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、『羽田のランウェイ22ですので、ヘディング090をキープして下さい』とあるが、これは、滑走路の方位が220度、すなわち
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/417.html
投稿者 愉快通快 日時 2007 年 12 月 07 日 11:46:55: aijn0aOFbw4jc
 

http://www.tt.rim.or.jp/~junichi/123/123-003.htm

お詫び
「いなちゃんのほーむぺーじ」は、プロバイダーに「リムネット」を利用していますが、先般リムネットのサーバーがダウンした影響により、ホームページデータがすべて消去されてしまいました。

 現在のところ、「アクセスカウンタ」等は、いっさい利用できません。 また「メインページ」へ進むこともできなくなってしまっています。 本来であれば、直ちに復旧すべきでしたが、多忙のため、なかなか復旧しませんでした。 ご心配をおかけ致しまして、大変申し訳ございませんでした。

いなちゃんのほーむぺーじ

123便の原因を探れ! (その3)

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さて年末に続いて、今月(平成11年4月)も、某局でこの原因についてのTV番組が放送された。 長い間放送業界で「タブー」といわれていた、「123便の墜落原因」についてであるが、どの報道においても、原因の新たな視点というものは得られていない。


このページでは、「123便の原因を探れ!」というタイトルのもと、事故調査委員会が結論づけた、「圧力隔壁崩壊説」に疑問を持ち、それについて掲載をおこなってきた。 もちろんこの掲載に関して、その分析や集計、ならびに論説を外部委託しているわけではないから、いなちゃんが各種著書やホームページ、ならびに各種媒体を引用して掲載しているため、専門的知識が欠落していることは、重々承知されていることと思う。


今回の掲載で3回目となるこの墜落原因究明。 第1回と第2回において、直接の墜落原因を、「垂直尾翼の破損による操縦機能の喪失」と位置づけた。 だがその破損を引き起こした原因については、いなちゃんも特定できてはいない。 敢えて言うなら、第2回で掲載した、「偶発的な垂直尾翼破壊ではなく、あらかじめ危機を予見でき、かつそれが危険であると認識できるもの」とした。


今回の第3回掲載では、123便のいわゆる「32分間の迷走」といわれる、交信記録に焦点を当てて、検討をおこなってみたい。 

今回の掲載で 『 』 部分は、交信記録の内容を示している。 それと各種の航空用語については、これまでの掲載を参照していただくか、「ぼくは航空管制官」というゲームを、実際にプレイされると、かなり「ナニ」だと思われる。 また無線による管制との交信については、英語表記となっている。 いなちゃんが訳すのが面倒くさいという理由もあるが、原文を尊重した。 ところで、この英語表記、一部に誤字があるのだが、これは下記の大塚氏の表記を引用すると、「報告書の表記自体が間違っている」とのことらしい。 したがって、これは別にいなちゃんが間違った訳ではないで、そのへんは留意していただきたい。 おそらく報告書作成のときの運輸省の最終校正担当者が、いなちゃんと同じく、高校卒業時の英語の偏差値が34くらいだったのだろう...


ちなみにここで使用しているデータは、大塚明氏のホームページに掲載されている交信記録によるものである。 


なお、常に掲載していることだが、この一連の掲載は、いなちゃんの興味本位による掲載ではないことを、あらかじめ了承していただきたい。 大の飛行機嫌いであるいなちゃんは、もしこの先、飛行機に乗る事態に遭遇したときのために、すべての不安を取り除いておきたいし、かりに現行の航空業界の体制に、危険な要素が内包されているのであれば、警鐘として位置づけたいとの理由からである。


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この「ドーン」がすべてを決定づけた

この日、「定刻」の範疇に含まれる18:12に離陸した123便は、18:18:30には高度12200フィートに達し、巡航速度も290ノット、そして18:24:12には、高度23400フィート、速度300ノットに達していた。

この時点から、CVR(コックピット・ボイス・レコーダー)、の記録が始まっていたと言われている。 その最初の記録は、24分12秒の『・・・したいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、よろしいですか』である。  

