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JMM [Japan Mail Media]  「『反テロ戦争』の現在(911六周年)」  冷泉彰彦 
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投稿者 愚民党 日時 2007 年 9 月 15 日 19:38:02: ogcGl0q1DMbpk
 

                              2007年9月15日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.444 SaturdayEdition
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                       http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼

  ■ 『from 911/USAレポート』第320回
    「『反テロ戦争』の現在(911六周年)」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)


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 ■ 『from 911/USAレポート』第320回
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「『反テロ戦争』の現在(911六周年)」

 体調不良で辞任を発表した安倍首相の表情、そして特措法の問題を「国家存亡の危
機」などと絶叫する自民党両院議員総会の様子などをアメリカから見ていますと、そ
の深刻さには困惑させられます。まるでアメリカは血眼になって「反テロ戦争」を
戦っており、その支援活動であるインド洋での無償給油活動を日本が止めることは、
たいへんな裏切りになる、少なくともそんな印象を安倍首相なり一部の自民党議員は
持っているように見えるからです。

 では、実際にアメリカにとって「反テロ戦争」の現在というのは何なのでしょう。
例えば2001年の9月から10月にかけて「怒りの拳」を振り上げるかのようにタ
リバン政権に襲いかかったような「復讐心」、あるいは2003年のバグダッド侵攻
に引き続いて、フセインの息子たちを殺害してその遺体の写真を公開するといったカ
ウボーイ気取りの「殺気」といった心情は2007年秋の現在も残っているのでしょ
うか。

 答えは「ノー」だと思います。

 勿論、アフガンでもイラクでも戦闘は続いているのですが、アメリカの社会からは
「殺気」は消えつつあります。また、その流れは止まることはないでしょう。まず
もって「アメリカは殺気に包まれている」だから「敵か味方かの区別に敏感だ」とか
「国際法や国連の枠組み(この二つは実は同じことですが)より有志連合を優先すべ
きだ」という前提は崩れていると見るべきだと思います。

 そうした雰囲気を色濃く反映しているのが「あの日」の六周年の一日でした。20
07年9月11日の火曜日は雨でした。鉛色の空の下ではありましたが、追悼祭と犠
牲者名簿の読み上げは例年通り行われています。ブルームバーク市長の司会は厳粛な
ものでしたし、フルートやチェロの独奏による音楽も雨模様の中、哀切な響きを奏で
ていました。今年は警察官や消防士の代表が交代で犠牲者の名前を読み上げて行きま
したが、昨年の「配偶者・パートナー」と同じように非常にエモーショナルなムード
でした。ABC順に行う読み上げの自分の持ち場を終えた後、アドリブで「犠牲に
なった自分の同僚へのメッセージ」を話すことが許されていたのですが、その部分で
泣き崩れる人もありました。

 ただ、昨年までと異なるのは、そこには政治色や軍事的な色合いがほとんど排除さ
れていたのです。ブッシュ大統領も現地入りはせずホワイトハウスでの黙祷だけでし
たし、選挙戦の最中である大統領候補たちも一名を除いてNY入りしませんでした。
その一名というのはジュリアーニ候補で、元市長というステイタスで追悼式典にも出
ており、(恐らくはブルームバーク市長の演出だと思われる)詩の引用を含む短いス
ピーチをしましたが、そのほんの少しの登場だけで「政治利用」という批判がされて
います。

 ちなみに、ジュリアーニ元市長のスピーチは「死者を悼むこともそこに人がいてこ
そ、希望を描くのもそこに人がいてこそ」というような(詳しい内容は書き取れませ
んでしたが、そんな内容だったと思いました)実に味わいがあり、一方で政治や戦争
を思い起こすような要素は皆無のもので、会場ではかなり拍手が起きていました。

 式自体はそのように静かで立派なものでしたが、残念なことに全国中継のTVでは
ほとんど無視されていたのです。NYローカルの局はほとんどが4時間強の犠牲者名
読み上げを中継していたのですが、ペンシルベニアの局経由で見た三大ネットワーク
の「全国版」では、8時46分の第一回の黙祷の際に、ニュース番組の一部として数
分中継された以外は全く扱っていませんでした。昨年よりも扱いは更に小さくなって
おり、9時以降はクイズ番組やお笑いトークショーの「日常」が完全に戻っていたの
です。

 犠牲者の氏名読み上げが完了しますと、式典のムードはよりソフトになっていきま
した。高校生を中心とする合唱団による、サイモン&ガーファンクルの往年のヒット
曲、"Bridge Over Troubled Water"が小雨の中、しっとりと優しく歌われたのが印象
的でした。日本では「明日に架ける橋」という曖昧なタイトルで「ノンポリ化」され
たこの歌ですが、原題にある "troubled water" というのはベトナム戦争を意味する
ことは明らかです。そんなソフト反戦歌が911の六周年の公式追悼行事を締めくく
るというのは特別な意味があるように思います。

