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JMM [Japan Mail Media]  「善悪二元論の終わり」  冷泉彰彦 
http://www.asyura2.com/07/bd47/msg/461.html
投稿者 愚民党 日時 2007 年 1 月 27 日 18:33:53: ogcGl0q1DMbpk
 

                              2007年1月27日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.411 Saturday Edition
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                        http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼

  ■ 『from 911/USAレポート』第286回
    「善悪二元論の終わり」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』第286回
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「善悪二元論の終わり」

 23日の年頭一般教書演説は、ブッシュ大統領に取って過去6年間の任期中最悪の
状態の中で行われました。ニクソン、カーター両政権の末期とも比較されるような支
持率の低迷(調査により29%から31%)に加えて、演説の当日には、共和党上院
議員有志からイラク増派反対決議が提出されています。その一方で、CIA秘密工作
員の身元漏洩に関する法廷では、偽証罪に問われている元副大統領補佐官リービ氏の
弁護士からチェイニー副大統領の関与を匂わす発言も飛び出すなど、正に満身創痍と
いった状況です。

 そんな事情は大統領本人もスピーチライターも良く分かっていたようで、これまで
にはなかったような工夫が凝らされてはいました。まず、上下両院議員総会の形式で
行われた演説は、慣例によって下院議場で下院議長の議事進行で行われるのですが、
今回注目されたのはその議長席に憲政史上初の「マダム・スピーカー」すなわち民主
党の女性議長ナンシー・ペロシ女史が座っているということです。

 大統領の入場に先駆けて、政権の閣僚達が入場するときから、議場の廷吏が「マダ
ム・スピーカー、閣僚メンバーの入場でございます」とやるのですから、否が応でも
ムードは新鮮なものになります。その辺りを心得てか、政権の側としても閣僚の先頭
には女性のコンディ・ライスを持ってくるなど最大限の気遣い、と言いますか対抗姿
勢を見せていました。

 勿論ブッシュ大統領の登場に当たっても、大相撲の「呼び出し」のように廷吏が良
く通る声で紹介する、そのセリフは「マダム・スピーカー、合衆国大統領の入場でご
ざいます」です。そんな従来とは違うムードを踏まえて、ブッシュは演説の開始にあ
たって「私は歴史上初めて『マダム・スピーカー』という言葉で年頭一般教書演説を
始める大統領という栄誉を感じております」とやったのです。

 ペロシ議長はこれを満面の笑みで受け、議場も総立ちになって拍手を送りました。
ここに民主党多数派の、いやこれに共和党造反派も加わっての全く新しい議会と、ホ
ワイトハウスのこれまでと違った力関係が鮮やかな映像となって全米に中継されたの
です。よく考えれば大統領としての「威厳」を保つためには、ブッシュには他にやり
ようもないわけで、この部分については自然な雰囲気が専門家たちにも好感をもって
受け止められていました。

 もう一つの工夫としては、政界としても世論としても最大の関心事であるイラク問
題を冒頭では扱わなかったこと、その代わりに国内政策を最初に持ってきたと共に、
思い切った中道政策を掲げたことです。「気象状況の変化」という言い方で政権始ま
って以来初めて、この年頭一般教書で「温暖化」に言及し石油消費の削減をしたこ
と、短期移民制度の提案を含めた移民政策の緩和、各州の医療保険制度への補助や健
康保険料負担に対する減税など皆保険制度へ向けた踏み出し、この三点はまるで民主
党の政策のようでした。

 また日本との関係では、朝鮮半島の問題に関してはこういう言い方をしています。
重要な点ですので、まず原文を掲げますと、"Together with our partners in
China, Japan, Russia, and South Korea, we're pursuing intensive diplomacy
to achieve a Korean Peninsula free of nuclear weapons. (Applause.)" つまり
「我々は我々のパートナーである中国、日本、ロシア、韓国とともに朝鮮半島の非核
化を達成すべく不断の外交努力を行っております」というのです。これは、ホワイト
ハウスのHPにあった演説記録からコピーしたもので中継画面での発言も確かにこれ
と同一でした。

 日本の報道では「六ケ国協議再開へ向けて話し合い路線で努力」という解釈がされ
ており、また前後しての報道では「アメリカは北朝鮮への経済援助も」というニュー
スもあります。とにかく、このブッシュ演説は「朝鮮半島の非核化」と明言してお
り、北朝鮮を名指して非難することはしていないのです。ここには「圧力から対話
へ」という戦略の転換が強く打ち出されていると言うべきでしょう。議場も全員が拍
手していましたから、朝鮮半島に関しては両党共に強硬論はあり得ないと見るべきだ
と思います。