過去2回の掲載においても、この記録は引用してきたし、それが、「ベルトサイン点灯中」を示唆していることについても、論じてきた。


そして問題の「ドーン」という衝撃音は、13秒後の24分35秒に記録されているのである。


そして「スコーク77」

さて「ドーン」という音の1秒後の、24分37秒に、わずか1秒だけ「客室高度警報音もしくは離陸警報音」が記録されている。 これも過去2回の掲載で、「この時点で離陸警報音が鳴ることはないから、これはおそらく客室高度警報音」という結論を導出している。

そして、その2秒後の24分39秒には、機長が『なんか爆発したぞ』と発するとともに、24分42秒には、『スコーク77』を発している。 

これについても、、「わずか7秒後にスコーク77は、あまりにも早すぎる」と掲載した。 もし、「なにか爆発した」ということを、直感的に感じたことによる「スコーク77」であれば、このときに「客室高度警報音」が鳴っているわけであるから、直ちに「緊急降下」がおこなわれるはずであるが、この段階では、まだ降下はおこなわれていない。 そのうえ、その後の24分46秒の『エンジン?』、24分59秒の、機長による『なんか爆発したよ』と発言していることからも推察すると、この段階で運行乗務員が原因を確定できていたかどうかについては、確定することができないと思われる。

ただし、これが尋常でないことは察していたと思われる。 機長は25分16秒に『ライトターン』を命じ、25分21秒には、東京ATCに『request from immediate trouble request return back to HANEDA descend and maintain 220』と交信している。 すでに「ドーン」の音からすぐに、大阪への運行をあきらめ、羽田へ帰還することを決心していたのではないだろうか?

ところで先に記した、「爆発を直感的に感じたための降下」であるとするならば、24000フィートから22000フィートへの降下は、なんの意味もなさない。 たった2000フィートへの降下では、なんらかの爆発による客室高度警報は、事態が解決されないためである。


その観点からも考慮すると、やはりたった7秒後の『スコーク77』は、早すぎるのではないだろうか?


緊急事態宣言

27分2秒、東京ATCは123便に対して『confire you are declare emergency tha's right?』と問い、緊急事態宣言の確認をおこなっている。 これに対して123便は『Tha's affirmative』との返答をおこない、正式に緊急事態を宣言したことになる。

さてこの1分ほど前、航空機関士が『ハイドロプレッシャーがおっこちています』と発言していることから、すでにこの段階で、油圧による方向舵、ならびに昇降蛇が機能しなくなりつつあることを伺わせている。 そして27分47秒に『ハイドロプレッシャーオールロス』との発言から、この段階で完全に油圧が作動しなくなっていることになる。

このとき、123便は伊豆半島西方の地点、高度24400フィート、280ノットで巡航中であった。 22000フィートへの降下を東京ATCに要請したにもかかわらず、逆に高度は上昇しつつあったのであった。 


アンコントロール そして日本語

羽田へ帰還することを決心したため、123便は大島へのレーダー誘導を要請した。 25分49秒のことである。 その後28分31秒には、東京ATCから『fly heading 090 radar vector to OSHIMA』と交信をおこなっているが、これに対して123便は『But now uncontrol』と回答している。 このときすでに油圧システムが作動しなくなったため、操縦不能におちいっていたと思われる。

さてその後の交信では、31分2秒に『can you descend?』と東京ATCが質問したのに対して、123便は『now descending』と回答している。 このとき静岡県焼津市の北方、24900フィート、250ノットであった。 さきほどよりも、さらに高度は上昇しつつあったのである。

また31分26秒の東京ATCとの交信で、はじめて『これから日本語で話していただいて結構ですから』との指示があった。 


なぜ火災警報音?