 それはNYの街として「トラブルに橋を架けて乗り越えて行きたい」というのは、
単にテロ被災ということだけではなく、アフガン戦争という「トラブル」そしてイラ
ク戦争という「トラブル」も乗り越えて行きたいという意味合いになってくるという
ことです。この合唱を最後に、追悼式典としては一旦お開きとなったのですが、この
日の午後はマンハッタンの各地で「セプテンバー・コンサート」と銘打って多くのミ
ニコンサートが開かれたのだそうです。

 私はふと2001年10月2日に、このNYで行われた『イマジン〜ジョン・レノ
ンに捧げる夕べ』というイベントを思い出しました。911の直後、ニューヨークや
ニュージャージーでは、多くの人が献血に行列をしたり、千羽鶴を折ったりというよ
うな不思議な「優しさ」を見せながら、やがては避けられないであろう「血塗られた
報復の日々」が来るのを恐れていました。このコンサートは正にそんな中で行われた
のです。

 やがてアフガンへの空爆、そして地上戦、更には「怒りのエネルギー」のイラク戦
争への転用という形で、事態は最悪のコースを辿って行きました。ですが、この20
07年の911六周年に当たって、小雨降るNYの街を包んでいた不思議な優しさは、
そうした「怒りの日々」あるいは「愛国を口実に沈黙を強いられていた日々」が一巡
したことを感じさせるものだったのです。ひたすらに痛切な音楽、崩れ落ちそうな表
情で涙と共に献花をする遺族の人々を見ていると、「あの日」の「死」が政治や軍事
の手を離れて、ようやく遺族のもとへひっそりと戻ってきた、そんな印象すら持ちま
した。2001年10月2日の『イマジン』から、2007年9月11日の『明日に
架ける橋』へと、一つの円環が閉じたような感慨を私は持ちました。

 では、NYを離れたワシントンでは、そんな「ソフトな追悼式典」には目を向けず、
相変わらず戦争やナショナリズムの「殺気」に満ちていたのでしょうか。それも違う
のです。実は、今週9月10日(月)、11日(火)の二日間は、イラク駐留多国籍
軍のペトイエス司令官と、駐イラクのクロッカー・アメリカ大使の二名を召喚しての
上下両院の公聴会が行われていました。この公聴会、そしてそれを受けた形で行った
ブッシュ大統領のスピーチを通じて、当面のイラク政策は道筋が見えてきたように思
います。

 ブッシュ政権の方針、そしてイラク派遣軍の報告が一応通ったというと、アメリカ
はまだまだ「血塗られたイラクへの介入」を続けるように聞こえます。ですが、その
実態は非常に巧妙な言葉を組み合わせた「撤退のスタート」なのです。まず、直ちに
スタートする最大3万人の兵力削減ですが、これは「期限を切っての増派(サージ)」
が完了したための「自然な削減」だとされています。また新たな増派は行わず、自然
減に任せるのは増派が成功したからだ、ということになっているのです。また、都合
の良いことに、イラクの治安回復が進まないことはほとんどがイラク政府の責任にさ
れています。

 そんな風に「ブッシュ政権の方針は正しかった」とか「今やっていることには意味
がある」というように表面は穏健な言葉を並べながら、実際は政治的な失点を最小限
にしながら「撤兵」への道筋をつけようとしているのは明白です。公聴会では、ペト
レイエス司令官とクロッカー大使に対しては、他でもない共和党の議員団から非常に
厳しい追求が浴びせられたのが印象的でした。他でもない共和党の議員団が「イラク
戦争の反対に回ることはできないが、このまま泥沼化するようでは選挙に落ちる」と
いう危機感にかられているのは明白です。つまりは、保守層も含めて民意は「撤退」
に大きく傾いているということに他なりません。

 そのような形で、政界からも社会からも「戦時の殺気」は雲散霧消しているのです。
ですから、「給油」が継続できなければ「国際公約に背く」とか「反テロ戦争への裏
切り」という一部の日本の政治家の思い詰め方は、テロ戦争の「本家」であるアメリ
カ社会の現在の雰囲気から見ますと、冒頭申し上げたように困惑するしかないのです。

 ただ、実際にアフガンそしてパキスタンの情勢は緊迫しています。ですが、この2
007年9月の時点で最も緊迫しているのは、パキスタンのムシャラフ大統領が公選
の洗礼をどうやってクリアしてゆくかという問題でしょう。先週はシャリーフ前首相
(ムシャラフがクーデーターで政権を奪った相手、保守派の政敵)の「一時帰国と即
時国外追放」という一幕のドラマがありました。