 演説の締めくくりにはゲストを四人紹介するという演出がされました。(1)アメ
リカ市民となりながら、母国への寄付活動もしているコンゴ出身のNBA選手、
(2)株の売却益で社会貢献をしている女性起業家、(3)イラク戦争で自分も負傷
しながら同僚を守った兵士、(4)NYの地下鉄で線路に落ちた子供を命がけで救出
した街の英雄、という四名で、この部分では満場総立ちの拍手が延々と続きました。

 というわけで様々な工夫がされていたのですが、演説としては効果はありませんで
した。最初の「マダム・スピーカー」の部分はどう考えても政敵の包囲網に跪いた格
好ですし、国内向けの中道政策もこれでは「伝統的な共和党の小さな政府論者」から
は総スカンとなりそうです。最後の「アメリカンヒーローの四人」登場のシーンに至
っては、その後に盛り上がりを利用してブッシュが何かメッセージを加えるというこ
とはなく、本当にゲストに拍手して「おしまい」となってしまい、演説は白けたムー
ドで終わりました。大統領の退席を待たずして議場から出て行く民主党議員が続出し
たのも、これでは仕方がありません。

 更に、私が驚いたのは論点が集約されていたことでした。成長著しいBRICSに
関する言及はなし、カトリーナ被災の後まだまだ復興の進まないニューオーリンズへ
のメッセージもなし、今年の冬の寒波による被害への言及もなし、ということで、総
花的で中味がないのは困りますが、これでは自分が出来ることは限られているという
印象です。

 中でも演説の印象を弱くしたのは、問題のイラク政策の部分です。冒頭に掲げなか
ったこともあって、議場はイラクに関する部分を待っていたかのようでした。ブッシ
ュがようやくイラクに関して語り始めると、両院議員合わせて600名、これに各種
のゲストを含めた1000人近い聴衆はシーンと静まりかえったのです。その静けさ
は最初は大統領の言葉を注意して聞こうという緊張感でした。

 ですが、言及が進むにつれて空気は重苦しくなっていました。それはブッシュの政
策に当初から反対しているグループにとっては「まだこんなことを言っているのか」
という突き放した沈黙であり、ブッシュに比較的近いグループにとっては「この重苦
しいムードの中では拍手のタイミングがつかめない」という沈黙であったように思い
ます。

 この大統領の一般教書演説には伝統があって、要所要所では聴衆が拍手をする、そ
のリアクションが重要な部分になっています。その伝統に照らしても、この「沈黙」
は異様でした。演説の後のMSNBCの解説番組で、キャスターのクリス・マシュー
ズは「あんな無音状態(ミュート)は経験したことがないですね」と言っていました。
日本流に言えば、正に気まずい沈黙というところでしょう。

 議場の沈黙がとりわけ深くなったのは、イラクに関する大統領の現状認識を語った
部分でした。ブッシュはスンニー派の武装勢力について「アルカイダに率いられ、そ
れに旧フセイン政権の残党が合流したもの」とする一方で、シーア派の武装組織につ
いても「急進的なイデオロギーを掲げ、背後ではイランが操っている」としたばかり
か、それが(レバノンの)ヒズボッラーと連携しているというのです。そして混乱状
態こそ彼等の望むところであって、放置すればイラクはテロリストの天国となると同
時に反米感情を増幅させ、ひいてはアメリカ本土テロの危険が増大するというのです。

 この主張は、確かにブッシュ政権として一貫したものに他なりません。ブレていな
いということでは、確かにブレてはいません。ですが、ここ数ヶ月のバグダッドの惨
状、イラク市民の犠牲者も米兵の犠牲も止まるどころかエスカレートする現状、更に
はマリキ政権の頼りない現状などを踏まえた上で、改めて「ブレのない」主張のエッ
センスが堂々と語られる、これは強烈でした。その議場のムードは私に言わせれば
「大統領は今でも本当にそう思っているのか」ということを見せつけられた沈黙とで
もいったものでした。

