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投稿者 どっちだ 日時 2007 年 7 月 08 日 22:29:12: Neh0eMBXBwlZk
 

(回答先: 幸せなお産の謎。 投稿者 どっちだ 日時 2007 年 7 月 08 日 13:54:37)


幸せなお産(1)
ゆきことたけまつから名前をとって、ゆきまつ。もうすぐ男の子がうまれる。
逆子が戻らず、いろいろと知り合いや助産婦さんに話を聞いて、お灸やら逆立ちやらためしにためして気をわずらっていた頃が嘘のように、岡崎市の吉村医院へ行ってからのゆきは本当に幸せそうだ。出産が待ちどおしいらしく、毎日が楽しそうでいきいきしている。スクワット二百回、まき割り、三時間の散歩の生活にもすっかりなれて、安産まっしぐらだ。
吉村医院の裏手の森の中に移築した江戸時代のかやぶき民家、古屋での生活は快適だ。江戸時代の骨董品であつらえた薄暗い室内は、江戸時代そのものだ!囲炉裏を囲みながら臨月近い妊婦さん同士、ワイワイガヤガヤと食べるかまど炊きのごはんと朝どりの有機野菜を煮干と昆布だしで素朴に料理した野菜のおかずは最高にうまい!!食を整え、生活のリズムを整え、安産に出産できるよう体の調子を整えていく・・・吉村先生が、もう二十年も続けている100%自然分娩のお産の極意だ。
吉村医院では、畳の部屋で子供を産める。知り合いの大工の棟梁が二年かけて一人で作り上げた、くぎひとつ使わない最高の木材と伝統の建築法でつくった「お産の家」がそれだ。
吉村先生の考え方は、「子供は自然に生まれてくるもの・・・健全なお産に医者はいらない。安全で幸せなお産が出来るように、医者は妊婦さんの心と体を整えるだけだ。」
吉村医院で産まれた赤ちゃんは、顔立ちがちがう。目の輝きがちがう。心の安定がちがうらしい。生まれてすぐ、バッチリとまぶたをひらいてこの世界を見つめる。へそのおをつけたままの赤ちゃんは、さっきまでお腹の中にいたお母さんの胸の中でずっと時間をすごす・・・生まれたての赤ちゃんをみて、お母さんや周りの人たちがそろってその神秘に満ちた光景に驚きと感動をいだくという。お母さんは、よそでは味わえないその出産の感動にまたすぐにでも子供を産みたいと、心から幸せを感じるらしい。

幸せなお産(2)
吉村医院で出産する妊婦さんは、医院の近くにウィークリーマンションなどを借りて陣痛が来るのを待つ。そしてその間、毎日吉村医院のとなりにある江戸時代のかやぶき民家、古屋に体を動かすために通うのだ。
今日も古屋から、楽しそうに体を動かす妊婦さんたちの声がする。ひとり不安をかかえながら、自宅ですごしていた以前のゆきとは明らかに声のハリと表情がちがう。楽しさと幸せに満ちている。
昨日もうまれた・・・今日もうまれた・・・毎日のように古屋で一緒にすごしていた妊婦さんが、次々と出産をむかえる。
「岡崎へ着くまでに生まれたらどうしよう?」と、話していたことが笑い話になるくらい、もう長いこと岡崎にいる。予定日あたりまで借りていたウィークリーマンションもすでに引き払って、今は吉村医院が借りているコンクリート打ちっぱなしのデザインマンションにいる。僕は、毎週のように岡崎に通っている。近くの温泉、岡崎の美味しいレストラン、散歩が気持ちいい南公園・・・ゆきも僕も、もうすっかり空気と環境のよい岡崎になじんでしまった。
さて、ゆきまつは、いつでてくるのだろうか?


