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“中国でモノ言う人が増えてきた”〜「氷点」前編集長・李大同氏来日講演会 [JANJAN]
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投稿者 white 日時 2006 年 12 月 21 日 16:35:45: QYBiAyr6jr5Ac
 

□“中国でモノ言う人が増えてきた”〜「氷点」前編集長・李大同氏来日講演会 [JANJAN]

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“中国でモノ言う人が増えてきた”〜「氷点」前編集長・李大同氏来日講演会 2006/12/21
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 今年1月、中国の有力な全国紙である『中国青年報』の付属週刊紙『氷点週刊』が発行停止を命じられた。その引き金となったのは、中国の近代史の評価について、公式的な見解と大きく異なる袁偉時教授の論文を掲載したことだった。『氷点』の編集長、李大同(り・だいどう)氏は1月25日に、「違法な発行停止処分への公開抗議」と題する抗議書をインターネットで掲載し、大きな反響を呼んだ。国内外の強力な世論に圧され、当局は編集主幹の解任などの条件付きで、3月1日に『氷点』を復刊させた。

 『氷点』の編集長を解任され、社内の新聞研究所の閑職に左遷された李大同氏は、発行停止をめぐる内幕を暴露した著書「氷点シリーズ」を日本と香港で出版し、1995年の創刊から今年の処分に至るまでの同紙と当局の衝突を詳述し、党幹部とベテラン記者との生々しいやりとりなども盛り込んだ。

 シリーズ第3弾「『氷点』は読者とともに―いま明かす苦闘の歳月」(日本僑報社)の日本版発売で、李大同氏は18日に初来日した。19日夜、東京財団主催の講演会に参加し、100人を超えた中国問題専門家とマスコミ人の前に、多方面の問題について率直に語ってくれた。

 中国マスコミ人の間で「李老師(李先生)」と尊敬されている李大同氏。初めて間近で見た彼は、ベテランの貫禄を漂わせながら、常に現役であり続ける情熱を感じさせる。中国メディアと社会の現状を、ひとつ一つ重みのある言葉で熱く語り、日本の聴衆からの鋭い質問にも真摯に答える姿から、彼を動かしているジャーナリストの責任感と使命感がひしひしと伝わってくる。以下、李大同氏の発言要点を紹介しよう。

 中国メディアの変容

 講演会の始まりに、李大同氏は「中国メディアが大きな変革の最中にある」と指摘し、次のように語った。

 「1980年代、中国共産党の指導部において、『改革派』と『保守派』という2つの路線の対立が鮮明になり、政権内部で行われている論争が、メディアに報道の空間を与えていた。当時の新聞では、政治・メディア改革などについて深く切り込んだ、大胆な議論が交わされていた。だが、それは特定の政治状況に左右されるものでしかなかった。報道の自由を保障する制度が確立されることがなく、天安門事件以降、その自由な空気が霧散してしまった。

 しかし、1980年代の中国メディアには成果もあった。1980年代の初頭から、良心のある先輩ジャーナリストたちが、『文化大革命』など一連の政治運動に、メディアが加担し、積極的に共犯者になっていたことを痛切に反省した。こうした彼らの反省は、私のような次の世代のマスコミ人に深い影響を与えてくれた。1989年の天安門事件当時、主流メディアから多くのデモ参加者が街に繰り出した。それは前例のないことだった。天安門事件を経てきた世代は強烈な批判精神と行動力に特徴がある。

 また、1990年代に入ってから、市場経済の浸透とともに、中国のメディアは産業化に向けて大きく変容してきた。党機関紙『人民日報』や『解放日報』には国から補助金が出されているが、ほとんどのメディアは独立採算になった。読者のニーズにかなった情報を提供することで一定の購読者数を確保し、広告主を獲得しなければいけない。だが、当局は、党がメディアを管理するという方針を依然として堅持している。

 こうした状況を、『中宣部(※)は金を出さないのに、口を出す』とマスコミ人が揶揄する。産業化の中で一層の転換を目指そうとするメディアと、宣伝機関としてメディアをコントロール下に繋ぎ止めたい当局とのせめぎ合いが増え続けている」

