★阿修羅♪ > 昼休み9 > 495.html
 ★阿修羅♪
無意識体 意識体 常時一体型 是同時進行
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/495.html
投稿者 金十字架 日時 2008 年 1 月 12 日 20:24:21: mfAWtS4GF8MpY
 

(回答先: 志Universe 投稿者 金十字架 日時 2007 年 12 月 26 日 00:58:05)

「灰はのち薪はさきと見取すべからず
 因は先 果は後にあらざれど
 因円満し 果円満す
 前菊後菊如如なり
 前末後末如如なり

 渾身似口
 通身是眼睛
 眼処は聞声す
 通身処の聞声あり
 遍身処の聞声有り

        道元 」

「夫れ生の体翼已に〃〃之を断てり
 然れど生 更に心翼を有せり
 此翼や生の真心より生じ
 道以て筋骨となし
 理以て羽毛と為す
 焼けども焦げず
 浸せども濡はず
 漠然としてそれ雲の如く
 飄然としてそれ風の如く
 顕乎として有なるも
 存ずるにあらざるなり
 茫乎としてそれ虚なるも
 無きにあらざるなり

      西田幾太郎 」


http://oparin.no-blog.jp/about.htmlより抜粋

直観といふのは,(中略)我々が直に物と合一するといふことではない,
自己自身の底に絶対の他を蔵し,
自己は自己の底から他に転じ行くと云ふことでなければならない.
自己と他とは一となるといふのではなく,
自己の中に絶対の他を見ると云ふことでなければならない.

かかる過程は絶対の他の中に私を見,
他が他自身を限定することが私が私自身を限定することであると考えることができる.私が内的に他に移り行くといふことは逆に他が内的に
私に入って来るといふ意味を有していなければならない.

我々が各自の底に絶対の他を認め互に各自の内から他に移り行くといふことが,
真に自覚的なる人格的行為と考へられるものであり,
かかる行為に於いて私と汝とが相触れるのである.
即ち行為と行為の応答によって私と汝が相知るのである.

私の意識と他人の意識とは絶対に他なるものでなければならない.
私の意識は他人の意識となることはできないという意味に於いては,
私は絶対に他人の意識を知ることはできない.
絶対に対立するものの相互関係は互に反響し合ふ,
即ち応答するといふことでなければならない.
何処までも独立に自己自身を限定するものが,
自己限定の先端に於いて相結合するのが応答といふことである.

官感的限定と考へられるものにも,
既に人格的限定の意味がなければならない.

私が私自身を知るといふにも,
物が私に呼びかけるといふことがなければならない.
我々が自己に於て見る感覚的なるものが,
他として私に呼びかけることによって,
私は私自身を知ると云ふことができる.

自己が自己に於て絶対の他を見ると考へる時,
我々の自己は死することによって生きるという意味を有し,
他の人格を認めることによって自己が自己となる,
私の根底に汝があり,
汝の根底に私があると云ふことができる.
かかる弁証法的規定に於ては私に於て見る他と考えられるものは,
単なる他ではなくして汝の呼声の意味を有していなければならない.
すべて表現と考へられるものはかかる意味を有したものでなければならない.

自己が自己自身の底に自己の根柢として
絶対の他を見るといふことによって
自己が他の内に没し去る
即ち私が他に於て私自身を失ふ,
之と共に汝も亦この他に於て汝自身を失はなければならない,
私はこの他に於て汝の呼声を,
汝はこの他に於て私の呼声を聞くといふことができる.

客観的精神と考えられるものは,
尚我々が内に絶対の他に撞着し
絶対の他の中に没入することによって聞く
自己自身の声と考へることができる.

意識が志向的であるといふことが既に意識は存在として
自己否定を含んで居るといふことができるであらう.

我々の人格的自己の意識統一といふものが考へられるには,
現在の意識そのものの底に無限の深さといふものが考えられねばならぬ,(中略),
それは自己自身の底に絶対の他を含むと考えへられるものでなければならない.

過去が未来を限定するといふのでもなく,
さればと云って単に未来が過去を限定するとも考ふべきではない.
それは唯現在が現在の底に自己自身を限定するといふことから考へられるのである,
即ち瞬間が瞬間を限定するといふことから考えへられるのである.

