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悪魔の見えざる手
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投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 12 月 14 日 21:42:04: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 経済学の初歩:入門書など 投稿者 赤と黒 日時 2008 年 1 月 09 日 00:05:49)

http://nando.up.seesaa.net/image/econo_p.pdf

http://nando.seesaa.net/article/37734213.html

http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/

 序章


 巻頭言
 小泉が世間を席巻している。大きな波立ちを起こすように。
 ここでは、「改革」という言葉がキーワードだが、これはほとんど「革命」と言えるほどの熱狂を帯びている。また、小泉自身、「新世紀維新」と言っている。なんだか宣伝文句やキャッチフレーズの感じもするが、少なくとも本人がその気概でいることは間違いない。
 ただ、世間ではどうか? かなり熱気を帯びているが、熱気の方向がずれているようにも思える。一種のスターかアイドルでも登場したかのような気分である。マスコミの方は、それに辟易しているせいか、この熱気を冷まそうとするような言葉がしきりに出てくる。
 しかし、私は、現実をもっと正しく認識するべきだ、と思う。熱気に浮かれるべきではないが、かといって熱気を冷まそうとするべきでもない。問題は別のところにある。現実はまさしく「革命」「維新」に匹敵する、ということだ。このような歴史感覚をもつことが大事だ、と思う。つまり、今まさしく、われわれは歴史的な大変革の最中にあるのだ、と。
 どんな歴史であれ、歴史の最中には、その事件の意味を理解しがたい。何年かたって、または、何十年かたって、そのことの意味がわかる。しかし、わかったときには、もはや遅すぎるのだ。真実を知ったとき、たいていは、後悔を味わう。近い過去で言えば、「バブル景気」がそうだ。このとき、日本中が浮かれていた。「日本的経営の強さ」「生産性技術の革新」などと自惚れて、さんざん、宴を楽しんでいた。ブランドものが飛ぶように売れ、グルメブームとなり、誰もが楽しんでいた。しかし、宴の後、バブルが破裂してみれば、あとは無残なありさまである。そのあと十年以上に渡って、ツケ払いをするハメとなった。「あのとき、あんなに浮かれなければよかった」「あのとき、適切な経済運営をしていればよかった」などと反省する。しかし、あとで反省しても、もう手遅れなのだ。われわれが参加できるのは、「今現在」という時点に対してのみであり、過去に対して参加することはできないのだ。
 だからこそ、今というこの時点で、現在に対する正確な認識をしておくべきだ、と私は思う。
 今は小泉ブームである。しかし、このブームは、やがて終わる。それはそうだ。しかし、だからといって、「ほれ見たことか」と冷笑しても仕方ない。そんな冷笑的な態度は、引退した年寄りのやることだ。われわれは現実の社会に参加している。今このとき、何かをすることができる。「ふん、小泉なんて」と冷笑して、ほったらかして、自民党の保守派が復活するのを見守っていることもできる。あるいは、何らかの手助けをして、小泉の改革を助けることもできる。
 私がこう言うと、
 「ふん、たかが市民が何ができる」
 と冷笑する人もいるだろう。しかし、市民のできることは大きい。その一例が、菅直人だ。菅直人という人物がどう登場したか、ご存じだろうか? 彼は、かつて民主党の党首だったし、今でも民主党の準党首だ。しかし彼は、小泉のように地盤があって、そこから登場したわけではない。小泉は3代目の政治一家から生まれたが、菅直人は一市民の出身だ。彼はどうやって政治家となったか? 市民の力によって、だ。彼はもともと、政党には属しておらず、金も力も地盤ももたなかった。しかし、当時、大学生などを中心として、菅直人を支持する市民運動が起こった。「菅直人ならば政治を改革できる」と信じて、大学生たちが行動を起こしたのだ。当時、私は、それを見守っているだけだった。「学生の運動などで、何ができる」となかば冷笑していた。しかし、当時、小さな芽にすぎなかった菅直人は、そのあと、長い時間を経て、民主党を背負って立つまでに育った。(私はおのれの不明を恥じねばならない。)
 市民の力はゼロではないのだ。最近でも、勝手連が生じて、田中康夫を知事にした例があった。市民の力は存外に大きいのだ。
 ここで、私もまた、何らかの行動を起こすことにした。手足は動かさなくとも、頭を動かすことはできる。街頭で叫ぶことはできなくとも、インターネット上で叫ぶことはできる。 
 今や、世間は、小泉に浮かれている。しかし、浮かれているとき、人は、真実の姿を見失いやすい。バブルのとき、浮かれていて、真実を見失っていたように。
 だからこそ、私は、ここで、人々が見逃していることを記そうと思う。

 現状
 現状はどうだろうか? 
 小泉はたしかに、矢継ぎ早に、改革の方針を次々と打ち出している。しかし、世間がそれに追いつかないのだ。今の日本に見て取れるのは、「抵抗勢力」と「応援団」だけだ。妨害する勢力と、ミーハー的な勢力だけだ。
 本来ならば、「対抗勢力」となるものが必要だ。そして、それは、野党が担うべきだ。しかし今の野党は、その役割を果たしていないのだ。今の野党は、小泉のあとを追うだけで精一杯で、国会で小泉を叱咤するとか、褒めるとか、悪口を言うとか、そのくらいが関の山だ。自ら対抗案を出す、ということが、ほとんどできない。(→ 後述 ※ )

