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今月の13日に起こったロシアの株価急落は、その後において通貨&株式&債券のトリプル安 【おーるさんの1998年8月日誌】
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投稿者 愚民党 日時 2007 年 8 月 16 日 19:19:02: ogcGl0q1DMbpk
 

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おーるさんの1998年8月日誌  【新じねん】
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1998年八月の日誌

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1998/08/31,月曜

 今月の13日に起こったロシアの株価急落は、その後において通貨&株式&債券のトリプル安から世界大恐慌の時限爆弾ともなりかねない深刻な事態をもたらした。あの悪名高い世界的な投資家ジョージ・ソロスもまたロシア国営電話会社の買い取りと、ロシア政府への数億ドルに及ぶつなぎ融資の後始末に四苦八苦している。ソロスはロシア投資で大損した分を、カラ売りした円を買い戻すことで損失を埋めているとの噂も流れた。こうした投資家のロシアに対するルーブル切り下げ圧力にエリツィンは拒否していたが、17日になるとどういうわけか一転して切り下げを発表する。その後の経過をここにまとめてみた。ドルもここいらで見限られ、欧州統一の単一通貨ユーロへと移行するのは当然の成り行きとなるだろう。【参考『ニューズウィーク8・26日号』18〜20頁、『サンデー毎日9・6日号』28頁】
 これからロシアで起こることは世界でも起こる雛形かも知れない。1986年に大爆発を起こしたチェルノブイリ原発は、それ以降放射能がジワジワと子供たちの生命を蝕み続けている。すでに10万人以上の被ばく犠牲者が出ていると囁かれているにもかかわらず、マスコミの不気味な沈黙によって隠され続けている。北海の放射能汚染も近い将来、奇形やガンの異常な続出によってしか認識されないであろう。それも何万という規模によって・・・

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1998/08/30、日曜 雨また雨

 ノルウェーを支配するヴァーレンベリ家は戦時中にドイツ・ナチスとの汚れた取引によってのし上がってきた。そしてノーベル財団を食い物にしながら、同時にバクー油田の利権を【破壊ファイル→】エドモンド・ロスチャイルドTzBと共有していたという事実は、彼らが戦争さえもビジネスとしてきたサタニストであることを示唆している。彼らにとって戦争による連綿たる死者の数は、そのまま利益増大の数を意味し、それゆえに富める彼らの口より流れる血のしたたりを見てとらねばならない。何と多くの権威ある歴史家がそれを隠し通してきたことだろう。彼らをサクセスストーリーの主人公として祭り上げ、庶民に憧れを抱かせてきた歴史家の罪は深く、そして大きいものがある。彼らは戦争によって肥え太ってきたばかりではない。そのために戦争を起こしてきたという悪魔の所業にこそ問題の核心がある。彼ら大財閥を人類の憧れとするなら、それは同時に悪魔を標榜することと何ら変わりがないことに気付くべきである。教師が黒板に「戦争」と大文字で書く時、次ぎにイコールとして書くべき単語は「世界的な大財閥」でなければ嘘になる。むろんそれには「戦争をビジネスとしてきた」という但し書きも必要だろう。「世界的金融システムを構築してきた」という言葉も忘れてはなるまい。そしてそれは「芸術的な域に達した国際的集金マシーン」という賛美も付け加えよう。労働の意義を最下位におとしめ、地球規模の大博打を合法化してきた彼らの功績を讃えよう。この大仕掛けの博打には、最後には全て胴元が勝ち取るという裏ワザが仕掛けてある。カネがカネを生むというマネーゲーム幻想を叩き込んできた彼らの次の一手は、大恐慌という王手である。

1998/08/29、土曜 台風四号接近、雨

関東から東北地方への集中豪雨で被害続出・・・現場に足場かけた以後、仕事を中断したままだ。梅雨明け宣言しないまま夏を通り過ぎ、秋の天候不順に突入している。関東東北以北、断続的な雨雲に覆われている。ここはまだ大丈夫だが、近隣は洪水で死者が出ているというニュースが毎日のように報道されている。。早朝の空、不気味な鉛色の雲が山々に低く垂れ込めていた。世界同時株安に人々の不安が暗雲に象徴されているかのように・・・

1998/08/28、金曜 雨

 昨夜のニューススティーション特集として、長銀【長期信用銀行のホームページ】の杉浦敏介元頭取の9億円以上の退職金に触れていた。この人物に関してはすでに上記の「大手銀行の老害リスト」で紹介している。これを機会に調べてみたいが、何を参考にしたらいいか迷っている。頼んでおいたアダム・レボー著「ヒトラーの秘密銀行」が届いた。ダレス兄弟とI・G・ファルベンの関係などもあり、他の資料と突き合わせると面白そうだ。スウェーデンのヴァーレンベリ一族も出てくるが、この一族に関しては過去の日誌にも書いてあるので関連資料として役立ちそうだ。前に住んでいた部屋から埃だらけの本を15冊ほど引っぱり出してきた。埃にまみれた古い本なので手が真っ黒になった。みんな懐かしい本である。特に若い当時に難解で読み捨てた本が有り難い。どうしても見つからない本もある。その中には「ヒトラーの金脈」なる分厚い本もあったのだが、探してもみつからないでいる。絶版になった本もあるだろう。押し入れにはまだ本が山積みになっているので、また後で探索したい。そしてじっくり時間をかけて再読するのだ。

