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[芸術の評価]“アートな1日”で知った「美しい国」の“欺瞞と醜悪”
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2006 年 11 月 25 日 23:28:33: YqqS.BdzuYk56
 

[芸術の評価]“アートな1日”で知った「美しい国」の“欺瞞と醜悪”

11月23日(勤労感謝の日)は、美術館巡り(国立西洋美術館、江戸東京博物館)と映画(bunkamuraル・シネマ2)で“アートな1日”を過ごしましたが、今更ながら驚いたことがあります。それは、この“アートな1日”から、やはり「美しい国」というプロパガンダ一色に覆われた今の日本が“巧妙にカムフラージュされた第二次世界大戦前のファシズム体制への回帰のプロセス”であり、そこで行われているのが“実は多くの善良な国民層の真の期待に背く、欺瞞に満ちた政治手法(=暴政)である”ことが見えてきたことです。

<注>お手数ですが、各画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061125


[ベルギー王立美術館展] 国立西洋美術館(主催:読売新聞社、国立西洋美術館、ベルギー王立美術館)

●なお、この部分については関連記事[toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブラッセル編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060827]も参照乞う。

【点景、上野公園】
f:id:toxandoria:20061125225936j:image

【ピーテル・ブリューゲル(?) 『イカロスの墜落』】
f:id:toxandoria:20061125230528j:image

Pieter d. A.Brueghel(the Elder/ca1528-1569):Landscape with the Fall of Icarus、c. 1558 (180 Kb); Oil on canvas, mounted on wood, 73.5 x 112 cm; Musees royaux des Beaux-Arts de Belgique, Brussels

・・・この絵の大きな画像は次のURLで確認乞う。http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/bruegel/icarus.jpg

今回の[ベルギー王立美術館展](公式HP、http://www.enjoytokyo.jp/TK/TK060901_belgium.html)では、約20,000点の数を誇る膨大なコレクションの中から選りすぐりの109点が展示されています。 

・・・以下は、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060827からの抜粋/ベルギー王立美術館の概要・・・

ベルギー王立美術館の所蔵案内によると、同美術館は歴史上の妙な巡り合わせから、仏ナポレオンの文化政策を発端として設置されました。ナポレオンの新生フランスは、1794年、最終的にオーストリアを南ネーデルラントから一掃します。ナポレオンはルーブル美術館の所蔵を増やすため、1801年にベルギー美術館設立の政令を発布しましたが、この時、ベルギーでフランスの財産に新たに加えられた宗教芸術などの宝庫の中から、数々の傑作を選出して270の作品がフランスへ送られました。

しかし、その4年後にブラッセルの美術学院院長、ギオーム・ジャック・ヨゼフ・ポシャートはフランス共和国美術作品選定委員会が棄却した1,500点の作品の中から約100点を選出して、これをブラッセルの古典美術館の所蔵とし、かつてシャルル・ドウ・ロレーヌ城のあった所に第一次古典美術館を設立して彼自身が初代館長として就任します。つまり、現在のベルギー王立美術館は、それ以来の長い歴史と伝統を持つ美術館ということであり、それは古典美術館と近代美術館という二つの部門から構成されています。そのコレクションは15世紀から20世紀までの広範囲に及び、ベルギー絵画の豊かな伝統と多様性を余すところなく伝えています。現在の収蔵点数は約20,000点にのぼり、ベルギー王国を代表する世界でも屈指の規模を誇る美術館です。

・・・ここで、<抜粋>終わり・・・

今夏のフランドル旅行で実際に訪ねた時には、配分した時間上の制約があるため、その巨大な美術館(元は王宮の一つ)のスケールと展示点数の余りの多さに圧倒されましたが、今回の展示では作品が、ごく限られた代表作に絞られているので、却って作品の一つひとつをジックリ鑑賞できました。

長らく“好んで農夫を描く農民画家”のレーベルを貼られてきたピーテル・ブリューゲル(父)の評価が、20世紀に入ってから変わり始めた切欠の一つと目されるのが今回の東京展の目玉でもある『イカロスの墜落』です。更に、この作品は同美術館などによる最近の実証的研究によって、この作品が「ピーテル・ブリューゲル(父)の作品であるかどうかに疑問符がつく事態となっています。

それはともかくとして、主にアントワープとブラッセルで活躍したピーテル・ブリューゲル(父)が当時としては格段の知識人であり、彼の絵には社会的な矛盾や時の暴政の真相(スペイン帝国によるフランドルへの圧制)を暴き、それをリアルに伝えようという意志が隠れていることが広く認められつつあります。

