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「中間選挙と死刑判決」「加藤紘一・佐高信・鳥越俊太郎」「道路特定財源の一般税化」 − 白川勝彦HP
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投稿者 kaname 日時 2006 年 11 月 17 日 02:20:16: 3X28X40b0xN.U
 

中間選挙と死刑判決

1.

アメリカの中間選挙で、下院では民主党が圧勝した。中間選挙というとなんとなくどうでもいいような選挙という印象があるが、下院の全議席が改選されるのだから日本でいえば総選挙に匹敵する。大統領制なので政権交代にはつながらないが、ブッシュ大統領にアメリカ国民がノーを突きつけたことには違いない。

アメリカはいまもイラクで戦争をしているのである。戦闘は終ったが、武装勢力との戦いは続いている。アメリカ軍がイラクから撤退すれば、イラクで樹立した現在の政権がどうなるか分からない。まだアメリカにとってのイラク戦争は続いているといえる。戦争中というは、どこの国でも愛国心は高揚し、団結するものである。

にもかかわらず、2年前の大統領選挙でもケリー候補はブッシュ大統領に肉薄した。そして、今回の選挙で民主党は下院で圧勝した。いずれの選挙でもイラク問題が正面から取り上げられ、このような結果をアメリカ国民は出したのである。この点に関して、私はさすがアメリカだという気がする。同じような状況の中で、日本国民はこのような政治行動が果たしてできるだろうか? ハッキリいって、私はできないと思う。

イラク戦争に小泉首相はいち早く全面的に協力すると表明した。イラク特措法もつくり、自衛隊をインド洋に派遣し後方支援をした。また人道支援ということでサマワに自衛隊を駐留させた。わが国は、イラク戦争にかなり深く関わった国の一つである。アメリカでブッシュ共和党が敗れたのは、イラク戦争そのものの大義が失われたこと(大量破壊兵器が見つからなかったこと)もその原因の一つとしてあると私は思う。開戦時、あれだけブッシュ大統領を支持したことに対する反省もあるのだろう。

一方、これに与したわが国の行動について、自民党や公明党には反省とか批判があるのだろうか。もう自衛隊がサマワから撤退したのだからいいじゃないかといわんばかりのダンマリである。そして、国民もこれを許している。わが国の国民は、政治に対する批判を忘れたのだろうか。それとも批判能力を失ったのだろうか?
2.

昭和天皇がご病気の時、一億総自粛という現象が起きた。何故そうしなければならないのか本当のところ分からないのに、皆そのように行動した。当時皇太子だった今上天皇が、異常な自粛は天皇も望んでいないので「自粛」を自粛するようにと発言したことにより、異常な自粛ムードは治まった。国民の側からここまで自粛する必要はないのでないかという声はほとんど起きなかった。そう思っている人は多かったのだが…。

衆議院の選挙制度をめぐって国論が分かれた時、小選挙制に疑問を呈しただけで守旧派と呼ばれた。政治改革がテーマなのであるから、選挙制度をどうするかは関連はするが、政治改革=小選挙制ではないはずである。正面から堂々といえば納得してもらえるのだが、それをいう雰囲気がなくなってしまうのである。私は価値観が多様化する中で、なぜ政治的な価値だけ一つに絞ろうとするかと訴え、最高点で当選した。しかし、よほど度胸がないといえない雰囲気が強くあった。政治家も悪いが、国民にも責任があると思う。

昨年の郵政解散の時なども似ている。郵政民営化に疑義を抱くことさえ、政治改革の時のように守旧派とみなされた。郵政民営化といえば改革派とみなされ、改革を支持するという国民はその人に投票した。私は薄気味が悪く、ヘドが出る思いだった。郵政民営化は、憲法21条2項の「通信の秘密は、これを侵してはならない」ということに直結する大問題なのだ。郵政解散というのだから郵便のことが関係ないはずがない。しかし、誰もこのことに触れようとしない。

国民は、通信の秘密が守られることを強く望んでいる。通信の秘密は、思想・良心・信教の自由というもっとも根源的な基本的人権に密接に関係するきわめて大切な自由権である。国家公務員をして郵便物を配達するのは、通信の秘密を守るためである。いまのところこれ以外にいい方法は思い浮かばない。だから国家がやっているのである。世界中のほとんどの国が郵便事業を国営でやっているのは、それだけの理由があるからである。

