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紫霄閣(ししょうかく) 国際秘密力 第七部 --- 世界世論に関する法廷のための論議 ---大和魂を持つ日本人に捧ぐ
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投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 5 月 22 日 20:11:17: tTp1/cyvuKUmU
 

紫霄閣(ししょうかく) ジョージ・L・ウェスト博士 国際秘密力 第七部

          国 際 秘 密 力

              第七部

               第24章  第二次世界大戦到来

               第25章  情報作戦から原子爆弾まで

               第26章  GHQと幣原喜重郎偈

               第27章  国際連合

               結 言

               参考文献


■ 第24章  第二次世界大戦到来

             『神に逆らう者の道は闇に閉ざされ・・・<1>』


 1920年代の数年に亘る外国干渉を経て、ロシアは今やソ連と呼ばれるよう
 になったが、この1920年代を締めくくる事件が、ソ連において起こった。
 レーニンが死に、ジョセフ・スターリンが権力を掌握したのである。スターリ
 ンの登場は、IJCにとってはたいへんな驚きであった。私は文書の形で提出
 すべき何の証拠も持っておらず、また他の人が同じ考えを表明したのを聞いた
 ことも無いが、スターリンは反ユダヤかつ反IJCであったと強く確信してい
 る。

 私が持っている一つの証拠は、1930年代中ごろにスターリンが、あたかも
 ロシア皇帝(ツァー)の時代のようにユダヤ人たちの虐殺を開始し、IJC要
 員で軍上層部を汚染していると思われる人物を大量に粛清したことである。

 もう一つの証拠は、レーニン統治時代のソ連では西洋のIJC側各団体が利権
 を求めて徘徊していたのに対し、スターリンが権力を握っている間は彼らは諦
 めて利権を求めようとはしなかった、という事実である。

 最後の証拠はスターリンの毒殺であり、この事件はゴルバチョフやエリツィン
 にまで続く継承権を介して、ロシアをIJCに贈呈する結果となった<2>。

スターリンがアーマンド・ハマー(Armand Hammer) などの人物を介して、
 IJCと公然とした商売上の連携を保持していたのは本当である。ハマー自身
 が名声を得たのはオクシデンタル石油会社によってであったが、彼の父はロシ
 ア系ユダヤ人で、1900年ごろに米国に社会労働党を創立した人物であった。

 その父は、ハンマー(hammer)を握った腕を党のシンボルマークにした。この
 マークは、登録商標としてハマーの重曹製品の入った箱にも付けられた。また、
 彼の息子が生まれた時、息子はアーム・アンド・ハマー(Arm And Hammer)と
 名付けられた。非IJCの専門家たちは、米国の社会労働党は当時もそして党
 が存在する限り、レーニン配下のボルシェビキの支部であると考えていたこと
 を付け加えておきたい。

本書の範囲を越えて先に飛んでしまうのだが、私はまた、毛沢東版の共産主義
 は過去、そして現在でも引き続き反IJCの仕掛けとして使われていると信じ
 ている。周恩来がIJCを理解していたかどうかは定かではないが、もし国を
 清めようとするならすべての外国人を排除する必要があったことを、彼は間違
 いなく理解していた。そしてそれは実行された。問題は、現在の彼らは入り口
 の扉のすぐ後に立っており、速やかに歩調を変えて自分たちの前進を抑えない
 と、IJCに侵入され支配されるのは確実だということである。

メキシコでは1910年に、IJCとその配下の会社をポルフィリオ・ディア
 ス大統領とともに国外退去させる活動が始まり、1930年代までにそれは
 達成された。1930年代の初めにはラサロ・カルデナス大統領の下で、真の
 メキシコに向けての最大の進展が図られた。しかしIJCは、1928年の
 ポ−テス・ギル大統領選出の時から少しずつ再侵入を開始していた。そして
 1946年、ミゲル・アレマンの大統領就任によりすべては完全にIJCの
 手中に戻ってしまった。

 1995年の今日、メキシコでは反IJCグループの復活が見受けられるが、
 彼ら『反逆人たち』に対する支援・補給は現在殆ど無く、その成果は不確かで
 ある。彼らは、モレロス州からの自主独立における英雄であったエミリアーノ
 ・サパタ<3> にちなんでサパタ主義者と名乗っている。サパタは殆ど完全な
 文盲で、権力取得時には自分の内閣に翻弄されていた。彼らの乏しい財政状態
 と補給状況は殆ど改善の兆しが見えていないと、私は感じている。政府にとっ
 て彼らを鎮圧するのは容易であろうが、確かではない。

1929年は、10月のウォール街株式市場大暴落に端を発して、世界が甚大
 な影響を被った年であった。それは株の『信用取引』の極端な不振から始まり、
 その結果として株価の下落が一旦発生すると、株価は下値の底が割れた状態と
 なった。そして米国に続いて世界中が金融大恐慌に突入して行った。私はこの
 暴落について、IJCが仕組んだものかどうかの考察はしないでおこう。但し、
 IJCの関係者たちは株価大暴落の前に自株を売り払い、続いて起こった大恐
 慌でも彼らとしては何の問題も生じなかったことだけは述べておく。

 この議論に反対する説明として、抜け目のない投資家なら誰でもその大暴落の
 到来を見通して防衛上株を売ることはできたはずであり、いやしくもIJCの
 関係者たちは抜け目がない投資家たちであった、というのはたいへんもっとも
 らしくはあるが。1933年までの米国銀行破産の最中に、彼らが苦境に陥ら
 ないようにいかに処置したかはまた別の話である。これについて私はまだ調査
 していないが、十分研究に値することであろう。

大恐慌、反ユダヤ的人々のベルサイユ条約に対する憎悪、そして全ユダヤ人に
 よるワイマール憲法への署名の結果として、ドイツにおいてヒトラーが権力の
 座に登場した。彼は国家を武装化し、戦争の準備をした。

ヒトラーが実行したもう一つの事は、ドイツ全土の大学でユダヤ人たち、そし
 て私がIJCと呼んでいるものについて強烈な研究を始めたことであった。
 このことについて、私はまだ最終的な見解を持てないでいる。第二次世界大戦
 が終了した時、連合国側の軍隊はこれらの場所を訪れすべての書類を押収した。
 それらは秘密裏に分類され、そして米国軍隊の監視下でベルリン市内に保管さ
 れ、学者を始めとして誰も利用できない状態に置かれた。今日東西ドイツは再
 統合し、占領していたすべての外国の軍隊は退去させられたと考えられている。

 ここにおいて、私を悩ましているのは次の問題である。ヒトラー時代のユダヤ
 研究に関する文書類はどうなったのか? 