 この部分では途中の拍手は一切なく、一連の主張が終わったところで共和党側の席
からパラパラと拍手が起きましたが、決して共和党議員団全員にまではなりませんで
した。これは、ある意味で歴史的な瞬間だったのではないでしょうか。つまり、善悪
の二元論に固執する大統領に対して、議場を支配していた沈黙というのは「そんなに
単純な話ではないだろう」という違和感の表明だったように思うからです。

 これを受けて、演説の直後に行われた「民主党の公式反論」では当選したばかりの
ジム・ウェブ上院議員(バージニア州)が「私の父も、自分も(海軍の退役将軍)、
そして息子も従軍していますから、国家のために犠牲になるということの意味は理解
しているつもりです。その私にして、このようなイラクでの米兵の犠牲は無駄死にで
あると言わざるを得ません」という激しいブッシュ批判を行っています。いつもは紋
切り調のコメントが目立つ「公式反論」ですが、今回のこのウェブ議員のものは評価
が高いようです。

 更に翌日の24日になりますと、大統領予備選からの撤退を表明して肩の荷が下り
たのか、ジョン・ケリー上院議員(マサチューセッツ州選出)が議会の「増派反対決
議」に関連して、本会議場で大演説をぶっていました。「シーア派とスンニー派の和
解と共存を政治的に達成する中で感謝されつつ撤退のが当面の目標であるべきなの
に、両派の武装勢力を敵に回して反米の気運を煽っているのは本末転倒」といつにな
く切れ味の良い演説でした。

 また上院軍事委員会では共和党のチャック・ヘーゲル議員(ネブラスカ州選出)は
「人命をピンポン球のようにもてあそぶのはいい加減にして欲しい」という発言と共
に、増派反対決議に賛成票を投じています。同議員は翌日のNBCでは「この戦争は
アメリカの勝ち負けではない、イラク国内の各勢力が和解できるかどうかだけがポイ
ント」とも述べています。共和党議員団の大勢は票決では反対に回ったのですが、そ
うした人々も口々に「大統領の政策は間違っている」とコメントしていました。

 この24日にはチェイニー副大統領がCNNのウォルフ・ブリッツアーのインタビ
ューに際して「イラク政策が失敗だというのはゴミのような見解だ」と強気なところ
を見せていました。ですが、この日もCIA工作員身元漏洩事件の公判は進行中で、
そんな中では彼が何を言っても死に体になりつつある中での強弁に聞こえてしまいま
す。

 イラク問題だけではなく、実はこの間「レイムダック化したブッシュが、起死回生
を狙ってイランに攻め込むのでは」という危機感が政界の一部にはあり、先週末には
上下両院の民主党では「イラン攻撃禁止決議」を通してブッシュを縛ろうという動き
がありました。MSNBCで人気急上昇中のキース・オルバーマンなどは「私は本当
に危険だと思っているんです」と繰り返し放送で述べ、イラン敵視の報道を続けるF
OXニュースのことを「FOX・ナッシング(空っぽ)・チャンネル」と呼んで非難
するようなありさまでした。

 この件では、いまだに緊張はひきずっており、25日の木曜日にはイラク領内で
「イラン国籍の工作員が破壊活動をしそうになった場合は、米軍は殺しても良い」と
いう命令が出たという報道もあります。ですが、本格的にイランを敵に回すというの
は、今回の演説の「失敗」でまず不可能になったと見るべきでしょう。

 いずれにしても、ブッシュが「スンニー派もシーア派もイスラム急進主義は全て
悪」という単純な見解を語り、それに対して上下両院が「ミュート(無音)」の恐ろ
しい時間をもって不信任を与えた瞬間に、ここ6年間のアメリカが抱き続けてきた善
悪の二元論がスーっと消えていったように思います。世界はそんなに単純ではなく、
その複雑な構図の中で粘り強く対話を続けていくしかないのだ、静かな、しかし歴史
的な変化として、アメリカはそう理解したのでしょう。思えば、ブッシュを「悪」と
罵るだけで選挙に負けたケリーがこの時点で再挑戦を断念したのも偶然ではないのか
もしれません。

