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『日本語はなぜ美しいのか』黒川伊保子(著) 米大学の銃乱射の犯人は八歳で移住した事によるコミニケーション障害である
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投稿者 TORA 日時 2007 年 4 月 26 日 15:17:58: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
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『日本語はなぜ美しいのか』黒川伊保子(著) 米大学の銃乱射
の犯人は八歳で移住した事によるコミニケーション障害である

2007年4月26日 木曜日

◆『日本語はなぜ美しいのか』 黒川伊保子(著)
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0374-e/index.html

◆母語獲得の最終工程

さらに、言語脳が完成する八歳までは、パブリック(公共、社会)で使うことばと、ドメスティック(内的世界、家庭)で使うことばは、同じ言語であることが強く望ましい。理由は二つある。

一つは、母語獲得の最終段階ば、言語の社会性を身につけることだからだ。母語を、公共の場で仕上げる必要があるのだ。そして、その母語の仕上げには、臨界期という問題がある。

脳には、ある能力を身につけるにあたり、一定の年齢を超えると、その後その能力を獲得しようとしてどんなに努力しても、けっして同じ質では獲得できないという特徴がある。その年齢を臨界期という。言語脳は八歳の誕生日までにほぽ確立してしまうので、母語獲得の臨界期は八歳である。七歳までのうちに、さっさと仕上げておかないと、未完成な母語で生きていくことになる。

母語獲得の最終工程に必要なのは、文字や書きことばの習得、音読、読書、作文や口頭で感じたことを人に伝える体験である。小学校低学年で、音読と作文を繰り返すわが国の国語教育は、脳科学的に、非常によくできていると思う。加えて、先生との会話、友達同士の会話、学級での発表など、さまざまなスタイルの会話体験を増やさなくてはならない。

母語以外のことばを使う小学校に子どもを預ける場合、この母語獲得の最終工程がないがしろになってしまうことが多いのである。海外生活のためにやむなくそうなる場合は、もっと早い段階から、現地語の人たちと触れ合って混合母語というかたちで育てるか、家庭での日本語のフォローが不可欠である。

◆母語喪失

そして、最近、教育の現場で指摘されだした、もう一つの理由が、「母語喪失」である。それは、学校で使われることばが、両親ともに堪能でなかった場合に起こる、深刻な問題である。実は、パブリックという意識の場を確立する学童期に、外で使う言語が両親とも堪能でない場合、母語喪失という恐ろしい事態が起こりうるのだ。

学童期、パブリックで起こることのさまざまな喜怒哀楽や情感を、心の中で反芻したり・親に話して解説してもらったりすることで、子どもは自我を確立し、社会性を身につけ、コミュニケーション能力を上げていく。この時期、子どもにとって親とは、内的世界(心の世界)の一部でもあり、心と外界をつなぐ、重要な案内人となる。

それなのに、パブリックで使うことばを親がわからないとなると、パブリックでの出来事の微妙なニュァンスを、子どもは親に伝えられない。

これは、単に、親との没交渉などという簡単な事件ではないのである。心の世界ができ上がらないので、子どもは自問自答しながら、目の前の事象に対処することができないままになるのだ。すなわち、「○○したい!とはいっても、いきなり、それは問題だろう。その前に、こっちを片づけなきゃなあ」のような心の中のひとり言が言えない、”気持ちの逡巡”という感情コントロール機能を獲得しないまま、次の発達段階に向かうことになる。極端な場合、コミュニケーション障害をきたし、一人前の社会人として機能することが難しくなることもある。

発達途上の子どもの脳にとって、ことばは、意味上の語彙を増やしてやればいいというものではないのである。ことばの情感と社会性を、親(近しいおとな)という「案内人」を介して、複合的に獲得していかなければならない。ここにおいて、ことばの表層の意味なんて、たいして意味がないのである。