1932年の選挙と1933年の大統領就任に伴い、フランクリン・ルーズベ
 ルトは米国の大恐慌に対して過酷な治療法を開始した。政府は生活のあらゆる
 領域に押し入り、その活動や管理はことごとく猛烈なものであった。それは今
 日に至るまで続くある世情の始まりであった。

 今日におけるその世情を象徴するような逸話を紹介しておきたい。1995年
 の2月、新しく下院議長となった共和党のニュート・ギングリッチは、フラン
 クリン・ルーズベルトに似たタイプの現職の民主党女性議員を指して、『フェ
 ティッシュを支配している<3> 』と言ったのである。私も私の友人も、これは
 サド・マゾ的な異常性愛を意味する言葉として使われたものだと理解した。
 ギングリッチはこの女性議員を同性愛者であると思っていて、おそらくそのこ
 とを彼女に暗示したかったのである。

フランクリン・ルーズベルトは今日描かれているほど人気があったわけでは
 決してなかった。1936年の選挙の前には、ルイジアナ州出身の上院議員を
 大統領に選出するための活動が始められていた。その名前はヒュ−・ピアス・
 ロング。1893年ルイジアナ州ウィンフィールドに生まれ、人民党員として
 立ち上がってきた。彼は貧民層にとって期待のすべてであった。彼は、同じ州
 の牢固とした政治家たち、および電力会社、石油会社、保険業界などのIJC
 関連事業に対抗し、多くの敵を作りながら活動を進めていた。

彼が作った敵の一人はルーズベルトであり、米国人の多くは、州会議事堂で起
 きたロングの暗殺事件はルーズベルトに責任があると考えていた。この建物は
 1935年、当時州知事をしていたロングがルイジアナ州バトン・ルージュに
 建てたものであった。ロングは一人の狙撃者に攻撃されたのだが、彼の身体か
 ら出てきた弾丸は彼のボディーガードの一人が所有していたものであった、と
 多くの情報源は語っている。偶然であろうか? 私はそうは思わない。

ヒュ−・ロングは大統領選挙に勝利する真の好機を作り出し、特に第三党によ
 る指名を確実なものとしていた。彼が作り上げたその党は、米国中に散在する
 クラブ的性格のもので、各々の地方で『我々の富を共有化する団体(Share
 Our Wealth Society)』の名で呼ばれていた。彼は、米国の99%の富は1%
 の人々の手中にあることを正しく明言していた。その事は、当時のドイツと
 イタリアと同様に、国民社会主義への力強い議論を盛り上げていた。

ここで読者には、英国にエドワード八世がいたことを思い出して頂きたい。彼
 は英国皇太子として、非常に早くから国王としての職務に就いていたことで良
 く知られている。彼は強い反IJC派であると見なされていたが、彼の退位も
 また1936年に起こったのであった。それはチャーチルがある事件に関して
 国王に忠告した結果であった。その事件は、君主および国教会の教主としては
 確かに醜聞的なものではあったが、それはIJCの計略に違いなかった。

 これを見て私は、後鳥羽上皇および流罪にされた後醍醐天皇の時代の日本を考
 えざるを得ない。国王も天皇もともにその帝位を奪取されたのだが、日本の場
 合は両天皇とも醜聞のかけらも無かった。英国と日本では、血筋、規範、道徳
 心が異なっていた。

読者にはまた、戦争のごく初期にエドワード八世を王位に復活させようという、
 ドイツの計画があり、彼は1939年遅くまたは1940年に会見と会議のた
 めにスペインに出向きさえしたことを思い出して頂きたい。その様な兆しが見
 えたため、英国は彼をスペインから追い出した。そして、すでに彼をウィンザ
 ー公爵としていた彼らは、彼をバハマ諸島の統治者に任命して追い払った。邪
 魔にならず、旅行もできないようにして、実質的な自宅監禁状態に置いたので
 ある。

本題から少し脱線してこれらの細かい事件を話している今が、ケネディ大統領
 の暗殺についてお話する良い機会かも知れない。『銃殺執行部隊』によるケネ
 ディ暗殺事件は、おそらくIJCの狡猾な仕業であろうと私は信じている。彼、
 および彼の父ジョセフ・P・ケネディの多くの反IJC的考え方、発言、行動
 が原因であろう。1937年から1940年11月まで米国の英国大使を勤め
 た彼の父は、ルーズベルトとチャーチルから、ヒトラー賛成派、または少なく
 とも親ファシスト派と見られていた。後に暗殺されたボビー・ケネディ、およ
 びケネディ家の人々もそのように考えていたと信じられている。

 私はさらに、IJCはロックフェラー家と同様に、ケネディ家にある任務を割
 り付け、今日ケネディ家全員はその任務に就いたと信じている。両家とも生き
 続けるために服従を強いられたのである。

 ある時間帯だけ消去された『ニクソンのウォーターゲート・テープ』について
 は、IJCとケネディ暗殺との関係を論議していたことを隠すために、ニクソ
 ンと彼の部下がテープを消したということが、長い間噂されている。ニクソン
 は、このテープを公表して彼自身の殺害に立ち会うより、テープを消去して辞
 職する方を選んだと私は思う。

この『ニューディール政策』は政府による仕事を与えることにより、大恐慌の
 最悪の被害を緩和することにはなったが、それはヒトラーがヨーロッパに戦争
 を起こすまでは続かなかった。米国の大恐慌を終息させ始めたのは、実はこの
 戦争であった。兵器関係の注文が続々と流れ込んできたからである。

 英国海軍大臣に再び就任したチャーチルが、戦争事態に供えて艦隊を注文した
 後で実質最初に行ったことは、ウィリアム・スティブンソン<5> という一人
 の諜報員をニューヨークに送り込むことであった。チャーチルが英国で指導力
 を発揮し、またスティブンソンが活動していた時、米国は圧倒的な孤立主義者
 で、『ヨーロッパの紛糾に関与せず』を願っていたことを、チャーチルは知っ
 ていた。建国の父たちの時代より、米国の歴史の中ではこの言葉が何度となく
 使われてきたのである。

 英国のための諜報機関の長としてスティブンソンの重要な任務は、米国を参戦
 させることであった。スティブンソンと、CIAの前身を指導していたドノバ
 ンとの関係は良く知られているが、1940年6月の早い時期に彼がルーズベ
 ルトと会っていたことはそれほど知られていない。
 
 以下は私の論点である。

(1)スティブンソンの働きにより、チャーチルとルーズベルトは第一次世界
    大戦の時と同様、英国海軍省の秘密電信を利用した直接的な文書連絡を
    始めた。

(2)元海軍軍人であったルーズベルトが1945年に死ぬまでの全通信文書
    に記載されたチャーチルの署名は、これまで公開されたものも、今だに
    秘匿されているものも、確実で直接的な証明書である。それらは、彼ら
    がルシタニア号に関する共謀を首尾良く成し遂げている時代に遡って証
    明している。

(3)第一次世界大戦においても、チャーチルとルーズベルトの協同作業によ
    って、米国は戦争に引きずり込まれた。

(4)かなり以前からであったと私は思っているが、遅くとも1940年6月
    までにチャーチルとルーズベルトは、人間性の法則に反するある手段に
    よって米国を第二次世界大戦に参入させることを計画し、実践した。
    それはIJCのためであり、またヒトラーに敵対して行われたもので
    あった。IJCに関する知識を持っていたヒトラーは、IJCに関する
    文献類を徹底して収集したが、このヒトラーこそIJCにとって、約
    二千年前にユダヤ人たちがローマ人たちの奴隷とされて以来初めての
    真の脅威であった!。

■ 第25章  情報作戦から原子爆弾まで

   『・・・これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである。<6>』


本章では情報の収集と利用について考察してみよう。情報収集、秘密諜報員、
 秘密連絡の利用に関する最も古い記録を、私は古代中国の文献『孫子の兵法』
 の中に見つけた。エジプト人たちも同じくらい早い時期からこれらを完成させ
 ていたのは間違いなく、またユダヤの統治者たちもおそらくこれらに没頭して
 いったのであろう。少なくともユダヤ人たちがこれらに通じていたのは確かで
 ある。

 これらは人類の歴史を通して、戦争の中で常に重要な役割を演じてきた。注目
 すべき熟達者の例としては、リシュリュー枢機卿<7>、第一次世界大戦で英国
 の諜報機関を指導したホール提督、代表作『黄金虫』の中でその内容を普及さ
 せたエドガー・アラン・ポー<8> などがいる。

米国陸海軍の諜報機関は長い間南部諸州出身者の協力を得ていたが、第一次世
 界大戦において、暗号解読の天才、ウィリアム・フリードマンが大尉として
 フランスに行くまでは依然としてそうであり、またユダヤ人はすべて除外され
 ていた。彼はフランスの暗号について英国情報部と共同で作業を行い、熟達し
 ていった。そしてそれ以来、南部諸州生まれの人々にとっては下り坂の、ユダ
 ヤ系の人々にとっては上り坂の状勢となった。

