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[暴政]イジメ社会の真相/議論無用の「アンケート脳」に馴らされた日本人
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2006 年 12 月 03 日 07:27:59: YqqS.BdzuYk56
 

[暴政]イジメ社会の真相/議論無用の「アンケート脳」に馴らされた日本人

■この記事は11月24日に観た『パウル・クレー展 創造の物語』(於、宮城県美術館)の印象を元に書いたものです。なお、この企画展示は北海道立美術館、川村美術館などで巡回されてきましたが、今は宮城県美術館で開催中です(この展覧会情報については、下記のURL(★)を参照乞う)。
http://www.pref.miyagi.jp/bijyutu/mmoa/ja/exhibition/20061017-s01-01.html
http://www.tokyo-np.co.jp/event/bi/klee2006/

<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061203

f:id:toxandoria:20061203072444j:image
【画像の解説】パウル・クレー『駱駝、リズミカルな木々の風景の中の』(展示No.48) Paul Klee(1897-1940) Camel (in a Rhythmic Landscape of Trees) 1920  oil and pen on chalk-primed gauze mounted on cardboard 48 x 42 cm ゥ VG Bild-Kunst, Bonn 2005(http://www.kunstsammlung.de/index.php?id=174&L=1

・・・ほぼ同時代に生きた抽象絵画の先駆者、ワシリー・カンディンスキー(Vassili Kndinskii/1866-1944)と比べれば、クレー芸術における色彩の開花と発展は遅く、彼のチェニジア旅行(1914)とエジプト旅行(1929)の体験まで待たなければなりません。この作品には、そのクレーがチェニジア旅行で初めて得た色彩と造形がもたらす心地よい音楽的なインスピレーションが感じられます。もっとも、音楽一家の環境で育ち、自らはヴァイオリン奏者でもあったクレーが北アフリカの明るく輝く太陽・自然・空気の中で、人間の根源から湧き出てくる自由な色彩とリズムの饗宴を発見するのは当然であったとも言えます(以下に、この絵を所蔵するノルトライン=ヴェストファーレン美術館のHPから、解説記事を原文のまま転載しておきます)。

His picture looks almost like a late memory of Klee's famous journey to Tunis, which he embarked on in August 1914 with Macke and Louis Moilliet. It immediately conjures up the tree-filled landscape of the title. In the midst of this rhythmic distribution of trees, we see a camel. The features of the landscape show through its body, connecting with it. The combination of dots and lines is reminiscent of musical notation. The allusion to music is strengthened by the rhythmic interplay of lines and forms. In the work of Paul Klee, who was himself an outstanding violinist, there are many correspondences to music, and in some works he was clearly inspired by the visual appearance on the page of musical scores or by individual symbols in musical notation.

・・・クレーはスイスのベルンで生まれ、ドイツのミュンヘンで画家として出発しました。パリを訪れたクレーは、ピカソ、ドローネー、アポリネールらと出会ってキュビスムの感化を受け、1920年代にはバウハウスで教授となり独自の造形理論を展開します。しかし、ヒトラーが首相となった1933年末、故郷スイスのベルンに逃れ、1940年に亡くなるまで、そこで制作を続けます。1925年には、パリのシュールレアリスム展に参加し、1929年のエジプト旅行は、その後の作品傾向に大きな転機をもたらしました。クレーの絵は独特の抒情詩的な美しさに満ちているため、時には『絵画詩』と呼ばれることもあります。

・・・なお、同じ抽象絵画であるカンディンスキーとクレーの主な違いは次の点にあります。30歳で画業に転じるためモスクワからミュンヘンに出たカンディンスキーが“パレット上の色彩の実験”である「物質と精神、形態と内容、線描運動とヴァルール(明暗・濃淡の色価)」などの対比から始まり、「霊的精神」や「倫理的共感覚」などの非西欧的なロゴスへ向かったことに対し、19歳の若さでベルン近郊の故郷からミュンヘンに出たクレーは、専ら、その表現意欲を「線描運動」と「ヴァルールの明暗」に向けていました。

