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[原理主義の罠]安倍政権(小泉劇場の遺産で立ちすくむ)が嵌った「美しきアナクロの罠」
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2006 年 12 月 08 日 21:42:36: YqqS.BdzuYk56
 

*[原理主義の罠]安倍政権(小泉劇場の遺産で立ちすくむ)が嵌った「美しきアナクロの罠」

f:id:toxandoria:20061208213512j:image
【画像の解説】

<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061208

パウル・クレー『奇妙な目つきの男』 Strange Glance 1930 Oil on canvas 65.4 x 38.1 cm 、Art Institute of Chicago 、USA
・・・パウル・クレーの「ベルリンのとんま」という傑作があります。これは、パウル・クレーがヒトラー批判の意を込めて制作した1939年の小さな作品(紙、鉛筆、厚紙に添付、29.5ラ21.0cm/宮城県美術館『パウル・クレー 創造の物語』作品展示No.156/参照、http://www.pref.miyagi.jp/bijyutu/mmoa/ja/exhibition/20061017-s01-02.html)で、デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン美術館(Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen、http://www.kunstsammlung.de/が所蔵しています(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061203)。

・・・ただ、「ベルリンのとんま」の画像はネット上で公開されていません。そこで、これに似たイメージの作品として、この『奇妙な目つきの男』をアップしておきます。1930年の作品ですが、この時はヒトラーが『わが闘争』(Mein Kampf、1925)を著した後のころで、まさに1933年1月にヒトラーがナチス政権を樹立する直前の時代です。これも、パウル・クレーの炯眼が、特異なヒトラーの精神環境とリアリズム感を失ったドイツ社会の異様な空気を見抜いた作品です。

・・・・・以下、本論・・・・・

12月5日の夜、東京都内のある料亭で小泉・前首相が当選1〜2回の衆参の議員らと懇談する会を開きました。この時に、小泉・前首相は“郵政造反組の復党問題で、数が足りない時に一緒に来てくれと言い、数が多いときに条件を付けるのはあたりまえだ!”と言ってのけました(2006.12.5付、日本経済新聞)。ここには、“ブッシュのポチ”と揶揄されても平然として、大受けの「小泉劇場」を演じ続けた小泉・前首相のヤクザ的・詐欺的な政治手法の本性が垣間見えます。また、そこには国民の意志や立場などはそっちのけで、このような欺瞞に満ちた「犯罪者スレスレの発想の持ち主である首領(かしら)」を、ひたすら選挙資金欲しさ故の日和見で支持してきた多くの自民党議員たちの自己中心的ホンネと身勝手ぶりが恐るべきほど露骨に表れています。言い換えれば、小泉政権は“新しい時代の変化へのあるべき対応”を虚飾と厚化粧で誤魔化してきた、文字どおりの“耐震擬装&事実偽造政権”であったということです。つまり、安倍政権は「このように詐欺的な演出を続けてきた小泉劇場の負の遺産」(身勝手な何でもありのエセ論理で野合を繰り返す、自民党の古い体質が濃縮され腐臭漂う“悪の華(Les Fleurs du Mal)”)の前で何も言えずに立ちすくんでいる(ひたすら目の玉が渦を巻くばかり/参照、画像『パウル・クレー、奇妙な目つきの男』)という訳です。

そこで連想されるのは、2006.12.6付日本経済新聞『ニッポンの教育/第1部、機能不全の実相』のルポ記事が伝える次のような教育現場での驚くべき出来事(子供の親たちの余りの異様さ!)です。・・・東京都内の小学校教諭は、連絡なしで休んだ子供の家に電話して、その親の答えに開いた口がふさがらなかったことが何度もある。「寝たのが遅かったから、しょうがないでしょ、今日は休ませますよ!」、「(そんなことは大したこでとないし)どうだっていいじゃない、いちいちうるさいわね!」、「小学生の茶髪は何で悪いのか?(ちゃんと説明しろよ!)」と抗議された校長もいる。「義務教育だから払う必要がない!」と給食費の支払いを拒否する親も急増している・・・ここに見られるのは、社会全体のルールや他の人々の迷惑などおかまいなしで、ひたすら自己中心的な狭い視野に嵌った“子供の親たち自身の幼稚で身勝手な論理”です。驚くべきことは、この幼稚で異様な論理が、実は小泉・前首相ら自民党の中枢に居座る輩(やから)のペテン師的な“何でもありの発想”とソックリなことです。まさに、「この親(非人間的な政権)にして、この子(非倫理的な国民(子供の親たち))あり」の姿です。

