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日本軍の慰安所政策について【永井 和】・・警察もびっくり! 「軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キ」
http://www.asyura2.com/07/asia7/msg/327.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2007 年 3 月 07 日 21:37:07: SjhUwzSd1dsNg
 

(回答先: 日本の公文章から見る、軍の関与-軍慰安所従業婦等募集に関する件 投稿者 謝寅 日時 2007 年 3 月 04 日 21:08:37)

売春を取り締まっていた国内の各警察署が、軍が慰安所を運営し、人身売買まがいの募集で女性を集めていたと知って「軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キ」と困惑している様子が描かれています。

それで「斯ル事案ガ公然流布セラルヽニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ボス悪影響少カラズ更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノ」なので、「慰安婦の募集周旋において業者が軍との関係を公言ないし宣伝することを禁じた」のが、「副官通牒」の趣旨だったという結論になっております。

長い論文なので抜粋です。

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http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html

日本軍の慰安所政策について
永井 和(京都大学文学研究科教授)
この報告は、永井和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『二十世紀研究』創刊号、2000年をもとに、一部補足したものである。
はじめに
問題の所在
T.警察資料について
U.陸軍慰安所の創設
V.日本国内における慰安婦募集活動
1.和歌山の誘拐容疑事件
2.北関東・南東北での募集活動
W.地方警察の反応と内務省の対策
おわりに
補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設
追記(2005年6月12日記)

・・・

従軍慰安婦問題は、南京大虐殺問題と並ぶ「自由主義史観論争」の二大問題でしたので、それについていろいろ文献を漁ったところ、偶然、1996年の末に新たに発見された内務省の警察資料が、「女性のためのアジア平和国民基金」から刊行された資料集(『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』1、1997年)に収録されているのを知り、それを読み進めました。私は歴史家ですので、ともかく史料を読んで、それをもとに考えるという癖が身に染みついてしまっております。読んでみますと、いわゆる「従軍慰安婦論争」において、その史料解釈が論議の的となった陸軍のある文書が、どのような背景で出されたのかを説明してくれると思われた、一連の資料に出くわしました。そこで、史料実証主義の面目を回復できるのではないかと思い、論文を執筆することにしたわけです。

それから、「従軍慰安婦論争」に関する文献を読んでみて、慰安所は軍の施設であるにもかかわらず、論争の当事者双方いずれもが、軍隊制度についての知識を欠いたまま議論をしているのではないかとの、感想をもちました。軍隊というものについて基礎的な知識があれば、「軍慰安所は公娼施設である」といった主張はおよそ成り立つはずがないと、私には思えるのですが、それが堂々と主張され、いっぽう否定する側も、「軍慰安所は公娼施設でない」という主張を、軍隊制度に即して展開するよりも、一足飛びに「公娼施設の抑圧性、犯罪性」を強調することが多く、議論がすれ違っているように見えたのです。日本は戦後ながらく平和が続いたせいか、軍隊についての知識が偏っています。作戦、指揮命令、戦闘、兵器といった面に集中していて、軍隊を支える非常に重要な要素にほかならない、兵站や後方組織についての知識が欠けており、それが「従軍慰安婦論争」において思わぬ視野の狭窄を引き起こしているのではないかと感じたことが、論文を書こうと思ったもう一つの理由です。と言いましても、私自身は軍隊の経験はありません。ただ、軍事史を少しばかり勉強したことがありますので、戦前の日本の陸軍の制度については、一般の人よりも詳しい知識があります。といっても、たいしたものではありませんが、その私が見ても、ある種の軍事的分野についての常識を欠いたまま議論が進められているように思えたのでした。

・・・

問題の所在

・・・

まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス2)

・・・

結論を先回りして言えば、問題の警保局長通牒は、軍の依頼を受けた業者による慰安婦の募集活動に疑念を発した地方警察に対して、慰安所開設は国家の方針であるとの内務省の意向を徹底し、警察の意思統一をはかることを目的と出されたものであり、慰安婦の募集と渡航を合法化すると同時に、軍と慰安所の関係を隠蔽化するべく、募集行為を規制するよう指示した文書にほかならぬ、というのが私の解釈である。さらに、副官通牒は、そのような警察の措置に応じるべく、内務省の規制方針にそうよう慰安婦の募集にあたる業者の選定に注意をはらい、地元警察・憲兵隊との連絡を密にとるように命じた、出先軍司令部向けの指示文書であり、そもそもが「強制連行を業者がすることを禁じた」取締文書などではないのである。

