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JMM [Japan Mail Media]  「影の中に明けた新年」  冷泉彰彦 
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投稿者 愚民党 日時 2007 年 1 月 06 日 19:35:50: ogcGl0q1DMbpk
 

                             2007年1月6日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.408 Saturday Edition
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                        http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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  ■ 『from 911/USAレポート』第285回
    「影の中に明けた新年」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』第285回
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「影の中に明けた新年」

 NYのタイムズスクエアにおける恒例の「年明けのカウントダウン」は、異常な暖
冬ということもあって空前の人手になりました。その中継をしたABCテレビの定番
番組「ロックンロール・カウントダウン」では、脳溢血で倒れたキャスターのディッ
ク・クラークが昨年から復帰して今年も元気な姿を見せるなど、明るいムードに包ま
れた、そして賑やかな年越しになったように見えました。

 ですが、年の変わった午前零時を過ぎた頃から、ここアメリカ東海岸ではポツポツ
と雨が降り始め、夜明けと共に大降りとなりました。鉛色の空から際限なく雨粒の落
ちてくる何とも暗い新年となったのです。通常の年であれば、最も寒いはずのこの時
期に雨が降るなどということは考えられないのですが、その異常性も含めて重苦しい
年のスタートとなりました。

 風景を重苦しくしているのには、他にも原因がありました。初春の街のどこへいっ
ても、半旗が掲げられているのです。半旗というのにも様々なものがあるのですが、
今回は徹底していて、学校や官公庁、商店やショッピングモール、更には一般企業の
オフィスに至るまで、国旗だけでなく州旗や会社の旗までの全てが半旗となっていま
した。こうなると、風景が一変してしまうといっても過言ではありません。

 勿論その半旗というのは、年末に亡くなったフォード元大統領への弔意を示すもの
に他なりません。ですが、私にはもう一人の政治家の死、すなわちイラクの前大統領
サダム・フセインの死もそこに重なって見えて仕方がありませんでした。アメリカ国
内の半旗には、勿論フセインへの弔意などあるわけがないのですが、年の瀬の30日
に慌ただしく処刑されたフセインの死も、この新年を重苦しいものにしている大きな
要素に違いがなかったからです。

 それにしても日本の新年とは全く様子が違います。欧米にならって太陽暦を採用し
つつも「お正月」を一年を通じて最も重要な行事に据えて、基本的には正月の三が日
は静かに過ごす、それだけではなく新年を清新な気分で迎えることのできるように色
々な工夫をするのが日本です。その日本の文化と比較すると、アメリカの年越しの何
と味気ないことでしょう。年越しのパーティーが終わり、一日朝寝坊しただけで2日
からはビジネスが全速力で走り出すのですから。

 私は、そんなアメリカの風俗には十分に馴染んでいたつもりでしたが、30日に始
まったフォード元大統領の国葬が31日、1日、そして2日の国立大聖堂での葬儀に
至るまで年越しの間も続けられたのには違和感を禁じ得ませんでした。フォード氏の
遺体は、この国葬の間、ワシントンの国会議事堂内に安置されて、毎日拝礼を行う一
般市民の列が絶えなかったのです。そして、何千という拝礼者に対してフォード氏の
4人のお子さん、そしてお孫さんたちが交代しながら、一人ひとりと握手を交わすシ
ーンが年明けの間ずっと続いていたのでした。

 昔から「棺の蓋を覆うことで人の評価が定まる」と言いますが、今回の逝去に当
たってのメディアの報道や、政治家達の発言に見られる「フォード礼賛」は大変なも
のでした。公選を経ずに就任し、また2期目への挑戦には敗れた、ある意味では「つ
なぎ」役に過ぎなかったフォードが、まるで聖人のような扱いになっていったのです。

 その頂点は、何と言っても2日の国立大聖堂での葬儀でした。午前9時過ぎに棺が
議会の安置場所から軍の最高の礼式に則って運び出されるシーンから、丸々3時間の
間、三大ネットワークとニュース専門局はCM抜きの特番体制を組んだのです。その
霊柩車が「思い出の」ホワイトハウス前を通って、ワシントンの官庁街を抜け、小高
い丘の上にある国立大聖堂へと向かう間、その聖堂では参列者が静かに着席して待っ
ている、とにかく各局共に最大限の丁寧な扱いでした。2年半前のレーガン葬送と全
くその重さは全く変わりません。

