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JMM [Japan Mail Media]   「年の瀬の葬送」  冷泉彰彦 
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投稿者 愚民党 日時 2006 年 12 月 31 日 15:32:06: ogcGl0q1DMbpk
 

                            2006年12月30日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.407 Saturday Edition
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                        http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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  ■ 『from 911/USAレポート』第284回
    「年の瀬の葬送」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』第284回
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「年の瀬の葬送」

 2006年が暮れようとしている中、フォード元大統領の訃報が伝えられました。
30日の土曜日に国葬が行われる正に年の瀬の葬送とあって、ニュースとしての扱い
は大きいのですが、内容は「予定原稿」的なものがほとんどです。フォード政権の評
価としては、ウォーターゲートとベトナムというアメリカの「傷を癒す」時代として
記憶されてはいるものの、今では遠い前世紀のエピソードとも言う扱い、そんなとこ
ろがせいぜいです。天寿を静かに全うした亡くなり方も含めて静かな死には違いあり
ません。ですが、「あの時代」を簡単に過去にしてしまっても良いのでしょうか。

 フォード大統領というのは、アメリカの憲政上異例な存在です。ウォーターゲート
事件が終盤を迎え、ニクソン大統領の罷免が濃厚となった際に、ニクソンが任期中に
大統領でなくなった場合のことが大変な問題になりました。憲法上、任期中の「出直
し選挙」のできないアメリカでは、大統領が欠けた場合は、自動的に副大統領が昇格
します。その際には事件に責任のある現職閣僚ではなく、政権に無関係な「クリー
ン」な人物が必要、そんな事情からジェラルド・フォードという人物に白羽の矢が立
ったのでした。

 ですから、フォードという人は、議会上院による「副大統領としての承認」を受け
ただけであって、大統領としても副大統領としても公選の洗礼は一度も受けてはいな
いのです。そんな異例な大統領を据えなくてはならない、そこまでアメリカの傷は深
かったのでした。では、その70年代のスキャンダルにアメリカは学んでいるのでし
ょうか。

 まず、ウォーターゲートですが、ここで問題になったのは「盗聴行為」という犯罪
の卑劣さに加えて「偽証罪」という犯罪に大統領が関わったという点でした。です
が、事件から30年以上を経た現在では、「盗聴行為」というのはタブーになるどこ
ろか、NSA(国家安全保障局)による公然の行為として日常化しています。詳しく
は私の訳した『チャター』(パトリック・ラーデン・キーフ著、NHK出版刊)を参
照していただきたいのですが、「政敵への盗聴」をアメリカは英国にさせて、お互い
に情報を交換するというような行為も日常化しているようです。また、国内の「テロ
容疑者」への盗聴は令状のないままに恒常化しています。

 また「偽証罪」に関して言えば、クリントン大統領が「モニカ疑惑」の際に「個人
的な問題を明かさないのは家庭を守るため」という弁明で「偽証疑惑」に関して居直
ったことが思い出されます。その騒動の中で、政争の具としての大統領罷免運動に際
しては一種の防衛的な「言い逃れ」が認められる、ある意味では「偽証問題」のイン
パクトを軽視する風潮が固定化したと言っても良いのでしょう。「盗聴」にしても
「偽証」にしてもウォーターゲートの教訓は生きていないのです。別の言い方をする
ならば、大統領が全人格的な「連邦国家統合の中心」であった時代は遠い過去になっ
たかのようです。

 教訓ということでは、ベトナムも同じです。2007年はもう一歩手前まで来てい
るこの年の瀬の時点では、アメリカのイラク戦争政策は消極に転じつつあり、イラン
に関しては依然として強硬な言葉の応酬が続いていますが、戦争という選択は現実と
はならないと思います。それにしても、イラク政策の失敗はアメリカの選択肢を縛っ
てしまいました。軍事的な勝利を得てしまうと地域の秩序再建への「責任」が生じて
しまう、この当たり前といえば当たり前の法則は「その責任を全うできない」ことが
明らかになると、逆にあらゆる軍事行動への束縛となってしまうのです。

 ベトナムの教訓と言えば、戦略上の失敗は大きな二点だとされています。まず大規
模な攻撃で「点」を確保しても、地の利のあるゲリラの反撃に悩まされて「面の支
配」ができなかったことが一点。もう一つは、傀儡政権の不安定です。アメリカの意
向を受けて冷戦の盾となった「南」の政権は最終的に民心を得ることができなかった
事実です。