2006.12.3付の河北新報・社説『内閣支持率の低下/世論は首相の質を見始めた』(参照、http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2006/12/20061203s01.htm)は、このような安倍・自民党政権の“身勝手ぶり”と“うろたえぶり”を次のように明快に断じています。・・・“郵政民営化造反組の復党は小選挙区と比例代表の議席の二重取りだし、民営化反対で当選した議員に賛成を強いる点で約束違反だ。それは「筋が通らない」という一部の自民党員や有権者の素朴な生活感覚さえ逆なでにし、「来年の参院選に勝つため」という大義名分をさえ希薄にした。世論がそこで見たこの党の姿とは、公約・政策をその場しのぎの便宜的ツールとしてしか扱わない政党としての前近代性(ヤクザや暴力団に近い精神環境?)と、「参院選に勝つためには何でもありだ」とする粗暴さだ(<注>(  )内はtoxandoriaが補筆した部分)。”・・・今回の郵政造反議員の復党問題の実像は、来年の衆議院選挙対策であることは当然として、先ず「大きな政党助成金(カネ)を手に入れること」がホンネだったことになります。今、一部のメディアでは、安倍政権の“支持率が急落した! 50%を切った !大変だ!”と、まるでメディア自身が“うろたえている”ような雰囲気の報道が流れています。しかし、いくら何でも、これで支持率が下がらぬなら日本の選挙民は余程の“とんま”だらけということになります。

これは、しばしば前にも書いてきたことですが、小泉→安倍政権に引き継がれた遺産の一つは「アナクロな原理主義的価値観(闇)の存在」ということです。「二・二六事件」の経緯から透けて見えるのは、一枚上手であった「統制派」が観念的・直情的な「皇道派」のクーデタを狡猾に利用して“殆んど批判を浴びることなくカウンター・クーデタ”を首尾よく“合法的に成し遂げた”ということです。この辺りは、ヒトラーが一般国民の圧倒的な支持の下で“合法的にナチス政権を樹立した”プロセスと酷似しています。彼らは、これによって「皇道派」を抹殺・粛清するとともに英米と協調する形で日本の国際外交の展開を構想していたリベラルな「現状維持派」に対して圧倒的に優位な地位を獲得するとともに、国民一般から大きな支持を勝ち得ることにも成功したのです。そして、このプロセスでの決着の仕方が小泉・前首相による昨年秋の「2005.9.11のクーデタ劇」、つまり「郵政民営化法案・参院否決→衆院解散・総選挙」の結果ともソックリであることに驚かされます。

ともかくも、このことは本物の「追憶のカルト」(日本の歴史の中で培養されてきた武断的・国家主義的・ファシズム的な思想の系譜)が非常に強(したた)かであることを示唆しています。また、これら「追憶のカルト一派」には一定時間内での結果をやみくもに急ぐという傾向、及び一種のエリート主義・貴族主義的な特異な意識(=大半の一般国民を蔑視するという尊大な選良意識)を持つという傾向が見られます。これは「イラク戦争への突入」を急ぎ過ぎたアメリカのネオコン一派(その先制攻撃論的な傾向)の“アリストクラシー趣味”と共通するものです。更に端的に言えば、そのような彼らに共通するのは「論理原理主義」と「情念原理主義」の癒着がもたらす「無限に続くパラドックス地獄に嵌った悪魔的な精神環境」です。これは、人間としての自らの死を覚悟したキリストが地上における超越的な他者の不在を感得したからこそ、超越的な神の愛を「受苦」(the Passion/パッション)の形で現実世界で(地上の人間が理解できるように)引き受けたパラドックスの構図と似ているように思われます。しかし、両者はまったく似て非なるものです。なぜならば、キリストと異なり、これらの“アリストクラシー趣味”を持つ輩には遍く地球上に住まう人々に向ける平等な“愛の心”が存在しないからです。“愛の心”どころか、彼らの心に巣食うのは醜いエゴイズムだけです。かくして、ネオコンの仲間と見做されているブッシュ大統領は、国連演説においてヴェネズエラのチャベス大統領から「悪魔」呼ばわりされる羽目となった訳です。