 では、野党のほかに、マスコミはどうか?
 マスコミもまた、頼りにならない。せいぜい、小泉のあとを追って、面白半分に、読者受けのする記事を報道するばかりだ。肝心の政策を突き止めようとはしない。肝心の政策については、小泉の広告係にしかなっていない。そして、政策について報道するかわりに、支持率がどうのこうのと、雰囲気のようなことばかり報道している。いったい、何のためにテレビや新聞があると思っているのだろう。今のマスコミ報道は、ただのワイドショーになりさがったとさえ言える。(→ 後述 ※ )

 というわけで、野党もマスコミも、自分のなすべきことをやっていない。つまり、小泉の先進性に、誰も追いつかないのである。せいぜい、追いすがって、ぶら下がるだけなのだ。
 どうせなら、批判するにしても、「ここがよくない」と具体的に政策の問題点を指摘するべきなのだ。「小泉の政策のこの箇所はこれこれの問題点がある。だから、かくかくのようにすればよい。それが対案だ」と示すべきなのだ。
 しかし、そうはしないで、まるで本質をはずれたところで、勝手に自己流のことを言い立てているだけなのだ。
 こうした状況は、好ましいものではない。以前は、「腐った与党と無能な野党」という対立があった。これは、それなりに、意味があった。(ごく低次元の意味が。)しかるに、総理ばかりが突っ走り、誰もそれに追いつかない、という状況は、どうも好ましいものではない。野党もマスコミも実質的に存在しない(役目を果たさない)となると、誰かがかわって、それをなすべきだ、となる。
 そこで、このホームページは、そうした役割を果たそうとする。
 以下で述べることは、単なる小泉批判ではない。小泉の意味をとらえ、その価値を分析してから、良いところはさらに伸ばそうとし、悪いところは正そうとする。つまり、政治評論として、当たり前のことをしようとする。
 結局、このホームページの目的は、ごく平凡なことである。しかし今や、日本にはこの平凡なことをする人がいない。突っ走る小泉に対して、支持するか邪魔するかのどちらかで、平凡なことをする人がいない。だから、私は、その平凡なことをしようと思う。


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 ※ 民主党の批判
 民主党は、ホームページを公開している。(http://www.dpj.or.jp/
 たとえば、独自性を出そうとして、「経済財政諮問会議の基本方針への批判」を出している。(http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0038.html
 しかし、これは「何がない、何がない」と悪口を言っているだけで、自分からの建設的な提言はほとんどない。分量も非常に少ない。説得力もない。学生のレポートのようなものである。さんざん批判しているが、内容は小泉の政策とたいして変わらない。毛色の違いぐらいだ。

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 ※ 民主党の公約
 民主党は、経済財政諮問会議の基本方針に変わるような、党の方針も示している。(http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0030.html
 これを見ると、なかなかよく出来ている。ただ、内容的には、経済財政諮問会議とほとんど変わらない。どちらが真似したか、といえば、時期的に言って、経済財政諮問会議の方が真似した、ということになりそうだ。民主党の方の日付は「2001年3月23日」なのに、経済財政諮問会議の方は「2001年6月21日」だからだ。
 ただ、経済財政諮問会議がこれを真似したか、といえば、どうも、そうとも言えないようだ。これらの政策は、民主党独自のもの、というよりは、政治関係の雑誌上(つまり、いわゆる「論壇」)で、しばしば繰り返されていた内容だからだ。識者ならば、誰でも考えられるような内容だ。つまり、真似したとしたら、「民主党の政策を」ではなく、「そのネタ元を」真似したのであろう。
 とにかく、民主党の政策は、経済財政諮問会議の方針とそっくりであり、「代案」と呼べるような代物ではない。そもそも、自ら立案したものではなく、世間の評論家の意見の「寄せ集め」としか思えない。そこにはおよそ独自性などはないからだ。
 (とはいっても、政党の公約は、学者の論文ではないのだから、他人の意見の「寄せ集め」であっても、悪くはない。そういう目で見れば、民主党の公約も、かなりよくできている。経済財政諮問会議よりも、いくらか上であるようだ。ただ、問題は、次に述べる点。)

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 ※ 民主党と経済財政諮問会議の差
 民主党と経済財政諮問会議とで、同じようなことを主張しているとしたら、その差はどこにあるか?
 経済財政諮問会議の方は、一応、閣議決定され、政府の方針となっている。小泉がこの方向で実現に動くことは、まず間違いないだろう。民主党の方がどうかと言えば、たぶん、逆だろう。どうも、鳩山の言行を見ていると、党の政策立案とは逆の方向に動いているとしか見えない。彼はたぶん、上記の「党の方針」に、目を通してもいないのではないか、と思われる。それほど、鳩山の言行と、この党の方針とは懸け離れている。
 だから、民主党は、(若手の努力で)どんなに立派な政策を出しても、ただの「ごたく」にすぎない。党首が実現しようとしないからだ。
 そもそも、鳩山は、トップとしての器量がない。「民主党なんてなくなってもいい」なんてほざいたりするようでは、党首としての資質を疑われる。そう内心思うだけなら問題ないが、そう口に出して言うようでは、党首として失格だ。要するに鳩山は「器量不足」の一語で片付けられる。菅と交替するべきだろう。菅がダメなら、若手でもいいが。とにかく、鳩山では、小泉とまったく勝負にならない。

