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手法に反対しただけで私がこれだけ怒ると思いますか?
http://www.asyura2.com/07/idletalk22/msg/272.html
投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 29 日 11:01:02: QS3iy8SiOaheU
 

(回答先: 本質を見抜けない人が増えている。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 1 月 29 日 07:03:51)

>Kは本質が見抜けない人が増えていると思う。
>極端に言えば「権力サイドの分断作戦に乗せられてしまっている。」のだろうが、変な所で思考停止してしまっているのではないだろうか?

それは貴方のことでしょう。

>「君が代不成立」を例にしてみると「校長先生」に噛み付いても何も改善はしない。

不起立は「校長先生に噛み付く」行為ではありません。

>「君が代不起立」という手法には賛同できないというのと「権力の強制には反対すべきではない」というのは全く違う。

貴方にはそもそも君が代不起立に関して発言する資格はないと思います。
なぜなら貴方には基本的に不起立の意味がわかっていないからです。
運動としか捉えていない、だから成否でしか物事が見られない。

>基本的に必要なのは「東京都の都条例の一文を削除させる」にはどのような手段が有効か?と云うことであり、それが可能なら、労働者・庶民レベルで対立が発生するような手法に拘る必要はないだろう。

強制に反対だということをちょっと発言するだけで人事異動になるのですよ。
不起立しなくたって、その趣旨のことを言うだけで問題視されるのです。
そんな状況で、「労働者・庶民レベルで対立が発生」しないような手法なんて、存在しないのですよ。

>本来なら「校長・教頭・教育委員会(全ての人が賛同してくれるとは限らないが)などとも協力して、国歌を強制する事は問題である」と是正を求めていくべきであるだろう。

そういうことができる状況ならこんなに大きな問題にはならないでしょう。

>前からKは「理念には反対していない、手法に反対している」と繰り返し書いている。
>「戦略的後退」と「敗北主義」の違いは見極めるべきである。

戦略的に後退したつもりが完全に敗北するだけでしょう。
強制によって傷ついた人の心も癒されません。

>「君が代不起立」という実力行使という手法に反対しただけで「全人格を否定する」ような事をしていては「敵が増え、孤立化するだけだろう」と思う。

手法に反対しただけで私がこれだけ怒ると思いますか?
今は怒りを通り越してあきれ返っていますが。

>確かに「手法に対する理解者は多い」ので、その仲間たちの中にいれば「自分の主張は多くの人の賛同と共にある」という錯覚も持てるだろう。しかし、それは錯覚でしかない。
>社会と言う現実に入った時には「少数派」である事を認識し、錯覚は消し飛ぶだろう。

自分のジョーシキが多数だと錯覚しているから少数派だと思い込んでいるだけでしょう。
問題の存在を知っている人の中で割合を調べたら、強制に反対し、不起立に賛成する人が多数になると思いますよ。

>「給食費未納」と「君が代不起立」は別だというのは間違いではない。
>しかし、共に「自分の主観という価値観に根ざした実力行使」である。

給食費未納は、払えるのに払えない人は問題外として、払えない人の場合、「主観の問題」だとか「実力行使」だとか言えますか?

また、卒業式において君が代・日の丸に対し起立・斉唱するのは職務だというのは貴方の主観ではないのですか?

>Kはその違いを「論証する自信はある」が、どれだけの人が「言葉で言い表す事ができるか?」には疑問もある。

どうぞご論証ください。

>「自分の良心の自由」と「自分の価値観に根ざす自由」は正義感とワガママの区別ができるが、

自分の価値観に根ざす自由はワガママだとおっしゃりたいわけで?

では、「卒業式に日の君に対し起立・斉唱すべきという価値観に根ざして、人に対し強制する自由」はワガママという理解でよろしいのですね?

お菓子が欲しいとダダをこねる子供は「自分の価値観に根ざす自由」を主張しているとでもおっしゃるおつもりですか?
自由という概念を貴方はワガママという異質なものにまで拡大解釈というか歪曲解釈している。

>正義感も結局は「個人の主観」であるから、明確な区別というのは論証すると困難だろうと思う。そもそも両者の間に線引きは可能か?可能だとすれば、何を根拠に区切る?
>どれだけの人が区切れるのだろうか?
>まあ、どうでも良い事である。どうせKは浅学非才のアホでしかない。

少なくとも、卒業式においては全員が日の君に対し起立・斉唱すべきであるという考え方は、起立・斉唱したくないとの考え方に対し劣後します。
また、区切るにあたっては、意見を異にする者の間で議論をすることが必要なこともあるでしょう。
日の君の場合は、教委側は教師側の意見を聞く耳は持っていません。
校長もそうです。
議論が拒絶される中、処分が行われていっている、これでは民主主義どころか独裁でしょう。