ただ、今回の中間選挙の共和党の敗北によって、今やブッシュ政権内でのネオコンは立場を失ったようですが、現代日本の「追憶のカルト一派」は、立場を失うどころか根深くシッカリと政権内部に浸透していることを見逃すべきではありません。注目すべきは、この「追憶のカルト一派」を取り巻く諸団体の筆頭に位置する「日本会議」などには、「ヒトラー・ドイツとの輝かしい交流時代」を懐かしみ、あるいは太平洋戦争開戦の理由となった「ハル・ノート」(Hull Note/http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88)の意義を「追憶のカルト」の立場から疑問視する知識人や文化人が存在することです。恐るべきことですが、現代日本の「追憶のカルト」は安倍政権下でまさに百花繚乱にして意気軒昂のようです。

もう一つ、現政権でハッキリ見えてきた「アナクロで特異な価値観」があります。それは「美しい国」(Beautiful Japan)というコトバの中に隠れている一種の「民族浄化的美意識」(a homogenous ethnical cleansed "Beautiful Japan")です。特に、安倍政権が掲げる「美しい国」の深層には、かつてのヤマト民族・ヤマト魂に通じる、世界一優秀な日本民族の誇りを取り戻すべきだとする「民族浄化的美意識」が根深く沈みこんでいるようです。これを裏返せば、異民族(外国人)に対する排斥や差別の感情が潜在するということです。これは驚くべきほど“アンチ・グローバリズム”な情念です。また、万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇、世界一優秀なヤマト民族とヤマト魂、神国日本の伝統(その象徴たる靖国神社は明治期に新しく創設された新興の社(やしろ)であるが・・・・・)云々の価値観こそが、ファシズム軍国主義・日本を支えた、精神の主柱であったことは良く知られるとおりです。

ところで、世界の歴史の中で、このように特異な価値観(というより特異な情念?)が歴史の流れを大きく変えたという事例があります。それは、アラゴンの王位継承者であるフェルナンド皇太子とカステリア王位継承者であるイサベル王女の結婚による、事実上の統一国家・スペイン王国が誕生した時(1479)のことです。これによって、イベリア半島のレコンキスタ(reconquista/イスラム教徒に対するスペインの国土回復運動)に弾みがつき、このフェルナンド2世(位1452-1516)・イサベル1世(位1451-1504)による「両王統治のスペイン王国」はイベリア半島における最後のイスラム王朝であるナスル朝の都・グラナダを陥れて、イベリア半島からイスラム勢力を一掃した(1492)ことは周知のとおりです。この時、フェルナンド・イサベラ両王の心の中には二つの強い信念が生まれていました。

その一つは“統一されたスペイン王国が他の民族によって汚染されてはならず、これからはスペイン人だけによる新しい国づくりを進めるべきだ”という一種のナショナリズムでもある「民族浄化的意識」(詳細は後述)であり、もう一つは「純粋で敬虔なカソリック信仰による新しい国づくり」ということでした。謂わば、この二つの“純粋な精神”が合流して、この時代のスペイン独特の「民族浄化的意識」(=「新生、美しいスペイン王国の創造」)の理想が出来たことになります。しかし、これ以前のイベリア半島では、カソリック勢力によるレコンキスタが進められていたとはいえ、キリスト教徒・イスラム教徒・ユダヤ教徒らがほぼ対等の関係で共存共栄しており、グローバルな民族交流の坩堝の中で活発な文化・経済活動が進められていたのです。そして、このイベリア半島ルートで古典時代のギリシア哲学・文学・医学等の文献がヨーロッパへ伝えられたことは良く知られているとおりです。従って、それ以前のレコンキスタは図式的に分かり易い「キリスト教勢力」VS「イスラム勢力」というよりも、宗教・民族の違いを超えた合従連衡によるイベリア半島内部での諸王国どおしの勢力争いの傾向が強かったのです(Lisa Jardine『Worldly Goods』 p86〜88(W.W.Norton、1998))。