自己を限定するものは (中略)
時を包み時を内に限定する永遠の今の自己限定に求めなければならない,
時そのものを限定する空間的なものに求めなければならない.

個物が個物自身の底に絶対の他を見るといふことは
自己自身の底に絶対に自己自身を否定するものに撞着する
といふ意味を有していなければならない.
かかる意味に於て絶対の他と考えられるものは,
私を殺すといふ意味を有して居ると共に,
我々の自己は自己自身の底にかかる絶対の他を見ることによって
自己である
といふ意味に於て,それは私を生むものでなければならない.

*******
カール・グスタフ ユング: ユング 錬金術と無意識の心理学

■キリスト教徒であることを自ら疑わない一方,異教的グノーシス的であり錬金術師であった医師パラケルスス1493-1541の『長寿論』をめぐる解説書,解釈書であるがユングの錬金術論の骨子が述べられているように思う,パラケルススはファウストのモデルであるという.
■キリスト教は,神の子イエスの出現の圧倒的な光によって,自然の内にある光の存在を抑圧してしまった.神の子の光は,自然の闇をなおいっそう黒くしてしまった.しかし錬金術師たちは闇の中にそれなくしては闇が闇でなくなるような小さな火花が隠されていることを発見した.闇は一かけらの光を蔵しているからこそ闇なのである.光がどれほど弱いものであってもこの方が重要だと彼らは考えた.
■ユダヤ=キリスト教の神は,原初の霊水を上なるものと下なるものに分け,上なる水を天の上に,下なる水を地の下に置き,間に天空を置いて,光と闇を創り出した.
■人間も神の創った自然の一部である,自然の光は天の光とは別に輝いている.両者は感応しあっている.病は身体そのものからだけではなく,自然(星辰)の変調からも生じる.草や鉱物,種々の化合物が薬剤として効き目を現すことがあるのもそのためだ.
■しかし人間は神に似せて創られた.神の秩序は大宇宙であるが人間はその小宇宙である.「父なる神は人間を下から上に向かうように創り,神の子を上から下に向かうように創りなした」.教父エピファネウスは人間の「深い沼」を「精神から生み出されたもの,つまり卑猥な想念や穢らわしい罪の意識」と解釈したが,錬金術師たちの見解は異なった.魂の暗部に隠されているのは単に悪だけではなく,救済を求め救済される可能性のある王の子がいる.王の子は火から生まれる.また,アダムとイブの楽園追放後も,下半身が蛇または魚である神話的女性メルジーネ(ケルト神話起源)が,人間の血液(=魂)に命脈を保ち続けていて,無意識の魂(アニマ)として泳いでいる.第一質量とは「根源的水分」「水の精気」「土の発散する蒸気」である.王の子が錬金術の作業「レトルトの蒸留」によって生命を与えられると「火の戦士」となる.錬金術の本質は,第一質量を,能動的原理=魂と受動的原理=身体とに分かち,しかるのちに両者が「化学の結婚」,合一(=コンユンクテイオ)によって人格化され再統一されるところにある.
■ユングは,中世の錬金術は,神の世界秩序に対して人間が空前の介入を企てる道を切り開いたという.錬金術はこの時代,秘儀である一方,科学時代の夜明けをつげることになった,科学的精神のデーモンが,自然の諸力をかつて例のなかった強引さで人間のために役立てようとしたからであった,
■日本では「王の子」はホオリ,「メルジーネ」はトヨタマヒメである. (★★★★★)
C.G. ユング 1921初版: タイプ論

林道義訳.1987.みすず書房.

