇権を握った。その覇権は19世紀半ばのビクトリア朝で最高潮を迎えるが、このころから植民地各地へ向けて、電信によるグローバルな情報通信ネットワークを英国は築き始めた。
 この電信ネットワークの構築は、大英帝国の国力と物流ネットワークに裏打ちされたものであり、逆にそれを補完する役割を果たした。今日のインターネットが画期的なように、人馬や船に通信を依存していた19世紀の世界にとって、電信は画期的な情報通信技術であり、まさに19世紀の情報革命であった。この意味で、大英帝国は、電信ネットワーク基盤の上に立脚する、19世紀の情報国家だったのである。

 大洋を越えた植民地統治は簡単なことではない。植民地の現状をロンドンが把握し、その指令を伝えるという作業は時間を要するものであり、対応の遅れは手遅れになるということも考えられた。そのために必要とされたのが、電信技術だったのである。電信ネットワークは大英帝国の海運ネットワークと見事に一致するネットワークであった。

 注目すべきは、英国が今から100年以上も前に世界に張り巡らした海底ケーブルである。電信ケーブルによる情報通信コストの低減と時間の短縮化は、英国が植民地との情報を交換するにあたって重要な役割を果たした。むしろ、植民地のあらゆる情報を盗聴を含む手段で、迅速につかみ、対処することは、シーパワー英国の生命線となっていただろう。

 この、「情報の優位」により、巨額の利益を上げたのがロスチャイルドだ。19世紀、世界最大の金融市場であったロンドンでは、1815年のワーテルローの戦いにおいて、「ナポレオンが勝ったら株は『売り』、負けたら『買い』」に決まっていたのである。

 しかし、ワーテルローの戦いの戦況は、そう簡単にはロンドンに届かない。情報は人や馬車で運ばれ、英仏海峡を船で越え、そのあとやっと新聞記事や噂話になってロンドンの投資家に伝わる。

 投資は、正確な情報に基づいて行わなければ、利益をあげることなどできない。1815年当時の新聞記事などに頼っていては、投資家はどれだけ大損するかわからない。そこで、このワーテルローの戦いの頃、イギリスの投資家たちは、いちばん正確な情報を持っていそうな投資家を手本と仰ぎ、そのまねをすることに決めていた。

 その手本に選ばれたのは、ネイサン・ロスチャイルド。彼はすでに欧州最大の投資家、資産家の 1人として知られ、彼と彼の一族は、欧州各国に兄弟や従兄弟、一族郎党を配置して「支店」を構え、独自の情報収拾網を持っていることでも有名だった。もちろんネイサンはイギリスに莫大な投資をしており、彼がワーテルローの戦いに重大な関心を持っていることは、だれの目にも明らかだった。
 だから、当時のロンドンの投資家たちはこぞって、彼こそがもっとも正しい情報をだれよりも早く入手し、そしてだれよりも先に正しい投資を行うだろうと考えたのである。つまり「ネイサンがロンドン市場で株を売ったら『売り』、勝ったら『買い』」とだれもが決めていたのである。

 天下万民の期待どおり、ネイサンはだれよりも早く、しかしひそかに電信を駆使して、ワーテルローの戦いの結果を知った。ナポレオンが負け、大陸のイギリス利権は安泰と決まった。ロンドンでは株は「買い」の状況になったのである。 ところが、ここでネイサンは前代未聞の「大失敗」を演ずる。なんと、ナポレオン敗退の確報を得た当日、この男爵は自分の保有する株を、ロンドン市場で大量に売りに出たのである。