素人考えてみても、なぜ123便に「火災警報音」が鳴っていたのか、その要因が気になるところである。 CVRの全記録を見ても、航空機内に火災が発生していたと言うことを決定づける発言はないし、多くの目撃証言にも、「煙をだしていた」とか、「火を噴いていた」といった記録は残されていない。 

ところが、123便のコックピットでは、火災警報音が全部で4回ほど鳴っているのである。 30分29秒、30分50秒、31分36秒、そして墜落直前の56分12秒である。 

特に、3回目の31分36秒の警報のあとには、副操縦士が『どこが?』と発している。 ホントにどこに火災が発生していたのか、未だに不明である。


そして懸案のR5ドア

墜落直後の報道では、さかんに「R5ドア」が取りだたされていた。 その原因となるのが、この航空機関士の発言である。 35分34秒の日航東京本社と123便との社用無線交信である。 33分30秒から呼び出し続けられた社用無線に対して、『いま、あのー、アールファイブのドアがーブロークンしました それでー いまー ディセントしております』

一見すると、「えー」とか、「あー」とか、茶髪の女子高生のような会話であるが、なんたって緊急事態であるから、それなりに緊張していて、思うように言葉が出てこなかったのが伺える。

さてこの航空機関士の「R5」ドアについてだが、その根拠となるのは、客室乗務員とのインターフォンを利用した交信による情報である。

31分50秒の『えーと なにがこわれているんですか?』、32分0秒の『荷物を収納するところですね?』、32分4秒の『うしろのほうの いちばんうしろのほうですね?』などである。そして機長への報告は、32分17秒に、『荷物の収納スペースのところがおっこってますね これは降りた方がいいと思います』と進言している。

そしてさらに、客室乗務員に対してオキシジェンの調査を命じた航空機関士は、33分29秒にその結果を得て、33分37秒に『アールファイブのマスクがストップですから・・・』と機長に報告している。


果たして、「アールファイブのマスクがストップ」から、「アールファイブのドアがブロークン」と変化していった要因というのは、いったいなんだったのか?


ところで、社用無線ではその後、『羽田に戻ってこられますか?』との質問に対して、航空機関士が『ちょっと待って下さい いまエマージェンシーディセントしていますので もうすこししたらコンタクトしますので このままモニターしておいて下さい』と回答している。


空白の10分間

緊急事態を宣言した123便だが、実は、31分28秒から40分44秒までの、おおよそ10分間、東京ATCは123便に対して、一切の交信をおこなっていないのである。 さらに言及すると、40分44秒の東京ATCからの、『JAPAN AIR 123 周波数134.0に切り替えられますか?』といった呼びかけに対して、123便は応答していないわけだから、実際に123便が応答する46分9秒の『ジャパンエア123 羽田にコンタクトしますか?』まで、14分近くも、東京ATCは、123便と交信していなかったことになる。

素人考えであるが、緊急事態にある航空機に対して、14分近くも放ったらかしておくのは、ちょっと疑問に思われる。 具体的な対策について、地上からなんらかの指示を出すと思うのだが...

ちなみに、「羽田にコンタクトしますか?」との意味は、「羽田の進入管制へ無線を変更するか?」との意味である。 実際、無線を羽田へ変更した場合、123便に対する指揮権は、東京ATCから「羽田進入管制」(以下:東京APC)へと変更になることになる。 このときの123便、大月市上空を旋回して、5分間で22400フィートから13500フィートへと、降下しつつある状況であった。 一般的に、離陸したあとと着陸時には、航空機は航空管制からの指示によるものだったのが、進入管制からの指示を受けることになる。 でもこの場合、羽田はまだ遠いような気がするのだが... ちなみに「ぼくは航空管制官」のゲームの場合、羽田の進入管制へ変更となるのは、航空機が東京湾上空を旋回してからであった。
高度が進入管制へ変更するための適正値だったのかは、いなちゃんには分かりかねるが、東京ATC、ここで指揮権を変更したかったのだろうか?