幸せなお産(3)
この土日、吉村医院での出産がピッタリとない・・・それまでたてつづけに生まれていた赤ちゃんの動きがピタッと急に止まってしまった。
吉村先生が、出張で留守のとき不思議といつも決まってそうなるらしい。赤ちゃん同士でそう話しているのか?お母さんの何かの気配を感じるのか?本当に不思議なものだ。「この週末だけは避けたいなーっ。吉村先生にとりあげてもらわなここに来た意味ないから。」
数日前からの腰とお腹の重みに、「出産が近いのでは?」と、心配していた僕たちの不安をよそに週はあけた。
名前の候補がふたつある。ゆきまつとゆうき。安斎先生の姓名判断の本を読んで、五つの画数、苗字と名前の陰陽、音の五行などを調べあげて考えた名前・・・ゆきまつには、大吉が三つもある。ゆうきにも大吉がある。二つの名前共、姓名判断を読めば読むほど捨てがたい。
人の名前には、その文字が元来もっている力というものがあるのだと思う。日々の生活の中で、繰り返し言葉として発せられるその名前が、力を発揮するのだろう。人は環境に育てられるいきものだ。食べ物、親、友達、生活環境・・・自分のまわりを取りまく様々な生命環境のパワーがその人を作っていくのだ。名前というものも、きっと重要なそのひとつの要素なのだろう。親が名付けたその名前のパワーによって、その子の育つ方向が少なからず決まっていく・・・
ゆきまつは非常に捨てがたい・・・しかし、僕のような自分のやりたいことをホソボソとのんきにやりつづける人間ではなく、「大きく世界を変える」という願いから、赤ちゃんの名前は、ゆうき(有輝)にすることにした。


幸せなお産(4)
突然,、家の電話がなった・・・「たけまっちゃん、とりあえず岡崎に向かって!」
ゆきの言葉にあわてて荷物をととのえ、買ったばかりの竹松号で岡崎へ向かった。「ゆうきに会いに行こう!出産に間に合うかなーっ?赤ちゃんが生まれる瞬間って、どんなんやろー?」考えるほどに、胸がドキドキする。
三時間ほど高速を走って、岡崎に着くとゆきが言った・・・「吉村先生が、今日やなーって言ったから。」「・・・」明日もあさっても仕事があるのに。案の定、その日は何事もなく夜があけた。
お腹の中のゆうきは、一体何をもったいぶっているのだろう?もう十分に岡崎の観光は堪能した。ゆきもまき割りとスクワットで十分にお産にそなえて体を整えたろう。さてさて、あと何か足りないものは・・・
「石川ファーム」。土曜日の朝、吉村医院の前で、岡崎で農業をしている若夫婦が無農薬の有機野菜の朝市を開いている。化学肥料、農薬を一切使わず、完全に有機農法で野菜を育てている。その野菜が、安くてうまい・・・
大阪で農家から直接買っている有機野菜は、品質はピカイチなのだが少々高い。有機野菜のもっとよい仕入先を探していたところだったのだ。
石川ファームの農場を見学しに行った。お弁当に使う野菜のよい仕入先がみつかった。


