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ヒズボラの創設、活動内容と、その構造 [IRIBラジオ日本語ニュース]
http://www.asyura2.com/0601/war83/msg/384.html
投稿者 white 日時 2006 年 8 月 05 日 23:07:00: QYBiAyr6jr5Ac
 

□ヒズボラの創設、活動内容と、その構造 [IRIBラジオ日本語ニュース]

・この記事は,イランの放送局『IRIB』が制作したものなので,
 多少の誇張した表現などが含まれている可能性があります。
 それを考慮した上でお読み下さい。

 http://www.irib.ir/Worldservice/japaneseRADIO/hizbollah-nasrollah.htm

ヒズボッラーの創設、活動内容と、その構造

ヒズボッラーの創設に向け、第一歩が踏み出されたのは、1982年のことでした。この年、シオニスト政権・イスラエルは、レバノンへの大規模な攻撃を開始し、首都ベイルートにまで達しました。ヒズボッラーは、創設後まもなく、社会面でも、また軍事面でも重要な役割を果たすようになりました。こうした状況の中で、ヒズボッラーのスローガンは、占領者・イスラエル、及び、世界の覇権主義勢力との戦いに関するものでした。ヒズボッラーの活動の中でも、ベイルート南部周辺や、一部地域における、病院、診療所、サービスセンターの建設などの福祉活動を通した、社会的な影響力の拡大が目に留まります。
 
ヒズボッラーは、政治的、軍事的、財政的な点で、大国から封鎖されているにも拘わらず、レバノンの一般市民の間への浸透に成功しています。ヒズボッラーの組織図を見てみると、この組織の活動は、様々な側面を含む、全面的なものであり、軍事的な活動に限定されてはいないことが分かります。このため、ヒズボッラーは、レバノン情勢の変化において、積極的な役割を果たしています。また、ヒズボッラーは、決定を下す評議会を有しています。この決定評議会は、7名の構成員から成り、議長は、事務局長が務め、最高位の決定機関と同様の役割を果たします。ヒズボッラーの第二の柱は、様々な管理部門で構成され、文化、宣伝、広報、そして教育に関する活動や各連盟の活動を監督しています。その他には、外交・計画・聖戦の各委員会が存在します。さらに、ヒズボッラーの社会や宣伝に関する機関は、実際、この組織の卓越性、思想的な活動、そして、社会の一般大衆との密接な関係を表しています。
 
ヒズボッラーの重要な社会組織は、アルマハディ学校、イスラム保健衛生委員会、そして殉教者協会です。また、ヒズボッラーの宣伝組織には、アルメナール・チャンネル、ラジオ・アルヌール、アルアハド新聞、イマームホメイニー文化センターがあります。これらすべての組織は、ヒズボッラーの中心的な活動の範囲内にあり、中には、レバノンの農村地域で活動を行っているものもあります。
 
ヒズボッラーは、これまで、4回の議会を開催しており、指導者層の人々が選出されています。1回目の議会では、シェイフ・ソブヒー・トフェイリー師が、ヒズボッラーの事務局長に選出されました。2回目は、1991年に行われ、セイエド・アッバース・ムーサヴィー師が事務局長に選ばれています。セイエド・アッバース・ムーサヴィー師は、後に、レバノン南部で、シオニスト政権・イスラエルによって殉教に至りました。ムーサヴィー師の殉教後まもなく、ヒズボッラーの決定評議会は、セイエド・ハサン・ナスロッラー師を事務局長に選出しました。1993年半ば、3回目の議会が開催され、ここでもナスロッラー師が再選しています。4回目の議会は、1995年に開催され、ナスロッラー師の事務局長就任が再度承認されました。ナスロッラー師が事務局長の座に着いたことで、レバノンのシーア派組織は、防衛や軍事の枠を超え、レバノンの政治舞台への参加に向けた、新たな領域を開きました。こうして、1996年、2000年、さらに2005年のレバノン議会選挙では、常に、ヒズボッラーの議員が当選しています。2000年の、レバノン南部からのイスラエル軍の撤退と、ナスロッラー事務局長率いるヒズボッラーの目覚しい勝利が、人々の記憶から忘れ去られることはないでしょう。