横田基地の支援開始

45分37秒から、横田基地の航空管制からも、無線交信が始まることになった。 『JAPAN AIR ONE TWENTY THREE YOKOTA APPROACH on ground. If you hear me contact YOKOTA 129.4』である。 この横田基地からの呼びかけは、このあと30秒〜60秒に1回くらいの割合で、計13回ほど呼びかけられている。

これに対して、123便は、45分46秒に『ジャパナ123 アンコントローラブル』と回答するのみだった。 このとき123便は、横田基地にもっとも近づいているときだった。


そして北方へ変進

先ほど記した、46分9秒の『羽田にコンタクトしますか?』の交信あたりから、123便の進路は、突如として北方へ変進することとなった。 そして46分33秒に機長は、『これはだめかもわからんね』と漏らしている。 これに対して航空機関士も、47分16秒に、『ハイドロクオンティがオールロスしてきちゃったですからなあ』と発言している。 47分7秒に『request radar vector to HANEDA ah KISAZAZU』と、レーダー誘導を要請しつつも、突如として北方へ進路が変わってしまったことなどから、機長はなにかを感じてしまったのであろうか? 47分17秒の、東京ATCからの『現在コントロールできますか?』との問いに関しても、機長は『アンコントローラブルです』と回答している。

このとき123便、羽田から徐々に遠ざかりつつあるときであった。


山岳地帯での操縦

北方に進んだ123便に待ち受けるものは、奥多摩の山々である。 47分44秒の『コントロールとれみぎ』から始まる、運行乗務員の操縦は、47分55秒の『ライトターン』、47分59秒の『マックパワー』、48分5秒の『レフトターン』、48分16秒の『パワーちょっとしぼって』、48分40秒の『やまいくぞ』、49分11秒の『ふかしましょう』、49分39秒の『あーだめだ』というように、操縦の困難さを伺わせるものであったと思われる。


東京ATCとの交信

TVで放送された、機長の『アンコントロール ジャパンエア123 アンコントロール』の交信は、この山越えのあとの53分31秒におこなわれたものである。 これは東京ATCからの呼びかけに対して、123便が返答したものであった。 その交信によって、東京ATCは『123 了解しました』と回答したあと、53分45秒に、123便は東京ATCからの交信によって、周波数を119.7に変更することになった。 この変更が、東京ATCから羽田進入管制への交信変更であった。

ちなみに、航空用語で「119.7」は、「ワン ワン ナイナー デシマル セブン」と読むそうです。 

このとき123便、三国山の南東方角、先ほどよりもはるかに羽田から離れた場所に位置しており、高度13400フィート、速度は180ノットであった。


リクエストポジション

周波数を119.7にセレクトした123便が、はじめの東京APCとおこなった交信は、54分25秒の『リクエストポジション?』であった。 この時点になると、操縦にすでに余裕がなくなりつつあるのか、交信はこれまでおこなっていた機長ではなく、航空機関士がおこなっている。 

この問いかけに対し、東京APCは、54分30秒に、『JAPAN AIR 123 your position 45 miles north west of HANEDA』と回答するが、これは、羽田から北東45マイル、熊谷から西25マイルの地点ということを意味している。 


そして東京APCは、続いて55分5秒に、『こちらのほうは いつでもアプローチ いつでもレディになっております。 なお横田と調整して 横田ランディングもアベイラブルになっております。 インテンション聞かせて下さい』と交信している。 つまり、羽田は直ちに着陸態勢に入れる状況にあるということ、そして普段は民間航空機が侵入しない横田基地も、非常事態のため使用できるということを伝えているわけなのだが、このとき123便からのインテンションは最後までなかった。


フラップアップ

東京APCが123便に呼びかけていた頃、123便では奥秩父連山の山々に囲まれた状況にあったと思われる。 このときの123便、高度11300フィート、速度は180ノットと、速度がかなり低下してしまっていた状態であった。

飛行記録によると123便は、一度長野県上空に差し掛かっていたことになるから、機長は迫り来る山々を回避して、近隣の川上村の高原畑に高度を下げ、不時着を試みたと思われます。 55分1秒に『フラップは降りるね?』と、確認している。 