どんな問題にもタブーを設けてはならない。タブーを設けて思考や議論の対象にしないことは、悪い王や怪しげな祈祷師や巫女が昔からやってきたことだからである。タブーとは触れてはならないということである。タブーとは、確か原始的宗教の世界の概念と記憶している。そこで念のために広辞苑を開いてみた。

タブー[taboo;tabu] (ポリネシア語のtabu,tapu 聖なるの意)超自然的な制裁によって社会的に禁止される特定の行為。広く、触れたり口に出したりしてはならないとされる物や事柄。

近年、わが国の政治の世界ではまさにタブーが多くなっている。政教分離問題しかり。テロ対策しかり。日米安全保障条約しかり。「日米同盟」などという言葉は、つい10年前までは軽々には使われなかった。いや、使ってはならない言葉だった。福田首相の時は、全方位外交といった。これに対して、私の恩師・大平正芳首相は、西側陣営の一員として行動すると舵を切った。そして、ソ連のアフガニスタン侵略に抗議して、モスクワ・オリンピックに参加しないことを決定した。「スポーツと政治は別だという風潮は強いので、場合によってはスポーツ担当の文部大臣の首を出さなければならないと覚悟していた」と伊東正義氏(当時の官房長官)から聴いた。
3.

数日前、イラクの特別法廷がサダム・フセイン前大統領などに対して死刑の判決を下した。イラクの法制度についてまったくの知識がない私である。従って、もう少し勉強してからこの問題について述べたいと思っている。この判決がアメリカの中間選挙の投票日直前になされたのはアメリカの意向がなかったとは思えない。大量破壊兵器があろうがなかろうが戦争を仕掛ける国だから、そのくらいのことは平気でやるだろう。アメリカは世界中からそう思われても仕方のない品性のない国に残念ながらなリ下がったのだ。これはブッシュ大統領の罪であろう。

私が問題にしたいのは、サダム・フセイン前大統領などに対して死刑判決を下した特別裁判所の法的性格である。その根拠一体はどこにあるか、ということが知りたいのである。事後法であることは、間違いなかろう。イスラム法が支配するイラクという国で、事後法というものが認められるのかどうかは不明である。「目には目を、歯には歯を」というくらいしか、イスラム法について私は知らない。しかし、事後法が許されるとも聞いていない。

フセイン大統領は、独裁政治の中で、多くの人々を陵虐してきたと私は思う。それをイラクの法で裁くことはできる。しかし、それはフセイン大統領の時代にもあった法でなければならない。そうでなければ、事後法ということになる。少なくとも近代的な法体系をもった国では事後法は禁止されているはずである。アメリカが自画自賛している新しい民主的なイラクで、事後法が許されていいはずがない。ここを調べてみたいのである。

さて、ここで話は飛ぶ。加藤紘一さんが頑張っていた首相の靖国神社参拝の議論の時、当然のことながら極東軍事裁判や戦争犯罪人のことが問題になった。戦争犯罪人を罰したのは事後法であるということが、極東軍事裁判を無効とする人たちの最大の論拠だった。確かに、事後法は近代刑法が固く禁止していることである。しかし、極東軍事裁判は、刑法の世界の話ではないのである。ポツダム宣言には、次のような条項がある。

「吾等は日本人を民族として奴隷化せんとしまた国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待する者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」(10項)

極東軍事裁判所は、この条項を根拠にして設置されたのである。わが国は、ポツダム宣言を受諾して降伏した。戦争という国家と国家の行為を終結するために、国家としてこれを受諾したのである。ポツダム宣言の各条項に、わが国は従わなければならなかったのである。憲法学者の芦部信喜教授は、ポツダム宣言は一種の休戦条約的なものだという。国家が結んだ条約にその国民が従わざる得ないことはままある。

当不当は別として、戦争を終結させるために心ならずも不本意なことを認めなければならないことは仕方がない。ポツダム宣言を受諾しなければ、「(無条件降伏)以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」(同宣言13項)だったのであるから。現にポツダム宣言の受諾が遅れたために、広島・長崎に原爆が投下され何十万という人の命が奪われたのである。それが戦争というものである。だから、戦争は残酷であり、悲惨なのである。