ヒズボッラー事務局長、ナスロッラー師の素顔
 
セイエド・ハサン・ナスロッラー師は、レバノンのシーア派聖職者で、最近は、少しずつ、イスラム世界のカリスマ的存在になりつつあります。ナスロッラー師は、現在46歳で、彼の人気は、レバノンの国境やシーア派教徒の住む地域を越え、イスラム教徒にとって、永遠の神話的存在となりつつあります。現在、レバノンでは、ベイルートのタクシーに乗っても、オーディオから聞こえるのは、音楽ではなく、ナスロッラー師の革命的な演説です。多くの若者は、演説の一部を携帯電話のメモリに録音し、電話が鳴ると同時に、ノキアの呼び出し音や音楽の代わりに、エネルギッシュなナスロッラー師の音声を楽しみます。
 
***
 
ナスロッラー師は、1960年、ベイルートの東10キロのところにある、バーズーリーヤに生まれ、レバノン南部を襲っていた経済的な圧力のため、家族と共にベイルートに移住し、その一角に住居を構えました。
 
●幼少時代の果物売り
ナスロッラー師自身は、次のように語っています。
「子供の頃、祖母の黒いショールを頭に巻き、そこにいた人々に向かって、『私は聖職者だ。私に続いて礼拝を行いなさい』と言ったものだった。」
ナスロッラー師の人格は、ベイルート郊外で形成され、少年時代は、父親の果物屋を手伝っていました。彼は、ベイルートの観光名所である海岸やサッカー場で遊んでいた友人たちとは異なり、近隣の地区に通っては、モスクの精神的な空間を利用し、勉学に勤しんでいました。その後、レバノンで内戦が勃発すると、家族と共に、生まれ故郷であるバーズーリーヤに戻り、スールの高校に通いました。卒業後、スールにあるサドルモスクで、神学校の聖職者であるモハンマド・アルガラヴィー師と知り合い、彼の助けを借りて、神学の勉強を続けるためにイラク南部のナジャフに向かいました。ナジャフでは、サドル師の元で勉学を続け、1978年、宗教学の基礎を修了しました。その年、旧サッダームフセイン政権の治安部隊が、ナジャフの神学校を攻撃しましたが、その目的は、ナスロッラー師の恩師、セイエド・アッバース・ムーサヴィー師を逮捕することにありました。
 
●レバノンへの帰国
ナスロッラー師は、イラクでの圧力を理由にレバノンに帰国し、バアルバク神学校で勉学と教育活動に勤しみました。一方で、軍事訓練を怠ることはなく、ゲリラ戦についても一通り学びました。ナスロッラー師は、その管理能力を買われ、アマル運動のバガー渓谷の代表に選出されました。1982年、レバノン占領の開始と共に、アマル運動は、2つの流派に分かれました。このうちのひとつが、ヒズボッラーです。
 
●22歳以降、ヒズボッラーの組織活動の中で
ヒズボッラーの創設当初、ナスロッラー師は、22歳で、シーア派教徒の若者の加盟を促すために、宣伝活動の要員として働いていました。しばらく後、ナスロッラー師は、ベイルートの事務所の副所長を任され、ヒズボッラー中央評議会の決議を実行する目的で、執行部門が設立されるまで、組織の昇進階段を着実に上りつめました。その後、神学の勉強を続けるため、イランのゴムに向かいました。しばらく後、アマル運動とヒズボッラーの対立を理由に、ナスロッラー師は再びレバノンに帰国しました。1992年、ヒズボッラーの事務局長で、ナスロッラー師の恩師でもあったセイエド・アッバース・ムーサヴィー師がイスラエルによって暗殺されました。
 
●ヒズボッラーの指導者となるまで
ムーサヴィー師の暗殺により、ナスロッラー師は、ヒズボッラーの事務局長に選出されました。1997年、ナスロッラー師は、長男のハーディを、レバノン南部でのイスラエル軍との戦闘で失いました。しかし、ハーディの殉教によって、父ナスロッラー師は、益々、イスラエルとの戦いにおいて力をつけていきました。
 
セイエド・ハサン・ナスロッラー師は、ソブヒー・トフェイリー師とセイエド・アッバース・ムーサヴィー師に次いで、3代目のヒズボッラー事務局長です。ヒズボッラー師はその後、2度もヒズボッラーの事務局長に選出されていますが、これは、彼の指導者としての比類ない特性によるものです。戦争の指揮における事務局長の能力の高さは、イスラエル軍に壊滅的な打撃を与えており、これによって、イスラム教徒の彼に対する支持は、これまでにないほど高まっています。アラブの人々は、彼をアラブ共同体の指導者と呼んでいます。ナスロッラー師は常に、イスラエルの諜報テロ機関の標的になってきましたが、彼の軍事的な思想と勇気が、こうした目的を妨げているのです。
 
 

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