1998/08/27、木曜  雨・・・雨

写真・ナイロビ血の金曜日

 ニューズウィーク誌9月2日号20〜24頁に「対テロ戦争の悪夢と真実」と題して、ケニアとタンザニア同時爆破事件と米国の報復爆撃に関するしい詳情報が載った。しかしこのニューズウィーク誌もご多分にもれず公平な報道をしているとは思われぬ、体制がかった偏りがみられる。去年の10月の日誌からその背後にあるものを汲み取ったうえで、そのことを念頭におきながら読む必要があろう。日誌から「ニューズウィーク誌と超財閥の影」として抜粋した。
 米国による報復攻撃の作戦名は「オペレーション・インフィニット・リーチ」。関与したのはウィリアム・コーエン国防長官、ヒュー・シェルトン統合参謀本部議長など一握りの閣僚だけに限られていた。相互連絡にはSG(スモール・グループ)という符丁が使われた。マーサズビンヤード島で休暇を取っていたクリントン大統領は20日の午前1時半にCIA長官ジョージ・テネットと連絡をとり、午後三時にゴーサインを出した。数時間後、アラビア海に展開していた米海軍艦艇五隻が、アフガン領内にあるテロリスト訓練基地とみられる施設に60発の巡航ミサイル「トマホーク」を発射した。
 トマホークV型巡航ミサイル=地上の目標を攻撃する際、敵のレーダー網をかいくぐって低空を飛び、発射地点を知られずに済む。潜水艦からも発射できる。全長6.25メートル、直系0.51メートル、翼長2.67メートル、射程約1600キロメートル、巡航高度15〜30メートル、速度・時速約610〜920キロメートル、誘導システム・GPS誘導型、建造費・約100万ドル。
 また紅海にいた二隻の軍艦は、神経ガスVX用の薬品を製造しているとみられるスーダンの薬品工場(スーダン側はそういう事実はないと否定)に向けて、20発の巡航ミサイルを撃ち込んでいる。ミサイルはアフガニスタンとスーダンの目標にほぼ同時に着弾した。
 攻撃に参加した艦艇は公表されていないが、当時の海域にはミサイル発射可能な七隻の艦隊がいた。駆逐艦:ミリアス、エリオット、ブリスコー、ヘイラー。巡洋艦:シロー、カウペンズ、ヴァリ・フォージ。潜水艦:コロンビア。航空母艦:エイブラハム・リンカーン。
 ケニアとタンザニアの爆破事件で米国政府は、8月7日の事件当日に偽の旅券でアフガンに向けて出向しようとして逮捕されたパレスチナ人モハメド・サディク・ホワイダ(33)を重要参考人として事情聴取してきた。ホワイダの供述に寄れば、ケニアにおけるビン・ラディン派の指導者はサラハ・アブドゥというエジプト人で、大使館爆破を準備したのはアリ・サレハと同志四人(エジプト人とコモロ人各一人、イエメンの血を引くケニア人二人)であるという。またタンザニアではホワイダ含めた四人(エジプト人一人、オマーン出身のタンザニア人二人)で、爆弾で自爆した実行犯は現地で調達したという。
 こうした政府の説明に「具体的なテロ活動が準備されていたなら、現地に入っている敵をたたくのが筋ではないか」と、かつてCIAでテロ対策を指揮していたビンセント・カニストラーロは疑問を投げかけている。さらにCIAは中東のテロ集団によるナイロビの米大使館襲撃計画を、昨年後半にすでに把握していたことからも疑問が出てくる。ましてその当時以前からビン・ラディンは米国の監視下に置かれているのだ。 

1998/08/26、水曜  豪雨

 ケニアとタンザニア爆破事件が妙に頭に引っかかっている。後にホテルで発見された80キロ爆弾はTNTだとされているが、爆破に使用された爆弾もここで作られたことになっている。マニュアルでは縦6メートル、横10メートル、壁の厚さ60センチで窓が閉まっている建物(木造及び煉瓦づくりの一般家屋)に必要な爆薬は21.6キロだという(公式は、重量(キロ)=K(係数)*面積(平方メートル)*壁の厚さ、係数とは扉や窓が閉まっている場合=1、開いている場合=2)。80キロもあればかなりの破壊力があると思われるが、それでも鉄筋コンクリートでの建造物ではそれほどの破壊力はないとされる。また都会で爆弾を使用する場合、通常の電気信管はまず使えない。電磁波での誤動作する危険があるからだ。使うとすれば時限信管か?
  TNT=縦横約4.5センチ、長さ約17.8センチの長方形の爆薬。厚紙のコンテナで出来ており、両端が金具で保護されている。重量約1ポンド(約450グラム)、コンテナを開くと四つの塊に分けることが出来る。一つの塊は約110グラム。
 M5A1プラスチック爆弾=白色の粘土状の爆薬でTNT爆薬より強力。これはC4の代表例で、黄色のC3などがある。縦横5センチ、長さ28センチ、重量1.1キロ、全体がプラスチックのカバーで覆われている。外部からの力では決して爆発せず、炎の中に入れても大丈夫。使用する場合は必ず信管が必要となる。
 デトネーティング・コード=防水加工されたコード状の爆薬。複数にセットした爆薬の間をつなぎ、一つの爆発で複数の誘爆を同時に引き起こす。  
 イスラエルはチェコスロバキア製のプラスチック爆弾セムテックスが使用されたと報じたが、TNTよりは強力なことから考えられる説であろう。いずれにしても通常の爆弾ではあり得ない衝撃力であったことだけは確かだ。オクラホマシティ爆破事件にみられるような、一瞬にして破壊できる何らかの兵器が使用された可能性がありはしないだろうか?【参考・毛利元貞著『傭兵マニュアル』237〜252頁】
追加資料あり、入力中。

1998/08/25、火曜  突発的な雨の繰り返し

総理にしてはいけなかった、セコい小渕首相

1998/08/24、月曜

 就職難を苦にしての自殺者が相次いでいるらしい。失業率4.3%ということだが、実際にはもっと増加しているのではないか。 

1998/08/23、日曜

 CIAがイスラム原理主義を作ったという証拠として松井茂著『世界紛争地図』新潮文庫226〜228頁から引用する。「1979年12月27日、ソ連はアフガニスタンへ軍事侵攻した。それに対し、CIAは世界各国からイスラム教徒の志願兵を集め、パキスタンのキャンプで訓練して、アフガンで『ムジャヘディン』(信仰の闘士)として闘わせた。その際、エジプトや米国からも、多数のイスラム教徒が参加した。資金はサウジアラビアやクウェートが影で提供した。これらアラブ産油国はCIAに莫大な機密費を渡すことで、自国の安全保障のために、影で働いてもらっていた。CIAはイスラム教徒の志願兵らに最新鋭の携帯型対空ミサイル『スティンガー』を与えた。1989年2月15日、ソ連軍がアフガンから完全撤退すると、後に世界的な爆破事件が勃発するのである。すなわち米国は、イスラムの敵であるソ連と闘わすために、自ら養成したムジャヘディンたちが『アンファン・テリブル』(恐るべき子供)と化した、いわばブーメラン効果に悩まされているのだ」
 一連のイスラム原理主義が関わったとされる爆破事件を見る限り、その状況からCIAなどの誘導がないことには不可能であることが分かる。何となればそれは厳重な監視体制の不備をついた事件であるからだ。事実、今でもイスラム統一体のラスル・サヤフ軍には、軍事顧問としてアラブ人に扮した多数のCIA要員がいるのだ。そこから導き出されるのは、やはり一連の爆破テロ事件はアメリカの自作自演ではないか?という疑問である。
 CIAがアラブ産油国から資金提供を受けているという痕跡は至るところにある。サウジアラビア駐在のCIA支局長レイモンド・H・クローズは1977年に退職したが、彼はサウジアラビア政府のために情報機関の創設を請け負った。クローズは合衆国政府とサウジアラビアとの間で、公式の大使レベルを無視した秘密交渉のパイプ役として活用された。CIAが有効なコネを持つサウジアラビアの情報機関と協力しながら、クローズは同国の元情報機関長だったカマル・アドハムのビジネスにも関係してひと財産つくっている。【フリーマントル著『CIA』290頁】
 アラブ産油国を利用している情報機関はCIAばかりではない。イギリスの「MI6」やイスラエルの「モサド」もアラブ首長国連邦の多国籍銀行(BCCI)を介して任務を行っている。BCCIは最近スキャンダルが起きたが、彼らはそれを隠し通した。UKUSA(英米)情報共同体は、少なくとも30万人の正職員を擁している。世界の超財閥が支配するこれらの情報機関は今やNWO(新世界秩序)の全世界情報局としてまとめられている。彼らはすでにNSA、FBI、ニュージーランド秘密情報部(NZSIS)、RCMP、英国秘密情報部(SIS)オーストラリア安全保障期間(ASIO)、英国政府通信本部(GCHQ)、NRO、米国防総省国防情報局(DIA)、SASBなど世界の情報部門が機密協定によって結ばれ、財閥のファン・ダイン家によって統括されてきた。【『イルミナティ・悪魔の13血流』492頁】これらの機密協定はむろん人類の知るところではない。我々が毎日のように目にするニュースのさえも統制され、ゆえに真実は隠されたままなのだということを前提とする必要がある。彼らの蛇のような巧妙さはサタニズムに起因しているがゆえに、戦争を欲しない平和を望む大多数の人類としての賢明さが求められるのである。

