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Re: 日航ジャンボ機 しりもち事故の補修部分はたかだか1m。穴の開くほど見てきましたが、隔壁の破れた部分とは微妙にずれ
http://www.asyura2.com/07/revival2/msg/143.html
投稿者 愉快通快 日時 2007 年 10 月 21 日 11:07:04: aijn0aOFbw4jc
 

(回答先: 日航ジャンボ機が墜落して16時間という殺人的時間を確保したのはそのアリを殺す為だったのではないかと疑われている 投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 7 月 15 日 18:05:16)

神聖にして不可侵
http://kawakamikeiko.cocolog-nifty.com/keiko/cat4342816/index.html

鬼塚さまより「123便の残骸を見て」
鬼塚さまより日航安全啓発センターでの123便展示会を見学された後いただいたご感想です。
大変素晴らしい内容で、コメント欄では勿体無いと思い本編へ転載させていただきました。

内容:
--------
先日日航の安全啓発センターに行ってまいりました。5月末に予約したんですが、6月末にやっと入れて頂くことができました。
係りの方はとても丁寧、親切でした。世代交代の早い社内で、日航内部での風化を防ぐ意味もあるような気がしました。
問題の隔壁、風船のようなものとは聞いていましたが、本当に薄い鉄板でした。
しりもち事故後の補修部分、穴の開くほど見てきましたが、隔壁の破れた部分とは微妙にずれていて素人の私が見ても、補修部分が与圧噴出の原因とは考えられません。
日航としては当然事故調の結論を前提にして、いろいろと説明がありました。
残骸を見ているとなぜか元事故調委員長の武田氏のことを考えてしまいました。

しりもち事故の補修部分はたかだか1m。
薄い金属片が、これまた薄い隔壁の鉄板上下を結合したもの。
この1mそこそこの鉄の板に日本政府(?)や、米国(FAAやボーイング社など)の思惑・画策が重なり合ったのかと思うと感慨深いものがありました。
何故、そこで事故調の武田委員長を想ったかというと、少し航空機のことを知っている人であれば、急減圧があったという説に無理があること、またそもそも補修ミスと隔壁破壊を結びつけることの矛盾など誰にでもわかることなのではないか?
武田委員長は、そんなことを百も承知で、敢て、何か大きな圧力に身を委ねたのではないかと・・・。
それは先日亡くなられた当時の運輸大臣からの圧力か、はたまた当時の総理大臣からの直々のプレッシャーなのか・・・。
科学者であれば「恥じるべき説」を、なんとか小さな矛盾だけで留めるにはどうしたらいいのか、どんなシナリオを描けばもっともらしく思えるのか、多分物凄く悩んだのではないか。
また人間として、やってはならないことをしているのではないか。520名の犠牲者への気持ち・・・。
調査すれば調査する程、逆に湧き出てくる急減圧への疑問。
検討会議中の他委員たちからの叱責・怒号・落胆の声。
それを宥め正当化させるという自己矛盾。
人間の心を持っているならば多分武田氏は彼なりにかなり悩んだのではないでしょうか。
そして到達したところは、国家の為と言い聞かせ、自分が死んだ後往くべきところは地獄だと覚悟を決めて、敢て真相究明に蓋をしたのではないか。
聴聞会での東大小林教授の意見。
なぜ隔壁破壊から尾翼倒壊へ至ったか、全く説明がなされていない。
隔壁破壊・尾翼倒壊・補助動力装置の破壊が同時に起こるなどとは考えられない。
尾翼倒壊に伴う外壁剥離による内圧低下について考えられていない。。。等等
武田氏は心の中で思ったのではないか。
「そんなこと指摘されなくてもわかってるよ!それでも隔壁破壊と尾翼倒壊を結びつけなくてはならない俺の気持ちを察してくれよ!」
そんな中「壊れた尾翼」のように自分のことを擁護してくれる科学者が居ることの方が彼にとっては信じられなかったのではないか。
「おいおいそんな緩やかな減圧で、しかもリリーフドアが開いた状態で与圧が尾翼を壊すのか。そんな説を唱えて、君も科学者としての命を縮めるんじゃないのか。」
心の中ではそんなことを思いながら「加藤君、世の中にはわからないことが沢山あるんだよ・・・」と深いため息をついた、のではないか。
そんなことを考えてしまったのです。これも私の妄想の一種ですよね。

コメント
管理人さま
私の拙いコメントを本文にして頂いてありがとうございます。
誤解のないようにお願いしたいのですが、私、決して武田氏を擁護しているわけではありません。
武田氏はずっと後になって「アメリカが出した結論は信憑性が高い。あれで事故原因究明のプロセスがずっと楽になった」と嘯いています。
また聴聞会で「相模湾の尾翼の残骸を回収せよ」という意見に対し「とるに足らない意見」とも言っています。
とてもまともな科学者、いやまともな人間とは思えません。
事故調のように真相を究明することを放棄してしまったら(敢て言いますが)520名は「無駄死」です。

「哲也、りっぱになれ」と走り書きしながら亡くなった人たちの声を、なんと聞く!武田氏よ

投稿 鬼塚 | 2006年7月 7日 (金) 00時26分

特に実際にその破片をじかに見て疑問を感じられている所は、皆様も私よりも説得力を感じていただけるのでは無いでしょうか?

事故調査委員会の話は深く感銘を受けました。
武田氏の葛藤が私にも手に取るように浮かんできます。
おそらくかなり近い線ではないかと私も推測できます。
「国家の為と言い聞かせ」というのは「その時の国家権力」の為にはなっても長期的な面での「国家の為」に成るのか疑問ですし、ましてや「国民の為」には全く成っていないでしょう。
国家と国民は利害が対立しがちですが、本来国家とは国民の為にあるべきと考えれば「国家の為」と美麗美句で飾ろうとも所詮その時の有力政治家や官僚、業界団体の為であり彼らの為に520名の犠牲者と遺族を裏切る行為は「空虚さ」を感じることでしょう。
ただしそれは彼に良心があればの話となりますが。


投稿 管理人 | 2006年7月 8日 (土) 07時37分


コメント
お久しぶりです。鬼塚です。管理人さんの文章を読みながら考えています。慶子さんは神様が、あの事故を風化させないために我々に残してくれた女神だったのかな、と。もちろん吉崎美紀子ちゃん(既に28歳、、、きっと美しい女性に成長していることでしょう)や落合由美さんもしかり、特に落合さんの証言はさまざまな真実を語りかけてくれました。
今、宮村浩高著「葬り去られた真実」、米田憲司著「御巣鷹の謎を追う」という本を続けて読んでいます。今まで出来るだけ客観的にと思い、「○○説」みたいなことの書かれた本は避けようとしていたのですが、読んでみると、あらためて「本当に起こった事」と事故調の結論との矛盾が多すぎることが思い知らされます。
以前、飛行機事故に対し、独自の調査をされその意味では尊敬出来る加藤寛一郎氏のことを書込みました。加藤氏はいくつかの「怪しい」ことがらを、事故調の武田委員長に直接ぶつけています。武田委員長の「加藤さん、わからないこともたくさんあるのです」との答えに、加藤氏でさえそれ以上の追求をやめています。武田委員長をよく知る人だけにその真摯な人柄の人物が、事実の改ざんや捏造をするはずがない、と結論づけています。逆に「ゆるやかな」急減圧があった、という素人には理解不可能な説で報告書をフォローしているようにも思えます。
矛盾点、不明な点が沢山あるにも係らず、報告書を単に「公式」とされているだけで、正しいと思ってしまう、またそこで蓋をしてしまった人、科学者、マスコミがいかに多いことか。。。
改めて521名の御霊にお詫びしなくてはならない。。。そう感じます。

投稿 鬼塚 | 2006年2月18日 (土) 23時47分

鬼塚様
お久しぶりです。
「御巣鷹の謎を追う」はもっとも私が読んだ中で良著だと感じました。
加藤寛一郎氏の著書は読み終わりました。
素晴らしい著書であると感じると伴にやや納得いかない部分も多かったのは事実です。
普通ならスルーしちゃうところですが、東大教授で航空工学というトップエリートですから
やや厳しいチェックを入れてみたいと思います。
何回かの連載で彼の著書についてのレビューを書く予定です。
しかしこう見ると本当に日航機関連の書籍っておおいですね。
よくもまぁこれだけ出てきたものだと思います。
それもやはり謎の多い事故だからでしょう。

鬼塚様が書かれた最初の神様に関する部分は、ブログでも取り上げたいと思っていたので
本編に鬼塚様へのお返事と言う事でこの明日のブログで書きたいと思います。


投稿 管理人 | 2006年2月19日 (日) 00時44分

コメント
私ばかり書込みしてすみません。鬼塚です。
私も墜落遺体にはとても感動しました。
9月に上野村に行った時、携えていったのは墜落遺体と日航ジャンボ機墜落〜朝日新聞の24時〜という文庫本2冊でした。
私は特にM巡査が担当の遺族を自分のおかあさんに引き合わせるくだりに涙しました。。。
おかあさん、って本当に大事にしたいものです。
話は変わるのですが昨日「三丁目の夕陽」という映画を観ました。管理人様のお母様は60歳前後かと拝察いたしますが、是非お母様にこの映画お勧め下さい。
その年代の方には特に喜ばれるものと思います。私日本映画にはあまり関心はなかったのですが、この映画は本当に旧き良き昭和の、庶民の善意が満ちあふれていて、まさに「笑有り涙あり」という映画です。

投稿 鬼塚 | 2005年12月13日 (火) 01時11分

日航ジャンボ機墜落〜朝日新聞の24時〜は最初に私が読んだ日航ジャンボ機関連の本です。
逆に大昔なのでもう内容はうろ覚えになりつつあるのでまた読み返さないと‥‥。
墜落遺体という本は凄く印象的なエピソードが多いんですよね。
今後、そのエピソードの中からいくつか取り上げたいと思っています。
M巡査のお母さんの話もぐっときますね。物静かで口下手なお母さん。
この本を読んで日本の警察官は真面目だなぁと思いましたね。
アメリカの警察官と大分違いますよね。
いつも書き込み本当に感謝しています。
だれかコメント書いてくれないかなぁと思っていますから凄く励みになります。
とりあえず次の記念100を目指します。


投稿 管理人 | 2005年12月13日 (火) 21時50分

コメント
お久し振りです。鬼塚です。
管理人様のご出身はもしかして山口県ですか?実は上の息子が今春から山口市にある大学に入学でき、今山口にはとっても親しみを感じています。
閑話休題。私、今、元東大名誉教授で工学博士の加藤寛一郎先生が書いた「壊れた尾翼」という本を読んでいます。
管理人様は既にご存知かも知れませんが、その中で、氏も急減圧は無かったのではないかという説を述べていますね。
それは第一に、事故調の言う「キャビンアルティチュードウォーニング(客室圧力低下警報音)」を航空機関士が機長に報告せずに独断で消した、ということは有り得ない点。
第二に、ドーンという異音の後に、機長が高度6,700Mの飛行許可を求め安全高度迄下げようとしなかった点、を上げています。
また、落合由美さんも急減圧の時に起こる、肺から空気が吹き上げてくるような感覚は無かったと証言していますしね。。。。
科学的なことは私にはよくわかりませんが、管理人様のおっしゃるように、尾翼を内側から突き破るような空気の噴出しなんて、これはなかったなっていうのは、素人の私にもわかります。

投稿 鬼塚 | 2005年11月19日 (土) 01時11分

鬼塚さま
私の実家は山口県です。(以前書いたように私の父親は新日本製鉄光製鉄所で働いておりました。)
山口県はいいところです。でも福岡県もいいところです。
実は福岡県内に一時住んでいたこともありまして、私が全国の県のなかでもっとも暮らしやすい県と感じたのは山口県と福岡県です。
とくに福岡は海山の自然が豊富で食もうまく物価は安く博多弁も好きでかつ都会もあり交通の便が非常に良い。
山口県は都会はありませんが一通りそろっているのと道路網が整備されており自動車には便利です。
しかし息子さんの山口市の大学ということはあそこですね。
素晴らしい! うらやましい!(笑) 山口ではダントツで、かなり難易度が高いですから相当の頭脳の持ち主であると見受けられます。
これは将来が楽しみです。良心を持ったエリートになっていただきたいと望みます。
おそらく親元からは離れられると思われますが心配ないでしょう。
山口市(というか山口県は)はあまり誘惑が無い場所ですから思い存分勉強に励みつつ、大学生活をエンジョイしていただきたいです。
山に囲まれた場所ですので「こげな田舎退屈ばい」と最初は思うかもしれませんが田舎はいいですよホント。
都会に疲れきった私はそう思います。
加藤寛一郎先生の著書は知ってはいるのですがまだ実は読んでいません。
今度読もうと思っています。意外と日航機墜落事故関連では良書が少ないんですよね。
加藤先生ならそれなりの説得力有る分析がありそうですから今読んでいる本「墜落遺体」を終えたら読んで見ます。

投稿 管理人 | 2005年11月19日 (土) 07時04分


コメント
ご無沙汰しております。鬼塚です。
多分、いや、間違いなくこの墜落事故には意図的な原因隠しがありますね。ますますその感を強くいたしました。事故ではなく事件ですね。
そこで提案ですが、いつか、この事故を題材にした小説を書いてみてはいかがでしょう?
決して茶化している訳ではありません。
貴兄(管理人さん・・・とお呼びするのも、メゾン一刻みたいで気がひけて・・・)の文章は「沈まぬ太陽」を凌いでいるといつも思っております。
昔事故で活動家の両親をなくしたケイコという美しい女性が主人公で、乗員組合で事故調査を行っていた男性(鬼塚?)と力を合わせて、国家的な原因隠しを糾弾し、真実を究明していく・・・
などというストーリーはいかがでしょうか。
フィクションから、もしかしたらマスコミや世論を動かせるかもしれません。
気を悪くなさったらすみません。
でも、本当にふざけて言っているわけではありません。(鬼塚というところは冗談ですが・・・)

投稿 鬼塚 | 2005年10月31日 (月) 01時53分

鬼塚様
いつも書き込みありがとうございます。
私のブログによりこの日航ジャンボ機墜落の事故調査がいかにずさんであったか。
いかに謎が多い事故かについて一人でも多くの方に知っていただける事が私の目的でもありますので大変嬉しいです。
もう時効になった事故であり、私は関係者の処罰を求めているわけではなく、納得できないであろうご遺族の方にとっても
「真実は何か」を知る手助けになればと僭越ながら思っています。
小説の件ですが、実は小説ではないのですがいくつか企画しているものがあります。
それはこの日航ジャンボ機墜落の原因メカニズムを再現映像として公開するというものです。
その他にも墜落した瞬間の飛行機の動き。乗客の生死を分けた瞬間の映像の作成などです。
これは相当難儀な作業になると想像されますが、実現可能性を含めて検討しています。
なによりも映像というのは最もインパクトがあると思うのですがいかがでしょうか?