・・・その後のクレーは、既述のとおり、チェニジアとエジプトへの旅行体験を糧として独特の抒情詩的な色彩とクレー流のシンボリックで魅力的な造形を発展させます。そして、これ以降のクレー芸術の根本には「光と闇」、「モノフォニー(単声)とポリフォニー(多声)」、「静止と循環」などのバロック的・音楽的・ゲーテ的な美意識、言い換えれば西欧の伝統精神に根ざした美意識を更に深める方へと向かって行きます。いずれにしても、カンディンスキーとクレーの両者に共通するのは、絵画手法の画期的な実験によって、ペーテル・ブリューゲル的な意味での“壮絶なリアリズム”の限界を打ち破り、「人間精神の自由を表現する新たな芸術ジャンル」である抽象絵画への道を開拓したということです。

・・・以下、本論・・・

現在の我が国では、メディアの十分なチェック機能が封印された状態(政治権力による恫喝、あるいは政治権力との馴れ合い、または自己規制による)で、また一般国民の間での十分な議論も不在のまま政権中枢に巣食った「追憶のカルト一派」(靖国参拝に拘る時代錯誤(アナクロニズム)の右派)の思惑どおりに「日本の更なる右傾化を推進するための“愛国法”的な法案」が次々と国会で議決されています(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061130)。

そこでは、“アンケート脳”化(詳しくは後述)した鵺(ぬえ)のような不可思議な政党、言い換えれば、大っぴらなカネ食い虫であること(巨額の政党助成金を受け取る)だけが取り柄の民主党という「野党の看板を掲げながら野党ならざる、まるで国会における太鼓もちのような無責任政党」が、連立与党との間の阿吽の呼吸で大政翼賛政治を先導し(暴政の片棒を担ぎ)ながら、その悪政をオーソライズする仕事を律儀に消化しています。

一方、今の世界では、一見すると「2001.9.11N.Y.テロ事件」の後遺症(全世界的な“大政翼賛やむなし”の緊急避難的で全身が毛羽立ってしまったような異常な感覚)を未だに、そのまま引きずっているかのように思う向きもありますが、この秋のアメリカ中間選挙でブッシュ政権を支える共和党が大敗したことは、漸く、ブッシュ政権の“根本的な誤り”(驚くべきことに、政権中枢に繋がる可能性があるグループによる陰謀論までが広がりつつある/参照、http://en.wikipedia.org/wiki/9/11_conspiracy_theories)に気づいた“アメリカの良心”が、本来の健全な民主主義を模索する方向へ向かう意志を示した証と見做しても良いようです。

しかし、その先行きが決して楽観を許さぬものであり、しかも、その“アメリカの良心”の意志の実現が、到底、一筋縄で行かないであろうことは周知のとおりです。その理由の大きなものは次の2点です。
●ブッシュ政権が仕掛けた「テロとの戦い」の勝利者は、先ずイランを中心とするシーア派のイスラム圏である。
●同じく、ロシアと中国の両国も巧みに「テロとの戦い」のジレンマを突き、この戦いの勝利者となっている。
・・・「SCO(上海協力機構)」(参照、http://homewww.osaka-gaidai.ac.jp/~c-forum/symposium/0611shimizu.htm)とベネズエラ・ボリビア・チリ・コロンビア・メキシコ・ペルーなど「南米の反米勢力」(参照、http://www.jetro.go.jp/biz/world/cs_america/topics/42745http://www.jogmec.go.jp/mric_web/koenkai/060622/breifing_060622_2.pdf)もアメリカの覇権に楔を打ち込んだ。

