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2026年の世界。日本の企業の競争力の低下に伴い、円の為替レートがどんどん下がっていった。円安の進行が始まったのである
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投稿者 TORA 日時 2007 年 2 月 09 日 12:41:41: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu137.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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2026年の世界。日本の企業の競争力の低下に伴い、円の為替
レートがどんどん下がっていった。円安の進行が始まったのである

2007年2月9日 金曜日

◆2026年、言葉の壁で日本沈没 2006年5月17日 分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060517/1147867121

2026年、企業が生産する商品やサービスの主要な原料は、物質的な原材料というより、安価で良質の知識労働力だととらえる方が、より実態に近くなっていた。

たとえば、たった二千円で買える安っぽい椅子と、機能美に満ちた二十万円の椅子の価値の差のほとんどは、それに使われている鉄やプラスチックや綿などの物理的な原材料の違いではない。どのような人が、どのような室内空間で、どのような照明の下で、どのような家具と組み合わせて、どのような気分の時に、どのようにその椅子を使うのか、という綿密なマーケティング分析と、シミュレーションと人間工学的な設計に基づいた洞察の積み重ねであるデザインと、それを、絶妙に実装するための、繊細な金属加工技術と、素材の繊維をナノレベルから作り込みをするための高度な知識労働のたまものだ。

椅子よりも、企業のコンピュータシステム、あるいは、生活を支える銀行や電車やコンビニやスーパーのPOSネットワークなどのコンピュータインフラの方が、もっとそれが顕著だろう。それらのコンピュータシステムを構築するための原材料費のほとんどは、鉄でもプラスチックでもシリコンでもない。そのほとんどは、ソフトウェアエンジニアやマネージャーやディレクターの知識労働が原材料なのである。もっというと、それらのコンピュータシステムを使って、企業情報を整理し、現場からのデータを分析し、意志決定し、指示を出すオペレーションチームや、巨大な会計システムを運営する財務や経理のチームが生み出す付加価値の原材料は知識労働がほとんどを占めている。

つまり、小売業のようなべたべたにリアルなサービスや、椅子のようなべたべたに物質的に見える商品でさえ、その主要な原材料は、物質と言うより、知識労働だととらえる方が、より実質に近いのである。

そして、グローバル市場経済において、どの国でも、平等な条件で経済競争が出来るのは、全世界的に、原材料の調達コストが同一であるという暗黙の前提があったためである。たとえば、日本だけ、他の国の二倍の値段でしか鉄鉱石を購入できなくなったら、日本の鉄鋼業の規模は、大幅に縮小してしまうし、長期的には、世界的な競争に敗れざるを得ない。

そして、2026年においては、全世界的に、高度な知識労働による付加価値のない、単なる物作りは、極限までコモディティ化が進んでおり、それでは利益が出ない状況になっていた。つまり、物理的な原材料を加工して製品やサービスにするという行為それ自体では、利益なんか出やしないのである。

従って、この時点においては、企業活動とは、実質的には、知識労働という原料を加工して、付加価値を生産することにほかならなくなっていった。

これにより、グローバル市場経済における大前提である、原材料の調達コストの平等という原則が、まさに崩れつつあった。企業による付加価値生産の主要な原料が、知識労働になっていたにもかかわらず、言語の壁があるために、日本企業は、安価で良質の知識労働力を海外から調達できなかったからである。

日本の外では、全世界的なブロードバンドネットワークのおかげで、ネット経由の全世界的な知識労働力流通が始まっていた。太い回線を利用した、相手の表情の微妙な変化や息遣いまでリアルに感じられるほどのテレビ電話ソフトなどのイノベーションにより、地理的制約をとっぱらって、海外の知識労働者を容易に、ネットワーク越しに自在に自国のプロジェクトに組み込むことができるようになったためである。