投稿 管理人 | 2005年10月31日 (月) 23時52分

神聖にして不可侵
2006年9月 3日 (日)
旅路 真実を求めて

日航機墜落事故から21年。愛する人を失った家族たちは、その日から何を語り、いかに行動してきたか。「真実は何か」を求める活動を通して見えてきたこと、訴えたいこと、糾すべきこととは…。本書は、遺族会である「8.12連絡会」の活動記録誌。

2006年9月 3日 (日) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 1日 (金)
プロ市民
いま日本の世論の一角をになうまでになった「ネット右翼」的な観点に立って考えれば8.12連絡会は「プロ市民」ということになるだろうか。
なにしろ訴訟を起こすこと自体、国家に対峙する生意気な存在ということになる。
たとえ裁判と言う制度が国民に認められた正当な権利であったとしてもだ。
デモ、立候補、訴訟、街宣、裁判、署名 様々な意見表明、社会的行動がある。
プロ市民の規定はこれらを行うことでは無い。
例えば靖国参拝を求める署名であればこれはプロ市民とはならない。
権力側に迎合する限りどのような行動もプロ市民とはなりえないからだ。
あくまで国家権力や大企業などのエスタブリッシュメントに対する行動であった場合に「プロ市民」のレッテルが張られる。
その主張に正当性があるか否かは関係ない。
誰が誰にたいして起こした行動かが判断基準となるのだ。
この典型は石原都知事である。
彼は自分と対立する意見に対して、発言の内容ではなく、その発言した人物の背景を説明し「こういう人物だから‥‥」と否定する。
最近ではオリンピック候補地として競り合っている福岡の応援演説を行った在日韓国人である姜尚中東大教授にたいして「怪しげな外国人がなまいきだ」と感情的にののしった。
その発言内容ではなく、発言者が在日韓国人であることをことさら強調し人格すら否定する。
私は韓国は好きではないと書いた。
しかしだからといって彼らのすべてを否定することはしない。いいところや正しいものは認める。
私はつねにオープンマインドだ。
姜尚中氏は理性的意見を独自の柔らかな話口で述べる、素晴らしい日本屈指の論客であり私の憧れでもある。
1ビット思考であれば「在日」=「悪」であり、ましてやリベラルな意見の持ち主とあれば「人格否定」までいきついてしまうこの短絡的発想。
本人は在日攻撃が格好いいと思っているのだろうが、私から言わせれば品の無い日本人よりも、この在日韓国人の方がはるかに尊敬に値する。

2006年9月 1日 (金) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月29日 (火)
補償の不平等がもたらすもの
慰謝料の補償交渉にて今回のような元暴力団組員への莫大な補償のほかにもダダをこねた遺族への「配慮」や「接待」が現実に行われたようだ。
日航の立場としては下手に出るしかないのだから、遺族のダダこねにもある程度付き合った。
これはある程度やむをえない事情があったことは理解できる。しかしそれも程度問題というものだろう。
特定の遺族に対しての便宜供与は、その他の大勢のまっとうな遺族に対する裏切り行為に他ならないからだ。
大半の遺族はワガママやダダをこねるといったエネルギーすら無かったろう。
むしろ、パワフルにせびり取るだけ取ろうという遺族がいたとしたらむしろ、それだけ「余裕」がある立場だと見えなくも無い。
遺族だからといって皆が一様に同じような立場、悲しみというわけでもないはずだ。
子供か、親か、内縁の妻か、遠い親戚か。
そして仲が良い関係からいがみあったり離婚寸前だったりすることもあったろう。
週刊新潮の記事によればその元組員は「体の良い脅迫」だと言ったそうだ。
悪知恵がはたらいたり、何らかの弱みを握ったり、ある立場を利用してたかりまくる一方で本当に悲しみに打ちひしがれている人が、交渉に割くパワーも無く相対的に低い額で妥結していたと言うことだろうか。
もし日航に加害者側としての認識があるならば、真の不幸を背負った人々への背任こそもっとも戒めるべき行為であるはずだ。

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2006年8月27日 (日)
補償交渉でのスキャンダル
週刊新潮に日航機墜落での補償交渉でのあるスキャンダルが記載されていた。

もともとは朝日新聞にて1994年に報道されたスクープの後追いの記事である。
要約すれば元暴力団組員の在日韓国人男性が内縁の妻をこの事故で亡くし慰謝料として膨大な金額をせしめたという話である。
その金額は直接的な慰謝料だけで5億円、その他の便宜供与(旅行代理店の立ち上げ、格安チケット仕入れ、その他債権放棄等)を加えれば10億円は超えていそうだ。

この男性は病気で亡くなり家族やその後の交際女性の口から真実をかたるべきとして詳細な経緯が載っている。
日航機事故での補償交渉では通常一人の犠牲者で数千万円が相場である。
その何倍もの慰謝料が正式な家族でもない男性に支払われたという事実を他の遺族はどう感じるだろうか。

似たような話は他の事故や補償でも過去にあっただろうし、これからもあるだろう。
日本および世界の権力構造は大まかに言って政財官とマスコミ、宗教、ヤミ勢力の6大権力構造が牛耳っている。
事故の被害者にヤミ勢力がいればこういう事も起きえる。

とはいってもやはりこの話はやりすぎではないかと思わざるを得ない。
ヤミ勢力への対応でその企業の体質がある程度判明する。
警察等の協力を得て毅然とした対応を取る企業。逆に便宜供与を与えて癒着する企業。
この日航の破格の対応は経営陣や首脳陣の体質を如実にあらわしている。
この一件で最も悪事を働いたのはこの元組員ではなく日航の経営陣である。
そしてもっとも大きな被害を受けたのはやはり遺族の方々である。
事故への保障において、このような不平等で不誠実な対応をされたという事は、日航は二重の意味で遺族の心を踏みにじったからである。
この件を問われた日航は「個別の補償交渉については口外できない」と誠意のかけらも感じられない。
私が経営者であればどうするか?
20年前の過去に過ちがあれば正したい。
コンプライアンス(法令等遵守)が重視される国際企業であればなおさらだ。
私ならこう言う。
「即座に事実関係を調査して報告し今後の再発防止策を講じる。」
恥ずかしい過去が明らかになるだろう。それでいいのだ。
しかしこう言う人物は腐った組織では出世できないしトップには立てない。
トップを見ればその会社組織の本質が見える。
だから私は日航の株は買わないのだ。

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2006年8月13日 (日)
21年目の夏
日航機事故から20年間の経過を境にしてはじめたこのブログも1周年を迎えた。
21年目という中途半端な年であるがはやりニュース番組で慰霊祭が取り上げられている。
これをどう捉えればいいのだろうか。

これは良い事だと思っている。
500人以上がなくなるような飛行機事故は過去20年間起きていない。
もし4〜5年に一機くらい大型ジャンボ機が墜落しているとしたら、わざわざ21年前の日航機事故が取り上げられることは無いだろう。
日航においても近年トラブルが続発したが、結果責任で言えば一応安全は確保できたと評価を与えたい。
ご遺族の方々はあの事故の教訓を生かして安全を確保して欲しいという気持ちを持っているであろう。
21年前のこの大惨事がもたらした未曾有の悲劇と損害が、航空業界に何らかの緊張感を与えてきた結果であればご遺族の願いが叶っているといえる。
「あの悲劇を決して繰り返すな。」という思いがあれば惰性となりがちな日々の業務において安全へのモチベーションとなるはずだ。
私の好きな言葉「転んでもタダでは起きない。」 これは自分にマイナスな事や障害が立ちはだかった時にそれを逆利用する事を意味する。
(七転び八起きはややニュアンスが違う)
どうしても後ろ向きになりがちなときに前向きに物事を考えたいからである。

21年前に事故が起きたのは取り消しようの無い事実である。
「転んで(事故が起きて)もタダでは起きない(その事故を教訓、教科書としてより安全性を高める。)」
あの事故以来、日本の航空会社は乗客に死者を出していない。
ご遺族には何の慰めにもならないかもしれないが、私は過去21年間の実績で見ればご家族の死も無駄では無かったと前向きに考えたい。

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2006年7月24日 (月)
御巣鷹への道
興味深い映像を見つけました。

現在の御巣鷹登山口への道のりです。

御巣鷹への道


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2006年7月 3日 (月)
鬼塚さまより「123便の残骸を見て」
鬼塚さまより日航安全啓発センターでの123便展示会を見学された後いただいたご感想です。
大変素晴らしい内容で、コメント欄では勿体無いと思い本編へ転載させていただきました。

内容:
--------
先日日航の安全啓発センターに行ってまいりました。5月末に予約したんですが、6月末にやっと入れて頂くことができました。
係りの方はとても丁寧、親切でした。世代交代の早い社内で、日航内部での風化を防ぐ意味もあるような気がしました。
問題の隔壁、風船のようなものとは聞いていましたが、本当に薄い鉄板でした。
しりもち事故後の補修部分、穴の開くほど見てきましたが、隔壁の破れた部分とは微妙にずれていて素人の私が見ても、補修部分が与圧噴出の原因とは考えられません。
日航としては当然事故調の結論を前提にして、いろいろと説明がありました。
残骸を見ているとなぜか元事故調委員長の武田氏のことを考えてしまいました。

しりもち事故の補修部分はたかだか1m。
薄い金属片が、これまた薄い隔壁の鉄板上下を結合したもの。
この1mそこそこの鉄の板に日本政府(?)や、米国(FAAやボーイング社など)の思惑・画策が重なり合ったのかと思うと感慨深いものがありました。
何故、そこで事故調の武田委員長を想ったかというと、少し航空機のことを知っている人であれば、急減圧があったという説に無理があること、またそもそも補修ミスと隔壁破壊を結びつけることの矛盾など誰にでもわかることなのではないか?
武田委員長は、そんなことを百も承知で、敢て、何か大きな圧力に身を委ねたのではないかと・・・。
それは先日亡くなられた当時の運輸大臣からの圧力か、はたまた当時の総理大臣からの直々のプレッシャーなのか・・・。
科学者であれば「恥じるべき説」を、なんとか小さな矛盾だけで留めるにはどうしたらいいのか、どんなシナリオを描けばもっともらしく思えるのか、多分物凄く悩んだのではないか。
また人間として、やってはならないことをしているのではないか。520名の犠牲者への気持ち・・・。
調査すれば調査する程、逆に湧き出てくる急減圧への疑問。
検討会議中の他委員たちからの叱責・怒号・落胆の声。
それを宥め正当化させるという自己矛盾。
人間の心を持っているならば多分武田氏は彼なりにかなり悩んだのではないでしょうか。
そして到達したところは、国家の為と言い聞かせ、自分が死んだ後往くべきところは地獄だと覚悟を決めて、敢て真相究明に蓋をしたのではないか。
聴聞会での東大小林教授の意見。
なぜ隔壁破壊から尾翼倒壊へ至ったか、全く説明がなされていない。
隔壁破壊・尾翼倒壊・補助動力装置の破壊が同時に起こるなどとは考えられない。
尾翼倒壊に伴う外壁剥離による内圧低下について考えられていない。。。等等
武田氏は心の中で思ったのではないか。
「そんなこと指摘されなくてもわかってるよ!それでも隔壁破壊と尾翼倒壊を結びつけなくてはならない俺の気持ちを察してくれよ!」
そんな中「壊れた尾翼」のように自分のことを擁護してくれる科学者が居ることの方が彼にとっては信じられなかったのではないか。
「おいおいそんな緩やかな減圧で、しかもリリーフドアが開いた状態で与圧が尾翼を壊すのか。そんな説を唱えて、君も科学者としての命を縮めるんじゃないのか。」
心の中ではそんなことを思いながら「加藤君、世の中にはわからないことが沢山あるんだよ・・・」と深いため息をついた、のではないか。
そんなことを考えてしまったのです。これも私の妄想の一種ですよね。

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2006年5月 7日 (日)
「教授」をフォローする
前方加速度の根本原因についてはあえて触れず、いきなり噴出した空気の総量と開口部の計算を行い「これだけの加速が出るのはこれだけの空気が噴出したはずだ。」
という論理の飛躍。
「科学者」としてはいささか強引な論理展開であるが、実は彼はこれを意図的に行っていると私は推測している。
ステップバイステップで原因を究明していくというのは科学のイロハであるがいきなり「桂馬」で「玉」を狙っている。
その理由は、この前方加速度のそもそもの根本原因について首を突っ込むと自分には手に負えない世界となることを承知していたのだろう。
つまり彼の専門分野ではなくなってしまうということだ。
前方加速が空気の噴出が原因だとしたら彼のフィールドでなんとでも料理できる。
しかしその原因が全く別の原因、例えば何かが尾翼にぶつかったとしたら?
この時点で彼はまったく畑違いのフィールドに足を踏み入れるリスクを犯さなくてはならない。

私は大学教授といえども神様ではないと言った。専門外の分野であれば意外と疎いものだ。
しかしインテリジェンスの権威であるとされる教授の肩書きで書く以上「専門外だから」という言い訳は通用しない。
万が一、明らかな間違いを犯してしまうとその時点で自分の専門や肩書きまでもが否定されるほどのプレッシャーが彼らにはかかっている。
その点私のような名も無き会社員は気が楽である。
不完全な仮説や推論を気軽に表明することが出来る。
そういう意味では「教授」にはやや同情するべき側面があるだろう。

しかし「気軽な意見表明の困難さ」は「教授」と言う社会的地位とのトレードオフであることを忘れてはならない。
彼らは「大学教授」という肩書きをいつでも捨て去ることは出来る。
しかし長年の苦労の末に得た日本一の大学の教授の地位を捨てるはずも無い。
権力に迎合していると思われても、エスタブリッシュメントとしてふさわしい役割を課しているのだろう。
たしかにこれが出来る人はアカデミー界でも「出世」できそうである。


2006年5月 7日 (日) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 5日 (金)
急減圧の最大の根拠
日航機の墜落事故において原因究明の要となったのが急減圧の有無であった。

「急減圧があった。」とする論客といえば加藤寛一郎教授である。

航空力学において第一人者である彼が急減圧があったとするもっとも明白な根拠を以下のように挙げている。
それはDFDR(デジタル飛行データ記録装置)という装置に記録された前後の加速度の変化である。

簡単に言えば事故の瞬間一瞬前方方向に加速度が発生していると言う事だ。
つまり風船に穴が開いたように一瞬空気が後部から噴出したため前方に加速したとしている。

123便に発生した前方加速について加藤教授はモーメンタム理論や運動量理論による数式を例のごとく並び立て一気に突っ走る。
そしてこの加速を発生させるにはこれだけの空気を噴出しなくてはならないと計算式を提示してみせた。
その結果「DFDRの記録が正しければ隔壁が大破壊したのは確実である。」と断定している。

ここで「ふむふむ、なるほどね。」と納得してしまったら貴方は確実にリフォーム詐欺や振り込め詐欺の類の悪徳商法に引っかかる素質があると断定しよう。

「ちょっと待ってくれ」

この程度のギミックを見破れないようでは世知辛い世を渡り歩くことはできないしビジネスの才能はゼロだ。

はっきりしているのは123便に何らかの前方加速が発生したというだけで、その原因は不明であると言う肝心の部分をすっ飛ばして、専門外の人間には理解が難しい数式の数々という「印籠」の威厳に頼っている所に無理がある。
彼はこの加速度が飛行機後部より噴出された空気によるという前提でその噴出された空気量を計算しているが、その計算は圧力隔壁崩壊説でなければ意味の無い計算であろう。
基礎の無い建物に複雑な構造計算を行って「ほら、専門家がこんなに計算してるんだから安心してください。」と言っている様な滑稽さすら感じる。

2006年5月 5日 (金) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年4月22日 (土)
21年ぶりの残骸展示
羽田空港にて日航機123便の残骸が展示される。
一時は残骸の破棄を示唆していた事を考えると日航も随分と考えを改めたものだ。
相次ぐ不祥事でとても破棄できる状態ではなくなったという側面もあるだろうがまずは評価したい。
羽田空港の整備地区にあるというこの「安全啓発センター」是非行って見たいなぁと思った。
しかしそのためだけにわざわざ羽田空港に行くのもナンだし、出張の時に少し立ち寄ろうかと思ったのだがどうやら一般客が気軽に行けるような雰囲気ではなさそうだ。
前日までに予約が必要であると言う。見学時にはご丁寧にも安全啓発センターのスタッフが付き添いで説明するのだそうだ。
家電製品店でテレビみてたら店員がやってきて話しかけられるようなうざったさがなければいいが。
いや、私のようにこの事故に興味深々でそこそこ知識を備えている立場であれば、「このデッキの在庫ありますかぁ?」と聞こうとしたのに店員がぜんぜん見つからないような失望感の方がありえるだろう。
3名のスタッフにより運営されるとのこと。
日航社内や乗員組合はどういう考えを持っているのか意外と「本音」を語ってくれるかもしれない。
しかし、そもそもこのような辺鄙な場所の展示場に足をわざわざ運ぶ人というのは「どこか変」ではなかろうか。
航空関係者でない一般人なのにわざわざ予約を入れて足を運ぶというのは相当「マニア」だ。
例えば私のようなマニアがセンターにいって根掘り葉掘り細かな話を聞く。
スタッフは「また変なのが来た」と作り笑顔の背後で舌打ちしていそうだ。

ここはあの手を使うのが良かろう。
川上慶子さんの故郷 島根県大社町への巡礼で使った手だ。
家族サービスで羽田空港までドライブに行き屋上から飛行機を見る。ついでに安全啓発センターにも行く。
家族サービスを兼ね、かつ家族連れであるため男1人よりも「変人指数」は抑制されて見えるはずだ。
応対するスタッフから聞かれる。「どうしてわざわざ見学に?」
「娘が飛行機を見たいって言うんで来たついでに寄って見ました。」
……うん、なんとなく自然な感じだ。

