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[戦争と平和]猟奇的な安倍流「上げ底政治」の地球環境と世界平和へのハタ迷惑
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/1309.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2007 年 1 月 23 日 20:14:10: YqqS.BdzuYk56
 

[戦争と平和]猟奇的な安倍流「上げ底政治」の地球環境と世界平和へのハタ迷惑

【画像の解説】

<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070123

f:id:toxandoria:20070123180941j:image
『The Earth』 presented by Today's Cosmic Image(http://the-cosmos.org/2006/2006-08-31.html)Original Source: ESA、The European Space Agency (http://www.esa.int/esaCP/index.html

f:id:toxandoria:20070123181733j:image
ピ-テル・ブリュ-ゲル『バベルの塔』 Pieter Bruegel (ca1525-1569) The Tower of Babel 1563 Oil on oak panel 114 x 155 cm Kunsthistorisches Museum Wien 、 Vienna
・・・「バベルの塔」は、とても実現不可能な“天まで届く高層タワー”をつくろうとして失敗し、結局は崩れ去ってしまったとされる“空想的で実現不可能な計画”の象徴です。ピ-テル・ブリュ-ゲル『バベルの塔』は、このテーマを描いた傑作とされています。

・・・・・

(猟奇の定義/カルト(寄生虫)に操られ“バベルの塔”を造り始めた美しい国)

国語辞典、『大辞林(小学館)』の説明によると、「猟奇」とは“奇怪で異常なものに強く興味をひかれ、それを探し求める病的な欲望”であり、そういう異様な精神環境を満足させるためのリアルな行動が「猟奇的犯罪」ということになります。この定義からすると、“妖しく異様で、おどろおどろしい日本住血吸虫(人体に巣食う吸血寄生虫の一種)のような『追憶のカルト』(平泉澄の恐るべきほど妄想的な精神(=皇国史観)の影響を受けたカルト思想/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070107)に強く唆(そそ)られ、その実現のために支離滅裂な「バラバラ政策」に狂奔する(厳密に言えば、小泉→阿部政権を支えてきた“闇のパワー”に操られ、差配されつつ日本国民の生命と財産を犠牲にした支離滅裂な政策にのめり込む)「安倍政権」は、まさに「猟奇バラバラ政権」ということになるでしょう。今や我われは、「美しい国」どころか、その耽美の度が過ぎて“妖怪したドク蜘蛛”のように面妖な外観の「バベルの塔」を着実に登り始めたようです。

しかも、この安倍流の「美しい国」を擬装しつつ市場原理主義へ過剰に傾斜した「バベルの塔」は、基本的に地球環境の悪化問題を無視する「ブッシュ政権のアメリカ」とともに全地球的な環境システムと経済システムのバランスを率先して突き崩す方向へ加担する恐れがあるのです。また、防衛庁が防衛省に格上げされた去る1月9日に、安倍首相は記念式典の訓示で“これで、わが国は戦後レジーム(戦後体制)から漸く抜け出して、戦前と同格の普通の国家体制へ戻った”という主旨のことを話しています。これで、漸く、自衛隊の海外派兵が常態となり、愈々、次は「日本国軍の出番」を待つばかりということです。しかも、1月19日付の東京新聞(ネット・ニュース、http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007011901000201.html)によると、安倍首相は19日午前に長勢甚遠法相、谷内正太郎外務事務次官と官邸で会い「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案などについて、25日召集の通常国会で成立を図るように強く指示しています。

「日本版NSC(国家安全保障会議)」の創設(参照、http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070113ia22.htm )、「防衛省の発足で条件整備が完成した“日本国軍”の海外派兵」(1月12日、安倍首相がNATOにおける英語による演説で意思表明/参照、下記の原文★)、および“テロとの戦い”を名分とした「共謀罪」(国民を統制・恫喝する戦前の治安維持法体制に相当する/治安維持法は「万世一系の皇国の国体」と「私有財産制を否定する運動の取り締まり」を目的とした法律)の三つは、本格的な「軍事国家・日本」のために必須の三点セットと考えられているようです。おかしなことですが、昨秋の中間選挙で過半の国民から反戦・平和の批判を浴びせられたため、イラク戦争の当事国であるアメリカがイラクからの撤退に呻吟するタイミングで、安倍政権を支えるアナクロな『追憶のカルト』に引きずられた日本政府は、本格的な軍事国家を目指すことになったのです。このまま進めば“国家権力が主導し、グローバル市場での強みを最大限に引き出す”という、新たな資源ナショナリズムを梃子にした国家エゴ丸出し(頑迷なイデオロギーあるいは国家エゴをグローバル市場原理主義のオブラートで包んだ、歴史上で全く新しいタイプの軍事覇権主義国家である)ロシア・中国・インドなどのユーラシアにおける「新・国家資本主義諸国」と本格的に「軍事力」を競う時代(軍事衝突も想定せざるを得ない新たな国際競争の時代)へ突入することが懸念されます。