極東軍事裁判を無効とし、これを強く非難する論者が、サダム・フセイン前大統領に対して死刑判決が下されたことについて、どのような主張をするのか私は注目している。いまのところ賛否を含めて、これといった論には接していない。イラク戦争は、戦争そして戦争法規というものについていろいろと考えさせられることが多い。これについては、財界展望2004年3月号 や同2004年6月号などに書いておいたのでご覧いただきたい。

それでは、また。

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加藤紘一・佐高信・鳥越俊太郎

1.

加藤紘一氏のWebサイトを見たら、「ものをいう自由は今 〜 言論に対する暴力に抗議する集会」というシンポジウムがあるというので、昨晩虎ノ門の日本消防会館にいってきました。パネリストは、表題の3人です。

主催は第二東京弁護士会です。私の所属している弁護士会は第一東京弁護士会。共催団体の一つになっていました。しかし、そんなことは行ってみようと思ったことと何の関係もありません。パネリストの3人とは面識があり、またしばらく会っていなかったので、懐かしさから行ってみる気になったのです。所用があって20分ほど遅れてしまいました。会場は大ホールでした。満員ならば1000人以上は入れる会場です。でも聴衆は250人でした(主催者が閉会のあいさつでわざわざいったのですから間違いないでしょう)。政治家の会ならば、きっと参加者は500人といったでしょうが(笑)。

加藤さんと私との関係はいまさらいうまでもないでしょう。ただひとつだけ付け加えるとすれば、加藤さんの実家が放火された翌日の8月16日、私は鶴岡市に火事見舞いにまいりまして、そのとき、加藤さんといろいろな話をしました。それからもう3ヶ月もたっているので、あの事件のことをいまどのように考えておられるのか、ちょっと聴きたかったのです。

佐高さんとは、平成6年に自社さ政権を作る活動をしていたとき、なぜかよく一緒になりました。きわめて歯切れがよく、論点が鋭い人だなぁーと、感心しました。そんな関係で、佐高さんが書いたものを目にするとよく読んでいました。いつの時代にも「毒舌家」と呼ばれる人がいるものですが、氏は当世随一の毒舌家といっていいでしょう。佐高さんが、このテーマについてどのような切り口で話をするのか、ぜひ聴きたいとも思っていました。

鳥越さんとは、実は毎日会っています。朝の報道番組は、テレビ朝日の『スーパーモーニング』を見ています。同じ時間帯に他局の報道番組もありますが、これが出色だと思っています。鳥越さんは、毎日出ています。最近では報道番組もすっかりオチャラケになってしまいましたが、その中で鳥越さんからはジャーナリストとしてなんとか頑張りたいという矜持が伝わってきます。ですから、鳥越さんがどういうのか、特に注意して聴いています。それで、毎日会っているような気がするのです(笑)。この際、ぜひ直接話を聴いてみたいと思いました。かつて何度か取材を受けたような気もするのですが、その関係ではそんなに深い付き合いがあったとはいえません。
2.

こういう会合に、一聴衆として参加しようと思い、また実際に参加したのは、実に久々です。いや、この数十年なかったといってよいでしょう。こういう会合は、主催者するか、講演者かパネリストとして参加する対象でした。やはり、私は特殊な人間だったのだと思います。もちろん少人数の会だったら、3人にご挨拶くらいはさせていただくつもりでした。しかし、今回はそれはどっちでもよかったのです。殊勝にも純粋に話を聴きたいと思っていました (笑)。

入り口から入って、私は後ろから3分の2くらいの席に座りました。かなり距離はあったのですが、3人を非常に近くに感じました。これはビックリしました。この夏、神宮球場で生まれて初めてプロ野球を外野席で観戦しました。巨人・ヤクルト戦です。こちらの方はぜんぜん別でした。バッターボックスの選手の表情はもちろんですが、試合を見ているという感じがまったく起きません。「代打、オレ!」の古田監督も見どころなんですが、古田監督がいったい何処にいるのかさえ分かりません。

シンポジュウムが終ったのは、午後9時前でした。ですから、遅れて入った時間からでもきっちり2時間はありました。3人がほとんど規則正しく、順番に5〜8分くらいずつ話をしました。それぞれ、7、8回は発言されていたでしょう。日本ではなぜかこうなるんですね。それぞれが、なかなか含蓄のある面白い話でした。このシンポジュウムの全体を紹介するのが本稿の目的でもありませんし、私の任務でもありません。いずれ、どこかの Webサイトで発表されるかもしれませんから、そちらを見て下さい。昔からノートをとるというのは、私は苦手なのです。
3.