 これを見たロンドンの投資家たちがショックを受けたのは言うまでもない。かくして、まさに、ほとんどすべての株は、ロンドン証券取引所が閉まるまでに紙屑同然の値段になってしまった。ところが、取引所が閉まる直前に、たった1人、怒涛の勢いで「買い」に出た者がいた。ネイサンだった。「ドイツの援軍はまだワーテルローに着いていない」といった類の悪いニュースの流れる中、普段ならそう簡単に買えないような高価な有料銘柄が、ただ同然の値段で買えたので、ネイサンは、絶望する他の大勢のイギリス人投資家を尻目に、資金の大半を傾けて狂ったように買いまくった。
 翌日、ナポレオンが負けた、という正確なニュースが初めて広くロンドン中に伝わった。取引所が開くと、株は一気に急騰しはじめた。ネイサンはたった一夜にして、近代経済史上空前絶後の利益をあげた。公称約 100万ポンド。ネイサンを中心とするロスチャイルド家は資産を一気に数千倍にし、その他の投資家(ほとんどは地主貴族)は破産した。この件を境に、英国は事実上、国際金融資本の支配下に入ることになる。

 その後、1830年代にあらためて電信ブームが到来し、各地で実験が始まり、1851年、英仏海峡に海底ケーブルが敷設された。海底ケーブルにとっての最大の問題は、海中における絶縁性であったが、ガタパーチャと呼ばれる素材を使用することで絶縁性が確保された。
 このドーバー海峡の海底ケーブルが、大英帝国の政策への電信利用の第一歩であった。ここから電信ネットワークの拡張は、第一にインドと極東、第二に新大陸、第三にアフリカ大陸を目指して行われることになる。しかしながら、大西洋横断海底ケーブルの敷設は失敗の連続で、1858年に始まった敷設作業は8年後の1866年にようやく完成した。次の目標はインドだった。すでに1860年に地上線によって英印間は結ばれていたが、それに遅れること10年でジブラルタル海峡から地中海に入り、マルタ島を経由してスエズ運河を過ぎ、紅海からインド洋に抜け、ボンベイに達する海底ケーブルが引かれたのである。
 まさに、英国の植民地との間のエンパイアルート確保に海底ケーブルは決定的な役割を果たした。言い方を変えると、ケーブルの絶縁性と耐久性という技術的問題をクリアーできれば、規制や国境を越えて陸上でケーブルを敷設するより、コストも盗聴されるリスクも低かったのだ。
 これがシーパワーがランドパワーに対して情報の優位を勝ち得た理由だ。まさに、海を制するものは陸を制するものに勝るわけだ。ガタパーチャ(Gutta Percha)とは、イギリスが植民地にしたマレー、ボルネオなどの現地民たちが古くから身の回りの品々に使用していたゴムに似た材料で、加工性や強度に優れた樹脂の一種である。
 ケーブルを被覆する材料にはゴムもあるが、ゴムは海水中での耐久力が弱くて、海底ケーブルには使えなかった。
 そこで、このガタパーチャを有名なマイケル・ファラデーなどイギリスの物理学者たちが検討し、海水に強く電気絶縁性に優れていることを見出した。海底ケーブルの絶縁や補強に最適であることが分かったのだ。

 そこでイギリスは、東南アジアの植民地に広大なガタパーチャの栽培農場を経営し、その生産と販売を独占した。その結果、海底ケーブルの生産もまた、イギリスの独壇場となったのである。

 この時代は、植民地獲得競争の帝国主義の時代であり、シーパワー英国の時代である。最盛期はヴィクトリア(Victoria)女王の在位期間、1837年から1901年までの時代を指す。この間に、大英帝国はスエズ運河の領有化(1875年)、アヘン戦争(1840から42年)、インドの植民地化(1877年)などの帝国主義政策を推し進め、国内的には産業革命による資本主義経済の成立により、「世界の工場」として繁栄を極めていた。
 しかし、大英帝国の本質とは生産力や工業力ではなく、海底ケーブルを通じ「世界の情報」を掴むことと、海運を握ることによる、交易情報と交易ルートの独占なのだ。この点にこそ、シーパワーの真の意味がある。