ところで、今回、改めてこの『イカロスの墜落』を観て気づいたことがあります。ピーテル・ブリューゲル(父)の初期の作品、例えば『狂女フリート』などは明らかにボッスの影響を受けており、幻想的かつ悪魔的で「奇怪な世界の風景」を描いています。そして、その絵の地平で赤々と燃え盛るような空の色はフェリペ2世による「スペイン帝国の圧政がもたらす残酷な戦争」を象徴しています。

15世紀後半からフランドル地方の支配者はブルゴーニュ公家からハプスブルグ家へ変わりますが、特に、16世紀前半に父カール5世からこの地方の統治を引き継いだスペイン王フェリペ2世の中央集権的で強権的な支配と新教徒への弾圧は過酷を極めました。一方で、そもそも、このフランドル地方には、13世紀頃からの自治都市の伝統があり、ヨーロッパにおける二大交易圏(フランドル、北イタリア)の一つとして、近代資本主義経済の土壌を準備しつつあったのです。

中でも、16世紀前半のアントワープにはヨーロッパ中から貿易商人たちが集まっており、南ドイツのフッガー家、ウエルザー家らの大商人や金融業者たち、あるいはメディチ家など北イタリア諸都市の金融業者らの支店や代理店が立地し、ヨーロッパはもとよりアフリカや中東方面からやってきたムーアやアラビアの商人たちも加わり大変な賑わいぶりを見せていました。ピーテル・ブリューゲル(父)が生きた時代は、このように「圧政・抵抗・戦争・内乱」と「グローバリズム経済の急速な進展」という二つの異なる顔を見せる激しい時代でした。

『イカロスの墜落』の上半分の左奥には繁栄する自治都市(恐らくアントワープ)が見えており、右手の中央には活発な交易経済(グローバル市場経済)を象徴する大きな帆船が描かれています。しかし、この画面は右下がりの対角線によって上下にハッキリと分かれており、画面の左半分(下)を占めるのは牧歌的な田園風景です。そこでは、本来、グローバリズム経済とは無関係な農夫の日常の仕事の風景が描かれています。ここの主役たる、大きく描かれた農夫は農作業に夢中でイカロスが海中に落ちた水音など聞こえていないようです。

中央に小さく描かれた羊飼いも、墜落して海に堕ちたイカロスと反対側の空をポカーンとした表情で見上げていますが、彼は何を見ているのでしょうか? この『イカロスの墜落』の大きな謎とされる、もう一つは肝心のダエダルス(自分の息子・イカロスに空を飛ぶよう誘った、自らの傲慢さに気がつかない愚かな父親)が何処にも描かれていないことがあります。しかも、この絵の全体には不思議な静寂と一種独特の清浄さというか、なぜか“殊更に清潔な空気”が漂っています。また、解像度の関係からネット上の画像では見えませんが、実際の絵では「大きな農夫」が進む先の木陰に横たわる人間(死体)の頭部のようなものが見えています。このため、この『イカロスの墜落』のモチーフは中世的な“メメント・モリ”(死を忘れるな)の教訓だという解釈が今までは優勢でした。

ところが、近年の赤外線写真を使った調査・分析の結果、実はこの“人間の頭部のようなもの”が死体の頭部などでは毛頭なく、なんと“今まさに用を足そうとする農夫のお尻である”ことが分かったのです(同展示会場で頒布された図録の解説による/同解説書、p10)。このため、この絵の謎はますます深まるばかりとなっています。

美術史上の専門的解釈はともかくとして、“殊更な『美しいモノ(そして美しい国)の標榜』には気をつけろ!”という教訓が、この絵には隠れているようです。つまり、グローバル市場経済の豊かな実りと果実を庶民のためではなく、政治権力者たちは、しばしば、自らの子々孫々の持続的繁栄のための肥料(こやし)にしようとする本当の意図を隠すために、このような「美しい国」の絵を好むものだということです。それは、まるで「美しい国」というコトバの標榜で“経営側に過剰に傾斜し過ぎた労働分配率”と“国家の手足となる戦いも厭わぬ従順で善良な国民を育成するための教育改革の意図”(つまり、実質的な愛国者法)をカムフラージュしようとする「昨今の日本の政治手法」を予告するような絵と見做すことができそうです。

つまり、その「美しい国・ニッポンの絵」をよく分析・調査してみると“今まさに用を足そうとする醜い農夫(見たくもないが!)の毛の生えた醜く汚いお尻”が見えてくるのです。我われは、「おセレブな小泉政権→美しい安倍政権」に引き継がれた“靖国を願い、潔(いさぎよ)くも美しい国・ニッポン”という欺瞞に満ちた“エセ理想(追憶のカルトを実現するためのファシズム体制への望郷)”が実(まこと)しやかに語られる今こそ、このように冷徹な「リアリズム」の眼を取り戻す(見たくもないという弱気に打ち勝って!)べきです。