このように、いったんドメスティックな環境で母語を確立したのに、社会性獲得の段階(学童期)で、心を表現する言語である母語を失うことを母語喪失と呼ぶ。

この母語喪失は、元は、外国からの出稼ぎ家族たちに起こった間題である。親は日本語の能力が低いまま、朝早くから夜遅くまで働いている。学童期の子供は、親とほとんど触れ合えない環境で、学校で使う日本語に馴染んでいくうちに、ほんとうにふるさとのことばを忘れてしまうのである。

気づいたときには、親と子の会話が通じない。子ども自身もさることながら、こういう子どもを抱えた、現場の教師たちのストレスは計り知れない。このため、外国人労働者が増えたパブル期以降の教育現場の問題提起として、母語喪失ということばがあった。

しかし、母語喪失は対岸の火事ではない。親と子のことばが通じないという極端なケースでなくても、心を表現することばを失い、後にコミュニケーション障害を抱えてしまうケースは、帰国子女の中にも見られるのである。そして、今後は、日本に生まれ育ち、日本人の親に育てられているにもかかわらず、早期の外国語教育によって母語喪失を引き起こすケースが増えることも予測されている。

統計的には、この母語喪失の増加が顕著であるかどうかはわからないが、「子どもを国際人にしたい」がために、外国語の小学校に通わせる親たちが増えているどいうニュースは、最近よく目にする。両親のどちらかがその言語を母語としているか、両親のどちらかあるいは本人が七歳以下で三年以上の現地体験があるか、今現在、家族で現地に住んでいて、両親のどちらかが高い言語能力で現地の仕事をこなしているか。そのいずれでもない場合で、やむなく外国語学校に通わせるときは、学校以外の場所でのいっそうの日本語教育をお勧めしたい。

心を表現することばを失った子どもたちが、おとなになる社会を考えると、現在の二ート現象どころの騒ぎではないような気がする。脳は、ひとりでおとなになることはできない。母語は、脳の基本機能に深く関与している。親と子どもの母語関係をしっかりと築くことが、人間形成の基礎なのではないだろうか。(P55〜P60)

◆日本人の識字率はなぜ高いのか

音韻と文字との関係も、各国でさまざまだ。日本語は、音声認識の一単位にカナ一文字を与えている。したがって、意味がわからなくても、聴き取れれば、書き取れる。

中国語は、音声認識の一単位であるピンインに、複数の漢字がリンクしている。したがって、聴き取れても、意味を理解した上で漢字を駆使しないと書き取れない。つまり、日本人は数十のカナを覚えればなんとかなるが、中国人は、四〇〇を超えるピンインに何千という漢字がぶら下がっていて、その体系を知らなければ、識字できないのである。

アルファペット文化の人たちは、音韻単位と表記単位が一致していないので、聴いたように記載しても文字記号にならない。また、文字を見たように発音しても、それが正しい発音だとは限らない。中国語と同じく、ある一定数の単語(文字列)を知らなければ、識字できないのである。

日本人の識字率が高いのは、幼い頃に、まず音韻と一致したカナ文字によって、気軽に文字に親しめるからだといわれている。やがて、発達段階に合わせてゆっくりと漢字を増やしていく。この方式だと、ほとんど落ちこぼれを作らない。


(私のコメント)
バージニア工科大学における銃乱射事件の犯人は八歳でアメリカに移住した韓国人だった。犯人のチョ・スンヒは極端に無口であり、教科書の朗読で教師から指名されてもなかなか読み上げようとはしなかった。読まなければ落第だと言われて読み上げ始めたが、モゴモゴ言うような発音で、他の学生から「中国へ帰れ」とからかわれたという。

テレビで犯人のビデオ声明が放送されたが、チョ・スンヒの話す英語は口の中でモゴモゴ言うような特徴のある英語だった。バージニア工科大学に入れるほどの頭の良さなのに、英語の発音が不自由であったがために犯人は極端に無口になり、学友との交際はほとんどなかった。