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 ※ マスコミとワイドショー
 小泉政権を「ワイドショー政権」と呼ぶマスコミもある。しかし、そうか?
 本当は、政権がワイドショーなのではなく、マスコミがワイドショー化しているのだ。そこを勘違いしてはならない。
 ワイドショー自体は、別に良くも悪くもない。せいぜい、ただの無駄であり、人畜無害である。しかし、マスコミ(報道)がワイドショー化することは、問題がある。それは一種の責任放棄だからだ。
 マスコミが報道しないニュースには、いろいろとあるが、特に問題なのは、ホームページに関する報道だ。政府はさまざまな情報を首相官邸のページで公開している。それについての簡単な要旨ぐらいは、新聞やテレビでも報道するべきだろう。さもないと、そういう文書が公開されていることすら、国民は知らないままになる。
 もちろん、政府の分だけでなく、野党の分も、いろいろと調べて、簡単に報道するべきだろう。政府や野党のあちこちのページを丹念に見ていくような政治オタクは、一般国民中には、ほとんどいないからだ。(プロではないのだから、当然だ。)
 この程度の基礎情報ぐらいは報道してもらいたいものだ。紙面の一部をささやかながら割いてくれれば、それでいい。なのに、実際には、くだらないワイドショー的な情報ばかりを垂れ流す。首相の服装がどうのこうの、趣味がどうのこうの、首相への悪口がどうのこうの、と。やるべきことを、完全に勘違いしている。自分でそんなふうにしていて、まるで他人事のように、小泉を「ワイドショー政権」などと呼んだりするのだから、呆れるほかはない。少しは自己反省というものができないのだろうか。

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 私の立場
「偉そうなことを言うが、おまえはどんな立場なのだ」
 と質問する人が出てくるだろう。そこで、私としては、立場を明らかにしておこう。
 まず、私は偉いかどうかといえば、全然偉くない。小泉は日本で一番偉い。(少なくとも権力の点では。)一方、私は、在野の一市民であり、一番偉くない。
 次に、立場だが、私の立場は、右でも左でもない。むしろ、右とか左とか決めつけるような、硬直的な思考法とは、逆のところにある。
 世間ではよく、
   「あいつは右だからけしからん(保守反動め)」
   「あいつは左だからけしからん(共産主義者め)」
 とか難詰が言われる。そういうふうに「右だ」とか「左だ」とかいうふうにレッテルを貼るわけだ。しかし、こういうふうに「レッテルを貼って決めつける」というる態度は、一種の思考停止になる。
 私はもっと自由に考えたい。右とか左とかいうことにとらわれず、自由に思考をめぐらしたい。自由な立場でいたい。
 これは別に、「右」とか「左」とか、決めつけられることを恐れているわけではない。むしろ、私の立場は、右からは「左だ」と非難され、左からは「右だ」と非難されるだろう。そういうふうに、すべての立場から非難されるわけで、まったくもって割に合わない。
 が、しかし、そういうリスクを負った上で、私としては、自分の判断を、自由に保っておきたい。それが私の立場だ。
 換言すれば、これは、「一匹狼」の立場だ。そして、こういう立場は、小泉に似ていなくもない。実際、私もよく、「変人」と呼ばれたものだ。
(ま、小泉と私とでは、人物の格は、雲泥の差だが。) 

 小泉の基本方針
 私としては、小泉を、どう評価するか? 
 まず、全体的な感想を言えば、基本的には、とてもよいと思う。改革自体の方針がいいのではない。(改革の必要性ぐらいは、誰もが言っている。)小泉の良さは、改革に際して、見事に核心を突いている点だ。
 私はかねがね、日本には3つの巨大な癌があり、これを処置するのが是非必要だと思っていた。そのうち2つは、次の点だ。(残る1つは、後述。)

公共事業
特殊法人
 この二つは、途方もない巨額の金を無駄につぶしていた。何よりもこれを改善するのが大事だと思っていた。しかし、それは、実現が困難だと思えた。なぜなら、「公共事業」は自民党の利権であり、「特殊法人」は官僚の利権であるからだ。
 しかし、小泉は、この二つを最重視して、最初に手を付けた。この点、実に素晴らしいと思う。慧眼だとも言える。私としては、非常に高く評価したい。
 今となっては、「そんなの当たり前だよ」と思う人が多いようだ。しかし、コロンブスの卵である。人が言ったあとで、「そんなの知っているよ」というくらいは、誰でもできる。
 実際には、過去において、どうだったか? 
 歴代の自民党政権は、この二点には目を付けなかった。(自らの利権なのだから、改革したがらないのが当然だ。)
 野党もまた、この二点には目を付けなかった。野党がやっていたことは何かといえば、参院選での勝利が目的で、政府の揚げ足取りをすることに熱中しているばかりだった。「森総理をつぶせ」「次の参院選でここを叩こう」なんてことばかり言っていた。これはつまり、野党もまた、自らの利権(政権奪取)のことしか考えていなかった、ということだ。国のことなど、まるきり考えていなかったのである。(ま、少しは考えていたのだろうが、最優先の課題とはしなかった。それよりも党派的な抗争を最優先としていた。)
 要するに、与党も、野党も、(ついでに言えばマスコミも)、みんな自分の利益しか考えていなかった。誰も国の悲惨な状態には目をくれなかった。私はまったく絶望していた。日本が落日の道を進むのを、傍観しているしかなかった。
 ところが、である。そこへ、小泉が登場したのだ。そして、この二点を最優先の課題として、取り上げたのである。これは実に卓見だと思う。すばらしい見識の持主だと評価したい。
 一般的な政治家は、政治を自分のオモチャにしたがる。右か左か、どちらかの趣味をもって、その趣味で遊ぼうとする。右派は「集団的自衛権」「憲法改正」などで遊びたがるし、左派は「護憲、9条死守、戦争反対」などと言い張って遊びたがる。今の日本がどんな悲惨な状況にあるかなど、まるで考慮しない。不況とデフレと首切りで、世の中には自殺者が大量に出ているというのに、勝手に軍事談義ごっこで、遊んでいるだけだ。言ってみれば、船が沈没しかけているというときに、救助の手立てを考えず、将棋の勝ち負けを楽しんでいるようなものだ。 
 小泉は、違う。彼は、今という日本の状況にあって、何が最優先の課題であるかを、はっきりととらえている。一国の総理としては、最適の人物である。船にしても、船長が正しい航路を選べることが肝心だ。嵐のなかで、間違った判断をして、間違った方向を取れば、船は転覆する。その点、小泉は最高の船長と言える。
 しかし、小泉にも、弱点はある。
 どんな弱点か? 船の方向を示すことはできても、実際に船を操舵する船員がいささか能力不足だ、という点だ。船長は「この方向へ進め」と正しく命令するが、船員が帆や舵の操作法を知らない。あげく、船は迷走し、船の乗客は嵐のなかで海に放り出される。
 小泉は自らの弱点に気づくべきだ。彼は正しいことをしようとしているが、しかし、正しいことをしようとしているからといって、正しいことができるとは限らない。そうするには、専門的な知識が必要だ。その専門的知識を、小泉は持っていないし、また、部下ももっていない。そういう弱点をはっきりと知らねばならない。
 「無知の知」──ソクラテスはこう言った。小泉もまた、自らの政権の無知に気づくことが必要となる。逆に言えば、「自分は正しいことを言っている利口者だ」と自惚れれば、日本は沈没への道をたどることとなる。
 真の賢者は、自己の「知」と「無知」とを、よくわきまえているものだ。
 ( ※ どんな点があるかは、具体的には、あとの各論で、詳述する。)