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2006年4月20日 (木)
ある不思議な出来事
朝の通勤電車。
私は日航機墜落のご遺族の想いをつづった「茜雲」を通勤電車で読んでいた。
その世界にどっぷりとつかってしまった。
地下鉄に入ったことも気が付かずに私はその遺族の思いを共感しその悲しみの世界を共有していた。
ふと気が付いた時、耳慣れない駅名を聞いた。
しまった! 私は二駅も乗り過ごしていたのだ。
普段の私は電車で乗り過ごすということは殆ど無い。
今の通勤路線はまず座ることが出来ないので寝ることも無いからだ。
しかも出勤時に乗り過ごすという経験はおそらく初めてだ。
私は遅刻を覚悟した。いつも事務所の机に付くのは日により変動するが平均すると開始5分前だ。
二駅乗り過ごすということは往復で4区間分余分に時間がかかることになる。
私は「駅すぱーと」などのソフトが出る前に首都圏において到着時間の大雑把な時間を計算する方法は
止まる駅の数と乗り換えの数の総計を3で掛ける方法で算出した。
つまり一区間3分、乗り換えも3分で計算する。そうすると大概「実態」と合った。

合計4区間が余分にかかる。一区間3分なら12分、2分としても8分。「あぁダメだ……」私は諦めた。
しかし不思議なことに私は定時プラス1分程度である9時31分に着座できた。
タイムカードは無いから許容範囲である。私には奇跡に思えた。
ただ偶然なのか奇跡なのか一応検証してみることにした。

「駅すぱーと」をつかってみる。時刻表どおりであれば最短パターンで9時27分に駅に着くことが分かった。
ちなみにその最短パターンの場合乗り過ごし先の乗り換え時間は0分。つまり着いた瞬間にすぐに向かいの電車に飛び乗る必要がある。
そこから速攻でオフィスに向かえば31分に確かに着座できる。

「理論上」は奇跡でもなんでもないことが判明した。
しかし朝の電車の時間は頻繁に狂うことは皆さんご存知であろう。
この最短パターンで出社できたのは私にとっては奇跡とまではいかないまでもかなりの幸運だったのは間違いない。
茜雲に心を打たれた私に事故の犠牲者が微笑んでくれたのだと私は信じている。
そして自分が日航機事故の犠牲者と心を通わすことが出来た気がしてとても嬉しかった。

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2006年4月18日 (火)
加藤寛一郎教授のBEA事故の見解
先生はお忙しいようなので代わり加藤寛一郎先生の著書を紐解こう。
「壊れた尾翼」この名著には1971年のBEA機の圧力隔壁崩壊による尾翼破壊事故についてこう記してある。

「当時の尾翼はこのような尾部の急激な内圧変化に耐えられるようには設計されていなかった。」

著者は同じく「飛行機は事故により進歩する」と述べている。

あげ足を取るようで気が引けるが著者が書いてある事を裏返せば図らずも今の飛行機は「急激な内圧変化に耐えられる様に設計されている。」事になる。
であれば、この圧力隔壁崩壊による内圧という要因はすでに日航機事故の起きる10年以上前に既知となり改善対象となっているということだ。

実際圧力隔壁が崩壊し、その圧により尾翼が破壊されたのは日航123便を除けば1971年のBEA機の事故のみである。
その事故から8年後の1979年9月17日。エアカナダ680便、DC9型機において同じく圧力隔壁が破壊される事故が起きた。
その時には急激な内圧変化に耐えられる様に改良された尾翼は破壊されずに機は生還している。
記憶に新しいのはタイ空港における手榴弾爆破であろう。あの時も圧力隔壁崩壊が発生したが尾翼は無傷であったことも思い起こされる。
1971年のBEA機の事故の経験が生かされて隔壁破壊に備えたフェイルセーフが導入されたがゆえに、その後の各種事故は隔壁崩壊による内圧変化に飛行機は耐えられることを実証しているのである。
実験でも再現できず、実際の事故でも内圧に耐えられることを実証した事実が存在する。
自己矛盾は事故調査委員会のみならずエリートの中のエリートである加藤氏の著書においても存在しているようだ。
これをどう理解すればいいのであろうか。あまり難しく考える必要は無い。
自分は東大やその他エリート校の教授と色々話した経験で感じるのは、彼らはスーパーエリートであるがやはり同じ人間であるということだ。
彼らは自分の専門に関してはとてつもない深い知識を持っているのは事実であろう。
しかし例えば専門外の話を振ってみたら意外と普通の人と変わらないものだ。
インテリエリートだからといって神様ではない。彼らとてミスは犯す。

だから私はこの戒めを言ったのだ。「専門家が常に正しいとは限らない。」

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2006年4月16日 (日)
バグが潜んでいた事故調査報告書
1971年10月2日ブリティッシュ・ヨーロピアン・エアウエイズが隔壁破壊により墜落した。
圧縮された客室の空気が尾翼を破壊し操縦不能となり墜落し乗員乗客全員が死亡した。
日航ジャンボ機墜落の事故原因のヒントとなった事例である。
一見この事実だけを見るとなるほど日航機も同じ原因で落ちたんだと納得してしまうであろう。
しかしよく考えてみよう。
飛行機の安全性は事故や墜落等の原因調査と対策のサイクルにより向上している。
このBEA墜落事故の結果、隔壁が破壊されても空気が抜けるようにプレッシャーリリーフドアが付けられ、かつ尾翼内部にも空気を逃がす空気穴が沢山あけられている。
BEA事故当時の機体と違いジャンボジェット機の尾翼は一体構造で強固なものとなった。
また尾翼内部は仕切られており人が出入りするマンホールからしか風は入り込まない。
これらの措置は隔壁破壊が再発した場合に備えて計算を行い、その結果を実験やシミュレーションにより検証されたものであるのはいうまでも無い。

こういった何重もの安全措置が講じられているのは紛れも無く過去の事故からの反省材料を取り入れた結果である。
ジャンボジェット機が世界一安全な乗り物という称号を得たのはこの二重三重のフェイルセーフの仕組みからである。

日航123便が圧力隔壁が崩壊し墜落したという説に立脚するならば60名以上が死亡したBEA事故の教訓はまったく生かされていないと言うことを意味する。
実際にその対策はなされているにもかかわらずである。

情報システムの分野でも満を持してリリースしたプログラムに重大な欠陥があることは良くあることだ。
「あちゃー、その仕組みがないや」とか「こうすると矛盾が発生するな。」とかだ。
判明した時点でそのバグは修正され安定して動作するプログラムが完成する。
いわゆる「枯れた」=「安定した」状態となるのである。

事故調査委員会が自信を持って提出したこの事故調査報告書には実に分かりやすい「自己矛盾」=「バグ」が潜んでいるようだ。
優秀な専門家がなぜこのようなバグを見逃したのであろうか?
一説では私が以前書いた「集団浅慮」が原因であろう。
ではそのメンバーでもないスーパーエリートはどう考えるのであろうか?
スーパーエリートといえばこの人しかいないであろう。
加藤寛一郎氏に再度登場願おう。

「先生 どうぞこちらへ。」

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2006年3月20日 (月)
巧妙なレトリック
加藤寛一郎著
「壊れた尾翼」

自分が推す自説の説得力を増す一つの技法が存在する。
あえて自説の反対意見を取り上げる。
この技法では反対意見が「稚拙」という特徴を持つ。

急減圧があったというのが加藤氏の持論である。
この著書にはいくつか興味深いレトリックが組み込まれている事に気が付く。
乗員組合は急減圧が無かったと一貫して主張している。
著者の主張とは真っ向から対立しているわけだ。
タイ航空手榴弾爆破の時、乗客は皆急減圧により耳を痛め聴力が一時的に弱まった。
彼は著書である乗員組合のコメントとしてこう書いてある。

「川上慶子さんは救助の人の声で目が覚めた。急減圧が発生したなら耳が聞こえないはずだ。」

この乗員組合の誰かの逸話を、急減圧への反証として取り上げている。

なんという間抜けな説だろうか。本当にこの様な事を乗員組合の者が言ったのだろうか。
彼女が急減圧発生から救助までいったい何時間経過しているか考えてみれば良い。
実際慶子さんが本当にそれで目覚めたのかも定かではない。まるで説得力の無い愚論であろう。

パイロットは1000倍の倍率を潜り抜けたスーパーエリートである。
頭脳明晰な彼らがこのような稚拙な論理を本当に展開したのか。
この逸話は具体的に乗員組合の誰かは説明が無い。

この話が事実か否かは別として、このような稚拙な反論をあえて大きく載せることで自説への反対意見の説得力を削ぐのである。
このようなレトリックは実際は珍しくは無い。彼に限らず実際私だって使う論法だ。
大切なことはそのレトリックに惑わされずこの良書から本質のみを抜き取ることなのだ。

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2006年3月17日 (金)
江連記者との対話
911テロでの各種証拠隠滅工作、情報操作。これらが何を意味するかを話すときに注意する必要がある。
一歩間違えばトンデモ本の類として一笑に付される恐れがある。
「イっちゃった人」の戯言にしない、とっておきの方法を見つけた。

それは加藤寛一朗氏が著書「壊れた翼」で使った技法だ。
虚実を入り混ぜて記者との対話形式としてオブラートに包み思い切った自説を展開するという方法だ。
この技法は実に素晴らしいことに気がついた。
さっそく拝借しよう。

私「真珠湾攻撃は情報戦を得意とする米国が事前に知っていたというのはほぼ今では常識となっている。」
江連記者「真珠湾攻撃と同じく911テロも実際は知っていた?」
私(さすがマスコミの連中だけあってするどいな‥‥)
私「米国政府は知っていたが、あえてやらせた可能性がある。」
江連記者「そんな馬鹿な。大勢の人が死にますよ。」
私「米国の当時の権力中枢を握っている連中が911テロのあとどうなったかを見れば良い。」
江連記者「ブッシュ大統領の父親ブッシュ元大統領は当時兵器産業の役員でしたね。」
私(さすが、よく知ってるな。)
私「そう。つまり911テロによりブッシュやネオコン周辺は結果的に巨万の富を稼ぎ利権を手にしてホクホクになった。」
江連記者「でもあなたは日航機事故で520人の命と引き換えに得られる利得など存在しないと言ったではないですか!」
私(おいおい、私にその先を言わせるつもりか。)
私「つまり、数千人の命を引き換えににしても彼らは支持率アップし利権と権力と富が手に入る。彼らにはそれが魅力だった。」
私(ふぅ、だから切れ者のインタビューは嫌いなんだ。)
江連記者「米国でそれがありえるなら日航ジャンボ機墜落において520人の命と引き換えに出来る利得がない根拠は?」
私(そう来たか!)
私「911テロでは権力者にあらゆる巨大利益が転がり込んだが、日航機墜落事故では権力者や関係者に利得があったようには見えません。だからそれは無いでしょう。」

江連記者「時の権力者は戦争によって自分の権力を維持するというのは珍しくはないですよね。ブッシュもその中の1人であったと?」
私(ついつい乗せられたな。分かってるなら自分で言ってくれよ。もうここまで言えば開き直るしかないか。)
私「ん〜ん、まぁその可能性は十分あるということです。」

江連記者「しかし、知っててやらせる話はわかりましたが、なぜFAAは交信記録を破棄し、ブラックボックスを隠滅させたのですか?」
私「ブッシュやネオコン周辺に都合の悪いやりとりか情報があったと考えるのが自然でしょう。」
私(さてどうくるワトソン君……)
江連記者「アルカイダの単独犯行なら隠す必要は無いですよね。ということは……答えは必然的に求められますよね」
私(けっ……誘導尋問か……)
私「ん……ん、そうです。つまり、例えばですよ、航空関係者、フライトクルー、キャビンクルーに内通者もしくは犯罪に加担した者がいたという可能性があり得ます。」
江連記者「ほかの可能性は無いのですか?」
私「ほかには管制が意図的に悪意ある誘導を行ったとか……いずれにしても権力が恐れる情報がそこにあるとしか思えません。」
江連記者「先生随分と思い切った説を唱えますね。」
私(言わせておいてそれかよ!)
私「いや私はですね、可能性を言っただけです。ただいずれにしても権力側にとって都合の悪い情報があるというのは可能性はかなり高いと思いますね。」
私(さて、これで帰ってくれるかな……)

何事もそうだが攻めるより守るほうが難しい。
自作自演でこのやり取りをやって気が付いたことがある。
それは同じ力量であればインタビューするほうが勝利すると言うことだ。

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2006年3月15日 (水)
消滅したボイスレコーダー
この911テロは米国の事故調査の闇を赤裸々にした。
驚くべき調査活動の恣意性はFAAによる組織的な交信記録のテープ破棄に留まらない。

日航機墜落の原因は圧力隔壁が金属疲労を起こし急減圧とともに尾翼を破壊させ墜落した。
これが日本人の大半が信じている事故原因である。
さて、この911テロでは「ハイジャック犯」がコックピットを乗っ取った末の犯罪ということになっている。
私もこの事実は否定しようがないと思っている。
しかし米国では実はそのハイジャック説自体がウソではないかと言う説がある。
明確な証拠がないためだ。
たしかにFAAにより交信記録は破棄された。しかしボイスレコーダーがあるはずだ。

911テロの現場であるグラウンドゼロにおいてボイスレコーダーは発見されなかった事になっている。
海中深く沈んだ飛行機の話ではない。
熱でテープが破壊されたと言う話なら理解できる。
陸地に墜落した飛行機からボイスレコーダーそのものが発見されなかったと米国政府は真顔で公式見解を出した。

実はこのボイスレコーダーは2人の消防士によって発見され政府関係者に渡されている。
FBI職員は2人の消防士にすごんだ。「ブラックボックスの件は黙ってろ。」
理由を告げられなかった消防士はその場で「お断りだ」と拒否し公になった。
交信記録もボイスレコーダーも無い。
だから証拠が無いのだ。
残るは乗客の携帯電話による実況中継であるが、現在の携帯電話の規格では飛行高度では携帯電話は通じない。

これらの事実は何を意味しているのか?
この911テロは単純な事件なはずだ。「悪者が乗っ取って突撃した。」
日航ジャンボ機墜落に比べても随分とわかりやすい構図だ。
本来権力側に隠すような事は何一つ無いはずだ。
逆説的に考えれば911事件においてある権力側に不都合な秘密が存在し、ボイスレコーダーや管制記録にはそれを明らかにする情報が存在した。
そう考えると一本の線で結ばれ謎は整合性の取れたものとなる。

日航機墜落における数多くの謎はミサイル誤射説を仮定するとすべての矛盾が解消するのと同様である。

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2006年3月14日 (火)
米国における情報操作
航空機の事故調査の偏向は日本のみならず米国においてもあるのか?
よく航空機事故の調査では先進例としてボーイングのお膝元米国やコメット機墜落事故での徹底した調査で有名な英国が例に挙がることが多い。
私は以前米国における情報操作の大雑把さを取り上げた。
では本場米国で大雑把な証拠隠滅や情報操作が行われているのだろうか?
まずはブッシュ大統領の存在自体がファーストフード並のウソの塊に見えるがそれでは話が終わってしまうので各論に入ろう。

ここで取り上げるのは911テロである。
純粋な飛行機事故ではないがこの顛末は米国の闇が大通りからガラス越しによく見える。
911テロはご存知のように旅客機が利用された。
この時の管制とパイロットとの膨大な交信内容の記録は磁気テープとして連邦航空局(FAA)に保管されていた。
しかしそのテープは連邦航空局のマネージャによって裁断され丁寧にも別々のゴミ箱に捨てられ破棄された。
この真珠湾攻撃(Pearl Harbor)以来の大事件を記録した証拠テープを破棄したマネージャは罪に問われることは無かった。
驚くべき事にFAAはマネージャを非難するどころか証拠テープの廃棄は問題ないとしてこの行動を擁護しているのである。
あたかも何かの戦略的意志があるとしか思えない米国の事故調査の不可解さ。