1998/08/22、土曜
 タイミングが良いというかNHK教育テレビで『戦地からの手紙・アフガニスタンに散った兵士たち』が放映されましたので抜粋します。 

1998/08/21、金曜

 アメリカはケニアとタンザニアの爆破事件の犯人を反政府活動家オサマ・ビン・ラディン(42)が指揮するイスラム武装勢力によるものと断定、アフガニスタンの拠点六ヶ所とスーダンの化学薬品貯蔵庫一カ所を空爆したとの速報が伝わっている。組織の本拠地はアフガニスタン南部のカンダハルにあるが、まずここが攻撃されたことは間違いないだろう。ラディン氏本人はスーダンにおいて兵士と共に建設に従事し、最近では自らを単なる「農夫」と称して働いていた。元々はサウジ王家において莫大な資産家となった父の事業に参加し、1997年のソ連軍によるアフガニスタン侵攻でイスラム勢力の義勇兵に志願している。ここで彼は英雄となり、祖国にイスラム政権樹立を夢見て活動を開始した。
 1977年7月にはパキスタンのザルフィカール・アリ・ブット首相が、CIAの支援を受けたモハメド・ザイ・アルハク大将によって失脚させられている。CIAはザイ政権を支えるべくパキスタンに最大の海外拠点を築くと、旧ソ連を巧みにアフガニスタンに誘導していく。CIAは、この戦争がジハード(聖なる戦い)であることを教えながら、結果的にイスラム原理主義を生むのである。つまりCIAによって(後に彼らがイスラム過激派と呼ぶようになる)イスラム原理主義が作られたのだ。その二年後に若きラディンが義勇兵となって志願してくるわけである。やがてアフガニスタン紛争も終末を迎え、ザイ首相は用済みとなり、飛行機事故で謎の死を遂げる。
 クリントンらが「憎むべきテロ組織」と呼ぶイスラム原理主義の母体はCIAが作ったものとすれば、一連の爆破事件にアメリカCIAの息のかかったメンバーが潜伏していると考えた方が自然であろう。何より爆破が起きるたびに異常な早さでイスラム過激派の仕業と断定することがそれを物語っている。パキスタンにおけるザイの事故死(?)によって返り咲いたベナジル・ブット女史はそうしたアメリカの弱点を握り、93年の世界貿易センター爆破事件の際には「ビルを爆破し、私を1993年の選挙で排除することを望んだ張本人は誰だったか?私にはその秘密を明らかにする用意がある」と発言してアメリカ政府を慌てさせている。結果としてパキスタンはザイ時代の3億6800万ドルの軍備品と、復活された何千万という経済援助や貸付金を手にし、さらにIMF(国際通貨基金)からの追加援助を受けながらパキスタンは何の見返りも要求されてはいない。【『サイバーX・4号』89〜91頁、ベン・C・ヴィドゲン「テロリズムと政府の秘密・敵はこうしてつくられる」】
 1993年2月26日に起きた世界貿易センタービル爆破事件におけるアメリカ政府の反応は早かった。数日後にはイスラム原理主義に属する容疑者二人を逮捕、サダト大統領を暗殺したといわれるイスラム原理主義者ジハードの信奉者モハメド・サラメの名が発表される。サラメは爆破当日の三日前から車を借りにきていた。そして爆破の二時間後にも再び現れ「借りた車が盗まれた」として保証金を受け取りに来たが、警察の盗難証明書が必要だと言われ帰っている。そして数日後に警察の盗難届けをもって現れたところを御用となったわけである。こんな間抜けな爆破犯人はいまい。JFK暗殺におけるオズワルドを思い出させるような出来事である。自作自演と言われる所以だ。そしてこの爆破事件の関連犯としてビン・ラディンの名前もあげられるのである。
 ケニアとタンザニアの爆破事件ではラディンは当初から容疑者リストにあげられ、事件当日には早くもラディンの一味としてモハメド・サディク(32)が身柄を拘束されていた。不思議にことにCIAはケニアの米大使館襲撃計画を一年前から知っていたという。クリントンは今回の空爆がテロ爆破事件の報復であることを認めながら「人類を脅かす憎むべきテロ組織」としてラディンの抹殺を示唆している。しかしそれは同時にイスラム原理主義を指導してきたCIAの痕跡も消すことになるというのは悪い冗談としか言いようがあるまい。本当に憎むべきテロは自国に潜んでいることを考えれば尚更である。  
1998/08/20、木曜

 クリントンの異常性欲は執務中にも性的関係を迫るといったことでも顕著にあらわれているが、それは同時に性的に自由たれとするサタニズムとの相互関係を示唆したものではないか、と思われるふしがある。何となればクリントン政権の高官の多くがある種のユダヤ人であるのと同じように、その多くがホモセクシャルであるのは偶然ではないと思われるからだ。ひとつ例をあげれば、司法長官のジャネット・レノは実は男性で、性転換手術を受けて女性になったという未確認情報があげられよう。【『イルミナティ・悪魔の13血流』424〜427頁】このことに道徳観云々を持ち出すことは性の自由を標榜する立場からの主張も考慮して極力避けねばならない。そういう時代になったというか、そういう時代に導引されてきたのだから仕方がない。したがってジャネット司法長官が男であれ女であれ、そんなことはどうでもいい噂の範疇にしたい。クリントンのセクハラにしても彼らにとっては性の解放以外のなにものでもなく、政治的に成功してきた(成功するように導引させられてきた)彼の業績からは取るに足らぬ問題なのだろう。こうしてアメリカのマスコミはクリントンの女性スキャンダルには沈黙を守ってきたが、外国では黒人女性がクリントンの子供を産んだ一件などが報道され、ここにきて隠しようがないまでになってきている。そろそろクリントンが見限られる時期になり、事実クリントンを弁護してきたニューズウィーク誌も「クリントンの2つの顔」としてジキルとハイドになぞらえ二重人格者クリントンをこきおろしている。クリントンのサタニストとしての正体が暴かれぬ限り、失脚するには適当な時期かも知れない。そして次ぎに控えるゴア副大統領の正体も隠されたまま、アメリカ国民はまた騙されるのである。後にこの二人の大統領は光と影のように「クリントンは女癖は悪かったが国民を金持ちにしてくれた。しかしゴアはそのカネをただの紙切れにした最悪の大統領だった」と回顧されることだろう。

