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田中角栄氏に関する感想を追加
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投稿者 小林桂子 日時 2006 年 10 月 30 日 23:08:06: 3f9C.eYWYV9O.
 

(回答先: 田中角栄氏の評価は大局的・相対的・総合的に 投稿者 小林桂子 日時 2006 年 10 月 30 日 23:05:24)

 ところで、余り明言したくもないが、どうも角栄氏は5億円は授受していたように思われる。しかし、裁判上は無罪である。事実だからと言っても必ずしも有罪ではない。つまりは裁判は証拠に基づいて立証してこそ始めて有罪である。判決文を読むと明らかに、証拠不十分により無罪の結論が導かれて然るべき内容であり、論旨の展開だ。それを大きく論理、論旨、結論を巧妙にねじ曲げ、すり替えたものだ。これは共産党の最高位顧問の某弁護士も、当時、裁判批判を展開し、司法の自殺だと言及指摘していた。これに対して共産党幹部が猛反発してきた経緯もあったようだ。自ら自白しない限り、限りなく怪しく疑念があっても、裁判上は法手続きにより立証できなければ、刑法罪の原則である「疑わしきは罰せず」で無罪である。

 思うに角栄氏は必ずしも悪意で現金を授受したのではなく、人の良い面倒見の良い正確を反映して、膨大な選挙資金に流用し、私益で独占したものでは無かろう。然るに、金権体質と言われるように、金に対する観念が大変ルーズであったことは否めない。当方も角栄氏の金銭感覚を真底から改め、利益誘導の政治を是正するように政策を転換しておれば、神仏のご加護により、再生も可能であったように思われる。その再生も一旦政界から身を引いて、経済界で裁判を戦い、再度、政界に登場してくれば良かったかと思われる。田中角栄氏ほどであれば、松下幸之助以上に巨大企業を構築することが出来たであろう。

 それでも当方は、田中氏ほどの政治家ならば、一般大衆と異なり、これぐらいの金は政治権力を維持するのに不可欠であり、国益遂行のために幾多の政策を実践して行くならば、それぐらいの資金には、国民はも言う少し寛大であって欲しかった。その点を当方は、例えマスコミが必要以上に書き立てた嫌いがあるとは言え、矢張り、それに同調した国民性が嫉妬や妬みが根底にあったからだと思わざるを得ない。勿論、米国ユダヤに影響を受けたマスコミの扇動もあるのは確かだ。

 なお、田中氏の下に集まってきた政治家連中の殆どが、角栄氏の人柄や政策に共鳴したのではなく、金やポストに群がって来たという当方の見解に対して、可成りの反発を感じられるのも仕方ないであろう。現在でも未だ多くの政治家が中枢で活躍しているのだから、正面切って非難できにくいものだ。また、打算、利欲というものは、よく注意しないと分からない微妙なものだ。田中氏を誉め讃えている連中でも、利欲や打算で集まってきたと言えよう。その証拠に多くが田中家から心が次第に離れていったと言うことで分かろう。現在でも、田中家に歩み寄っている某政治家でも、何らかの打算や利欲が見え隠れしているとしか思えない。なお、田中角栄氏の後継者は、二階堂氏を中心にまとまって行ってこそ、田中氏に対する心からの恩返しとなるものであっただろう。二階堂氏から離れて竹下氏に走った連中は、実に忘恩の打算、利欲の連中であろうというものだ。

 何やらこれは三百数十年前の忠臣蔵における浅野家の家臣達の取った対応と似ているものと言えよう。即ち、仇討ちに加わるべきか、さっさと町民や農民に職業代えして、生き長らえていくべきかの判断であろう。矢張りここは仇討ちに加わってこそ、忠義の者と言えるであろう。仇討ちに加わらなかった連中は、打算と生命に対する欲望の中で生き長らえる選択をしたわけだが、最後は悶々とした空虚な人生を送らざるを得なかったであろうと想像できる。田中問題にしても、竹下氏に与した政治家連中にも、後ろめたい空虚な感情が何時までもくすぶり続け、それが次第に国勢にも衰退、衰滅の流れを形成していったように思われる。角栄氏問題は実に、政治という残酷な現実的ドラマの中にも、人の心の忠義とは如何なるものかをよく想い起こさせてくれるものと言えよう。