幸せなお産(5)
「きっと今週中には生まれるだろう・・・」 「何とか、いついつまでに生まれてほしい・・・」 親やまわりのおもわく通りに自然なお産はいかないものだ。吉村先生は、「そうゆうまわりのプレッシャーが、一番お産を遅れさせる!」と怒っていた。
予定日なんて本当にあるのか?吉村医院で出産する妊婦さんの多くが、疑問に思うらしい。吉村医院の古屋の労働に熱心に通う妊婦さんほど、出産が予定日より遅れる。そしてそろって安産になる。吉村医院では、自然なお産しか行わないので陣痛誘発剤などの化学的処置をしない。赤ちゃんが自然に宇宙のリズムにのっとって、お母さんと赤ちゃんの力で生まれてくるのを待つのだ。それで、予定日どおりに生まれてくる赤ちゃんというのは、4%ほどしかいないらしい。
そもそもお母さんの普段の生活習慣や食生活、出産のための体の準備の程度は、人それぞれ全くちがう。だから、赤ちゃんの育ち方、出産までの期間というのは赤ちゃんそれぞれみなちがうのだろう。
吉村医院へ来る前、かかっていた産科の病院では出産が11月9日と決まっていた。もうすぐ、それから1ヵ月にもなろうとしているのに・・・なんとも、大人の都合、医学の都合というのはおそろしい。お母さんと赤ちゃんの体のリズムの最高の瞬間に、赤ちゃんはきっと生まれてくるのだ。それを科学の力で無理やりにその日に生ませてしまうとは何という罪悪・・・(これは泥棒より悪い。知らないとはいえ悪徳の極みだ!だから、幸せに生きれる訳がない。)
あーっ、本当に吉村先生に出会えてよかったとつくづく思う。全国で同じような悩みをもつ妊婦さんも、きっと同じような何ものにもかえがたい感謝と自然の神秘を心の奥に感じているのだろう。


幸せなお産(6)
今日は12月3日、僕の誕生日だ。「まさか、お父ちゃんの誕生日といっしょということはないよな〜」と、冗談で言っていたら、本当にその日も過ぎてしまった。
今日は本当によい日だった。お昼に岡崎のはずれにあるこだわりの手打ち蕎麦のみやかわへ行った。大きな窓から庭を通して色とりどりに色づいた山々の景色が見える。懲りすぎずくだけすぎないしっくりと落ち着くお店のつくりもさる事ながら、蕎麦がかなりうまい!大阪でも、このレベルはそうはない。
一畑山薬師寺というお寺にかけ流しの温泉がある。有名な地質学者に99%無理と言われた地層から、館主の夢のお告げで良質な温泉が出た。薬師寺では、ご祈祷を受けてからこの温泉に入る。これが何とも丁寧に、商売繁盛と安産の祈願をしてもらった。思わぬところでタイミングのよい有難いご祈祷を受ける。先日行った蒲郡の三谷温泉よりも肌がスベスベして心地よい。
夜、昼の蕎麦屋で聞いたイタリアンのトラッテリアへ行った。生うにのクリームパスタ、紫芋のニョッキ・・・美味しい。アルチェントロやピアノ・ピアーノよりかなりうまい!今日はなんとも運がよい。
となりにお寿司屋さんがあった。何とイタリアンのトラッテリアと中でつながっていた。シェフのお父さんの店だ。それでそのまま、寿司屋のカウンターへ移動していろいろと食べた。何とも贅沢な一日・・・
12月3日はすぎていった・・・ゆきまつはまだ、おなかの中。


幸せなお産(7)
明日のお弁当の仕入れの帰り道、電話がなった。「陣痛、来たかも?」
そういや先週も水曜日の夕方、ちょうどオーガニックスーパーのラッキーから帰る途中だった。「今度こそは、本当かな〜?」 先週のウキウキ、ドキドキとは対照的に冷静に対応して新幹線で岡崎へ向かった。念のため、まだみんなには知らせずにいよう・・・
病院へ着くと、ゆきはまだ全然元気だった。入院にはなったが、まだ普通に生活できたので近くのうどん屋へ名古屋名物、味噌煮込みうどんを食べにいった。夜があけた。今日は、蕎麦屋のみやかわへ、うまい手打ちそばを食べにいこう・・・(あ〜、また忘れてる〜っ。なにしに来てるか・・・)
大阪から友人二人がやって来た。吉村先生のうわさを聞いて、江戸時代のかやぶき民家と妊婦さんたちのまき割りの光景をぜひ見たいとわざわざやって来てくれた。吉村先生の人柄と世界観に共鳴し、ぜひ一度ゆっくりお話をしたいものだな〜と思っていたら、その夜めずらしく手のあいた吉村先生が二階にいた。挨拶もなく、自己紹介も世間話もなく、いきなり核心の話がはじまった。超多忙でお疲れの様子であるにもかかわらず、話は止めどなく広がった。夜遅くまで際限なく盛り上がった。魂が共鳴していた。空間が歪むのを感じた。
ウィークリーマンションへ帰って、興奮冷めやらず先ほどの会話と吉村先生の孤高な生き様に話が盛り上がった。
しばらくして電話がなった・・・「吉村先生が、さっきの話のつづきしたいんやて・・・」