 ハーバート・ヤードレイは1920年代初めのワシントン軍縮会議では確実に、
 またおそらくロンドン軍縮会議でも、米国国務省のための暗号解読作業を率い
 ていた。艦船建造の全面的制限に関して、彼は日本の『最終見解』をことごと
 く米国側に暴露し、米国側は少しの懸念もなく日本をそれに追い込むことがで
 きた。

 しかし1930年ごろ彼は解雇され、彼の部門は解散となった。そしてその後
 間もなく、ルーズベルトの下でフリードマンが活動を始めたのであった。その
 時以来、ユダヤ人たちはこの任務を任されていた。

ヤードレイは1920年代遅くまたは1930年代のごく初めに書いた、
 『米国の暗号解読部局(The American Black Chamber)』の中で米国の秘密を
 暴露し、その後日本のための仕事に向かった。しかし日本の軍部は、日本海軍
 の暗号はすべて明治天皇の下で英国によって始められたこと、そしてある体系
 に基づいた暗号はその体系を知っている人間によっていとも簡単に破られるこ
 とを知っていながら、劣悪なる怠慢により自らを防御しなかった。

フリードマンは、日本が使用を開始した新しい暗号機に関する仕事を始めた。
 それはオランダの機械を基にしたドイツの機械を模倣したもので、1940年
 までに日本の外交用暗号としていた。その暗号機を解明するのは、フリードマ
 ンの天分がすべてではなかった。少なくとも二カ所の日本大使館・領事館への
 侵入が大きく寄与した。一つはニューヨーク、もう一つは南アメリカと言われ
 ている。また、おそらくワシントンの大使館もこの目的で侵入された。

 この情報を含む本書の最後の方の章は、数え切れないほどの図書類を参考にし
 ている。私が鮮明に記憶している一人の著者はレディスラス・ファラゴで、彼
 はこの内容について何冊もの大書を著している。私はこの名前がペンネームな
 のか、それともごく珍しい本名なのかは知らない。

英国は1940年までにドイツの暗号を、そして米国は同年までに日本の暗号
 を解読していた。1940年6月にフランスが降伏した時、日独伊の枢軸国は
 情報戦争においては敗戦し、連合国側にとって計画立案は容易になっていたの
 であった。その連合国側はチャーチルとルーズベルトが率いていたのであり、
 また1941年6月に戦争に引き込まれた時には忍耐を強いられたソ連のスタ
 ーリンによる支援が加わった。

 英国の諜報員スティブンソンが1940年6月にルーズベルトに会った時、
 枢軸国の意図と戦略は筒抜けであった。チャーチルとルーズベルトは注意深く
 計画を立案した。戦場において英国が追い詰められた時、チャーチルは戦艦
 プリンス・オブ・ウェールズに乗艦してニューファウンドランドのアルゼン
 チア湾に出かけ、重巡洋艦オーガスタに乗艦したルーズベルトと会見した。

 彼らは幕僚らとともに戦略立案を進めたが、その中には米国を参戦させるため
 にドイツに米国海軍艦艇を攻撃させるということが含まれていた。これは十分
 に証明された、公知の事実である。そして、米国と同盟して背後からドイツと
 敵対させるために日本を使って戦争を刺激するということが、この会見の未公
 表の秘密合意事項中にあったと多くの米国人は、そして私も信じている。

 1941年6月にドイツがロシアに侵攻することをスターリンに警告したルー
 ズベルトが次に行ったことは、同年7月遅くの日本への石油輸出禁止と在米日
 本資産の凍結であった。ハーグ協定および当時存在していたすべての国際法、
 それらは何世紀にも渡って英国艦艇の大砲により制定・布告されてきたのであ
 ったが、それらに鑑れば米国はその時点で日本と戦争状態に入ったと私は主張
 する。

 英国は、日露戦争における日本帝国海軍の旅順港攻撃と同様の奇襲攻撃の可能
 性をワシントンに警告しており、1935年ごろ米国はそれらの不慮の攻撃に
 備えた艦艇演習を行っていた。また、ビリー・ミッチェル将軍は1920年代
 の軍の会議においてこの様な攻撃を警告していた。

これらに加えて諜報機関からも山のような警告の報告があったにも拘らず、
 J.エドガー・フーバーFBI長官はこれらの情報を軽視し、また重要な地位
 にいた太平洋海域の米軍高官の中でハワイと真珠湾の指令官たちだけが、紫暗
 号機(Purple Machine:紫は日本の外務省が使用していた暗号の名称)無しで
 放置された。

 私および大部分の米国人が今日知る限りでは、キンメル提督とショート将軍は、
 真珠湾での損失の責任を負うように『仕組まれた』のであった。実際、彼らは
 肝要な航空母艦は海上に出しておいて旧式艦艇だけを廃棄したも同然であった。

 前著『憲法改悪の強要(Coercion F-or Constitutional Change)<9>』の中
 で極めて詳細に述べた様に、それらは意図的に行われたと私は信じている。
 極めて多数の証拠物件が私の主張を支援している。人々を犠牲にしたことは
 犯罪である。

 ダグラス・マッカッサーはかなり前から警告を受けており、日本への長距離攻
 撃用爆撃機B−17の使用ができなかったために、第一上陸地としてフィリピ
 ンを選んだことは疑いないところである。マッカーサーらはおそらく、日本に
 最初の攻撃をさせるために日本を刺激し怒らせるという秘密の任務を負って
 フィリピンに滞在していたのであろう。

 ブレレトン将軍は彼の弁解には関係なく、霧が立ちこめた台湾への攻撃を始め
 ることは許されなかった。その台湾では、日本の航空機隊が霧のために午前
 10時ごろまでは離陸できないでいた。

 また米国の航空機隊はダグラス・マッカッサーの指示により、昼食の間整列状
 態で陸地に釘付けにされ、そして破壊された。真珠湾攻撃のたった数時間後に、
 『昼食』のために軍務を一斉に休むなどということは私の理解を超えている。
 しかし日本の攻撃機が台湾から飛来した時、飛行兵たちは事実、マッカーサー
 の指令により軍食堂にいたのである。

 マッカーサー自身はあっという間に、軍に護衛された専用機バターン号により
 マニラ湾口の要塞であるコレヒドール島に退避していた。こうして地下に待機
 していたことによって彼は彼の軍隊に『慕われ』、そして結果的に『退避壕の
 ダグ(Dugout Doug)』 として永久に知られることになった。

 『共和国の戦いの賛美歌(The Battle Hymn Of The Republic)』 は南北戦争
 当時に作曲されたものであるが、この歌の無数の替え歌が第二次大戦中の各戦
 役で歌われた。私が覚えている歌詞が一つある。

 『退避壕のダグはぶるぶる震えて岩の上 。
    奴はずらかるマリタの中へ。
 その時部下の兵たちは、敵の弾の中』

 (コレヒドール島は、軍隊では『岩』の呼び名で知られており、マリタはその
  島の主要な地下道であ った。『弾』はカノン砲からの破裂弾を指している)

マッカーサーが彼の部下とウェーンライト将軍を見捨てたことは当時および戦
 争中の米国では良く知られており、大部分の軍人たちはマッカーサーの指揮下
 の地域に配置されないことを望んでいた。その例外は一連のIJCの手下たち
 であった。彼らは日本の占領があるであろうということ、そして日本において
 誰が命令するであろうかということを知っており、マッカーサーの指揮下に入
 ることを望んでいた。