 その間、1853から56年にわたりクリミア半島を主戦場としてロシアと英・仏・オーストリア・トルコ・プロイセン・サルデニャとの間に起きたクリミア戦争では、現地の司令部まで電信が引かれ、その威力を発揮した。特に大英帝国が最優先としたのがインドとの電信線の確保である。ロンドンとインドの間の通信は、1860年には確保されたが、それが直結するようになるのは1865年になってからである。

 英国系の電信ネットワークの拡張はその帝国の版図と完全に一致したものであり、その意図に合ったものにすることが重要であった。そこで、無駄な競争を回避するために1872年にインドルートの四つの会社が合併してイースタン・テレグラフ・カンパニー(Eastern Telegraph Company)ができた。
 この会社は大英帝国政府がバックアップし、シンガポール、香港、オーストラリア、ニュージーランドへの電信線を手中に収めた。その他、アフリカや南米へと電信ネットワークは拡張されていった。こうして、大英帝国の電信ネットワークは、英国を中心に、西へ東へ拡がっていった。

 第一次世界大戦中の電信について、「イギリスのケーブル網はニュース、指令その他連合国の重要電報の通信に休みなく活動した。その建設に50年を要した大英帝国の海外電信網は連合国の終局の勝利をもたらした一要因であった」と言われている。
 第一次世界大戦が終わったとき、大英帝国は世界の人口と陸地の4分の1を占めており、イースタン・テレグラフ・カンパニーによって作られた電信ネットワークは、大英帝国の神経システム(nerve system)となっていた。

 英国系の国際電信会社は、やがて後のケーブル・アンド・ワイアレス社となるグループ企業へと集約されていく。こうしたインフラ作りの他に、電信ネットワーク上を流れる情報コンテンツの面で、重要な役割を果たしたのが、ロイター通信である。
 国際通信や情報産業という重要な国家戦略上のインフラ整備を、政府ではなく金融資本の支援を受けた、民間企業が行ったことが、シーパワーとして英国の真の意味を物語る。例えば、ロンドンおよびパリ両取引所の相場を、一刻も早く知ろうとして、ロンドンの仲買人の中には、私設の伝書鳩による通信設備を持っている者がいた。 そして、英仏間海底ケーブル開通第1号電報は、商業上の重要な至急報であった。

 大英帝国の本質とは、対外活動、商工業活動が、貿易、金融において、Cityを仕切る、国際金融資本主導であったことである。それを支える重要なインフラが海底ケーブルとロイターによってもたらされる世界中の情報だ。

 前提として、イギリスのプロテスタント化、および、17世紀の二度の革命により王権に勝利し、国際金融資本に活動のフリーハンドが与えられたことが非常に大きい。逆に言えば王権が弱く、商人、金融資本に頼らなければ、強大な王権を誇るルイ王朝のフランスと張り合えず、世界帝国を形成できなかった。

 産業革命以前の製造業としては毛織物が挙げられるが、それは地方、農村を基盤として、農民の土地を奪い階級分化を促した。羊が農民を食い殺すといわれたのである。しかし、このシステムはマニュファクチャや問屋制家内工業の域を出ず、イギリスが世界に乗り出すシーパワーとなるには、上述の金融資本による、本国と植民地で進展していった経済発展を、たくみに連結させる三角貿易が必要であった。

 繰り返すがこれは、王権が行ったことではない。貧弱な王権(弱い規制)にともない金融資本のフリーハンドが実現したことによるのである。

 さらに、イギリスの特質として、金融資本と土着の地主貴族(Sirの称号をもつ)の相互交流が認められたことが大きい。ありていにいえば、商人を貴族にしたのである。
 ビクトリア朝を特徴付けるこの動き(the Victorian Compromise=ビクトリア朝の妥協と呼ばれる)は、近代のイギリス史を語る上で強調しすぎることができないほど重要な点である。別の言い方をすると、商人が政権に入り、商業的見地からcostとprofitを考えて外交政策を決定し、戦争する契機を与えたのである。

