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ナチスは1943年2月から1945年5月まで「全ての収容所に赤十字の監督」を許可した。
http://www.asyura2.com/0610/war86/msg/883.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 12 月 14 日 12:42:32: SjhUwzSd1dsNg
 

(回答先: 国連人権理、ガザ現地調査を中止=イスラエルから査証発給されず 12月12日7時1分配信 時事通信 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 12 月 14 日 01:30:26)

イスラエルは、ナチスの「失敗」の轍を踏みたくない、ということなのか?

http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_05_15.html

 「1948年の赤十字国際委員会(ICRC)の3冊の報告書によれば、収容所では当初から赤十字の監督が許可されたわけじゃなかった。

収容所の囚人は危険分子だから、安全保障上の理由から外部の人間と接触させることは、ドイツにとって好ましくない。

当たり前の話だ。

だが、度重なる赤十字の要請にドイツは譲歩して、1942年8月には主な収容所の監督が許可された。

1943年2月には、全ての収容所に赤十字の監督が許可された。

これによって囚人の待遇が全て赤十字によってチェックされるようになった。

赤十字に対するドイツの姿勢は、ドイツ降伏の1945年5月まで中止されることはなかった」

・・

参考資料: 『Did Six Million Really Die?』 著Richard E Harwood
9. THE JEWS AND THE CONCENTRATION CAMPS:
A FACTUAL APPRAISAL BY THE RED CROSS

・・

The Report admits that the Germans were at first reluctant to permit supervision by the Red Cross of people detained on grounds relating to security, but by the latter part of 1942, the ICRC obtained important concessions from Germany. They were permitted to distribute food parcels to major concentration camps in Germany from August 1942, and "from February 1943 onwards this concession was extended to all other camps and prisons" (Vol. 111, p. 78). The ICRC soon established contact with camp commandants and launched a food relief programme which continued to function until the last months of 1945, letters of thanks for which came pouring in from Jewish internees.

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