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JMM [Japan Mail Media]  「ウェブ2.0という公共空間」  冷泉彰彦 
http://www.asyura2.com/07/bd47/msg/160.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 12 月 24 日 00:43:50: ogcGl0q1DMbpk
 

                             2006年12月23日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.406 Saturday Edition
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                        http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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  ■ 『from 911/USAレポート』第283回
    「ウェブ2.0という公共空間」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』第283回
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「ウェブ2.0という公共空間」

 週刊誌の「タイム」は、毎年年末になると「今年の顔」を選定して表紙にするのが
通例となっています。2001年のNYのジュリアーニ市長、2004年の再選され
たブッシュ大統領など、その年を代表する人物を選ぶのですが、そのたびにその選び
方が話題になってきました。「今年の顔」は個人とは限りません。例えば2003年
は「イラクに派兵された兵士」一般が選ばれるということがありました。

 その「タイム」誌の「顔」ですが、今年は「あなた」だというのです。厳密に言う
と "You."(ユー・ドット)ということで、いわゆる「ウェブ2.0」時代を生きる
ネット参加者としての「あなた」が今年の主役というわけです。その中でも注目され
たのが「ユーチューブ」で「タイム」の誌面もそのほとんどが「ユーチューブ」現象
についてのものでした。

 この「ユーチューブ」はグーグル社に高額で買収されたニュースなどで日本でも有
名だと思いますが、さりとて「今年を代表する現象」と言われると、どうもピンと来
ない方もあるかもしれません。何となく違法にTV番組をアップロードしたり、素人
のコミカルなビデオクリップを共有して楽しむサイト、そんなイメージでしょうか。

 では、どうしてアメリカでは「ユーチューブ」が「現象」と言われているのでしょ
う。まず今年の場合は、何と言っても11月の中間選挙で大きな役割を演じたという
ことがあります。民主党、共和党の双方の若い支持者が、お互いに「ニュース映
像」、「選挙CM」をアップロードし、それが世論形成に影響を与えたのです。

 例えば、中傷広告に「行き過ぎ」があったり、実際に政治家がらみのスキャンダル
で「明らかに苦しい弁明」などがあると、その映像はたちどころにネットにあふれ
る、そんな状況を呈していたのでした。「ユーチューブ」には、ある映像を見た人に
は「この映像を閲覧した人は、こんな映像も見ていますよ」というリンクが提供され
ます。結果的に、それぞれの政党の支持者はその価値観に従ってリンクを形成し「な
るほど共和党の候補者のイラク戦争支持のロジックはみんな同じようなものだな」と
か「昨日のブッシュの記者会見はひどかったな」などと映像を確認してワイワイガヤ
ガヤやる、そんな動きになって行ったのです。

 この点に関しては、16日の土曜日にCNNが「今年を振り返る」特集の中で、キ
ャスターのマイルズ・オブライエンと、政治評論のジェフ・グリーンフィールドが若
手の批評家を集めて「ユーチューブの変える社会」というタイトルで討論をしていま
した。この場の結論としては「ユーチューブ」に代表される「ウェブ2.0」は問題
だらけだというのです。

 例えば「スキャンダルのニュースは一方的に暴走する」ということがあります。今
回の中間選挙直前に噴出した共和党下院の「少年愛疑惑」に関しても、ハスタート下
院議長(当時)などの「明らかにぶざまな言動」がウェブ上にあふれたのだと言いま
す。大統領候補に擬された大物であるバージニアのアレン上院議員が落選したのも、
インド系の民主党支持者が集会を見に来たのを「マカカ(意味不明の差別的表現)が
来た」と言ってしまい、その映像が「ユーチューブ」で繰り返し流されたからだそう
です。またアラブ系のジャーナリストからは、イラクなどにおける米軍のスキャンダ
ルを契機として、映像がウェブ上を駆け回ることで必要以上に反米感情が煽られてい
るという指摘もありました。

 とにかく映像を「あなた」個人がどんどん発信できることは、社会に対する感情的
なメッセージが増幅してしまうのだというのです。では、何らかの規制が必要なのか
というと、グリーンフィールドは「全く不可能でしょう。この新しい事態と我々は付
き合いながら、新しい社会を作って行かなくてはならないのです」という結論で締め
くくっていました。

 雑誌「タイム」の記事の中でも「ユーチューブ」現象の弊害に関しては様々な議論
がされています。普通の「あなた」の視線が時には「監視社会」を作り出し、時には
微細な現象の「クローズアップ」を可能にし、全く新しい現象や個人に「スポットラ
イト」を浴びせるかと思うと、多少の悪でも「石けんのようにキレイに洗い流してし
まう」非寛容性も持っているというのです。