ここに興味深い話がある。第二次世界大戦の1世紀前とまではいかないにして
 も何十年か前、『アーミー・ジャーナル誌』と呼ばれる定期刊行物があった。
 この雑誌は、将校たちの異動、死亡、昇進を始め、他の将校や友人にとって興
 味ある肝要な統計的事項を殆どすべて掲載していた。特に、ここにはすべての
 氏名の変更が印刷されていた。

 今日、殆どのユダヤ人の名前は容易に、かつ確実に判別できる。彼らはツァー
 時代のロシアから逃避するために、名前をロシア名またはヘブライ名からドイ
 ツ名に一度は変更しているからである。発音できないような彼らの名前を笑わ
 れて、彼らは美しい物の名前を付けるようになった。

 例えばAdler をEagle に、またGelt をGold にというように。『French Stone』
を意味するFrankenstein というような名前が付けられ、その家族が米国に着い
 た時にそれは『Frankstone』に変えられた。また、『Gold』または『Gelt』で
 終わる名前で、Finegelt を英国風にFinegold としたような例もある。名前の
 一部分のみが英国風に変えられる例は多い。米国人は父方の姓で先祖を辿るこ
 とが多いが、英国風の名前に変えたユダヤ人の場合、その変更を認識している
 か、記録を辿れるかでなければそれは難しい。

 ここに天がくれた機会があった。駐屯地の変更や赴任指令等の機密を守るため、
 アーミージャーナル誌の発刊は終戦7年後に再刊されるまで中断されていたの
 であるが、それが再刊されると、月刊または週刊として毎回4、5冊の膨大な
 大冊で発行されたのである。それは、内容を解析するだけでも主要プロジェク
 トが必要なほどの量であった。

 これらの大冊に埋もれて、軍に所属中に名前を正式に変更したユダヤ人たちの
 名前があり、それは彼らの名前の変更情報を容易に入手できる唯一の記録であ
 った。彼らは新しい環境の中で過ごしており、周囲の者にユダヤ人と気づかれ
 ないでいた。彼らが日本に赴任して責任ある地位にいた時、日本人たちは彼ら
 がユダヤ人たちであるとは露知らず、米国人であると信じきっていた。

 それは米国企業が占拠したビジネスの世界でも全く同様であった。企業の所有
 者や融資者であった彼らの殆どが純粋なユダヤ人であり、IJCの手先たちで
 あったことは、日本人は誰一人知らなかった。

 私はこの情報を、30年組の陸軍士官であった人物から得た。彼は1932年
 に正規軍に小尉で入隊したが、退役した時はまだ大佐であった。その理由は、
 国防総省勤務となった彼が、IJCによる軍関係の契約と地位の乗っ取りを全
 力で防いだからであった。この国防総省に勤務した最後の数年を除けば、彼は
 軍法務部に全期間所属していた。氏名の変更はすべてこの部局で行われ、マッ
 カーサーの指令下の大西洋海域において、確かに彼らの氏名の変更がなされて
 いたのである。

私が知っていた戦闘部隊の超ベテランによれば、彼らはあらゆる手を尽くして
 戦闘任務を回避しており、信じられないような勇敢さを示した優秀な例外はあ
 るものの、IJCの人々はまず間違いなく、また一般のユダヤ人たちも大部分
 は戦闘任務には従事していなかった。

 作り話のハリウッド映画では、米軍共同墓地の場面で、十字架の墓石とダビデ
 の星の墓石が6対1位の割合で映し出される。ユダヤ人は殆ど戦闘任務に就い
 ていなかったこと、そして当時のユダヤ人は人口の約3%しかいなかったこと
 は、この様なハリウッド映画がプロパガンダに外ならないことを如実に物語っ
 ている。

 これらの非戦闘員たち、および特にIJCの指令を受けていた者たちは日本へ
 の占領軍の中に食い込めそうな業務に引き付けられていった。私の研究結果で
 は、ヨーロッパではこの様な占領軍になりそうな軍隊へのユダヤ人の異動は起
 きていなかった。IJCはすでにヨーロッパを所有していたのであり、日本は
 まだ所有していなかったのである。

ヒュー・P・ロングを議論した時にお話した様に、1941年12月の真珠湾
 攻撃のごく直近までは、米国は強い孤立主義者であった。しかし真珠湾攻撃は
 参戦への反対意見を吹き飛ばしてしまい、ルーズベルトは完全に支配力を握っ
 た。その様な背景により議会においては、反逆人または反逆行為と呼ばれるの
 を恐れて、ルーズベルトが提案したいかなる法案にも反対することは恐れられ
 た。

 私が子供のころ、議会で一人の勇敢な議員がおり、ルーズベルトの対日宣戦布
 告に反対していたことをおぼろげながら覚えている。その放送はご丁寧にも日
 本語で吹き替えられていたので覚えていたのだが、それはその議員が日系人の
 票を必要としていたからであった。しかしこの忠実な日系米国人たちを砂漠の
 強制収容所に追い払ってしまうと、彼はすぐに『ジャップ』呼ばわりを始めた。

 すべては彼の思惑通りであった。プロパガンダマシンはハリウッドやニューヨ
 ークで順調に稼働しており、すべてはルーズベルト万歳を叫んでいた。真珠湾
 攻撃の知らせを聞いた時にチャーチルが思わず言った言葉

  『私は仰向けになって、戦争以来初めての安眠と熟睡を得た』
 
 が、何よりも良くすべてを語っている。その言葉はまた

『私はベッドに行き、救われし者の安堵感と感謝の念を持って眠りについた』
 
 であるともされてきた。

 この戦争および両側のすべての軍隊の勇敢さを書くために、何百枚と言わず、
 山のような大量の紙が各国で消費された。多くの著名な作家たちが詳細に渡っ
 て見事に語ってきた物語を改めて記述するのは、私の目的ではない。ゴードン・
 プランジやリーダーズ・ダイジェスト誌までが、彼らの物語を日本の指導者た
 ちが話すように仕向けた。但し日本の中だけで。彼らの物語について、検閲を
 経ていない言葉は外の世界には届かなかった。

英雄的な赤軍はヒトラーを押さえ込んだ。これをもってIJCはスターリンを
 使うことを終了させたと私は考えている。ヤルタ会談ではヨーロッパを獲得し
 ようと背後を『利用』したスターリンではあったが。模範的な勇敢さと大胆さ
 をもって、同様に勇敢で大胆な米国に対抗した日本ではあったが、日本に勝機
 は無かった。だが大和魂は表面上征服されたように見えたが、深く潜行したの
 であった。今日、大和魂の復活と最終的な勝利の徴候は存在する。

原始爆弾の開発の物語についても、何度となく語られてきた。1930年代に
 ドイツで行われた核分裂反応と、フランクリン・ルーズベルトに原子爆弾の開
 発を嘆願したアルバート・アインシュタインの手紙は誰しもが知っているとこ
 ろである。

 日本人はポツダム宣言を知っており、また受諾された時の宣言文には、交渉後
 の条件付き降伏であることを明確に示す言葉が含まれていたことを知っている。
 しかし米国の人々の大部分はそれを知らない。トルーマン大統領が第二次大戦
 の戦勝記念日に、日本は『無条件降伏』をしたと演説し、メディアはそれだけ
 を高々と吹聴したからである。ポツダム宣言と日本の受諾書を記載したものの
 中で、大学での政治と歴史に関する科目の専門的教科書よりひどいものを、私
 は今日まで見たことがない。

米国がこの恐ろしい原子兵器を広島と長崎で使用したことは、世界中の人々が
 知っている。また、日本は降伏のための最善の努力を継続中で、暗号解読能力
 を有していたすべての主要連合国はその事実を知っており、その時その場所で
 この爆弾を使用する必要は無かったことも世界の人々は知っている。