同じ1492年には、フェルナンド2世・イサベル1世両王の「民族浄化的美意識」によってスペインのユダヤ人が国外へ追放されており(フランドルのアントワープなどヨーロッパ各地やイスラム教国へ逃れた)、またスペイン(特にイサベル1世)の支援を得たコロンブスが第1回航海で西インド諸島のエル・サルバドル島に到達しています。なお、このスペイン独特の「民族浄化的美意識」が燃上する時代に実現したのがコロンブスの新大陸発見という一大イベントでした。ともかくも、このコロンブスの一大イベントで始まった本格的な大航海時代が、1503年に始まる「エンコミエンダ」(encomienda/“信託”と訳される/一般のスペイン人が、スペイン王国の“信託”を受けてインディオのキリスト教化を進める仕事の対価としてインディオの労働力や財産の収奪が許される制度)と呼ばれる過酷で血塗られたスペイン植民地政策の始まりであることも、広く知られていることです。

実は、このような15世紀後半のイベリア半島で芽生えた新しい覇権意識、つまりフェルナンド・イサベラ両王の心に巣食った特異な「民族浄化的美意識」こそが、その後の欧米人全般のイスラム教徒に対する強い偏見の歴史の始まりであり、それは又、アメリカ・ブッシュ大統領のイスラム教徒を目の敵とすることに始まった「悪の枢軸論」の遠源であると考えられるのです。無論、ヨーロッパには。セルジューク朝トルコの圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの依頼により開始された「十字軍の歴史」(Crusades/第1回〜第7回(第8回?)、11世紀末〜13世紀末)がありますが、元来、こちらの方は中世ヨーロッパの人口増に伴う封土(食糧基地としての農地)不足を補うという、ある意味では素朴で露骨な侵略・略奪意識が動機となって開始された(その大義名分とされたのが異教徒イスラムからの聖地エルサレムの奪還)ものであるため、その十字軍の時代には、後世の我われが思うほどイスラム教徒に対する強い蔑視感や差別感があった訳ではなかったようです。

そもそもブッシュ大統領は「テロとの戦い」を宣言したばかりの頃に、この「テロとの戦い」は“現代版・十字軍の戦いだ!、聖戦だ!”と言って世界中のイスラム教徒から批判を浴びましたが、このように見てくると、それはブッシュの歴史認識が浅薄であったことを窺わせます。ともかくも、このように非常に古い因縁を引きずる、ブッシュ大統領の「悪の枢軸論」の方向性が、ブッシュ自身が始めた「イラク戦争」の失敗と「ワシントンコンセンサス」(=グローバル市場原理主義)の失敗という“二つの失敗”によって、今まさに路線の変更を迫られる岐路に立たされていることは、まことに皮肉な歴史の巡り合せです。ここで言う「ワシントンコンセンサスの失敗」とは、1990年代に導入された民営化・規制緩和などの新自由主義政策(ネオリベラリズム)の導入で甚だしい貧富の差が生まれた中南米諸国で、今まさに“激しい反米の嵐”が巻き起こっていることです。国連の演説でブッシュ大統領を「悪魔」と呼んだヴェネズエラのチャベス大統領を始め、ニカラグア、エクアドルなどでは過激なスタンスを取る左派政権が各国の国民から大きな支持を得ています。

<参考>「ワシントンコンセンサス」の問題点についての詳細は下記(◆)を参照のこと

◆2006-07-29、toxandoriaの日記『貧困を煽り、人命を軽視する米国型「市場原理主義」の傲慢』
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060729
◆2006-03-07、 toxandoriaの日記『シリーズ「民主義のガバナンス」を考える(1/4)』
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060307