 ただ、記事全体はポジティブなトーンでまとめられており「有名人が代表して世論
を誘導する時代は終わり、個々人の『あなた』が発信することで世論が形成されてい
くのは良いことだ」という指摘もされています。私もこの「ウェブ2.0」という事
態に対しては、とにかく前向きの気持ちを持って新しいコミュニケーションの形態
が、情報流通の質と量を拡大しながら合意形成をしてゆく機能へと育ててゆくことが
必要だと思います。

 ところで、日本では「ユーチューブというのはTV番組など著作権の敵」という考
え方が強いようですが、アメリカではこの問題に関しては比較的寛容です。ニュース
のインタビュー映像などは、確かに局の著作権があり、現時点では「ユーチューブ」
での公開は許諾はされません。ですから最終的には削除されていくのですが、アップ
された直後の24時間とか36時間の間にアッという間に全国で閲覧されて世論に影
響を与えてしまうのです。それが、現時点では黙認されています。

 では、どうして黙認されるのかというと「ニュースやインタビューの映像」に対す
る一般の「あなた」が持つ「批評の権利」ということが背景にあるのだと私は思いま
す。(この点の法的な問題については、まだ大きな議論になってはいません。議論が
出たらまたお話することにしましょう)TVの普及以来「動画」である「ニュースや
インタビューの映像」は極めて大きな影響力を行使してきました。

 極めて大きな影響力があるにも関わらず、TVのコミュニケーションは一方的です。
新聞や雑誌の場合は、活字による批判が可能です。批判的な意見をその新聞に寄せれ
ば、取り上げてくれることもありますし、意見の異なる別の新聞で反対の論陣を張る
こともできます。要するにメディアへの「批評の場」があるのです。TVの場合も
「活字による批判」は可能は可能でしたが、これは十分に機能しなかったのです。
「動画」という巨大な説得力に対する活字の批判は、どうしても説得力に欠けるから
です。

 今年「ユーチューブ」が社会に持ち込んできたのは「動画を批評」するための「動
画の引用」という行為を可能にしたということです。失言をした議員、芸能人の愚か
な発言、余りに一方的な中傷広告といった「映像」に対して、世論が「批評」するこ
とが可能になったのです。それも「引用」をつけることで未見の人も議論に参加でき
るようにしたのです。言い換えれば、映像の恐ろしさをそのままに投げ返すことが可
能になったということでしょう。

 今週の「ユーチューブ」での話題は不動産王ドナルド・トランプと、女性キャスタ
ーのロジー・オドネルの「バッシング合戦」でしょう。以前からこの二人のケンカは
有名だったのですが、今週の「ミスUSA」事件で舌戦は一気に加速しました。日本
でも報道されていると思いますが、ケンタッキー出身のタラ・コナーという「ミスU
SA」が21歳未満にも関わらずNYのバーで何度も泥酔していたため、タイトル剥
奪の噂が出ていたのです。

 実際に次点の女性の繰り上げまで取り沙汰される中で、この「ページェント」の主
宰者であるドナルド・トランプが会見して「誰にでも過ちはある。それに私は人をク
ビにするのは基本的に嫌いなんだ。だから、タラにはセカンド・チャンスを与えた
い」とやったのです。アメリカではここ数年、未成年者の飲酒や暴力は「ゼロ・トレ
ランス(非寛容)」という態度が主流となっており、つまり初犯でも重罪にすること
で発生を防ぐというアプローチが一般的なのですが、トランプはそこに「寛容の精
神」を持ち込んで、タラ・コナーの涙という映像と共に点数を稼いだのでした。

 これに噛みついたのがオドネルです。彼女は同性愛を公言してメインストリームの
トークショー司会者から「干された」時期もあったのですが、今はabcの「ザ・ビ
ュー」という奥様向けトークショーの中での「毒舌役」として人気があります。その
オドネルは、トランプの「セカンド・チャンス」発言を「下心ミエミエの下品な判
断」だとこき下ろし、勢いに乗って「そもそもあの人は、何度も会社を破産させて債
権者のカネをドロボーした人」などと言いたい放題をやり始めたのです。

 これに対してはトランプも黙っておらず「ロジーは、トークショーでも失敗した
し、雑誌を出しても大失敗した」と対抗、お互いの罵倒合戦はエスカレートしていま
す。こうなると「有名人や主流のメディアには品格も何もない」一方で、そのダメさ
加減を冷ややかに引用したり批評するメディアが「ユーチューブ」という構図も出て
きているのでしょう。ちなみにトランプの反論ビデオは36時間で48万件というた
いへんなヒット数になっています。