 日本で例えて言えば、堀江や村上や孫を総理や外相にしたようなものだ。すなわち、市場獲得のための軍事力行使である。
 この政策を推し進めたディズレーリ(Disraeli.Benjamin数次の蔵相をへて、保守党首相。パトロンであるロスチャイルドに出資してもらってのスエズ運河の買収、東インド会社の政府移管を実行。)はその代表である。イスラエルという名前で分かるとおり、彼はユダヤ系であった。
 世界史の教科書にはこのシステムは帝国主義と書かれてるが、これこそがシーパワーの真髄なのだ。背景として、この時期、アメリカ、ドイツの工業生産力がイギリスのそれを追い越し、イギリスとして、排他的独占市場を必要としたということがある。余談ではあるが、フランスはこれ(金融資本との提携)ができず、金融資本を活かせず、逆に言うと王権が強すぎたがために、中世(農業生産力)においては臣下であったイギリスに、近代(商工業力)において敗れたといえる。
 かってのカソリックによる国土回復後、金融資本を追放したスペインがそうであったように。世界をめぐる覇権争いでイギリスに敗れたフランスはその後革命をむかえ、ルイ王朝期の一等国からころげ落ちてしまう。ルイ王朝とは、本質的にランドパワーだったのだ。

 ここまで考えると、なぜ、堀江や村上や孫が情報通信産業を手中に収めようとしているか分かるだろう。すなわち、「情報通信とはシーパワーであるとランドパワーであるとを問わず、戦略立案の根本であり、生命線」であり、情報通信を資本家が握ると、その国を支配できるからからだ。かっての英国がそうであったように。そして、日本政府は、資本家による情報通信の支配を明確に拒否した。これが堀江逮捕や村上の海外逃避の真相だ。

 要約すると、情報通信戦略とは、安全保障や経済発展を根本部分で支える、最重要な国家戦略だ。そして、情報通信は一国を滅ぼす強力な武器にもなる。シーパワーがランドパワーを封じ込めるには、ランドパワーと対立するランドパワーを支援し、勢力均衡を図ると同時に、潰す対象のランドパワーの物流を止め、かつ、情報の流れを促進させるのだ。

 これで、ランドパワーは放っておいてもつぶれていく。旧ソ連に対して、西側が仕掛けた冷戦とはこのような情報通信戦略を使って戦われた。ランドパワーは、国内の秩序維持のため情報や移動の統制を敷く。これは、TVやFAXの普及が東欧革命を主導したことでわかる。
 ランドパワー江戸幕府は、大井川に橋をかけず、箱根に関所を設けて、人の移動を規制した。ちなみに、この関所破りは江戸時代の最大の重罪であり、捕まれば磔刑となった。
 このように考えると、携帯電話やインターネットやTVの普及、新幹線開通は中国の分裂と内乱に繋がることは明白だ。共産主義を捨てたにもかかわらず、共産党が独裁支配しているのは、既得権の擁護にすぎない。
 民主化要求が沿岸部で噴出した時点で中国の分裂は確実になろう。情報通信の発達は、世界規模での情報の流通を可能にし、逆に、ランドパワーの独裁に楔を刺す杭となる。

 <参考>
http://about.reuters.com/aboutus/JP/history/
 1851年10月、ドイツから移民してきたポール・ジュリアス・ロイターがロンドンの金融街シティにオフィスを開き、新たに敷設されたイギリス海峡の海底ケーブルを使ってロンドン−パリ間で株式相場を伝達する事業を始めました。彼は、この2年前にはアーヘンとブリュッセルの間で伝書鳩を使った株価速報事業を行っており、電信線が整備されるまでの1年間続けられました。

 通信社としてすぐに知られるようになったロイターは、英国全土にサービスを拡大し、他のヨーロッパ諸国でもサービスを開始しました。さらに、取り扱う記事の幅も広げ、世界中の一般ニュースや経済ニュースも配信するようになりました。ロイターのサービスの知名度は、たび重なるスクープ報道でますます高まっていきます。たとえば、1865年にロイターは、米国でのリンカーン大統領暗殺をヨーロッパで最初に報じ、決定的なスクープとなりました。