 ところで、聖心仏陀先生からの手紙を当方は田中角栄氏に送付したことがあった。これを角栄氏が勘違いして「ワシに法華を勧める者がいるが、ワシは真言だ」と某講演会の席上言ったものだろう。その激しい反発に対して、自らの邪念波動を受けていったものと思われる。大平総理にしても、昭和55年当時の総選挙の最中に倒れたのも、直前に送付した手紙に、後で日記に「信じ難きことを信じる事勿れ」と記録し、可成り聖心仏陀先生に反発していたようだ。惜しむらくは、今少し聖心先生に心を寄せていたら、ロッキード事件の魔から守護されていたであろうと悔やまれる。

 実際、聖心仏陀先生も、裁判当初は、「ロッキード事件はうやむやに終わって無罪放免になるだろう」と予告していたものだ。あれほど追い込まれていったのも、角栄氏が聖心仏陀先生の手紙を排斥したためとしか思えない。それでも聖心仏陀先生は、田中さんを守っていると言っておられた。普通ならとっくに死亡していてしかるべきなのに、先生が守護しているから長らえているものだと言っておられた。案の定、聖心先生が死亡されてから、数ヶ月後に田中角栄氏も亡くなって、不思議な想いに駆られたものだ。

 聖心先生に対する反発の影響ではないかと思われる点は随分多く感じられる。当方には何も反応が伝わってこないが、聖心仏陀先生との対話を通じて、成る程と想わせられてきたものだ。某歌手のM氏や某俳優のI氏、某政治家のN氏なども角栄氏や大平氏と同じではなかったかと思われる。これに対する嫌悪や中傷は極めて要注意と警告を発したつもりだが、全く無視されてしまったようだ。

 2500年前の古代インドの釈尊以来の真の仏身顛化の歴史的大偉業を達成され、如来をなられた聖心仏陀先生を、真底から心を寄せてくる者は、恐らくこれまでの長い日本の歴史を通じては、弘法大師空海、源義経、徳川家康、新井白石、荻生楚来ぐらいであり、伝教大師、菅原道真、道元禅師、親鸞、日蓮、源頼朝、宮本武蔵、また近代では多くの政治家や学者は殆ど駄目だろうと言っておられた。しかし、万一、ロッキード事件が無かりせば、田中角栄氏は聖心先生のところに心を寄せてきたように想うと語っておられた。それほど内面的には、角栄氏の精神や心魂は極めて崇高で偉大であったと言えよう。偶々、現行の金が掛かる選挙というシステムが、資金調達へ暴走させて、ロッキード事件に嵌められていったものであろうと残念に思われる。

 当時、当方も身命を賭して某国家的プロジェクトを推進するために、政財官の関係筋と交渉していたが、この国家的政策を強力に推進できる政治家こそ、正に田中角栄氏しかいないものであった。それを承知で、一旦忘却しておいたプロジェクトを、再度復活させて、現在でもメッセージを発信するのは、何も周囲に実行を期待するのではない。最初から腰抜け、腑抜けの政治家や官僚には何も期待しているものではなく、むしろ最後通牒をしているものだ。最後に後悔、懺悔に至るように、しっかりと記憶に留めておかせるためだ。最後にそういう明きメクラの連中を一掃するためでしかない。

 なお、聖心先生は、田中角栄氏は政治信条的には自民党よりも民社党に属するタイプだと言っておられた。聖心先生は、田中角栄氏のことを、右でもなく左でもなく、実に中庸、中道の政治家でバランス感覚の取れた政治家だと言っておられた。田中角栄氏もよく民社党幹部に向かって、もし民社党が、即ち、「民主社会党」が反対の「社会民主党」であれば、自分は入党したであろうと言っていたようだ。そして彼は反対政党の野党の幹部でも、直ぐに友人になれるほどのわだかまりのない気さくな人柄で、誰をも魅了したものだ。田中角栄氏を直接に見た者は、その迫力ある仕事ぶりに圧倒され、また畏怖し脅威に感じたものであろう。正に聖心先生が指摘したように、「敵を味方にすることを考えろ」ということに通じるものだ。これは徳川家康の対応にも言えるものだ。