T.警察資料について

本稿で考察の材料とするのは、女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第1巻(龍渓書舎、 1997年、以下『資料集成』と略す)に収録されている内務省文書の一部である。

最初に、本稿で扱う警察資料の全タイトルを紹介する。このうち、1と8-2は外務省外交史料館所蔵の外務省記録に同じものが含まれており、前々からその存在がよく知られていた。

外務次官発警視総監・各地方長官他宛「不良分子ノ渡支ニ関スル件」(1938年8月31日付)
群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年1月19日付)
山形県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月25日付)
高知県知事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」(1938年1月25日付)
.和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(1938年2月7日付)
茨城県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月14日付)
宮城県知事発内務大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月15日付)
-1.内務省警保局長通牒案「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年2月18日付)
-2.内務省警保局長発各地方長官宛「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」 (1938年2月23日付)
「醜業婦渡支ニ関スル経緯」(内務省の内偵メモ、日付不明)

・・・

U.陸軍慰安所の創設

・・・

これらを総合すれば、1937年の遅くとも12月中旬には華中の日本陸軍を統括する中支那方面軍司令部レベルで陸軍慰安所の設置が決定され、その指揮下にある各軍(上海派遣軍と第十軍)に慰安所開設の指示が出されたと考えて、まずまちがいない。

・・・

まともに申請すれば、「醜業」と蔑視されている売春業者や娼婦・酌婦に対して身分証明書の発給が許されるはずがない。だからこそ、上海の領事館警察から長崎県水上警察署に対して、陸軍慰安所の設置はたしかに軍と総領事館の協議・決定に基づくものであり、決して一儲けを企む民間業者の恣意的事業ではないことを通知し、業者と従業女性の中国渡航にしかるべき便宜をはかってほしいとの要請(「乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度」)がなされたのである。よって、この依頼状の性格は、軍の方針を伝えるとともに、前記外務次官通達の定める渡航制限に緩和措置を求めたものと位置づけるのが至当である。

V.日本国内における慰安婦募集活動
1.和歌山の誘拐容疑事件

・・・

取調にたいして、大阪の貸席業主金澤は、次のように供述した。

1937年秋、大阪市の会社重役小西、貸席業藤村、神戸市の貸席業中野の3人が、陸軍御用商人で氏名不詳の人物と共に上京、徳久少佐なる人物の仲介で荒木貞夫陸軍大将と右翼の大物頭山満に会い、年内に内地から上海に3000人の娼婦を送ることに決まったとの話を、2人の貸席業主(金澤と佐賀)が藤村から聞き込んだ。そこで、渡航娼婦を募集するために和歌山に来訪し、地元紹介業者の協力を得て、募集活動にあたっているところである。すでに藤村と小西は女性70名を上海に送り、その際大阪九条警察署と長崎県外事課から便宜供与をうけた、と。

また、同じ供述によると、慰安所酌婦の契約条件は「上海ニ於テハ情交金将校五円、下士二円ニテ、二年後軍引揚ト共ニ引揚クルモノニシテ前借金ハ八百円迄ヲ出」すというもので、すでに前借金470円、362円を支払って2人の女性(26歳と28歳)と上海行きを決めたという。

不審に思った田辺警察署はことの真偽を確かめるために、長崎県警察外事課と大阪九条警察署に照会をおこなった。長崎からは、照会のあった酌婦渡航の件は、上海総領事館警察の依頼によるもので、長崎県警としては、総領事館指定の必要書類を所持し、合法的雇用契約と認められるものについては、すべて上海行きを許可しているとの回答が寄せられた26)。この時点では、1937年8月の外務次官通達がまだ有効だったから、軍及び総領事館から前もっての依頼がなければ、長崎県水上警察署が女性の渡航を許可したかどうかは大いに疑問である。逆に言えば、この第1回の渡航を認めた時点で、長崎県警察は慰安所要員の渡航は「業務上正当ナル目的」を有するものと認定したことになる。もちろんその根拠は、慰安所が軍の決定によるものであり、総領事館から慰安婦の募集と渡航につき便宜をはかって欲しいとの要請が前もってなされていたことによる。