また、冷静かつ客観的に見れば、ほぼ無条件でブッシュ政権の「テロとの戦い」を支持してきた、極東の独立国家・日本の国際的威信は低下したままであり、良きにつけ悪しきにつけ「日本はアメリカの属州に過ぎない」という強い印象だけが世界中に発信されてしまいました。また、この日本の威信低下の最も根本にあるのは“イラク戦争・開戦の大義とされた「イラクの大量破壊兵器保有」を真実だと信じてしまった日本政府の判断の誤り(ブッシュ政権の言いなりになったことの責任問題)を公式に認めていない(当事者であるブッシュ大統領自身が誤りを認めたにもかかわらず!/2006年12月2日付の毎日新聞Net記事によると、訪問先のヨルダンでの衛星テレビ「アルアラビーヤ」との1日のインタビューで、アメリカのライス国務長官も米国のイラク政策に「誤り」があったと率直に認めている/参照、http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20061203k0000m030006000c.html)ということ”です。恐らく、ある程度の時間が経てば日本国内では風化する問題だと政府自身は軽く見做している節がありますが、国際的には絶対に消せない汚点の歴史として生き続けることになります。

ところで、今のヨーロッパ諸国で台頭しつつある“右傾化”の背景にあると思しきものを具体的に見ると、次のようなことが分かります(以下は、2006.11.18付、朝日新聞・記事を参考に纏めた)。

(フランス/右翼政党・国民戦線(FN=Front National ))

・・・今回、フランスの最大野党である社会党が、11/16の党員投票で女性のセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相を選んだ背景には、FNの台頭に対する危機感がある。前回の大統領選(2002)では、FNのジャンマリン・ルペン党首が17%の支持を得て、当時の社会党のジョスパン党首(支持9%)を破り決戦投票まで進んだ。しかし、今のロワイヤル氏には右翼の主張にすりよる傾向が見られ、例えば“不良は軍隊式学校に入れる”とか、“学校教師はもっと長時間、仕事をして欲しい”とかの言動が物議を醸している。

・・・一方、FNの主張はネオ・ナチとは一線を画しており、同性愛や女性の社会進出に寛容である。しかし、その底には外国人排斥の感情も隠れている。元々、FNは反共感情が強いカトリック保守層や中小企業の経営者らに支持基盤を置いていた。

・・・全体的な最近の傾向として言えることは、右翼顔負けの“分かり易い言葉”と“大衆受けする政策”を既成の政党が取り入れるようになったことである。

・・・近年のFNは、排外主義を雇用・治安の問題に結びつける論法で低賃金労働者・失業者などの「グローバル弱者」を取り込む政党へ脱却している。このためか、閉山後の失業率が20%(全国平均の2倍)になったパリ北東約150kmある旧炭鉱町・エナンボーモン(人口2.5万人)では、共産党と社会党が退潮してFNが勢力を伸ばしている。

(ベルギー/右翼政党・VB(フラームス・ブラング=Vlaams Belang=“フランドルの重要性 ”の意味))

・・・VBは女性と移民の取り込みに照準を当てている。フラマン地域議会議員のマリーローズ・モレル女史(元ミス・フランドル)は二児の母で、女性だけを招くホームパーティを数多くこなしながら女性党員の獲得運動に取り組んでいる。

・・・モレルさんによれば“VBは男性だけの党ではなく、女性議員は他党より多い”とのことで、その一人に中部ロクル市議に当選したアイシャ・バンジル女史(スリランカの移民2世)がいる。彼女は、元々は自民党員であったがVBへ入党した。VBの責任者は“我われの文化に同化できる移民なら、我われは彼らを排除しない”と述べている。

(デンマーク/右翼政党・国民党)

・・・リベラルで寛容な国であるデンマークは、世界に先駆けて同性愛者どおしの結婚を認めるなどの進歩的政策に取り組んできた。それを逆手に取り、国民党は「結婚観が異なる(同性愛婚を認めない)イスラム教徒との対決を目立たせる戦略に取り組んだ。今や、国民党は高齢者などの社会的弱者を支える政策も積極的に提案するようになっており、左派支持層の取り込みも図っている。

・・・具体例を見ると、昨年の総選挙で右翼政党・国民党から出て初当選した女性議員ルイセ・フレベアト女史は同性愛者で、同じ女性の医師と結婚している。

(ノルウエー/右翼政党・進歩党)

・・・ノルウエーの事情はデンマークに似ている。昨年の総選挙では進歩党が第二位に躍進した。女性党首のシブ・ヤンセン女史は“ノルウエーは開放的な国で、かつ自由・男女平等・寛容の国であるからこそ価値観がまったく異なる移民は受け入れられない”と、不思議な論理を述べている。