区切り方についてですが、下記のような事例については客観的に区切れると思います。

以下、http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1271.htmlより再掲。

●秩序を重んじる価値観とその秩序に従いたくないという価値観、どっちが優先されるべきか、考えてみました。

結論から先に言うと、後者が優先されるべきです。

「卒業式は一糸乱れないで規律正しく行われるべき」という価値観は、その価値観自体に、他人に自分の価値観を押し付けるという要素が含まれています。そうした価値観の実現を求める自由は、「一人で外に干渉することなく『持ち続ける自由』」のうちには入りません。
(*注意:何をもって「規律正しい」とするかは、人によって異なる。私自身、規律を否定するつもりはない。規律はある程度は必要であると考える。だが、人によっては行き過ぎた規律と感じられるような「規律正しさ」というものもあるのであり、規律=善と単純には捉えられないと考える。)

「卒業式は一糸乱れないで規律正しく行われるべき」という価値観は、「規律よりも重要なものがある」とか、「その規律は行き過ぎだ」と考える人の価値観と衝突する。そして、前者の価値観は、その価値観を共有する人間だけでなく、後者の価値観を持つ者に対しても何らかの行為を要求するものである。

仮に、前者の価値観を持つ者が、自己の価値観を実現したいがゆえに、後者に対し「規律正しく」行動するよう強要したとしよう。これはまさに別の価値観を持つ者に対し、自己の価値観を強要する行為である。
前者の価値観を持つ者は、後者が自分の思うように行動すれば、自己の価値観が実現され、幸福かもしれない。しかし、後者の価値観を持つ者は、自己の価値観に反する行為を強要されたわけであり、人権侵害を受けたということになる。

他方、後者の価値観を持つ者が、前者に反し、「規律正しい行動」をしなかった場合はどうか。
この場合、一見すると前者の価値観は侵害されたかのようである。しかし、前者の価値観は、実現のためには自己の行動のみならず他者の行動をも必要とするものである。前者の価値観を持つ者に、後者の価値観を持つ者に対し行動を強要する権利はあるだろうか。
ない。そのように行動するよう言葉により説得を試みることは許されるが、そのように行動するよう強要することは許されない。

つまり、他人にこうあってほしいと思う価値観と、自分がこうありたいと思う価値観とは、性質が異なる。(少なくとも)個人の尊厳を最大の価値と認める社会においては、自分がこうありたいと思う価値観が、他人に対する希望を含む価値観の上位に置かれなければならないのである。

これは、自分が行う自由は認められても、他人に行わせる自由(権利)は、認められない、というふうに言い換えることもできよう。

したがって、

>起立拒否という「見た目に支障が出る行為と判断」される行為をすれば「注意」「軽い処分」「重い処分」「解雇」になるだろうと思います。

これは、処分権の濫用に他ならない。そのような処分を許す社会は、人権侵害を許す国である。

>なぜならば「規律を大切にするという価値観を刺激し、他人の価値観を否定する」からでしょう。

自己の価値観に基づき、他者にその意思に反する行動をとるよう強制するのは、それこそワガママである。
他者が自分の望むように行動しなかったからといって、人権侵害を主張することは、上で見たように、基本的には主張できない。例外的に主張できるのは、自己が他者の行動により肉体的苦痛を受けた場合のみである。
(例:殺人願望という思想を持つ者が、殺されたくないという思想を持つ者を殺そうとしたとする。この場合、殺されたくないという思想を持つ者が殺されまいと逃げたからといって、殺人願望を持つ者が人権侵害を主張することは許されない。)
(戦争を好む思想を持つ政府が戦争をしようとして、反戦思想を持つ者を徴兵しようとしたとする。この場合、反戦思想を持つ者が、好戦国家のために戦地に出かけなければならないとは到底言えない。)

●価値観は、
@他者に対してもある行動を要求する、あるいは他者の生活に何らかの影響を及ぼすことによってしか実現されないものと、
Aその価値観を持つ者だけでも完結し得る価値観
、この二つに分けられると思います。

@は、他者に直接影響を及ぼさざるを得ない価値観である以上、制限を受けざるを得ません。
しかしAは、他者に悪影響を及ぼさない限り、制限を受けない。

これを例えば日の君強制問題に当てはめれば、
「教師、生徒は起立・斉唱すべきである」というのは@の価値観であり、制限を受けざるを得ない。
一方、思想、良心に基づき起立・斉唱したくないという価値観は、他者に対しどうこうするよう強要するのでなく、本人が起立しない、斉唱しないということによって完結するのであり(Aの価値観)、起立しない、斉唱しないという自由は侵害されてはならない。

(日の丸を壇上から下ろすということについては、式を妨害したということで罪に問われ、有罪になる可能性はあるのかもしれないと思いますが、たかが旗で権力が呼んでこられるというのもおかしいと思います。そういうケースでは公権力の濫用ということで無罪になるべきだと個人的には思います。)

ところが、現実の教育現場では、これがあべこべになっています。

@の価値観が制限を受けなければならないのに、@はAの価値観の者に対し強制し、Aの価値観の方が制限を受けるという事態になっているのです。

http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1196.html投稿者heart)

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