幸せなお産(8)
もうそろそろ、出産予定日から1ヵ月にもなろうかとしている・・・まわりの人たちのみならず、さすがに僕たちも少々の不安をいだく。普通の病院なら、間違いなくとっくの昔に帝王切開で赤ちゃんを出している。
赤ちゃんはいたって元気。教科書に載せたいほどの医学的統計。この週にしては、よう水もまれな程きれいで量も十分。何の問題もなく母子ともいたって順調・・・
はてさて?いつ生まれてきても全くおかしくないこの状況で、いったいどうしたものか?
少々、思い当たる原因は、ゆうきと言う名前。先日、岡崎へ来る前、発見した姓名判断の事実・・・流派によって字画の数え方がちがうのだ。考えに考えたゆうきの字画はどうなのだろう?それで、他にもいろいろと調べたら、最初の決めたゆきまつの姓名判断のすばらしいこと・・・これは、もう一度考えなおす余地がある。つけた名前によって、その子の人生が少なからず変わるという名前の不思議。これを見逃すわけにはいかないのだ。(後で調べたら、姓名判断の源流、熊崎健翁の鑑定だった。)
「神様、もし今日陣痛が来たら、最初に僕たちの願いを込めてつけた名前、ゆきまつにします・・・」
そしたら、本当に夕方陣痛がきた。あー、本当にうまれる。

幸せなお産(9)
きのうの夕方はじまった陣痛がまだつづいている。一睡も出来ないのは、本人だけでなく僕たちや助産師さんもえらい。お産というのは、本当に大変なものだ。
「お産というものがこんなに苦しいものならば、いっその事、帝王切開を・・・」と思うくらい、ゆきがしんどそうでつらい・・・母子共に順調、初産の逆子にしては、陣痛の進み方が早いらしいが、それでもとなりで見ている身にはかなりつらい。
人はなぜこんなにも苦しいお産をするのだろう?苦しみを味わいながらも、何時間も何日も何度でもお産に耐えるのか?陣痛の苦しみという大きな陰の裏には、きっと例えようもなく大きな喜びの陽がある。人生を通して味わう子育ての喜びは、きっと何にも勝るほど素晴らしく大きいのだ。それで、吉村先生がいつも言うように、誘発分娩、帝王切開といった目先の安全や医師の都合を優先した宇宙からは外れたお産では、子育てと言う人生の最大の喜びが、きっと何割引かになるのだろう。
女の人は、本当のお産を通してそこに神をみるのだろうと思う。生命の誕生の瞬間に、宇宙の神秘を知るのだろうと思う。
吉村先生が、慈悲の仏ならば、吉村医院の助産師さんたちは、愛とほどこしのマリアだ!ただただ、妊婦さんのために時間と体力の限界を尽くしてくれる。ごはんも食べずに、休憩もせずに、まるまる一晩中、ゆきのことを励ましつづけ陣痛の痛みに耐えるゆきの背中と腰をさすりつづけてくれた。我のない無上の優しさと木目こまやかな心づかい。そして、時にきびしい愛・・・吉村イズムのたまものだ。