■ユングが自己の立場を確立した主要著作.640頁の大著である.全訳は比較的最近のことである.心理学的タイプ論は354頁をすぎてようやく始まる.
■そこまではキリスト教とそのエナンチオドロミー(補償作用)としてのグノーシス主義運動,唯名論と実念論,ゲーテとシラー,ニーチェにおけるアポロ的なものとデイオニソス的なもの,ファウストとメフィストテレスなどを挙げて,心理学的タイプ論を詳述する以前に,発想の導きとなった西欧思想史上の例証が延々と述べられる.
■そこに外向と内向,直観と感情,主要機能と補助機能など,本書で明らかにされるユング心理学の主要概念が胎児の状態で出産をまちわびているかのようである.しかしその部分が長いので出産に立ち会う前におおかたの読者は眠りこけてしまうかもしれない.
■客体世界への適応をはかる際の構えや方向づけの相違により,人間には外向的タイプと内向的タイプがある.前者は,自分の寿命が短くなっても客体世界の間に子孫や業績を残すことで適応をはかり,後者は自己の内界の調和を実現することで自己の生存をはかる.
■外向的タイプは,知覚や認識は,客観的な既成事実を基準として方向づけられ,判断や行動は客観的な状況に左右される.内向的タイプは,知覚や認識は外界の刺激を受けとる際の主観的素質を基準として方向づけられ,判断や行動は主観的な決定因によって決まる.
■様々な文化においてこの両タイプが存在することが確かめられるし,同じ環境で育つ兄弟姉妹の間にも両タイプが混在することがありうる.だからこれはほとんど生物学的な事実であり,遺伝的に(生来的に)決定されているという.
■この2つの一般的タイプがまたいくつかのタイプに別れる.それは適応や方向づけに際して働く思考,感情,感覚,直観の4機能のうち,何が主要機能で何が劣等機能か,何が補助機能かによってもタイプの違いが現れるからである.
■思考と感情は理性的判断によって行動するための機能であり,合理的機能である.感覚,直観は知覚の強さによって行動するための機能であり非合理的機能である.
■こうして外向型に関しても,外向思考型(思考が主要機能で感情が劣等機能),外向感情型(その逆),外向感覚型(感覚が主要機能で直観が劣等機能),外向直観型(その逆).の4タイプが別れる.
■主要機能は意識的であり,劣等機能はそれを補償する無意識的機能である.外向思考型で,職場環境にひたすら順応することを意識的に心がける人物が,相反する内向的感情を無意識の内に持ち,それが適度にバランスと取る働きをするが,あまりにその「心がけ」が過度になると,無意識的感情が反逆して症状という警告を発する.そういう今日的な現象もそうしてみるとわかりやすい.
■この4タイプはさらに,主要機能が働く上で何を補助機能としているかによってもさらに下位分類される.外向思考型において感覚が補助機能として働くなら,その「心がけ」を実践する上で職場環境に対して鋭敏な感覚を働かせ,思考がよりよく働くように補助するというわけである.この場合,直観も劣等機能となる.内向型に関しても,同様に4分類されさらに下位分類が可能である.
■ある人がどのタイプであるかを判定する際に重大な困難があるのは,その人の意識的部分を見て判断するか無意識的部分を見て判断するかによって正反対の判断をしてしまう可能性があることによる.一般に意識的部分が外向的(内向的)な場合,無意識的な部分は内向的(外向的)だからである.
■また観察者自身がどのタイプに属するかによって結果は替わってくる.外向型の人間には内向型の人間が理解できないか理解困難である.ユングによればフロイドは外向型であったため,無意識の機能を願望とのみ考え,内向型を自己愛的,自体愛的な偏りとみなす結果になったという.
■ユングはフロイドと同じく「リビドー」という言葉を使うが,フロイドがそれを「性本能」として実体概念としたのと異なり,「心的エネルギー」と同義で心的な出来事の強さ,心理的価値を表す概念だとする.

C・G・ユング: 心理学と錬金術 (2)

池田紘一,鎌田道生訳.人文書院1976.