★・・・Just three days ago, I elevated the Japan Defense Agency to a ministry on a par with other central ministries. The new Ministry of Defense is ready to fulfill its duties and accord international peace cooperation activities high priority alongside national defense.Now, my administration is discussing the best form of international peace cooperation, including a general legal framework for participation of Japan Self-Defense Forces and civil personnel. While adhering to the principles of the Constitution, Japanese will no longer shy away from carrying out overseas activities involving the SDF, if it is for the sake of international peace and stability. It is in this spirit that Japan has engaged in SDF operations in Iraq and in the Indian Ocean.・・・(外務省HP、http://www.mofa.go.jp/region/europe/pmv0701より部分引用)

今、この「軍事国家・日本」への流れの中で注視すべきは“アメリカ・ブッシュ政権の対イラン圧力政策の動向(この陰では、相変わらずネオコン一派とキリスト教原理主義者らが蠢いている)”と“アフマディーネジャード大統領の派手な反米対決姿勢とは裏腹にイラン国内穏健派(批判勢力)の動き”に影響される可能性が出てきた「イラン問題」です。まかり間違えば、それはブッシュ政権の判断しだいですが、いよいよ出番待ちの“日本国軍”が、事実上はアメリカ軍の傭兵として中東・イラン周辺へ展開する可能性が高まります。また別の見方をすれば、既述の軍事覇権主義国家と「日本国軍」の軍事衝突が現実化する可能性も、今や地球環境問題の最大の焦点となっている地球温暖化による全地球的な水資源・食糧資源枯渇の問題(地質学的な歴史時間で蓄積されてきた氷河・氷山などの個体水資源の急速な溶解による世界的な凶作の発生)とリンクして急速に高まりつつあります。

従って、世界でトップレベルの省エネルギー技術力(参照、http://sta-atm.jst.go.jp/atomica/01060203_1.html)を持つ日本は、このように自然科学的な知見を前提とする地球環境の近未来の激変(向こう10〜50年以内に起こる可能性があり、その深刻な予兆は今後10年以内に起こるとされる)を見据える観点からすれば、多大な人命の犠牲と近代における戦争と歴史経験から漸く学び得た、かけがえなく貴重な「平和主義国家」の理念をアッサリ捨て去るべきではないのです。むしろ今やるべきことは全く逆であり、環境問題への対応分野で日本に遅れをとる欧米諸国を巻き込みつつ、日本の高度な省エネルギー技術を発展途上諸国とロシア・中国・インドなどユーラシアにおける「新・国家資本主義諸国」へ普及させるために、稀少な「平和主義国家」としての高度な国家戦略を練り上げることが重要なはずです。因みに、20世紀におけるエネルギー消費の約80%は化石資源(石炭・石油・天然ガスなど)ですが、現在の日本は、その年間全消費量の約5%を消費する立場にあります(出典:小宮山 宏著『地球持続の技術』(岩波新書、p47〜48))。


(バラバラな「上げ底政策」の事例1=政官による、強欲な“税金ネコババ・システム”の放置)