また、大阪九条署からは、内務本省からも渡航を認めるよう、内々の指示があったことを思わせる回答が田辺署に与えられた。その概略は以下のようなものであった。

上海派遣軍慰安所の従業酌婦の募集については、内務省より非公式に大阪府警察部長(荒木義夫)へ依頼があったので、大阪府としても相当の便宜をはかり、既に1月3日に第1回分を渡航させた。田辺署で取調中の貸席業者はいずれも九条署管内の居住者で、身元不正な者ではない。そのことは九条警察署長(山崎石雄)が証明するので、しかるべき取計らいをお願いする、と27)。

この九条警察署の回答書から、1月3日に長崎から上海に70名の女性が送られたとの金澤の供述が根も葉もない嘘ではないことがわかる。その一部は大阪で集められたようであり、警察は内務省の非公式な指導のもとに、慰安婦の渡航に便宜をはかったのであった。

・・・

以上をまとめると、次のようになる。上海で陸軍が慰安所の設置を計画し、総領事館とも協議の上、そこで働く女性の調達のため業者を日本内地、朝鮮に派遣した。その中の1人身許不詳の人物徳久と神戸の貸席業者中野は、上海総領事館警察署発行の身分証明書を持参して日本に戻り、知り合いの売春業者や周旋業者に、軍は3000人の娼婦を集める計画であると伝え、手配を依頼した。さらに警察に慰安婦の募集および渡航に便宜供与をはかってくれるよう申入れ、その際なんらかの手ずるを使って内務省高官の諒解を得るのに成功し、内務省から大阪、兵庫の両警察に対して彼らの活動に便宜を供与すべしとの内々の指示を出させたのであった。

・・・

ところが、「皇軍慰安所」がまぎれもない事実、すなわち陸軍慰安所が軍の設置した兵站付属施設であったらどうなるか。

国外で売春に従事させる目的で女性を売買し(前借金で拘束し)、外国(=上海)に移送するという、行為の本質においてはいささかの変わりもないにかかわらず、ありもしない軍との関係を騙って、女性をだましたわけではないので、この場合には誘拐と認定されず、逆に「酌婦公募」として警察から公認される行為に逆転するのである。和歌山県警は、金澤らの女衒行為が、もとをたどればたしかに軍と総領事館の要請につらなり、また内務省も内々に慰安婦の募集に協力していることが判明した時点で、犯罪容疑として取り扱うのを放棄した。すなわち、陸軍慰安所が軍の設置した公認の性欲処理施設であり、通常の民間売春施設とは異なるものであることが確認された時点で、警察は慰安婦の募集と渡航を合法的なものと認定したのである。国家と軍の関与により、それがなければ犯罪行為となるべきものが犯罪行為ではなくなったのであった。

2.北関東・南東北での募集活動

・・・

このような条件でなされる娼妓稼業契約は「身売り」とよばれ、これが人身売買として認定されておれば、大内の行為は「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買」するものにほかならず、刑法第226条の人身売買罪に該当する。しかし、当時の法解釈では、このような条件での娼妓契約は「公序良俗」に違反する民法上無効な契約とはされても、少なくとも日本帝国内にとどまるかぎりは、刑法上の犯罪を構成する「人身売買」とはみなされなかった。

・・・

問題なのは年齢条項である。16才から30才という条件は、「18歳未満は娼妓たることを得ず」と定めた娼妓取締規則に完全に違反し、満17才未満の娼妓稼業を禁じた朝鮮や台湾の「貸座敷娼妓取締規則」にも抵触する。さらに、満21才未満の女性に売春をさせることを禁じた「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」(1925年批准)ともまったく相容れない。大内の活動は明らかに違法な募集活動と言わざるをえない。その点は警察もよく認識していたと見え、群馬県警が入手し、内務省に送付した上記契約条件の年齢条項には、警察側がつけたと思われる傍線が付されている。この契約条件が、上海での軍・総領事館協議において承認されたものなのかどうか、そこが議論のポイントの一つとなろう。私見では、この契約条件がまったく大内の独断で作成されたとはとても思えない。何らかの形で軍ないし総領事館との間で契約条件について協議がなされていたと思われる。たとえそれが契約条件は業者に任せるとの諒解だったとしても、である。