 現在の社会現象は、大なり小なりこうした「ユーチューブ」的なものの影響下にあ
ります。例えば、今週になって大統領夫人のローラ・ブッシュが「足のすね」の部分
に皮膚ガンが発見されたものの、すでに治療に成功しているということを公表しまし
た。実際の罹患から三ヶ月も経ってからの、しかも記者に「ミセス・ブッシュ、その
絆創膏は何ですか?」と聞かれて「バレ」たとあって、メディアの方は「情報公開が
されていない」と批判の構えです。

 これに対しては、ホワイトハウスのスノウ報道官が「大事ではないから公表しなか
った。そもそも虫さされのようなものだと聞いている」とコメントして、物議を醸し
ています。勿論、批判の最大の理由は「ファーストレディーのガン罹患を隠して選挙
戦を戦ったのは卑怯」というニュアンスなのですが、ローラ夫人本人の立場を考えれ
ば「ユーチューブ」の発達した現代に、自分の足の患部を映した包帯なり絆創膏なり
の動画がネットにあふれるのは、さすがにイヤだったのではないでしょうか。その点
では多少は同情の余地があるように思います。

 今週のTVメディアは、実に古典的な登山家の遭難劇をずっと追いかけていました。
オレゴン州のカスケード山脈にあるフッド山といえば三千メートル級の名山ですが、
最近は巨大な低気圧の直撃を受けて吹雪の続く荒天に見舞われていました。そんな
中、ベテランの登山家三名が消息を絶ってしまったのです。寒波、吹雪、雪崩という
悪条件ではありましたが、経験豊富な登山家ということもあり、一週間以上捜索が続
けられる中、希望を持ち続ける家族の姿をTVは毎日追いかけていました。

 最終的は、一人が雪洞の中で遺体で見つかり、残りの二名に関しては全く手がかり
がないことから「滑落して不明」という見解が出て、最終的に捜索は打ち切られたの
です。では、どうしてこのような古典的な冬山遭難劇がTVで大きく取り上げられた
のでしょう。家族が取材に前向きだったということもありますが、全米の世論に「イ
ラクのような出口のない問題には関心を持ちたくない」という逃避心情がある中で、
単純な冬山遭難のドラマにはかえって心情移入ができた、そんな解説も可能でしょう。

 さしずめ日本でしたら「ベテランの登山家といっても自己責任、好きで山へ行って
迷惑をかけているのだから、家族はデカイ面をするな」というような厳しい視線が飛
んできそうなケースで、アメリカでも(日本よりはこうした傾向は「遅れて」いるに
しても)一歩間違えばそんな反応が出てくる危険もあります。そんな中、どうして
「夫の帰り、弟の無事を信じる」家族の必死の表情が共感を呼んだのでしょうか。

 そこには「ユーチューブ」的なものへの反動があるのだと思います。個人の「あな
た」が時代の気分に乗って発信する情報を追いかけるというのは、一種の疲労感をも
たらします。主流のTVメディアにしても、「トランプとロジーのケンカ」ばかり取
り上げても「ユーチューブ」的なものに対抗できないのです。そこで「堂々と危険を
冒して冬山に登った登山家」そして「堂々と不明者の安否を心配して結束する家族」
何よりも「人を寄せ付けない冬山の峻厳な映像」といった「古典的」な映像、「ユー
チューブ」的な批判の不可能な映像に、ある種の安心感を持ったのではないでしょう
か。

 時あたかもクリスマスとハヌカの季節、人々が少しだけ昔からの習慣に戻り、少し
だけ優しくなれる季節なのでしょう。「弟の遺体発見に際して無念を語る兄」そして
「捜索断念という苦渋の決定を説明する山岳救助隊員」の映像をTVが何度も何度も
放映していた背景には、そんな心情があるように思います。

 この「ユーチューブ」の大流行、そして「あなた」の情報発信が可能になった時代
をどう評価すれば良いのでしょうか。それは「恣意的な私」が「公的空間」を荒らし
回る時代なのでしょうか。私はそうではないと思います。現代は複雑な時代です。ま
たイメージの時代でもあります。個々の事件の背景に複雑な利害関係と因果関係の入
り乱れた時代である一方で、単純なイメージが巨大な説得力を持ってしまう時代でも
あります。