 ※筆者注:中宣部――正式名称は「共産党中央宣伝部」。中国共産党のイデオロギー、路線、方針の宣伝、教育、啓蒙を担当する部署。各地に下部組織があり、全国の新聞、出版、教育、テレビなどに対して指導を行う。メディアに対して「発行停止」の処分を行う権限を持つ。

 中国メディアにおける『氷点』の意義

 「『氷点』は中国メディアの新しい道を切り開いたというふうに自負している」と言い切る李大同氏。『氷点週刊』の編集方針について、下記の3つのポイントを紹介した。

(1)庶民の生きざまに目を向け、そこから見えてくる今の中国社会の矛盾点に焦点を当てること。

 李大同氏は、それまでの中国の新聞報道では労働者がたくさん登場したものの、民衆を教化するための道具として、型に嵌った“典型人物”としか描かれなかったと指摘した上で、「『氷点』では、普通の人たちがひとり一人の生身の人間として、報道の主役になった」と強調する。また、「社会の一番末端に生きる人たちには、現在中国が抱えている矛盾点が一番よく映し出されている」と語る。

(2)“ソフト”から“ハード”へと転換する報道姿勢。

 批判をほのめかしながら問題の核心には踏み込まないような、痛くも痒くもない“ソフトタッチ”の報道をやめ、大胆な政府批判も辞さない正攻法で勝負するという。李大同氏によると、創刊以来の11年間、『氷点』は暴露を中心とした報道を盛んに行い、また、紙面では見えない闘争を水面下でも展開していたそうだ。

(3)事実を忠実に報道すること。

 李大同氏が例として挙げたのは、まず「歴史事実の復元」だ。例えば、共産党の正当性を強調するために、過小評価されていた抗日戦争における国民党の役割を再評価。また、『氷点』発行停止処分の口実にもなった、中国歴史教科書を批判する袁氏論文の掲載もその一例である。そしてもうひとつは、「タブー破り」だ。例えば、台湾の民主化進展の紹介、エイズ患者の生存状態調査、首都北京の郊外に集まる“陳情者の村”のルポなどなど、中国の主流メディアが避けてきたテーマを堂堂と取り上げた。

 中国メディアにおいて『氷点』の“とがった性格”が確立し、ひとつのブランドにもなったようだが、李大同氏は、「『氷点』の報道はすでに今の体制に許されている限界まで来ている」と指摘する。

 中国政治の将来を占う

 「中国では“強人政治(強い人の統治)”の時代がすでに過ぎ去った。これまで中国の政治舞台では、2人の強い人――毛沢東とトウ小平――が、他の追従を許さないカリスマ性で、“少数で多数を服従させる”ことに成功した。しかし、現在の共産党にはこれほどのカリスマ性を持つ者がいないし、社会環境も大きく変わった」

 李大同氏の話によれば、中国政府の公式発表だけでも、2005年に起きた“集団事件”(デモや暴動など)が8万7千件に上り、県級以上幹部の汚職事件が22万件を上回るという。庶民よりも、情報を把握している当局の方がこのような緊迫した現実をよく知っていて、危機感を持っている。政権は今後、少数が多数に服従する仕組みを制度の中に取り込み、妥協しながら統治を存続させることを学ばなければいけない。そうせざるを得なくなった。

 李大同氏は、「胡錦濤主席が自分ひとりの権威で後継者を指定することはもはやできない。陰謀が渦巻く“宮中闘争”のような後継者選びから脱退し、制度の面で指導者を選任する新しいシステムを作り出すことが、共産党の生き残りにとって必須になってきた。ベトナム共産党の民主選挙制度の試みが参考になるのではないか」と分析する。

 「2012年に開かれる中国共産党第18回全国代表大会が、その新しい体制へのターニングポイントとなるのではないか」と李大同氏は予測する。
 
 聴衆との問答から

 質問:お話の中にも出てきた“大国の崛起(台頭)”という言葉を、どういうふうに考え、そして使っているのでしょうか?