 エドワード・テラーは原子爆弾の開発に従事し、さらに恐ろしい水素爆弾の
 発明で栄誉を受けている人物であるが、この本を書いている1995年の春分
 の日の数日前に彼が認めたように、日本の二つの都市を原爆により破壊し尽く
 した真の理由は、ロシア人に対する示威、強迫、脅嚇であった。勝利にも拘ら
 ず、IJCは人間の尊厳を侮る行動を自制することはできなかった。東京と
 マニラで彼らが裁くという、これほど恐ろしい戦争犯罪はかって企てられた
 ことは無い。

■ 第26章  GHQと幣原喜重郎偈<10>

         『支配者が偽りの言葉に耳を貸すなら、仕える人は皆、
           逆らう者となる。<11>』


1945年9月2日、日曜日の午前9時、白色のテントが張られた戦艦ミズー
 リ号の甲板上は、降伏のための3人の日本代表団を待つ乗組員たちで埋まって
 いた。連合国側の大部分の国の代表者たちも同乗していた。ミズーリ号は最新
 の米国海軍戦艦ではなく、その名前はトルーマン大統領の出身州のものであっ
 た。最新艦はアイオアであった。当日は曇天で、迫りつつあった日本の屈辱を
 太陽から隠して希望を持たせるかのようであった。その太陽は日本の神であり、
 その為に彼らは太平洋戦争を戦ったのであった。

乗組員たちが待ち侘びていたその見せ物を、日本は最も良い、そして日本を象
 徴するような形で受け止めた。というのは、大勢の乗艦者たちによって心を挫
 かされるべき代表団として、足の不自由な重光葵外相を含むたった3人を送る
 という天才的な人選を行い、また遅れて到着して連合国側のスケジュールを崩
 したのであった。重光外相は乗艦するのに介添えが必要なほど足が悪く、緑色
 の布の署名用テーブルまで歩いて行くのがやっとであった。世界にとってそれ
 を見、そして同情すべき戦後の日本を象徴していた。

占領政策は極めて速やかに進められた。マッカーサーによりGHQが設置され、
 他の連合国は完全に占領組織の外に置かれた。特に怒ったのはソ連であったが、
 原子爆弾を独占的に所有する米国が相手では、できる事は殆ど無かった。原子
 爆弾の恐ろしさは、世界中の人々の記憶に鮮やかに刻み込まれていた。

日本の占領に際して邪悪な天才が一人いるとすれば、私はチャールズ・ウイロ
 ビー将軍がその咎に該当すると思う。たまたま符合するのであるが、彼はヘン
 リー・キッシンジャーが後に入るのと同じドイツの高等学校(ギムナジウム)
 の卒業生で、キッシンジャーはそこでIJCの手先としての後年の任務のため
 に教育された。ウイロビーは大戦中はマッカーサー配下で一貫して諜報機関の
 長を勤め、戦後はGHQに所属した。

 この諜報という世界に入った人々は私にこう告げている。『一度入り込むと抜
 けられない。』 私は今になって思うのだが、彼はコートニー・ホイットニー
 將軍を操っていた。ホイットニーは民政局長であり、諜報関係者としてダグラ
 ス・マッカーサーと一緒に占領政策を実際に実行する立場にいた。しかしホイ
 ットニーの役割は、多かれ少なかれ舞台上の小道具に過ぎなかった。

ウィロビーは歴史部門を早々に設立した。この部門の目的は、巷に流される
 太平洋戦争の話はIJCによる物語唯一つになるようにすることであった。
 ゴードン・プランジを思い出して頂きたい。日本の人々、そしてまた日本国外
 の世界に提供されるのは、IJCが考えているものだけであることを確認する
 ために、この部門は出版物の厳重な検閲を行ったのである。

フォウビオン・バワーズは、マッカーサーの補佐をするために日本に滞在して
 いた若い米軍士官であった。1977年に私は朝のCBSテレビニュースの中
 で、バワーズへのインタビューを聞いた。それは完全なものではなかった。私
 はこれについて幾度も繰り返してCBSとやりとりしたが、その結果、放映の
 元となったインダビュー資料は東京にあると確信できた。

 私の親しい友人で、私の著書『強要された憲法(The Coerced Constitution)』
 の一部を翻訳して頂いた幣原道太郎教授<12> にお願いしたところ、彼は東京の
 CBS支局を訪れ、全く奇跡的に、『放映用』に準備されたフォウビオン・
 バワーズの非公開インタビューの原稿コピーを入手できた。

 この原稿は極めて重要であり、また日本人の知らない事実であるため、幣原
 教授が受け取った生原稿のままの形で巻末に添付し、初公開することにする。
 読者には、バワーズは自国および長年の上官であったマッカーサーに忠実にせ
 ざるを得なかったことに留意しながらこれを読んで頂きたい。慎重な言葉の裏
 に隠されてはいるが、インタビューの中で彼の意見ははっきりと滲み出ている。
 その慎重さと理解し得る忠実さに覆い隠されてはいるが。

  【付録2】 F.バワーズの非公開インタビュー記録(1977年)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/proofg.html

ウィロビーは、大和魂に忠実な人々を上から下まで一掃しようとした。また彼
 は、教育界、政界、政府の全階層、そして意思決定がなされるあらゆる分野で
 しかるべき地位にあった人々、で独房を満杯にすべく取り計らった。

 ここにおいて特に問題であったのは、大和魂にまさに反する人々を日本の中枢
 機構に配置し、まず彼らをIJCに服従させて行動を束縛したことであった。
 当然ながら彼らの労働の結実として期待できたのは、米国の複写となった50
 年後の日本の姿だけであった。また完全な複写とまでは行かなくとも、その独
 特な島国の人々を彼らに率いられて可能な限り米国の複写に近付けられた日本
 の姿であった。

国会は粛清され、占領法規の下で明治憲法は廃棄され、新たに

 『フィリピン用に作られたメイド・イン・アメリカの憲法』

 が採用された。この辺のすべての事情に関しては、自著『強要された憲法』の
 中で大量の証拠類を基に極めて詳細に議論しているので、ここで再度繰り返す
 ことは省かせて頂く。ここでは次の事を言うだけに止めたい。1960年代に
 私がこの問題に気付いてから、私が話しかけた私心のないすべてのアメリカ人
 は、下は鉛管工や農夫から上は連邦最高裁長官に至るまで、一様に『日本は何
 故自分たちの憲法を取り戻そうとしないのか』と言っている。自分たちの憲法
 とは当然ながら明治憲法のことである。私も全く同感である!

国会の粛清は、派閥まで考えると数え切れないほどの多くの政党を生むことに
 なった。これは引き続いて贈収賄と腐敗の横行を招いた。これらIJCの政治
 的手先たちには、知っていてIJCに仕えている者と、無知な間抜け者とがい
 るが、いずれにせよIJCが背後から糸を引き、すべて日本の破壊のために使
 われているのである。その手先たちの一覧表には戦後の日本の首相の殆どすべ
 てが含まれるであろう。

注目すべき一人の例外は、『マッカーサー憲法』のために長年咎を受けている
 故幣原喜重郎男爵である。私はここに挿絵的に、彼が死ぬ少し前に書いた偈<1>
 を添付しておく。この偈は、彼がIJCによっていかに使われていたかという
 ことについて、彼の思いを表している。

  【幣原喜重郎偈】



  有  声  之  声           有声の声は     

  不  過  百  里           百里に過ぎず、   

  無  声  之  声           無声の声は    

  施  於  四  海           四海に施す。    

 昭和二十一年一月五日
幣 原 喜 重 郎 花押

(淮 南 子)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/shidehara50.gif


 この偈は日本の憲法に関したものであるが、私には、長年の外交官活動が実は
 IJCの使用人としての活動に他ならなかったという、彼の心底を託したもの
 の如くに見える。これはまた、昭和天皇の下での戦前の日本においてIJCの
 侵入と深い支配が有ったことを証明している。