 田中角栄氏に期待した政治手法に関しては、あくまでも中道、中庸の精神に他ならない。事実、角栄氏が目指した政治も中庸、中道政治である。彼が失脚してからは、聖心仏陀先生は、民社党の塚本三郎氏と公明党の矢野殉也氏とが連携すれば、極めて良い政治が出来るだろうにと言っておられた。しかしながら、両名とも、失脚するようにして政界から身を引いていったようだ。矢野殉也氏の方は今でも、一民間人の評論家として、政治に対してなかなか切れ味の鋭い評論を展開しているようだ。しかも公明党とは言いながら、少しも創価学会的言動は感じさせず、何でも学会幹部と対立したとも言われているようだ。

 ところで、北方領土解決にために旧ソ連に乗り込んで、当時のソ連書記長のブレジネフ氏に「田中さん、貴方はソ連に来れば書記長になれる」と言わしめたのも、クレムリンにおける会談の冒頭、ブレジネフ書記長が故意に北方領土の問題をはぐらかすために、延々とソ連の地図を前に如何に資源、エネルギーが豊富にあり、日本に取り投資の対象として魅力的かを説明していた時だ。田中角栄氏は、立ち上がって、机をばーんと叩き「そんなことを話に来たのではない。そんな説明を聞かなくても既に分かっている。北方領土問題を話し合おう。ところで、来る途中、シベリア上空から下を見ると、森林が間伐していないところが沢山ある。これでは折角の森林資源が台無しになろう。即刻、間伐することだ」と言ったようだ。それを受けてブレジネフ書記長が「貴方は他人の財布の中味までよく知っている」と言い、その延長で、「貴方ならばソ連の書記長が務まる」と絶賛したものだ。

 ところで、ロッキード事件が発覚した際に、田中氏が最初に漏らした言葉は、「ユダヤにやられた」と言うものだったようだ。その際の田中氏は果たしてどれほどユダヤのことを真に理解し熟知していたかどうかは分からない。ただ、資源、エネルギー支配の奥の院に、ユダヤ国際資本があることは充分に分かっていたことであり、その虎の尾を踏んだという直感が走ったことだろう。この角栄氏が思わず口に出したユダヤとの最終決戦が今始まろうとしているものだ。こうした事態を果たして国民の何人が知っているのであろうか。殆どの有識者や指導者が白痴化している有様だし、多くが売国奴に成り下がっているのが実体であろう。

 なお、角栄氏の銅像が生まれ故郷の某駅前に建っているが、銅像というものは墓と何ら変わりはない。特に、単なる記念塔や記念物ならいざ知らず、心よりの崇拝の念を持って合掌するようなものは、正に墓と殆ど変わりはない性質を帯びてくるものだ。即ち、そこに人々の念が入り、うっかりと粗末に扱っていけば、逆に何らかの影響を被るものだ。一般的に言って、余り安易に銅像は建立するものではない。万人が等しく崇拝し尊敬して行くならば、概して悪影響はないのだが、嫌悪し嘲笑する輩が少しでも蔓延している内は、逆に粗末になると言うものだ。即ち、崇拝の対象でもあるが、逆に怨念の対象を建立したとも言えるからだ。

 ところで、聖心先生は、当方に対して、「君には日本の改革というやり甲斐のある仕事が待っているだろう。その仕事をする際は、田中角栄のように行け」と言われた。即ち、「度胸で勝負しろ」と言うことだ。まともに正面から議論をするよりも、度胸と胆力の破天荒でぶち当たって行くことだと激励してくれた。そして「ボクと心が一つになれば日本の改革は可能だろう。君には皆が付いてくるだろう。案外、徳川家康みたいになるかもな」とも言われた。「今度ばかりは命懸けの死にもの狂いでやることだ」とも言われた。果たして、如何なる状況下で、日本の改革の時期が到来するのか予断を許さないものだが、次第にその気運が高まってきているのを痛切に感じる思いだ。その折には、角栄氏の無念さも晴らし、聖心先生の御霊に奉納することで、幾多の恩返しをしていくことになるだろうと思う。

 今後の日本は両極端同志の対立から共倒れにいたり、そこから真の中庸、中道勢力が登場してくるだろうと言われた。今正に、イラクへの自衛隊派遣を巡って、国論を大きく分裂している状況だ。国論の分裂は他にも多くあるが、イラク問題が一番国家の命運を決する最大の課題であろう。しかも聖心先生は、日本は決して米国と共に戦争をしては国家を滅亡させることになるだろうと警告されておられた。小泉政権が米国追従に大きくのめり込んでいく現状では、正に、亡国の危機への突入を促進させ、一気に政局が流動化し、戦国乱世の到来が急迫化してくるものであろう。そうなれば正に、戦後田中角栄氏が登場したと同じような状況が生まれてくるであろう。即ち、学歴や門閥、出自に関係のない真の実力を発揮する創造時代の到来だろう。