 この事件にしても、政敵の帰国を許して世論が彼をどのぐらい支持するかを判定し、
またアメリカをはじめとする西側に対してシャリーフ帰国がそれほど騒ぎにならない
ということで、ムシャラフが民心を掌握している証拠にしよう、また政権内や軍部内
部の内通者の有無も判定しようという賭けだったのだと思います。同じく欧米派の政
敵ブット元首相の帰国も予定されており、大統領公選が秒読みとなる中で政局は、正
に緊張をはらんでいるのです。

 こうしたドラマを積み重ねる中で、ムシャラフが民心を本当に掌握するためには
「金持ちの先進国」から給油を受けて英国などから購入した艦船をインド洋に遊弋さ
せるのではなく、非産油国としてどのような産業を興し、国を富ませ、人々の自尊感
情を立て直してゆくかということでしょう。仮に「反テロの戦い」なるものがあると
したら、それはそうした日々の戦いなのであって、精密誘導弾でタリバン勢力を殺害
する、そのためにインド洋から出撃するというようなアメリカの作戦をいつまでも続
けてさせていては、本当の意味での戦いにはどんどん負けていくのではないでしょう
か。

 その意味で、アメリカで「殺気」が弱まり、軍事作戦一辺倒の「反テロ戦争」がタ
ーニングポイントを迎えている今こそ、給油にしても何にしても一旦は引く良いタイ
ミングなのではないかと思います。今「給油」から手を引くべきだというのにはもう
一つ理由があります。それは民主党のとりわけヒラリー・クリントンが政権を奪取す
る可能性です。何度もこの欄でお話ししたように、ヒラリーという人はムシャラフと
も親しいですし、アフガン情勢に対しては長い経験と意欲を持っている人物です。魔
法のように平和解決へ持ってゆく可能性もある一方で、アフガンに関しては果敢に戦
い続けるリーダーを演じたがるかもしれないのです。

 その一方で、ヒラリーに代表される民主党の発想法は「民主主義という正義の有無」
です。ですから、アフガンの問題に関して日本がキチンと民意を踏まえた上で「正義」
に貢献するというような「真剣さ」を問題にしてくる可能性があります。漠然と国威
発揚のために軍事力の地位向上をしたい、だから実績が欲しい、アメリカの庇護の元
で中国や北朝鮮に強硬姿勢を取って世論に媚びたい、でも危険な行動はできないから
「給油」でお茶を濁しておきたい、というような発想法は民主党、そしてヒラリーは
は非常に嫌います。オバマに至っては、そうした発想法に対しては、若さゆえもあっ
て軽蔑を口にするかもしれません。

 もっと言えばヒラリーは「本当に貢献したいのならNATO軍と同じように危険な
アフガン領内で治安維持に血を流せ」というようなことを言い出さないとも限らない
のです。アメリカはこれ以上の米兵の犠牲は耐えられないほどに疲弊していますが、
その疲労感は「殺気」を減少させる一方で、戦闘自体は停止できないのであれば、同
盟国にも危険を更に振り分けるように作用してくることは十分に考えられるからです。
また、仮に日本に本格的な軍事行動を行わせたとして、その上で日本に軍国主義的な
ムード、つまり第二次大戦の戦後処理としての国際秩序を侮るような傾向が生まれれ
ば、平気で同盟関係を見直すようなこともするでしょう。

 そうではなくて、パキスタンにしてもアフガニスタンにしても、平時の経済によっ
て民生を向上させる、そのための貢献を中心に「反テロ」を考えるという方針に変更
し、それが日本の世論にも支持されているのであれば、ヒラリー政権は真剣にそれに
耳を傾けてくるでしょう。現実に根ざし、世論との対話を続けながら、アメリカに対
して積極的に言うべきことは言う、そうしたコミュニケーション能力こそ、日本の次
期首相には求められるのではないでしょうか。

 911六周年の一日が示しているのは、アメリカの社会における受け止め方として
は、「911」と「アフガン」「イラク」という三つの問題が、それぞれ独立した問
題へと切り離されていっているという傾向です。全体的に戦時の「殺気」は消える中
で「911」という事件は遺族の手元へとひっそりと戻って行きましたし、イラクの
問題は「こじつけでも何でも良いから名誉ある撤退を」というムードで与野党が暗黙
の合意プロセスに向いはじめました。アフガン情勢も、パキスタンの政局を含めて、
地に足のついた政治と外交に委ねられる局面に至っています。

 政治的軍事的スローガンとしての「反テロ戦争」というものは、良い意味で解体さ
れつつあるのは明らかです。にもかかわらず、日本の政治家が「日本人の犠牲者も2
4名いる」と叫びながら「給油は国際公約」だと思い詰めている姿は、ただひたすら
に不自然に思えます。そうした言動が政治的モメンタムを獲得するための芝居である
のなら単に不誠実なだけですが、もしかして国際社会を理解する上での情報不足、時
間感覚のズレがそこにあるのだとしたら、これは恐ろしいことだと思います。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
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【編集】  村上龍
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