 このことを言明することは特に警戒されている。そう、これは彼らにとって
 極秘にしておくべき事項なのであって、誰かがこれについてもっと言明したと
 したら、彼および彼の子孫を死の危険に曝すことになったであろう。IJCは、
 彼らの目的と活動に身を委ねた多くの諜報機関および諜報員の中から誰かを選
 び、暗殺に従事させるのである。

GHQ占領下での企業経営においては、ある程度『米国企業』と提携しなけれ
 ば、原料や物資を得ることはできなかった。そしてこれら日本の純真な人々は、
 その米国の企業や企業人たちが何物で、何を代表しているのか、またそれらは
 殆ど常にユダヤ人たちがIJCのために所有していたなどということは、殆ど
 想像もできなかった。無邪気な日本人たちは、そのユダヤ人たちを英国系の真
 の米国人と考えていたのであった。

私たちはすべての形態の日本のメディアについて既に言及してきたが、今日そ
 れらはすべてIJCのために占拠されてしまったか、または人類の心を支配し
 ようという彼らの戦いにおいて殆ど何の影響も及ぼさないほど、深く浸透され
 てしまった。彼らのその戦いは日本においては、大和魂を持つ世代が年老いて
 死んでいくことによって今日最終段階に入っている。

 1995年の現在、若者たちは、何の窮乏も、飢餓も、そして恐れられたB−
 29による爆撃の恐怖も知らない。彼らは、若者たちの見る気をそそるような
 描写しかしないテレビのショー番組で、『良き時代』として映し出されるもの
 しか知らないのである。

 そして、若者たちは写真雑誌で見たものの鏡像をまた放映しようとするのであ
 る。それはIJCが彼らのために用意した計画だったのであり、娯楽産業が米
 国および世界に供給してきたのと全く同様に、今日の日本で見事に成功してい
 る。

幸運にも日本には『古き世代』がまだ少しは残っており、また小数ではあるが
 良く教育された若い人たちがいる。おそらく、可能性は大きくないかも知れな
 いが、大和魂の炎を再燃させるには十分な人々がいると思われる。

■ 第27章  国際連合

      『・・・わたしはその人たちをあなたたちの長としよう。<13>』


読者はこれまで忠実に頁を追ってこられて、特定の言葉や問題が除かれている
 のを不思議に思われたに違いない。これまでは意図的に、国際連盟は簡単に概
 要を述べただけで済ませ、また国際連合に関しては全く触れてこなかった。こ
 れらは、世界をIJCに確実に届けるための輸送機関であり、またすべての事
 の頂点に位置するものなのである。従って、最終章のここでお話しするのが妥
 当と思う。すべてはこれらの隠れ蓑の下にある。

ウッドロー・ウィルソン大統領は1919年、パリに国際連合の種を運んだ。
 その時、彼はパリ講和会議に行き、国際連盟結成のための彼の考えをベルサイ
 ユ条約に盛り込ませたのであった。IJCはウィルソンを介して、世界という
 水の上に国際連盟を浮かべたのであって、それは十分な浮力を有しかけていた。

 唯、米国上院の外交委員長ヘンリ・ロッジと小数の先見性のある堅実な上院議
 員たちだけが、1920年に世界が征服されることを防いだ。この行為は結局
 時間を稼いだだけに終わってしまったが、今日でも政治的な対応が速やかに行
 われるならば、日本におけるIJCの侵入を止められるかもしれないと考える
 上では、極めて大きな業績であったと言えよう。

米国上院と同様に日本の最高指導者たちは、国際連盟の目標が何かということ
 を早くから気づいており、自国を防衛するためにできるだけの手を打った。例
 えば、第一次世界大戦におけるドイツの太平洋統治地域を掌握した。また、
 1920年代初めのロンドンとワシントンでの軍縮会議において日本に対して
 策略が弄されたにも拘らず、できる限りの艦船を建造した。

 蒋介石配下の軍隊が動くまでは、その様な日本の活動は表面には出なかった。
 蒋介石はIJCの生産物、手下、道具であって、IJCに錠をかけられ、財産
 を所有され、手綱を握られていた。

 この辺の事情に関しては、本棚一杯の本の中で完璧に証明されている。例えば、
 パール・バック女史の小説『すばらしき大地(The Good Earth)』 、中国で
 のスティルウェル将軍<14> に関するバーバラ・タッチマン女史の歴史的記述な
 どがある。

 張学良将軍へのIJCの工作によって追い出されようとした日本関東軍は彼を
 排除する軍事行動を発動し、これは全支那における軍事行動に拡大した。この
 日本の応戦は、20世紀初期の満州に進出しようとしたハリマン鉄道を含め、
 何十年にも亘って積み重ねられてきた中国側からの圧力に対抗するものであっ
 た。

 この交戦に関して米国大衆には、『中国に対する日本の侵略』という、噛んで
 含めるような虚偽の情報が与えられている。しかし本当の理由は、メンバーと
 して米国が抜けてはいたが国際連盟の力を世界に見せ付け、そしてその影響力
 を及ぼして世界を支配するためであったと、私は常に信じている。

 日本は1933年、スイスのジュネーブで開かれた会議で国際連盟を脱退する
 ことによって、正しい道を歩んだのである。それは日本に開かれた唯一の道で
 あった。この事件は国際連盟の権力を崩壊させるのに効果的であった。

ここで私たちは、1940年、アルゼンチア湾でのチャーチルとルーズベルト
 の会談に目を転じることにしよう。幾つかの点でこの会談は興味深い。

 その一つは大西洋憲章である。これはこの会談で表明されたものであるが、
 その言し回しは、後の国際連合の『世界人権宣言』に繋がっている。もう一つ
 は、同盟国(Allied Powers)という用語が、この会談と、特に米国参戦の時に
 広く使われ出して一般的用語になったということである。そしてその少し後、
 当時のプロパガンダの中で、同盟国(Allied Nations) という用語が連合国
 (United Nations)<15> という用語に置き換えられ、第二次世界大戦の中ごろ
 から何の疑問もなく使用され始めたのである。

 『United Nations(連合国、国際連合)』と『League Of Nations(国際連盟)』
 とは頭の字が単に置き換わっただけである。この言葉は今や正式な語彙となり、
 一般の人々の心に特別に焼き付けられてしまった。これを永久的な組織として
 正式化するために為れたことは、さらっとした告知だけであった。1945年
 6月26日、カリフォルニア州サンフランシスコにおいて、枢軸国と戦った側
 の国々が憲章に署名して、国際連合(United Nations) が存在することにな
 った。

 その永久的な本拠地がついにニューヨーク市に置かれることになった。この
 都市は、国際連盟が主催されたスイスや、国際司法裁判所があるハーグの様な
 真正な中立的雰囲気などは、かって微塵も無かった場所である。

1948年。この年は、次の、そして最後の、記憶しておくべき決定的な年で
 ある。この年にIJCは、その一連の最終的行動のための準備を完了させたの
 である。その建屋こそまだできていなかったが。

エディ・ヤコブソンはカンサス市出身のユダヤ人であり、第一次世界大戦にお
 いてはハリー・トルーマンに張り付いていた。ヤコブソンはトルーマンの商売
 上のパートナーとなり、後に彼が政界に入った時には腹心の友となった。

 この様なユダヤ人の例は多く見られる。例えばセイモア・ワイスは、ヒュー・
 P・ロングの政治的経歴のごく初期の段階で彼に張り付いていた。ワイスも
 同様の目的のためであり、ロングの場合は彼を大統領に押し上げるためであっ
 たと、私は信じている。