渡米してお腹が空いたのでファーストフード店にはいって最初に飲んだ甘ったるいジュースでもう腹いっぱいになったあの感覚を思い出す。
Good enough! この一件だけでも十分病んだ米国を感じることが出来る。
私の好きな自由と民主主義の国 アメリカ合衆国ですら平然と情報操作や証拠隠滅は行われている。

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2006年3月11日 (土)
急減圧実験の偽り
名著「壊れた尾翼」を著した加藤寛一郎氏を私は日航ジャンボ機墜落の事故調査における権力側のインサイダーと評した。
何の先入観も無かった私がこの著書を読み進めるに従い何故そう感じたか。

日航機は高度7300メートルで事故に遭遇。
高濱機長は高度の維持を管制に伝えその後20分間高度を維持している。
低酸素症は5000〜6000メートルから発生する。

「壊れた尾翼」には事故調査委員会による急減圧テストの結果が書かれてある。
そこでの結論を大雑把に言えば「個人差が認められ急減圧により知的作業に支障は出たが意識の喪失は無い。」とある。
要するに「急減圧はあったが、乗員は個人的に急減圧に耐性があり問題なかった。」と言いたいわけだ。

実はこの事故調査委員会の実験は実際は1986年7月と9月の二度行われた。
加藤氏は著書では実験が二度行われたことについては触れていない。

7月の実験では被験者は「肺から空気が急激に吐き出され目の前が暗くなり顔色は1分半で土色になった。」と感想を述べている。
これではまずい。事故調査委員会は再度条件を緩和して実験を9月に行った。
二回目の実験では5畳の実験室に4名が酸素マスクを付け事故調査委員会の小原医官だけが被験者となった。
二回目の実験では小原医官は18分間何事も無かった。
この二回の実験の相違は何を意味するのか?
二回目の実験では4名の酸素マスクからは狭い実験室に酸素が漏れ出した。もしくは意図的にもらした。
だからこそまったく違った実験結果となったのである。

この小原医官というのは落合由美さんに急減圧を認めさせようと事情聴取した人物である。
その彼が二回目は自らじきじきに取り仕切って事故調査委員会の筋書き通りの実験結果を捏造した。
この辺が真相であろう。

そしてこの2回目の結果が加藤氏の書いている実験結果である。

一度目の実験でバカ正直に急減圧テストを行いとても操縦できる状態ではなくなってしまった。
これでは事故調査委員会が導きたい結論の根拠とすることが出来ない。
よってその結論と合致するように手心を加えて再度実験を行わざるを得なかったのだ。
この話、どこかで聞いたことが無いだろうか。
私が思い浮かべた逸話を紹介しよう。

お隣の北の将軍様がある湖で釣りをした。部下が垂れた釣り糸に生きの良い魚を引っ掛けて将軍様はその引きを楽しんだという。
事実が異なれば世界を捻じ曲げてでも自分に合わせる。
私の脳裏にそのこっけいな姿が浮かんだ。

参考文献:米田憲司氏「御巣鷹の謎を追う」

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2006年3月10日 (金)
墜落しない飛行機
東北大学の小濱教授の研究成果により生まれたエアロトレインという乗り物の研究が行われている。
宮城県の旧リニアモーターカー実験施設がこの特殊な乗り物の実験場となっている。
私はこの時速500キロも可能と言う乗り物を見た瞬間「ほぼ完璧」だと感じた。
この車両の最も重要なポイントは浮力の原動力だ。
リニアモーターカーは超伝導技術で車両を浮かせる。
これは素人考えでも大変デリケートな技術であることが想像できる。
現在街中で色んなものが空中に浮いているのが不思議に感じられない世の中であれば別であるが、カリカリの最先端技術であるがゆえにいろんな意味で「無理」がある。
ハイブリッドカーは最先端技術と言われるが実際は枯れた技術要素(モーター、バッテリー等)の集合体だ。

このエアロトレインは空中に浮遊させるために空力を利用している。
空力とは人類の数百年の歴史を持つ「枯れた」技術である。
ヨーロッパで「機械工学」が発達した原因の一つは
電子工学は中で何をしているか分からないからだと言う。
人が見て理解できる技術で動く機械工学は確かに中で何をしているか分からない基板やソフトウエアよりも信頼しやすい。
このエアロトレインは推力はプロペラを使う。
空中へはボディ横に付けられた羽による浮力を利用する。
リニアモーターカーと比べて実に分かりやすい技術だ。
翼を地面スレスレに這わすことで浮力を生み出す「地面効果」という現象を浮力に使い浮上する。

ポイントは「地面効果」が利用できるため、そうでない飛行機の浮上力と比較して3倍もの効率を誇るということだ。
エネルギー効率で言えば新幹線の3倍、超伝導リニアの20倍だというこの乗り物。
極めつけはエネルギー源だ。
なんと外部からのエネルギー供給無しで走行するという。
具体的には路面脇の太陽光発電と風力発電をエネルギー源とする。
エネルギー効率が高いためそれで十分なのだという。
海外に出て実感するのは日本の公共移動インフラの全国的充実度だ。
原油高が続くであろう今後を考えれば自動車移動を基本とする米国型社会はいずれ限界を迎えると私は予想している。
BRICsがいくら伸び盛りといえども日本の交通インフラに追いつくのは永遠に無理ではないかとすら思われる。
日本の競争力維持のためにもこの墜落しない飛行機の実現を望みたい。

実現すれば国内においては墜落するかもしれない飛行機にハラハラする必要も無くなる。

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2006年3月 8日 (水)
永遠の予告編
私が昔から不思議に思った事。
それはリニアモーターカーだ。
時速500キロで陸路を移動できる世の中が来るものと子供の頃思っていた。
実験が始まって何十年も経過した。
その成果はどうであろうか。
え? 上海で実用化された?万博で実用化した?
たかが30キロ程度をチマチマ走らせるために何十年も膨大な投資を行ってきたのか?
私はリニアモーターカーに「永遠の予告編」という称号を授けたい。
このリニアモーターカーの研究の一翼をになっていたのが日本航空である。
しかし日航は2000年にリニア事業から撤退した。
それは正解であろう。飛行機屋が商売敵になるかもしれないリニアを開発するというのもピンとこない。
私はリニアモーターカーの開発は一旦打ち止めにしたほうが良いと思っている。
理由は比較的単純なものだ。核となる超伝導技術自体がまだ「枯れて」いない。

私が情報システムを構築する時は最先端技術ではなく「枯れた」つまり開発後それなりに時間が経過し実績もあり技術的に有る程度安定したものを利用する。

超伝導技術が十分にこなれた時点で開発すれば十分だろう。
カリカリの最先端技術でデモをやったところで実は意味が無いケースが多い。

あのプラズマディスプレイを見れば分かる。富士通はブラウン管全盛期にひたすら先行投資してプラズマディスプレイを開発して何年もデモを行ってきた。
しかし基幹技術にブレークスルーが生じ技術的に「枯れた」時点で後発組の松下電器産業等に完全に敗北し今では見る影も無い。
先行投資が勝利を導くとは限らない分かりやすい見本である。

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2006年3月 5日 (日)
加藤寛一郎著「壊れた尾翼」
少し前ライブドア騒動で沖縄で自殺されたとした野口氏の変死が国会でも取り上げられた。
国家公安委員長は国会で自殺であると断言し捜査の必要性を否定した。

私はこの一件以来すっかり落ち込んでしまった。
ホリエモンの悪行に落ち込んだのではない。

「この国は闇勢力が警察権力と癒着している。」
と公安委員長自らが告白したようなものだからである。
柔道をやると警察関係者に顔見知りができるし警察の柔道場にお邪魔することもある。
彼らは毎日懸命に職務に励んでいる。
ウソでも良い。彼らのモチベーション維持のためにも「捜査を続行する」と言って欲しかった。

ベンジャミンフィルフォード氏の著書を読んでもまだ私は鉄の4角形(政財官+闇勢力)の権力構造を信じたくは無かった。
日本にマフィアの支配するロシアを笑う資格はあるのか。
捜査に手心をまったく加えるなとまでは言わない。
しかしここまで露骨な形で現れるとさすがに辟易し、私は落ち込んでしまうのだ。

加藤寛一郎氏による著書「壊れた尾翼」
これは数多くある日航機事故をテーマとした著書の中でも屈指のハイレベル、ハイクオリティな書籍である。
著者の専門知識を生かした素晴らしい洞察と検証にはただ圧倒されるばかりだ。

さて、加藤氏は著書のなかで事故調査委員会を擁護している。

乗員組合は事故調査委員会に大変な不信感を持っていた。
しかしそれに対して
「個人的に知っているメンバーもいる。このような大事故で調査内容に手心を加えるなどと言うことは有りえないし不可能である。」
と著者は力説している。
ホリエモン騒動を語るまでも無く私には何ら説得力を感じない。

この場合我々部外者からみると加藤氏はインサイダーに見える。

そしてその心境は理解はできる。私は以前高級官僚といっても実際の働き振りを見ると滅私奉公の鏡のようなものと彼らを評した。
実際その現場をよく見ると情も移るし「知っている」事の優越感も手伝って彼らを擁護したくなるのだ。
しかし全くのアウトサイダーが「クソ役人!」となぜ思うのかも理解する必要がある。
決して彼らの見方が間違っているわけではない。

「専門家が正しい判断を下すとは限らない。」

これはある特殊な専門分野が存在したとして、その内実を良く知ったものが正しい評価や判断を下せるとは限らないという私の好きな戒めだ。

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2006年3月 4日 (土)
日本航空のゴタゴタ人事
この航空会社は社内の派閥争いで内紛続きである。
派閥争いが外敵との競争以上の存在感を持っているからこそここまで外部に醜態をさらすことに成る。
私が株式投資するときには派閥の話題が新聞を賑わすような会社は対象外である。
派閥というのは「沽券」「根回し」「縦割り」が支配する「小役人」連中が勢力を持っている組織に顕著に出来上がる。
この「小役人」は競争の無い会社程のさばっている。
私のように「顧客サービス」「売上」「利益率」「顧客満足度」「生産性」といった実質を重視する人間からしたら彼ら「小役人」は実に不思議な生き物だ。
彼らは何よりも「しきたり」「伝統」「ルール」がすべてにおいて優先する。
その為には顧客満足度すら犠牲にする。

さて処方箋は?
私の持論は「組織を変革するには解体するのが手っ取り早い」
そう考えれば日航は倒産したほうが長い目で見れば良いだろう。
全員解雇。
全く別の資本が解雇された従業員などの経営資源から取捨選択する。
こうすればトップの交代よりはるかに楽に早く確実に生まれ変わる。

名前は「新日本航空」。

「ニコニコ航空」とかではダメだ。
会社名には重みが必要だ。そういう意味では最近の都市銀行の名前は最悪の命名だ。
平仮名やカタカナばかりで会社名に重みが無い。
この風潮に乗せられて石川島播磨重工業が「ぷるるん造船」とかに社名変更しない事を祈る。

2006年3月 4日 (土) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年2月28日 (火)
睡魔解消の特効薬を公開する
長距離ドライブや会議で襲う眠気。
私もこれらと戦う方法を色々研究してきた。
よくガムを噛むとかコーヒーを飲むとか耳を引っ張るとか発言するとか色々コツが言われているが決定打はなかなか存在しない。
会社での仕事中に眠たくなる場合の対処方法は立ち上がって仕事をすることだ。
これはかなり効果的でほぼこの方法で眠気は解消できる。

しかし立ち上がることができない場合どうするか。
たとえば高速道路の長距離ドライブでの睡魔だ。
私は実家のある山口への1000キロの旅路に車を使うことが良くある。
乗る前は眠くなりそうなら次のサービスエリアに入って寝れば良いと軽く考えがちだ。
しかし徐々に眠くなるなら良いが睡魔を感じた時はすでに相当重症であることが多い。
突然睡魔が襲ってきた時はあと10キロの距離が危なかったりする。
車内で立ち上がるわけにもいかない。
多くの人命が居眠り運転により失われている。
どうしたらよいのだろうか?

いかようなときでも睡魔を吹き飛ばす特効薬を私は持っている。
実は今日あるセミナーに参加し途中眠くなったので、このブログに書く前に再度検証してみたが眠気は一気に解消した。

「悲しい事を考えてウルウルする」

これは効く! すくなくとも私には。

さてでは何をもって泣くかだ。

川上慶子さんの逸話も泣けるがやはりこれだろう。
大阪商船三井船舶の神戸支店長だった河口博次 さん(52)の手帳に書いた遺書。

「パパは本当に残念だ。飛行機は回りながら急速に降下中だ。本当に今までは幸せな人生だったと感謝している。」

あぁ 何度読んでも泣ける。川口さんもまさか遺書がこんな形で活用されるとは予想だにしなかったであろう。眠気覚ましには効果絶大であるが劇薬につき涙が出ない範囲で活用していただきたい。

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2006年2月26日 (日)
慰霊登山での悲劇
1985年9月1日 御巣鷹の尾根への慰霊登山で上司と一緒に登山した久野三郎さんが落石事故に遭遇し亡くなった。
その日は折からの雨で地盤が緩んでいた。
しかし娘夫婦と孫を失った大塚富雄さんと検問所での制止を振り切っての登山中の事故。
結婚を目前に控えていた久野さんは後頭部に岩石の直撃を受けヘリコプターで高崎の病院に運ばれたときには既に息絶えていた。

藤岡市においてまるで亡くなった犠牲者の魂が呼び起こしたような奇跡のエピソードの影での対照的な悲劇。
「神は死んだ」(ニーチェ)のか?
魂など存在しないのか?

「神」は死んでいないし「魂」は存在する。

なぜ久野さんは守られなかったのか?

日航機事故に関連して「魂」や「神」の存在を意識させる様なケースが多数存在した。
ただし現代科学文明においてはこれらは実際は存在しないという前提となっている。
人々が「魂」や「神」の奇跡をあてにすると堕落の道を歩む危険性がある。

私が今乗っている車は亡くなった叔父の車を譲り受けたものだ。
仲のよかった叔父の愛車を走らせているとき「叔父が自分たち家族を守ってくれるはずだ。」
そう考えがちだ。
しかし叔父の「魂」の加護を当てにして乱暴、不注意な運転をしていれば必ず手痛いしっぺ返しを食らうだろう。

地盤が緩んだ状態での慰霊登山は実際多く行われた。
520名の御霊が危険から守ってくれるに違いないと考えて無防備に山に向かうとき、その中から犠牲者がでることになる。

日航機事故の後「神」や「魂」に多くの出番が回ってきた。
しかしあまりしゃしゃり出過ぎ「奇跡」が続発すると人はその存在を確信し、堕落する。
「神」は存在感を示しつつもそれに乗せられたり陶酔する人類を冷たく突き放す厳しさを持っている。

「花は登山口の祭壇に供えてほしい」という忠告を無視したとき、日航機事故520名の犠牲者の肉親ではなかった久野さんを守る「魂」はそこには存在せず「神」からも見放された。

久野さんは大変気の毒だと思うし是非天国で幸せになってほしいと願っている。

この一件は私に座右の銘を授けた。

「奇跡をあてにした瞬間、その奇跡は起こらない。」

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2006年2月19日 (日)
粉々になった遺体の謎(2)
通常の不時着等のスピードは時速300キロ。新幹線の直線スピードやサーキットのストレートスピードと同じくらいだ。
日航機はスピードを落とせなかったのか?
エンジン推力は調整できたわけだからスピードを落とせたはずだ。
ではなぜそれが出来ずに非常に高速で激突してしまったのか?