 レーガン葬送の時と違いがあるとすれば、あの時点では「レーガン=超一流の対話
者」という賛辞が弔辞や解説の中であふれてはいたものの、それを強調しすぎると
「現職のブッシュの弱点が浮かび上がりすぎる」という雰囲気があり、スピーチにも
報道にもある種の抑制が感じられたのです。ですが、今回はそうではありませんでし
た。フォードを賛美すればするほど、ブッシュのスケールの小ささが目立つ、そのこ
とを分かっていながら、誰もがフォードを聖人君子のように持ち上げるのです。

 それにしても、立派な葬儀でした。そして遺体への拝礼にあたって家族が総出で握
手をしていたというエピソードが象徴するように、フォード氏の家族の存在感は圧倒
的でした。高齢を押して延々と続く葬儀を見事に仕切ったベティ夫人も見事なら、そ
の4人の子供達が葬儀を通じて、皆何とも言えない人間としての成熟を示していたの
も印象的でした。特に葬儀に当たって聖書の朗読を努めたジャック(ジョン)さん、
スーザンさんの存在感は圧倒的でした。

 スーザンさんは、父親が大統領であった当時にホワイトハウスの二階で生活しなが
らティーンエージャーの難しい時期を過ごし、後にSPの一人と結婚(後に離婚)し
たというようなエピソードの持ち主ですが、今は写真家としてジャーナリストとして
の地位を確立しつつ、フォード財団の実質的な責任者も努めています。そのスーザン
さんをはじめ、4人のお子さん達の醸し出す「品格」を見ているうちに、何となく
フォード氏が聖人のように見えてくるのです。

 葬儀への入場に当たっては、ベティ夫人の手を取ってブッシュ大統領がエスコート
していました。ですが、本来であれば最前列の席に着席するまでちゃんと手を取って
いるべきなのでしょうが、脇にいたスーザンさん、ジャックさんに助けられると、大
統領は夫人を座らせる手伝いはせずにサッサと自分の席に向かってしまいました。私
は「何と失礼な」と思って見ていましたが、もしかするとフォード家の母子が持って
いる強いオーラに負けて、退散せざるを得なかったのかもしれません。

 葬儀に当たっての弔辞は、それぞれに工夫を凝らしたものでした。ブッシュ(父)
は「ジェラルド・R・フォードは偉大なるヒーラー(癒し役)」と述べて、以降メ
ディアのリードの多くはこの「癒し」という役を果たしたという表現になっていきま
した。癒しというのは、他でもありません。ウォーターゲートで傷ついた「アメリカ」
を癒したという意味であり、そこには当時物議を醸した「ニクソンへの無条件恩赦」
を歴史的に承認するという意味合いも含まれます。

 内容的に光っていたのはフォード政権を国務長官として支えた、ヘンリー・キッシ
ンジャー博士の弔辞でした。キッシンジャーはフォードの最大の功績は「ヘルシンキ
宣言」にあるとして、東西の相互承認をしつつ情報流通への道を開いたデタント思想
が、最終的に冷戦打開への布石になったという含蓄のある指摘をしています。

 実は、今回のフォード葬送の中で常に注目されていたのはジミー・カーター元大統
領でした。カーターは1976年の選挙で激戦の果てにフォードを破ったライバルで
す。ですが、自身が大統領を退任した後の1981年以来、この2人は「歴代の大統
領同士では異例の個人的な友情」を結んでいたのだと言います。お互いに家族ぐるみ
の交際を続け、頻繁に行き来をしてきたのだそうで、背景には宗教的な信念が非常に
近いという理由があったのだそうです。

 そのカーターはフォードとの間で「どちらかが先に死んだら、残った方が弔辞を読
む」という約束をしていたのですが、首都での葬儀には参列しただけでミシガン州で
の密葬で弔辞を読む方に回ったのです。実は晩年のフォードはイラク戦争に関して
ブッシュへの批判を強めていたということが明らかになる中で、民主党のしかも同じ
くブッシュ批判を強めているカーターが、国立大聖堂での弔辞を読むことには共和党
筋から異論があったのでは、そんな推測も可能です。

 カーターが登壇しないなると、ブッシュ父子とキッシンジャーという共和党系の人
物だけで弔辞を独占する形になる、それではバランスが取れないということになった
のでしょう。中道やや民主党よりの人物として、ベテランのニュースキャスターであ
るNBCのトム・ブロコウが国立大聖堂での弔辞に引っ張り出されたのにはそんな事
情があるようです。

 そのブロコウの弔辞は「フォード大統領は、裏表ということの全くない人でした。
誰とでも同じように気さくに振る舞い、場所によって発言を変えることもなかったの
です。それは己を知り抜いている人間だけができることです」という表現に始まる見
事なものでした。そして、引退後のフォードが「一市民」としてどれほど社会貢献を
尽くしたかを述べて "Farewell, President Ford. Thank you, citizen Ford"(フォ
ード大統領、心からお別れを申し上げます。そして一市民としてのフォード氏には、
ありがとうと申し上げるしかありません。)と結んでいました。