 陸上の電信網と海底ケーブル網の敷設が進むと、ビジネスの舞台はヨーロッパを超えて、1872年には極東へ、1874年には南米へと拡がっていきました。1883年、ロイターはメッセージをロンドンの新聞社に電子的に配信するコラム・プリンターの使用を開始し、1923年には、他に先駆けて無線による国際的なニュース配信を開始しました。
 1927年には、テレプリンターを導入してロンドンの新聞社にニュースを配信しました。

 1925年、英国の通信社Press Associationがロイターの筆頭株主となり、1939年には本社所在地を現在のフリート街85番地に移しました。

  2つの世界大戦においては、ロイターは、国益のために働くよう英国政府から圧力を受けましたが、 1941年、未公開会社として再出発することで、この圧力をはねのけました。新しいオーナーとなったイギリスの全国および地方報道機関は、中立的な受託者でロイター・トラストを設立、 ロイター・トラストはロイターの独立性と中立性を守る役割を果たしてきました。その後も、ロイター・トラストの理念は維持され、1984年にロイターが株式公開会社になると、その理念はますます強化されました
(詳細については、「<http://about.reuters.com/aboutus/overview/independence.asp> ロイターの中立性と信頼の原則」をご参照ください)。

・近代の発展
 ロイターは、20世紀後半も急速に近代化を推し進めます。とくに、コンピュータを利用した製品を世界のトレーダー向けに次々に発表し、ビジネスを一変させました。金融データを国際的に配信するストックマスター・サービス(1964年)でいち早く成功を収め、ビジネスの転換に着手しました。

 1973年には、外国為替の電子市場を構築するロイター・モニターを立ち上げて、革新的な開発をさらに進めました。このサービスは株式、コモディティ、マネー市場に関するニュースや相場を配信するように拡張され、1981年には、ロイター・モニター・ディーリング・サービスの導入によりさらに強化されました。

 1984年、収益性が大幅に向上したロイターは、ロンドン証券取引所と米国のナスダックに株式を公開しました。上場時のロイターの時価総額は約7億ポンドでした。その後、ロイターは、ビスニュース社(Visnews、1985年 - ロイター・テレビジョンと改称)、インスティネット社(Instinet、1986年)、ティブコ社(TIBCO-旧テクネクロン社、1994年)、クォートロン社(Quotron、1994年)をはじめとする一連の企業買収を進めました。

 ロイターは今も急速な成長を遂げています。ビジネス製品のラインナップを拡充し、メディア、金融、経済サービス向けのグローバル配信ネットワークを拡大し続けています。近年発表された主な製品としては、エクィティ2000(1987年)、ディーリング2000-2(1992年)、ビジネス・ブリーフィング(1994年)、金融市場向けロイター・テレビジョン(1994年)、3000シリーズ(1996年)、ロイター3000 Xtraサービス(1999年)があります。

 1995年、ロイターは、新興テクノロジー企業向けの少額投資を扱う「グリーンハウス・ファンド」をまず米国に設立しました。1999年7月、ティブコ・ソフトウェア(TIBCO Software)がナスダックでIPOを行い、ロイターは株式の大半を取得しました。2000年初頭、ロイターは、インターネット技術の使用を加速させ、新たな市場を開拓して中核ビジネスをインターネットベースのモデルに転換する主要イニシアチブを発表しました。2001年5月、インスティネットがナスダックでIPOを行い、ロイターは株式の大半を取得しました。

 2001年10月、ロイターは、ブリッジ・インフォメーション・システムズ社(Bridge Information Systems)の資産の大半を購入し、これまでで最大の企業買収を行いました。

 2003年3月、ロイターはグローバル金融情報プロバイダーのマルテックス・コム(Multex.com, Inc.)を買収しました。 以上 
(江田島孔明、Vol.101完)

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