1998/08/19、水曜

 スキャンダルの事実は認めながらも謝罪はしなかったウィリアム・ジェファーソン・ブリス・クリントン、通称ビル・クリントンは口先ウィリーの評判だけは落とすことがなかったというわけだ。ウィリーの女性スキャンダルは今回に限らず、スター特別検察官による四年に及ぶ追求に弁護費用もかさんでいるという。最近のニューズウィーク誌8/26号9頁には「弁護費用は献金で」と題してクリントン夫妻の巧みな資金集めが紹介されている。
「夫妻の弁護費用は最終的に1000万ドルに達する可能性があるが、すでに200万ドル以上が集まっている。ダイレクトメール作戦で小口献金を100万ドル近く集めたほか、バーブラ・ストライサンドやトム・ハンクス、スティーブン・スピルバーグといったハリウッド関係者などが、個人献金の上限額一万ドルを寄付。1万5000人にのぼる献金者リストは今週発表される予定だ」
 バーブラ・ストライサンドは「本名バーバラの二つ目のaを抜き芸名にした当代きっての女性ミュージカルスター」としてE・ルイケア著「ハリウッド・スキャンダル」80〜81頁に紹介されている。「バーブラはブロードウェイでミュージカル『ファニー・ガール』(1964)に出演中、ユダヤ人特有の大きな鼻を整形手術で削る予定になっていた。しかしプロデューサーのディビット・メリックに『やめろよ。そんなことすりゃ、そこいらの女といっしょになっちまうぜ』と忠告され、やめることにした」
 バーブラのスペルは「Babra Joan Streisand」で、元の名バーバラは「Babara Jean Streisand」で、もう一つスペルを変えてある。彼女がなぜ名前を替えたか?という理由の一つにカバラ秘儀があるのかも知れない。彼女はクリントンがイルミナティの要員であることを知っていれば尚更であろう。彼女の愛人だったオマー・シャリフ(Omar Sharif)の本名はMichael Chalhoudというアラブ人であるが、生粋のユダヤ人とアラブ人の異色のカップルという点で興味深いものがある。
 オマー・シャリフは「ドクトル・ジバゴ」で主演を演じ、「アラビアのロレンス」でピーター・オトウールの名脇役をつとめたが、その二作ともディヴィット・リーンが監督であった。その映画に先立つ「戦場にかける橋」もまたリーン監督が手がけ、それら三作品に出演したのは当時の喜劇役者アレック・ギネスであった。ギネスといえば有名なビール会社を連想するが、アレック自身その生い立ちを隠し続けてきた。母方の姓ギネスから意外な血流に結びつく予兆がするが、今のところ推測に頼るしかない。リーン監督の「戦場にかける橋」と「アラビアのロレンス」をプロデュースしたのがナチスから脱出したサム・スピーゲルで、彼の兄シャローム・スピーゲルはユダヤ教指導者ラビであった。サムは兄によってシオニズムへ傾斜しそうになるが、途中で疑問を感じて脱会している。彼が制作した「アラビアのロレンス」にもシオニズムに加担したというような偏りは見られない。しかし愛人HedyLamarr(Hedwing kiesler)を通じて、その同族であるMary Cushingがビンセント・アスター(Vincent Astor)と結婚しているとなれば意外な展開になっていく。【『ハリウッド大家族』359〜364頁「6−イギリス映画『アラビアのロレンス』」】

1998/08/18、火曜

 今年の一月にルインスキーさんとの性的関係について全面否定していたクリントン大統領は、ついに関係を認めました。口先ウィリーはかく語る。「モニカ・ルインスキーさんとは不適切な関係がありました。 これは私の重大な判断ミスで、すべて私一人に責任があります。私の言動が妻を含む皆に誤解を与えたことを、私は深く反省しています」顔を赤らめずして言えない破廉恥なことでも、彼は淡々と臆面もなく言える希有な政治家であることだけは分かる。
 購読予定の本。

 『カルト資本主義』斎藤貴男著、文藝春秋、1714円
 『不安の心理学』生月誠著、講談社、650円
 『戦争と罪責』野田正彰著、岩波書店、2300円
 『始皇帝』安能務著、文春文庫、514円
 『東京チャイナタウン』森田靖郎著、講談社文庫、571円
 『ハワード・ヒューズ事件』スチュアート・カミンスキー著、文春文庫、743円
 『日本国憲法をつくった男』塩田潮著、文春文庫、667円
 『華僑』斯波義信著、岩波新書、620円
 1998/08/17、月曜