インドもフィリピンもオーストラリアも人類史上空前の超流動性を持つ知識労働力流通圏に組み込まれていった。

しかし、このグローバル知識労働流通圏に最初に組み込まれたのは、歴史的、あるいは、文化的な事情で英語と親和性の高い国々だった。

たとえばインドは、英語圏の宗主国の植民地支配を受けたり、多様な言語を話す民族を統合するために英語を必要としたりしたこともあり、英語ときわめて親和性が高かった。

これに対し、歴史的偶然から植民地支配を受けた経験が比較的乏しく、民族および言語の同質性が高かった日本は、歴史的にそこまで英語との親和性は高くなかった。

また、インド=ヨーロッパ語族とひとくくりにされる言語を母国語とする人々に比べると、孤立語である日本語を母語とする日本人の英語の習得コストはずっと高かった。

ドイツ人が英語をマスターするのに必要なコストと、日本人が英語をマスターするコストでは、比較にならないくらいの差があるのだ。

このため、全世界的なブロードバンドネットワークによる知識労働力流通が開始したときに、言葉の壁という巨大な岩礁は、短期的には個々の日本人をグローバリズムの荒波から守る一方で、長期的には日本人を満載した日本という船がグローバリズムの海にこぎ出して明日の糧となる漁をする機会を奪うこととなった。

日本は、言語の壁があるために、海外の安価で良質な知識労働力を調達できず、日本企業が生産するほとんどの商品・サービスは、その主要な原材料である知識労働力が割高であるために、世界的に見ると、どんどん割高になっていったのである。

一方で、膨大な英語人口を抱えるインドやフィリピンなどの発展途上国から、ネットワーク経由で優秀な高度知識労働者をどんどん採用できるため、安価で良質の知識労働力を確保できる英語圏の企業は、圧倒的に原材料が安くて良質であり、ますます競争力を強めていった。この時代、企業とは、ますます人でしかないのであり、優秀な人材の調達できない企業は、敗れ去るしか無くなっていたのである。

そもそも、この兆候は、前世紀の米国で現れ始めていた。世界に君臨したアメリカのソフトウェア産業の繁栄は、ヨーロッパ人やインド人や中国人の提供した良質の知識労働力抜きには、なしえない所行だったのである。それは、「アメリカ」という国家の生み出したソフトウェア産業であるかも知れないが、必ずしも「アメリカ人」の生み出したソフトウェア産業ではなかったのだ。

この結果、二種類の日本企業が大量に発生した。すなわち、海外に拠点を移し、現地人を雇うことで生き延びた日本企業と、競争力を失って倒産する企業である。

ただし、英語圏でもないにもかかわらず、繁栄を誇っている国家があった。中国である。一人っ子政策で、少ない子供に、一族の命運をかけて出来る限りの教育投資をし、また、その期待を背負って熱心に努力し、のし上がろうとする中国の膨大な人口は、中国語圏に、大量の労働意欲旺盛な知識労働者を提供することになったからである。

さらに、単純労働者の質の違いが、日本を奈落の底へ突き落とした。中国やインドの単純労働者が、利益を生み出す「資産」であるのに対し、日本の単純労働者は、赤字を垂れ流す「負債」だったからだ。

これは、人間自体の損益計算書をイメージすれば、簡単に理解できる。

中国やインドのような国の単純労働者が消費する生活インフラは、日本に比べて、はるかに安価だ。そういった発展途上国では、生活インフラへの過剰投資や浪費はない。日本のように、コスト度外視で山奥まで舗装された道路や橋や、立派な公民館や、鉄筋コンクリートの学校や体育館や、電気、電話、上下水道の完備がされているというような、金銭感覚ゼロのデタラメな贅沢をしていないのである。

彼らの多くは、土ぼこりの舞うでこぼこの道を裸足で歩き、黒澤明の映画に出てきそうな掘っ立て小屋のような学校で勉強し、水は井戸からくみ上げ、夜はろうそくやランプのあかりしかなく、就寝時間になると土の床に家族が雑魚寝するような生活を送っている。都会に出た単純労働者は、狭い粗末な部屋に家族がぎゅうぎゅう詰めになって暮らし、ろくにおかずもない質素な食事をしている。

つまり、日本人は、発展途上国に比べると、生活インフラが贅沢すぎるために、単に生きているだけで、一人あたりの価値の消費が巨大だと言うことである。ということは、その巨大な価値消費に見合った価値を生産し続けなければ、その人間がこの国に存在すること自体で、国家はその赤字分を補填しつつけなければならないことになる。

