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伝説の娼婦メリーさん 
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投稿者 white 日時 2007 年 5 月 07 日 23:58:03: QYBiAyr6jr5Ac
 

□伝説の娼婦メリーさん 

 http://www.with.if.tv/merry/merry.htm

伝説の娼婦メリーさん

             文中の私は管理人ひーのことです。


「横浜ローザ」のラストシーンで自らを「おばけ」と言い「いいのよ・・・なんだっていいわ」という台詞がある。
この台詞の「いいのよ」が私にはとても痛く心に刺さる台詞だった。

横浜に越してきてはじめてメリーさんを見たのは中学3年のときだった。
彼女に逢ったとは表現できない。あくまで、「見た」だ。なぜなら、近づくことにためらいを覚え、離れたところから彼女の頭のてっぺんから足の先までを見てしまうのだ。
横浜駅のそばで白い帽子をかぶり、真っ白な化粧をして、純白のドレスをまとい、白い靴を履いていたひとりの老女。
デパートの紙袋を持ち時には白い日傘を持つこの老女は一見「いい暮らしをしているご婦人」を想像させると同時に「なんなんだ この人・・・」と私の目を釘付けにした。
学校でこの話をすると知っている人も多く「しろしろ仮面」と呼ばれていた。
高校に入ると「しろしろ仮面」についての情報はもっと私の耳に入ってくる。
「外国人専門の娼婦」であり「メリーさん」と呼ばれていることを知った。
その後も私は何度かこのメリーさんと遭遇した。
横浜駅、高島屋の前、伊勢佐木町でみかけたときは紫のドレスだったことを覚えている。
そのたびに私は彼女をくいいるように見つづけていた。

人は外見から生き様のほどを判断できるものなのだろうか・・・・
ただの「笑い者」にされていたメリーさんの半生を私は「横浜ローザ」をきっかけに知ることになった。
フィクションではあるがメリーさんを意識して作られた「横浜ローザ」とメリーさんの半生が私の中でひとつに重なる。
そして私が彼女に向けた残酷な視線が痛みになって一瞬にして私の心に返ってきたのである。
「何もしらないくせにごめんなさい・・」と感じつつラストの「いいのよ なんだっていいわ」の台詞。私に言ったのだと思った。
「いいのよ あなたがどう見ようと私は私」「いいのよ 何もしらないくせに」リフレインされる「いいのよ」は私に様々な意味を持たせる「いいのよ」として心に刺さってきたのだ。


元次郎さん撮影  
                        

ここから先の記事についてはメリーさんと交流をもたれていた元次郎さんからお聞きしたことと五大路子さんからお聞いたこととテレビで放映された「失われた時を求めて」と読売新聞の記事を基に書いたものです。
横浜に来る以前のメリーさんについては確証となるものはなく「メリーさんが語ってくれた」という人の証言のみの構成です。
また、「横浜ローザ」はメリーさんをモデルとして作られたものですがあくまでもフィクション作品です。
どうぞご理解されたうえでご覧下さい。

通称メリーさん。 
彼女は何も語らなかった。
元次郎さんが彼女と出会わなければ「横浜の名物」としておもしろおかしく語り継がれていたかもしれない。
ただ間違えなく言えるのは「戦争」が彼女の人生を変えてしまったということ・・・

中国地方出身のメリーさんは終戦の翌年25歳のときに料亭の仲居として職についた。
しかし「料亭」とは名ばかりで実際は米兵相手の慰安所。そして仲居とは慰安婦だった。
慰安婦・・・これは国家が奨励したものである。この女性たちのおかげで一般の日本女性は米兵の性の捌け口から守られたのだ。
メリーさんの料亭は将校が専門の慰安所でメリーさんはひとりの将校の専属(オンリーさん)となった。
やがてその彼が東京に移るとメリーさんも一緒に東京で暮らし始めた。
グランドホテルがメリーさんたちの住居である。

人々が食べるものにも困っていた戦後まもないころメリーさんは食べ物にも困ることもなく庶民の着れない素敵な服を着て将校と共に外人専門店にも通う華やかな生活を送った。
メリーさんが推定で35歳の時に将校をしていた彼は朝鮮戦争に出兵、二度とメリーさんの元へは戻らなかった。
彼は朝鮮戦争のあとメリーさんのところではなく家族の元へ帰っていったのである。

その後メリーさんは横須賀に移った。
横須賀は外国人が多く、ドブ板付近は外人専用の飲み屋も多い。
そんな中でメリーさんはまた娼婦として7年を横須賀で過ごしたという。