 今回のイラク戦争の場合は、ブッシュ政権や軍部にしてみれば、緒戦において一気
にバグダットを突くことでベトナムのような膠着状態は避けられると思ったのでしょ
う。ですが、結局はベトナムと同じ道を辿っていると言っても過言ではありません。
いや、ベトナムの時以上に問題は深刻です。良くも悪くも、アメリカは「戦争の不可
能性」つまり戦闘の勝利が何も意味を成さない、というパターンに陥りつつあるので
す。

 戦争の目的が「敵国の無害化」にあるにしても、「敵国を消滅させる」ことは不可
能である以上、相手国の民心を自国に対しては最終的に友好的としなくては「無害
化」は達成できません。その「民心を得る」といういわば戦争の本当の目的のために
は、戦闘による相手国の人命およびインフラの破壊という行為はマイナスでこそあ
れ、プラスにはならないのです。そこに「戦争の不可能性」という問題が生じるので
す。実は、ベトナムでもその問題が浮かび上がっていました。ですが、アメリカは
「ゲリラの地の利」であるとか「傀儡政権の腐敗」という細かな現象に責任を転嫁す
る形で、本当の意味での教訓を学ばなかったのだと言えます。

 ここで少し、この「戦争の不可能性」という問題についてお話ししたいと思いま
す。例えばイランの場合、仮に部分的な軍事行動で核関連施設の破壊に成功したとし
ても、攻撃を受けた政権はかえって強い支持を得るでしょう。民間人犠牲が出れば、
その犠牲は英雄とされ、紛争の飛び火を嫌がる周辺国もアメリカの軍事行動を非難こ
そすれ、支持はしないでしょう。イラクのシーア派もそんなアメリカに距離を置くこ
とが考えられます。そんな中、アメリカは政治的に追いつめられてしまうでしょう。

 非常に大ざっぱな言い方になりますが、20世紀の前半まではそんな心配はあまり
ありませんでした。戦争に勝利して相手国の政権を転覆させる、あるいは植民地にし
てしまう、そんな行為がそれなりにまかり通って来たのです。ある意味で、軍事的勝
利がそのまま戦後における統治の正当性となり得たのです。ですが、21世紀は違い
ます。勝利者が敗者の生殺与奪の権を奪うことが完全にはできないのです。

 どうしてこうなったのでしょう。20世紀までの世界では、戦争に負けるというこ
とは死を意味したのです。アジア、アフリカの途上国だけでなく、北方の国でも食糧
不足がありましたし、一旦は産業社会を経験したドイツや日本などでも「総力戦」と
いう愚かな選択の挙げ句に敗北した時点では、人々を「食べさせる」ことも難しい事
態に立ち至りました。

 そんな中で、戦勝国が大量の資金と物資をかついで乗り込んでいく、それに自由や
平等といった精神的な開放感を加えていけば「統治」は可能だったのです。日本の場
合もドイツの場合も、第二次大戦後60年を経ていますが、この間に「完全な反米政
権」ができたことは一度もありません。この両国の場合は良くも悪くも、この間アメ
リカの間接統治は完璧な形で機能し続けているのです。

 ですが、現在の戦争は違います。まず国連の存在があります。国連憲章に基づくP
KFとして戦争が起きた場合は、戦後処理は完全に国連の枠組みで行われるのです。
ですから特定の国が統治の責任を負うことはありません。また戦勝の利権を独占する
こともできないのです。また国連のおかげで「総力戦」であるとか「世界大戦」とい
うような愚行に至る可能性は非常に少なくなりました。この欄でも何度かお話をしま
したが、国連という機関が設立された目的は世界大戦の防止であって、この点では今
でも設立の主旨はほぼ100%実現されているといって良いと思います。

 現代の戦争を変えたもう一つの大きな要因は「情報」でしょう。情報といっても、
一部の軍人や政治家がコソコソと集めた「インテリジェンス(諜報)」のことではあ
りません。そうではなくて、マス・メディアによって流れる戦争報道のことです。現
代においては、戦争報道を100%統制することは不可能になっています。同時に、
いかなる戦争であっても民間人の犠牲は悪であるということもようやく世界の世論と
して確立してきていると思います。