たまたま黒川伊保子著「日本語はなぜ美しいか」という新書を読んでいたのですが、母語喪失という問題がチョ・スンヒにも当てはめられるのではないかと思う。両親とも英語が話せず、学校生活や日常では英語を使っていたから、喜怒哀楽や感情を何語で表現するかという問題が起きてしまった。

チョ・スンヒには姉がいたが、年上だから韓国語が母語であり、その上で英語を学んだから意識表現での混乱は起きなかったが、8歳のチョ・スンヒには韓国語も英語も中途半端になり、自分の感情を何語で話すか分からない母語喪失状態になってしまった。そのためにコミニケーション障害となり歪んだ人格が形成されていったと思われる。

最近では子供を国際人として育てる為に早くから英語を学ばせている親達を見かけますが、8歳程度の子供には他に学ばなければならない事が沢山ある。小学校の低学年で二つの言語をマスターするのは天才的能力が必要だ。むしろ読み書きそろばんといった基礎的な能力を身に付けさせないと脳の基本形成に影響が出てくるのではないかと思う。

日本の場合、古代の昔から日本語を使い続けてきた。英国のように古代はケルト語を話していたが大陸から次々と侵略されて現代の英語が形成されたがそれは16世紀ごろの事で英語はフランス語などの外来語が多い。島国である英国ですらそうなのだからヨーロッパ大陸諸国はラテン語すら廃れてしまった。だから大なり小なり外来語が母国語となっている。

アメリカ人の場合はイギリスからの移民を除けば英語は先祖伝来の言葉ではなく、韓国から移民してきたチョ・スンヒのように両親は母国語を話し、子供達から英語を使い始めている。だからアメリカ人にとっては英語は母国語になりきってはおらず、アメリカの風土と英語とは何の関係もない。

英語と風土とが一番馴染んでいるのは、やはり英国であろう。500年余り使い続ければ風土や意識や身体感覚に結びついた言葉になる。英語がファンタジー大国であり数々の童話が作られているのは母国語として英語が体にしみこんでいるからだ。

日本はそのような英国を上回るファンタジー大国であり、日本ほど古くからの昔話や童話が残っている国はないだろう。それは昔から日本人は日本語を使い続けてきたからであり、ほとんどの国は国家の興亡と共に国語も昔話も童話も消え去ってしまった。

このように見ればアメリカの英語は単なる記号言語であり、僅かな言葉で「暗黙のニュアンスを伝える」といった文化レベルには達していない。だから同じ英語を話すイギリス人とアメリカ人とでは発音に関して意識が異なるのであり、アメリカ人にとっては英語は意味が伝わればいいのであり、イギリス人にとっての英語は情念まで伝える言葉であり、だから発音にも厳格だ。

日本においてもビジネスでは標準語を使っている人が家庭に戻ればお国の言葉を使うように、気持ちを伝えるには標準語ではなくお国言葉でないと伝わらない。だから英語を標準語に例えれば母国語はお国言葉なのだ。宮崎県知事選挙でそのまんま東が宮崎弁で演説したのに、官僚出身の候補者が標準語では選挙民の心はつかめない。

アメリカ人の英語が風土に結びついた母国語となるためにはあと数百年の年月が必要だろう。アメリカ国内でもテキサスやボストンなど言葉が違ってきている。ヨーロッパでラテン語がスペイン語やイタリア語やフランス語に変化していったように、アメリカ英語が母国語となる頃は様々なお国言葉に変化しているはずだ。

アメリカ在住の日本人家庭では子供に英語を身に付けさせる為に家庭でも英語で親子が話をしている例もあるようですが、ばかげている。日本人である限り母国語である日本語が話せなければ無国籍人となってしまうのであり、単なる記号言語しか話せないロボットのような人間が出来上がることになる。アメリカ人が歴史感覚が無いのも歴史が浅い国であると同時に、言葉も短なる記号としての言語しか使えないせいもあるのだ。

