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失踪から46年、昭和史を飾った怪人物 私が見た「辻政信」 [読売ウイークリー]
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投稿者 white 日時 2007 年 4 月 03 日 12:48:32: QYBiAyr6jr5Ac
 

□失踪から46年、昭和史を飾った怪人物 私が見た「辻政信」 [読売ウイークリー]

 http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070403-01-0202.html

2007年4月3日
失踪から46年、昭和史を飾った怪人物 私が見た「辻政信」
1961年4月、一人の政治家が羽田を飛び立った。戦前、陸軍参謀として「作戦の神様」と言われ、戦後はベストセラー作家の辻政信参院議員である。その素顔を女婿、堀内光雄・元通産相に聞いた。
 「最後に見たのは羽田でタラップを上がって行く後ろ姿です。家族や秘書、国会の事務職員の人たちで見送ったのですが、生まれて間もない長男(堀内光一郎・富士急行社長)を抱いて、『丈夫に育てろよ』と言ってました。周恩来やチトーら(共産主義国の)要人と握手している大きな写真を4〜5枚カバンの中に収めていました。『いざとなったとき、これを見せればいい』と笑ってました」
 
 辻政信は1902年、石川県生まれ。陸士(36期)、陸大(43期)をトップクラスの成績で卒業したエリート軍人で、戦前はマレー上陸作戦などを指揮した。敗戦をバンコクで迎えた辻は僧形に姿を変えて当地を脱出、東南アジア、中国に潜伏した。復員後、逃走中の出来事をまとめた「潜行三千里」は50年の大ベストセラーとなり、一躍、マスコミの寵児となった。
 52年に衆院初当選。4期目の途中に当時の岸信介首相の金権ぶりを批判して自民党を除名されて議員辞職。しかし、すぐさま参院全国区(当時)にくら替え出馬し、第3位で返り咲いた。
 旧陸軍時代を含め、辻に対しては「清廉潔白」「勇猛果敢」と称賛する声がある一方で、「機を見るに敏」との評価もある。
 辻は羽田を出発した後、ベトナム・サイゴン(現ホーチミン)、カンボジア・プノンペン、タイ・バンコクを経て、4月14日にラオスのビエンチャンに到着した。現地で「日本の高僧青木」と称し、「潜行三千里」のときと同様の僧形となって当時のパテト・ラオ(ラオス愛国戦線)支配地域に向かったことが確認されている。
 
 「そもそも、なぜラオスに向かったかというと、辻は『訪米する池田に土産話を持たせるために、いろいろなところを見てくる』と話してました。
 池田勇人首相が訪米、ケネディ米大統領と首脳会談する予定があったのです。当時、インドシナ半島はベトナム戦争が始まるなど大変でしたから、自分の目で現地を見て分析、それを首脳会談で池田さんがケネディに披露すれば日本は信頼を得られると思ったのでしょう。益谷秀次さん(当時、自民党幹事長)にその話をしたら、『ぜひ、やってくれ』と言われて、餞別をポンとくれたそうです」
 
 堀内氏の父、一雄氏(元衆院議員)は陸軍で辻の先輩(陸士27期、陸大37期)にあたる。それが縁で堀内氏は辻の長女、英子さんと57年に見合い結婚をした。日銀総裁、蔵相などを歴任した一万田尚登氏が仲人を務めた。一雄氏は戦前、旧満州国(現中国東北部)で安倍晋三首相の祖父、岸信介・元首相と知り合い、衆院議員時代は岸と行動を共にした。
 
 「岸さんといえば、私は結婚して南平台(東京・渋谷区)のマンションの5階に住んでいましたが、すぐ近くに岸さんの私邸がありました。ベランダからよく見えました。60年安保のときは、その岸邸にデモ隊が押し掛け、新聞紙に火をつけて塀の中に投げ込んでいました。
 もしかしたら、安倍さんも岸さんの家にいたかも。国会や官邸もデモ隊に囲まれて大騒ぎでした。私のオヤジも赤城宗徳さんらと官邸に詰めていました。そこに辻が『岸に会いたい』と訪ねてきた。夜でしたが、辻はデモ隊の様子を一人で歩いて“敵情視察”した後、やってきた。オヤジによると、辻は『(デモ隊は)烏合の衆で恐れるに足りない。岸さんが自ら出ていって演説し、信念を吐露したら理解してくれる。自衛隊を出すなんてとんでもない』と進言したそうです。岸さんは(除名問題などで確執があったため)、『いやなヤツが来た』という顔をし、オヤジに対応を任せたそうです」
 
 ここでもその後、単身、戦火のベトナム、ラオスに向かった辻の“辻らしさ”が発揮されている。
 辻をめぐっては今年2月、米中央情報局(CIA)の公開文書で新しい事実が明らかになった。
 CIA文書は、辻がラオスから中国に入り、63年に中国共産党当局に拘束された可能性に言及。そのまま中国で処刑されたとする未確認情報も掲載されていた。さらには、陸軍で参謀本部作戦課長を務め、辻の上司でもあった服部卓四郎(陸士34期、陸大42期)氏が、当時の吉田茂首相の暗殺を企てていたとする報告も見つかった。
 同文書によると、服部氏ら旧日本軍将校を中心とするグループが、吉田首相が公職追放組や国家主義者に敵対的だとして、暗殺する計画を立てていた。辻は服部に対し『クーデターを起こす時ではない』『敵は保守の吉田ではなく社会党だ』と指摘して、服部らを説得したという。
 
 「服部さんとは会ったことがあります。辻に連れられて話し合いの場に同席したのですが、たいした話はしてませんでした。
 吉田さんの話(暗殺計画)はテレビで見て知りました。いやな話だったら困ると思ったのですが、辻は思いとどまらせたほうだったのですね。行方不明になった後については、確かに中国で処刑されたという話やトラに食い殺されたという話もありました。実はいまから30年前、訪中議員団の一人として中国に行った際、向こうの中国紅十字(中国の赤十字組織)の人に尋ねたことがあります。
 『(中国国内に)入っていればわかりますが、(情報がないというのは)入国していないということですね』と回答してくれましたが、どういうわけか、担当者の表情は硬かった。当時といまでは事情は異なりますし、中国の友人(中国政府要人)もいますから、もう一度、尋ねようかと思っています。いまだと真相がわかるかもしれません」

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