幸せなお産(10)
岡崎へ来てから、もう一ヶ月がすぎた。
数ヶ月前、母乳育児、自然分娩、産後の食事など自分たちの生活スタイルにピッタリの出産を求めていろいろと調べていたら、家のすぐ近所に何とマクロビオティックの助産院をみつけた。こんな大阪の下町・・・キセキのようだった。ところが安心したのもつかの間、赤ちゃんの逆子が判明、逆子は法律上、助産院では産めない。提携先の病院も自然分娩に近いものはしているが、逆子で体格の細いゆきには自然分娩は無理だった。僕たちの思い通りの出産ができるところはなかった。お灸、ホメオパシー、逆子体操と思いつく事をいろいろためしたが、結局逆子は直らなかった。
僕は、もう十年以上お肉を食べていない。今、お肉を食べると多分たおれるだろうし、味覚の嗜好がかわってしまったので、欲求がない。玄米と野菜中心の無添加オーガニックの食生活のおかげで、十年以上風邪ひとつひかず病院へ行くことも全くなくなってしまった。ゆきと出会って一年、牛乳も飲まず、砂糖もあまりとらず、添加物の入った食べ物を一切食べない(食べると気分が悪くなるから・・・化学調味料は、舌がしびれる。)僕に、最初はいろいろと不信を抱いていたゆきも、自分自身の体の体験を通して、食事と言うものが人の健康と精神にどれほどの影響を及ぼすものであるかということを、少しづつわかっていったのだ。それで、今ではお肉も食べない無添加のバリバリオーガニック生活だ!(一年前のブツブツ肌が、今では嘘のようにツルンツルンだ!)
僕たちは、普通の出産がしたかっただけなのだ。抗生物質、陣痛誘発剤、吸引、帝王切開といった現代の科学が生み出した、一見人間の進歩のように見える医学的処置が、どれほどに母と子の絆や子供の健全な成長に悪影響を及ぼすかということを、日々の生活の中で、つくづく肌と体と心で感じてきた。現代科学が壊した人の心の大きさは計り知れないのだ。昔の人がやっていたような、普通の自然のあたりまえな生命の誕生をしたかっただけなのだ。

幸せなお産(11)
妊娠した当初からずっとお世話になっていたマクロビオティックの助産師さんに言われた・・・「大辻さんの思い通りのお産ができるところは、吉村医院しかないわね・・・」その言葉を信じて、ゆきはわらをもつかむ思いで愛知県岡崎市の吉村医院へ向かった。吉村先生に無理だと言われたらあきらめもつく・・・
「産道もめちゃめちゃやわらかい・・・バリバリの安産です。」 死にそうなほど、不安でいっぱいだったゆきの心に吉村先生の言葉がひびいた・・・目から大粒の涙があふれた。出産まじかであったにもかかわらず、吉村先生は、快く僕たちを受け入れてくれた。この理不尽で、あたりまえの事が通らない歪んだ世界の中で、ひとつの純粋で無垢な魂がすくわれたような気がした。
陣痛が来てからもう3日目、苦しんで苦しんでやっと思いでもう後はゆきがいきんで赤ちゃんを外へ押し出すだけのところまで来た。ところが、最後の陣痛が来ない・・・ゆきの体力はもう限界だったのかもしれない。吉村先生の苦渋の選択で、転院を決めた。近代医療で、ゆきまつは無事うまれた。ゆきは、出産を終えた。
ゆきは、大阪の病院で「あなたの骨盤ではこの大きな頭の赤ちゃんの自然分娩は無理だ。」と言われていた。しかし、自然の摂理、吉村先生の哲学を信じ、僕たちは岡崎へ来た。ゆきと出会った当初に、何でもわかる霊能者のような人に言われた言葉が思い出される。「この赤ちゃんが、あなたたちを結びつけてくれたんやよ・・・あんたたちは、引き離された前世の約束で今、出会った。」たしかに、ゆきまつが妊娠しなければ、互いの仕事のことや生活の事で本当に結婚していたかは定かではない。前世の縁で出会った非常に稀有なふたり・・・ゆきまつは、自分の生命をかけてでも、僕とゆきを結びつけるために生まれてきてくれたのだろうか?
「私は、一週間ずっと夜も眠れずに考えつづけた・・・今までとりあげた二万例の赤ちゃんの中で、これほどに予定日が遅れても非常に元気な赤ちゃんはめずらしい。にもかかわらずいっこうに出てこない。私は、赤ちゃんが、僕をたすけろ!と言ってい
るようで仕方がない。」逆子はお尻が出て、大きな頭のところで詰まってしまったら、もうおわりなのだ。
全くの真実はわからない。しかし、生活のすべてと生命の限界をかけていのちの誕生に尽くしている吉村先生には、きっと赤ちゃんの声が届いたのではないかと思う。
僕とゆきは、岡崎でキセキをみた。戦いとドラマの連続の吉村劇場の中で起こる宇宙の神秘をみた。僕たちが経験したものは、「こだわりのお産」とか、「西洋医学に対する不信」とかいう簡単なものではない。僕たちはそこでみたのだ。生命がうまれるという事の真実を。愛そのものである人たちを。そこには、僕たちが信じる愛と真実にみちた尊くて孤高な生き様があった。日々繰り返されるありふれた暮らしの中で、己の愛と優しさを100%この世界にたえまなく注ぐ、生命である本来の人というものを見たのだ。