無意識というものが,心の意識化しえない残余の部分というよりも,そもそも意識とは無関係に自律的に活動するものであり,その類似物を外界に見いだすとただちに自己を投影する何かであるということ,闇に囚われたその無意識なるものの中心を解放し実現するという,それもまた無意識的な願望が,古代から17世紀まで続く錬金術師たちを動かしていたものであったと,ユングは言う.「哲学者(賢者)の石」「不老不死の薬」は実現されるべきものの象徴的表現であり,錬金術師たちは現実にそれを精製しようとして,そういう心の願望やそれを実現する心の条件を,もっぱら物質的な作業や過程の中に無意識的に表現している.近代以降の化学的知識がなかったからこそ,導きの糸になったものは自らの無意識的な心理であったのである.そこでは夢や能動的想像という心理療法と同じやり方が奇しくも用いられる.キリスト教徒は自分を救済するために神に祈るが,錬金術師は物質(に投影された自己)を救済するために作業をする.不滅の物質が潜んでいるプリママテリア(第一質料)とは錬金術師の無意識的な内容が投影されている未知の物質であるので,それが具体的に何であるかは錬金術師達によって表現が異なる.水銀,硫黄,水,霊,龍,,,.いずれにせよそれは「おのれ自らの根」であり,他からの干渉を受けない自律的なものである.パラケルススの考え方によればそれは「アブラハムの生れいでぬ前より在る」(ヨハネ福音書)根源物質であり,「母なる神」(神が創造しなかったもの)にも等しいある原理を指し示すものである.このように錬金術において神性という観念さえも物質の中に投影するようになったことが,一方では近代の唯物論に基づく化学の発展の出発点を用意することにもなった.プリママテリアにはひとつのヌース(霊)がひそんでおり,それはピュシス(自然・物質・肉体)との合体によって暗きものに呑みこまれている.グノーシス主義的な考え方ではそれは女性的な大地(母なる神)であったが,錬金術師の場合呑み込んでいるものは大地ではなく,我と我が身を喰らうウロボロス(龍)の形態を取る言わばヨリ物質的な霊であり,男性的精神的?女性的肉体的の両方を併せ持つヘルマフロデイトス(両性具有体)である.錬金術師は彼が求める不滅の物質に<自己>を投影し,そのような意識は微塵もなかったにせよ無意識の内にそれを<神>と同等のものと見ていたのである.ユングにとって錬金術思想とは無意識の内に継続され反復され変形されるキリスト教思想である.ユングはゲーテの「ファウスト」とニーチェの「超人」に錬金術思想の近代的化身を見いだすが,そこに自律的無意識を強引に自分のものとしようとする意識の倨傲をも見る.その後のヨーロッパ史の悲惨(ナチズムに代表される意識の崩壊)を見るにつけ,心の神秘を前に,己の無知を知ることこそが人間のなしうることだと,慎重にだが確信を持って言う.

C・G・ユング.1951(第2版): 心理学と錬金術 (1)

池田紘一,鎌田道生訳.人文書院1976.  

ユングがなぜ錬金術を心理療法の過程,人間の個性化過程の象徴としてくり返し取り上げるのかということはそれ自体興味深い問題である.今日でもキリスト教文化がヨーロッパ人の意識の表層を形成している中で,それを補償するものとして,異端(グノーシス主義)の形象や,前キリスト教時代の諸象徴,中世の錬金術の教えやその図象,東洋のマンダラ図などが,無意識の象徴として出現するとされる.ユングにとって錬金術は,そうした異端的な形象や象徴を代表するものであったのだろうし,異なる物質の結合によって,最も下なる物質(プリママテリア)から最も上なる物質(哲学者の石であったり,不老長寿の薬であったりする)を作り出すという中世の錬金術師の情熱は,信仰に頼ることができない近代人の自己実現への焦迫を象徴するものであるのだろう. しかし,そればかりでなく,ユングが個人的に錬金術の諸図象に強く惹かれるものがあったのであろうと想像する.この2巻本の中にはこれらの異端的な図版159葉が収められており,それらを眺めているだけでも興味深い.第一巻は「錬金術に見られる宗教心理的諸問題」と「個体化過程の夢象徴」とから成り,後者では,個性化(本訳書では「個体化」)過程にある知的な男性の一連の夢を,心理療法初心者に聞き取らせ,ユングの影響ではないということを示しつつ,夢や幻覚の中に現れた様々な形象(マンダラ,アニマなど)のドラマを追跡する.ある夢は元型の性質を物語って興味深い.夢見者がその夢の中で聴いたニンフの声は「あら私たち(アニマ元型)はいつだって居たんですよ.あなたが私たちに気づかなかったけですわ」というものだった.アニマは女性的なものであるが,この男性にとって心の4機能(思考,感情,直観,感覚)のうち感情は劣等機能であり無意識になっていた.アニマはこの感情機能のシンボルでもある.なるほど劣等機能としての感情は「いつだって居た」.自己実現とは劣等機能を意識に結合し,4機能を生かす過程であり,優越機能(この男性にとっては思考)を無意識にしてしまうこと(退行)の反対である,錬金術の言葉で言えば,黒化(抑鬱),白化(昇華),赤化(光り輝くこと)などを経て,顧みることのなかった心の部分(魂:アニマ)に翼を与えることである.ユングはこの男性の夢内容を,上述の様々な文献の中に対応物を見いだしながら,特に<自己>(本訳書では「個我」)元型の投影であるマンダラ夢に注目し,共通の中心を持つ垂直円と水平円という「黒い鳥によって支えられた宇宙時計」のイメージにたどりつく.ずいぶん知的なイメージだなと思う.