不倫疑惑で米大統領現地時間のきょう証言

 クリントン米大統領は、17日午後1時(日本時間18日午前2時)からホワイトハウス元実習生、モニカ・ルインスキーさんとの不倫疑惑をめぐり、連邦大陪審に対する証言を行う。米主要メディアは大統領が従来の立場を変えて、ルインスキーさんと何らかの性的関係があったと認める一方、偽証はしていないと主張するとの見通しを伝えている。しかし、スター独立検察官は、偽証にとどまらず、不倫関係もみ消しのための、偽証教唆や司法妨害もあったとみて大統領を追及する構えとみられ、証言の場では、厳しい応酬がありそうだ。証言はホワイトハウス内の一室に、中継用のテレビカメラを持ち込んで行われる。その場には大統領本人のほかには、質問をする検察官側と大統領の個人弁護士らが同席するが、本来の捜査の主体である大陪審はワシントン市内の裁判所内で、テレビ画面を通じて証言の様子を見る形となる。証言の内容については大統領が「完全に正直に話す」と語った以外には、正式には何も明らかにされていない。ホワイトハウス関係者は16日、「大統領は、この件を片づけることを期待しており、証言で何を語るか、はっきりと理解している。すなわち真実を述べるということだ」と語った。また、最終決定は下されていないものの、大統領は証言の終了後、テレビを通じて、国民に直接、説明することを検討しているという。
 女性スキャンダルで大統領の座すら危うくなりかけているクリントンだが、知られざるクリントン大統領の正体をフリッツ・スプリングマイヤー著「イルミナティ・13血流」から抜粋してみたい。
 クリントンが高校生のおり当時の大統領ケネディと握手したことは有名だが、そのセレモニー主催者がニューヨーク州知事ウィンスロップ・ロックフェラーであったことは意外と知られていない。そのウィンスロップはクリントンの実の父親ではないか、という噂がある。アメリカのメディアはクリントンとケネディ大統領の写っているこのフィルムをよく流したが、どういうわけか肝心の主催者たるウィンスロップ・ロックフェラーの姿は丁寧に削除されている。CFR(外交問題評議会)書記のキャロル・キグリー教授は、イルミナティ傘下のイエスズ会系ジョージタウン大学においてクリントンの師となってエリート教育を教え込んだ。やがてクリントンはキグリー担当教官の推薦でローズ奨学生となり、イギリスのオックスフォード大学においてイルミナティの特別教育を20年間受けるようになる。クリントンがアメリカに戻ってくると体制側マスコミは好きなようにクリントンの経歴を組み立て、評判を巻き起こす計画が動き出した。イルミナティの息のかかった組織やメディアは、クリントンの名が彼の述べた意見と共に、公衆の目の触れるところに頻繁に現れ始める。かくクリントンはアーカンソーの州知事選挙には敗北したものの、ロックフェラー家と親交のあるハリマン家のバックアップで2度目で知事の座を得、エイバレル・ハリマンの妻パメラによって大統領選挙にまで辿り着く。見事、大統領に当選したクリントンはかねてから培った特別教育での成果を発揮する。就任前の演説で政権に内輪は参加させないと明言していたクリントンは、しかし蓋を開けてみると指名されのは全員内輪であった。これは、クリントンが単に国民が聞きたがっている言葉を口に出したに過ぎない、ということを示す事例である。スリック・ウィリー(口先ウィリー)は彼にふさわしいあだ名なのだ。この大統領は誠実でも正直でもないのだから・・・【419〜422頁より抜粋】
 クリントン政権の高官の多くがホモセクシャルであり、サタニズム(悪魔崇拝主義)と相互関係にあるのは偶然ではない。これらの世界において魔女と呼ばれるものやホモセクシャルたちを名誉ある市民としてホワイトハウスの就任祝いに招待したのはクリントン新大統領その人であった。就任演説には「春を呼び寄せる」方法としてサタニズムの妖術用語(ウィッチクラフト)を引用し、ベルテーン、ワルプルギスと呼ばれるイルミナティの主要な祝日五月一日に、演説中の666番目の単語で犠牲について言及している。そしてクリントンは演説の最後に、サタニストにしか分からないサインを手で送った。【424〜426頁】
 これらは果たして事実だろうか?クリントン大統領自身がサタニズムとしてアメリカ合衆国の頂点に位置しているというのだ。著者スプリングマイヤーはありとあらゆる文献資料を参考に、内部告発者の聞き取り調査によって本書をあらわしている。疑念を抱く向きには、彼の参考とした資料を再考する必要があろう。 
 環境ホルモン関連のリンク集を紹介します。

1998/08/15、土曜

 テレビ朝日系列の「驚きももの木20世紀」『謀略の丘・陸軍登戸研究所の秘密』から帝銀事件と青酸ニトリールに焦点を当ててみたい。ほかの参考図書として松本清張著『日本の黒い霧』文藝春秋252頁〜「帝銀事件の謎」と斎藤充功著『謀略戦・陸軍登戸研究所』時事通信社、森村誠一著『新版、続・悪魔の飽食』角川文庫を取りあげる。まずは帝銀事件のあらましから・・・
 昭和23年1月26日午後三時頃、東京都豊島区椎名町の「帝国銀行椎名町支店」に、東京都の防疫班の腕章を付けた50歳前後の男が現れ、「近所で赤痢が発生したので予防に来た」と、自らも持参した薬品を飲んで見せながら、行員16人を欺き、青酸化合物を飲ませて12人を毒殺。現金と小切手を奪って逃走した。【『謀略戦〜』125頁要約】この時使用されたのが青酸ニトリールとして、画家の平沢貞通が逮捕されるのである。しかし青酸ニトリールは平沢のような素人が扱えるようなものではなく、平沢自身そのような毒物の知識はない。まして平沢は精神錯乱の兆候をもつコルサコフ病という持病があり、検事の執拗な取り調べに狂乱して落ちてしまった疑いが濃厚であった。その背後にはGHQの登戸研究所及び石井部隊の完全秘匿があり、平沢逮捕はGHQの望むところでもあった。【『日本の黒い霧』275頁上】実際の犯人は帝銀において進駐軍防疫官パーカー中尉、ホーネット、コトレー、マーカー中尉の名前をあげており、かなり軍部に近いプロとしての犯人像が浮かび上がる。特に青酸ニトリールという特殊な毒薬を使用していることから、その犯人は絞られてくるはずであった。
 帝銀の行員が毒物を飲んだ背景には、実際に犯人が事前にそれを飲んで見せたことにある。しかし犯人がそれで死ななかった理由として、青酸ニトリールには油かトルオールが混入していた可能性がある。比重の関係から、薬液は下層に沈み、油類は上層に浮かび、犯人は上層の無害な部分を飲めばいいのである。そして行員らには下層の青酸ニトリールを飲ませる。また軍関係では、青酸化合物溶液を保存するのに、空気に触れさせると炭酸ガスと化合して、逐次表面から無害の炭酸カリに変化するので、その防止方法として油類を入れて空気を遮断していた。【『日本の黒い霧』266頁】
 登戸研究所では青酸ニトリールの液体を密封したガラス容器に封入し、氷の樽に入れ低温保存して気化を防いでいた。青酸ニトリールの開発は即効性のアセトン・シアン・ヒドリンを遅効性の毒物に改良すべく、これに液体青酸を反応させ、合成する研究から始まった。【『謀略戦〜』135頁】当時は少女であった小林コトは、登戸研究所でタイプライターを使う仕事に従事していた。その彼女が思い出として保管していた雑書綴にも、昭和17年6月22日から8月22日の2ヶ月間に3700キロにも及ぶ氷が搬入されていたことが記されている。この時期はちょうど青酸ニトリールの研究が行われていた時期と一致し、氷は青酸ニトリールの気化を防ぐためだったと推測される。これら登戸研究所で作られた青酸ニトリールはハルピンの731部隊に送られ、マルタと称する中国人やロシア人の捕虜を対象とした人体実験で更に改良(?)されていく。
 1945年8月1日に青酸ニトリールの実験材料としてロシア人捕虜の輸送に携わった目撃者がいる。40名のロシア人たちが地下室から引き出されると特別室に押し込められる。やがて六人の731隊員が現れ「これから予防注射を行う」と言いながら一人ずつ出して注射を始めた。注射をされた瞬間に即死した捕虜は特別室の陰に運ばれ、新たな捕虜が予防注射と思ったまま呼び出される。こうして40人の捕虜は特別室の陰で死体の山となっていったという。やがて731部隊は効率の悪い注射を打ちきると、実験結果を日本の登戸研究所に通達、今度は大量虐殺に適した青酸ガスの人体実験を行うのである。【『続・悪魔の飽食』32頁】完成した青酸ニトリールは参謀本部や陸軍中野学校にも収められたが、終戦後には憲兵にも渡ったと証言する者もいる。元登戸研究員の北沢隆次氏は言う。「私の記憶では少なくとも二回、青酸ニトリールを蔵出しして憲兵に渡した。その時、憲兵隊は『自殺用にください』と言っていたが、その中の一人が帝銀に持っていって使わないともかぎらない。帝銀で使われた毒物は、青酸ニトリール以外に私には考えられない」【テレビ番組から抜粋】
 帝銀事件には登戸研究所という有力な手がかりがありながら、一介の画家に過ぎない平沢氏を犯人として獄中につなぎ獄死させてしまった。『謀略戦・陸軍登戸研究所』を書いた斎藤氏は、その後の登戸関係者を追跡している。彼らの多くは何ら裁かれることなく戦後の社会に溶け込み、中にはその特異な知識の持ち主として重宝され、渡米した者もいる。