 改革の速度
 小泉の改革速度は非常に速い。
「まだ何もやっていない」
 と批判する人もいるが、こういう人は、政治音痴である。
 まず基本方針を立てること。これが肝心である。いきなり突っ走るのではなく、最初は基本方針を立てることに専念する。基本方針を立てないで、何かをやり出すのは、危険かつ無謀である。
 比喩的に言えば、軍事行動でもそうだ。あらかじめ綿密な戦略を練ってから、しかるのち、実行に移す。ろくに考えもせずに、やたらと猪突猛進すれば、惨めな大敗を喫する。
 人間で喩えれば、「歩く前に考える」べきだ。「歩きながら考える」とか、「考えてから歩く」なんていうのはよくない。そんな無思慮な人間には、一国の運命を任せてはならない。
 ただ、日本のこれまでの政治家は、「考えるだけ」で終わってしまっていた。「橋本行革」というのも、「大改革」の方針を立てると主張しながら、さんざん大騒ぎしたあげく、省庁の看板の付け替えぐらいで終わっている。「大蔵省」が「財務省」になったとか、その程度の話だ。
 ただ、橋本行革は、実行しただけ、まだマシだった。それ以前の内閣では、方針(審議会答申)を出したころには、内閣の寿命は尽きていた。その例は、枚挙にいとまがない。これは当然であって、なぜかといえば、審議会の答申には1〜2年程度かかるのが普通だし、内閣(首相)の寿命も1〜2年程度が普通であるからだ。だから、審議会答申が出たころには、内閣の寿命は尽きていた。
 ところが、小泉は、違う。審議会に、2年どころか、3カ月程度で、かなり大規模な答申を出させた。そして、閣議決議した。
 この速度は、たいしたものだ。私の予想を大幅に上回っている。私の予想では、さすがの小泉といえども、もっと小規模で、もっと遅れると思っていた。しかるに、予想を大幅に上回る規模と速度だ。

 ともあれ、小泉の改革の速度は速い。この速度には、素直にシャッポを脱ごう。改革の第一歩としては、ほとんど理想的だ。
 この速度は、なぜか?
 それは、小泉にリーダーシップがあるからだ。こうせよという「基本的な方針」を示した。(経済改革・特殊法人改革)。その小泉の基本方針に従って、経済財政諮問会議の答申が出たり、石原の特殊法人改革の方針が出たりした。つまり、細部は、部下が煮詰めた。しかし、それも、小泉の指示があってのことだ。
 このように、「基本的方針を示して、細部は部下や組織にやらせる」というのは、リーダーとしては理想的なあり方である。この点でも、小泉は立派である。


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 ※ 答申の傷
 答申は、万全なものではなく、傷もある。しかし、ここは、傷の有無よりも、速度を重視したい。傷がいくらかあるのは、神ならぬ人間の手になるのである以上、やむをえまい。(「経済財政諮問会議の基本方針は、民主党の政策の丸写しだろう」なんて皮肉は言わないことにする。……あ、言っちゃった。)でもまあ、特殊法人とか何とか、自民党でこれだけのことを言えたのは、大したものだ。これに対して、鳩山の話は、何とまあ、小さな規模のことばかりであることか。

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 ※ 組閣
 「改革」というよりは「実行」の速度で見ても、小泉は大したものである。
 「小泉なんて、口ばっかりで、何も実行していないではないか」
 という批判がある。しかし私は、それには賛成しない。小泉は首相として即日、大きなことを実行したはずだ。それは、組閣だ。
 この組閣は、大したものだと思う。特に、真紀子と石原伸晃を抜擢したのは立派だ。この二人は、7月も末日になると、かなりの成果を発揮しはじめている。外務省の公費流用問題の発覚と、特殊法人改革の具体的な形だ。内閣発足から短期間で、これだけの成果を上げたのは、歴代の内閣と比べても、相当に立派である。(自民党政権や、「細川政権」「村山政権」との比較。相対評価。)