あとがき(1)
季節はもうすっかり冬になってしまった。窓の外は、今年はじめての雪・・・
「まつ」の部屋で、さっきうまれた赤ちゃんがねむる。(となりの部屋は、キリンなのに・・・) やっぱり、ゆきまつかなーっ。
ゆきまつがうまれて、次の日、また吉村医院へかえってきた。心地のよい院内の空気、窓からは、木々の緑と慣れ親しんだ古屋が見える。優しげな助産師さんたち、吉村先生の相変わらずのあのおしゃべりの口調・・・また、おだやかな時間がながれはじめた。外で今日も、妊婦さんたちのまき割りの音が聞こえる。
幸せが、またひとつ、この世界にうまれようとしている。
今思うと、僕たちには帝王切開しか方法がなかったのかもしれない。逆子が最後まで直らなかった事、大阪の病院で自然分娩を断られた事、吉村先生に出会えた事。何をひとつとっても、限られた条件の中で、最高に幸せなお産へとみちびく宇宙の秩序であったような気がする。
もし、マクロビオティックの助産院で出産していたならば、体の準備の整わないゆきにより一層の苦しみをあじあわせていただろう。何もわからず、帝王切開になるゆきの心の苦しさは計りしれなかっただろう。
もし、大阪の産院で最初から、仕方なく帝王切開していたならば、お産というものに、生命の誕生というものに僕たちはこれほどに命をかけて向き合うことは出来なかっただろう。
吉村医院という生命の宇宙に迷い込んでしまったばかりに、僕たちはそこで生命誕生の神秘、かけがえのない愛と真実をみたのだ。