ですから、3人の話の中で、印象に残ったことをそれぞれいくつかずつ紹介します。これもかなりいい加減かも知れません。人間は、興味があると思った瞬間から、自分なりの言葉で整理して記憶しているのかも知れないからです。

[鳥越]
1. 加藤さんの自宅に対する放火事件は、本来なら今年の重大ニュースのかなり上の方にランクしなけばならない事件だと思う。しかし、マスコミはそのように報道してこなかった。こういう問題に、マスコミ自体が鈍感になっている。
2. 夏休み中とはいえ、小泉首相からも安倍官房長官からも、放火事件について積極的コメントは発せられなかった。記者団にいわれて初めて「聞かれなかったから、言わなかった」と小泉首相はいったが、そういう問題ではないだろう。夏休みであっても、官房長官はオフではなかった。官房長官は、内閣のスポークスマンだ。内閣として、ちゃんとした声明を出す必要があった。
3. この国は、これまで超えてはならないとされてきた線を、平気で踏んでもいいんだということになってきた。それはかなり危険であり、怖い。
4. 報道番組でも分・秒単位の視聴率が、翌日には出てくる。視聴率が稼げないニュースは、大事だと思っても追っかけて報道できなくなってしまう。マスコミが悪いのか、国民が悪のか、それは問わない。でも結論的にいえば、国民のレベル以上のマスコミをその国民は持つことはできない。

[佐高]
1. 森・小泉・安倍と保守右派の政権が3代続いた。これは、自民党の歴史にはなかったことである。ウルトラ右派の安倍を何となく支持する国民・自民党になったというのが、わが国の政治の現状である。
2. かつては隅っこの方で小さな声で発言してきたのが、日本の右翼・民族派だった。ところが、マスコミなどで○○大学教授とかいう権威ある人が、堂々と右翼的言動をいうようになったので、既成の右翼は、これを超えなければ存在を示すことができなくなった。今回の放火事件は、そんなところに原因があるのだと思う。
3. 田中内閣の時にできた青嵐会の隅っこにいたのが、森喜朗・石原慎太郎・浜田幸一であった。石原さんは都知事、ハマコーはいまやテレビの常連。もう何もいいたくない気になる。

[加藤]
1. 『中央公論』や『世界』などが全盛時代のとき、文芸春秋などでほそぼそと発言してきた人たちが、それまでの 鬱憤 ( うっぷん ) を晴らすために攻撃しているのだと思う。要するに、社会主義や、それと同じようにみられるものに対しての反撃なのである。ソ連が崩壊したことが、この人たちを元気にしている。
2. 中選挙区時代の自民党の政治家は、本当に凄くまた強かった。中選挙区の下では、最低12〜15%あれば当選できた。その地盤培養のためにお金がかかり、不祥事も起こったが…。だから、環境の専門家や福祉の専門家などが育った。強い後援会さえあれば、怖いものはなかった。
3. 小選挙区で当選するためには、少なくとも65%くらいの有権者に支持されることを言わなければならない。その中で個性的なことをいうことは、ほとんど不可能に近いことです。これが他人と違うことをいえない政治家を作ってしまった。私が靖国問題でああした発言ができるのも、強い後援会があるからです。
4. アメリカの中間選挙の結果で、日本の政治も必ず変わります。だから、足場をしっかり守って頑張りましょう。最近、糸の切れた凧のような人々が多くなってきたような気がする。ですから、何かとしっかりとつながっていなければならない。家族とのつながり・友人とのつながり・地域とのつながり ─ なんでもいいですから、そういうものを大切にしなければならない。
4.