しかし、こと、単純労働に関して言えば、中国人だろうが、インド人だろうが、日本人だろうが、それほど大きな価値生産性の違いはない。もちろん、前世紀の日本人は、単純労働といえども、そのモラルの高さ、真面目さ、勤勉さは、世界的にも突出していた。しかし、真面目に働くことで信用を積み重ねるメリットは、しだいに世界中で理解されてきた。中国、ベトナム、インドがいい例だ。

日本が高度経済成長期にあったころ、日本人の多くは、モラルの低い中国、ベトナム、インドの労働者は使い物にならないと考えていた。しかし、現実は違った。高いモラルで働けば豊かになれると理解した発展途上国の労働者のモラルは、みるみる向上し、使い物になるどころか、先進国の労働者を脅かすほどの良質な労働力になっていったのだ。

こうして、いまや、単純労働者の生み出す価値は、世界中どこでもさほど変わらなくなったにも関わらず、単純労働者の消費する生活インフラコストは、大きな格差が生じていた。発展途上国の単純労働者の生活インフラは、クローバル経済の恩恵により、以前に比べれば幾分豊かになったものの、日本のような過剰な贅沢からは、依然としてほど遠かったからだ。

そして、中国やインドの単純労働者は、消費する価値よりも生産する価値の方が大きかったため、国家にとって、それは利回りを生む資産となった。そして、日本人の単純労働者は、生産する価値が発展途上国の単純労働者とさほどの差が無くなってきているのに、消費する価値があまりにも巨大すぎるために、国家や地方自治体の予算を食いつぶす負債となったのである。

さらに、これに拍車をかけたのが、今世紀初頭に、小泉政権によって民営化された道路公団が、田舎の地方自治体の圧力に屈して、結局、民営化前に計画されていた建設予定の高速道路を、一つも取りやめにすることができず、全線を建設するという意志決定してしまったことだ。民営化された道路公団の社長の悔しそうな表情から、彼もそうとう抵抗したことが伺えるが、結局、日本は、多額の債務を抱えながらも、分不相応な高コスト生活インフラという浪費癖をやめられなかったのである。

さらに、言語の壁により、世界から取り残された日本は、知識労働力だけでなく、単純労働力でさえも、調達コストが高止まりしたため、日本に残った企業は、急速に競争力を失っていった。

こうした日本の企業の競争力の低下に伴い、円の為替レートがどんどん下がっていった。円安の進行が始まったのである。

日本企業の生み出す、安くて高品質の製品を世界中が買いたがったからこそ、世界の人々が日本製品を手に入れるために円を求め、円の需要が上がり、円高が維持されてきたのだ。いまや中国もインドも、安くて魅力的な商品やサービスを世界中に提供している。高級品なら、ドイツ、イタリア、フランス、イギリスなどのヨーロッパ勢が強い。

もはや、日本は特別な国では無くなってしまっていた。アメリカに次ぐ世界第二の経済大国であったのは、もはや歴史の教科書の一ページでしかない。

そして、この円安の進行は、日本人の生活を直撃した。輸入される原油の価格が上がり、交通手段も、電気代も、スーパーの商品も、何もかもが値上がりした。しかも、給料は据え置きだ。

いや、給料がそのままだったのは、きわめてラッキーな一部の人たちに過ぎなかった。

あらゆる生活用品が値上がりしたことと、将来への不安感から、日本の消費は徹底的に冷え込んだ。一部の裕福な人たち以外は、消費を徹底的に手控えるようになった。このため、どんどんものが売れなくなった。ものが売れなくなったので、企業はどんどん採算が悪化していった。

この結果、賃金は大幅にカットされ、合理化が進められ、大量の企業が倒産し、膨大な失業者が生まれた。

結局、日本は、言葉の壁によって、兵糧攻めにされたのである。21世紀の産業の米は、知識労働力であった。そして、言葉の壁が、兵糧の供給を遮断してしまったのだ。

この兵糧攻めにより、日本の財政は、もはや鼻血も出ない状態となった。企業が競争力を失ったことで、予想をはるかに超える税収の低下が起こったからである。そして、消費の冷え込みにより、国内経済も、どこまでもどこまでも地盤沈下していく。