1948年、イスラエル問題は国連が直面した熱い話題であった。米国の立場
 は明確に示されていた。すなわち、国連による信託統治に賛成、主権国家とし
 てのイスラエルには反対、ネゲブ砂漠が横たわる南部地域の領土化には反対、
 であった。その南部地域とは、ユダヤ人たちが六千年前に、一日分の水袋も載
 せないで、現在のサウジアラビアの別の地域に旅立ったという土地であった。

ハイム・ワイツマン<16> はシオニストを率いていた元指導者として知られてい
 たが、ワシントンを訪問してトルーマンを説き伏せて、意思を変えさせる役目
 を要請され、ワシントンに旅立った。ワイツマンの努力に関しては広く世界に
 宣伝されているが、ヤコブソンの件は余り知られていない。エディ・ヤコブソ
 ンは、差し控えるよう何度も指示され、またトルーマンの怒りを招いたにも拘
 らず、ワイツマンに先立ってワシントンに行き、激しい議論の末トルーマンを
 ワイツマンに会わせたのである。それによってトルーマンは、彼自身、彼の内
 閣そして彼の国務省の意思を反転させた。

 デイビッド・マッカローが、1992年、ニューヨークのサイモン・アンド・
 シュスター社発行の著書『トルーマン(Truman)』の中で記述している次の文章
 は、他の何よりも明確に、かつ簡潔にこの事を説明していると思う。

『新しいユダヤ人国家・・・ここ二千年間で初めてのユダヤ人国家・・・は、
  予定通りエルサレムの深夜、そしてワシントン時間では午後6時に、その
  誕生を宣言された。その11分後、ホワイトハウスでは、チャーリー・
  ロスが、イスラエル国(the United State of Israel)<17> の名称で、
  事実上公式に認める声明を発表した』

1948年5月14日のその日、ワシントンのチャーリー・ロスは大統領の
 報道官であった。新国家の正式名称は、イスラエル国(The United States of
 Israel)。 この国家は、誕生するに際して米国から1億ドルを借用した。

米国の国会議事堂は、そしてすべての職員を含む米国国務省は驚愕に包まれた。
 その中で一人の国連代表だけは、この事を告げられていた。私は、後でお話す
 るもう一人の国連代表もこの事を知っていたに違いないと疑っている。

 米国政府のすべてが衝撃状態にある中で、トルーマン大統領だけは正しいカー
 ドで勝負をしていた。1948年11月の総選挙では確実な勝者と目されてい
 たデューイを、ユダヤ人たちの投票と惜しみのない貢献によって打ち負かした
 のであった。トルーマンは大差で勝利した。世界はIJCの完全なる準備の下
 に敗北を遂げた。

本題からはやや逸れるが、ここで取り上げておくべきもう一つの問題がある。
 それはユダヤ人たちに関して存在する国際法上の市民権と特殊性であり、イス
 ラエル国が建国されたことに起因する問題である。

 あるユダヤ人が、彼または彼女がユダヤ人であることを示す適当な書類を携え
 て、世界のどこかのユダヤ人領事館に行ったとする。するとその人に交付され
 るパスポートは、彼らの宗教と信仰上の理由によりイスラエル国から発行され
 るだろう。私は彼らの直近の家族に交付されるものも同様と信じている。これ
 は宗教的国家がこの様な方法で市民権を授与できるという単なる例である。
 そしてこの様な事態が存在することは、米国および世界の人々には一般に知ら
 れていないのである。

 (著者註:
   市民権についてであるが、例えば日本人が米国市民権を取得しようとする
   と、まず必要条件にかなった書類を提出しなければならない。それによっ
   て初めに永住権が得られ、永住権発行の日から8年以上米国の法的義務
   (税金等)を遵守すると、市民権申請が可能となる。必要書類を揃えて
   提出し、許可が下りると集団宣誓式にて承認を得られるようになっている。
   しかし初めての永住権申請に関しては必ずしも申請が通るとは限らない。

   これがユダヤ人の場合には、例えばロシアから移民して来るとして、自分
   がユダヤ人であることを証明する書類を揃えて提出すれば、それで米国の
   市民権が得られることになっている。市民権を得れば、当然米国のパスポ
   ートが得られる。

   さらに、ユダヤ人であることを証明する書類をイスラエル大使館または
   領事館に提出して認められれば、イスラエルのパスポートが得られる。
   二つのパスポートを持っているユダヤ人は決して少なくない。米国のみ
   ならず、世界中どの国でもそれができるようになっている)

国連の前にイスラエルに関する疑問点が提出された時に、反対派が何を知りそ
 れをどう表明しているかの例として、1986年6月16日のダラス・モーニ
 ング・ニュース紙の署名入り寄稿欄からの記事を『証拠H』として添付してお
 く。

 【証拠H】 ダラス・モーニング・ニュース紙の読者欄(1986年)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/proofh.html


この記事は、この本の範囲の終了点である1948年を超えているのであるが、
 イスラエルの指導者たちがテロ行為によって出現したことを示す内容を含んで
 いる。この記事はまた、IJCのためにトルーマンが生み出したいま一つの機
 関を示している。それはCIAであった。CIAは米国の情報機関から『南部
 の人々』を効果的に抹消し、その代わりにIJCの手下たちをしっかりと植え
 付けたのである。 

この事の最も強力な証拠は、アレン・ダレスのCIA長官任命であった。ダレ
 スは、OSS(Office of Strategic Services) の名で知られ、前に説明し
 たドノバンに率いられていた米国戦略事務局における実力者であった。ヨーロ
 ッパ部局の長としてのダレスと彼のグループは、ソ連とスターリンを介した
 日本の再三の降伏の申し入れを審議していた。

この本のクライマックスを飾るために、最後の一人の人物が温存されていた。
 エレノア・ルーズベルト大統領夫人である。彼女はエリオット・ルーズベルト
 の娘として生まれ、フランクリン・ルーズベルトの従兄弟に当たっていた。

 ユダヤ人たちに踏襲されている女家長制度を思い出して頂きたい。彼女はフラ
 ンクリン・ルーズベルトの目であり、耳であり、足であった。足の悪かった彼
 の生涯を通して、彼女は彼の行けない所には行き、全く従順そうに現れた。
 しかし実際の彼女は過度に独断的な妻であり、今日のヒラリー・クリントン大
 統領夫人とどこか似ていた。ただヒラリーの場合は、イメージはそれほど美化
 されておらず、ヒラリー自身、彼女を報道するメディアに対してそれほど愛想
 も良くなく、逆に報道側も彼女に対して同様であることは付け加えておこう。

 エレノアが初期のラジオ放送を活用していたことは前に述べたが、彼女は毎日
 の寄稿欄も執筆していた。その記事は、米国の殆どの主要新聞紙に同時掲載さ
 れた。それは『私の一日(My Day)』と呼ばれていた。彼女は当時のニュース
 映画にも頻繁に登場した。また本書の時代記述の中でやっと使用され始めたば
 かりのテレビにも幾分登場した。一言で言えば、彼女は米国国民に良く知られ
 ていて、今は故人となった夫に甲斐甲斐しく尽くしていた謙虚な婦人のように
 思われて、概して好かれていた。彼女にとって、それまでの仕事はこの様な雰
 囲気を作る上で最適なものであった。

 サンフランシスコで国際連合が正式に発足してからしばらくして、エレノアは
 ハリー・トルーマン大統領により米国の国連代表の一人に任命された。トルー
 マンは、IJCにより無慈悲に使われて、米国の良識ある機構を破滅させた
 人物として常に思い出されるであろう。


私が見る限り、IJCが彼女のために国連で用意していた仕事は
 唯一つで、それは決定的に重要なものであった。それは国連人権
 委員会の委員長として活動し、世界人権宣言の草案を評決メンバ
 ーに答申する仕事であった。そして彼女はこの仕事を実行した。
 メンバーの国々はこれを圧倒的多数で採用した。私はこの宣言文
 を『証拠I』として添付する。