しかし誤解を恐れずに言うと、この年齢条件をのぞけば、趣意書の文面といい、契約条件の内容といい、公娼制度の現実を前提に、さらに陸軍慰安所が実在し、軍と総領事館がこれを公認しているとの条件のもとでは、就業地が国外である点を除くと、この大内の活動は当時の感覚からはとりたてて「違法」あるいは「非道」 とは言い難い。まして、これを「強制連行」や「強制徴集」とみなすのはかなりの無理がある。警察は要注意人物として大内に監視の目を光らせ、彼の勧誘を受けた周旋業者に説諭して、慰安婦の募集を断念させたが(山形県の例)、しかし和歌山のように婦女誘拐容疑で検挙することはしなかった。

ただし、念のために言っておくが、自由主義史観派の言うように、慰安所が軍と関係のない民間業者の売春施設であるならば、田辺事件の例と同様、この大内の募集活動も、軍の名を騙って、女性に売春を勧誘するものであるから、婦女誘拐ないし国外移送拐取の容疑濃厚であり、警察としては放置すべきではなかったことになる。

・・・

W.地方警察の反応と内務省の対策

大内の募集活動を探知した群馬県警察はこれに対してどのような反応を見せたのか。史料番号2の警察報告は次のような言葉で締めくくられている。

本件ハ果タシテ軍ノ依頼アルヤ否ヤ不明且ツ公秩良俗ニ反スルガ如キ事業ヲ公々然ト吹聴スルガ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方所轄前橋警察署長ニ対シ指揮致置候39)

この史料から、軍による陸軍慰安所の設置とその要請を受けた慰安婦募集は警察にとってはにわかに信じがたいできごとであったことがよくわかる。上海総領事館警察から正式の通知を受け取っていた長崎県や、内務省から非公式の指示があった兵庫県・大阪府は軍の要請による慰安婦募集活動であることを事前に知らされ、それゆえ内々にその活動に便宜をはかったのだが、何の連絡も受けていない関東や東北では、大内の話はまったくの荒唐無稽事に聞こえたのである。

軍が売春施設と類似の慰安所を開設し、そこで働く女性を募集しているとなどという話はそもそも公秩良俗に反し、まともに考えれば、とても信じられるものではない。ましてそれを公然とふれまわるにいたっては、皇軍の名誉を著しく傷つけるにもほどがあると、そう群馬県警察は解した。大内は嘘を言って、女性を騙そうとしたわけではない。真実を告げて募集活動をしたために、警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノ」とみなされたのであった。

他の二県(山形、茨城)でも警察の反応は同様である。山形県警察の報告では、

如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キノミナラズ斯ル事案ガ公然流布セラルヽニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ボス悪影響少カラズ更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノ40)

と記され、茨城県でも群馬県とほぼ同様に

本件果タシテ軍ノ依頼アリタルモノカ全ク不明ニシテ且ツ酌婦ノ稼業タル所詮ハ醜業ヲ目的トスルハ明ラカニシテ公序良俗ニ反スルガ如キ本件事案ヲ公々然ト吹聴募集スルガ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリト認メ厳重取締方所轄湊警察署長ニ対シ指揮致置候41)

との判断および指示が下されたのであった。すなわち、警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリ」と非難され、厳重に取締まるべきものとされたのは、「誘拐まがいの方法」でもなければ、「違法な徴募」「悪質な業者による不統制な募集」「強制連行」「軍の名前を騙る非常に無理な募集」「強制徴集」のいずれにも該当しない大内の活動だったのである。もっと言えば、中国に軍の慰安所を設置し、そこで働く女性を内地や植民地で公然と募集することそのものが(つまり軍の計画そのものが)、「公序良俗」に反し、「皇軍ノ威信ヲ失墜」させかねない行為だったのである。