 ところで角栄氏は空で歌える歌誌、歌唱のレパトリーは一千曲もあったらしく、正に天才と言えよう。しかしながら今時の改革には、田中角栄氏とそっくりの手法は必要はないであろう。即ち、カラオケなどで国民を引っ張るような余裕や演技は不要であり、真の政策を実施していくことが求められるだろう。即ち、大衆迎合のパフォーマンスは不必要であり、真摯で真剣な身命を賭した国家の体系を決する大改革が要求されるであろう。それほど角栄氏の高度経済成長の楽観的な時代と異なり、今や国家危急存亡の時期に遭遇して、実に時間との勝負になっていくということだ。歌など歌って、国民に迎合し諂いゴマするほど時間的余裕もないであろう。

 なお、田中角栄氏が最後にテレビに登場して、小学校時代の頃から回顧して、校歌を口ずさんだりした一代ドラマが放映されたことがあったが、聖心仏陀先生も、これは将来の記念碑的内容をもって評価されるであろうと言っておられた。角栄氏の顔の表情も実に清々しいものであったと記憶している。この時も、角栄氏が好んで愛唱し色紙に書いたとされる「末ついに海となるべき山水も、しばし木の葉の下くぐるなり」の言葉も登場し、大変懐かしく拝見したものだ。その顔は正に弘法大師の生まれ変わりであり、菩薩のような神々しさを感じさせられた思いだ。角栄氏の言葉で、大変面白く想ったことは、「再度、生まれ変わってきたら何になるか」との問いに対し、角栄氏は、作家乃至文学者になりたいと言っていたことだ。熾烈な闘いを要求される政治家に相違して、人間観察が最大の目的であると思われる作家や文学者になりたいとは、角栄氏の洞察力の最大の対象が実に人間そのものに他ならないことを窺わせ示唆するものだ。

 なお、角栄氏の天才は一体何処から来たのであろうか。小学校時代のエピソードでは、教室の隅っこで女生徒に虐められて泣いていたという事実が伝わっているようだ。そのような軟弱な角栄少年を大きく迫力と胆力、度胸がある政治家に変身させていった原動力は何処にあったのであろうか。この背景や原因の解明も殆どなされていないように想われる。なお、彼は若いときに軍隊に召集されて、肺病を患って、確か仙台の陸軍病院に担ぎ込まれて、生きるか死ぬかの生死のどん底を流離い奇跡的に助かったという経験を有している。恐らくこの体験が彼をして、神仏の加護をもたらし、そこから天才的発展を成していったのではないかと思われる。これは松下幸之助氏にも共通しているものだ。松下幸之助氏も大病を患って生死の境を彷徨い、天理教に入信したと言うことだ。生死を賭けた心境でこそ、心魂が浄化され錬磨されて、神仏が逆に協力してくると言うことだ。願わなくても神が助けると言うことだろう。

 ところで、これは全面的な角栄氏賛美の方には少し残酷になるかも知れないが、田中角栄氏をして天才ならしめた生理的、病理的原因は、実に彼が扇子を忙しそうに煽る汗かき体質のバセドー氏病であり、この病的にも思われる体質が、彼の天才を生み出したと言えよう。実にこの特異のバセドー氏病の体質こそ、梅毒の影響だったものと思われる。要の東西を問わず、多くの天才に見られる梅毒症状と同じである。戦国乱世の織田信長にも梅毒症状が見られるというものだ。戦国時代は鉄砲とキリスト教の伝来の他に、実に梅毒も伝来した。この梅毒は幕末時では日本人の成年男子の実に9割も感染し、哀しいことに大正天皇も感染していたようだ。

 その後、梅毒は消滅したかのように言われているが、実は抵抗力を有して変性変質し、幾多の何々症候群などの奇病、難病に発展しているものだ。角栄氏の破天荒な実行力や天才性は、この梅毒性体質から来たものとも言えよう。その角栄氏も酒に溺れた生活から過労とストレスが祟って倒れてからは、次第に意識が朦朧として行くに連れて、角栄氏の意識の夢現の中に、彼を守護している聖心仏陀先生の神聖で光輝な神々しい姿が見えたであろうと思われる。角栄氏が必死になって、周囲に何かを訴えたものと思われるが、周囲はそのメッセージに対して、一向に気付くことなく、何も感じ取ることが出来なかったであろうと思われる。

