★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ51 > 159.html
 ★阿修羅♪
 白石征演劇とは何か  (1)   【AWC】
http://www.asyura2.com/07/bd51/msg/159.html
投稿者 愚民党 日時 2007 年 10 月 28 日 01:29:42: ogcGl0q1DMbpk
 

 白石征演劇とは何か

 1)

 いつかテレビで見たある特集番組それは大衆演劇・団長の物語、団長は
女性であった。ある時期、団員が全員離れていった。しかし彼女はひとり
で大衆演劇を不退転で実践する、やがて若い人々が劇団に集まり、劇団は
かつての活力を復活させる、しかしその劇団は以前の劇団ではなく団長の
生きざまと信念と思想を了解している劇団員によって構成されている。こ
れが組織における再生である。現在の遊行舎はこうした構造に接近しつつ
ある。演劇集団とは「死と再生」であろう。細胞は死滅し誕生する、それ
が生命のいとなみである。遊行舎という社会的組織を創造し存続させてき
たのが白石征先生である。わたしは白石征演劇に弟子入れしてから6年目
になる。

 遊行舎は96年9月に遊行フォーラムの一環として上演した「小栗判官
と照手姫−愛の奇蹟」によって誕生した。制作・衣裳は湘南舞踏派を裏方
として立ち上げたといってよい若林可南子さんが大きな力となった。彼女
の息子は土方巽の流れをくんだ舞踏手である。若林さんはその当時、演劇
鑑賞会の世話役をしていて、かなりの文化的ネットワークをもった女性で
あった。大きな社会的世界をもった創造的人間である。白石先生とは同世
代であろう。つづく「中世悪党伝」でも衣裳づくりに大きな力を発揮して
くれた。「遊行かぶき」は湘南の文化を支える女性たちとの協働、また横
浜・東京・首都圏の演劇を支える女性たちとの協働によって誕生したとい
っても過言ではない。ながらく編集出版の仕事をやってこられた白石征先
生には、創造的人間のエネルギーを演劇に組織する主体の強さがある。そ
の主体とは倫理に裏打ちされた不退転の悪魔のごとき執念であった。

 作家のエネルギーを本へと組織するのが編集者であるとするならば、民
衆の創造的エネルギーを演劇へと組織するのが演劇編集者であろう。演劇
編集者とは演劇運動家とも呼ばれる。そこにおける実践的な主体のありか
たこそが、出版と同様に演劇を社会に提示できる内容を持つ。組織された
演劇それが民衆「遊行かぶき」の構造である。社会に開かれた組織され生
成する演劇の可能性をきりひらく力として倫理がある。今後も「遊行かぶ
き」にはさまざまな創造的人間が参加してくるにちがいない。つまり演劇
とは寺山修司が実践したように、演劇のための演劇ではなく文明批評とし
て社会になにものかを提示する大きな可能性がある。

 「今治公演、お疲れさまでした。すえながく白石さんを助けてください
ネ!」元天井桟敷の歌姫・蘭妖子さんから晩夏、ハガキが届いた。ありが
たかった。蘭妖子さんは生涯性をもった尊敬する表現者である。そろそろ
白石征演劇について書けるのではないか、白石征演劇の根幹その思想が何
であるのか、いちど対象化してみたい、その世界観を言葉の方向感覚に助
けられながら主体化しないかぎり、遊行舎のつぎはみえてこないように思
えた。それがこの文章化作業である。吉川英治の小説「親鸞」を読み終え
たとき、新鮮な精神が高揚してきたのである。「親鸞」にたどりつくまで
長かった。今治公演から帰り、まずわたしはトム・クランシーの近未来小
説「日米開戦」から「合衆国崩壊」を読み、今度は日本の小説だと「親鸞
」を読めると思った。98年から「中世悪党伝」の勉強のため吉川英治の
小説は「新平家物語」「源頼朝」「太平記」を読んできたが、中世世界を
感じるためには、まず小説である。わたしは吉川英治の「親鸞」によって
鎌倉仏教「南無阿弥陀仏」の世界に接近できた。

 小栗判官と照手姫−愛の奇蹟、今治市公演楽日、政太夫さんの説教節は
うなりをあげた。あれは今だ見ぬ鳴門海峡であったかもしれない。すでに
幕は切って落とされ、わたしはそでで出番を待つ緊張にあった。政太夫さ
んのダイナミックな芸能の力を落とすことなく、次なるシーンへとバトン
を渡す演劇の役割意識。蘭妖子さんのシーンへとつなぐのである。白石征
先生(以下敬称略)から本舞台とは出演者スタッフによる駅伝レースであ
ると教えられてきた。そして演劇運動とは他力本願の行動思想であると。