ところが思いの外、機首が下がったのか、55分15秒、55分17秒、55分19秒、55分27秒と、さかんに『あたまをあげろ』と指示を繰り返すこととなっている。 

通常フラップは、着陸時に降ろすものであるが、55分51秒から機長は、『フラップアップ』を繰り返し発言している。 そして副操縦士も、55分49〜50秒のわずか2秒に、『フラップアップ』と、悲鳴とも思えるように、4回も繰り返し発言している。 このとき123便の運行乗務員は、極限状態だったことが伺えると思われる。 すでに油圧システムが使用不可になっていたことから、オルタネート(電力)で、フラップを降ろしていたため、この作動が時間のかかるものであったらしい。 そののち、さかんに機長は『フラップアップ』を繰り返し、副操縦士も55分59秒に、『(フラップ)あげてます』と発言している。 

そして55分47秒から、機長が繰り返し発言する『パワー』、56分4秒から繰り返す『あたま上げろ』。 これらの操縦の甲斐なく、56分23秒と56分26秒の2回、衝撃音が記録され、その2秒後に、録音が終了されている。

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CVRを振り返って

さて、これまでの交信記録とコックピット内の会話記録を、振り返ってみると、やはりというか、疑問を持たざるを得ない点が、いくつかあると思われる。

そのなかで今回1つだけ提示するとすると、本掲載にもある「空白の10分間」である。 


123便が東京ATCとの交信をおこなわなかったあいだ、123便は、羽田を目指して、飛行をおこなっていた。 当初コースからは、大きく迂回しながらも、そのまままっすぐ飛行すれば羽田に到達していたであろうコースである。

針路が北方にずれた後の交信で、『羽田のランウェイ22ですので、ヘディング090をキープして下さい』とあるが、これは、滑走路の方位が220度、すなわちほぼ南西であるから、123便のコースは限りなく羽田を目指していたコースといえる。


ところが東京ATCとの交信が始まるやいなや、123便はその羽田帰還コースを大きくそれることになる。 果たしてこの「空白の10分間」に、いったいなにがあったのだろうか? 疑問が残らざるを得ないと思われる。  そしてその交信のあと、東京ATCは東京APCへ、交信を移管しているが、これにはいったいどどういう意味があったのだろうか? いなちゃんの中で、大きな疑問となって残っている。


最後に...

往々にして、このような公共的な交通手段における「〜長」というものは、いかなる状態であっても、その責任追及をされやすい。 遠い昔の「洞爺丸」の沈没事故の時も、同じようなことがあった。 船長が進んで沈没させたわけでもないのに、船長の親族は、加害者的イメージを植え付けられ、その後、遺族に対して謝罪して回ったという。

この123便の場合も、ある運行乗務員の家族は、すぐに遺体の身元確認には行けなかったとのことであった。 やはり加害者的イメージを植え付けられてしまったのかもしれない。 


だがこのCVRを見れば分かるとおり、機長をはじめとした運行乗務員は、最後の最後まで最前の策をとり、帰還を目指していたし、その責務は、会話の中からも充分に伺えるものである。 別に、機長が逆噴射をかけて、墜落させたわけではない。 そのことは、誤解のないようにしなければならないと、今回の掲載を通じて認識した次第である。

もっとも、乗客の遺族にしてみれば、誰かに怒りをぶつけないと、やり場がなくなってしまうのであろうが...


この掲載をおこなうにあたって読んだ本の中で、1つ印象に残った部分がある。 吉田氏が著した「墜落の夏」という本の中で、ある整備担当者がつぶやいた一言であったが、「航空会社は、篭屋に過ぎない。 タクシー会社がどんなに頑張っても、車を作れないように、航空会社がどんなに頑張っても、飛行機は作れない。 だからメーカーからいわれたとおりの整備しかできない。」 確かにその通りである。


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http://www.tt.rim.or.jp/~junichi/123/123-003.htm

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