事故機は全油圧系統がフェイルしていた。つまり飛行機の姿勢を制御できなかった。
専門用語でいえば「迎角静安定(げいかくせいあんてい)」と呼ばれるものが関係している。
事故機は迎角静安定を任意にコントロールできない状態であった。
飛行機のスピードは機首の上下(迎角)の姿勢と表裏一体のものとして調整可能となる。
つまり事故機はスピードを調整することが極めて困難だった。
迎角をコントロールでいないためある一定以上のスピードで飛行せざるを得ない。
高濱機長はスピードを落とすべく車輪を出して空力特性の変更を試みている。

そして、それに追い討ちをかけたのがフゴイド運動だ。
フゴイド運動を簡単に表現すればジェットコースター、もしくはブランコである。
急降下しながら速度が増し、その反動で機体は大きく上昇しスピードは落ちる。
そしてまた急降下を始める。日航機はこれを繰り返し続けた。
想像しただけで身の毛がよだつ。
油圧系統のフェイルによる速度調整の困難さとフゴイド運動による加速。
おそらく衝突時はフゴイド運動によりジェットコースターの加速した状態で御巣鷹の尾根に激突したと考えられる。
それにより通常の不時着や墜落をはるかに上回る運動エネルギーが乗客の肉体を襲った。
またジェット燃料を空中投下しなかったため墜落時の火災で肉片は炭化し多くが判別不能となったと考えられる。
その他にも出遅れた救助活動や真夏の灼熱が追い討ちをかけたのだろう。

これが戦争経験者をして「戦場より酷い」と言わしめた無残な遺体となった要因である。

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2006年2月18日 (土)
粉々になった遺体の謎(1)
日航機事故で無くなった人達の遺体にある特徴があるとしたら遺体が粉々になったことであろう。
遺体を見た戦争経験者が言った。「こんなむごい遺体は戦場でも見たことが無い。」
これは実に貴重な証言だ。
この世に戦場を越える修羅場が存在するのか。

私は決定的瞬間の映像が好きだ。
ノンフィクションのリアリティに圧倒されるからだ。

その中にはモータースポーツでのクラッシュシーンも多い。
300キロ近いスピードでのクラッシュシーン。
しかし大半のケースでは無事だ。
エネルギーはスピードの二乗に比例する。
時速200キロの運動エネルギーを1としたら
日航機が墜落した時の推定速度500キロに換算すると約6倍。
時速300キロを1としたら約2.7倍。

たしかに凄い運動エネルギーではある。

しかし正直モータースポーツのクラッシュシーンを見慣れた私からしたら墜落事故による遺体の断片化はどうも実感が沸かない。

サンマリノGP。アイルトンセナが事故死する前日ローランドラッツェンバーガーはフロントウイングを突然失い時速310キロでビルヌーヴコーナーのウォールにほぼ直角で激突し死亡した。
彼のヘルメットのバイザーから赤いものが溢れ出していたのがはっきり見えた。
ただ驚くのはあの衝撃でも首はちぎれていない。
F1ドライバーは首を鍛えているとしてもヘルメットの重さが首にかかるはずだ。
私がいままで見た範囲ではモータースポーツのドライバーの死亡事故はラッツェンバーガーの事故を含めて全て「完全遺体」であった。
ちなみに翌日事故死したアイルトンセナのコックピットにはオーストリア国旗があった。
彼はウインイングランで亡くなったラッツェンバーガーに哀悼の意を表すつもりだったが、その願いは叶えられなかった。

ラッツェンバーガー事故死の約2.7倍のエネルギーで五体が離散するのだろうか?

日航機は尾根に何度か衝突した上で墜落した。
その過程でスピードも若干落ちているはずだ。
飛行機の機体や翼もクラッシャブルゾーンとして衝撃を和らげたはずだ。
しかし現実に多くの乗客の遺体が数センチ角の肉片となり場合によっては雲散霧消して発見すらされなかった。

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2006年1月27日 (金)
私が億万長者なら
私の懐にお金がうなるほど有り使い道に困っている、そして失うものが何も無い立場だったら?
日航機事故に対して何かが出来るとしたら相模湾に沈んでいる尾翼を回収してみたい。
ある書籍によれば相模湾の尾翼は秘密裏に回収された可能性が言及されていた。
もしそうなら回収作業は無駄骨になるのか?
逆である。そこに尾翼がなければ回収された事実が明らかになるだけである。
何らかの後ろめたい事情があり秘密裏に回収する理由があるということだ。
逆に見つかればそれを元にして原因調査を行えば良い。
しかしこれは巨大権力への挑戦、挑発行為とも映る。
もし私がその過程で足元をすくわれる事態が発生すればやはりそこには隠しておきたい真実が存在するということになる。
金がうなるほどあったライブドアの堀江氏ですら権力構造のインサイダーとはなりえず権力の小道具としてもてあそばれている。
私が億万長者であってこの尾翼回収、原因調査を行う行為にたいして権力構造はどう反応するか。
ただこの事故から20年経過しており当時の真実を知るものが居たとしてもすでに引退している可能性が高い。
だがまだ内部ではトップシークレットとして管理されている可能性もある。
アウトサイダーからはその辺の実情は決して分からない。
真実を知るには必ずしもインサイダーになる必要は無い。
情報システムの分野にはブラックボックステストという概念がある。
外部からパラメタを与えることで権力構造がどう振舞うかを知ればその本質が判明するであろう。
幸か不幸か私はうなるほどの金持ちではないのでそのリトマス試験紙にはなれそうにない。

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2006年1月22日 (日)
官僚機構をあえてフォローする
官僚機構においてなぜこのような故意の無作為が発生するのであろうか。
やや意地悪く官僚機構を揶揄したので別の視点から考えてみたい。
私は個人的に何名ものキャリア官僚を見てきた。
誰を見ても仕事熱心であり「お役人」という一般人のイメージとはかなりかけ離れた減私奉公を地で行くような働きぶりである。
霞ヶ関のビルは立派だが事務所の中に入ると驚く。
一人あたりの机は小さく雑然としており労働環境は劣悪だ。
あまり知られていないが彼らは深夜まで働いているが残業代は殆ど出ていない。
よくあの安月給でエリートが働くものだと感じる。
東大出身だけあって話すと頭の回転が早く理解力も優れている。
一人一人の能力も良心も優れたものを持っている。ではなぜその集合体である官僚機構がこのような故意の無作為を発生させるのであろうか。
官僚機構においてはおろかな行動、決定、無気力、無作為が平然と遂行されるのだ。
馬鹿ではない彼らがなぜ馬鹿げた状態になるのか。
前回しがらみや利権の為、意図的な無作為が行われると書いた。
しかし別の要因もある。
優秀な人間であっても集団の中に入ると正しい状況判断や合理的決定ができなくなる傾向が出てくる。
つまり人間は集団になると馬鹿に成るということだ。
これは「集団浅慮」と呼ばれる現象だ。

なるほど。私は会社で打ち合わせをするときは極力少ない人数で行う事にしている。
出来ればキーパーソン2〜3名で喧々諤々の議論がもっとも生産性が高い。
逆に大勢の集まる大会議が嫌いだ。
大勢になればなる程形式ばったものとなり何も生み出さない。心地よい眠気を誘うだけだ。

太平洋戦争は典型的集団浅慮だといわれている。
勝ち目の無い戦いに挑み、そして敗北が明らかであってもずるずると泥沼にはまる。
その結果が故意の無作為として一般市民に牙を向くのである。

私は日航機墜落事故を通じて官僚や権力に対して厳しい視線を浴びせてきた。
しかし、それは恣意性を排し冷徹そして客観的に事実を分析した結果そうなっただけだ。
官僚機構を闇雲に敵対視するのではなく、組織と言うのはこういった性格を帯びがちだと私なりにフォローしてみたつもりだ。しかしそれが免罪符にならないのは言うまでも無い。

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2006年1月21日 (土)
故意の無作為
私は故意の撃墜等により日航機事故が発生した可能性は無いとした。
これはアクティブな犯罪行為であり証拠があれば立証しやすく大変リスキーなため官僚機構であればやりたがらないと考えるからだ。
しかしパッシブな犯罪は官僚機構のお家芸である。
日航機事故においては、救出活動の意図的な遅れによる生存者の見殺しが典型である。
これを私は「故意の無作為」と呼んでいる。
米田憲司氏によれば「自衛隊幹部は事故の関連を恐れ当初事故現場を混乱させその間に情報収集にあたったのだろう」と推測している。
氏は著書でかなり慎重に事故原因や救助活動の顛末について調査を行っている。
赤旗の記者であるがゆえに闇雲に自衛隊機やミサイル説等のラディカルな説を論じるとあらぬ誤解を受ける事を恐れているのだろう。奥歯に物が挟まった様な歯切れの悪さがややじれったいが、この米田氏の説に乗ってみよう。

仮に米田説が事実だとしたら、それでも十分犯罪行為であろう。
しかしこの犯罪性を立証するのは難しい。救助活動を意図的に遅らせたとしても、それは何かを行った事ではなく、行わなかった事への責任だからである。
官僚機構はその事を深く理解している。

彼らは(故意の撃墜などの)思い切ったことはやりたがらないが「故意の無作為」はスタンダードだと思っておいたほうが良い。
過去に薬害、公害、エイズ血友病、アスベスト‥‥日航機事故などかすむほどの多くの人が官僚による故意の無作為の犠牲になってきた。
彼らの論理に従えば日航機事故において何名かの生存者があの山中で息絶えていったとしても物の数では無いと言うことだ。
そして過去の数多くの犠牲と同じくこの日航機においても官僚機構は実質的に罪に問われなかった。
耐震偽装マンション騒動、食品添加物、電磁波、世の中には害悪や偽りがあったとしても国として黙認せざるを得ない事柄が数多く存在する。
代替手段がなかったり経済成長に不可欠であったり利権が絡んだりと様々な要因から官僚はあえて故意の無作為を行うのだ。
ここまで権力を攻撃すると反体制のアナーキストかと誤解されそうなので断っておく。
勿論国家権力というのは無ければ困るものである。
しかし国家権力が必要であるならば、我々はその権力の本質を理解しておく事も必要なのである。

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2006年1月20日 (金)
自衛隊機による撃墜説
私は仮説を立てること自体の否定は真実の芽を摘む恐れがあると言った。
そう言ったからには一見突拍子も無い仮説と思われるものであっても真摯に検証してみたい。

この事故が意図的なものであったとする説について考えてみる。
典型的なものは自衛隊等の飛行機に撃墜されたというものだ。
自衛隊が関係する事故原因を隠滅するために人里はなれた山中に誘導し最後に撃墜したというものである。

この説はボイスレコーダーのみで否定することは可能だがこの手の大事故が起きた時に出てきがちな陰謀説も見据えて論じてみたい。

このような重大な行為は当然司令官等の責任者が決断を下す必要がある。
では自分が司令官だとして考えてみる。
まずその様な指令をしたところで組織が従う確証が無い。
この旅客機は領空侵犯したわけでもテロリストが乗っているわけでもない。
自衛隊は軍隊とて血の通った一人一人の集合体だ。
仮に命令が下ったとして私が戦闘機パイロットだとしたらジャンボジェット機を打ち落とすことなど到底出来ないだろう。
領空侵犯した旅客機だとウソをついたところで機体には大きくJALの文字がある。
通常このような撃墜を行う場合は何度か警告を行ったり通信による会話が行われる。
よって戦闘機パイロットを騙せるとは思えない。

ではもし、部下や戦闘機パイロットが命令に忠実に動く前提で考えてみよう。
しかしそれでも割に合わないのだ。
もしそれで証拠隠滅が出来たとしよう。それによって自分が得られるメリットはせいぜい職務上の話にとどまる。
つまり部下のミスや過失を隠滅する事が出来る程度の話だ。自分が借金苦から逃れたり、不治の病が治ったり億万長者になれたりするわけではない。いや520名の命と引き換えに得られる個人的利得などさすがにこの世には存在しないはずだ。

それに対してリスクを考えて見る。
もしそれがばれればそれこそ世紀の極悪人として裁かれ確実に死刑となったうえ歴史にも不名誉な名を刻む事になる。
そして家族親族すべてが日陰で生きてゆかなければならないだろう。
もし自衛隊が何らかの過失で日航機が墜落したとして、それが公になっても司令官はせいぜい降格か辞任ですむだろう。
私が司令官ならその様な超ハイリスクローリターンな事はやらずに辞任することを選ぶ。
路頭に迷う? なーに、心配ない。天下り先で第二の人生を謳歌するまでだ。

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2006年1月17日 (火)
藤岡市のパラドックス
日航ジャンボ機事故により藤岡市で遺体確認作業に奔走した方々。
いま藤岡市の当事者達があの経験を振り返れば「職務を遂行した」と満足感を覚えるかもしれない。
しかし「あの時に戻れるとしたらどうするか?」と問えば「遠慮しとく。」と答えるであろう。

これを「藤岡市のパラドックス」と呼ぶ。

藤岡市で遺体確認作業に奔走した方々の多くが述べた言葉がある。
「この事故で人生観が変わった」
「あの時間で人生を何度も経験したくらいの濃い時間をすごした。」
「涙もろくなった。」
「命の尊さを知った。」
PTSDのように心に傷を折った人も居るだろうが大半の人は正常にその後日常生活を送りこのような前向きな言葉を述べている。
自分はこの遺体確認作業を経験をする状況が訪れたとしてどうするだろうか?
誰かやってくれ‥‥。
でも誰かがやらなければならない。
藤岡市で懸命に作業に当たった人達も事前にこう問われれば実は同じ答えでなかろうか。「絶対いやだ!」
時に遺族になじられながら腐臭の漂う中、腐敗した遺体を洗い、ウジを取り除き肉片を拾う作業。
なぜ医師や警察、看護婦といえども普通の人々である彼らにこれが出来たのか?

満員電車の中で酔っ払い同士が揉め事を起こす。不思議な事にその直後全く無関係の別の人同士が同じように言い争いをする。
二人が同じ度忘れをして「う〜〜ん、」長い沈黙の後二人そろって「これだ!」と全く同時に思い出す。
小学校で児童殺害事件がおき、他の多くの生徒の心身が衰弱する。

人の心と心は独立しているようでどこか相互に依存関係を持っている。
バンジージャンプ、海に飛び込む、火事で飛び降りる。そういう時一緒に同じ事をする人がいれば自分もやってしまうものだ。

この藤岡市での遺体復元、確認作業はまさに「地獄の業」と呼ぶに相応しい誰もやりたがらない仕事だ。
しかし「絶対やりたくない」と思う私がその場所に居合わせたらやはり一員となって職務を遂行していたであろう。
なぜか? 
崇高な職業意識や真面目さや倫理観などといったものだけでは説明が出来ない。
藤岡市のパラドックスは「集合的無意識」(ユング)がもたらす心理的相互作用によるものだ。
自分の恐れやためらいを麻痺させ結果的に職務を遂行する力をもたらす。
そしてその場から離れ一人になり、集合的無意識から開放された人は、「いやだ。遠慮しとく。」と答えるのだ。

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2006年1月 9日 (月)
無人標的機(ファイヤービー)説
ファイヤービーと呼ばれる無人飛行機が尾翼にぶつかったという説がある。
この説については私は可能性が低いと見ている。
事故後、陰謀説や撃墜説等と並んで多くの書籍が出た。
全て目を通したわけではないがこれといった納得できる推理を見つけることが出来なかった。
この説について整理してみよう。

・フライトレコーダーの機首の角度の変化が合致しない。
 事故時の機首の角度は微妙に機種が下がった後大きく上がりその後リバウンドで機首が下がったあとに水平に戻っている。
 無人飛行機が正面から尾翼にぶつかったとしたら最初から機首が上がるはずだ。
 また、正面であれば通常は目視できるはずで管制に報告しボイスレコーダーに記録されると考えるのが自然だがその様な発言はない。
 では視界外となると例えば横方向からぶつかった場合だがフライトレコーダーの角度の変化で横方向へは殆ど発生していない。

・管制のレーダーに映らなかった。
 無人標的機などの場合レーダーに大きく写るような細工がしてある。
 しかしこれらの機影がレーダーに映った痕跡は無い。
 なお、この手の情報を権力側が都合のよいように改竄する可能性についてだが、これは非常に難しい。
 完全にばれないように改竄する場合非常に多くの労力と口封じが必要になるためリスクが高く現実的ではない。

この二つがファイヤービー説にいまいち私が乗れない根拠である。

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2006年1月 7日 (土)
悲しみを耐える姿の美しさ
よく悲劇を象徴する報道写真などで悲しみで顔をくしゃくしゃにして泣き叫ぶ姿などを目にする。
実に分かりやすい万人向けの構図だ。
イラクで米軍の誤爆で家族が死んだとカメラの前で転がりまわり悲しむ家族。
何度見ても私はその姿には「気の毒だ」とは思っても心には響かない。

私の心に突き刺さる悲しみの姿。それは悲しみを押し殺した姿だ。

福知山線事故で事故現場のマンションに額をつけて動かない遺族。
スマトラ地震による津波被害で亡くなった息子の手を握り額につけて悲しみに耐える父親。


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日航機墜落の遺体確認で棺桶の前で「ボクは泣かない」とこらえる中学生。
高濱機長の葬儀で当事者であるがゆえ、母から泣いては成らぬといわれ忠実に従う3人の子供たち。