1998/08/11、火曜

 数字は冷徹だ。今日は賞与の計算をしたが、確実に不景気が響いている。言うまでもないことだ。成るようにして成ったにすぎない。同業者の社長は一様に「この不景気にまともなボーナス払えるわけがない」と言う。小遣い程度に数万円、というのが現状なのだそうだ。私が払いすぎているのだと言う。果たしてそうだろうか?会社の存続という理由だけでリストラはする、給料やボーナスをケチる。全てが会社あっての社員なのだと、それが常識なのだと言う。私が変なのだろうか?どんなに苦しくとも労働の汗に報いることが私の役目だと思ってきた。そのために会社が潰れるようなことがあっても自然なことではないか。その覚悟だけはしている。私の役員報酬なんて生活費に消えてしまうが、それでも生活はできる。「そんな理想ぶってたら会社なんて潰れるぞ」と言われながら、ここまでやってきた。エゴさえ出さなければやっていける自信がある。25歳で先代の社長だった父を亡くし、母が社長となって借金を背負いながらやってきた会社だ。その母も今は亡い。母には苦労をかけた。末期ガンの母が最後まで付けていた帳簿は、その数字がミミズのように変形している。最後の最後まで気力を振り絞って記帳していたのだ。その帳簿を開くたびに、私の涙が落ちて数字がかすんでいく。母の生きた証としての帳簿がある限り、私には会社そのものより両親の苦衷が伝わってくる。こんな小さな会社だけれど、私には思い出がいっぱい詰まっている宝なのだ。

1998/08/10、月曜

 日本の原爆被爆者の治療に当たったのはスタッフォード・ウォーレンをリーダーとする医学班であったが、その実際は実験成功に狂喜するアメリカによる毒性検査でもあった。ごく最近になって、アメリカ政府が一般市民を対象に人体実験をしていたことが明らかになったが、その最高責任者がスタッフォード・ウォーレンであった。ウォーレンらは広島・長崎に原爆が投下される五ヶ月前から、原爆の父ロバート・オッペンハイマーの指示でプルトニウムを自国国民に注射していた。これは「50万人殺戮計画」と呼ばれる食料放射能汚染計画の一端で、最終的には日本人を対象としていた。1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードでアメリカ初の原爆実験が成功すると、翌日にはポツダム会談でトルーマンは日本に無条件降伏を求める。歴史上では、これを日本が無視したために原爆投下が決定されたとされているが、実際にはその一年前の第二次ケベック会談において「原爆が完成したら最初に日本に対して使用する」ことをルーズベルトとチャーチルの間で決定済みであった。広島と長崎の焼け跡に登場した医学班率いるウォーレンは、そこでの放射能毒性を研究すると、後の南太平洋で行われたビキニ環礁による原爆実験にも姿を現している。アメリカは戦争を早く終わらしたいがために原爆を投下したのではなく、日本人をモルモットとして人体実験をするための舞台をつくりながら、医療班を導引して食物連鎖による大量殺戮計画を練っていたという事実が浮かび上がる。アメリカによる人体実験の犠牲者の中には最年少のシメオン・ショー四歳の少年がいる。
 骨ガンに冒されていたシメオン少年はアメリカの招きでオーストラリアから渡米し、その心温まる出来事にマスコミが殺到していた。当時のマスコミは「善意の飛行、オーストラリアの少年が到着」と大見出しで報道していた。しかし治療と称してシメオン少年にプルトニウムが注射され始めると、心温まるドラマは一転して残酷極まりない人体実験の悲劇となっていった。そうした疑惑の声が高まる中でも病院側はプルトニウム注射の事実を否定し続ける。当初、シメオン少年はアメリカのメイヨー診療所に行く手筈になっていたが、どういうわけか途中で赤十字と米陸軍の待ち伏せでカリフォルニア大学病院に送られたという不可解な事件でもあった。やがてプルトニウムを注射され続けた少年の両親は「もう希望はない」という病院側の一方的な通知を受け取り、衰弱しきった少年がオーストラリアに帰される。そして少年は母親に抱かれたままあっけなく死んでしまう。むろん家族はプルトニウムの注射をされたことなど知らされずに・・・のちに家族が真相を知った時、それが治療などではなく人体実験という殺人であったことを知って言う。「シメオンの命を救うためにアメリカに連れていったのです。殺すためではなかった」こうして人体実験の犠牲者は次々と増加し、白日の元に曝されていくのである。その背後には広島と長崎の医療班とウォーレンという生体実験の最高責任者が存在し、それを指示した原爆の父にしてロスアラモス研究所所長のロバート・オッペンハイマーがいた。そのオッペンハイマーを動かしたのがアメリカ政府であり、その政府を操る軍産複合体という怪物がいる。そればかりではあるまい。マンハッタン計画を推進してきたレミントン・ランド社の副社長レスリー・グローヴス准将はそれを指揮し、GHQ司令官のダグラス・マッカーサーが死の商人レミントン社の会長であれば、その会社を傘下に置くロックフェラーは何者であろう。【参照『プルトニウム人体実験』180頁「シメオン・ショーの物語」、304〜312頁「マンハッタン計画の人事」】
ほかの関係資料『イルミナティー・悪魔の13血流』89頁「原爆開発時の国防総裁のキーマン、ハーヴィー・バンディ」。『億万長者はハリウッドを殺す・下』84頁「ウィリアムとマクジョージのバンディ兄弟」。『ブッシュの狙い』81頁「スカル&ボーンズ」  
1998/08/08、土曜