このような傾向が続けば、中南米を発信源とする過激な反米勢力形成(反グローバリズム運動)のダイナミズムが全世界へ広がる可能性が出てくると思われます。しかし、今の中南米で台頭しているパワーは過激な左派政権を支持する動きだけではないことにも目を向ける必要があります。例えばペルー、ブラジルなどではアメリカとの経済関係を維持しながらグローバリズムの修正を目指そうとする穏健な路線を打ち出しています。むしろ、今は、このように中南米で過激な左派政権を支持する動きが出てきたことを人類の未来のための奇貨と見做す柔軟さが求められる時であり、行き過ぎたグローバリズム市場原理主義(地球環境とバイオスフィア(biosphere/地球上に広がる、ごく僅かな生物圏)の制約条件を考慮すれば、余りにも“非科学的な論理”で構築された原理主義的で、しかも狂信的でさえある特異なイデオロギー)を見直す時であり、改めて「グローバリズムのあり方を再検討する」チャンスだと考えるべきかも知れません。一方では、今秋の中間選挙で過半のアメリカ国民がブッシュ政権の「テロとの戦い」に修正を迫ったように、EU圏内の国々やアメリカでも、既に行過ぎた市場原理主義へ一定の社会規範的なブレーキをかけるべきだとする中庸な市民意識が多数派を占めつつあります。この流れ次第では、再び「公共部門を重視する社会政策の役割」が見直される動きが大きくなってゆくと思われます。

また、ブッシュ政権に対するアメリカ国民の厳しい批判の中には、ブッシュの新自由主義による「経済政策の根本的なミス」という、より現実的な問題があります。例えば、それはブッシュ政権下で見られるようになった「三つの格差現象」(下記●)に現れています(出典:2007.11.27付・日本経済新聞)。ここから分るのは、アメリカでは「中間層の没落」と「アメリカのサービス産業の勤労者がIT活用型のグローバル市場原理主義経済の下で職を失いつつある」という極めて深刻な事態が拡大していることです。

●その一つは、「中間所得層の没落の問題」です。これはアメリカの民主主義を支える中間所得層の経済基盤が崩壊しつつあることを意味します。例えば、1995〜2004年のアメリカ全体では時間当たりの労働生産性が約3%上昇しましたが、中間所得層の実質賃金は1%しか上昇おらず、しかも1999〜2004年の通算ではそれが約4%も減少しています。

●二つ目は、ウオルマートなど「大流通企業におけるトップと一般従業員の間の所得格差の拡大」です。ITの導入が流通経済を活性化したことは一般に広く認識されてきたことです。しかし、その中身を分析したところ、高給のトップ管理層と大多数の一般従業員(最低賃金レベル)との間の賃金格差が、従来と比べて驚くほど拡大していたのです。結局、流通サービス産業のIT化は所得格差の拡大に大きく貢献しただけであったことが明らかとなっています。

●三つ目は、企業へのIT導入であぶれた勤労者たちのための仕事が、ほとんどインドなどの新興国へ流出してしまったことです。つまり、アメリカ国内での失業率が更に大きく上昇する懸念があるということです。

ともかくも、これまで見てきたような「グローバリズム市場原理主義に修正を迫る市民意識の台頭」と「その民主主義社会の基盤を脅かしつつある、アメリカにおける新自由主義政策失敗の波紋」という、二つの注目すべき事実は未だ安倍政権の視野にシッカリ入っていないようです。そのうえ、現在の安倍政権は、「ブッシュ&ポチ(小泉)の蜜月時代が残した負の遺産」、「自らの強力な支持基盤である追憶のカルト一派が送り続けるアナクロで妖しげな秋波」、「もはや時代遅れとなりつつあるワシントンコンセンサス体制」という三つの大きな流れの柵(しがらみ)に執拗に拘り続けており、それらがもたらす矛盾の余りの大きさに目を見張り、ひたすら立ちすくむばかりとなっている安倍政権の現状は、かつて日本主義の思想家・北村透谷(日本の国家主義に影響を与えた人物)が「論文・美的生活を論ず」(『太陽』、明治34年8月号)で、“国家は美的自己快楽を満足せしめんとすること(つまり、『美しい国』を追求すること)”で国民の本能(欲望)を満足させるような政策を意識的に採るべきだと主張した、一種の狂気に近い情念に取り込まれ、それに嵌っているのではないかと不気味な感じがします。それに、安倍政権の下では、夥しい数の御用学者と思しき知識人・文化人らが各種の「有識者会議」や「審議委員会」に屯(たむろ)しているようですが、誰一人として、これらの安倍政権を取り巻く「美しきアナクロの罠」の現実について語って聞かせようとしないのも不思議です。彼らは、ひたすら「ヤラセ御用学者」を決め込んでいるようですが、これでは大変な税金の無駄遣いであり、すべての日本国民に対する重篤な背任行為でもあります。

(参考URL)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

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