1963年 メリーさんは40歳を過ぎて横浜に来ることになる。
横浜にもたくさんの外人がいた。横須賀と同じ港町だからだろう。
横浜には進駐軍の施設も多く、すでに娼婦もたくさんいた。
新参者のメリーさんはいい場所には立てない。
「横浜ローザ」に登場する「爆弾ミッチ」と呼ばれる娼婦のリーダーが実在したようで一等地と言われていた「根岸屋」(伊勢佐木町にあった有名な酒場)前にはメリーさんは立てなかった。
根岸屋から少し離れたところで客をとるしかなかった。

時は流れる。横浜の町並みもきれいになってゆく。
人々の生活も向上してゆく。
娼婦の姿はだんだんと見ることができなくなった。
結婚した人。店を持った人。メリーさんはそんな時の流れに乗れなかったのだろうか。
生きることに不器用だったのかもしれない。
それでも彼女は生きていくために「娼婦」を続けていかなくてはならなかった。
1970年 彼女は50歳を迎えようとしていた。「娼婦」はもはや目障りな存在でしかなくなった時代である。
行きつけのフャミリーレストランは家族連れでにぎわっている。
ある日いつものようにそのファミリーレストランに行くと・・・メリーさんは店を追い出されてしまった。

メリーさんを門前払いしたのはこのファミリーレストランだけではない。
伊勢佐木町の「森永ラブ」でもやはり目障りな存在となっていた。
男が女を買いに来た町はもう「家族連れの町」にすっかり様変わりしていた。
世の中の流れをメリーさんはきっと気づいてはいただろう。
ただ生きるすべを見い出せぬまま1980年代になっていった。時代に捨てられたかのようにメリーさんは60歳を迎える。

          
元次郎さん撮影 森永ラブにて


メリーさんの化粧は最初から写真のように蒼白だったわけではない。
横浜に来てからもしばらくは髪を金髪にしてクルリとパーマをかけとてもおしゃれな人だった。
伊勢佐木町に「柳屋」という化粧品屋がある。まだ娼婦がたくさん伊勢佐木町にいた頃からの店である。
メリーさんはを柳屋ひいきにしていたので奥さんはメリーさんのことをよく知っている。だんだんとお金がなくなってくるのが奥さんにもわかりこれまでのような高級な化粧品はメリーさんの生活を苦しめることにもなる。「これにしたら?」と柳屋の奥さんに勧められたのが資生堂の500円のドウラン。
このドウランがメリーさんを横浜で有名にしてしまったひとつではなかったろうか。

わざわざ年増の娼婦を買う物好きはいない。
自分では現役の娼婦のつもりでも世間からはただの笑いものとして扱われる。
時には新聞に載ることもありメリーさんは横浜では知らない人がいないという存在になっていった。
新聞記事はどこまで真実なのかはわからない。
最近、メリーさんの古い記事を読み直したらずいぶんいい加減なものだ。
うわさだけの記事・・・そう メリーさんは誰にも何も語っていなかったのだから。

エイズという病気が注目を浴びた頃があった。
当時、この得体のしれない病気に対する知識が不足していたためメリーさんは行きつけの美容院から「入店お断り」を告げられた。
他の常連の「エイズが怖い」というだけの理由だった。


1990年メリーさんも70歳になろうとしていた。
いつからかホームレスになりGMビルという雑居ビルの7階がメリーさんの寝場所になった。
小さな椅子を2つ並べたベッドでメリーさんは何度朝を迎えたのだろう。
その椅子には中国語で「メリーさん大好き」と書かれている。雑居ビルの飲食店に勤める中国出身の女性が書いたらしい。メリーさんはこのビルでエレベーターガールをするようになった。
決して自分からお金を要求したりはしない。それでも酔った客やメリーさんをよく知る客からのチップがメリーさんの収入源になっていった。

1991年元次郎さんが関内ホールでポスターを見ていたメリーさんに声をかけたことがきっかけとなり元次郎さんは「メリーさん」の一番の理解者になっていった。
会うたびに「お花代」と言ってお金を渡したり目医者に連れて行ったりと元次郎さんは心からメリーさんを気遣ってくれた。
写真のメリーさんの目のメイクはまるで歌舞伎の隈取のようになっていてとてもインパクトがある。
もうあの頃は白内障が進んでいて鏡に映る自分の顔ですらはっきりとは見えなかったらしい。
階段で転倒し背中が曲がってしまい小さな体はますます小さく見えるようにもなっていった。

時が経つにつれメリーさんは元次郎さんにポツリポツリと自分のことや気持ちを話すようになっていった。
「ゆっくりとできるお部屋が欲しいわ」
そんな小さな夢を元次郎さんは叶えてあげたいと生活保護の申請に走り回る。
しかし住民票が横浜にはなくメリーさんの故郷でも渡してはくれずこの願いは叶わなかった。

1996年初冬
メリーさんは突然横浜から消えてしまった。
五大さんの舞台も見ることもなく、元次郎さんにも何も告げずにメリーさんは「伝説の娼婦」になった。

                     【ひー書】

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