9時ちょっと前に、シンポジュウムは終りました。大きな会場でしたから、挨拶を交わすことはできなかったし、またするつもりもありませんでした(控え室にいけばお会いすることはできたと思いますが)。まず私がしなければならないことは、タバコを吸うことです。男性の喫煙率が50% をきったようですが、私はまだやめられません。玄関の入り口にある喫煙所で、いい気分で紫煙を燻らせていました。懐かしい表現ですね(笑)。すると、私たちの出口とは違う出口から鳥越さんが出てきました。私はもちろんすぐ分かったのですが、鳥越さんも私を認識したらしく笑顔で私の方に歩いてきました。

「いつもテレビで見てますよ」とご挨拶したら、「白川さんが来ていると、いま皆んなで話していたんですよ。お元気ですか」と話しかけてくれました。「はい。ようやく元気になりました。Webサイトを再開しましたので、ときどき見て下さい」といって名刺を渡したところ、「私も、インターネット新聞をやっていますから見て下さい」といって名刺を下さいました。OhmyNewsというんだそうです。
「インターネットを見て感じることなんですが、いいことをいっている人は結構多いのですが、どうもインターネットの世界・自分の中に閉じ篭っちゃっている。やはり、今日のように実際に会わないとダメですね。今日は本当に良かったですよ。これからもどんどんやって下さい」
「そうなんです。やはりインターネットの匿名性というのが質を下げていますね」
などと話していると、今度は別の出口の方から佐高さんが歩いてきました。

佐高さんも「白川さん、元気にしてますか」と声をかけてくれました。私も「佐高さんが経済評論家とは知りませんでした。政治評論家とばっかり思っていました(これ、ホントのことです。今日のシンポジュウムの垂紙に経済評論家と書いてあったのです)」。佐高さんは、大声で笑っていました。政治評論などという馬鹿らしいことをやっていられるかというような風情でした。

久々にお会いしたので名刺をお渡しし、「最近またWebサイトで少しずつ書き始めましたので、見て下さい」といったところ、「私、インターネットはダメなんです。あいかわらず手で書いているんです」といいながら名刺をいただきました。
週刊金曜日 代表取締役社長・編集委員 佐高 信(さかた まこと)
とありました。『週刊金曜日』に関係していることは知っていましたが、その社長とは … これも初めて知りました。さすが経済評論家。経済評論家がやっているのですから、経営も大丈夫でしょう。でも、これからは私も買うことにします。

少し遅れて、今度は加藤さんが鳥越さんが出たところから来ました。談笑している私たちをみて「おぉ、元気か。それにしてもずいぶん締まったなぁー」と声をかけて下さいました。「はい。この前お会いした時から、10キロ痩せたんです。どうしても先生にお聴きしたいことがありますので、今度お訪ねます」「ああ、待っているよ」ということで別れました。

3人ともほんの数分ずつでしたが、ちょっとした挨拶以上のことができました。3人とこうして話しできたことは、正直にいってたいへん嬉しかったです。シンポジュウムにきて良かったと思いました。3人とも、いまや数少なくなった質の高い論客です。ご活躍をお祈りします。
5.

一聴衆として関心のあることが、実は二つだけありました。一つは、昨日総務大臣がNHKに対して出した放送命令のことです。それに対してどういうのか聴きたかったのですが、この話はまったくでませんでした。長くなったので詳論は避けますが、私も郵政関係の仕事を長くやってきましたので、関心のある問題です。

放送法33条1項には、確かに「総務大臣はNHKに対して、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命」ずることができるとあります。これまでは編集の自由への配慮から「時事」「国の重要な政策」「国際問題に対する政府の見解」などといった大枠のものでした。しかし、今回総務大臣は短波ラジオの国際放送の報道などで、北朝鮮による日本人拉致問題を重点的に扱うよう命令したのです。

今回の放送命令を出すことについて総務大臣から諮問をうけた電波監理審議会は、11月8日「(内閣)が拉致問題を最重要課題として推進することになったことに伴う変更であり、適当だ」と答申しました。一方で、実際の運用では「従前と同様、NHKの編集の自由に配慮した制度の運用が適当である」と総務大臣に求めたといいます。分かったような分からないような答申ですね。総務大臣は、命令をした目的について「北朝鮮の幹部もラジオを聞いている。拉致問題の解決が日本の最重要課題だということを彼らに示す必要がある」と述べたといいます。