まず、安倍内閣の全閣僚と自民党三役のうち、中川昭一政調会長ら7議員による「事務所費6億8千万円計上の問題」があります。もっとも、この種の日本国民に対して背任的な政治資金不正使用についての疑惑は、小泉・前総理大臣自身も具体的な指摘を受けながら上手く口先八丁で逃げ失せたという実績があり、しかも民主党の大物議員らについても同病の感染症が次々と発覚しています。従って、小泉・前総理大臣流に言えば“そんなコトは大した問題ではない!”のかも知れませんが、「我われ主権者たる一般国民」とメディアは、ほんの少しでも監視の眼を緩めるや否や、特に「美しい日本」を自負する追憶のカルトの奴隷と化した与党議員たちは“忽ち猟奇バラバラ事件の犯人”に変身し、税金ネコババの腐臭を消すため自己保身術の本領を発揮してバラバラに解体した証拠物件を遺棄し、カムフラージュのため消臭剤を振りかけようとする彼らのあざとい仕草を見逃すべきでありません。また、与野党の別を問わず、国会議員によるこの種の真に低劣で違法な政治資金の捻出工作と小細工は、「擬装民主主義」を自らの保身と利益のために維持することだけを目的とした悪質な「上げ底政策」であり、それは主権者たる国民を欺き騙すことに他なりません。端的に言えば、これは政治権力を笠に着た政治家たちによる「泥棒・強盗・窃盗」であり、それは忌まわしい犯罪以外の何物でもありません。

<参考>『無家賃の議員会館、22人が事務所費1000万超計上』(読売オンライン・ニュース、http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070117it01.htm


(バラバラな「上げ底政策」の事例2=政官財による、冷酷な“国民の働く権利”の無視)

次に、ホワイトカラー・イグゼンプション(一定基準以上の条件を満たした、ホワイトカラーの残業代をゼロにする制度の導入/http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042.html)の問題です。あれほど鳴り物入りで登場した法案の準備であったにもかかわらず、自民党幹部の「こんな法案を提出したら自民党に反対でない人も敵に回ってしまう」という、7月の参院議員選挙を優先する判断が競り勝って次期通常国会への同法案の提出を見送ることになったと報じられています(参照、http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070116k0000m010170000c.html)。ここには、元々、同法案の内容についての真剣な審議などどうでも良かったという与党政治家たちの浅ましく身勝手な魂胆が露呈しています。しかし、これに対し、柳沢伯夫厚生労働相は同日の記者会見で「我われは提出ということで変わっていない、粛々と必要な手続きを踏んでいきたい」と担当大臣としての粘り強さを印象づけています。いずれせよ、この問題は小泉政権下での弱者叩き政策の延長であり、そこには働く立場の国民の「最低限度の人権」をさえ政争と金儲け(同法案成立とのバーターで財界から見返りの政治資金を得るため)の道具にしようとする、安倍流「美しい国」の冷酷さの本性が現れています。これも国民を誑かす悪質な「上げ底政策」以外の何物でもありません。

なお、ホワイトカラー・イグゼンプション推進派の中心人物と目されるのが安倍政権下で“特にお気に入りとされる御用学者”の一人、八代尚宏・国際基督教大学教授です。八代教授は、小泉政権下でも規制改革の重鎮・宮内義彦氏(オリックス株式会社取締役兼代表執行役会長、小泉政権下の規制改革審議会会長)の片腕として「雇用と社会福祉」の市場原理による<徹底的な改革・解体>を提言してきた“筋金入りの市場原理主義者”です。安倍内閣下で進められている、セレブな印象の「再チャレンジ支援策」についても、正社員の身分を持つ現代の日本は雇用を守ろうとする一種の封建身分制社会で甚だ非効率なので、非正規社員を正社員に転換する制度を導入するならば、それだけではバランスを欠くので、同時に正社員の雇用保障も見直さなければ(正社員の非正社員化を積極的に進めなければ=これが、小泉前首相と安倍首相がご執心の“ハケンの品格”(小泉孝太郎出演の評判ドラマ?)の理想の実現?)片手落ちであり、そうすることが企業の利益の最大化に結びつくのだ、という八代教授の主張は、多くの“表層的アメリカかぶれ”経営者サイドから熱烈な支持を得ています。しかし、この種の考え方は肝心のアメリカですら多くの人々から「明らかなカルト思想」と見做されている「客観主義哲学」の発想そのものです(参照、http://yaplog.jp/lawyaz-klub/archive/1908/客観主義哲学については下記記事★を参照乞う)。しかし、それだけに発信源のエネルギーが強力(狂力?)であるため、「ホワイトカラー・イグゼンプション」は7月の参院選挙後が正念場となる可能性があります。

★『2005.3.26付toxandoriaの日記、アートと社会/作家アイン・ランド、米国ユニラテラリズムのもう一つの源流/アインランドの“客観主義哲学”』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050326