このように見てくると、今の「我が国の政治の右傾化・世相の翼賛化」と「ヨーロッパ諸国における右傾化」は、同じく“右傾化”とされていますが、実は、これらはまったく異質の現象だと考えて良さそうです。いや、日本の“右傾化”の中身は異質というよりも、今の世界で見られる、グローバリズム時代の新しい右傾化の流れの中では“特異”だと言った方が適切かもしれません。現代のヨーロッパ諸国の「右傾化」は、現代日本の「追憶のカルト一派」(靖国参拝に拘泥する)のような「ベルリンのとんま(ばか)」(クレーの芸術を退廃主義として攻撃し圧力をかけたヒトラーのこと/紙に鉛筆で書いた29.5ラ21.0cmの“皮肉な風刺”に満ちたパウル・クレーの小作品)のモデル(つまりヒトラー)の再登場を期待している訳ではなさそうです。

これらの国々の“右傾化”は日本のような“作為的に創られた皇国史観による国体論への先祖帰り”どころか、グローバリズム時代の新たな課題と積極的に向き合い、自らが果敢に変わろうとさえしているように見えます。少なくとも、ごく少数派のネオ・ナチを除けば、それらは日本のように第二次世界大戦より前の時代の「追憶のカルト」へ、つまり「ベルリンのとんま(ばか)」の時代まで立ち戻ろうとするものではないようです。なお、このパウル・クレーの「ベルリンのとんま(ばか)」という作品は、彼がヒトラー批判の意を込めて制作した1939年のものであり、デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン美術館(Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen、http://www.kunstsammlung.de/が所蔵しています。

一方、日本の小泉政権→安倍政権を支えてきた“右派勢力”は、憲法・教育改革などについては伝統保守の流れの上に立っています。しかし、その経済政策面ではグローバル市場原理主義的な立場を取っています。旧来の保守の立場からすれば、これはネジレ現象だとされているようです。しかし、特に安倍政権の場合は“靖国問題”(追憶のカルト問題)を封印する一方で、「NHKへの放送命令」、「教育基本法改正(画一的愛国心の導入)」、「防衛省昇格(臨戦体制と徴兵への準備)」、「双務的な日米安保体制の強化」などの実績を民主党の“賛同と協力”(?)も得ながら手堅く積み上げており、着実に“伝統右翼的な方向”へ向けて日本国民全体の意識を誘導しつつあり、更に、その先には「共謀罪制定」、「日本版国家安全保障会議(NSC)の創設」、「日本国憲法改正」など、“新しい翼賛体制”を完成させるための重要法案の成立が待ち受けています。

この過程で、これまで実行されてきたのがメディア・広告会社などを政治的圧力と金銭的側面から抱き込む“全国民向けの「アンケート脳化」作戦”です。いささか話が古くなりますが、今では“トンデモ本の仲間”と揶揄されている類のもので、テレビゲームの悪影響を論じたため、かつてはベストセラーになったこともある“ゲーム脳の恐怖”というユニークな本があります。医学アカデミズムの沽券にかかわる、この本についての「正統VS異端論争」の決着はともかくとして、少なくとも、幼少期からネットゲームに過剰に没入する生活を送った子供たちの前頭葉の生理機序にかかわる作用が極端に鈍化(不活性化)し、その結果として、感情コントロールの働きが阻害され、いわゆる「ぶちキレ易く、短絡的な精神環境」の日本人が増殖しつつあるということは、どうやら間違いがなさそうです。そして、今や、この「ぶちキレ易く、短絡的な精神環境」は「アンケート脳」という業病(ごうびょう=様々な悪行や誤った考え方などが祟って心身に取り憑く難病)の段階にまで悪化してしまったようです。その特徴は、努力や十分に時間をかけた議論と話し合い(十分なコミュニケーション)などのプロセスを無視して、短絡的に結果だけを求めるという性向です。