これらの悲しみを押し殺し耐え忍ぶ姿こそ私の心を打ち涙腺を弛緩させる。
彼らの耐える姿が美しくあればあるほど、彼らに代わって私の眼に涙が浮かぶのだ。

これを私は「涙役代替作用」と呼ぶ。


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2005年12月25日 (日)
圧力隔壁後部の構造
圧力隔壁が崩壊し強い風圧が内部から垂直尾翼に内圧を与えるメカニズムにおけるもっとも大きな疑問点。
それは隔壁崩壊による風圧がスムーズに尾翼に到達できるのかについてである。
ポイントは圧力隔壁後部の空間と垂直尾翼内部がどのようにつながっているかだ。
当然隔壁後部の空間と尾翼内部の空間はさえぎるものが無くシームレスにつながっているという前提でなければおかしいはずだ。
私なりに飛行機の構造について調べてみた。
飛行機は大きな筒のような胴体に羽がついている。
筒はアーチ上になっている。剛性を出す為に垂直尾翼の付け根の部分もアーチ状の筒は壁面による一体構造となっている。
隔壁後部の空間は想像どおり障害物だらけだ。
そもそも軽量化と剛性確保を実現するには垂直尾翼下部の胴体アーチへの切り欠きは最小限になっていると言う事は容易に想像がつく。
胴体を一つのモノコックと捕らえれば鋭利な開口部が尾翼下にあるというのは構造上の弱点になる。
しかし切り欠きがなければ整備性が悪化する。その為に人が通る為のマンホールが用意されている。
人が通るマンホールから巨大な尾翼空間に風が吹き込んで尾翼が崩壊した?
事故調査委員会は飛行機の内部構造を良く知ってこの報告書を出したはずだ。
しかし私の手元にある資料を元に考えると空気が垂直尾翼に到達するにはそのマンホールを通らなければ成らない。
このマンホールの存在は、もともと無理がある内圧による尾翼破壊説のとどめを刺すのか、それとも何かの間違いだろうか。

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2005年12月23日 (金)
蟻の一穴
ある問題はアリの空けた一穴をきっかけとして発覚する。
問題が発覚して困る人はそのアリを殺そうとする。
日航ジャンボ機が墜落して16時間という殺人的時間を確保したのはそのアリを殺す為だったのではないかと疑われている。
事故調査委員会からしたら生存者は邪魔で仕方なかったであろう。
何しろ生存者の証言と事故調査報告書の大半は食い違うからである。
そして16時間の空白の時間の正当性を文芸春秋にて声高に主張した自衛隊幹部の主張も10年後在日米軍C130ハーキュリーズ輸送機に乗ったアントヌッチ中尉証言によって完全に否定されてしまった。
はっきり言おう。この事故の本当の真実を知る者がいるとしたら、彼らは4名の生存者もアントヌッチ中尉も「死んで欲しい」存在だ。
彼らが居なければこの事故の疑惑を語られる事は激減していたのは間違いない。
権力者にとって自分の名声や地位、利権に比べれば人の命など虫けら同然だ。

似たような話が今現実に進んでいる。

耐震欠陥マンション問題は予想通り話が広がってきた。
姉歯以外の建築士の関与、そしてシャブコンの話。
今後の流れを読むと、どう幕引きをするかだ。
500箇所のマンションを無作為に検査すると言う。
そこで「問題ありませんでした。マンション皆さん買ってください。」という話に持っていけないとしたら「権力者」としては無能だ。
優秀な権力者としての評価は問題が発覚するプロセスの初期の段階で火消しをする手腕で問われる。
今、3ヶ月前に戻れるなら告発した設計士や姉歯建築士など4人でも5人でも消すべきだったと自分の手腕の無さを後悔しているかもしれない。
ボヤで消し止められなかった所を見ると今の権力者はそれほど優秀ではないらしい。

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2005年12月21日 (水)
藤岡市での不思議な現象
日航機が墜落した後、藤岡市ではまさに遺体確認の修羅場が繰り広げられた。

藤岡市につめかけた多くの人々が体験した不思議な出来事がある。
人の後ろに死んだ犠牲者の霊が見えるというのはもはや普通。
連日の激務で居眠り運転状態で奇跡的に事故を免れた事例。
警察車両が濃霧の高速道路(この当時は一般開放しておらず警察と道路公団のみ利用していた)で突然ハンドルが
切れ対向車との正面衝突を回避。
そういえば8.12連絡会の美谷島さんは偶然声を掛けた人が健ちゃんの隣に座っていた女性の親御さんだったということもあった。
遺体確認で何百とある棺にあても無く近寄って空けるとそれが偶然探していた遺体の肉片だった。(それがかなりの頻度で発生)
これらは科学的にはすべて偶然の一言で片付けられる話だ。
これは信心の問題だから人それぞれがどう考えるかの問題である。
私は昔から唯物論を信奉している。今も基本的に科学的、論理的、合理的に物事を考えるのが好きだ。
しかしこれらの不思議な現象を考える時に人間の英知が生み出す科学の限界も感じる。
唯心論や観念論的なものの見方は科学の限界を補う役割を果たしている。

私はこれらの逸話を聞いた時に、「あぁ やはり魂は存在している」と思った。死んだ後は無になるんじゃないんだな。
悪い話ではない。無になるなんて寂しいではないか。あの世があるならそこに行っても胸を張れるように生きたい。
宗教など必要ない。これで十分だ。

「誰も見ていない場所であっても悪事を働かず正しく生きよう。」

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2005年12月17日 (土)
クライマーズハイ(後編)
ということでクライマーズハイ(後編)
今回は川上慶子さんの病床でのインタビューシーンとか無いだろうかとひそかに期待したが残念ながら無かった。
あの遺族の女性が「本当の事を書いてください。」と手を握るシーン。
そして求めるスクープが圧力隔壁の破壊による尾翼の損壊。
あれが事故原因の真実なのかと言う事については違和感を感じるが、NHKのドラマにそこを期待するのは無理と言うものだ。
後編でもっとも印象に残ったシーン。それは新聞の「こころ」欄の騒動。
「読者には遺族の悲しみなど理解出来ない。」しかし故 河口博次氏の遺書を読んで号泣する。
そう、これなのだ。私は傍観者であっても悲しみを心から共有する事は可能だと思っている。
犠牲者について深く触れることで、まるで自分が当事者になったかのように悲しにみ共鳴する。
私は年賀状を作った。娘が微笑んでいる文面を見てなぜか涙が出てしまった。
自分はもうこの世には居ない。あの世から娘の成長を見守っているような気持ちになった。
これも日航ジャンボ機墜落に思いを巡らす過程で、あまりに犠牲者に同化してしまった結果だ。
そして自分は一度死んで、また生き返らせてもらった命と思うようになった。
そうすると生きてる自分がどれだけ幸せなのかを実感する。

さてこの手のドラマ。何時も思うのは学生とかが見て会社組織ってのはああいうものだと思い込まないか。
私はいままでシステム屋として様々な会社を見てきたし、転職もした。
私は相手が年上であっても理不尽な話には反論して言い争いに成ったりする事も珍しくは無い。
しかしあの新聞社の職場はちょっとあり得ないと思うがいかがだろう。
あの新聞社の息の詰まる空間。あんなのに束縛されるよりはフリーターが良いなどと思っているとしたら考えを改めた方が良い。

2005年12月17日 (土) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月12日 (月)
墜落遺体
いま私の母親が家に来ている。
一緒にブックオフに行ったら五体不満足(乙武 洋匡著)を買って読んでいた。
なぜかと聞いたらノンフィクションで泣ける本が好きらしい。
さっそく私は読み終えたばかりの墜落遺体(飯塚 訓著)を渡した。
この本は泣ける。読む前、単にグロい死体に関する話や苦労話ばかりかと思っていた。
たしかにそう言う描写はある。しかし思いのほか素晴らしい話が多かった。
私は彼らがどれだけ命を削る思いで遺体確認を行ったか。そしてその遺体に対してどれだけ愛情を注いだかをこれでもかと思い知った。
私はこの本を電車の中で読んでいて涙を堪えるのに必死になって何度も読むのを中断した。
遺族文集茜雲を読んだ時も電車の中で涙腺が緩み困ったがそれを凌駕していた。
「日赤の看護婦がなかなか身元の判明しない損壊した上に腐乱した幼児の遺体を綺麗にして、棺桶から起こしそっと抱きしめた。」「寂しい思いをさせてごめんね‥‥」
「それを見た(幼児とは無関係の)遺族が『大切にしてくれて有難う』とお礼を言った。」
あぁ目が潤んで車窓の外がよく見えなくなった。私はこれ以上続けて読む事を断念し本を閉じた。
私は川上慶子さんを見て同じ日本人として生まれた事に誇りを感じた。
同じくこの本を読んで私は日本人の素晴らしい奉仕の精神。勤勉さ。忍耐力。思いやり。死者への尊厳を強く感じた。
20年経った今、もし当時と同じメンタリティが今の日本人に残っているならば、斜陽といわれる今の日本もまだまだ捨てたものではない。

2005年12月12日 (月) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年12月 5日 (月)
「被害者」は免罪符には成らない
被害者であることは必ずしも悪評の免罪符には成らないと以前書いた。
今回の欠陥マンション騒動をみてつくづくそれを実感する。

被害者の立場にたったらとにかくゴネたくなる気持ちは理解できる。
一銭でも国から金をせびりたいだろう。なにしろ人生が掛かっている。
だから彼らだって必死なのだ。
客観的に自分達を見る余裕すら失っているであろう。
もはや頭の中はパニック状態なのだ。日航機事故の被害者のケースを当てはめて見る。
被害者の遺族の中には日航職員(世話係)に暴力を振るったり、機長の未亡人に慰霊祭で罵声を浴びせる者がいた。
仮に彼らが被害者であったとしてもその様な行為は被害者と我々傍観者との間に深い溝を作るだけであろう。

欠陥マンション問題に話を戻そう。
あるテレビ番組。「被害者には全く過失が無いわけですからね〜」
私は唖然とした。あなたは自分の力で物事を判断する能力を放棄しているのか?
少し頭を働かせれば新築マンション購入と言う行為は不動産投資の中でももっとハイリスクな投資であることは一目瞭然である。
リスクの中には当然こういうケースも含まれる。

ははーん、まぁこの建築業界はテレビの大スポンサーで政治力も有るから本当の事など言えないだろうけどね。

国とて過ちを犯し業者は人を騙しマスコミは本質を伝えない。ならば自分の力で身を守るしかない。
私はリスクを避けるために中古の一戸建にした。今この家に実際に住んでこの選択はやはり正しかったと実感している。
現に建って人が住んだ実績があり、事前に十分に物件を吟味できる上に建物はそれなりに償却され万が一何かあっても土地は残る。
(首都圏の中古一戸建ては大半は土地の価格である。)
こうして私は被害者にならないように細心の注意を払った。
新築マンションを購入すると言う選択肢を否定はしない。中には良い物件もあるだろう。
ただその場合ハイリスクであることを認識し相当調査や勉強をしないといけない。
ヒューザーのマンション住民は気の毒だがハイリスクな賭けに負けたという事だ。

川上慶子さんは離乳食は全て手作りだそうである。何故か?
実は多くの人は国や業者を信頼していない。
私もそうだ。自分の娘には着色剤や保存剤の入った出来合いの離乳食を食べさせなかった。
それらの添加物は国のお墨付きがあるにも係わらずだ。
私は国や業者は100%信頼はしない。
信頼するのは自分の洞察力、そして物事の本質を見極める力である。

2005年12月 5日 (月) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月22日 (火)
日航機事故と欠陥マンション問題
今世間を騒がせている欠陥マンション問題。
これを見ていくと日航機墜落の顛末とどこと無く同じ匂いがすることに気が付く。
どちらも大変な利権が絡んでいる。そして政治力が強い業界である。
政治的な意図で権力側に都合の良いように事実が伏せられる。

姉歯氏が自殺するのではと巷ではささやかれる。私はそれはないと考える。
彼は分かっている。自分だけではないと。これから続々と類似事例が噴出するとタカをくくっている。
だから開き直っているのだ。彼のシナリオ道りにいくかは分からない。何しろ政治力のある業界だ。
業界全体にダメージが波及しないように姉歯氏関連だけの特殊事例だという話にしようとするだろう。
日航機墜落の事故調査報告書に似たような話があったことを思い浮かべた。

彼は自ら死なないだろう。彼が死ぬとしたらそれは「消される」時だ。

私は子供が生まれたので家を探した。その際に不動産に関することをかなり勉強した。
私の妹は勉強なら私よりはるかに出来たが新築マンションを購入して後悔していた。
「不動産に手を出す素人はやられるな‥‥」これは勉強しないと大失敗すると直感した。
政治力の強い業界には注意が必要だ。その強さを支える源泉は利権だ。
利権とは言い換えれば民(つまり利権を持っていないもの)が犠牲になるということだ。
私は一つの結論に達した。リスクを回避するには選択肢は一つしかなかった。それは中古の一戸建だった。
しかも建物は償却されているが実際は十分に使える様な物件。
これが私の経済力、家族構成、将来設計におけるもっともローリスクな不動産購入だと判断した。

マンション建設申請の確認作業は公から民間に委譲された。この民間の検査機関とは一体なにものであろうか。この会社の出資者を見れば唖然とする。
大半は住宅メーカーや建設会社なのである。株主に逆らえるはずは無い。このような欠陥マンションが出来るのは当然の話だ。
この仕組みは大手メーカーの膨大な資金が与野党の政治家や官僚に流れた結果である。これが近年のマンションブームに一役買い業界はホクホクとなったのは誰でも知るところだ。その結果「不動産の素人」が大勢カモにされた。利権とはこう言うものだ。
ちなみにこの法改正に唯一反対したのは日本共産党だった。
え? なんでも反対してるんだろう? 
まぁそういう側面も否定は出来ないが、その当時の反対理由はしっかりこの業界癒着を問題にしているのは事実だ。

中古の一戸建てに住んでいる私は、以前不動産購入のアドバイスをした会社の同僚から感謝された。
少し得意になった。「だから言ったとおりでしょう。」

結局経済合理性を突き詰めればこうなる。マンションなら倒壊しないギリギリ、飛行機は墜落しないギリギリ。
これがもっともコストパフォーマンスが良い。オーバークオリティはナンセンス。今の飛行機の検査体制はそのコストパフォーマンスを求めて検査方法が大幅に変わっている。
我々「民」が強者である航空業界とどう向き合うか。常に嗅覚を鋭くしておくことが必要だ。
不動産と違い、事は命に関わる。自分の身は自分で守るしかない。

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2005年11月20日 (日)
罪をあがなうべき者たちへ
私はこのブログを通して日航機事故の事故原因と救出活動の遅れへの疑惑を書いてきた。
しかし、これで世の中が動くとは思っていない。
現実的な話として遺族でもない私一人がこのブログで何を言おうが世の中は変わらない。

事故調査委員会の出した事故報告書はエリートが売った肩書きの領収書でしかない。
また、事故の救出を意図的に遅らせた動きがあったことも事実である。
つまりこの世には救出できた生存者を見殺しにし、真実を隠蔽する罪人が存在しているということだ。
罪人は裁かれなければならない。しかし我々一般の無力な市民には何も出来ない。これがこの社会の権力構造の現実だ。
20年後の今頃は天下り先を引退して悠々自適な勝ち組の暮らしをしているかもしれない。
もう時効が成立したこの事件の罪をあがなうべき者たちは今頃ほっとしていることだろう。
「俺は逃げ切った」と。
なんという無力感。事故の被害者はこの世の中に絶望するしかないのだろうか?