 わたしは自分のシーンが終え、黒子に転じ舞台装置の裏に身を潜め、劇
場の風を感じていた。袖幕の裏に完成に向けた精神の集中と高まりが匂う
とき、舞台は成功する。白石征演劇そして遊行舎とは何か? わたしにと
ってその問いがようやくにして開示された。4年目にして。遊行寺野外公
演から愛媛県今治市公演は源流への帰還であり、つぎなる心的エネルギー
を準備する。舞台の袖幕に異界からの夏風がふき、黒幕がおよぐとき、白
石征演劇は死者を舞台に誘い魅了するのである。
 
 生身の説教節が現代演劇の構造を食い破り、観客をとらえて離さない、
そこに白石征演劇の実践があり、舞台の風は異界から本流へと転化する。
生身の芸能、生身の場所、生身の風雨、生身の危機、それこそが本物であ
ろう。遊行舎の演劇とは本物との出会いにつきる。説教節のうねりが中世
から立ち上がるとき,やはり白石征演劇「遊行かぶき」とは、起源を問題
にしているのだと、わたしは遊行寺公演から今治公演を経験したとき、よ
うやくにして自覚した。

 ささらこじきと呼ばれた放浪下層芸能民によって中世後期に出現した民
衆の説教節。それはヨーロッパ中世絵画と通低している。近代とはイタリ
ア・ルネサンスが表出する契機となったのだが、近代から現代のヨーロッ
パ芸術の根底には、10世紀から14世紀ヨーロッパ中世の絶望としてあ
ったこのペストとの死闘「死の舞踏」をくぐりぬけ生き延びたおそるべき
パワーの構造にある。

 近代ダンスではなく日本の舞踏として創出した暗黒舞踏・土方巽も中世
説教節に方向感覚はあったはずである。わたしは1996年6月ミラノ市
で観た中世絵画展、そこに餓鬼阿弥の存在を感じた。地獄に落とされそこ
から這い上がった餓鬼阿弥はまさにペストに侵食された民衆身体であり、
回復を願い熊野へと餓鬼阿弥車を引く小萩はヨーロッパの女たちでもあっ
た。

 ゆえに日本の根幹に迫る白石征演劇「遊行かぶき」は、愚直にも本物の
場所を4年間にわたり堀続けとき、民衆を発見するのである。滝のような
風雨にさらされながら、世紀末の説教師政太夫さんは、昨年・今年と遊行
寺野外劇で格闘するとき、劇場芸ではなく、中世放浪芸の根幹に迫る。昨
年の台風では音響家曽我さんの高価な外国製出力装置が雨でやられてしま
った。なぜそこまでリスクをかけ、膨大な赤字を支払い、白石征演劇は貫
徹されなくてはならないのか? 白石征は何を現代の人間に問おうとして
いるのか? 

 寺院における修行僧たちの鍛えられた福音が民衆への布教へと転化する
とき、説話という形態をとった。そこにコミュニケーション双方向といっ
た演劇が誕生する。中世説教節の源流がここにあった。リアリズムとは人
間こそがテキスト存在であるとする演者と観者の還流であろう。他者をあ
らかじめ前提としたところの説話。他者とは民衆身体である。ゆえに民衆
とは発見され続ける存在なのであろう。これを下層からの想像力と呼ぶ。

 藤原不比等たち国家官僚によって「古事記」「日本書紀」は古代たる奈
良時代に成立した。この奈良・平城京落日から長岡京をへて京都・平安京
への遷都の転換期に「日本霊異記」といった民衆の物語が修行僧景戒によ
って編纂されたことは驚嘆すべき事実である。そこに収録されている亡霊
が現在に語る能の源流ともいうべき「物言う骸骨」にいたっては、世界的
に分布している民話の一例である。日本演劇の原点として「日本霊異記」
はあり、ギリシア演劇と通低する世界性があった、音声によって立ち上が
る記憶の記述それが演劇と芸能の起点。