 この2日の葬儀の弔辞の中では、フォードと日米関係の問題への言及はありません
でしたが、その晩、PBS(公共放送)の人気討論番組「チャーリー・ローズ・ショ
ー」での座談会ではダグラス・ブリンクリーという歴史家が「フォード政権の外交上
の最大の功績は日米関係を強固にしたという点」であるとして「現職大統領として初
の訪日を果たし、また昭和天皇をアメリカに招待した」ことの重要性を強調していま
した。「ここで築かれた信頼関係がなかったら、80年代の貿易摩擦論争の際に日米
はもっと難しくなっていたかもしれない」そんな議論もされていたのです。

 そう考えると、今回の葬儀に当たっての特使が町村前外相というのは、少々疑問が
残ります。正月2日の葬儀ということで、色々な難しさもあったのでしょうし、そも
そもフォード訪日時の日本側は田中角栄首相に大平正芳外相のコンビで、どちらも故
人となっているというような問題もあったのは事実です。ですが、こうした機会に誰
か縁のある人を送り、その存在感をアメリカのTVで見せる、あるいは弔辞の中に
「日本」を入れてもらえるよう何らかの動きをする、そうした工夫はできなかったの
でしょうか。外交における「エピソード性のある情報発信」ということを日本の外務
省はもっと考えるべきだと思うのです。

 さて、2日の葬儀の最後に弔辞を読んだのはブッシュ大統領本人でした。レーガン
葬送の際には、「現職大統領」という地位を見せつけるかのように、自分の父親も
使った低い演台ではなく、高い方の演台に上ったのですが、今回はなぜか低い方でし
た。それはともかく、ブッシュ大統領のスピーチは、フォードの業績を保守的な視点
からまとめて見せた形式的なものでした。

 ですが、一点、フォード氏が大学時代にアメリカンフットボールの選手だった際
に(実際にNFLから勧誘されたほどの名選手だったそうです)黒人選手を含むチー
ムとは試合をしないと言った白人選手を「烈火のごとく罵倒した」というエピソード
を紹介したのは興味深いシーンでした。この一言で、何とかその場を持たすことがで
きた、その意味でこの部分のスピーチライターの功績は大きいと言えるでしょう。で
すが、持ち前の保守ネタではなく、人権という本来のキャラクターとは別の話題を
持ってきて辛うじて存在感をアピールしたというのは、やはりブッシュの苦境を物
語っていました。

 ブッシュの苦境とは、イラク情勢に他なりません。とにかく、このフォード葬送に
当たっては、そのフォードが晩年に激しいブッシュ批判を行っていることが報道の中
で繰り返されていましたし、他でもないサダム・フセインが、このフォードの葬儀の
最中に処刑されてしまうという(アメリカ側から見ても)異常な事態が進行しており、
新年のムードを重苦しくしてしまっています。

 そのサダム処刑に関しては、日本でも多くが報道されていると思いますが、処刑に
当たって目隠しを拒み、毅然として絞首台に臨んだサダムの死に様が「携帯盗撮ビデ
オ」の流出で明るみに出てしまっています。周囲のシーア派政権幹部が罵声を浴びせ
る声との対比効果もあって、ティクリートをはじめとするスンニー派の支配地域では、
改めて「死せるフセイン」が民衆の対シーア派憎悪を煽っている格好になってしまい
ました。

 この点に関しては、ブッシュ大統領も責任逃れのようなことを言っていますし、米
軍内部からは堂々と「自分たちなら(フセイン処刑に関して)別のやり方があった」
であるとか、米軍の監視下からイラク政府に身柄を引き渡す際のフセインは「担当に
礼を言うなど、一切の反抗を見せず立派な態度だった」などと政治的な計算など何も
ない発言も飛び出しています。

 私は今回のサダム処刑というのは、シーア派虐殺への報復という意味合いと同時に、
フセイン自身が法廷で申し立てていた「大量破壊兵器をめぐるアメリカの開戦理由が
虚偽である」という議論に関しては「口封じ」を行うと共に、シーア派虐殺と並んで
問題となっていたクルド人弾圧の問題に関しては「証拠や判決によってクルド人の被
害者の正義が拡大しすぎる」ことでイランやトルコが動揺することを避ける、そんな
中途半端な点が問題だと思っていました。