「客観主義哲学」がカルト的な発想であることを理解するヒントは、意外にも、ヨーロッパ中世初期において「宗教功利主義化」していたキリスト教の中で見つかるようです。アインランドの「客観主義哲学」の中核となる“人間の欲望と、それをこの世で実現すること”を絶対視する傲慢な考え方は、“人間の欲望”を“キリスト”に置き換えればソックリそのまま「哲学は神学の婢女(はしため)」とされた初期キリスト教時代のカルト的信仰(およそアウグスティヌスの時代頃に大系が確立した)に重なります。つまり、この世のすべてはキリストならぬ“人間の欲望という名の神”に仕えるためのリアリズム(現実の存在)だということになり、その聖なる“人間の欲望”をこの世界で実現する唯一の法則が「自由市場原理主義」であり、その実践が「徹底的に冷血な利己主義」という訳です。やがて、この“人間の欲望”という名の神に仕える「特異で冷血な精神の歪み」は、フリードリヒ・ハイエク、ネオコン一派、マーガレット・サッチャー、ロナルド・レーガン&ジョージ・ブッシュ(ワシントン・コンセンサス)、竹中平蔵、八代尚宏、宮内義彦、小泉純一郎、安倍晋三らに感染してきたのです。

そして、彼らに共通する大きな特徴は、もはや危機的な段階まで深刻化している「地球環境問題」へ殆んど無関心である、というより冷淡でさえあることです。例えば、ジョージ・ブッシュ大統領も安倍晋三首相も、2006年10月30日に発表されたばかりの「スターン報告」(“気候変動の経済への影響=直ちに確固たる対応策を取れば、今後50年の間に予想される地球の破局の原因、つまり気候変動の悪影響を回避する時間は残されている!/Stern Review on the Economics of Climate Change)を一顧だにしていません。流石に、このStern Reviewのお膝元である英国のブレア首相は、NHK・BS特集番組『ハイビジョン特集・フロンティア、第1回「映像詩プラネット」(スウエーデン制作、1月18日(木) 後8:00〜9:25 放映)、http://www.nhk.or.jp/ugoku/newprogram/program_bshi_08.html』によると、この報告内容に強く注目しています(スターン報告については、下記記事★を参照乞う)。

★『スターン報告の概要』http://www.hm-treasury.gov.uk/independent_reviews/stern_review_economics_climate_change/sternreview_index.cfm

<注>ブッシュ大統領の環境政策について

・・・CNN(ネット、http://www.cnn.co.jp/business/CNN200701230009.html)などの報ずるところによると、ブッシュ大統領は1月23日の一般教書演説で排出削減の厳格な義務化とトウモロコシなどを原料にしたエタノールの一層の消費拡大を促すことに言及するとの観測が流れているが、実際にどこまで本気で地球温暖化対策に踏み込むかは定かでない。一方、米大手企業10社の最高経営責任者(CEO)は1月22日に気候変動の原因となる二酸化炭素(C02)の排出削減義務化を支持し、数値目標を設定するよう求める提言を出した。ただ、大手企業サイドの要求に従ってトウモロコシなど農産物を使ったエタノール消費の拡大だけに踏み込み過ぎると、その原料作物の増産で使われる農薬及び遺伝子操作による別の環境汚染(生態系破壊)が拡大する恐れがある。因みに、日本における「全エネルギー消費の割合」をごく大雑把に見ておくと、「発電でのロス」:「生産活動での利用」:「日々の暮らしでの利用」=3:3:4の割合となっており、その中で「日々の暮らしでの利用」の約50%は「輸送(鉄道・飛行機・貨物自動車・自家用車など)」であり、残り半分が「家庭・オフィスでの利用」である。更に、「輸送(鉄道・飛行機・貨物自動車・自家用車など)」の約半分が「自家用車での利用」となっている(出典:小宮山 宏著『地球持続の技術』(岩波新書)、p49〜50)。従って、EU(欧州連合)が1月24日に域内で販売する自動車メーカーに二酸化炭素の排出削減を義務付けた(出典:2007.1.23付・日本経済新聞)ことは意義があると考えられる。また、「発電でのロス」が「全エネルギー消費」の約3割を占めることなどに注目すると、エネルギー利用全体の利用効率を高めるための技術開発が「地球温暖化と環境汚染」対策のための緊急の課題であることが分かる。