国際放送に対するNHKの予算は今年度85億円で、これに対する国の交付金は22億5000万円です。この国費投入の見返りに、この命令権限が総務大臣に与えられているのです。放送命令のことを私は知っていましたが、あまり深く勉強したことはありません。また、これまであまり問題になったこともありません。ただ、私はおおむね次のように理解していました。
1. わが国に対する理解を深め、またわが国の基本的な外交政策などを他国に理解してもらうという政府広報的な役割を持つ放送をすること。
2. 外国で生活する日本人のために便宜としての放送をすること。
3. 国際情勢が緊迫し、その地域で生活・滞在している日本人の生命・自由・財産などを保護ために、その地域にいる日本人に対して必要な情報などを緊急に伝えることを目的とする放送をすること。

特に放送命令を出す必要があるのは、3の場合です。この場合は、編集の自由などということはあまり問題にならないはずです。内容も具体的になりますし、放送する区域も限定的なります。本来、放送命令とは、こうしたものを想定しているのだと私は考えます。これに対して異論を唱える人は、そんなにいないと思います。

「北朝鮮の幹部もラジオを聞いている。拉致問題の解決が日本の最重要課題だということを彼らに示す必要がある」と命令されたNHKは、いったい何をすればいいのでしょうか。NHKは「これまでも手厚く報じてきたのに、なぜ命令なのか」と受けとめているそうですし、橋本NHK 会長も命令を受けた後、「これまでどおり放送の自主・自立を堅持する」とコメントし、「放送の内容は何も変わらない」と受けとめているといいます。

そうすると、今回の放送命令はいったい何なのかという疑問が生じます。いったい誰がこんことをいいだしたのでしょうか? 総務省の役人か、それとも総務大臣などの政治家なのか、自民党なのか? どっちにしても、安倍首相に対するオベンチャラという気がしてなりません。ひょっとして、安倍首相自身だったりなんてことはないんでしょうなぁー(笑)。

前号で、郵政問題はつまるところ、通信の秘密をどう守るのかという問題なんだといいました。報道の自由をどう守るかということも、郵政省の大事な役目だったのです。郵政省には放送行政局というのがありました。郵政省そのものがなくなり、この問題を専門に扱う看板を掲げた部署がなくなったことは、今回のことに深く関係していると思います。

言論の自由ということに関しては、もうひとつ大事なことがあります。権力者にとって都合の悪い情報を国民からオフ・リミットするという動きですが、これは別の機会に書くことにします。それでは、また。
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道路特定財源の一般税化
掲載事実としての朝日新聞紙面

1.

森田サイトの『森田実の時代を斬る』をみたら、朝日新聞が<道路財源/政権の真価が問われる>と題する11月5日付の社説で道路特定財源の一般財源化を主張していることを激しく批判していた。問題の社説がこれである。

道路特定財源の一般財源化(以下、道路特定財源の一般化という)は、私が昔から付き合ってきた古いテーマである。道路特定財源の一般化を主張する人々は、実は昔からいたのである。旧大蔵省主計局の人間がいつもアッチコッチに火をつけていた問題なのである。そしてこの人たちの意を受けた人々が昔から道路特定財源の一般化を主張していた。大蔵省のいうことが一番正しいという信念(笑)をもっていた小泉純一郎氏などは、その急先鋒であった。問題の社説を丁寧に読んでみたが、従来からの一般財源化賛成の主張に特に新しい論拠を付け加えるものはなかった。

しかし、大蔵省には主税局もあった。主計局がどんなに道路特定財源の一般化を主張しても、税を預かる立場から主税局はこの主張を支持しなかった。別に縄張り争いからではないと思う。税の理屈としてこれを支持しなかった。いや支持できなかったのだと思う。民主主義国家においては、税はもっともシビアに議論されなければならないものである。いい加減な議論では議会を通すことはできない。下手をすれば、内閣がぶっ飛ぶこともままある。だから、主税局としては同じ大蔵省の仲間であっても、いい加減なことには与することはできないのである。

税制を変えるには、もう一つのハードルがあった。自民党の税制調査会である。税を変えるにはこの承認を得なければ絶対にできなかった。政権与党の調査会であるから、その権限は絶対であった。ここには山中貞則・村山達雄などという税の本当の専門家がいた。年末に開かれるこの税制調査会で、年中行事のように大蔵族の小泉氏などが道路特定財源の一般化を主張するのだが、「なに馬鹿なことをいっているんだ」という雰囲気でこの人たちから相手にされなかった。これは、道路族といわれる人たちの反対とは違うのである。税の理屈としての反対なのである。
2.