 こうした時代において、「一方通行」であると同時に「即応体制の弱い」中で硬直
化した古典的マスメディアだけでは、十分な情報流通と合意形成は不可能になりつつ
あります。「ユーチューブ」は、そうした時代の要請に応えるものであるし、もっと
言えばこのネット上の空間が現代における「公共性の空間」になりつつあるのでしょ
う。

 今回日本で改正が成立した「教育基本法」では「公共性の尊重」がうたわれてお
り、賛否両論の対象となりました。ですが、賛成する立場も、反対する立場も「公共
性」というのは、秩序を維持するための「私権の制限」によって成し遂げられると思
っているようなのです。この辺りの議論の貧困が、今回の「改正」騒動の最大の問題
点だと思うのですが、そもそも「私権を制限すれば秩序が確保できる」という発想は
現代の社会ではテクニカルに不可能なのではないでしょうか。

 この発想は、非常に単純化して言えば、明治藩閥政府の、とりわけ長州閥の山県有
朋であるとか、伊藤博文(彼のニュアンスはもっと複雑で陰翳に富んでいますが)な
どの発想と同じと言って良いのでしょう。民衆は愚かだから放置しておけば共産革命
などの無秩序に陥る、という恐怖に基づいた単純な世界観です。この恐怖心が藩閥政
府を開発独裁から民主化への離陸ではなく、自滅の方向へと追いつめていったのです。

 現代の長州閥政府も、やたらに「秩序」であるとか「公共」ということを口にしま
すが、問題は百年前と同じと言って良いのでしょう。「無秩序への恐怖」から「私権
の制限」へという結論へは簡単に飛ぶのですが、では自分たちには「秩序」を形成す
るだけの情報や判断力があるのか、というと実はかなり怪しいということになります。
そこで「事態を打開」しようと危険なギャンブルを繰り返して国を滅亡させてしま
う、そこには70年前と似たような状況を感じざるを得ません。

 しかも日本の場合は、藩閥政権的なものに「批判の能力のある階層」が不正な既得
権者というイメージで見られ、庶民の「閉塞感を打開したい」というエネルギーが政
権批判ではなく、政権の求心力に吸い寄せられてしまうという現象もあります。(こ
れは70年前にも似たような現象があったようで、この点に関する研究は真剣に進め
られるべきだと思います)

 では、「ユーチューブ」に代表されるアメリカの「公的空間」は進んでいて、日本
の状況は遅れているのでしょうか。私は違うと思います。日本の閉塞感は「前近代=
プリモダン」ではなくて、やはり「ポストモダン」の世界なのです。一旦は成立した
近代的な価値観が、あっと言う間に相対化してしまう中で閉塞感が起きているのでし
ょう。

 そう考えると、アメリカの「ユーチューブ」現象にはまだまだ古典的な「自由と民
主主義」への信仰が残っていることに気づかされます。民主党支持者も共和党支持者
も、ある意味では自分たちの理念を信じる中で、「ウェブ2.0」の情報共有化の世
界を漂っているのだとも言えるでしょう。ただ、今後こうしたメディアが加速度的に
進んでいくことで古典的な価値観がどんどん崩されることは十分にあり得ることだと
思うのです。

 アメリカの場合は、まだまだ近代の価値観が残っているので「ウェブ2.0」を利
用して情報流通の質量を拡大しながら社会の合意形成力を維持する必要があるのでし
ょう。都合の良すぎる見方かもしれませんが、ベーシックな価値観の崩壊は防ぎなが
ら情報流通だけは拡大する、当面はそのような努力が可能なのだと思います。

 勿論、価値観が残っているとは言っても、そこには偽善と言いますか、醜悪な二重
規準はハッキリと存在しています。オレゴンの遭難者は心配するが、イラクの米兵の
運命は忘れたい、ましてイラクの一般市民の犠牲には全く関心を払わない、そんな醜
悪な事態がアメリカの現在です。ただ、「ウェブ2.0」にはこうした事態への自省
を促すような可能性もある、そうした希望的観測も現時点では不可能ではありません。

 日本の場合は、基本的な価値観が相対化してしまっており、はるかに厳しい社会と
いう状況からは逃げられないと思います。相対化した価値観が判断基準としては無力
になっている代わり、膨大な事実、複雑な利害関係と因果関係を把握しながら社会の
合意形成をしてゆかねばなりません。そのためにも、良い形での「ウェブ2.0」の
実用化が課題となるでしょう。「ユーチューブ」に代わる新しいコミュニケーション
形態を発明する、2007年の日本にはそれを期待したいと思います。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
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JMM [Japan Mail Media]                No.406 Saturday Edition
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【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】   <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
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