以上のことから、当時の警察の考えと対応は次のようにまとめられよう。

1 一部の地方を除き、軍の慰安所設置について何も情報を知らされておらず、慰安所の設置はにわかに信じがたい話であった。国家機関である軍がそのような公序良俗に反する事業をあえてするなどとは、予想だにしなかった。

2 かりに軍慰安所の存在がやむを得ないものだとしても、そのことを明らかにして公然と慰安婦の募集を行うのは、皇軍の威信を傷つけ、一般民心とくに兵士の留守家庭に非常な悪影響を与えるおそれがあるので、厳重取締の必要があると考えていた。そして、実際にそのような募集行為を行わないよう業者を指導し、管下の警察署に厳重取締の指令を下した。

・・・

つまり、慰安婦の募集周旋において業者が軍との関係を公言ないし宣伝することを禁じたのである。通牒が取締の対象としたのは、業者の違法な募集活動ではなくて、業者が真実を告げること、言い換えれば、軍が慰安所を設置し、慰安婦を募集していると宣伝し、知らしめること、そのことであった。慰安婦の募集は密かに行われなければならず、軍との関係はふれてはいけないとされたのである47)。

この通牒は、一方において慰安婦の募集と渡航を容認しながら、軍すなわち国家と慰安所の関係についてはそれを隠蔽することを業者に義務づけた。この公認と隠蔽のダブル・スタンダードが警保局の方針であり、日本政府の方針であった。なぜなら、自らが「醜業」と呼んではばからないことがらに軍=国家が直接手を染めるのは、いかに軍事上の必要からとはいえ、軍=国家の体面にかかわる「恥ずかしい」ことであり、大っぴらにできないことだったからだ。このような隠蔽方針がとられたために、軍=国家と慰安所の関係は今にいたっても曖昧化されたままであり、それを示す公的な資料が見つかりにくいというより、そもそものはじめから少ないのは、かかる方針によるところ大と言えるであろう。その意味では、慰安所と軍=国家の関係に目をつむり、できるかぎり否認せんとする自由主義史観派の精神構造は、この通牒に看取される当時の軍と政府の立場を、ほぼそのまま受け継ぐものと言ってよい。

副官通牒はこのような内務省警保局の方針を移牒された陸軍省が48)、警察の憂慮を出先軍司令部に伝えると共に、警察が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽化方針を、慰安婦募集の責任者ともいうべき軍司令部に周知徹底させるため発出した指示文書であり、軍の依頼を受けた業者は必ず最寄りの警察・憲兵隊と連絡を密にとった上で募集活動を行えとするところに、この通牒の眼目があるのであり、それによって業者の活動を警察の規制下におこうとしたのである49)。であるがゆえに、この通牒を「強制連行を業者がすることを禁じた文書」などとするのは、文書の性格を見誤った、誤りも甚だしい解釈と言わざるをえない。

おわりに

1937年末から翌年2月までにとられた一連の軍・警察の措置により、国家と性の関係に一つの転換が生じた。軍が軍隊における性欲処理施設を制度化したことにより、政府自らが「醜業」とよんで憚らなかった、公序良俗に反し、人道にもとる行為に直接手を染めることになったからである。公娼制度のもと、国家は売春を公認してはいたが、それは建て前としては、あくまでも陋習になずむ無知なる人民を哀れんでのことであり、売春は道徳的に恥ずべき行為=「醜業」であり、娼婦は「醜業婦」にすぎなかった。国家にとってはその営業を容認するかわりに、風紀を乱さぬよう厳重な規制をほどこし、そこから税金を取り立てるべき生業だったのである。

しかし、中国との戦争が本格化するや、その関係は一変する。いまや出征将兵の性欲処理労働に従事する女性が軍紀と衛生の維持のため必須の存在と目され、性的労働力は広義の軍要員(あるいは当時の軍の意識に即して言えば「軍需品」と言った方がよいかも知れない)となり、それを軍に供給する売春業者はいまや軍の御用商人となったのである。国家が民間で行われている性産業・風俗営業を公認し、これを警察的に規制することと、国家自らが、政府構成員のために性欲処理施設を設置し、それを業者に委託経営させることとは、国家と性産業との関係においてまったく別の事柄なのである。