 今後、日本が大きく衰退し袋小路に入って行くに連れて、万一、救世主のような人物が登場するとすれば、今時は角栄氏の織田信長タイプに加えて、慎重でより国家の基本に係る諸政策を実践していく創造的能力を有した正に徳川家康タイプの両方を併せ持った人物となるであろうか。戦国乱世は、「織田が突き、羽柴が捏ねし天下餅、それを喰うは徳川家康」と言われたように、三人の英雄がそれぞれの持ち味を有した連携で展開したものだ。しかしながら今時の歴史的激動に際しては、実にその歴史的展開は急速であり、一気に三人分を一人で実施するような役割を期待されて行くであろうと思われる。

 正に歴史的大改革を実践するには、即ち、新しい家屋の建設に当たっては、国家という家屋の現状を打破し解体する織田信長型の仕事と、その後、瓦礫を撤収し刀狩りを実施して更地にする豊臣秀吉型と、更にはその後に新しい家屋、国家社会を建設する徳川家康型とが必須であるが、一挙にこれら全てを担った役割、才能を求められて行くであろうと思われる。もっとも、破壊や解体、現状打破に関しては、経済的変動などの非人為的な事態の推移により展開されていく要素が多いとも思われる。正に最後に、徳川家康が天下餅を棚ぼた式に喰らったように、次第に周囲が衰退衰滅して破綻崩壊して行くであろう。

 角栄氏に関する想い出は幾ら語っても尽きない。ただ当方は出版された多くの本は購入はしたが多忙で殆ど読んでいない。多くは新聞や雑誌などの情報でしかない。後はテレビなどを通した個人的感触、観察、洞察だ。表情を見ればある程度心の奥底まで分かると言うものだ。彼をして天才ならしめた最大の原因は矢張り、虐げられた環境、劣等感、負けず嫌いの挑戦意欲から必死に立ち上がり克服し這い上がろうとする不屈の精神力であったことは間違いはないだろう。

 角栄氏が大変な勉強家であり、また努力家であったことも案外知られていない。枕元には沢山の資料を積み上げ、ある時には徹夜で必死にも読破していたようだし、六法全書などの記憶力抜群に暗記していたようだ。某総理のように、報告は二枚でまとめてくれ、それ以上は読まない、読めない、理解できないと言うのとは雲泥の差だ。よく「分かったの角さん」とも言われ、人の話を充分に聴かなかったのが傍若無人に受け取られていくのであろう。

 角栄氏が大変などもりであったと言うことも共感できるものだ。彼の場合はせっかち的な言動がもたらしたものであろう。余りにも早口であることが災いしたのであろう。盟友の大平氏との対談でも、1時間の内、角栄氏が50分間ほど話して、残りの10分で大平氏がまとめて話すと言うほどであったようだ。積極的な角栄氏と、受け身の大平氏とは、凹凸の関係で大変ウマが合ったと言うことだろう。似たもの同士では互いに高めもするが、衝突、対立し、最後は離反しやすいが、角栄氏と大平氏とは実に芸術的コンビであったようだ。

 ところで、英雄と豪傑があるが、両者は似ているようで大きく異なるものだ。もっとも両方を併せ持った者もいることは確かだ。そして何れも天下の大物と言われるには、人生の若いときに苦難、苦労を必死に背負ってきた経験が必要不可欠と言えよう。その数少ない英雄と豪傑、そして人生の苦難の体験者であった人物が、百年に一度の田中角栄氏であったと言えよう。英雄と豪傑の区別は一体何処で見るのであろうか。よく「英雄は色を好み、豪傑は酒を好む」と言われるが正にその通りであろう。即ち、英雄は女性を好み、しかもたった一人の女性を真剣に愛すると言うことだ。豪傑の女性の愛した方は、大勢の女性を相手にし、しかも酒を優先する余り、どうしても酒の力を借りたもので、女性への対応がちゃらんぽらんになりやすい。また英雄の女性観は、美人からよりもブスからも愛されると言うことだろう。ブスからも愛されると言うことは、顔の形よりも、心に親近感が持たれると言うことだろう。角栄氏を観察していると、実に英雄的な女性への接し方、そして酒を好む豪傑型であり、正に英雄と豪傑の両方を併せ持った人物と言えよう。