ともかくも、どうやら日本の現在の政権与党(右派勢力に牛耳られた)は、経済政策面でこそグローバル市場原理主義を採って、世界標準(グローバルスタンダード)へ歩調を合わせていますが、その“右派勢力”としての最大の拠り所は、パウル・クレーが言うところの「ベルリンのとんま(ばか)」ならぬ「東京のとんま(ばか)」(ファシズムの皿回し役である東条某などの役回り)の再来を期待しているという恐るべき程の時代錯誤(アナクロニズム)にあります。しかし、そのためには絶えず国民を欺き続ける巧妙な世論誘導の仕掛け(トリック)が必要になる訳です。そして、今や次々と明るみに出てくる「小泉政権いらい続いてきたタウンミーティング等にかかわるヤラセ問題」の根っこは、案外、このような事情に結びつくのかも知れません。

今のところ、安倍政権は、このアナクロニズムのためのカルト(最重要の儀式=靖国参拝)を、建前上は封印しています(口に出して言わないことにしてる)が、いずれは既述の“日本政府の国際的威信の問題”と絡んでくるはずです。問題は、その時、この異常に大き過ぎる権力を持ってしまった、現代日本における「時代錯誤(アナクロニズム)の右派政権」が、どのようにして“その自己矛盾の解消を図ろうとするか”ということです。“その自己矛盾”とは、今まで彼ら(小泉・安倍政権)が様々な擬装・ヤラセの手段を使って無理やり押さえ込んできた国内政策上の矛盾(各種格差の拡大=貧富差、労働分配率格差、地域格差、各種リテラシー格差など)のことです。

恐らく、これらの問題を彼らが拘る「時代錯誤(アナクロニズム)の右派思想」での解決することは不可能です。それは、どう割り引いてみても、彼らの考え方が新しいグローバリズム時代の要求とは決定的に馴染まぬ性格のものだからです。第二次世界大戦まで続いた日本のファシズムの病根を直視することを自虐史観だと非難・排斥し、「日本の戦後60年に及ぶ民主主義発展の歴史」と、その基盤となってきた「平和主義」を無意味なことだったと罵倒するような、いわゆる「従来日本型のカルト(靖国参拝に象徴される、似非理論ででっち上げた権力維持の儀式)に拘る右翼思想」は、本格的なグローバリズム時代が求める価値観とは相反します。

この意味で、彼らこそ、ヨーロッパの新しい“右翼たちの精進・努力ぶり”を学び、ブレークスルーの方法を大いに研究すべきだと思います。このように見てくると、「ヨーロッパの新しい右翼」たちの考えの方が、「現代日本の時代錯誤(アナクロニズム)の右派」よりも“よほどヒューマンなもの”に見えてきます。時折、ほんの一瞬ですが、あの安倍総理の顔に“一抹の侘しそうで不安げな表情”が現れるのは、この深い自己矛盾を自覚する瞬間があるからなのでしょうか?

ともかくも、このような日本の特殊な政治環境の中で採られているのが「メディアを調教して世論を誘導する」という、グローバリズム時代に相応しくない、非民主主義的で、内向きで、国民を小ばかにした「暴政を支えるためのダーティな戦略」です(参照、2006-11-30付oxandoriaの日記[“暴政の調教に身を任せるサル”と化した日本のメディア]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061130)。そこで、小泉政権→安倍政権を支えてきた“右派勢力”が目を付けたのが一般の日本人は「データリテラシーに弱い」(というより、日本人は“お上の発表”に弱いだけかも?)という特徴です。

「データリテラシー」とは、あまり聞き慣れぬ言葉かも知れませんが、その意味を端的に言えば“アンケート調査、各種の経済・統計指標などで発表される数字の意味を正しく理解して、その正しい意味を読み取る能力”ということです。例えば、この「データリテラシー」で留意すべき点をサンプル程度に列挙してみると、次のようなこと(●)があります。これらについての理解が深まれば、政府・行政・メディアなどのヤラセや擬装は、我われ善良な一般国民が思っている以上に多いものであり、それは日常茶飯で行われている可能性があることに気づくはずです。