C.G. ユング: 元型論

林道義訳.1999.紀伊国屋書店.

ユングが主要概念「元型」について述べた9論文を収めた大著,ユングがフロイドと訣別することを通して血路を切り開いた「心の現象学」である. 心の働きは意識と無意識からなり,無意識は環境との相互作用によって形成されてきた個人的な領域(影)と,生得的に持っている集合的な領域(元型的内容)とがある.元型は明確に定義し難いものであるが,実は「影」(社会的ペルソナの影に隠されたもの)も元型の一つである.というのも人間である限り誰の心も本来「影」を持つからである. ペルソナの維持が社会や個人の主要で強制的な課題になると,人々は自分の「影」を意識しなくなる.投影物を失った「影」元型が人々の心に形のない焦迫を生み出すが,「影」を失った人々はますますペルソナにしがみつき社会的イデオロギーや集団への帰順・服従が救いになる.ナチスや収容所国家の災忌はこの極端な例である.ペルソナを緩めて「影」元型の力を受け止め,投影内容(個人的影)を意識し対面し対決することができるならば,「影」が心の内に統合される可能性が開かれる. ユングはこの本の中でこの「影」のほかに「アニマ(男性の内なる女性的なもの)」,「母?娘」「童児」「トリックスター」「精神(ガイスト)」などの元型を取り上げて,例によって神話,民話,おとぎ話,錬金術,秘教的キリスト教などを引きながら,そのイメージを論述する.元型は夢や空想の中での象徴的イメージ(投影内容)としてしかその存在を覚知されないが実在するものである.夢の中に,個人的な記憶や知識にさかのぼることができないイメージが現れればそれは個人的無意識よりも深い所から発する元型的なイメージである可能性がある. ユングは人間の心は現実の母親や父親との交流以前に,たとえば「母」元型「父」元型をもともと持って生れているのであり,現実の母親や父親のふるまいにそれらが投影されることによって,元型が調和的に働くこともあるが,調和を失って元型の力が孤立的に働き意識が方向を見失うこともあると言っているのである.そのような元型の働きをそれと受け止め意識の中に同化していくことが,重要だと言っているのである. 単純化を恐れずに言うならば,フロイドは症状を形成する無意識の働きを,個人的な環境(精神性的発達の問題)の中に原因を求め(還元し),抑圧されたものを明るみに出し自覚することで解決をはかったのに対し,ユングはフロイド的なやり方で問題が解決する場合も多いことを認めつつも,必要な場合には元型がその内容を展開するのを見守り,意識がそれを同化することができるようにし,人間の個性化,自己実現を重視した.フロイドが原因についての知的な理解・自覚を重視したのに対し,ユングは目的論に立っている. こうしてみると「元型」という概念は「本能」という概念に類似することに気づく.この場合の「本能」とは,言葉を話すということが人間の本能だという意味での本能である.言語は人間に生得的な働きであるが,生後の環境の中でその文化固有の言語刺激をふんだんに受けることによって初めて解発される本能的な行動機構である.言語以外にもヒトという種に固有の生得的な行動がある(フロイドの「リビドー」もその一つ)のと同様に,心にもそのような生得的な機構・器官があるというふうに理解できる.しかしそれそのものは不可視であり,投影されたイメージによってしか接近できないために,またそのような体験を持たないと理解し難いために,神秘的な印象を与えてしまうものでもある. ユングにとって星々を結ぶものが意識であり,できあがった星座が自我であるが,それを背後から支え統一と調和を与えるものが<自己>である.この<自己>も元型である.

C.G. ユング 1945.: 転移の心理学

林道義・磯上恵子訳.みすず書房1994初版.