 奇しくも同じ1月23日には、2006年度のアカデミー賞候補の発表がありまし
た。今回はなかなか力作が揃っている一方、政治的な思惑やバランス志向が入り混じ
った面白いオスカーになりそうです。その中でもメキシコ人のアレハンドロ・ゴンサ
レス・イニャリトゥ監督の手による『バベル』という作品が作品賞、監督賞、助演女
優賞(日本の菊地凛子さんを含む二名)オリジナル脚本賞、音楽賞、編集賞など多く
の部門にノミネートされたのは興味深い現象だと思います。アメリカ人が『バベル』
を評価しているというのは善悪二元論ではなく、多様な文化や言語が混在する複雑な
(しかしフラット化した)世界に目を向け始めたという意味があると思うからです。

 その他の候補作に関しては別の機会に詳しくお話ししたいと思いますが、今回はこ
の『バベル』について簡単に触れることにしましょう。例によって一部内容に踏み込
みますので俗に言う「ネタバレ」を気にされる方はご注意ください。更に、これも例
によってですが、日本人女優の演技が評価されているだけでなく日本文化の描写が重
要な部分を占める作品であるにもかかわらず、オスカーの授賞式のはるか先に公開日
を設定しているという配給姿勢には重大な疑問を持たざるを得ません。賞にからめた
話題作りをしないと「文芸映画」にはお客は来ないだろう、そんな風に後ろ向きなビ
ジネスの姿勢にもいつもながら怒りを感じます。

 さて、この『バベル』ですが、こうした作品が受けるというアメリカの風潮は悪い
ことではないと思います。ですが、ゴンザレス・イニャリトゥ監督の作品としては前
作の『21グラム』には及ばない仕上がりで、私にはとても傑作とは思えませんでし
た。『21グラム』と同じように時間のフラッシュバックを多用し、また複数の視点
を絡ませたパズルのような作りはそれなりに成功していると思うのですが、浮かび上
がるテーマが今一つボケているのです。と言いますか、話としては最後には関連性が
浮かび上がる仕掛けなのですが、それぞれのエピソードはバラバラで結末の仕掛けも
無理が目立ちます。

 エピソードとしては、(1)アメリカ人の夫婦の話、(2)日本の聾唖の女子高生
の物語、(3)メキシコからアメリカへ行っている不法労働者の問題、(4)モロッ
コでの少年による狙撃事件・・・まあこのぐらいにしておきますが、とにかく一見す
ると何の関連もない話が並べられているのです。また、テーマはタイトルから類推す
るしかないというのも面白くありません。

 そのタイトルですが、『バベル』というのは旧約聖書に出てくる「バベルの塔」の
ことらしく「人間が神に挑戦すべく巨大建築を作り始めたが、途中で共通言語を失い
バラバラの言葉を話し始めたので建築に失敗した」というエピソードを思い起こすこ
とで、この映画のテーマは「言葉の通じなさ、ディスコミュニケーション」というこ
とを描きたいのだろうと納得させられるという次第なのです。

 エピソードがバラバラと言いましたが、それぞれの演出は手堅く、特に(3)のア
メリカ=メキシコ国境のエピソードにおけるメキシコ側の習俗は生き生きした描写が
いつまでも余韻を残しますし、メキシコを代表する俳優のガエル・ガルシア・ベルナ
ル、菊地さんと同時にオスカー助演女優賞にノミネートされたエイドリアナ・バラッ
ツァの演技は非常に切れ味がありました。(1)についてはブラッド・ピットとケイ
ト・ブランシェットという豪華な組み合わせが「夫婦」を演じていますが、この二人
も抑えた演技が素晴らしかったと思います。

 日本の部分でも、菊地凛子さんの演技は確かに印象的です。評判になっている脱衣
状態のシーンだけでなく、薬物濫用や性的逸脱を示唆するような「トランス状態」を
演技と映像の特殊効果で表現した長いシーンがあり、こちらも映像としては新鮮でし
た。役所広司さんの場合は、それほど難しい役ではないのですが、手堅い演技だった
と思います。

 ただ、この作品の最大の問題は、それぞれのエピソードに盛り込まれた人物像がス
テレオタイプ以外の何物でもないということです。勿論、全体の構図としてはモザイ
クのような各要素が、最終的に大きな構築物になる仕掛けなので、各要素はあくまで
「部品」に過ぎないのでしょうが、仮にそうであっても余りにもステレオタイプな描
写のオンパレードを見せつけられると疲労感を感じてしまいます。

 イスラム圏の少年は勇敢であろうと背伸びをし、アメリカ人の金持ち夫婦は倦怠期
を迎え、メキシコ人の若い男はアメリカの国境警備に反発し、日本の女子高生は父親
との確執を抱える中で自尊感情を持てずにいる・・・どれもこれも、ありふれたステ
レオタイプ以外の何物でもありません。