 確かにそうした論点から処刑を批判することはできるのですが、結果としては考え
られる最悪の事態で推移しています。つまり「シーア派は感情に流されることで改め
てイラク全土の統治能力に欠けることを露呈」「スンニー派も死せるフセインが求心
力の表面に出ることで反抗に勢いづくだけ」「クルド人は政治的な力の限界を露呈」
そして「米軍は当事者意識の欠如を露呈」と参加プレーヤーの誰もイラクの国境線の
内側で秩序を形成する統治能力も意欲もないことが明らかになってしまったように思
います。

 さて、この事態を受け、また新任のゲイツ国防長官として新機軸を打ち出さなくて
はならない中、年明けからブッシュ政権は「イラク派遣米軍を一旦増員」すると発表
しています。その規模はプラス2万人であるとか、4万人であるとか言われています
が、数はともかく実際にイラクで何をするのかは分かっていません。勿論、現状の派
遣軍の前線からは「何とか増派を」という声が続いているわけでペンタゴンの新体制
がそれに応えようとするのは必然です。では、実際に増派は可能なのでしょうか。

 ここに大きな問題があります。実は年明けのアメリカを覆っている最も大きな影と
言っても良いのですが、1月4日の宣誓式以降、アメリカの議会は上下両院共に民主
党が主導権を握るのです。そして、それゆえに民主党はあらゆる増派法案を葬り去る
ことが出来るのです。

 こうした事態に直面して、ブッシュ大統領は3日の午前にホワイトハウスの前庭で
「議会の超党派的協力を求める」短い演説をしました。「党派抗争の結果、あらゆる
案件をスチルメイト(チェスの引き分け)」にしてはいけない、という言い方で強く
民主党を牽制した内容でしたが、言い放つなり一切の質問を受けずに大統領は背中を
向けてその場を後にする、すると居並ぶ閣僚も慌てて前庭から逃げ出すという異様な
会見でした。

 その翌日の4日には、ナンシー・ペロシ議員が史上初の女性下院議長に就任しまし
た。下院議場を見下ろす議長席で大勢の子供達(下院議員の子供や孫達だそうです)
に囲まれながら「議事進行の木槌」を振り下ろしたペロシ議長は、議会下院の代表と
いう強大な権力に加えて、憲法上第二位の「大統領継承順位」に躍り出ました。すな
わち正副大統領が欠けた場合には、即座に合衆国大統領の地位が転がり込んでくるの
です。

 その議会民主党は、審議会発足後の100時間で、これまで提出しても否決され続
けてきたリベラル法案を大量に上程するとしており、共和党サイドは「超党派なんて
嘘っぱちではないか」と怒っているのです。しかも、民主党はブッシュの「来週には
新イラク政策を発表する」という声明をはねつけるかのように「増派は認めない。過
去に失敗した政策の拡大は認めない」という書簡をホワイトハウスに送りつけたので
す。では、そこに責任ある代案があるのかというと、決してそうではないのです。

 先週もお話ししたように、問題が「選択肢の厳しい対決」にはならずに曖昧なまま
どんどん複雑化してゆく、つまり超党派もできなければ、責任ある代案との論戦にも
ならない、ある意味で民主共和両党ともにイラクをはじめとする多くの論点に関して、
国内外を説得できるような結論を持たない、そんな事態が続く危険もあるのです。ア
メリカの政策決定も、イラクの現地と同じように「誰も最適解を持たない」混沌に
入ってゆくように見えます。

 年越しの拝礼に当たっては、民主党のエドワード・ケネディ上院議員が長い時間
フォードの棺に手を当てていたのが印象的でした。NBCのワシントン総局長である
ティム・ラサートは、四半世紀前にはE・ケネディが「フォードのニクソン恩赦は
ウォーターゲートをウヤムヤにするものだ」と批判の急先鋒に立っていたことを思う
と、彼が棺に跪く姿は究極の和解の象徴だという解説をしていました。

 ですが、同じ番組で直後に弔辞を読むことになるトム・ブロコウは、「拝礼の際に
ラムズフェルド(イラク戦争を戦った前国防長官)とスコウクロフト(湾岸戦争時の
大統領補佐官、今回のイラク開戦には反対)はすれ違いつつも、全く言葉を交わさな
かったんですよ」という指摘をしていました。そのコメントは、ある種ブロコウの絶
望感を示しているように感じられたのです。

 この新年、アメリカを覆っている影の正体は、やはりこの対立ということなのだと
思います。結論を出さなくてはならないのは分かっている、だが対立が続いていて結
論が出せない、そうした漠然とした不安感がアメリカ政治を覆っているのです。それ
は、方向性は見えているが変化が怖い、というのとは決定的に違います。方向性が見
えていないのです。その闇は深いと言わざるを得ません。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
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JMM [Japan Mail Media]                No.408 Saturday Edition
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【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】   <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
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