 白石征は80年代の最後において江戸を通過する。それが「新雪之丞変
化−暗殺のオペラ」と「落下の舞−暗殺のロンド」であった。江戸から中
世へ、白石征演劇の根幹は、時間の降臨である。過去の時間が降臨し現在
と入れ替わる、この変身は、息子から父の幻想時間が交差し、幽霊として
ある父の記述されなかった歴史が往生をとげるという独自性にある。時間
の上昇は不断に過去へと流れ、実はそこに人間のリアリズムがあるとする
空間認識。「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」にしても、結末は小栗毒殺と
いう暗殺の時間が降臨するのである。そして小栗は照手姫に抱かれながら
神へと昇華する。

 白石征演劇における「共同体時間における暗殺と神」は、白土三平「カ
ムイ伝第1部」でも表出しているが、空間認識における白石征の独自性に
わたしは注目する。空間と時間の編集それが舞台であるとするならば、白
石征はおのれが演出し、立ち上げた舞台から他者となって不断になにもの
かの生成を学習している。そこにはきびしいリアリズムとしてのひとりの
観客として成るものを幻視している。みえないものを感知しているのだ。
そこにわたしは脅威を感じる。

 「遊行かぶき」における時間のダイナミズムとは、遊行フォーラム運動、
本物の政太夫さんの説教節、これに土方巽暗黒舞踏の流れをもった、とり
ふね舞踏舎三上宥起夫氏の振付による湘南舞踏派による念仏踊りの展開、
日本舞踊・花柳輔礼乃先生の所作指導、若林可南子さんとそのネットワー
クによる衣裳づくり、現代美術家・鈴木朝湖氏による美術、新戸雅章氏に
よる「遊行舎通信」印刷メディアとインターネット・メディア展開、こう
した社会的世界をもった人々による協働作業として展開され、これが時間
のダイナミズムを生む。自己完結ではない空間であり、白石征は寺山修司
の演劇運動に学びながら、寺山修司と土方巽が希求した「かぶき」を現出
する。

 日雇労働者が日常的に路上で死に、山谷ドキュメンタリー映画を撮影し
ていた映画人が右翼暴力団に暗殺され、その映画を完成させた山谷争議団
の組合指導者が、続いて路上で暗殺される。早朝には警視庁機動隊一個中
隊が毎日大通りを占領する緊張した山谷にわたしは89年4月に横浜・寿
町の寿日雇労働者組合から派遣された。夜・争議団事務所での不寝番、そ
のとき一緒だった争議団の活動家から思想について教えられた。彼は浄土
真宗の大谷大学で学んだ人だった。「思想とは結局、個人の背によっても
つ荷のようなものだ。思想とは全体ではなく個人が担うものなんだ」と。
今から思えばそれが親鸞の教えであったかもしれない。

 死といかに向き合うか、死をどうかんがえるか? これが思想の契機と
なる。70年代初期、わたしはさまざまな同時代の先輩・後輩・同世代の
自殺を社会運動のなかで経験してきた。あの70年代を生き延びてこれた
のは奇蹟だったと思っている。70年代とはわたしにとって「敗北の過程」
だった。80年代に入り、岩波文庫の法華経を読んだとき、仏教の宇宙的
大きさに感動した。現在、わたしは熱い晩夏の残暑のアパートで岩波文庫
「浄土三部経」・網野善彦の中世に関する本、吉本隆明の「全天皇制・宗
教論集成」などを猛烈に読書している。いまいちど「日本とは何か?」を
希求し、法然から親鸞そして一遍、これら鎌倉仏教の前期とフビライによ
るモンゴル帝国の来襲にゆれる鎌倉仏教後期をえて、「ねんぶつ」に集約
された民衆の現出などをかんがえている。

 ダイナミックな「遊行かぶき」を展開する白石征という人は、ある演劇
思想をもっている。それはこれまで近代にはなかった演劇思想かもしれな
い。近代合理主義の論理からみれば白石征を理解することはできない。わ
たしの経験によれば白石征演劇運動とは社会運動・革命運動よりもすざま
しい運動体である。白石征自身が太い倫理の幹であり、その器こそが運動
体の渦をつくり、社会的世界をもった創造的人間を組織する。自己をどこ
までもみつめ自己をひらいたとき宇宙的世界となる、それが人間をめぐる
仏教的世界であるならば、白石征演劇とは仏教的世界観をもった演劇運動
である。


http://www.awcjapan.net/find.cgi?md=read&sn=mc5052





  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > Ψ空耳の丘Ψ51掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。