私は、郵政政務次官などをやった関係で郵政族とみなされていたし、郵政省関係の政策を実現するために活動したことは事実である。だから郵政族といわれても一向に構わない。しかし、私は国会議員となって最初の10年くらいはずーと大蔵委員会に所属していた。もちろん大蔵省が所管する予算・税制・金融などについて勉強したかったからである。

当時の大蔵委員会には、小泉氏もいたが山中氏も村山氏もいた。大蔵委員会というのはメッチャクチャ審議時間が多い委員会なのである。だから小泉氏はもちろんであるが、親子ほど歳の違う山中氏や村山氏とも話す機会が多くあった。大蔵族のボスである山中氏や村山氏からみれば、当時の小泉氏などはまだ小河童という存在であった。そんな関係で、主計局の役人からレクチャーをうける機会が多かった。同時に主税局の役人からもレクチャーをうける機会も多かった。道路特定財源の一般化を主張する主計局の意見に、賛成する気にはどうしてもなれなかった。理屈として通らないからである。議員として世話にならなければならないのは予算を持っている主計局なのであるが…。

そんな関係で、道路特定財源の一般化について、私は自分なりの考えをもっていた。だから、小泉氏が総理大臣になってこの問題に触れたとき、また例の病気がはじまったなぁーと思った。ところがマスコミや世間の反応は私にとっては全く意外なものであった。これを改革として捉え、支持するものが多かったからである。80%を超えるの異常な支持率のなせる業なのであろう。小泉フィバーの熱気に圧され、みな冷静な議論をすることができなかったのである。

そんな中で、私は永田町徒然草でこの問題を取り上げた。No.154と155である。時期は、2001年5月。ここで述べたことはいまもまったく変わらない。ただ、一点だけ付け加えるとすれば、道路整備は現時点ではある程度その目的の水準に達したので、今後の道路整備はそのペースを少し落としても良いだろう。従って、道路特定財源となっているガソリン税などの各税は、その税率を直ちに引き下げるべきと考えているのである。
3.

道路特定財源をどうするかということは、実はひとつの税をどうするという問題にとどまらない議論を含んでいる。税額が5.8兆円と額が大きいこともさることながら、税とは一体何ぞやという問題を含んでいる。道路特定財源となっている各税は、確か、税法上は厳格な意味での目的税ではなかったと記憶している。しかし、この数十年間の運用は、事実上の目的税であった。また、そうでなければ、これだけ高い税率はとうてい維持できなかったと思う。

いまある税だから、せっかく不満もなく貰っている税だから、これを使わしてもらおうというのは、まったく官僚的な発想といわなければならない。税金は、国民が何らのサービスを期待して支払うものなのである。国や地方自治体が納税者の期待に添うサービスをしないのなら、これを払わないという緊張関係が民主主義国家には必要なのである。もちろん、一般の税金 ─ 例えば所得税・法人税・消費税・相続税などは、税とサービスとの関係がきわめて一般的・総体的になるのだが、その緊張関係は選挙の投票行動によって示されるといえる。目的税となると、この緊張関係は、当然のことながらきわめて具体的になる。

こうした緊張関係の強弱というのが、実は民主主義の成熟度合を示すものだと私は思う。消費税などが議論されるときによく引き合いに出されるのが、ヨーロッパなどでは税率が10数%とか、20数%であるということである。だから、日本の消費税の税率は引き上げられて当然といいたいのだろうが、それこそ牽強付会(自分の都合のよいように無理に理屈をこじつけること)というものである。ヨーロッパの国々で10数%から20数%の付加価値税があるのは、国民と政府の間にこれを是認するだけの信頼関係があることを忘れてはならない。わが国では、残念ながらこの信頼関係がない。このことを、消費税率の引き上げを主張する人々は肝に銘じなければならない。