(バラバラな「上げ底政策」の事例3=政官による、背任的・寄生吸血的“国民経済計算の粉飾”疑惑)

安倍首相は、1月5日の経済3団体(経団連、経済同友会、日本商工会議所)の新年祝賀会で“景気回復が家計にも広がるよう、ご協力いただきたい”と挨拶して労組側へ肩入れのポーズを取りました。しかし、これが「4月の統一地方選挙」と「7月の参院選」を睨んだリップサービスであることは明らかです。そして、このような背筋が寒くなるようなリップサービスとともに、安倍流の歯が浮くような胡散臭い綺麗な言葉(別にいえば、善良な国民を体裁よく惑わすための キララ・コンシェルジュな言葉=美しい国、再チャレンジ、人間力、子育てフレンドリー、テレワーク、イノベーション力(りょく)、ホワイトカラー・イグゼンプション、ソリューション・パートナー、教育バウチャー制度・・・云々)の裏では、冒頭の『猟奇の定義、“バベルの塔”化する美しい国』で既述のとおり、まことに「好戦的で追憶のカルト的な大政翼賛管理国家、軍国主義ニッポン」へ向けての日本改造プランが着々と進んでいます(この詳細は下記記事★を参照乞う)。

★『2006.7.8 付toxandoriaの日記、アートと社会/「危険な美学」を次期・安倍政権へ託した小泉首相の無責任と日本の危機』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060708

他方、『世界経済長期予測』(筆者=小峰隆夫・法政大学教授(兼日本経済研究センター・主任研究員)/出典:2007.1.17付・日本経済新聞『経済教室』)によると、2050年までの「GDP・年平均伸び率」は下記の通りであり、まことに厳しい予測となっています。同センターは、日本の2050年の合計特殊出生率を「国立社会保障・人口問題研究所(http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/bk_search.aspx)の低位推計より更に低い1.01%、総人口は9,400万人、高齢者比率は40.0%と推計しています。そして、2010年代以降は労働力人口の減少が次第に大きくなるため、経済成長率がますます減少して、2040年代には殆んどゼロ成長になると見通しています。

日本(2001-05)1.2%、(2006-20)1.4%、(2021-30)1.0%、(2031-40)0.6%、(2041-50)0.0%
中国(2001-05)9.3%、(2006-20)5.5%、(2021-30)3.8%、(2031-40)1.9%、(2041-50)0.9%
米国(2001-05)2.9%、(2006-20)2.8%、(2021-30)2.5%、(2031-40)2.4%、(2041-50)2.3%
E U(2001-05)1.7%、(2006-20)1.8%、(2021-30)1.2%、(2031-40)1.1%、(2041-50)0.9%

ところで、各国の経済活動が比較できるように国際連合はマクロ経済統計について統一基準を定めています。各国の国民経済計算はこの基準に従って作られることになっており、その最も新しい基準は1993年に採択された「93SNA」です。一応、日本は2000年に国民経済計算を「93SNA」に基づく指標へ改定したことになっており、この新基準に従って計算が行われていると一般に信じられてきました。ところが、実際には「価格概念」に関するかぎり「旧SNA」のまま据え置かれてきたのです。このため、わが国の国民経済計算の「生産者価格」(厳密に言うと、非課税商品を除外した、その他の商品の売上価格)には消費税が加算されているのです。当然ながら「93SNA」ではこの「生産者価格」から消費税を除くことになっています。このため、わが国の名目GDPは消費税制に対して中立ではなく、別に言えば、わが国では「消費税率が上がると、名目GDPも消費税率の影響を受けて上昇するという問題」があるのです。例えば、ほぼ前後10年間にわたって一貫して下がり続けていたGDPデフレータが、消費税率が3%→5%に引き上げられた1997年(橋本内閣)にかぎって上昇(0.6%アップ)にぶれた(その前後は各0.4%の下落)という現象が観測されています。つまり、この時には消費税が2%アップしたことに連れて名目GDPの成長率が約1%程度上がった可能性があります(この部分についての詳細な論拠は下記記事★を参照乞う/なお、GDPデフレータについては下記記事▼を参照乞う)。

★『提言:消費税制によってぶれる、わが国のGDP測定の問題点』http://www.dori.co.jp/report&publication/econ_r/file5.pdf

