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鈴木邦男:〈転び〉の世界史的、哲学的、形而上学的考察
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/382.html
投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 4 月 10 日 22:52:07: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2007/shuchou0409.html

(1)「批判される人間」になろう!

 挫折しない人生なんてない。転ばない人生なんてない。いいじゃないか、転んだって、人間なんだもん。そう思いますね。転んだ後、どうするかですよ。失敗を恐れて何もしない。これではつまらんでしょうが。
 30年ほど前、『証言・昭和維新運動』(島津書房)という本を出しました。血盟団事件、5.15事件、2.26事件などに参加した人々に会い、話を聞いてまとめた本です。2.26事件に参加した末松太平さんはこんな事を言ってました。
 「自分は批判される人間になりたい」…と。エッと我が耳を疑りましたね。他人に認められたい。評価されたい、というのなら分かりますが…。「いや、何もしなければ批判もされない。行動してるから批判されるのだ」
 なるほどと思いました。2.26事件だってそうですね。あれからずっと批判されっ放しです。「国を憂うる純粋な決起だった」と言う人もいますが、「上官に騙されただけだ」「本当はロシアの共産主義者と同じだ」という批判もあります。何もしないで、無事に兵役を終えたら、「いい兵隊さんだった」で終わったでしょう。批判はむしろ、望むべきだといいます。

 昔、合気道の稽古で顔面に怪我をしたことがあります。合気道の先生は言いました。「向こう傷は武士の誇りだ」と。真正面から闘った証拠だというんですね。その反対に、背中に刀傷を負ったのは、逃げようとして傷を負ったのだから不名誉だ、恥だ、と。
 だから、怪我を恐れてはいけません。批判を恐れてはいけません。
 そう思っていたので、寝床でメイドが持ってきてくれた新聞を読みながら、「おっ、これもそういう本だろうな」と思いました。4月2日(月)付の産経新聞を読んでたら、こんな見出しが目に入りました。

〈高校校長 独自の「転び方」本に〉

そうか。これは人生論だろうな、と思いました。学校は誘惑も多いし、危険も多い。自らのムラムラとした欲望に負けて転ぶ人は多い。又、女子生徒の誘惑に負けて転ぶ教師も多い。あるいは、生徒からのいじめに会ってる教師も多い(私もそうだ)。あるいは同僚教師のいやがらせ。PTAの圧力…と。そんな時に、どう自衛するか。不幸にして転んだ時、どう立ち直るか。それを書いた本なんだろう。そう思いました。
 あるいは、もっと思想的な本かもしれません。昔、思想を持った人が、その思想を捨てることを「転ぶ」といいました。共産主義者がその思想を捨てるのは、「主義者が転んだ」と言いました。さらに、「転向」という言葉があります。転んで向きを変えるのです。ただ、転ぶだけでなく、ついでだから、正反対の思想に行っちゃうのです。左翼をやめて、右翼になる。あるいは、右翼をやめて左翼になる。後者は難しいから、あまりいない。ほとんど前者です。左翼(社会主義者、共産主義者)が、思想を捨て、運動をやめるのが「転ぶ」です。塩見さんがロフトに来て、イスにつまずいて転んだら皆に、「主義者が転んだ」と言われました。
 「転向」となると、転んだ上に、さらに「敵」の理論を信じ、敵の陣営に走ることです。昔、共産党で、今は右派の論客になったり、右派の市民運動のリーダーになってる人は多いです。戦前、戦中よりも、今の方が「大量転向」の時代なんでしょう。『共同研究・転向』という本がありましたが、今こそ、続編を書くべきでせう。


(2)あなたの知性や感性は「寝たきり」じゃない?

 ここに来て、ちょっと迷いました。主義を捨てるのが「転ぶ」。さらに敵に寝返るのが「転向」。こう定義しましたが、「転ぶ」という表現に、すでに「寝返り」も含まれている。いや、そういう使い方をしますね。「どうせあいつは転んだんだ」と言う時、単に左翼の運動を捨てた、というだけではない。生き方が段々とブルジョア的になってきた。つまり、「敵」の思想にドップリとつかっている。そんな意味あいもあります。
 そうだ。「転びバテレン」という言葉もありますね。江戸時代、キリスト教が禁制だった時、拷問されて転向したキリスト教の宣教師や信者のことです。遠藤周作の名著『沈黙』がありますね。あれは、キリスト教のみならず、思想とは何か。宗教、人生とは何か、を問いかけています。宗教者に限らず、右であれ左であれ、これは必読書でしょう。
 先週書いたニコライさんは、転びません。でも、「国家を超えた普遍的な愛」と「ロシアへの愛」の間で揺れ動きます。心は千々に乱れ、転びそうになるのです。

 だから、「転び」の研究は大事なんです。そういった大きな歴史的、思想史的な見地からこの校長先生は「転びの研究」をなさって、本にしたんでしょう。私はそう思いました。ところが、ちゃいまんねん。こう書かれちょる。

〈高齢者が転んで骨折し、寝たきりになるケースを減らしたいと、秋田県立矢島高校の船木賢咲校長(56)が独自の転び方を考案。『柔らかころび』という本にまとめた。転倒を防ぐ方法を書いた本はあるが、転び方自体をテーマにした出版物は珍しいという〉