原爆の詩

1998/08/07、金曜

 深夜午前一時に放映されたNHKの「ビキニ・核の黙示録・死と再生の軌跡」は60時間の記録フィルムを編集しただけあって圧巻であった。目撃した多くの兵士が「恐ろしい瞬間だった」と脅えながらも、同時に「この世のものとも思えぬ美しさ」と相矛盾する感想を述べていたことが印象的である。この番組以前にNHKでは「原爆投下・10秒の衝撃」として、ヒロシマ原爆投下の瞬間を再現検証している。爆破する以前に広島全土に透過する放射線・中性子は、爆心地1キロ圏内の人間を貫き即死させた。辛うじて生き残ったとしても一ヶ月内には全員死亡するほどの強烈な放射線だ。そして次ぎに出現する火球によって圧縮された高温の衝撃波が建造物や人間を一瞬にして吹き飛ばしていく。数キロ離れた建物のガラス窓は室内に向かって吹き飛び、ガラスの破片が壁に突き刺さる。阿鼻叫喚の地獄絵図が広島に展開される。これが53年前の8月6日に広島で起こったことである。私の母は東京で見習い看護婦をしていたが、東京空襲の直前に疎開して助かっている。東京でお世話になった院長宅も空襲にあい、その家族全員が死んでしまったと、涙ながらに語っていた母を思い出す。父は満州から引き上げてくる際に肝臓病を患い、必死の思いで日本に帰ってきた。終戦後に産まれた私は、戦争は知らないが極貧の味は知っている。最近よく耳にする政治家の「有事」という言葉の響きに何かしら不信の念を抱くのも、両親の体験した悲惨な戦争を聞いてきたせいかも知れない。愛国心という美名のもとに自国の若者を戦場に送り出す指導者ほど信じられないものはあるまい。まして自分の息子を喜んで国に差し出す親にあっては尚更であろう。今は国連の名のもと、平和執行部隊などという美名に踊らされる日本政府に危ういものを感じる。何が平和執行なものか・・・全ての武力行使に隠された嘘を暴くためにも、広島やビキニ環礁で行われてきた悪魔の所業を検証する必要がある。
来週の私的番組予約

 9日(日曜)午後6時〜6時54分、TBS系列「暴かれた25年目の真実・金大中拉致事件」
 同日、午後9時〜10時、NHK総合「核・連鎖の時代へ・インド・パキスタン核実験の衝撃」
 11日(火曜)午後8時〜8時54分、テレビ朝日系列「たけしの万物創世記・爆発」核爆発のメカニズムほか
 14日(金曜)午後9時〜9時54分、テレビ朝日系列「驚きももの木20世紀」『謀略の丘・陸軍登戸研究所の秘密』旧日本陸軍の暴走ほか

1998/08/06、木曜

旧ソ連のスーツケース型核爆弾、「使い方の講習受けた」

 米国に亡命したロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の元大佐が4日、下院の公聴会で証言し、ソ連が開発したとされるスーツケース大の小型核爆弾について「使い方の講習を受けた」と語った。この爆弾については、レベジ元ロシア安全保障会議書記(現クラスノヤルスク地方知事)が「GRUの特殊部隊に配備されていた」と語っていたが、GRUの元将校が存在を認めたことになる。下院の国家安全保障委員会軍事研究開発小委員会で証言したのは、ソ連からロシアにかけての約20年間、GRUに勤務したルネフ氏。88年から約3年半、ワシントンに派遣され、92年に亡命し、最近、米国内での破壊工作についての手記を出版した。この日は、「身柄の安全を図り、記者団の撮影を避ける」(ウェルドン小委員長)との理由で、覆面で顔を隠し、ついたての内側に座って証言した。ルネフ氏は、小型核爆弾について「厳重に警備された敵の戦略拠点を内側から爆破する特殊作戦のために開発された携帯型戦術核爆弾のことだ」と述べた。さらに「外見は、ピクニック用クーラーやゴルフのクラブバックに偽装できる。外国に持ち出す場合の保管場所をあらかじめ調べるのが、GRU時代の任務のひとつだった」と語った。
 核兵器の小型化は当初アメリカとイスラエルにおいて推し進められていた。アメリカは1985年までにジープ搭載バズーカ砲用の小型核砲弾を完成、イスラエルも1973年までにディモナの技術陣においてスーツケース型の小型核爆弾を完成させていた。旧ソ連は1970年代初頭にはイスラエルの国防省と情報機関の上層部に浸透、イスラエルの小型核爆弾開発の機密情報は監視されていた。特に機密性の高いイスラエルの第515分遣隊(後に8200分遣隊に改称)は旧ソ連の浸透をキャッチ、分遣隊の最高幹部であり言語学者のルウベン・イェルドルは旧ソ連の暗号も解読していた。旧ソ連の大物スパイがゴルダ・メイア首相の側近として暗躍していることは分かっていたが、その正体は何故か突き止めることはできなかった。それから数年後、KGBの下でスパイ活動をしていたイランの将軍が逮捕されると、彼らがアメリカ製の衛星通信用機器を使って情報を伝達していたことが明らかになる。イスラエルはこの事件が自国の機密漏洩に関与していたことを知り、イスラエル幹部は「このスパイが逮捕された途端、イスラエルから国外への通信を傍受できなかった謎が解けたとNSAが言ってきた。ソ連はアメリカの衛星通信用機器を盗んでアメリカよりうまく利用していたのだ」として悔しがった。当初イスラエルは核兵器が完成したらソ連を標的にすることを決定していたが、そのことを含めた機密情報が旧ソ連に漏れていたために方針を大幅に変更しなければならなくなった。そしてイスラエルがスーツケース型小型爆弾を完成すると、その情報は旧ソ連のスパイを通じることなく、イスラエル自らが旧ソ連に伝えることになった。【セイモア・M・ハーシュ著『サムソン・オプション』262〜268頁より要約抜粋】

1998/08/05、水曜

 タンクの仕事を一つ終えた。防毒マスクを着用しての作業、一日で一ヶ月分の生活費を稼ぐ。最も準備期間を加味すれば数日は費やしていることになるのだが、それでも美味しい仕事ではある。防毒マスクを着用しているとはいえ、露出している眼や肌は防ぎようがない。だから送風機でタンク内の換気をする。しかし今日のような太陽の照りつける日は、タンクそのものが熱を帯びてしまう。そのタンク内はまるでサウナのような蒸し暑さになっている。しかも狭い。縦長のタンクの中では足場を組みながら作業をする。いつも「焦るまい」と念じている。仮にゴキブリをタンク内に入れたとしたら瞬時に死んでしまう筈だ。気の抜けない危険な仕事である。危険が身近にあるという緊迫感が、それを成し遂げた後の充実感にもつながる。その充実感以上に虚脱感もある。皮膚から浸透したガスの後遺症である。仕事を早々に終えた後はビールでそれを誤魔化す。脳髄を麻痺させながら、一緒に仕事をした友と冗談を言い合う。一週間後にはまた同じ仕事が待っている。仕事があるだけ幸せと思うべきか・・・今日の給料日に支払い残った1万円、これが当座の私の生活費だ。稼いだカネの殆どがこうして消えてゆく。来年には借金も返済しようと思っている。会社そのものが重圧となっていた日々ともおさらばだ。本当に自分がやりたいことだけに生きてみたい。汗の労苦が報われることの自然な社会を夢見て、ただそれだけで充分幸福なのだと・・・全ての答は我が心にあるのではないか、という気がしている。

1998/08/04、火曜

 雨模様を眺めている。明日まで降り続くようなことがあれば大がかりな作業になってしまう。電気を使うため雨による感電を防がねばならないからだ。昨夜からの土砂降りに朝まで雨を観察していた。どうやら止みそうだが、台風が台湾を通過すればまた雨が降ることも予想される。予定期間の変更はできない仕事、ストレスが溜まる。明日が本作業だが、今日は午後から現場で出来るだけ作業を進めておきたい。机上の計画より現場での把握と決断が何より優先される。一見無理のような仕事でも、現場に飛び込めば活路が見いだされるものだ。しかし無茶だけはいけない。事故は起こるべくして起こる。これまでの悲惨な事故を振り返る時、やはりそこには人間の油断があり、仕事そのものを軽く考えての事故が多い。プロ意識の慢心が事故を招き寄せる場合が殆どであった。焦りは禁物だ。