テレビでも時代劇が好まれるのも、日本語の歴史的連続性があるからだろう。言葉もその時代風に変えてあるし外来語は出てこない。ハリウッド映画が違和感のあるのはドイツの軍人もナポレオンもみんな英語を話しているからだ。ドイツの軍人はドイツ語でなければ「らしくない」しナポレオンもフランス語でないと「らしくない」。英語では風土や生活習慣に結びつく情報が極端に少ない。だからアメリカでは優れた文学作品が少ないのだ。

グローバル化した時代では英語が出来たほうが確かにいいだろう。しかしそれはビジネスに限られた記号言語であり、情感を伝える言葉としては向いていない。チョ・スンヒが狂ってしまったのも母国語を失ってしまったからであり、日本の親達が小学生のうちから英語を学ばせるのは間違っている。

日本人ほど英語が下手な国民はいないといわれますが、それは英語が出来なくても生活に不自由しないからだ。日本では大学でも日本語で授業が行なわれているからですが、韓国では欧米に留学しないと高度な教育は出来ないようだ。韓国の異常な数の留学生の多さは韓国文化の悲劇の象徴でもある。


◆【コラム】韓国には「人間教育」が欠けている(上) 4月24日 朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/article/20070424000064

米国特派員だった70年代、苦労して韓国から米国に移住してきた人々に、「なぜ移民したのか」と尋ねると、答えは十中八九、子どもたちに質の高い教育を受けさせるためというものだった。
 国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(IBRD)といった国際機関が、韓国経済が発達した要因として旺盛な教育熱を指摘するほど、韓国の保護者たちは国内にいようと、海外にいようと、子どもの教育にすべてを賭けるような姿勢で臨む。そこに共通しているのは、「自分たちは満足に教育を受けられず、その結果裕福になることができなかったが、お前たちはしっかり勉強して、その恨みを晴らしてほしい」という思いだ。しかしわれわれが身の回りで目にするのは、必ずしもそうした姿勢が実を結んだケースばかりではない。

 移民者たちの多くは、子どもたちを米国の学校に通わせさえすれば、すべてが解決すると考えていた。労働者として移民した彼らのほとんどは、英語を満足に話せなかったため、子どもの教師に会って話をすることもはばかられた。意思疎通できたとしても、移民の身分では生活に追われ、PTAなどの活動に参加する余裕がなかった。子どもたちは親と一緒にいられる時間が少なく、自然と家庭の外で過ごすことが多かった。また彼らは通常低所得者の集まる地域に住んでいたため、学校にも不良生徒が少なくなく、教育環境は決してよいとは言えなかった。

 もちろんすべてがそうだ言わないが、移民者の子どもたちの中には、こうして周囲から適切な刺激を得ることができず、人生に大きな意味を見いだすこともなく、共同体意識が欠如したまま、社会の陰の部分に引き寄せられる例も少なくなかった。結局、子どもの教育のことを思って移民したにもかかわらず、子どもをだめにしてしまう結果となるケースも多かった。

 バージニア工科大で32人を殺害した銃乱射事件の容疑者チョ・スンヒのケースも、個人的な精神障害が原因ではあったとされるものの、広い意味では移民労働者の子どもたちがたどってきた負のコースの果ての極端な例だと見ることができる。チョ容疑者が仰ぎ見ていた「世の中」とは、せいぜいベンツやウオツカにコニャック、ダイヤモンドが象徴するものだった。世の中には大学に行けない人のほうが多いという認識も、チョ容疑者にはなかったのかもしれない。それこそが彼の受けてきた人間教育の限界であり、その限界が持つ負の部分が結局、こうした事件となって噴出したといえる。

 ここにわれわれは貧富の差がもたらす冷酷な現実を見る。国内の韓国人がアメリカンドリームを実現した在米韓国人の1.5世や2世を誇らしく思うその瞬間にも、米国社会の底辺には、それとは正反対の在米韓国人が存在している。

金大中(キム・デジュン)顧問


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