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転機にさしかかったベネズエラ革命 −ル・モンド・ディプロマティーク版
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投稿者 kaname 日時 2008 年 1 月 28 日 09:47:25: 3X28X40b0xN.U
 

ディプロ2008-1 - Coup de semonce au Venezuela

転機にさしかかったベネズエラ革命
グレゴリー・ウィルパート(Gregory Wilpert)
社会学者、ウェブサイト Venezuelanalysis.com 編集長
訳・三浦礼恒
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 ベネズエラのチャベス大統領は、2006年12月に再選されるやいなや、「21世紀の社会主義」という大構想に向けた転換のためには憲法改正が必要であると表明した。その憲法改正案は、長期にわたる密室会議を経て、何度も延期された末、ようやく2007年8月15日に発表された。全部で33条に関わる当初案は、熱烈なチャベス派を別として、ベネズエラ社会全体に疑念と混乱を引き起こした。大統領案の修正と承認を審議した議会がさらに36条に関わる修正を加えると、国民の疑念はいっそう強まった。

 憲法改正案は最終的に、全350条のうち69条に関わるものとなった。それらは主に4点にわたっていた。参加型民主主義の強化、社会統合、「ネオリベラル型ではない」経済発展の支持、そして中央政府の権限強化である。

 参加型民主主義と社会的公平に関わる規定については、世論は反発しなかった。新設の地区住民協議会の権限拡大(1)、選挙権年齢の18歳から16歳への引き下げ、性的指向や健康状態を理由とする差別の全面禁止、公職への男女同数制の導入、自営業者やインフォーマル労働者のための社会保障基金の創設、高等教育の無償化、アフリカ系ベネズエラ人の「認知」といった規定である。

 反発を招いたのは、経済および大統領権限に関わる改正案だった。それは実際の内容によるところも、反対勢力の主張によるところもあった。改正案の主な規定は、中央銀行の独立性の廃止、石油産業の民営化の禁止、農地改革の強化などである。新たな社会権の制定や、労働時間の週44時間から36時間への削減、集団所有の促進なども盛り込まれていた。

 中央政府の権限強化に関しては、大統領の任期を6年から7年へ延長し、2期までという制限を見直すことが提案された。また、必要な署名の数を増やすことで国民発議による国民投票の実施を難しくする規定や、経済特区を創設したり、市町村レベルの選挙区割りを変更したりする権限を大統領に付与する規定が含まれていた。将校に関する大統領の人事権や、国民の情報権を剥奪するような非常事態権限の強化も規定されていた。

 チャベス大統領は、1998年に初めて大統領に選出されて以来、11回の選挙と国民投票で連勝を収めてきた(2)。憲法改正に関する2007年12月2日の国民投票で、1.3%の僅差により予想外の敗北を喫したことは、大統領にとって手痛い挫折となった。

 大統領とその同志は、投票翌日すぐさま敗因の分析にとりかかった。反チャベス派よりもチャベス派の棄権率が高かったとはいえ(3)、2006年にチャベスを支持した有権者が2007年には反対に回ったというわけでないことは明らかだった。だが、「チャベスに賛成、右派に反対」という投票行動をとることが、不要と思われる憲法改正を支持することに直結するわけではない。

 投票結果を説明する理由として挙げられたのは、憲法改正案の起草手順、結成まもないベネズエラ統一社会党(PSUV)などが展開したキャンペーンの不充分さ、そして社会全体のムードだった。改正案は当初、大統領と側近からなる小グループによって構想された。外部から広く意見を募るために、議員主催で公聴会が開かれたのは、議会で審議される段になってからだった。公聴会は2カ月半という短期間に性急に進められ、一部の分野について表面的な議論を行うだけにとどまった。
複雑すぎた憲法改正案
 改憲賛成キャンペーンが公式に開始されたのは、国民投票1カ月前の11月2日のことであり、この段階でも、多岐にわたる複雑な改正案の詳細を広報するには時間が足りなかった。例えば、所有権の形態として、公有(州)、社会的所有(国民)、集団所有(社会集団)、私有(個人)、混合所有(上記4つの混合)の5つが導入されるという。また、政治的な権限が「国民の権限」「市町村の権限」「州の権限」「国の権限」として再配分されるというが、それぞれの権限の範囲が明確とは言いがたい。旧来の地方行政単位は新設のそれに代置されつつも、消滅するわけではない。まったくもって、何がなんだか分からない。

 この間に、反対勢力は激しいキャンペーンを展開し、改正案の諸点を歪曲することも躊躇しなかった。例えば、改正案は私有財産制に見直しをかけるものだと主張し、あらゆるものを国家収用の対象にしかねないと言い立てた。実際には、普通の私有財産は対象には含まれていなかった。改正案が目指していたのは、食糧不足の際に国家が生産農家の土地を収用する権限を強化することと、農地改革の一環として大農場の土地を再配分することだけである。

 改憲反対派のチラシや演説の中には、国家が親から子供を取り上げてしまうとか、社会主義以外の政治的志向は許されなくなるとか、古色蒼然とした脅し文句を振りかざすものもあった。この手法は、恐るべき効果を上げた。

 反対勢力の主張が人々の間に広まり始めると、以前は60%あった賛同率が急落を始めた。これを見たチャベスは、国民投票を大統領への信任投票として位置づけなおすことで、キャンペーンの巻き返しを図った。改正案が詳しい説明には複雑すぎることが明らかとなった情勢下で、チャベスは自身の人気を活用するのが得策だと判断し、「賛成の一票は私への一票だ」というスローガンを打ち出した。