 李氏:そもそも、“大国の崛起”という命題は、指導者と知識人たちのゲームであり、庶民たちにとっては切実な意味を持つものではない。強いて“大国の崛起”というテーマを議論するとすれば、いわゆる欧米列強の成功の経験に学ぶよりも、大国から弱国に衰えていった中国の失敗の教訓を真剣に反省することが大事ではないか。現在の中国はある意味、清王朝の末期状況と非常に似ているように思う。それは、西側に何を学ぶか?という問題にぶつかっているからだ。キーワードは“制度”だ。清国は欧米から技術しか学ぼうとしなかった。政治・社会制度も学ばなければいけないと悟ったときには、すでに手遅れだった。そして、現在の当局も、西の技術や経済を積極的に学んでいるが、政治制度に関しては腫れ物に触るように小心だ。中国は、どうして憲政をこれほど恐れているだろうか?清国は皇帝、現在は共産党、それぞれの時代の政権が権力にしがみついているからだ。

 質問:ご自身がブログで抗議書を公開したように、インターネットは中国人の言論の自由に貢献していると思いますが、ナショナリズムを煽る“憤青(憤怒青年の略)”たちの溜まり場にもなっています。中国の言論におけるインターネットの機能をどう思いますか?

 李氏:日常的に言論の自由がない分、インターネットで鬱憤を晴らすことに熱をあげてしまう。しかし、初めてプールに行く人は水に入ったとたんに、水泳選手になれるわけがない。水の深さを試しながら、泳ぎを学ぶのだ。インターネットで「言論の自由」の真の意味、ルール、そして伴う責任を学ぶ。それはネット族の若者たちだけの問題ではなく、マスコミ人も同じである。人民日報のある編集者はこう言った――『もし“明日から報道が自由になります!”と言われたら、明日の一面トップに何を載せればいいのかは分からない』。これは非常に現実味のある話だ。「報道の自由」を迎えるために、中国のマスコミ人は自ら準備をしなければいけないのだ。

 質問:現在の中国の新聞やテレビは、商業化に走りすぎだという批判も聞こえますが?

 李氏:“喉舌化”(筆者注:中国メディアはこれまで党と政府の「喉舌(代弁者)」として位置づけられていた)と比べて、“商業化”は進歩と言えよう。中国のメディアは大きな変革の最中にあり、試行錯誤を繰り返していくしかない。

 質問:今回の来日にあたって、社内あるいは当局からなにか干渉や圧力を受けましたか?

 李氏:今回はプライベートで日本に来ているので、特に会社には知らせていなかった。ただ、今まで海外との交流は順調だ。例えば10月にドイツでの国際フォーラムに参加した時などにも、出国の手続きがスムーズにできた。帰国した後にも、圧力を受けることがなかった。

 20日午後2時から日本プレスセンター(東京千代田区)にて、李大同氏の新著である『「氷点」は読者とともに』の発表会が行われた。李氏は東京でマスコミ取材を受けた後、22日に帰国する予定だ。

 李大同氏は今夜(21日夜)11時10分からのNHK BS1番組「きょうの世界 特集『中国・発禁紙“氷点”編集長が語る』」に出演する。
 番組の詳細:http://www.nhk.or.jp/kyounosekai/


関連リンク:
李大同氏の来日の日程、関連報道(日本僑報社編集長・段躍中氏のブログ)
http://duan.exblog.jp/d2006-12-21
「『氷点』は読者とともに―いま明かす苦闘の歳月―」(内容紹介)
http://duan.jp/item/040.html

(曾理)
     ◇
李 大同(り だいどう)氏 略歴

1952年   中国四川省南充市に生まれる
1954年   両親とともに北京へ移住する
1968年   「知識青年」として内モンゴルの人民公社生産隊に下放される
1979年   中国青年報社に入社。駐内モンゴル自治区記者、本社特別記者、編集者、
        編集主任などを歴任
1989年   北京マスコミ関係者1000人と政府高官との対話活動の呼びかけ人となる
        「天安門事件」後、閑職に左遷される
1995年   『氷点週刊』創刊。編集長を務める
2006年1月 『氷点』発行停止事件で編集長を解任され、社内の新聞研究所へ転属される


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