 映画のテーマとして、人類が共通言語を失い、相互にコミュニケーション不全や文
化摩擦を抱えている、観客にそうしたメッセージを伝えたいのなら、各エピソード、
あるいは各キャラクターにはステレオタイプではないリアリティを与えて、相互の関
係における「きしみ」や「断裂」を浮かび上がらせるべきだと思います。事実、その
ような方向での演出の意気込みも感じられないわけではないのですが、残念ながら空
回りしていると言わざるを得ません。

 私個人として特に気になるのは、アメリカで評判になっている菊地さんの演じたキ
ャラクターです。非常に難しい役で演技については非の打ち所はありません。です
が、そのキャラクターの設定には疑問が残ります。父親との確執に加えて「日本の女
子高校生はストイックな制服の裏に親との確執や逸脱への衝動を秘めている」という
イメージ作りも日本のアニメや映画の見過ぎではないかと思われるステレオタイプで
すし、最大の問題は「どうしてこのキャラクターは聴覚障害者に設定されているのか
?」という疑問が消えないことです。

 映画の中の設定では、この少女の逸脱衝動や親との確執の背景には家庭の悲劇があ
るのですが、これに加えて聾唖という条件を付けた必然性が薄いのです。何とはなし
に「聾唖であることが悲劇」というムードも漂っており、そうなると21世紀に生き
る私たちの人間観からすると違和感を感じないわけには行きません。

 映画の企画の中で「気になる異文化」の一つとして日本の父娘のディスコミュニケ
ーションを描こうと思った、そこまでは良しとしましょう。ですが、うがった見方を
するならば、その複雑なエピソードを「全部日本語という外国語」でやって「字幕付
き」にしては菊地さんの演じたキャラクターのメッセージが届かなくなる、そこで面
倒なので聾唖という設定にして言語の問題をクリアした、そんな可能性も否定できな
いのではないでしょうか。仮にそうだとすれば、私の価値基準からすると「アウト」
です。

 それは聾唖者に対する差別になるからでしょうか。多少そういう部分もあります。
聾唖=ディスコミュニケーションというのは健常者の偏見以外のなにものでもないか
らです。更に、映画が「コミュニケーションの問題」をテーマとして描こうとしてい
ながら、日本語の問題から逃げるためにキャラクターを聾唖にしたのであれば、それ
は卑怯ではないかと思うからです。私としてはどうしてもそうした感想になります。
聾唖というのは、日本の冷え切った人間関係の比喩、という解釈もできますが、それ
でも違和感が残ります。それとは別に「乱れた日本の女子高生」というステレオタイ
プな描写に不快感を持つ方もあるでしょう。

 ただ、アメリカ人の観客は真剣です。「抑圧された日本の女子高校生の心の痛み」
に深く同情し、それを描き出した菊地さんの演技に心から感心しているのです。それ
は「日本を見下したりエキゾチックな文化として好奇の対象としている」のではな
く、近代の後に来る「ポストモダン」的な社会として日本に興味を持っているからだ
と言えるでしょう。私はそうした観客の視線は気になりません。

 また映画全体に見られる「コミュニケーション不全と向き合いながら異なるものが
共存して行かなくてはならない」という感性がアメリカ人の間でブームになっている
のは悪いことではないと思います。テーマの訴えかけという点では、それほど力のな
いこの作品が、これほどまでに評価されるというのは、やはり時代のタイミングとい
うことなのだと思います。この作品がヒットしたこと自体は、ブッシュの善悪二元論
が終わり、アメリカ人が多元化された世界に目を向けはじめた兆候として評価すべき
でしょう。

 ですが、映画としては、余りにステレオタイプな描写が欠点になっていると思いま
す。その点について日本の観客はオスカーの審査期間中に、日本の世論として発言す
る権利があると思います。日本の聴覚障害者の人々も、日本の女性も(勿論男性も)
権利があると思います。その権利が他でもない日本の配給体制のために侵害され、結
果的に日本の観客とゴンザレス・イニャリトゥ監督が真剣に向い合うことなしにオス
カーが決められるというのは、お互いにとって不幸なことだと言わねばなりません。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>

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JMM [Japan Mail Media]                No.411 Saturday Edition
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【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】   <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>

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