そんなことはない。

罪をあがなうべき者たちへ。

逃げ切れたと安心するにはまだ早い。
もう若くないあなたはそろそろ考えておいたほうが良いだろう。人はいつか死を迎える。
あの世では520名もの御霊があなたを待っている。
どういう言い訳をするか今から考えておくことだ。

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2005年11月17日 (木)
肩書きを売ったエリート
私は演繹法の独走をいさめた。科学的に判断する材料が乏しい時は尚の事である。
その場合帰納法的に考えて推理していく方が誤りが少ない。
この場合もっとも重要なのは生存者の証言である。重要なのは複数の証言があること。
そしてそれらの証言の重なった部分に着目することが重要となる。
通常証言は科学的手法に比べて軽んじられる傾向がある。しかしこの事故では他に材料が無い以上証言をベースに考える事は自然な事だ。

事故調査委員会は報告書で急減圧が発生し機内は瞬時にマイナス40℃になり風は台風並となったとしている。
笑うしかない。こんなことを大真面目で報告したのだ。
しょっぱなからボツである。証言以外にも何通か遺書もある。ボイスレコーダーもある。
マイナス40℃と台風並みの風。ありえないだろう。
他に原因が考えられれないならそう言う結論も100歩譲って認めても良い。
しかしもっと自然にだれでも納得いく破壊メカニズムが存在すればそちらの可能性を考える方が自然ではないか。
内圧により瞬時(約1.5秒)に尾翼半分が崩壊した。これは実験では再現できていない。
人間の頭脳には有る程度経験からくる物理シミュレータが備わっている。
インテリでなくても並みの頭脳があれば脳内シミュレータで判断可能なほど稚拙な報告書である。
トップエリートの頭脳が本来の能力を発揮したなら彼らの脳内シミュレータで直にボツにされるだろう。、彼らも時に肩書きを売ることも生きる上で必要悪だと思ったのだろう。私は以前書いた。

「奇麗事だけでは世の中生きていけない。」

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2005年11月13日 (日)
科学の名に値しない事故調査報告書
情報システムのトラブル対応や原因調査ということは仕事柄良く行う。
10年間以上この業界で色々な経験をしていくうちに「勘」が働くようになってくる。
よく旋盤職人等が達人的に誤差を修正したりするが、自分の専門分野に関しては調べなくても殆ど勘で原因やもしくは原因候補が出てくるようになる。
自分はこの日航ジャンボ機墜落の原因は果たして何なのか。好奇心も働き大変興味を持った。
壮大な謎解きのようにも思える。
情報システムの原因調査手法が使えないか考えてみた。
結論を言うと全般的に難しいが一部使えるところも有る。
情報システムというのはデジタル情報をベースにしている。
これは何を意味しているかと言うと再現テストがほぼコストフリーということである。
よって方法論として「帰納法」による原因切り分けが効率的である。
つまり何度も処理を流しては原因調査をしていくということである。
飛行機事故の原因調査で何度も再現させていたら天文学的コストがかかることになる。
よってそれらアナログの世界では「演繹法」の占めるウエイトが高まる。
演繹法というのは大変難易度が高く、結論があさっての方向に簡単に飛んでいってしまう危険性がある。
しかし帰納法の場合それほど高度な思考力がなくてもそれなりに大雑把な原因は掴みやすく効率が良い。
演繹法=机上、帰納法=実証は車の両輪である。
私は事故調査委員会の調査プロセスおよび結論は典型的な演繹法の独走に見える。
「私は何でも知っている。これがこうなってこうだから飛行機は墜落した。はぃ調査終了。」
あきらかにその結論を否定する客観的事実が存在するにもかかわらずそれらを無視しているからである。
片や帰納法的な視点で考えて見る。
「良く分からない。だから客観的結果や事実を元にしてこう推測する。」
帰納法というのはある意味謙虚なやりかたである。客観的事実こそがまず第一にある。
事実よりも私の主張が上だという議論は科学が成り立つ要件を完全に無視しているとも言える。

(ジョナサンローチの科学が成り立つ要件)

「何人も最終発言権を持たない」
「何人も個人的権威を持たない」

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2005年11月 4日 (金)
再現すら出来ない垂直尾翼の破壊
私は情報システムの分野の仕事に携わっている。
東証や名証のコンピュータシステムがダウンし非難ごうごうであるが私から見たら、あれだけの巨大で継ぎ接ぎだらけの複雑なシステムを良くここまで止めずに運用できているものだとむしろ感心する。
複雑なプログラムになればなるほど指数関数的にトラブル発生率は上昇する。
よってプログラムを機能単位に分割してそれらを組み合わせることでバグを減らすという手法が取られる。これは一つ一つの構成要素を単純化させることにより堅牢な構造とする意味がある。

自動車のサスペンションは後輪より前輪が狂ったり壊れやすい。
複雑で負荷のかかるものほど壊れやすいからである。
飛行機ではよく車輪トラブルが発生するが巨大な負荷がかかり構造が複雑なものの宿命である。
しかし垂直尾翼は比較的シンプルであり負荷は少ない部位である。
普通に飛んでいる飛行機の垂直尾翼の後方部分が内圧だけであそこまで綺麗に吹き飛ぶものなのか?

タイ航空で手榴弾が爆破したときに圧力隔壁は破壊され急減圧が発生したが尾翼はびくともしなかった。たしかに過去に類似事例と考えられるケースが無いわけではない。私はこの分野の専門家では無いが日航ジャンボ機墜落原因とされるには「肌感覚」としてどうも納得いかない。
この手の疑問に最も端的に応える方法は再現実験である。情報システムの分野でもどのような条件でそのトラブルが発生するかを再現させる事は問題解決の大前提である。
事故調査委員会の再現実験によれば確かに破壊されている。
しかし空気漏れの箇所をふさぎながら圧を上げるというとんでもない方法が取られている。
これならどんなものでもいずれ壊れる。
現実に金属をリベットや溶接で一体化したような複雑な構造体の内圧が高まった場合、最初にもっとも弱い部分に穴が開きそこから圧が噴出する。まさに実験の通りの結果となる。
あの丈夫な垂直尾翼が支柱ごと一気に破壊されるというのは実際実験でも再現しなかったように現実には起こりえるのか疑問である。

手榴弾を見てみよう。丸い形状をしているのは剛性を均等にする必要があるためだ。
内部で火薬に着火して内圧を極限まで高める。だからこそ破片が均等に一気に破壊され高速で飛散し殺傷可能となる。
もし一箇所弱い部分があれば内圧がそこから漏れ出しまるでバットで打ったように球体のまま飛んでいくだけとなる。

強度の異なる稼動部分と非稼動部分、そして複雑な形状をした尾翼部分が同時に内圧で破壊されるという理屈はどうしても納得できない。
当然である。再現すら出来ないのだから納得できるわけが無い。
事故調査委員会は事故解明や物理分野のトップエリートであろう。
彼らがこんな報告書を作らざるを得なかった真の理由に興味が行くのは当然の話しだ。


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2005年10月30日 (日)
意図的誤報による時間稼ぎの事例
日航ジャンボ機墜落における事故現場の意図的な誤報による混乱での時間稼ぎ。
本当にそんなことありえるのか?
過去に似たような事例がある。
昭和27年4月9日 日本航空の「もく星号」が大島三原山噴火口に墜落した。
乗客33名と乗組員4名全員が死亡している。
この時 謎のリーク情報が流され飛行機は静岡の海上で発見され全員救助されたと夕刊の新聞一面を飾ることになる。
そして翌10日。新聞の一面は誤報であったことを伝えている。
なぜ全新聞社がそのようなリーク情報にのったのか?
またどこからリークされたのか?
朝日新聞によれば米軍小牧基地の関係者からのリークだと掲載された。
信頼できる筋だからこそ全新聞社がその情報を信じて一面に載せた。
防衛庁がマスコミに御座山に墜落したと誤報を流しそれに乗ったマスコミが一斉に御座山に向かった光景とそっくりだ。

当時の管制は米軍が管轄している。その管制が誤った指示を出し、その結果衝突が発生。
そのミス発生にともない動転した米軍がとりあえずはリーク情報で現場を混乱させ墜落場所を隠匿した。
翌日には三原山で墜落現場は発見されている。
当時上層部はこの作り話で時間稼ぎをし、その間に秘密会議を開き「口裏合わせ」をしたのだろう。
当時の日本は半ば米国統治下であり、やりたい放題であった。
事故原因については、あやふやなまま闇に葬り去られた。
日航ジャンボ機墜落事故となんと同じ匂いがするものであろう。

しかし作り話としても静岡の海上で全員救助とはアメリカンテイストのファーストフード並みの大味で大雑把な話だ。
当時の弱小敗戦国日本ならこの程度の話で十分だったのだろう。

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2005年10月27日 (木)
ミサイル誤射の実例
墜落場所を特定した後も防衛庁が(前代未聞の)わざわざマスコミに自ら電話して御座山に墜落したと誤報を流した事実がある。
事故後早い段階で地元の消防団や猟友会を事故現場であるスゲノ沢へ入らせないようにした自衛隊の存在。
数多くある不可解な自衛隊や県警機動隊の行動に隠された意味は何なのであろうか。

この話をするときにある反論が良く出る。

「現場の自衛隊は良くがんばった。彼らの気持ちになってみろ。」

これは論理のすり替えという。だれも現場で必死に救助活動を行った自衛隊員を責めてはいない。問題は上層部である。
仮に何らかの意図が上層部にあり現場の隊員に不可解な行動を起こさせたとしても末端の隊員や現場の人間は何も知らされないものだ。
彼らは命令に絶対服従する様に訓練された存在だから仕方が無いのだ。
そして真実を知っているのは上層部のほんの一部である。

また様々な推論を出す過程でこういう意見も出てくる。

「遺族の気持ちになってみろ。」

この事故原因調査のずさんさや隠蔽体質に異議を唱え、真の事故原因を究明すべきだと考えるのである。
実際に遺族が望むのは頬かむりではなく、事故及びその後のずさんな対応の真実の究明だ。

ミサイル誤射説といえば、突拍子も無い暴論と一笑されそうであるが、旅客機と戦闘機のニアミスやミサイルの訓練中の誤発射事故等決して珍しくない。現実に雫石にて1971年に全日空機を訓練で「敵機と見立てた」自衛隊機と衝突し墜落している。
ここ10年を見ても類似事例は存在する。
1995年11月 小松基地にて訓練中のF15がミサイルを誤射し、僚機を撃墜。F15イーグルの唯一の撃墜事例となった。
1996年6月 自衛隊護衛艦ゆうぎりが、米空軍A−6を誤射し撃墜。
2001年には広島でF4ファントムによるバルカン砲誤射により20ミリ弾丸が188発も発射された。

この事故に限った話でなく、私は自分の仕事においても原因が分からない問題がある場合様々な仮説をまずは立ててみる。
そしてそれら一つ一つを検証していく。これは問題解決の基本である。
仮説を立てること自体の否定は、真実の追究の芽を摘んでしまうことにもなりかねない。

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2005年10月14日 (金)
ミサイル誤射説
なぜ自衛隊や防衛庁は墜落場所を意図的なまでに二転三転させたのか?
墜落原因になんらかの自衛隊もしくは米軍の関与があった可能性を考えてみる。
そう仮定すれば、すべて一本の線となりつながり謎は氷解する。
ミサイルが当たれば空中分解するはずと米田憲司氏は述べている。
しかし、訓練用のミサイルであれば模擬弾であっても不思議は無い。
対空ミサイルであれば赤外線を感知し後方から接近する。垂直尾翼の後方部分のみが破壊されているところを見ると後方から何かが当たったからとも考えられる。
123便は米空軍専用空域「横田エリア」に近い相模湾上空で垂直尾翼をなくした。
慌てふためいた上層部は墜落した後も意図的な誤報を流し墜落場所を混乱させ時間を稼ぎ、先行空挺部隊に現場を確認させた。
証拠隠滅は不可能であったとしても、現場を確認したかったのだろう。
10年後の証言で米軍ヘリが現場にすぐに到着しレンジャーが降下し人命救助に当たろうとしたところ基地から要請で引き返すように命令されたのもこれで合点が行く。
あの時点で川上慶子さんや落合由美さんの証言によると他の多くの乗客と「これで助かるね」と話し合っていたそうである。
何しろ自分の真上にヘリはホバリングしていたのだ。
しかし、その後ヘリは去っていった。
人命救助よりも優先される「何か」があったと考えるのが自然だ。

事故の決定的証拠になるはずの相模湾の垂直尾翼の回収作業は3日で終了し、結局回収されなかった。ここも怪しい。
最も重要な証拠物件の捜索をたった3日で終えるのはあまりに不自然である。
だがそれもミサイル誤射説であれば納得がいく。垂直尾翼が回収されれば外部から何かがぶつったことが判明するであろう。
そうなれば必然的に米軍や自衛隊の関与の話が出てくる。何としてでもそのシナリオは避けたい。
やはり垂直尾翼は海の底で眠ってもらうしかないのだろう。

ここまで話が綺麗につながってしまうからミサイル誤射説が語られるようになる。
それを否定するのは簡単だ。相模湾に眠っている垂直尾翼を回収することだ。
そして外部からの衝撃ではないことを証明すれば済む話である。

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2005年10月 6日 (木)
根室沖サンマ漁船転覆事故
北海道根室市沖の漁船転覆事故で、イスラエル船籍のコンテナ船を所有するZIM社のドロン・ゴダー社長が来日し「悲惨な事故を起こした責任を痛感している」と謝罪した。
事故がおきた時。人はどう振舞うべきか。
シンプルだ。

当たり前の事をやるだけ。

韓国にそのコンテナ船が立ち寄ったと当初聞いた時いやな予感がした。
イスラエル船籍とは言え実態が韓国企業で、またここで「歴史問題」を絡めてひと悶着あったら‥‥。
どうやらそういう展開にならなかったうえに、社長の真摯な態度にまずは胸をなでおろした。

この事故を聞いた時なによりご遺族が哀れで仕方なかった。
もしこの事故が国際政治により振り回されたら‥‥
当て逃げとなると悲しみに加えて怒りの感情に苦しみつづけることになるからだ。

かつて日航ジャンボ機が墜落した後の意図的な救出の遅れに遺族、特に生存者である川上慶子さんは苦しみつづけた。
この様な人為的作為による苦しみほど辛いものは無い。
私刑の許されない現代、被害者は涙にぬれた枕を握り締め、やり場の無い怒りとともに人生を苦しみ続ける他無い。

海の事故は起きえる。今後もこのような事故は起きるだろう。
純粋な過失であれば「罪を憎んで人を憎まず」と無理やり納得させることが出来ても意図的な当て逃げでは怒りに苦しみつづける事になる。
国際的な政治の道具にされずに純粋な事故原因究明と関係者の適正な裁判を望みたい。

日航ジャンボ機墜落での原因究明や不起訴などの「政治的決着」の愚は今回は起きないと信じたい。

イスラエルがこの事故での協力を惜しまなければ、かの国のイメージはむしろ向上するであろう。
これが今注目されている国の「ソフトパワー」と言われるものだ。

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2005年10月 3日 (月)
ワシントンDCナショナル空港
日航ジャンボ機墜落の3年前。1982年1月13日 エアフロリダ90便は凍りついたポトマック川に墜落した。
出張での休日。時間が取れたので市内観光がてらに水陸両用車で空港横からポトマック川に入った。
水はまぁまぁ綺麗で野鳥がおり河川敷ではアメリカンフットボールの練習が行われていた。
とてもこの川が凍るとは思えないし温暖化した今ではもう凍る事は無いだろう。
この墜落事故では5人が奇跡的に助かった。
そしてその生存者の多くは同じく後部座席に座っていた人たちだった。

事故のダメージと寒さで動けなくなった生存者が死を待つばかりとなっていた。
レニー・スカトニックさんが飛び込みプリシラ・ティラドさんを救った映像が強烈に脳裏に焼き付いている。
「格好良い」と思った。1982年、私は12歳だった。
自分もあんな格好良い男になりたいと思った。
あのときレニーさんはクロールで泳いでいた。
極寒のポトマック川に飛び込んで平泳ぎじゃカッコ悪いもんなー。
平泳ぎしか出来なかった私だが、30歳くらいのときからクロールを練習してマスターしたが、それはあの救出シーンがあったから。