 なお、歴史的に見ると、源義経は静御前一人を愛した英雄と言えるし、源頼朝は酒を好み女性には節操の無かった点で、豪傑と言えようか。角栄氏も芸者関係で女性問題が皆無とは言えなかったが、離婚するまでもなく、一人の夫人を一生妻として行った点も、英雄的心情を彷彿とさせるものだ。ハナ夫人は角栄氏とも言える歴史的にも希代の超大物にとっては、大変失礼な言い方をすれば、政治家の妻には相応しくない甚だ見窄らしい粗末なものであったろう。そこは真紀子氏が母親の代わりを難なく勤めたとも言えよう。政治の表舞台に妻が登場する機会が余りにも少なかったことを見ても、角栄氏が如何に家庭的で英雄的で女性思いであったかを窺わせるものだろう。なお、角栄氏の健康を害した最大の原因は実に、強い酒にあったと言えよう。酒を節制しておれば、健康を始め政治力も安泰であったと悔やまれるものだ。

 ところで、角栄氏は先祖代々馬喰であると言うが、その馬喰こそ、大和朝廷に反発して山野に逃亡していったサンカの流れを汲むもので、現在の支配階級を形成している中国系渡来人の弥生系とは大きく異なるというものだ。このサンカとは源流を遡れば、紀元前500年ほど前から三派に分かれて日本に流入してきた古代イスラエルの民とも言えよう。秦氏や鹿児島島津藩などもそうだし、某総理も、先祖に入れ墨をしていた者がいることから考えても、またその反骨精神の旺盛を見ても明らかだろう。要は、権力に抵抗したサンカの民族性こそ、今後の日本が大きく行き詰まって来た際の、国家社会を救済する原動力になり得るものだろう。

 現在の中国渡来系の支配階級では、最早、難局の現状の打破に際して、破天荒な行動を期待するのは不可能であろう。余りにも管理支配に明け暮れた習性が災いして、身命を賭して難局を打開する必死の抵抗力、突破力、破壊力などは生まれてくるはずもないからだ。今や、知らずの内に、空気や流れ、波動の変化により、支配階級が大きく行き詰まり、衰退、没落、破綻、失脚が始まろうとしていると言えよう。今後の国家危急存亡の時機到来に際しては、そのサンカの不撓不屈の精神が現状の膠着状態を切り開いていく役割を果たしていくことだろう。そしてその後に、長い間、弥生系渡来人により虐げられ、抑圧管理支配されてきた縄文日本人の血が沸々と沸き上がってきて、主役交代を促進させ、国民意識の変革へと繋がって行くことであろう。

 なお、サンカとは権力側に追い詰められて山野に逃亡してひっそりと生活を余儀なくされてきたが、戦国時代や幕末動乱、そして大東亜戦争時の歴史的大混乱の時期に乗じて、里に下りてきて、一般大衆に紛れ込み溶け込んだようだ。豊臣秀吉もサンカであろう。それ故に、蜂須賀小六のような野武士とも交流があり、裏の世界にも通じていたのであろう。また徳川家康も三河の松平直系に成り代わったもので、真の出自は群馬県の得川村瀬良田の出身のサンカであり、三河侍の三河とは、愛知県三河の三河ではなく、サンカの浪人や流れ者を隔離幽閉していた江戸の三河島の三河であったと言えよう。その三河島の浪人を解放したのが三河侍になったものだ。これは矢切留夫氏が暴露しているようだ。

 今次の歴史的大改革には、国民意識の大変革が必至であるが、これは田中角栄的なものの再評価と密接不可分に関係しており、角栄氏の大幅な見直し無くして、国民意識の変革もないであろう。その見直しとは何も全面的な反省と言うよりも、極めて客観的に総合的に相対的に見た判断や総括であり、その結果、悪かった面も確かにあるが、それは国際的な政治家で、正に世界の田中角栄氏であったという評価により、極めて優れた良い面が遙かに多く、彼の失脚が大きく歴史的にも国益を喪失させたという結論に至るというものであろう。その総懺悔がない限り、日本は永久に真の独立を勝ち取ることが不可能であろう。何故なら、真の国益を追求した政治家角栄氏を、正しく判断できないからで、そういう意識状況下では、今後とも角栄的な愛国民族主義的人間を抹殺して行くであろうと懸念するからだ。