そう考えるならば、同じように軍の兵站で働き、軍の必要とするサービスを供給する女性労働力であった点において、従軍看護婦と従軍慰安婦との間には、その従事する職務の内容に差はあれ、本質的な差異を見いだすことはできない。慰安婦もまたその性的労働によって国家に「奉仕」した/させられたのであった。

・・・

このような戦時総動員のヒエラルキーが形づくられた要因はさまざまであるが、慰安婦に関して言えば、軍・警察の一連措置が内包していたダブル・スタンダードの持つ役割にふれないわけにはいかない。すでに述べたように、軍・警察は慰安所を軍隊の軍紀と衛生の保持のため必須の装置とみなし、慰安婦の募集と渡航を公認したが、同時に軍・国家がこの道徳的に「恥ずべき行為」に自ら手を染めている事実については、これをできるかぎり隠蔽する方針をとった。軍の威信を維持し、出征兵士の家族の動揺を防止するために、すなわち戦時総動員体制を維持するために、慰安所と軍・国家の関係や、慰安婦が戦争遂行上においてはたしている重要な役割は、公的にはふれてはいけないこと、あってはならないこととされたのである。
・・・
補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設

軍慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったことはすでに述べた。このことを裏付けてくれる、陸軍の規程を偶然に発見したので、紹介しておきたい。それは1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」という陸軍大臣が制定した軍の内部規則である52)。その名の示すとおり、戦時の野戦軍に設けられる酒保(物品販売所)についての規程である。添付の改定理由書によると、日露戦争中の1904年に制定された「野戦酒保規程」が日中戦争の開始とともに、古くなったので改正したとある。改正案の第1条は次のとおりであった。

第一条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他特ニ従軍ヲ許サレタル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス
   野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得

ここに「慰安施設」とあるのに注目してほしい。改正規程では、酒保において物品を販売することができるだけでなく、軍人軍属のための「慰安施設」を付属させることが可能になったのである。改正以前の野戦酒保規程の第一条は、以下のとおり。

第一条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス

ここには「慰安施設」についての但書きはない。第一条改正の目的が、酒保に「慰安施設」を設けることを可能にする点にあったことは、改正規程に添付されている「野戦酒保規程改正説明書」(経理局衣糧課作成で昭和12年9月15日の日付をもつ)で、次のように説明されていることから明らかである。
「改正理由

野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ為シ得ルコトモ認ムルヲ要スルニ依ル」

このことから、1937年12月の時点での、陸軍組織編制上の軍慰安所の法的位置づけは、この「野戦酒保規程」第一条に定めるところの「野戦酒保に付設された慰安施設」であったと、ほぼ断定できる。酒保そのものは、明治時代から軍隊内務書に規定されているれっきとした軍の組織である。野戦酒保も同様で、陸軍大臣の定めた軍制令規によって規定されている軍の後方施設である。してみれば、当然それに付設される「慰安施設」も軍の後方施設の一種にほかならない。もちろん、改定野戦酒保規程では「慰安施設」とあるだけで、軍慰安所のような性欲処理施設を直接にはさしていない。しかし、中国の占領地で軍慰安所が軍の手によって設置された時、当事者はそれを「慰安施設」と見なしていたことが、別の史料で確認できる。本稿のはじめのところで紹介した、上海派遣軍司令部の参謀達の日記がそれである。念のために再掲する。

上海派遣軍参謀長飯沼守少将の陣中日記(『南京戦史資料集I』)
「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」(1937年12月11日)
「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」(1937年12月19日)
同参謀副長上村利通陸軍大佐の陣中日記(『南京戦史資料集II』)
「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」(1937年12月28日) 

これらの記述から、この時上海派遣軍に設置された「慰安施設」は「女郎屋」であり、「南京慰安所」と呼ばれたことがわかる。逆に言えば、上海派遣軍の飯沼参謀長は、「女郎屋」である「南京慰安所」を軍の「慰安施設」と見なしていたことを、上記の史料は示している。

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