あとがき(2)
大病院でゆきは、手首にバーコードをつけられ、工場のベルトコンベアーで流されるように手術室へ入っていった。マニュアルのように繰り返される看護婦さんの一見、やさしげな言葉もゆきの心には届かず、時間どおりに手術は終わった。
何もかもがピカピカであらゆる設備が整った最先端の病院のなかで、時間どおりに無表情な看護婦さんが忙しそうに診察をくり返していく。
目が死んでいる。心が死んでいる。
この世界をつつむ東洋の宇宙観(易ともいう)に比べれば、科学や医学といった形而下学的事象というのは、ほんのつめの先ほどの幼稚な認識でしかないのに。そんな世界でしか生きていない人たちは、きっと本当の幸せを知らないのであろう。
物質的な幸せを追求していたあのころ・・・行き着いた先に幸せはなかった。すべてを捨ててたどり着いた心の宇宙の果てに、この世界の幸せがすべてあったのだ。
人は旅人・・・この世の中をいつも心で感じながら、もくもくと生きている心の旅人。
人の心は宇宙・・・人とのつながりが心をはるか遠くへ連れて行く。人との出会いは、この広い宇宙で点と点が出会うようなもの。求める心が必然に魂の友を引き寄せる。
人との出会いにこそすべてのはじまりがある。人との真剣な関わりの中で、愛と真実がうまれて心の旅がはじまっていく・・・
心の宇宙を旅していたら、はずれのはずれへ行ってしまった・・・
そこには何も存在しなかった。時間も空間も生きている意味さえ何もなかった。しかし、すべてがあった。ただ、質量をもたない一瞬が、永遠につながっていた。
この世界は、人の心が作り出した幻のようなもの。人も街もあるようでない。
この世界で、本当に大切なものは、愛と真実だけだった。
人はやがて、物質社会にはない本当の幸せを知るだろう。そんなときがやがてくるだろう。世の中には、そんな真実の宇宙へとつづく魔法の扉がところどころにあるのだ。実は、ありふれた日々の暮らしの中のあらゆるところにあるのだ。その扉は、目では
見えない。心で感じるしかない。あらゆる心のこだわりと欲を捨て、心を空にするとその扉がみえる。心の宇宙を旅する魂の旅人だけが、その扉を開けることができるのだ。
一ヵ月を超える、僕たちの旅はおわった。


追記(1)
2005年 12月11日 ゆきまつはうまれた。
2005年 12月13日 ゆきまつが死んだ。ゆきが降っていた。
「さよなら・・・」と僕たちに語りかけているようだった。
僕たちにとって、この上なく幸せなお産だった・・・ゆきまつが3日間、僕たちのところへやって来てくれた。いつもの古屋の見える吉村医院の心地よい部屋の中で、僕は、おだやかに眠るゆきとゆきまつをみていた・・・幸せを感じていた。
ゆきまつは、僕たちの最高の幸せの瞬間に、何も言わずにひとりで静かに遠い空へ旅立ってしまった。
吉村先生は、僕たちに幸せな3日間をくれた。陣痛の間、2万人の赤ちゃんをとりあげた吉村先生には、ゆきまつの声がきっと聞こえていたのだろう。己の運命を知りつつ、ゆきまつは僕とゆきのあいだにうまれて来てくれた。最後の瞬間でさえ、ゆきまつは吉村先生の手の中で、生きようとしていた。命の火が、きえた・・・
大阪へ向かう列車のなか・・・窓の外は、一面の雪景色。山も家も田んぼも、真っ白な雪が世界をおおっていた。


追記(2)
妙な話だが、ときどき未来の記憶が頭をよぎることがある。何か前世でおかした因縁を、また繰り返すような妙な想念だ。それを意識的に気をつけたり、人に話したりすると、たぶんそうはならずにすむのかなーとも思う。
「ゆきまつが遠くへ行ってしまうこと。」「僕とゆきが離されてしまうこと。」 僕はこの半年、何度となく妙な想念を見ていた。最初はそれが何だかわからなかった。しかし、今、明らかに思う。
ゆきまつが、自分の命をかけて、僕とゆきを今度こそ結びつけてくれたこと。僕たちは、ゆきまつがおなかにやどってくれたから、結婚できたようなものなのだ。
ゆきまつは、今も、僕とゆきの体の中にいるのかもしれない。僕たちふたりと一緒に人生をすごすのかもしれない。昨日まで、僕たちの腕の中で、安らかに眠っていたことが、もう遠い昔のことのように感じられる。
もう少ししたら、また以前のようなゆきとふたりのあわただしい大阪生活がはじまるだろう。僕たちは、ゆきまつがおなかの中にいた11ヶ月と一緒にすごした3 日間、この上ない幸せを感じていた。この思い出は、絶対忘れない・・・忘れられない・・・すばらしい出来事だった。ゆきまつと三人ですごした、驚きと感動と冒険の日々が、きっと僕たちをもっと素晴らしい場所へ連れて行ってくれると信じているから。

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