 ところで、角栄的なものの復活とは言っても、利権政治や敵を増産するようなことでは、即ち、打算や利欲的な邪道、そして邪魔し抵抗する勢力が強力に存在すれば歴史的改革は不可能であるのは、今更、議論をするまでも無いだろう。角栄時代は何よりも戦後の焼け野原から新しいシステムを構築して行く時期に遭遇し、高度経済成長の流れにも合致したものだ。現在の改革は一旦破壊して、新しい国家社会の建設に向かうべき壮大で雄大なものであり、しかも、その展望や青写真、具体像は何処にもないものだ。実に、豊かな創造力や洞察、先見性により構築して行くべきものと言えるだろう。

 今時の歴史的大改革に際しては、救世主なる人物乃至勢力は、田中角栄的破天荒で臨むべきことは当然であるが、その内容や対処進展に当たっては、角栄氏を大きく乗り越えて行かねばならないだろう。内需拡大政策をとっても、角栄氏の公表した列島改造論なるものは、角栄氏の故郷の雪国新潟での体験に基づく除雪した道路の整備が原点であり、その列島全体における高速道路の整備に他ならなかった。真の過疎、過密の解消という大きく踏み込んだ緻密で総合的、体系的なものでもなく、単なる地方都市を高速道路で結んで時間の短縮を図るという地方都市間の活性化であった。

 今時の列島改造論は、真に日本列島全体の産業や雇用、経済などの全体的な活性化でなくてはならない。それも単に道路やダム、護岸、建築物などの建設だけの推進ではダメで、環境問題や廃棄物処理、省資源・省エネを志向したものでなければならない。既に、公共工事のばらまきだけでは、雇用も増えず、他の産業全般の波及拡大性が大きく損なわれていることも確かだ。肝腎の産業の活性化に繋げた建設でなくてはならないからだ。産業の育成や発展無くして、道路のみ建設したところで、現在では、費用対効果の点でも、疑問視されていることも事実だ。

 角栄氏が構築した戦後体制を、根本から解体し、再度、新しく構築して行かねばならない。この構築も、今や戦後体制の破綻に伴って、司法や行政、立法を始め、年金や教育、少子化対策など実に広範多岐に亘るものだ。また国際外交的にも、米国の崩壊、中国の台頭、欧州の台頭、ロシアの再生を踏まえて、実に外交が複雑怪奇に展開し始めていくようだ。これまでの対米従属一辺倒の思考では、国家の進路を大きく誤ろうとし、さりとて、米国に代わって中国に深くのめり込んで、対中従属では、従来と相手が交代するだけで、何ら変わりはない土下座外交、屈従外交、謝罪外交の延長でしかないだろう。真の自主、独立外交が求められている所以であろう。

 また角栄氏は、創価学会・公明党にも無頓着で、民主主義とは多数決だと言わんばかりに、ただ議員の人数の拡大ばかりを追求し、安易に連携を模索していたようだ。宗教には全く無関心であり、創価学会批判の本の出版を禁止したのも角栄氏の圧力だった。しかし、今や国内の巨大教団が大きく社会的にも影響力を持ちはじぇめ、政界にも創価学会・公明党の影響が浸透し始めたのみならず、世界的にも、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の対立よ、実に宗教戦争へと大きく様相を変えてきたと言えよう。今や数千年来の宗教の総決算が始まろうとし、日本がこれらの世界大戦に利用され巻き込まれるのか、それとも日本から全世界に向けて、新たな崇高な世界性、普遍性を有した理念を提示し発信していくことが出来るのか、実に国家の命運を賭けたその歴史的選択の岐路に立ったと言えよう。

 それ故に、今次の予想される歴史的大激動に際しては、国民皆が付いてくるような、私利私欲を廃絶し、打算売名を超克した清廉潔白を有した上で、なおかつ、天下国家の大局に立った雄大で壮大、深遠で崇高な政策を創造して提起できる能力も求められているだろう。単なる破天荒な度胸や胆力、抜群の記憶力だけではない、実に広範多岐に亘る奥深い洞察力、崇高な創造性、深遠な先見性が求められてくるであろう。正に、織田信長型の現状打破や豊臣秀吉型の戦後処理型を越えて、戦国乱世を最後に幕引きできる徳川家康型の用意周到、沈着冷静、深謀遠慮で対処し、天下分け目の大掃除の関ヶ原を仕掛けられるほどの肝っ玉の据わった、天下統一の歴史的役割・任務を演じられる人物こそ求められているものであろう。