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2005年9月 8日 (木)
生きて日本に帰りたい
 私はこれから約1ヶ月 海外数カ国出張。
 何十時間も飛行機に乗ることになる。
 このブログもしばらく更新できない。
 飛行機はいやだ。
 なぜか?
 自分が独身、そして結婚しても子供がないときは何でもなかった。
 自分が飛行機事故で死ぬこと自体はそれほど怖いとは思わない。
 怖いのは家族、とくに子供を置き去りにするということ。
 親が悲しむのは時間が解決してくれる。
 若い妻だけなら自分を忘れて再婚すればいい。
 しかし子供はこれから父親がいない辛い暮らしを送り、長きに渡り苦しみ続けることになる。
 それが怖い。
 子供が一人立ちしたら、その重圧から少しは解放されると思う。
 
 川上慶子さんは事故後3年間は飛行機に乗れなかったがそれ以降は普通に乗ったそうである。
 逞しいね。自分の考えと現実にどこか折り合いをつけなければならない。
 出張で海外に船旅というわけにもいかない。
 私はもともとペシミスト(悲観主義者)だ。それが必ずしも悪いとは思わない。
 そのお陰でいろいろ失敗を未然に防ぐことも出来た。
 ただ、日航機墜落20周年から、そして、このブログをはじめてから初めてはじめての飛行機。
 この出張が決まって私はこのブログを閉じようかと悩んだ。
 私が書いている内容は人によっては不謹慎だと感じるかもしれない。
 しかし私の真の気持ちは伝わるはずだ。少なくとも私はそう信じている。
 だからこのブログを残して出張に出かけてくる。
 さっき無邪気な娘と遊んでいた。これが最後だとは思いたくないがペシミストの本領発揮でなぜか悲しくなる。
 オプティミスト(楽観主義者)になろうと努力したが人間の本性は変えられないね。
 まだ沢山書きたいことがある。娘に不憫な思いをさせたくない。
 生きて無事に戻ってくる。

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2005年9月 7日 (水)
神仏は尊ぶものであって頼るものではない。
 アメリカを襲ったハリケーン「カトリーナ」
 避難先で聖書の朗読をし神に慈悲を求める人たちの姿が見えた。
 「神様 助けてください。我々に慈悲と愛を。」
 私は常にそのような光景に違和感を感じる。
 神様にお願いしても自分がひどい目にあったら何と考えるのだろう。
 「こんなに寄付して 聖書の朗読を欠かさず、毎週ミサに参加したのに」
 私は無宗教だから良く分からない。
 
 私も神社にお参りしたときは「家内安全」を祈ったりはする。
 しかしそれはお祈り、お願いをしにいくのではなく、慣習や行事として行って、手を合わせたときになに何も考えないのもなんだから、何かお願いでもするか‥‥という軽い気持ちだ。
 
 
 「神仏は尊ぶものであって頼るものではない。」
 これは剣豪宮本武蔵の言葉だ。
 
 「神様にお祈りはする。それはお礼を言うためだ。お願いするものではない。」
 戦後30年してフィリピン ルパング島から帰還した 小野田 寛朗さんのフィリピンでの潜伏生活での話だ。
 
 
 日航ジャンボ機が墜落した後の生存者の間で交わされた言葉があとでメディアをにぎわせた。
 落合由美さんの証言。
 「よーし ボクがんばるぞー」そう聞こえたそうである。
 残念ながらその少年は助からなかった。しかしその言葉はすばらしい。
 「神様 ボクをたすけて!」他力本願に聞こえてしまうのだ。
 幼いながらも自分の力で助かろうとする懸命で前向きな言葉は私の心に響く。
 川上慶子さんは咲子ちゃんに「帰ったら一緒にお兄ちゃんとお婆ちゃんと仲良く4人で暮らそうね」と励ました。
 こういった極限状態のときは前向きな話、目標、目的、未来を語らなければならない。

2005年9月 7日 (水) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月 4日 (日)
美谷島夫婦と健ちゃん
 美谷島邦子さん、 美谷島善昭 さん。このお二人は息子さんである健ちゃん(当時9歳)をこの事故で亡くされた。
 
 フジテレビで20周年の特集番組でドラマをご覧になった方も多いであろう。
 
 この8.12連絡会の主催者のご夫婦の悲劇におけるもっとも私の心に突き刺さったエピソード。
 それは、あの絶望的な状況のなか息子さんの生存を信じて健ちゃんの着替えとジュースを持って山に登ったという部分だ。
 これは小説では書けないと思った。
 合理的に考えれば あの惨状で、現地には多くの救助隊が居て生存者は発見できないのだから2人がいったところで、もう絶望的な状況であるのは明白であった。
 
 しかし、美谷島夫婦は本当に「もしかしたら助かったかも」という希望を持っていたから着替えとジュースを持っていった。
 子を想う親の気持ちとはかくあるものなのか。
 子供のいる自分でもまだ、そこまで想像ができない。
 実際に経験した者にしか分からない境地なのだ。
 
 多くの救助隊が探しつくした山奥の現場に何時間もかけて着替えとジュースを持って生存を信じて向かう美谷島夫婦。
 結果的に彼らの思いは実らなかった。
 残骸跡で絶望し立ち尽くす夫婦の姿が新聞に掲載された。
 夫婦のあの努力は無駄だったのであろうか?
 無駄ではなかった。
 人々に感銘を与えるから? そうではない。
 
 美谷島夫婦が道なき道を登り懸命に現場に向かっていく姿を、亡くなった健ちゃんは空から見守っていた。
 そのリュックの中には着替えとジュースがあることも知った。
 自分は若くしてこの世から居なくなってしまった。落胆していたところにご両親の自分に対する愛情の深さを知るのである。
 「お父さんお母さんはここまで僕のことを大切に思ってくれたんだ…」
 美谷島夫婦は一人旅に出した自分達をその後、責め続け苦悩した。
 しかし息子さんは決してご両親を責めてはいない。
 ここまで自分を愛してくれたご両親の元に生まれたことを感謝したに違いない。
 「お父さん、お母さん ボクは嬉しいよ。ありがとう。」
 泣き崩れる両親に優しく微笑んでいたのだ。

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2005年9月 2日 (金)
日航機墜落の真の原因
 日航機墜落の原因として圧力隔壁の破壊が発生し垂直尾翼が破壊されたとされている。
 しかしその後の各種検証や生存者の証言によって急減圧がなかった疑いが強く決定打に欠け、数多くある「仮説」の一つであるのが実情である。
 この事故の原因調査については各種書籍やメディアで論じられているので細かくは触れないが要約すると事故調査委員会としては下記2条件に合致する事故原因が望ましいということだろう。
 
 条件1:この機のみの特殊要因である。
 条件2:米軍や自衛隊の関与は認めない。
 
 条件1はボーイング社の構造的欠陥は許されないという意味でもある。
 でなければ世界的航空ビジネスにおいてボーイング社は大打撃を被る。米国の国益上許されないのである。
 条件2は言うまでも無いが、あったとしても隠匿できるならそれに越したことは無い。
 この条件1と2を満足させる事故原因としてこの事故において最も都合が良いのが「修理ミスによる圧力隔壁破壊説」なのである。
 まず結論がある。そしてその結論に都合が良いように様々な推論や理屈があとから付いてくるのである。
 
 そして不思議なことに事故の本格的調査をしていない段階で「圧力隔壁が破壊され‥‥」と事故原因が新聞トップを飾るのである。
 いつものことである。驚く話でもない。実は世の中とはこういうものなのだ。
 イラクで日本人大使館員2名が射殺された事件も状況からして米軍による誤射の疑いが強かった。
 弾丸を調べればわかるはずだが最後の最後で結局うやむやにされ闇に葬られた。
 いわゆる「政治的決着」である。
 世の中の本質を知ろうとすればマスメディアが流す情報をただ鵜呑みにするだけではまず不可能だ。
 結局自分自身の洞察力が問われるのである。

2005年9月 2日 (金) 日航ジャンボ機墜落 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月26日 (金)
俺は幽霊なんかじゃない!
 私は自分を見下ろしていた。
 「なんてこった!」
 私は直感した。
 「臨死体験だ!」

 私の魂は体外離脱を起こし自分を見下ろしていた。
 夢や幻覚ではない。完全に現実の世界そのものだった。
 何ということだ。私は死ぬということなのか?
 見上げると綺麗なお花畑。その向こうに死んだじいちゃん他何人かがいた。
 本で読んだ臨死体験と同じ光景が目の前にあった。あれは本当だったんだ……。
 おじいちゃん‥‥
 そうだ。あっちに行っちゃ駄目だ。行くと死んでしまう!
 普通なら行っちゃうな。こうしてみんな死んでいくんだな。でも俺は知ってる。戻れば助かるんだよな。
 本で読んだ。学は身を助けるってやつだぜ。
 ご先祖に告げた。「俺はまだ生きるよ。悪いけど沢山やり残したことがあるんだ。」
 挟まれて動けない自分の体に戻ろう。
 私は後ろに振り返り自分の姿を探そうとした。が、しかしそこはすでに一面お花畑になっていた。
 私は愕然としてその場にへたり込んだ。
 「そんな馬鹿な‥‥」
 逃げ道は無い。これが死というものなのか。
 私はお花畑の向こうのご先祖に振り向いた。
 彼らはにっこりしたまま手招きをしている。
 私は彼らを恨んだ。
 「こっちにこいって、あなた達は先祖だろう? なのに‥‥俺に死ねと‥‥言うのか?」
 
 もう救助のヘリまで来ている。すぐに病院に連れて行かれれば助かるはずだ。
 数多くの臨死体験者が死の淵から生還した。俺だって‥‥
 「なんで あなた達は私を返そうとしないんだ! 私に死んで欲しいのか? 私の味方じゃないのか!」
 私は怒りを感じ彼らをにらんだ。
 相変わらず何も言わずににっこり微笑み手招きするご先祖の一人と眼が合った。
 「せめて愛する家族に一度だけでもいい。あわせてほしい。」私は想った。
 
 私は妻と寄り添う子供を見下ろしていた。
 妻は枕元に立った私を見て青ざめていた。
 「ちがう。俺は幽霊なんかじゃない。俺だよ! 俺だ!」
 心の中で必死に呼びかけるも私はぼーっと立ったまま体も顔も口も動く事はなかった。
 「これじゃ 家族が怖がってしまうじゃないか。言いたい事があるんだ!話がしたいんだ!」
 目を覚ました子供をぎゅっと抱きしめた妻はただ呆然としていた。
 そして家族の姿は徐々にフェードアウトしていき気がつけば私はお花畑に戻っていた。
 先ほどまでの納得いかない気持ちが少し和らいだ事を感じた。
 「ありがとう。希望を聞いてくれて。」
 お礼を言った。
 気がつけば自分は家族の枕元に立ってしまっていた。
 静寂の時が過ぎた。私はへたり込んで自分の手をじっと見ていた。
 「枕元に立っちゃ、もう戻れないな‥‥。」
 私には選択の余地は無かった。現実を受け入れた。
 「俺は助からないほど重症だったってことか‥‥これが死というものなんだ。」
 私はご先祖様に擁かれるように彼らの中に入っていった。
 突然 遠い記憶がよみがえった。生まれたばかりの私をあやす母親と覗き込む父親。
 俺は心の中で叫んだ。「おかあさん。僕を生んでくれてありがとう‥‥」

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2005年8月25日 (木)
人は死ぬ時何を見るのか
 「ガツン!」水平尾翼が尾根に衝突した。機体が大きく前のめりになるのを感じた。
 次の瞬間、前方から轟音と衝撃が聞こえ宙に浮いた感覚の後、自分の背中に激痛が走り頭部に衝撃を受け音が聞こえなくなったと同時にボーっとなる。
 私の座った飛行機の後部は回転しているのか凄い遠心力が働きたたんだ手足はばらけてしまう。

 気がつくと暖かい誰かの体が自分の上にのしかかってまったく動けない。
 腹が苦しい。そうだ。ベルトを外そうと思った。
 しかし丸めていた両足も両手はどっちの方向にあるのかも分からない。
 ベルトが外せない!腹も苦しい。息が出来ない。
 上の人がのいてくれないだろうか。体をもぞもぞ動かそうとするが上の人はまったく反応しない。
 もがけばもがくほど苦しくなり 精神的パニックになりそうだ。
 落ち着け! まず大きく息を吐いた。力を抜け。脱力だ。
 そしてゆっくり息を吸うんだ。
 ちょっとした隙間から流れる空気をを吸っても吸っても溺れそうなほど息苦しい。
 無駄な力を使ってはいけない。私は全身からすべての力を抜いた。
 動くことも止めた。そして心臓と呼吸だけが動く冬眠したクマになろうと心がけた。
 でも苦しい。そうだ、笑顔を作るんだ。私はにんまりした。
 一瞬楽になった。どうせ死ぬなら笑顔で死のう。
 痛みを感じた背中がなんだか焼けるように熱い。
 あー、ベルトを外したい。ベルトを外せればどんなに楽だろうか。
 はさまれた腕を引っ張ろうとしたが肘がつっかえてそれ以上抜けない。
 苦しい‥‥ しまった。腕を抜くことに夢中になりもがいていた。
 恵比須顔を思い浮かべながらにんまりした。
 苦しいけど少しくらいなら大丈夫だ。すぐに救出部隊がくるだろう。ちょっとの時間なら耐えて見せるさ。
 
 気がつくと上に乗った人の体は冷たくひんやりしていた。
 自分の体温を奪っていくくらい冷たい。人の死体ってこんなに冷たいんだ。
 ヘリの音が聞こえる。サーチライトで照らされている。ようやく来たな。よかった。
 一安心だ。私は一気に気が抜けた。
 しかし俺は運が良いな。こんな大事故でも生き残っている。
 いっちょ生還した暁には 本でも書いて一儲けするか。
 印税生活もわるくないな‥‥なんだか楽しいことを考えていると楽になってきた。
 苦しくも無い。どうしたんだろう。
 にんまりした私の顔が目の前に見えた。
 
 あれ? 自分の顔を自分が見ている。
 私は自分を見下ろしていた。
 「なんてこった!」
 私は直感した。
 「臨死体験だ!」

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2005年8月24日 (水)
123便の恐怖を味わう
 私はこの日航123便に自分が乗っていたとしたらどうしていたであろうかと良く考える。
 元グリーンベレー大尉の柘植久慶氏の著書を参考にしつつ私なりにアレンジを加えて見た。
 
 
 徐々に飛行機の揺れが大きくなり山々がはっきりと見えるようになっていた。
 いままで様子見をしていたし、周りの目もあったからおとなしくしていた。
 しかしもうだめだ。墜落する。やれることをやろう。
 クッションを探す。そもそも飛行機にクッションなどあるのだろうか?
 腹部の切断を防止するためベルトとお腹の間に縦にしたクッションを挟みたかったのだ。
 私は立ち上がってクッションを探そうとしたが機体が
 大きく揺れてとても立って歩ける状態ではなかった。
 しかたなしにラゲッジスペースのバックからタオルや着替えなど布類をすべて取り出し、それ以外の中身はすべて
 上のラゲッジスペースに放り込んだ。
 隣の人は私を気にしつつ特になにをするでもなしに硬直していた。
 私はかまわず作業を続けた。
 空のバックを畳みベルトと腹の間に挟みこむ。やや硬いがバックの底板が腹部の切断防止には頼もしく思えた。
 いよいよ山が近くに見えてきた。しまった、遺書を書かなくては‥‥。でもその余裕は無かった。
 バックの中の筆記用具類はすべてラゲッジスペースに放り込んだままだ。
 いまさら立ち上がって遺書の準備をする気分にはなれなかった。
 いつ墜落するかの恐怖のまえに頭が真っ白になる。
 突然急降下が始まった。悲鳴が聞こえる。
 服やタオルを頭から後頭部に被せて両手でひっぱった。
 両足は本当はあぐら状にしたかったが狭い席では足がうまく絡まない。
 時間が無い!体育座り状に畳んでひざで自分のアゴをはさむ。両膝を両腕で抱え込み脇を絞る。
 ダンゴ虫のように丸く小さくなる。
 歯を食いしばっているのに恐怖で震え歯がカタカタ音を立てる。
 聞こえる悲鳴と風切り音。
 体を丸めているので呼吸が苦しい。腹部の切断を防ぐため腹筋背筋すべての体幹筋肉に
 力を込めた。もうやれることはない。あとは運命に身をゆだねるしかない。
 (自分だってやっぱり死ぬんだ‥‥) 実感の無かった死がすぐそこにあった。
 母親、妻、娘‥‥顔が浮かぶ。みんな笑ってこっちを見ていた。

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