  【証拠I】 国連の世界人権宣言(1948年)(一部抜粋)(54KB)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/proofi50.gif

投票が行われた後でエレノア・ルーズベルトは評議員たちに、今採択された
 文書は『世界の人々のための大憲章(MAGNA CARTA)』であると告げた。

私は、エレノア・ルーズベルトの伝記をテレビで見ていてこの言葉を聞いた。
 その時私は、1215年に英国がIJCのために奴隷化されたのと同様に、
 1948年に同じIJCのために世界を奴隷化する何がこの文書に埋め込まれ
 ているのであろうかと、思わざるを得なかった。

 そして1995年の今、IJCは警察力を手中に収め、あらゆる主権国家の
 国内問題に干渉し、世界中から召集した軍隊を送り込んでいると、私は思って
 いる。それらの軍隊には、対象とするその主権国家の宿命的な敵さえ含まれて
 いる。そしてさらには、不正に、偽善的に名付けられた日本の『自衛隊』まで
 もが含まれる。この自衛隊の名称は朝鮮戦争のために設けられたものであった
 が、外国の権力に占領されたと同様の状況の下にさらに下位でこき使われるの
 である。すべては、IJCの為であり、その目的の為である。

 これをもって本書を終えることにしよう!

■結 言


つい最近の1995年5月の週末、米国の戦没将兵追悼記念日(メモリアル・
 デー)の日に、いささか注目すべき事があった。大半の国民が認め意義を持つ
 ある地方新聞に、ある記事が掲載されたのである。それは編集者宛の手紙の頁
 に掲載されていたのだが、その記事は極めて重要な事を記述しており、私が
 大人になってから米国で初めて見るような攻撃であった。

 読者の方には是非自分で読んで頂きたいので『付録』として添付しておく。
 この本を読み通されて感じた疑問に対して、この記事はその答の始めになるか
 も知れない。これが米国内での姿勢の変化の前触れとならんことを願う。

 【付録3】 サン・アントニオ・エクスプレス・ニュース紙の読者欄(1995年)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/reference3.html


■参考文献


本書の参考文献としては、約400冊の本を参照させて頂いた。キーワードと
 なる事項に関してはその多くを私の書斎にある本に依った。またテキサス州の
 ダラス、フォート・ワース、サン・アントニオの公立図書館および米国公立
 図書館間の相互貸借制度も利用させて頂いた。この版ではこれらの本のリスト
 は省略させて頂く。


【訳注】

第24章

 <1> 旧約聖書 箴言1.19より。

 <2> スターリンとユダヤ:

    (1)1930年代に入って、スターリンとユダヤの関係は風雲急を告げて行った模様
        である。1932年にスターリンの愛妻、ナジェージュダ・アリルエワが謎の死
        を遂げ、スターリンはその後カガノビッチ(ユダヤ人)の妹を後妻にした。これ
        はユダヤが仕掛けたものであろうと推測されている。

        また、1934年にスターリンは、「腐敗したコスモポリタンに対する闘争」
        を宣言。コスモポリタンとは、ユダヤ、フリーメーソン、ボルシェビキ、
        シオニストユダヤ等を指すと考えられる。

        そして同年11月には、スターリンの懐刀で排ユダヤ運動の指導者をしていた
        キーロフ・レニングラード総督が暗殺された。

    (2)1952年1月12日、ハンガリーのブタペストでユダヤの緊急ヨーロッパ・
        ラビ評議会が開催され、エマニュエル・ラビノヴィッチが重大な演説をした。
        その骨子は次の様なものであった。

        ・ユダヤの世界征服計画の全面勝利の日は近い。
        ・5年以内にユダヤは第三次世界大戦を開始。
        ・10年以内にすべてのユダヤ人は王に、そしてすべての非ユダヤ人は奴隷
          となる。

       この演説の秘密記録はスターリンの手元に渡り、激怒したスターリンは直ちに
        ソ連国内でのユダヤの謀略を弾圧する指令を発した。このスターリンの処置に
        より、ユダヤ側の計画は大幅修正を余儀なくされ、特に武力による第三次世界
        大戦の計画は、「沈黙の兵器(コンピュータ等)による静かなる戦争(Quiet
        Wars by Silent Weapons)に変更されたという。

        そして1年後の1953年3月、スターリンは何者かに暗殺された。
(『ユダヤの日本占領計画(荒地出版社)1994』他)

<3> エミリアーノ・サパタ:(1877(?)〜1919)
        メキシコ革命における農民軍指揮者。モレロス州の小農出身。
        1911年、ディアス体制打倒を唱えるフランシスコ・マデロの呼びかけに応じて、
        インディオ農民を率いて蜂起した。ディアスはパリに亡命し、1919年11月
        マデロが大統領に就任するが、サパタはマデロ政権にも満足せず、徹底した土地
        改革と共有地(エヒード)復活を要求した。1919年4月カランサ政権により
        暗殺される。

 <4> フェティッシュ(Fetish):フェティシスト(拝物性愛者、淫物性愛者)の性欲の対象物。
                 盲目的崇拝物。呪物。病的執着。

 <5> サー・ウィリアム・スティーブンソン:
        英国軍事情報部第6課(MI6)の高級幹部。三百人委員会のメンバー。英国情報
        部が常駐しているニューヨークのRCAビルを本拠地として暗躍した。
        モサドの設立にも深く関与し、1951年に三つの部隊を統合して現在のモサドと
        し、イスラエルと英国外務省政治部の実行部隊に仕立て上げた。ケネディ暗殺の陰
        の指揮者とも言われている。    (『三百人委員会(徳間書店)1994』)

第25章

 <6> 新約聖書 ヨハネの黙示録15.1より。

 <7> リシュリュー:(1585〜1642)
        フランスの枢機卿・政治家。ルイ十三世の宰相で事実上のフランスの支配者。

 <8> エドガー・アラン・ポー:(1809〜1849)
        米国の詩人、短編小説家、批評家。推理小説の元祖とも言われる。  

<9> 著書「憲法改悪の強要」:J.L.ウェスト博士他著、佐伯宣親編・訳、嵯峨野書院刊。
                                   (1980.11.7)

第26章

 <10> 弊原喜重郎偈:偈とは、経・論などの中に、詩の形で、仏徳を賞賛し教理を述べたもの。
            幣原喜重郎はこの偈において、「有声の声」には日本国憲法など外国勢力
            に強要された文書類を、そして「無声の声」には明治憲法や教育勅語等を
            含む地湧の精神を託したと考えられる。

 <11> 旧約聖書 箴言29.12より。

<12> 弊原道太郎氏:弊原喜重郎元首相の子息。元独協大教授。

第27章

 <13> 旧約聖書 申命記1.13より。

 <14> スティルウェル将軍(Joseph Warren Stillwell):(1883〜1946六)
         米国の陸軍大将。第二次世界大戦開始後、中国地上軍参謀長兼在華米軍
         指令官(中将)。蒋介石とあわず、1944年更送。翌年第10軍指令官。 

 <15> United Nations:日本語では戦前と戦後で、「連合国」と「国際連合」とに使い分けが
         されている。しかし、戦後の組織を「国際連合」と訳したのはプロパガンダ
         の一種であり、極めて悪質であると指摘する人が少なくない。

 <16> ハイム・ワイツマン:(1874〜1952)
         ロシア生まれのイスラエルの化学者。イスラエルの初代大統領(在位
         1949〜1952)。1917年、英国のシオニストグループの指導者
         として英国のバルフォア宣言を引き出す。

<17> The United States of Israel :
         直訳すれば「イスラエル合衆国」であるが、外務省での公式呼称は
         「イスラエル国」となっている。


http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/07worldwar.html
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