例えば、現代の日本では、次のような出来事の中に、この“毛の生えた醜い農夫のお尻”(=小泉元首相、安倍首相らのホンネ)を見ることができます。(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/e5127179b99ee6a5c28231349ab9f581より部分転載)

『22日と24日の毎日新聞によると、共謀罪の審議について法務委員会の理事会のレベルではっきりとした動きが出てきた。22日の衆院法務委員会理事会で与党理事の早川忠孝氏が「共謀罪法案の審議に速やかに入りたい」と主張した。これに対し、平岡秀夫議員(民主)らは、米国が国際組織犯罪防止条約を批准した際に共謀罪に関する規定を留保したことを政府が隠していたとして、「審議の条件が整っていない」と反発したという。激しい議論になったが、与党側が「正式な提案ではない」としたため、結論は先送りされた。衆院法務委員会は24日、理事会で今後の審議日程を協議した。自民党の複数の理事が、共謀罪を創設する組織犯罪処罰法改正案の審議入りを主張したが、野党側は強く反発した。』


[江戸の誘惑、ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展](主催:財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京博物館、ボストン美術館、朝日新聞社)

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『江戸の誘惑』の公式HPはコチラ → http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2006/1021/200610.html
江戸時代の浮世絵師(葛飾北斎、喜多川歌麿など)が描いた肉筆画(ボストン美術館所蔵)の名品が両国の江戸東京博物館で展示されているのを観てきました。これらは、明治期にボストン美術館の理事を務めた医師、ウイリアム・ビゲロー(William S. Bigelow/1850‐1926)が集めたものです。

『江戸の誘惑』を企画した朝日新聞の別刷特集・記事の記述には次のように説明してあります。・・・絵画である肉筆画は、版画のように別の職人による彫りや摺りの工程が入らない。そのため、絵師の筆の運びや繊細な色彩感覚が直接、作品に繁栄されている。晩年の北斎が肉筆画にほぼ専念したように、肉筆画こそ、絵師として存分にその真価を発揮できる場だったと言える。

確かに、浮世絵師による江戸の空気が香り立つような肉筆画の迫力はすばらしいものでした。それにしても、何故にこれほどの江戸文化を代表する日本の名画が悉く外国へ流出したのでしょうか? ある意味では、幕末〜明治の混乱期にこれらを含む日本文化の名品の多くが欧米のコレクターらの手に渡ったことは、日本文化の保護に役立ったと言えるかも知れません。

アメリカのジャポニスム(日本趣味、日本文化への憧れ)は、19世紀後半からほぼ100年にわたって展開され、その中心となったのがボストン美術館を中心とする日本美術の研究と収集活動であり、この活動は明治初期から中期にかけて来日したE. S. モース、フェノロサ、ビゲロー、ラ・ファージ、フリーアらによって推進されます。そして、その収集物はボストン美術館やフリーア美術館(http://www.asia.si.edu/)の日本美術コレクションの基幹となり、これら一連の展開の陰には岡倉天心の活動があったとされています。しかし、コトはそう単純ではなさそうです。

祭政一致を目指した明治政府は、王政復古を契機として神社を国家統合の機関にしようと考えます。そして、天皇の権柄(政治支配の権力)を正当化するための根拠を「記紀神話」に求めて、神道だけが唯一の国教として正当化されました。そして、明治初め頃に行われたカルト的な蛮行ともいうべき政策が「廃仏毀釈」(仏教、つまり釈迦の教えを根底から否定すること)です。これは、明治元年に出された「神仏分離令」を切欠として、旧弊打破と王政復古の風潮と機運が一体化した一種の社会改革運動でもあるかのような装いで(実は明治政府の巧みなプロパガンダに国民の多くが乗せられて)広まり、その結果、多くの寺院や仏像が焼棄され、あるいは売却されたのです。

そして、明治2年には後に靖国神社と改称される招魂社が創建されたことは周知のとおりです。この時代に行われたことは、今風に言えば“日本の構造改革による、新しい時代に相応しい「美しい国」の創建”ということです。しかし、これが「追憶のカルト一派」による日本ファシズム化への入り口であったことは、その後の太平洋戦争(第二次世界大戦)への日本の軍国主義への歴史が語るとおりです。しかも、このような時に日本の独自性と優越性(ヤマト民族の優秀さ)を国体(天皇中心の国家の枠組み)に求める論理が、実は、江戸幕府が対外的なレジティマシー(正統性/legitimacy)を意識して、特に中国を強く意識して創作したものであることが分っています。ここで「追憶のカルト一派」が悪辣なのは、本来は「国体」などと無関係であった本居宣長らの国学研究の成果を無理やりこじつけて都合が良いように利用したことです。このことは、今も日本の右傾化の推進に大きな悪影響を与え続けています。