 なんだ、老人の転倒の話か。と思ったが、これだって重大な問題だ。日本の高齢者の寝たきりというのは、これが多い。転んで骨折し、本当はリハビリして治さなくちゃならんのに、リハビリは痛い。キツイ。ベッドで寝てる方が楽だから、ついつい寝てる。「まだ痛いからダメ」「まだ立てない」と言って、自分に甘えて、リハビリしない。そして、本当に寝たきりになる。
 老人だけじゃなく、我々だってそうです。太ってきた。腹が出てきた。よし、じゃ毎朝ジョギングを30分やろう。腹筋を100回やろう。腕立てを100回やろうと決意する。しかし、皆、三日坊主だ。三日も続かない。これは精神的な「寝たきり」状態なんです。

 又、パソコン、携帯ばかりやってては馬鹿になる。それに、馬鹿な友達と毎日、飲んでばかりいたら馬鹿の二乗、三乗になる。よし、「一日に本を2時間読もう」と決意する。でも、「今日は忙しいから」「今日は眠いから」と、実行できない。そう。これも精神や知性が「寝たきり」状態なんです。
 他人のことは言えません。「寝たきり」は君の問題です。私の問題です。
 アメリカは、「寝たきり」の解消を目指して、大々的に国家が中心になり、リハビリを取り入れたそうです。それで「寝たきり」を半分に減らしたそうな。医療費は激減です。日本でもその位やるべきです。若いかわいいインストラクターを大量に投入し、「たのしいリハビリ」をやるんですよ。「どうせ、治ったって、老人だから」「もうすぐ死ぬんだし」とあきらめていては、「寝たきり」は治りません。〈目標〉を与えるのです。「色と金」でもいいでしょう。和田秀樹の『大人のための勉強法』にならって、こっちも楽しく、目標をもったリハビリをやるんです。そうしたら、治りも早いです。
 『老人の性愛』だったかな。変な本を読んでたら、老人ホームでも恋愛はたくさんある。80才以上でも、女の取り合いで喧嘩になったり、死闘になったり。又、80才以上で恋をして、そんな人は、リハビリも必死でやるから、治りも早いそうな。早く体を治して、彼女(これも80以上)を抱きたいと思う。その一念でがんばる。でも、いいことでしょう。これからは、日本はどうせ老人大国です。右翼も左翼も市民運動も、どこに行っても老人ばかりです。だから、そんな人達は、怪我をしても「寝たきり」になってはいられません。「早く治して、闘いの現場に復帰し、デモをやらなくちゃ」「火炎瓶を投げなちゃ」…と目標を持ってリハビリするから、治りも早い。頑張りましょう。


(3)要は「人生の受け身」です

 では船木校長の『柔らかころび』の話です。うん、これは柔道の「受け身」だろうな、と私はピンときました。読んでたら、やはりそうでした。船木校長は柔道をやり、長年、柔道の指導をしてきた。だから「受け身」を基に作り上げたといいます。
 考案した転び方は、転倒時に一ヶ所で体重を受け止めずに尻、腰、背中の順などで接地し、重心を移動させるのが特徴だ。衝撃を分散させて骨折などを避けることができる。同書では、前と後ろに転ぶ場合に分けて解説。転び方を習得するため、転がる動作と起き上がる動作を続けて行なう反復練習で、転ぶ感覚を身に付けるよう提案している。
 これは大事ですね。柔道をやってる人でも、車に撥ねられて、瞬間的に受け身をとり、軽い傷で済んだという人は多い。俳優の小林旭は、アクション映画の撮影の時に、手順が狂って、たなり高い所から落ちた。重傷だった。2週間位、病院で昏睡状態で、「臨死体験」もしたという。でも治った。首に傷を負ったが、普通なら、首の骨折で即死だったという。「瞬間的に受け身を取っていた。それで助かった」と言っていた。小林旭は柔道の有段者だ。昔の映画では、ヤクザの抗争で、柔道技で投げ飛ばすシーンもあった。
 だから、老人だけでなく、若者にも、子供にも「受け身」は教えた方がいい。人の殴り方や投げ方、絞め方、関節の極め方も面白いが、それよりも「受け身」だ。「受け身」さえ知っていれば何があっても大怪我はしない。これは肉体だけではない。「人生の受け身」も大切なんだ。いや、これさえあればいい。
 子供のうちから、「どう自己主張するか」「いかに競争社会に勝ち抜くか」「いかに他人を出し抜くか」だけを考えていたんじゃ、殺伐とした人間ばかりができる。もっと、優しい、謙虚な人間を作るべきだよ。そして、失敗した時どうするか。どう謝るか。そうした「受け身」と「失敗学」を身に付けた方がいい。「私はこう思う」「私はこれが優れてる」なんていう子供じゃなくて、すぐに「ありがとうございます」「ごめんなさい」が言える子供をつくる。「主張する子供」じゃなく、「謙虚な子供」ですよ。これだけでいいんじゃないか。極論かもしれないが、私はそう思いますね。だから自分の子供にもそう教育している。いや、そう教育するつもりだ。押忍!

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