心理療法家ユングの渾身の書.心理療法における転移と治療者の側の無意識に布置する逆転移(ユングは「逆転移」という言葉を使っていない)との結合の問題を解きあかすものであるが,他のユングの書とほぼ同様に,そうした現象の仔細やその経過,解決の過程を直接に述べるのでなく,中世の錬金術に関する原理的な書物(「哲学者の薔薇園」)とその10枚の挿絵を機軸に,比喩的象徴的に述べる.異なる物質を結合させて新しい不滅の物質を生み出そうとする錬金術師の理論や実践は,近代化学の知識がない時代に,術師の宗教的な信念やその変形,術師の無意識的な観念の投影されたものであった.ユングはそれを読み取り,現代の心理療法における最も深遠な課題に直面した際の示唆をそこから受け取り,それを変形させる形で転移における結合のイメージを紡ぎだす.錬金術や中世の秘教的文学や社会運動,初期キリスト教哲学(インド哲学,タオイズム,禅も加わるが)の言葉と,臨床心理学の言葉を適宜調合されているのだが,この調合は絶妙で説得力に富む(といっても経験ある臨床家や想像力に富む人以外には読解は困難と思える).ユングのこの書に賭ける意気込みは並大抵のものではなく「鬼気迫る」と言ってもいいくらいである.刊行は1945年であり第二次大戦の惨禍の真っ只中でこの著作を準備していたのであろう.ユングにとって転移問題は心理療法内部だけの狭い問題ではなかった.転移とは,心理療法に特有なものではなく,人間が他人と親しくなったり疎遠になったりする時にはいつでも働いている現象であるが,ただ心理療法においてはそれが,人間の自己実現.個性化の問題がのっぴきもなく問われてくる.自我が元型的な無意識の力(非我)をあくまで避けるならば問題(神経症的病)は解決せず,無意識の力に同化してしまうならば現実的な災忌(自殺等)が生じる.共存し難いものを共存させ,二律背反に耐える人間の全体性(ユングの言う「自己」であり自我を超越したもの,小宇宙)を獲得することが目標なのであるが,この「転移の心理学」においては,それが患者と医者双方の課題となっているところが特徴的である.結合とは患者と医師が直接的に結合することではなく,それぞれが意識化し難い自己の無意識(投影)内容を意識化し自己の意識の体系に結合することを共に行うことだという.ユングにとってそれは人が真似し勉強できるような「技法」「方法」であったのではないし,そうあるべきでもなかった,心理療法は必要な場合には全人的な関わりとなったのである.ここのところが,ユング自身が述べているように,ユングが世界に向けてメッセージを送っている由縁である.ナチスやスターリン社会主義国家(ソ連)は集合的無意識の世界規模での席巻であるし,近代国家が人間を大衆化(集合的無意識に揺れ動く人々)することしかしないことも自明となった.人間の全体性(普遍的なもの)を取り戻すことは,心理療法だけのテーマでなく現代社会において緊要事であると言っているのである.

香川 勇, 長谷川望 編著: 原色 色彩語事典?色の単語・色の熟語

黎明書房,1998.

色彩心理についての原理的な本に巡り合いたいと思っていたところに忽然と現れた好著. 表題の「色彩語」とは色名称の言葉という意味ではなく,色が現している意味という意味である.色とは自然の形ではなく自然の表情である.形が名詞に相当するとすれば色は形容詞に相当する.人間は言葉を創造するはるか以前から自然の表情に,自分たちの気分や感情を投影してきた.色には民族や文化を越えて人類に普遍的な深層の意味(ユングの言う元型的意味)がある.だからこどもの色の使い方,画家の表現,日常生活での色彩への配慮などに,洋の東西,歴史時代の違いを越えて(二次的三次的な意味の加工はあるにしても)共通の特徴があるのだという.赤,青,緑,黄,紫の3原色+2原色の5原色の立場から構造的な色彩の意味を画定していく筆致は手際よく,簡潔で速度がある.またこどもの絵,近代絵画,短歌,小説からの色彩や,色彩表現の引用も要を得ており,こうした見方で,もっといろいろな事象に切り込んで行けるのではないかという思いを抱かせる.この本や著者らの研究グループがあまり有名でないのが不思議.なお「色の単語」とは個々の色相であり,「色の熟語」とはその組み合わせである

抜粋終わり
以上

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 昼休み9掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。