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元神風特攻隊員が語る特攻の真実(3)
http://www.asyura2.com/0601/war83/msg/900.html
投稿者 あややの夏 日時 2006 年 8 月 19 日 20:14:03: GkI4VuUIXLRAw
 

(回答先: 元神風特攻隊員が語る特攻の真実(2) 投稿者 あややの夏 日時 2006 年 8 月 19 日 20:11:16)

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2340717/detail?rd

【PJニュース 08月19日】− (2)からのつづき。

吉川「その後に特殊飛行訓練や戦闘訓練をしましたね。訓練を終えるとおっしゃいましたが、パイロットの訓練に終わりはありません。毎日絶えず訓練をするのです。優秀なパイロットとして仕事をこなそうとするならば毎日の訓練は欠かせません。毎日離着陸の訓練や戦闘訓練をしないと、いざという時に体がもたないのですよ。特別訓練や戦闘訓練にクリアした後は仙台や豊橋などで実戦隊に配属されました。実戦隊で最後に配属されたのは栃木県那須の黒磯の実戦部隊でした」

PJ「なるほど。常に訓練なのですね。では黒磯でのお話を聞かせていただけますか」

吉川「黒磯では鹿島灘防衛の任務を与えられました。昭和20年3月黒磯でB29の迎撃をしているときに被弾してしまい、帰還しようとしたのですが飛行場まで帰ることができずに直前の黒磯駅付近に不時着しました」

PJ「被弾した際に怪我などはせずに無事だったのですか?」

吉川「無事では済むはずがありません。飛行機が壊れてしまっていたので通常着陸ができなかったのです。飛行機は大破して、私自身も全身打撲したうえに、一カ月間意識不明で治療を受けました」

PJ「一カ月間意識不明ですか。生死をさまよう大変な怪我をなされたのですね」

吉川「そうなんです。私が意識不明の間に黒磯の仲間たちには特攻の命が下っていて意識が戻ったころには多くの仲間が戦死していました。気がついたら多くの仲間を失っていました」

PJ「それは悲しいことですね。もし吉川さんが負傷していなかったらその間に吉川さんに特攻の命が下っていたことも十分に考えられますね」

吉川「そうですね。それが運命の分かれ目だったかもしれません。治療が終わった5月に福島県石川秘匿飛行場に配属されました」

PJ「秘匿飛行場ではどんな任務にあたっていたのです?」

吉川「飛行場建設の指導業務ですね。現場の作業員にちゃんと飛行機の離着陸ができる飛行場を作るアドバイスをするのです」

【つづく】

※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 大森 竜彦【東京都】

http://image.news.livedoor.com/newsimage/3/7/3a71a7aeb590b3ae42-m.jpg
戦闘機に搭載していた書類箱 右上に弾痕がある。(撮影:大森竜彦)

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