●無作為抽出の条件を前提とする選挙(アンケート調査)では投票率(回収率)が有意性に影響を与える。この場合は、60%程度が有意性の有無の判断の分かれ目となる。

●厳しい無作為抽出の条件を考えれば、テレビ・新聞などのメディアが電話等を使って緊急に短時間で行うアンケート調査の結果には、絶えず疑義が付き纏う。もっとも望ましい客観的な調査は、ある程度の時間をかけた留置法によるものである。

●たまたま「その番組やそのHP」を見ていた人だけが答える、「テレビ番組の生(なま)調査」(その番組の視聴者が電話などで即答する調査)や「ネットアンケート集計」の結果は、一般の無作為抽出の条件を前提とするアンケート調査とは全く異なる性質のもの(無作為抽出ではない!)で、これらは参考程度という意味しか持ち得ない。

●いわゆるベストテン調査などは“瞬間風速的な意味”しか持っていない。僅かでも時間がズレれば異なる結果が次々と出現することが多い。

●無作為抽出の調査の有意性を逆に見る立場からすると、サンプリング数の設定に物理的な限界があるテレビ視聴率調査は、数パーセントの違いを読むという意味では殆んど当てにならない。また、これにも“瞬間風速的な意味”での限界が付き纏う。

●アンケート調査は「質問の設計」しだいで、いくらでも意見の誘導ができることを理解すべきである。特に、行政・政策関連の資料として作成される調査では、殆んどヤラセに近い手法が採られる可能性があるので要注意。

●採用した各項目の基準が異なっている場合が多いので、その「合成指標調査」の比較は参考程度の意味しか持ち得ない。都市ランキング調査、都市別住み易さ度調査、行政サービス度調査、TEICの平均点・国際比較調査などでは、この点が要注意である。

●政府公約の「国家公務員数の削減」でも数字のマジックが利用されている。例えば、約55万人の国家公務員が削減対象とされていたが、この中には国立大学・国立病院・国立美術館などの職員が含まれていた。従って、これらが「独立行政法人化」したため、自動的にこれらの人数は国家公務員数から除外されてしまった。果たして、これは公約どおりの“削減”と言えるのだろうか? これは、よく考えるべきである。

論点が些か外れてしまいましたが、いずれにしても、いわゆる“右派・右翼”と呼ばれる一派に共通する特徴を、国別や時代の違いなどを問わず乱暴に指摘してしまえば、それは“彼らの「人間性・ヒューマニズム」についての理解は底が浅く、「自由と寛容」に関する考え方も非常に幅が狭いものであり、その上、彼らの考え方は自己撞着的、非科学的でさえあるということです。つまり、それは一般の民主主義社会における共有の価値観から遥かにかけ離れており、それが余りにも偏狭で特殊過ぎる”ということです。更に言ってしまえば、いみじくもパウル・クレーが自らの作品に名付けたとおりであり、普通の自由な人間からすれば、それは「とんま」なリアリズム感覚だという言葉が最も似つかわしいかも知れません。

因みに、芸術が持つ、このような無限の自由と辛辣な批判力に恐れをなしたヒトラーの国家社会主義政権(ナチス党)がクレーやカンディンスキーの抽象芸術はドイツ国民を堕落させるとして厳しく非難し、政治的な圧力をかけたことは、よく知られています。このため、1932年までバウハウス(Bauhaus)(参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9)にとどまって活動を続けたカンディンスキーは、遂にナチス党によって作品を押収するという弾圧を受ける事態に至ったため、フランス(パリ)に逃れることになります。また、ナチス党(ヒトラー)から頽廃芸術との烙印を押され、排斥されたクレーも1933年に故国スイスへ帰っています。

ところで、12月2日の朝日新聞の朝刊(下記内容◆)を見て驚かされました。これこそ「初めに結論ありき」の明確な証拠です。これは、ヤラセより深刻な「サクラの買収」だと思います。このように“吐き気を呼ぶ程おぞましくも醜い現実”こそ、ピーテル・ブリューゲルが『イカロスの墜落』で注意を喚起しようとした問題点(参照、2006-11-25付toxandoriaの日記[“アートな1日”で知った「美しい国」の“欺瞞と醜悪”]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061125)です。これは「醜く爛れて暴政化した権力者の奢り」以外の何物でもありません。これから推し量ると、やはり今でも国政選挙などの度に“ゲンナマ爆弾が飛び交う”という噂は本物であるようです。