 チャベス大統領は、国民の疑念を思いきり過小評価していたように見える。疑念が強まったことには様々な原因があるが、第一に挙げられるのは、「社会主義」という言葉に対して、元からの同志さえ慎重な姿勢を示したことにある。ラウル・バドゥエル前国防相も、大統領の前妻であるマリサベル・ロドリゲスも、社民政党ポデモスも、憲法改正に反対する立場を明らかにした。

 とりわけ、支持層の一部はチャベスの政府が非効率的だと見て、国民投票を大統領にメッセージを送る好機と捉えたように思われる。人権擁護団体プロベアが発表した報告書で指摘されているように(4)、「ミッション」と呼ばれる政府の社会政策の実施状況は、2006年を通じて非常に悪化した。公衆衛生、識字教育、中等教育、住宅、食糧援助、土地の再分配、雇用、協同組合の設立など、全ての社会政策分野で悪化していた。

 かつて最貧困層は、社会政策予算が過去4年間に激増したことに喝采を送ったが(5)、今日では失望と不満を募らせている。失望の大きな原因は、そうした政策が官僚制のせいで非効率的に運営されていることと、あらゆるレベルの権力集団に汚職が蔓延していることにある。最近の牛乳不足も、反対勢力が企てたのかどうかはともかくとして、政権の追い風になるはずもないものだった。10月と11月のほとんどの間、新鮮な牛乳を見つけることは事実上不可能で、粉ミルクその他の製品を手に入れることも極めて困難だった。
失敗は好機か
 チャベス派の棄権理由を並べ上げるのは、状況が違っていれば、有権者は憲法改正を支持したはずだという考えからだ。だが、果たして憲法改正は必要だったのだろうか。自営業者のための社会保障、労働時間の削減、地区住民協議会の予算増額、政治における男女同数制、高等教育の無償化といった措置は、いずれも通常の立法手段によって実現可能である。実際に憲法改正を必要としたのは、大統領の権限強化、任期制限の廃止、市町村の再編、国民投票の国民発議に関する制約、将校の人事権、非常事態権限に関わる規定だった。

 一見したところ、チャベス派の一部が反対勢力の言い立てた疑念につられてしまったのだと思いたくもなるが、多くの人々は単純に、大統領の見方を共有しなかっただけのことだ。これらの人々の考えによれば、革命プロセスを強化し、社会主義に向けた転換を確かなものとするために、大統領権限を拡大する必要はない。

 ボリーバル革命の指導者チャベスの支持層にとって、憲法改正案の失敗は、「21世紀の社会主義」に向けた転換における停止信号を意味している。これを好機だと考える者もいる。もし改正案が僅差で承認されていたならば、反対勢力が投票結果を受け入れず、新たに暴力的なデモに訴えたり、不正があったと主張したりすることで、政情不安を引き起こしていたのはほぼ確実だ。改憲反対派はただでさえ、実際の票差は公式発表よりもずっと大きいものだったと、なんの証拠もなしに主張している。もし改憲賛成派が小差で勝ち、ただちに本格的な反政府キャンペーンが起きていたならば、チャベス政権にとって、僅差で負けた場合より大きな打撃になっただろうと考えられなくもない。

 憲法改正案の失敗は、1998年以来のボリーバル革命運動の歴史の中で、最も深い自己批判と分析を行う余地を生み出した。それまで長いこと、大統領の耳に批判が届くことはなかった。革命運動とその指導者は不即不離の関係にあったからだ。革命運動はチャベスに依存し、チャベスは革命運動に依存してきた。両者の緊密な関係の下で、大統領が下した決定の見直しは、革命運動の一体性を危うくするとして、ほとんど不可能になっていた。革命運動の一体性は、アメリカから資金援助を受け、政権打倒の企てをやめない反対勢力を封じ込めるためには、絶対に必要なものだった。

 チャベス大統領とその同志は、1998年以来初めて、挫折の根本的な原因を分析する必要に迫られている。憲法改革プロセスが急速かつ広範にすぎたこと、大統領の個性を前面に出しすぎたこと、既存の政策が効率性を欠いていたこと、といった問題が浮上してくるだろう。これらの問題に立ち向かうことこそが、「21世紀の社会主義」に新たな弾みを与えるものとなるはずだ。

(1) 地区住民協議会は、市町村の行政を住民が評価・執行し、予算を統制する場であり、参加型民主主義と国民の権限を具現している。
(2) 1998年12月6日の大統領選挙、制憲議会に関する1999年4月25日の国民投票、1999年7月25日の制憲議会選挙、新憲法に関する1999年12月15日の国民投票、大統領を含む全ての政治代表(地方議員を除く)を選出した2000年7月30日の「メガ選挙」、2000年12月の地方選挙、チャベス大統領の罷免に関する2004年8月15日の国民投票(結果は否決)、2004年10月の地域選挙、2005年8月の地方選挙、2005年12月4日の国会選挙、2006年12月3日の大統領選挙、の11回である。
(3) 反対勢力は2006年に比べて21万2000票を増やし、チャベス大統領は280万票を失った。棄権率は44.1%に達した。
(4) http://www.derechos.org.ve/publicaciones/infanual/2006_07/index.html
(5) 国内総生産に対する社会支出の割合は、1998年の8.2%から2005年には13.2%へと増加した(出典:企画開発省、カラカス)。

http://www.diplo.jp/articles08/0801-2.html

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