こうして、医療も年金も福祉も、その財源を失い、破綻した。英語圏では、ゲノム創薬によって、つぎつぎに画期的な薬が開発され、画期的な治療法が開発されているのに、日本はそれを輸入する金がなく、保険でカバーされる範囲では、ろくな治療を受けられなくなった。それどころか、徴収される保険料が高騰し、保険に入っていない人たちが大量に生まれた。

保険に入っていないため、痛くても苦しくても、目の調子がおかしくても、医者に行くのを手控え、そのまま失明したり、半身不随になったり、寝たきりになるなどの、後遺症が残り、残りの人生を苦痛と絶望の中で過ごすケースも多かった。

建築工事の音に街があふれていたのも昔の話。いまは、老朽化し、壁のはげ落ちるに任せたくすんだ建物が並ぶ荒涼とした光景が、日本の都市によく見られる姿だ。洪水で橋が流されても、建て替える予算がなく、かなりの遠回りしなければ川を渡れなくなっているなど、珍しい話ではない。

そして、大人たちは、今日の話をしなくなった。寄ると触ると、昔のよかったころの日本の話ばかりをする。今日の話をすると、陰鬱な気分になり、だれも楽しくないからだ。

そんな大人たちを見て育った日本の子供たちは、「こんな大人たちにだけはなるまい」とネットで話し合った。子供たちはみな、日本が腐ってしまったのは、大人たちが愚かだったからだと思っていたし、その認識を、ネットで共有していた。だから、子供たちはみな、大人たちを軽蔑していた。僕たちが大人になったら、この国をもっとましな国にできるはずだ、と思っている子供もいたけど、できるだけ早くこんな腐った国を出て行こうという子供たちの方が多かった。だから、子供たちは、熱心に英語を勉強したし、英語のSNSで英語圏の子供の友達を作るのが、日本の子供たちの間で流行っていた。子供たちがヒーローとしてあがめたのは、英語を勉強し、日本を脱出し、英語圏で活躍している数少ない日本人たちだった。それがこの時代の子供たちのロールモデルだった。

一方で、そういう現実的で実利的な将来イメージを英語世界に抱く子供と一定の距離を置き、ますます盛んになっていたネットの萌えのキャラや世界観に浸る子供たちも多かった。もはや、萌え文化は、日本だけのものでは無くなり、世界に広がっていたが、いまだに日本の萌えが世界で一番繊細かつディープで、イノベーションと最新流行を生み出し続けており、世界中から尊敬を集め、日本こそが萌え文化のメッカであり、本山であるということは、揺るぎがなかった。そして、ろくな産業がなくなってしまった日本において、それは数少ない貴重な価値創造センターの一つでもあったから、あながちそういう子供たちを、現実逃避と決めつけることもできない。その子たちの中には、むしろ平均的日本人よりはるかに豊かな将来を約束された、萌え価値創造産業におけるクリエーターの卵が、たくさん混じっていたからである。

そうして、子供たちに軽蔑されながらも、子供たちを養うために、大人たちは、直視したくなくなるほどの過酷な現実を生きていた。仕事はないし、やっと仕事にありつけたとしても、賃金が恐ろしく安いので、最低限の生活を維持するためだけに、一日14時間もの長時間労働を強いられるのも珍しくない。そして、何よりつらいのは、未来になんの展望も無いことだった。このため、生きる意味を見失い、自殺する人がますます増えていった。

結局のところ、ネットワーク外部性の効果によって、高度な知識労働力が加速度的に集積し、富を生み出し続ける英語経済圏が、世界分業の一番おいしいところ独占することになったわけである。これにより、人口の少ない言語圏は、無惨な被害者となった。その被害者の典型例の一つが、インドヨーロッパ語族とかけはなれ、類似の言語のない孤立語であるために、英語の学習コストが格段に高い日本語経済圏だったのだ。