数年前、ある会社がリストラをすると、それだけで株価が上がった。日本の企業はリストラすることによって立ち直ったといわれている。それが日本経済を立ち直させたのだのだとも主張する。こう主張する人々が消費税率の引き上げを当然のことのように主張する。消費税を引き上げたいと思うのならば、わが国の政府のリストラをまずしなければならない。行政機構のリストラをせずに株価(税金)を上げようとしても、それは株主(国民)の納得するものとはならない。

ひとつの税金を上げるかどうかで、内閣がぶっ飛ぶことはままあることである。税金とは本来それだけシビアなものである。所得税であろうが消費税であろうが、5.8兆円もの税金を新たに国民に負担してもらおうとすれば、ひとつの内閣の首を賭けなけばならない重大事なのである。それが怖いからといって、道路特定財源という税金を何とかしようというのは、姑息なことである。フェアーなことではない。こういうことをすれば、国民と政府との信頼関係は崩れる。少なくとも国民と政府と健全な信頼関係は決して構築されない。安倍政権の真価が問われるのは、安倍首相が税に対する正しい認識をもっているかどうかなのである。このような認識をもっていない場合、安倍政権は民主主義的でないという烙印を押されても仕方がないと思う。

朝日新聞は、右翼陣営から左翼的であると目の敵にされている新聞である。左翼的な陣営、リベラルな人々は、朝日新聞にシンパシーをもっている人々が多い。その朝日新聞が道路特定財源を一般化せよ、そこに改革内閣であるかどうかの真価が問われると主張する。この効果は絶大である。だが、そんなことは改革でも何でもない。森田氏が「道路特定財源をそのまま一般財源化するのは、法の精神を踏みにじるものである。国家は納税者を欺いてはならない。もしも、道路整備が完了したというのであれば、道路特定財源そのものを廃止すべきである。横取りは罪である。「朝日新聞は財務省の手先か!? 」と厳しく迫るのは当然である。
4.

安倍首相が道路特定財源の一般化を具体的なテーマとするかどうかは、いまのところ分からない。しかし、その可能性は十分ある。こうした動きが出てきたとき国民が適切な行動をとることができるように、いまあえてこの問題を取り上げたのである。諸兄におかれても、いまからこの問題をいろいろな面から検討していただきたい。

「(公明党が)自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形態と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。」

創価学会・公明党の出版妨害事件で有名になった藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』にある一節である。「自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ」などいいえて妙な表現であるばかりでなく、まさに現在の政治状況を喝破しているではないか。優れた人の慧眼とは、こういうことを指す言葉なのであろう。かつては、こういう人が政治評論家としてテレビに出演していたのである。藤原氏が定期的に出演していた『時事放談』などは、数少ない政治番組のひとつであった。最近では政治番組が多くなった。それはいいことなのであるが、その質の低下と中身に私はときどき目と耳を覆いたくなる。

「(奇妙な癒着関係ができ)保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる」。現在の政治状況は、まさにそのような状態といってもいいだろう。藤原氏が警鐘をならした「アウト」の状況なのである。それにしては、政治家もジャーナリズムもこうした危機感を持っているのだろうか。それとももう屈服してしまったのだろうか。そうでないことを心から期待する。

この永田町徒然草の更新再開を決めたとき、もっとマイルドなものから書き始めようと思っていた。しかし、実際に書き始めてみると、そうノンビリしたことを書いてはいられなくなった。森田実氏ほど激しい言葉こそ使い果せないが、問題意識も危機感もまったく氏と同じである。私は私の立場で、私の意見をどんどん発信していこうと思っている。読者の何がしかの参考になれば幸いである。でも、時々はノンビリしたものも書きたいと思いる。その時はお許しいただきたい。なお、「自薦論文集」なるページを作り、思いあるところを一覧できるようにした。これから論じなければならないテーマは数多くあり、それらを一気に書くことはできないので、これまでに発表した文章の中で、今日でも参考になると思われるものをまとめてみた。興味ある文だけで結構。ご一読願いたい。

それでは、また。

http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezure/tsurezure.html

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