 そんな中では、例えばイラクのような規模の大きな国を徹底して破壊することは不
可能になっているのです。敗戦は不名誉なことです。そして敗戦国民が戦勝国の統治
を受け入れるというのは、極めて屈辱的なことだと言わねばなりません。その屈辱を
受け入れてもなお、勝者の統治を受け入れるには「そうしなくて生きてゆけないだけ
の徹底した破壊」が必要です。ですが、現在の国際世論の目は厳しく、そのような徹
底した破壊をしては世界から孤立してしまいます。

 そんなわけで、アメリカにとってイラク戦争の現状は(1)当事国イラクからもア
メリカの国内外からも十分な批判を浴びるだけの破壊、を行いながら(2)再建への
協力を感謝されるほどの破壊、には至っていない。つまり、中途半端な状況になって
いるのです。勿論、徹底的に破壊しておけば良かったということは全くありません。
取り返しのつかないことながら、今から考えれば戦争という選択肢は全くなかったケ
ースだと言えます。

 これはイラクという国の持つ特殊な要因がそうさせているのでしょうか。確かにフ
セイン政権は、独裁でありながら女性の人権や教育、社会インフラという意味では統
治に成功していた政権でした。従って、秩序を破壊することのデメリットはイラク国
内の社会には大きかったのです。ですが、このイラクの状況は決して特殊ではありま
せん。アメリカに「刃向かうだけの力を持った社会」という意味では、イランにして
もベネズエラにしても構図は似ています。北朝鮮にしても、体制を破壊することは再
建コストを負担することを意味する中、関係国がみな腰の引けた状態になっていると
いう点では、よく似ています。

 2006年はそんな意味で「戦争が不可能になった時代」に人類が立ち至ったとい
うことを告げる静かな転換点だったのかもしれません。戦争が殺戮であり、悪だとい
う以前の問題として、戦争に「勝ってしまう」ことによって他国の支配に関する責任
が生じる時、そのコストの前には戦勝のメリットなど吹き飛んでしまう、そんな時代
がやってきているのです。本来であればベトナムの時点でアメリカはこのことに気づ
くべきでした。ですが、今もまだ気づいていないのです。

 現在のアメリカに関して言えば、ベトナムやウォーターゲートのような「激しい
傷」と向き合ってその痛みの中から再生へ、というストーリーは描けそうもありませ
ん。問題が曖昧にされる中でどんどん深刻になって行く、そんな回路から当分は抜け
出せそうもないのです。そう考えると、フォード政権の時代を「遠い過去」としてし
まって「現在進行形の問題」と重ねるだけの想像力を持てないこと自体が、現在のア
メリカの抱えている悲劇だと言えるのでしょう。

 フォード政権はある意味で「ニクソン政権の幕引き役」に過ぎませんでした。そし
て1976年の大統領選挙では、国民は共和党政権を嫌って、「クリーン」なイメー
ジのジミー・カーターを大統領に選びました。初の南部出身候補という大きな「ハン
ディ」を背負ったカーターですが、選挙の時点では大きなブームを起こすことに成功
したのです。

 歴史は繰り返すと言いますが、その意味では、共和党政権によるイラク政策の行き
詰まりの後には、有権者が「清新さ」を渇望するという現象が起きるかもしれません。
今回は「初の南部出身候補」ではなく、「初の黒人候補」のバラク・オバマ、あるい
は「初の女性候補」であるヒラリー・ロッダム・クリントンのような候補を選択する
ことになる、時代のムードはそんな条件を整えているとも言えます。

 新しい年、2007年には、そうした大統領候補を世論が鍛え、選んでいくプロセ
スに入っていきます。何しろ、現職の大統領も副大統領も候補とはならない、したが
って与野党の双方が全く白紙から予備選を行って候補を絞り込んでいく、そんな歴史
的な大統領選になるのが今回2008年の選挙です。願わくば、偽証や盗聴に汚れた
「大統領制」に少しでも新しい生命を吹き込むと共に、「戦争の不可能性」という現
実をしっかりと見据えるような候補が現れて欲しいものです。ジェラルド・フォード
という「歴史のつなぎ役」をこの年の瀬に送るということは、ある意味で大統領制の
将来に思いを馳せることなのかもしれません。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
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