要するに、日本語経済圏は、富を生み出す椅子取りゲームで、敗北したのである。ゲノム創薬や各種の医療技術などの椅子、ソフトウェア産業という椅子、金融工学という椅子、そういうおいしい椅子は、すべて良質の知識労働力を前提とするものであり、言語の壁によって知識労働力の兵糧攻めにあっている日本は、それらをすべて英語経済圏に取られてしまったのである。さらに、インドや中国の台頭で急速に価値が上昇した石油をはじめとする天然資源の椅子取りゲームにおいても、日本は敗北した。日本は独自の資源を持たない加工貿易国だし、専守防衛の自衛隊しか持たない日本は、アメリカのように、強大な軍事力で守ってやることを交渉のカードにして産油国に取り入ることもできないからだ。憲法改正の論議はあったものの、結局日本の交戦権を認めるようなことにはならなかったし、そもそも、海外での実戦経験の乏しい日本の軍事力など、交渉のカードとなるほどのウリになるはずもなかった。

そして、日本の最後の砦である産業用ロボットや工作機械などの、機械を作る機械の産業や、トヨタやソニーや松下などのごく一部のグローバル企業が、かろうじて、日本を支えている。また、豊かになったアジア圏の人たちが、円安を背景に、大量に日本に訪れるため、京都や奈良、そして東北地方などの観光産業が台頭した。また、日本の伝統のさまざまな食材を生み出している伝統産業が台頭した。

ただ、その最後の砦である機械を作る機械も、中国の猛烈な追い上げで、今にも陥落しそうだ。結局、機械を作る機械というものは、現場からの太いフィードバックを糧として育っていくものだ。長期戦になれば、世界の工場と化した中国は、現場からのフィードバックに勝り、圧倒的に有利なのだ。日本の最後の砦が焼け落ちる日も近いだろう。また、世界的競争力のある日本企業は、その拠点の多くを英語圏に移してしまい、次第に日本からフェードアウトしつつある企業も多い。

結局、日本で一番地価が高く、潤っていて、今後も潤い続けるのは、京都や奈良などの、日本が誇る観光都市というオチになった。日本が最後まで守り抜くことのできた価値創造装置は、日本の古都やアニメの萌え文化など、文化に深く根ざしたものでしかなかったわけであるが、それだけでは、かつての日本の生活水準はとうてい維持できないし、少子高齢化で、金食い虫になった社会を養っていくことはできない。

そして、円安を背景に、日本の切り売りが始まった。いまや、日本の価値ある土地や建物で、英語圏や中国語圏の人間に所有されていることは珍しくもなくなった。風光明媚な土地に立つ別荘のうち、英語圏や中国語圏の金持ちの所有物のものも珍しくない。円安によって、彼らにとって安い買い物になったからだ。また、あちこちの高級ホテルや格式と伝統のある日本の古い旅館に泊まる客も英語圏か中国語圏の金持ちが多くなった。

広く、美しく、日当たりが良く、便利で、快適な土地、建物、そして、おいしい食材やレストランの客の多くは、英語圏と中国語圏からの旅行者でにぎわうようになった。日本人は、日本旅行をする金さえ無い人が増えていった。

いまや、老朽化し、赤さび色の水の出る水道、割れた窓ガラスを色あせたガムテープで補修した、狭くて日当たりの悪い部屋で、買い物に行く金もなく、旅行する金もなく、長時間労働で疲弊した体を、昼間でも薄暗い部屋で、ネットにあふれる無料の娯楽コンテンツで癒すだけの休日を送っている日本人は多い。彼らの主な娯楽は、すばらしい進化を遂げたはてなブックマークで脊髄反射的なコメントをつけることである。

そして、そんな暮らしの中で、ネットを検索する子供たちは、過去の日本を写した動画を見て、疑問を持つ。なぜこの世界は、こうなってしまったのだろうと。なぜ、世界は腐食してしまったのだろうかと。

そして、各種の保険などの金融サービスも、世界市場から調達される圧倒的に優秀な人材によってマネージメントされる英語圏の会社にとって代わられていった。日本の貧しい人たち向けの、安いだけが取り柄の、量産品を売る無人店舗は、外資系の優秀な人材チームで構成される会社によって運営されていた。単純労働は機械とソフトウェアシステムで置き換えられ、その高度な機械とソフトウェアシステムは、英語圏の知識労働者によって開発され、カスタマイズされ、オペレーションされていた。