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 ※ 細川政権との比較
 小泉の改革の速度は、細川政権と比べても、圧倒的だ。
 細川政権では、どうだったか? 出発時点でこそ、小泉政権と同様の印象を与えていた。特に、ムード的に。[ここだけ見れば小泉と同様。]
 しかるに、その後が違った。小泉は3カ月間で、骨太の方針を打ち出した。細川政権では、(集団指導体制であったこともあって、)ほぼ半年の寿命のうちに、方針も法案も、ほとんどまとまらなかった。ただ一つ、まとまったのは、「小選挙区制」だけだった。これはこれで意味はある。しかし、小泉政権は、改革の速度も範囲も、はるかに上回っている。(ただ、これは、政権の基盤の違いも理由としてあるが。小泉政権は、衆参とも、十分な多数派を占めている。細川政権では、そうではなかった。)

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 ※ ダメなリーダーの例
 小泉はリーダーとして理想的だ、と述べた。一方、ダメなリーダーもいる。何が何でも自分でやろうとする、トップダウンのタイプのリーダーである。
 その悪しき例の一人は、真紀子である。外務省について、すべてを自分で把握しようとした。部下を信頼しない。その結果、組織がガタガタになった。
 また、似たような例は、橋本にも見られる。彼は、非常に頭がいいが、そのことを自分でも自惚れていたため、自分がすべて理解しているつもりになって、すべてを自分で掌握しようとした。その結果、自分で理解できる程度のことしか実行できず、結果的には、政権運営としては、基本的な方針で、大失敗をした。今日の大不況のかなりの部分は、橋本の責任である。

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 改革の善悪
 小泉はたしかに、大した人物である。しかし、細かなところまで、何もかも万全であるわけではない。目が届かないところも多い。そしてまた、部下もあまり優秀な人がそろっているわけでもない。(真紀子は「稚拙」だし、石原は経験が浅いし、竹中は肝心の経済学的知識が弱い。他は、目立つほどの能力はない。唯一、優秀なのは、「塩爺」のおとぼけぶりだ。これだけは、たいした役者である。)
 小泉は改革を断行しようとする。「何としても構造改革」「聖域なき改革」などと声高に主張する。
 しかし、「改革がすべて善だ」とは限らないのだ。なぜか? 現状を改革すれば、現状の問題点は解決するだろうが、しかし、それによって、新たな問題点が生じるかもしれないからだ。そのことをわきまえるべきだ。
 比喩的に言おう。ガソリン車は排ガスを出す。そこで、「ガソリン車は禁止する」という改革を実行したとする。すると、たしかにガソリン車の排ガスはなくなる。しかし、そのかわり、ガソリン車がすべてディーゼル車になったとすれば、排ガスはかえって増えるのだ。
 つまり、むやみやたらと改革すればよいわけではない。改革後の状況が改革前に比べて、総合的にマシになるかどうかは、あらかじめ十分に考えなくてはならない。単に「旧来の問題点をなくそう」とするだけでは、ダメなのだ。
 「そんなことはわかりきっている」
 と人は言うだろう。しかし、実際には、わかっていないのだ。今回の改革に際して、あちこちの改革案を見ればわかるが、どれもこれも、「こうすれば現在の問題は解決します」と言っているだけだ。それによって将来新たに起こりうる問題点を、十分に考慮していないことが多いのだ。
 また、「考慮しています」と当事者が主張することもある。しかし、実際には、その予測力があまりにも自分勝手で間違いだらけだった、ということが多い。簡単な例では、公共事業の予測だ。たいてい、予測が甘すぎて、実際には、予測をはるかに上回る赤字を出してきた。また、バブル期の政策でも、そうしたことがあった。「所得税減税で、景気拡大の持続」という方針を打ち出して、景気を拡大させた。その結果は、たしかに景気拡大は持続したが、それはバブルの拡大を意味して、かえって日本に深い傷を負わせることとなった。当時、バブルがふくらんでいたのだから、「所得税減税」ではなく、その逆をするべきであったのに、与党も野党も、こぞって「うちのほうが減税幅は大きいぞ」などと言い立てていた。そうして人々を幸福にしようとして、人々を不幸にさせた。つまり、彼らの予測能力とは、その程度のものでしかないのだ。
 とにかく、改革は、それ自体が善なのではない。単なる改革は、善をもたらすこともあるが、害をもたらすこともある。そのことを十分にわきまえておくべきだ。そして、将来生じるかもしれない害については、あらかじめ十分に考察しておくべきだ。
 そういうこともしないで、単に「改革万歳」などと浮かれていれば、あとで手痛いしっぺ返しを食うことになる。


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 ※ 予測不足の典型例
 「とにかく改革すればいいだろ」とばかり、ろくに考えもせずに事実を変更しようとする、という無思慮さ行動。その典型的な例が、小泉の方針のうちにも含まれる。それは、「司法試験改革」だ。
 先を見通さないままの単なる「現状改革」が、いかに害悪をもたらすか、ということの、具体的な実例となっている。ここに含まれる問題については、あとで詳しく述べる。