1998/08/03、月曜

 厚生省は国民の健康を司る機関にもかかわらず、エイズ問題(私はこれをあえてエイズ大量殺人事件と呼びたい)でも明らかになったように、製薬会社など企業側の宣伝機関と認識すべきかもしれない。今から42年も前の1956年8月1日、厚生省の外郭団体「日本食品衛生協会」が「その洗浄力が優れかつ通常の使用方法で無害であり、野菜類、食器等の洗浄に活用して食品衛生上十分の効果をあげることが明らかになった」として中性洗剤ライポンFが推奨品第1号として販売された。それから六年後の1962年9月20日、ライポンFを誤って飲んだ男性が死亡するという事件が起こった。無害であるはずのライポンFを飲んで死亡したこの事件の裁判結果は意外なものだった。裁判所は「死因がライポンFによるものであることを前提とする原告らの請求は、その余の事実について判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却する」という判決を下した。この判決は遺族を納得させるものでは到底なかった。
 事の発端は夜中に生後二ヶ月半の赤ちゃんにミルクを飲ませようとしたことから始まった。母親は寝ぼけていたせいか粉ミルクと間違えてライポンFを哺乳壜に入れてしまった。ところが赤ちゃんが嫌がって飲もうとしないので、母親が哺乳壜の乳首をなめてみると味が違う。そこへ赤ちゃんの父親が登場し「どれどれ」と哺乳壜の乳首を外してゴクリと一口飲んでしまった。数分後に嘔吐し気分が悪くなったのでライポンFの注意書きを読んだところ「厚生省実験により衛生上無害であることが証明されています」と書いてあったので、安心して胃腸薬を飲んで眠ろうとした。ところが十分もした頃、再び嘔吐、その1時間後に死亡する。被害者の被害者たる所以は注意書きの「無害」表示にある。実際には無害どころか人を死に至らしめる猛毒の有害であったわけだから、厚生省にも監督責任があることは言うまでもない。しかし国の裁判は厚生省には何の責任もないとして訴訟を棄却したのである。実に奇妙な判決である。さらに厚生省とメーカー側はサルの実験では無害だったとして、ライポンFの無害を強調すらしている。果たしてその実験が本当に行われたのかすら疑いたくなる。死亡した父親は、ライポンFの粉末や原液をそのまま飲んだのではなく、水で希釈して哺乳壜に入れたものを飲んだのであるから僅かな摂取量で死んだことになる。厚生省が責任回避をすればするほど、国民の命を軽視したメーカーの宣伝機関としての役割を露呈している国家政府の実体もまた同じであろう。そこには国民のための国家政府ではなく、大手財界の隷属化した卑しい政府があるばかりだ。 

1998/08/02、日曜

 世の中「どうも変だ?」と思うことが多々ある。どう考えても変だと思えるのに、世間ではそのことを変だと思わぬばかりか常識とさえしている。時が経つにつれて変な常識によって、当人が常識から外れた変人とされていることに気付く。だから人には自嘲気味に「私は変人である」と最初から断ることにしている。すると不思議なことに皆が納得してくれる。「変人が言うこと」だからと、ことさら非難されることなく許されていく。要は相手にもされないということなのだが、これが本人には至って気楽なのである。ところが時として変人であるところの私の言い分が的を得る結果になることがある。すると常識人たちは「おまえも案外利口なところがあるんだな」などと褒めてくれる。子供の頃は学校の成績こそ悪かったが、なぜか図画や作文だけは褒められて賞を取っていた。するといじめっ子のボスが子分を引き連れて私を取り囲み「生意気だ」といじめられる日々が続いていた。あまり悔しいので殴りかかったら簡単に相手が謝る。喧嘩の面白さは、いじめられっ子がいじめっ子に変貌する瞬間であろう。子供の世界は未来の大人になった時の縮図のようなものだ。大人のいじめはもっと陰険で、報復するには危険を伴う。覚悟もいる。堪えるには「人にはバカにされていろ」という自嘲も必要だ。自分が本当に正しいという価値観を保つことができれば変人扱いにされるのも気楽でいいものだと思う。それまで認識するのに私は随分遠回りしてきたようだ。若い頃の生意気は頭の深い傷跡となって残っている。そのスジの人間とのトラブルで出来た傷だが、私の長髪はそれを隠すという理由もある。母親などは死ぬまで私を心配していた。その母の通夜に周囲から「みっともないから髪の毛を切れ」と余計な節介を受けた。その誰も私の頭の傷跡を知らない。唯一死んだ母がそのことを知っていた。「腹を立てたらおしまいだ。おまえの正しいことは母ちゃんがよく知っている。母ちゃんは、そのことでおまえが何かされるんじゃないかと心配で死ぬにも死にきれないんだ」そんな母の言葉を思い出している。その母は今、仏壇の中の位牌となって沈黙している。しかし私の心の中では今も母の心配する声が響いているのだ。それを振り切るように、私は人を人とも思わない権力の横暴に激しい怒りをぶつけたい衝動にかられている。その根底には大手のいじめで自殺した一人の社長の面影がある。日本刀で切腹して果てたその社長は、大手の慣習ともなっていた賄賂の事実を正そうとして報復され、自殺に追いやられてしまった。あれから何年たっただろうか。みんなが忘れても私だけは決して忘れてはならないこととして心に刻んで生きてきた。あの頃はその社長の下で原発の仕事もしていた。その原発のことでも私は押さえきれない怒りを抱えている。気付くのが遅かったが、残された人生は人を踏みにじることへの反発で終わってもいいような気がしている。変人と言わば言え、心の葛藤そのままに私は私の道を行くしかない。

1998/08/01、土曜

 宮沢喜一が大蔵大臣となったが、この人は現在の不況で苦しむ国民の窮状を本当に理解しているのだろうか?「和製ケネディ一家」と呼ばれる華麗なる閨閥において、日本の政財界をリードするための蔵相ではないのか、という疑念が払拭できない。これまで宮沢氏の答弁からも国民に対する温情ある言葉が聞かれたためしがない。何となくエリートのもつ冷笑が鼻につくのだ。宮沢氏の長女・啓子は米国務省のクリストファー・ラフルアに嫁いでいるし、弟の宮沢弘は広島県知事を歴任、その下の宮沢泰は西ドイツ公使とアルジェリア大使をつとめた外交官であった。
 液晶が故障してしまって、これは普通のテレビに表示して書いている。書きにくいことこの上ない。修理に出せば一週間はかかる。それまで日誌は古いパソコンで書くことにする。来週にはお盆前の一仕事が待っている。何かと忙しくなりそうである。


http://csx.jp/~gabana/dnisi/dnisi9808.htm



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