 田中角栄氏に対する当方の厳しい客観的な観察には、賛否両論があることは容易に推察できる。当方は必ずしも全面的で盲目的な賛美ではない。それでも田中角栄氏への嫌悪反対派は論外だが、角栄氏を支持する者以上に、深く角栄氏を絶賛していることも確かだ。しかしながら、欠点も詳細に観察し検証しているものだ。何故なら、彼の犯した過ちや失敗を二度と繰り返してはならないからだ。

 ところで、角栄氏のせっかちで汗かきの体質が、病理学、医学的な見地からみて、梅毒が変異、変形したバセドー氏病が原因であったと言うことは、角栄氏支持者には相当にショッキングなことかも知れないが、何もこれは悪意で言っているものではない。昔から梅毒は広く蔓延しており、欧州でも殆どの王侯貴族にも蔓延し、著名な作家、音楽家、画家などの芸術家の殆どに感染していたようだ。実に天才と狂気とは紙一重であった。仮に表面化していなくても、潜伏していただけに過ぎないものだ。

 日本でも幕末時には成年男子の90%以上もが、感染していたようだ。そして最近は梅毒が消滅したように思えれているが、これは梅毒菌が耐性、抵抗力を有して、様々に変異して何々症候群という得体の知れない難病や奇病に変転していったように思われる。この梅毒は個人差により発病する時期が大きく異なり、自分でも気付かない内に、若いときの行為が祟って70年後に、実に棺桶に入る直前に初めて表面化することもあり、実に潜伏期間が長いものだ。また自分自身に何も原因が無くても子孫に現れることもあるし、祖先から引き継いでくる場合もある。

 しかも梅毒は天才と狂気を生み出すもので、別に嫌悪すべきものでもない。上手く行けば天才だし、悪くすれば狂気となるもので、これは運命であり賭けでもあろう。例え、梅毒が関係しなくても、天才を狂気とは紙一重であるのが常識だ。角栄氏はヒットラーのように狂気はなく、実に慈愛に満ちた人間性豊かなものだった。むしろ、一般常識者の方が真理に対して盲目であり狂気に満ち、中庸、中道を大きく欠如した偏見、偏狭な心理であったと言えよう。

 ところで、ハナ夫人のことであるが、当方は彼女の暖かい家庭的な面は高く評価している。角栄氏の大好物の芋の煮物を喜んで作っていたような家庭的な女性だった。決して人目に触れる場所にしゃしゃり出ていくタイプでもなかった。また角栄氏に女性関係があっても、嫉妬や妬みに狂って家庭を破壊するようなこともなく、大きな母性愛で包み込むような古風なタイプであった。この点を高く評価した上での、政治家としての女房感を言っているものだ。

 即ち、当方が指摘するのは、あくまでも「政治家の妻」としての評価である。政治家の妻たるものは、選挙などと言うパフォーマンスを演じて、夫と共に虚栄、虚構、ハッタリの世界に身を置くことが出来るタイプでなければならない。その意味からも、「政治家の妻としては」と言う条件で、貧弱で見窄らしかったと言うことを指摘したまでだ。この貧弱で見窄らしいというのは、何も身なりが乞食みたいと言う意味ではなく、むしろ華美、贅沢、虚飾、虚栄とは全く縁遠い存在であり、政治家の妻としての各種パーテーや海外視察や外交儀礼への同伴や同行には不向きであったと言うこと言っているものだ。

 それでも角栄氏は、別に嫌悪したり冷淡にしたり排除することもなく、生涯を通じて糟糠の妻として連れ添ったことは実に敬意を表するもので、静御前一人を心から愛した義経のような英雄のような存在を感じるものだ。「英雄は色を好む」とは何も複数の女性を次から次へとちゃらんぽらんに愛するものではなく、たった一人の女性を愛することを言うものだ。この辺が多くの者が誤解しているものだ。複数の女性を愛する者は、どうしても愛情がいい加減になり遊び半分になりやすい。これは色を好む英雄でも何でもなく、ただの軽薄で偽善的な浮気癖の悪い者でしかない。

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