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 小泉失脚
 小泉の改革の方針について、細かく述べるのは、このあと、本論の各章(つまり、第1章以降)で行なう。
 ただ、本論に入る前に、序章の最後で、ひとつ言及しておくことがある。それは、小泉が失脚する可能性だ。
 今は、支持率が高いとか何とか言って、みんな浮かれている。せいぜい「支持率はそのうち下がるさ」と言うだけだ。しかし、考えが甘い。小泉はある日突然、退場する可能性がある。
 その例が、細川政権だ。
 細川政権の出来たとき、「戦後体制の崩壊」などと、あたかも歴史が大転換したように言われた。支持率も、今回の小泉とほぼ似たようなものだった。(総理のキャラクターも、小泉とかなりダブっていた。)このまま、もう二度と自民党政治が復活することはあるまい、と思われた。
 それが、ある日突然、瓦解したのである。本人が政権を放り出し、その1ヶ月ほどあとには、連立政権が崩壊して、自民党がまた与党になった。(自社連立。そのあと自民党単独政権が復活。)
 こういう可能性があるのだ。小泉政権が突如崩壊したとしても、少しも不思議ではない。
 ゴルバチョフの例もある。彼もまた、突如、失脚した。
 要するに、改革派の政権というものは、突如、崩壊するものなのだ。今日はうまく機能しているとしても、明日には消えてしまうかもしれない。そういう可能性を常に考えておくべきだ。

 なぜ改革派の政権は崩壊しやすいか? 
 それは歴史的な事実であるが、理由もあるはずだ。理由としては、保守派の抵抗が考えられる。保守派(守旧派)は、自らの利権と存在基盤に関わるので、改革派に対しては、頑強に抵抗する。一人だけではなく、非常に広範囲で抵抗を築き上げる。築いても、勝つことは少ないが、対抗しあって、せめぎ合いは生じる。そのせめぎ合いが、あるとき、たまたま力の具合のずれなどにより、改革派の一部にほころびが生じる。それがたちまち、蟻の一穴のように、改革派の全体を崩壊させるのだ。
 では、小泉政権が崩壊するとしたら、どのような形で崩壊するだろうか? その可能性を、考えてみると、次の三つが思い浮かぶ。

自己崩壊
謀反(クーデター
暗殺
 この三つについて、詳しく考えてみよう。

 小泉自己崩壊
 細川政権の崩壊を見ると、これは、自己崩壊であった、と言えそうだ。
 なるほど、たしかに、外的理由らしき点は、なくもない。たとえば、
 「国民福祉税構想を急に打ち出した」
 「佐川急便のスキャンダルがあった」
 「自民党が予算を人質にとって抵抗した」
 「側近が一時的引退を強く進言した」
 などと。こういうふうに、いろいろとある。しかし、結局は、本人が「面倒くさくなったから」である。
 まず、一つは、本人があまり権力欲がなくて、淡泊な性格だった、ということもある。「いつやめてもいい」という気概で総理になったらしいが、こういう淡泊な性格は、「とことん戦う」という戦略家を相手にしては、必ず負ける。加藤が野中に負けたのも、性格の弱さのせいだ。(この点、小泉は野中に似ているが。)
 ただ、それよりむしろ、根本的な理由があると思う。当時、細川は、見た目にも、いかにも疲れ果ててやつれていた。どうやら睡眠時間が、極端に少なかったらしい。それが原因だった、と私は思う。簡単に言えば、一時的な鬱病的症状である。
 そもそも、睡眠時間を削るというのでは、司令官として失格である。歩兵なら、睡眠時間を削るべきだが、司令官なら、十分に眠って冴えた頭で判断を下さなくてはならない。細川はそれとは正反対のことをしたのだ。一生懸命努力して、睡眠時間を削って働いて、そのあげく、間違った判断を下し、日本全体を没落させたわけだ。(もし彼に当時、まともな判断力があったなら、ただちに衆院を解散していただろう。そして自民党を壊滅させていたはずだ。本来なら、小泉のやったことは、まったく不要だったのだ。細川が何年も前に自民党をつぶせたからだ。)

 では、小泉は、どうか?
 性格の強さという点では、細川とは似ていない。野中に似ている。(加藤に対して徹底的に戦い、森を支持した態度は、政治家の性格として、大したものだ。やりたくないことでも、やるべきだとなったら、とことんやる。そういう資質が、政治家には必要だ。「自分の好きなことだけやりたがる」という甘ちゃんの鳩山とは、雲泥の差だ。)
 次に、睡眠時間の点では、これも問題はあるまい。細川は、重圧につぶされ、自己管理が出来なかった。これは要するに、精神力の差だ。自分に対して不安な人間ほど、重圧から逃れようとして、やたらと働き中毒になる。自分というものに自信があれば、働き中毒になることはない。
 小泉は、今は相撲観戦をしたり、オペラ鑑賞会に出たりしているようだ。これなら、一安心だ。しかし、やがて、抵抗勢力の圧力が高まったとき、にっちもさっちも行かない事態になったりして、不安に駆られるかもしれない。そうなると、たちまち、仕事中毒になって、睡眠時間が削られるだろう。そうなったら、判断を誤って、自己崩壊する日は、遠くない。