そして、彼らのように英語を流ちょうに話せない日本人は、下っ端として、こき使われていた。愛妻家の白人の上司が、日本人の何十倍もの高給をもらい、欧米流の長期休暇を取って家族サービスをしている間、下っ端の日本人は、ろくに休みもとらず、必死で働いていた。そうしないと、簡単に首を切られるからだ。

結局、上位の意志決定は、英語圏にある本社と、本社から派遣された英語圏の知識労働者によってなされてしまう。言語の壁で、その経済圏の中枢に入っていけない日本人は、低い「身分」に押しやられるしかなかったのである。

いまや、言語の壁による兵糧攻めで、2百年前の帝国主義の時代に植民地化を免れた日本の幸運までが、ついに尽きてしまったかのようだ。

(私のコメント)
日本は歴史的に隣の大中華帝国と付かず離れずの関係できた。遣隋使や遣唐使などを派遣して進んだ文化を吸収して日本に取り込んできた。しかし大中華帝国が清の後期には西欧に後れを取り停滞するにしたがって日本も停滞してしまった。

明治時代になって蒸気機関の汽船が世界を航行するようになって、日本も西欧文明に接するようになり、日本の西欧化が進んで西欧の文明文化を吸収して日本は先進国の仲間入りに成功した。

「勘違い分裂君」によれば、中国やインドが西欧文明に立ち遅れてしまったのは言語に問題があるかのような指摘ですが、インドや中国は日本より早く西欧の帝国と接していたにもかかわらず、西欧の機械文明を取り込むことに失敗した。しかし日本は西欧の機械文明を消化吸収して機械力で欧米の武力と対等以上の文明力を持つにいたった。

インドやフィリピンなどは英語を公用語としているから、インターネットを生かして英語文化圏として一体化しようとしている。インドやフィリピンはそのことによってイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった国と一体化できるのだろうか?

他のヨーロッパ諸国も次々とグローバル知識労働流通圏に組み込まれようとしており、誇り高いフランスの政府高官もEU議会で英語で演説するようになってきている。一昔前のヨーロッパは知識人階級はフランス語を公用語としていた。

先日のNHKの特別番組でインドのソフトウェア産業を紹介していましたが、インドは世界最大の英語を公用語とする国である。にもかかわらず独立以来発展途上国のまま停滞していたわけは何だろうか? 中国にも言えることなのですが文明が停滞してしまった原因としては言葉の問題よりも文化や宗教などに原因があるのではないだろうか?

ソフトウェア産業などにおいてはプログラム用語が英語に準拠したものだから英語が有利なように思えるが数学的な思考のほうが重要だ。ソフトウェア産業はまだ立ち上がったばかりだから、多くの人的な労働者を必要としている。だからインドや中国のような人口の多い国が有利のように思える。

しかし機械工業などにおいても初期は確かに労働者を多く必要としていたが、ロボット化していくに従って労働者の数よりも質が問題になってくる。ロボットを制御するにはより高度な技術の蓄積が重要になってくる。だから英語が出来れば高度な産業が育つという問題ではないのだ。

私は電子専門学校で初歩的なプログラミングを教わっただけなのですが、ソフトウェア産業におけるプログラムを小説や楽曲に例えるならば、分かりやすいだろう。今は人海戦術で膨大なプログラムを書いているから安いプログラマーを大量に必要としている。だからインドや中国が有利だと思われている。

しかしプログラムも高度化していけばモジュール化されて少人数の高度なプログラマーで作品を作れるようになっていくだろう。小説家や音楽家は人口が多ければ有利とは言えないように、ソフトウェア産業も変わっていくからインドが有利とは言えないと思う。

むしろ家電製品がデジタル化されて行くにしたがって日本の独占状態が進んでいるのはどうしてだろうか? 独占すると風当たりが酷くなるから韓国や台湾や中国などに技術を供与して分散している状態だ。自動車なども機械と言うよりも電子機器に近くなって、ハイブリットカーなどは日本が独占している。

それらに使われているソフトウェアなどはインドや中国のソフト会社を使っているが、下請けに過ぎない。やはり最終製品を作っていないとノウハウは蓄積されていかない。だからマニュアル化された中低レベルの産業しか定着しないのではないかと思う。


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