ともかくも、このような日本文化に対する一種のマゾヒスティック(自虐的)で作為的な廃棄の意志が『江戸の誘惑』に見られるような第一級の日本文化の海外への流出を促したことについては否定の余地がありません。このことは、あまり日本人一般に意識されていないようですが、現在の日本の右傾化傾向を考えるときに無視できない重要なポイントになります。また、この点が理解できると日本の近・現代史が“自虐史観だ!”などという「新しい歴史教科書をつくる会」の主張はナンセンスな屁理屈であることが分ります。実は、彼らの信念(思想?)の根本にあるものこそが“自虐史観”(マゾヒズム)だったのです。


[映画、上海の伯爵夫人] 渋谷bunkamuraル・シネマ2

f:id:toxandoria:20061125230957j:image
(C)Merchant Ivory Productions/WISEPOLICY and TOHO-TOWA、公式ホームページ、http://www.wisepolicy.com/thewhitecountess/ 
映画『上海の伯爵夫人』はBunkamuraル・シネマ2他にて全国拡大ロードショー中。

●なお、この部分については関連記事[toxandoriaの日記/安倍政権内における“皇道派と統制派の暗闘”を許す「メディアと民度」の劣化、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031]も参照乞う。

(点景、“ル・シネマ2”周辺)
f:id:toxandoria:20061125231101j:imagef:id:toxandoria:20061125231120j:image
 
この映画を観て驚いたことがあります。それは、この映画が感動の「ラブロマンス」であるとともに、見事な「反戦映画」であったからです。恐らく、この「反戦映画」の側面を強くアピールする宣伝では集客が困難になるとの判断があったかも知れません。

無論、『上海の伯爵夫人』の脚本は、あのブッカー賞に輝く英国文学の名手、カズオ・イシグロの書き下ろしであり、名匠ジェームズ・アイヴォリー監督の感動的で風格ある文芸作品です。そして、ここでもアイヴォリー映画の主人公たちは“たとえ彼らがどのような星の下にあるとしても、常にひた向きに、誠実に自分の目前のリアリティーを凝視し、いつでも相手や周囲に対して十分過ぎるほどの思いやりを持つことができる強い人間として生き続ける”のです。

しかも、この『上海の伯爵夫人』を観た後には、主人公たちのひた向きな生き方への感動とともに「戦争の恐ろしさ・愚かさ、そして戦争へのめりこむ追憶のカルト一派のバカバカしさ」が深く強烈な印象として心に残ります。“平和だ! 平和だ! 平和だ!”と百万回叫ぶより、この映画の鑑賞が人々の心へ与える影響の方が遥かに大きいと思われます。そのような意味で、これは素晴しい映画だと思いました。

ラストシーンに近い場面(この映画の舞台は1936年、つまり南京大虐殺が起こる1年前の上海)ですが、主人公ジャクソン(レイフ・ファインズ/国際連盟で活躍した米国の元外交官だが不幸な運命の悪戯で妻子を亡くし、自らは盲目となっている)を日本軍の砲撃から救おうと訪れたマツダ(真田広之/日本のスパイ)がジャクソンから断られた時にマツダが残す言葉が脳裏に焼きつきます。『あなたは、本物の白い伯爵夫人(白い伯爵夫人(The White Countess)はジャクソンの夢が実現して出来た店(バー)/落ちぶれたロシア貴族である、伯爵夫人(ソフィア)を演ずるのはナターシャ・リチャードソン)とともに別の世界を築くべきだ、自分は日本が“美しい国”になることを信じて自分の任務を果たすだけだ・・・』(この映画のストーリー(概要)は[toxandoriaの日記/安倍政権内における“皇道派と統制派の暗闘”を許す「メディアと民度」の劣化、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031]を参照乞う)

当然のことながら、この映画が作られたのは2005年なので、2006年の日本で“美しい国”を標榜する安倍政権が誕生することなど知る由がありません。しかしながら、結果的に見て、カズオ・イシグロとジェームズ・アイヴォリーは見事に“今の右傾化しつつある日本”を見通していたようです。

なお、この映画のヒロイン(ソフィア)を演ずるナターシャ・リチャードソンの母親は英国の名女優のヴァネッサ・レッドグレイヴ(彼女はこの映画で、ソフィアの義母の姉オルガを演じている)です。彼女は、映画「ジュリア」でアカデミー助演賞を受賞し、舞台では2003年にユージン・オニールの「夜への長い航路」でトニー賞を受賞しています。また、彼女は反体制の闘士としても有名で、政治的発言やデモへの参加などでもよく知られています。欧米の映画や舞台芸術の懐は深いようです。

(参考URL)

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

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