 謀反(クーデター)
 小泉政権が崩壊する、もう一つの可能性は、謀反だ。信長は明智光秀に謀反を起こされた。また、ゴルバチョフはクーデターを起こされた。いずれも、改革派のリーダーが、その改革派の気質ゆえに、身近な人物に裏切られ、自己の基盤を崩された。
 先に、「小泉の自己崩壊」の可能性を述べた。この可能性は、小泉の気質からは、あまり起こりそうにない、と判断された。しかし、謀反(クーデター)は、非常に起こりやすい。しかも、成功しやすい。
 なぜか? 小泉のような性格の持主は、他人を信じやすいからだ。身近に裏切り者がまぎれこんでも、疑うことができない。相手の外面だけを見て、秘めた内面を推測できない。相手がイアーゴーのようにお追従を言えば、オセロのように単純に信じてしまいやすい。あげく、突然裏切られ、すべてを転覆されてしまう。
 その一例が、よく知られた「本能寺の変」だ。
 もう一つの例が、ゴルバチョフだ。彼が失脚したのは、彼の性格のせいである。実は、クーデターが起こる直前に、クーデターが起こる可能性(危険性)が高いことを、アメリカから強く警告された。(アメリカはそれを事前に探知していた。たぶん暗号を傍受したのだろう。)しかし、ゴルバチョフは、その警告を一笑に付した。「そんなことはありっこない。彼らがそんなことをするはずがない」と。そうして別荘で休暇を過ごした。計画は予定通り進行し、クーデターが起こって、ゴルバチョフは失脚した。
 ゴルバチョフの失脚は、当然、避けえた。しかし彼の性格が災いしたのである。彼がアメリカの警告を信じなかったのはなぜか? 身近な人間を信じすぎたからだ。彼がもし、もうちょっと人間不信の性格をもっていたら、アメリカの警告にも耳を貸して、対策を練って、失脚はしなかったはずなのだが。

 小泉が失脚する可能性は非常に高い。そのとき、裏切り者は、身近から現れるだろう。
 なお、細川の場合、引導を渡す人物は、彼の身近にあったようだ。最も信頼している側近・友人と、最も信頼している仲間の小沢がそうだったらしい。いずれも、「細川のため」を思って、進言したのだが、その結果、逆に、細川を崩壊させた。
 小泉の場合も、同じようになるかもしれない。「小泉のため」と思って、悪意なしに、引導を渡すかもしれない。その相手は、身近な人物だろう。たとえば、小泉の個人生活人生にもアドバイスする某氏とか、政界の先輩である四角顔の某氏とか。
 とにかく、悪意の有無にかかわらず、「最も信頼する人物が自分を破滅させる」というのが、歴史の示すところだ。小泉もそうなりかねない。そのことを、ここに予言しておきたい。

 小泉暗殺
 小泉政権が崩壊する、もう一つの可能性は、暗殺だ。これもまた、改革派の政権にとっては、崩壊の原因となる。
 歴史的な例は、もちろん、よく知られたように、ケネディがある。
 暗殺というのは、映画や小説じみていて、馬鹿げているだろうか? そう思うとしたら、その人は危機管理が出来ていない。そもそも、ケネディだって、そのときまでは、暗殺などとは誰も夢にも思わなかったのだ。夢にも思わなかったことが、あるとき突然、現実となったのだ。

 暗殺の可能性は、かなりある。特に、小泉のような改革派で、支持率が高い場合には。
 改革派は、必ず、旧体制にとって非常に邪魔で危険となるからだ。たとえば、ケネディは軍事産業にとって敵であった。日本でも、小泉は建設業などの敵である。これらの産業が小泉を排除したがるとしても、おかしくはない。
 ただ、邪魔な改革派がいるとしても、地下工作で排除するのが普通だ。たとえば、細川が建設業者にとって邪魔だとなったら、細川を排除するために、スキャンダルでも捜せばいい。そうやって支持率を下げていけば、やがては当人を政界から追放できる。
 しかし、当人が国民の圧倒的支持を受けている場合は、そうは行かない。スキャンダルを捜しても見つからないとなれば、排除するには、暴力的な手段に訴えるしかない。暗殺は必然。
 とにかく、改革を行なおうとする人物は、暗殺される可能性が非常に高いのだ。そのことを理解することが大切だ。
( ※ ネパールでも、改革派の国王が虐殺された。このようなとてつもない事件は、改革派のトップがいる国では、しばしば起こるものだ。)

 では、小泉は、どうするべきか? 
 まず、小泉自身だが、別に、どうするつもりもないだろう、と思う。たとえ暗殺される可能性が大きいとしても、本人はとっくに死ぬ覚悟はできていると思う。
 彼は(たぶん口には出さないが)自分のやることに命を賭けている。死ぬ気でやっている。これは比喩ではない。字義通りの意味だ。つまり、暗殺されることを、しっかり覚悟しているだろう。そして、暗殺されるまで、突っ走る気でいると思う。
 それはそれでいい、と思う。その意気でやってほしい。ひるむ気はあるまいし、それが小泉の美点なのだから。

 ただ、小泉は別に何もしなくてもいいとは思うが、警察は、何かをするべきだと思う。一国の総理がむざむざ暗殺されるのを、黙って見ているようでは、警察の紋章が泣くだろう。
 小泉が暗殺される可能性はかなりある。そのことを、小泉ではなく、警察に警告しておく。しっかりと対策を立ててもらいたい。これまでの要人警護と同じようにしていてはダメだ、そんなことでは暗殺は成功する、ということを、肝に銘じていてほしい。