◆社民党TM調査委員会(委員長・福島党首)の調査によると、“ヤラセ質問などが問題視されている政府(内閣府)主催のTM(2001年、小泉政権の始まり頃に神奈川県で行われたTM)で「出演謝礼=90万円」という破格の出費があったこと”が明らかになった。

このように破廉恥で国民を小ばかにしたTM(タウン・ミーティング)を、ここ5年以上にわたって繰り返してきたこと自体が、あの「小泉劇場」なるものが、まさに「擬装改革の政治」であったことの証拠だと思います。このように破廉恥な政権から「強大な権力」(与党327議席の確保)を禅譲された安倍政権(時代錯誤(アナクロニズム)の右派政権)も碌なものではないことが明らかです。彼らは、このようにして“内輪で密かに好き放題に国費(国民から徴収した税金)の浪費を垂れ流しつつ擬装民主主義を巧みに演出する”一方で、地方の住民や弱者に対しては厳しく鞭打つサディズム的な政策を堂々と続けている訳です。

自ら“李下の冠の教訓の意味”が理解できない“これらの恰も傾き者(かぶきもの≒歌舞伎役者)のように厚化粧(実は醜悪な素顔)した現代日本の政治劇の役者たち”には、国民に対し偉そうに「教育改革」や「愛国心」の訓示を垂れる資格はありません。結局、先ず、我われ自身も含めた「人間の本性がヴァルカヌス的(2006-05-27付・toxandoriaの日記『[暴政]卑猥な妄想の政治権力が玩ぶ「二つの愛国心」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060527)なものである」ことを直視するべきであり、これこそが民主主義の基盤であると思います。日本国憲法の授権規範性という重要な意味も、ここから理解すべきです。

しかし、メディア人や御用学者らを始めとする殆んどのエスタブリッシュメント層に属する人々が、保身と自己中心の魂胆から、このような現実直視から逃げまくり“厚化粧の上塗りで誤魔化し問題の先送りを続けている”のが、今の日本社会の危機的な側面ではないかと思います。このような観点から見れば、その本来の任務を放棄したかに見えるメディア人たちの責任は重大です。例えば、今回の「防衛省昇格法案」の国会通過にしても、シビアな批判(社説)を書いたのは、唯一紙、朝日新聞だけであったようです。ここでは、“皆で現実の直視から逃げまくり、たまに批判的な異端児が現れれば、それに対しては村八分や八つ当たり、あるいは無視の態度で報復する”という、日本の深刻なイジメ社会の病理構造が浮き彫りとなっています。

(参考) <いじめ>「大人」の職場でも深刻 労働相談の2割近くに(毎日新聞・ネット記事、12月2日)、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061202-00000054-mai-soci

このように見れば、学校イジメ問題の淵源も、時代錯誤(アナクロニズム)の右派思想に牛耳られて生まれた「日本の暴政・悪政」にあると言えます。これでは、真剣に悩みぬいて自らの命を絶ってしまった、多くの教育責任者(校長先生など)と余りにもマジメ過ぎた可愛そうな子供たちの魂が浮かばれません。

今、我われが住む日本の未来は「美しい日本」どころか、あのヒトラーに嫌われたパウル・クレー風に言えば、ひたすら人間の精神の自由を抑圧するしか能がなく、世界の新しい時代の潮流(グローバリズム時代の新たな潮流)にも上手く乗れないアナクロで「とんま」なカルト国家(=「東京のとんま(ばか)」が再来する時代)なのかも知れません。

[追記]なお、当内容に関連する下記の記事(◆)がありますので、ご参照ください
◆2006-11-22付toxandoriaの日記[小泉→安倍「ヤラセTM」の深層/情報専制化で消された小数意見]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061122

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