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 ※ 小泉暗殺の手順
 現状では、小泉の暗殺が企てられた場合、暗殺が成功する可能性は高い。そのことを、ここで指摘しておきたい。(話はちょっと専門的になるので、一般の人向けの話ではない。ちょっとサスペンス小説っぽいところがある。)
 まず、暗殺が企てられる、ということは、ありえないことではない。ケネディだけでなく、ロバート・ケネディも、レーガンも銃撃された。(レーガンの場合、本人は助かったが、そばにいた補佐官が銃弾を浴び、半身不随の身となった。)また、アメリカだけでなく、日本でも、金丸副総理は銃撃されたことがある。
 小泉の場合、強力な敵対勢力が存在する以上、暗殺の危険性は、これらの人たちよりもはるかに高い。ケネディと同じ程度の危険性がある。甘い見通しをしていれば、あとで後悔することになるだろう。私は決して、小説とか話半分のようなフィクションのつもりで言っているのではない。
 では、小泉暗殺が企てられたとして、それは成功するだろうか?
 「成功する可能性はかなり高い」と私は推測する。なぜなら、日本の警察は、暗殺を阻止するための対策をろくに取っていないからだ。換言すれば、要人警護としてのSPでは、暗殺対策というものが、根本的に不足しているのだ。
 詳しく言うと、暗殺が実施されるとして、次の三つの場合に分けて考えることができる。

 (1) ど素人による暗殺
 まず、ど素人による暗殺だ。総理にいきなり襲いかかる、とか、いきなり拳銃で発砲する、とか。こういう場合には、まず大丈夫である。日本のSPは、こういうふうに、ど素人が対象である場合については、丹念に訓練しているからだ。
 ただし、犯人がど素人なら、SPが何もしなくても、犯人が勝手にこけることが多い。また、銃撃が不正確だ、ということも起こりがちだ。たとえば、拳銃で発砲しても、ど素人の拳銃など、至近距離以外では、まずはずれる。3メートルも離れたら、まず、急所にはあたらない。だから、ど素人が犯人なら、あまり心配しなくてもいい。

 (2) プロによる暗殺
 次に、プロによる暗殺だ。この場合は、暗殺を避けることは不可能だ。プロならば、最も警護の弱い点を見つけだして、確実に狙撃する。総理は日本中をあちこち移動するのだし、弱い点をなくすことは不可能だ。私としても、ひとつ、うまく確実に暗殺できる場所が思い当たる。(ただし、ここには書かない。問われたら、「忘れました」と答える。塩爺の真似だ。)
 なお、小説家ならば、「オペラの演奏中に、最高潮のところで、シンバルの音とともに、客席にいる総理を狙撃」というのは、おもしろそうだ。映画にしてもいい。ただ、プロは、こんなことはしない。もっと確実な方法を取るものだ。

 (3) セミプロによる暗殺
 残る一つが問題だ。ど素人でもなく、プロでもなく、セミプロによる暗殺だ。たとえば、暴力団関係者とか、狂信者などだ。(オウムみたいな宗教的な狂信者も考えられる。)
 これが一番危険だ。とはいえ、これは、プロが相手ではないので、阻止することが可能である。
 ただ、可能ではあるが、実際には、阻止はされない。なぜなら、SPが、対策を取っていないからだ。SPが対策を取っているのは、ど素人が発砲する場合などだけだ。セミプロがちょっと工夫した場合というのは、念頭にない。
 たとえば、武器だ。SPが考慮しているのは、ナイフと銃器だけだ。それらに対しては、一応、対策がある。しかし、実際には、武器は多様なものが考えられる。火炎瓶、毒入り吹き矢、毒入り弓矢、など、十種類以上ある。これらに対抗する防御手段としては、アラミド繊維のシートとか、携帯消化器などがある。だから、こういうものを装備していおく必要がある。しかし、残念ながら、SPはこれを持っていない。(せいぜい銃弾防護用の小さな鞄をもっているだけだ。)だから、火炎瓶が投げられれば、総理が黒焦げになるのを見ているほかはない。毒入りの吹き矢で打たれたら、解毒剤ももっていないので、ただ救急車が来るのを待っているしかない。救急車が来たときには、もう、手遅れだろう。
 さらに、もっと単純な方法もある。至近距離からナイフで刺したり、ナイフを投げたり。これを阻止するには、SPがそばにいることが必要だ。そのためには、SPが、小泉のすぐそばにいる必要がある。たとえば、記者に変装して、マイクでも持ちながら、総理を護衛するなど。こうすれば、セミプロの犯人には気づかれることなく、総理を護衛できる。しかし、実際には、そういうことはしていない。SPは、それとわかる人物が、それとわかる位置にいる。だから、いかにもSPらしい人物がそばにいないときを狙っていれば、暗殺は成功しやすい。
 ま、簡単に言えば、日本のSPは、「危機管理」というものがなされていないのだ。「危機管理」とは、つまり、「起こりうる危険の可能性をすべて想定して、それへの対策を取る」ということだ。しかし、それがなされていない。警察は、「過去」の危険が再発するのを防止するだけだ。「未来」の新たな危険が生じることへの対策は取っていないのだ。あくまで前例主義だ。だから、これまでにない方法で、暗殺を試みた場合、小泉暗殺は、成功する可能性が高い。
「でも、このホームページを読めば、警察が対策するはずだ」
 と読者は思うだろう。私としても、そう思いたい。しかし、実際には、そういうことはない。警察が民間人の忠告を受け入れるなんていうことは、メンツに関わるので、とてもできないことだからだ。だから、小泉暗殺は、やはり、成功する可能性が高い。(残念なことだが。)

《 余談 》
 小泉とゴルバチョフには、実は、かなりの共通点がある。次のように。

体制内革新である。
「改革」「ペレストロイカ」をキャッチフレーズにした。
党内の抵抗勢力との対決に悩んだ。
善人であり、かつ、自信家である。
経済能力が非常に弱い。しかも、それに気づかない。
 さて、最終的には、どうなるか? 
 ゴルバチョフは国家を、自分の意図しないところに導いたが。……


[序章、終] 

※ 次は、《 第1章 》

「小泉の波立ち」
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