▼『ニュース深堀』http://www.h7.dion.ne.jp/~shindan/backto5.html

(参考)名目GDP、実質GDPの変遷・・・(  )内は実質GDP、単位:兆円。
1994:486.5(468.8)、1995:493.3(477.7)、1996:502.6(489.9)、1997:512.2(496.8)、1998:503.0(488.0)、1999:495.2(487.0)、2000:501.1(501.3)、2001:496.8(503.2)、2002:489.6(503.9)、2003:490.5(512.8)、2004:496.1(524.6)、2005:502.9(538.9)

つまり、このことは、わが国の国民経済計算(GDP統計)では「生産者価格」に消費税が含まれているため、その「消費税」も日本の生産者の経済活動が生み出す付加価値の一部と見做されていることを意味します。しかも、良く考えてみれば、最終消費者の立場である我われ一般国民は夫々の所得(可処分所得の最終消費支出部分)の中から消費税を支払っている訳ですから、この場合はマクロなGDP(国民の生産・経済活動が国家にもたらす新たな付加価値の総計)が“不当に”増加する(実態的に“上げ底”操作が行われている)一方で、最終消費者たる一般国民の所得が殆んど無自覚のままで減少するという、実に“理不尽で、非人道的で、不公正な「マイナスの分配」”が行われていることになります。ここから見えてくるのが、今のように労働分配率(付加価値に占める人件費の割合)の据え置きが続く限り、現在の好景気が、かつて57カ月続いた「いざなぎ景気」(1965〜1970年)を超えたと言われながら一向にサラリーマン世帯に豊かさの実感が伝わらない“現代日本のアブノーマルな好景気の構図”の舞台裏です。

これでは、働き盛りの一般のサラリーマン世帯でさえも、一部の株主と会社の長期に及ぶ好決算を横目で見ながら、自らの消費生活は更に一層引き締めなければならないことになる訳です。しかも、この「マイナスの分配」は、今後、基礎年金だけが頼りの高齢者、生活保護世帯、ワーキングプア、ニュー・ロストジェネレーションなどの低所得層・弱者層を直撃し、その痛みの大きさが、これからますます拡大する恐れがあります。つまり、今の日本では、負け組みサラリーマンなどの弱者層がますます搾取されつつ日本の経済成長が持続するという“ねじれた経済構造”(端的に言えば擬装された経済構造)になっているのです。その果実が、一方的に弱者に皺寄せが及ぶ巧妙な仕掛けがビルトインされた、見かけ倒しの「上げ底」による「擬装好景気」という訳です。その上、このようにして“上げ底”操作されたGDPデータがわが国の凡ゆる政治・経済データを測るための尺度としても使われているのです。当然ながら、安倍首相が力説する「美しい国」の設計(高い成長を柱とした財政改革)のためにも、これは使われています。

愈々、これから少子・高齢化時代の到来を前提とする消費税増の問題が具体化することになりますが、その場合にはもっと恐るべきことが予想されます。なぜなら、消費税率が3%→5%に引き上げられた1997年(橋本内閣)に1%の経済成長率が“上げ底”されたとするなら、これが5%→10%の場合には少なくとも2〜3%程度の“上げ底”効果をもたらすと考えられ、それに相当するだけの低所得層を中心とする日本国民へのマイナス分配が行われ、我われ日本国民は、ますます最終消費支出部分から“なけなしの所得の手取り部分を搾取される”ことになるからです。先に見たとおり、『世界経済長期予測』によれば<2001年−2040年期>の経済成長率は、せいぜい平均で1%前後の推移予測となっています。このままでは消費税を少し上げればマクロGDPは確実に(偽装的に!)上昇する一方で、国民の殆んどが体よく誑(たぶら)かされつつ「残酷で厳しい、所得からの搾取」を受け続けるという、まことに理不尽な「美しい国」の未来の姿となってしまいます。ついでながら、わが国の“GDPに関する上げ底問題”は全く別の角度からの観察でも疑念のあることが指摘されています。これは、小泉内閣がスタートしたばかりの時期に観察された問題です(この議論については、下記記事★を参照乞う)。ともかくも、専門的な立場の責任ある方々が、この種の“擬装問題”へ率直かつ抜本的な検討を早急に加えて、一刻も早く、一般の日本国民にとって、まことに傍迷惑な“国家的粉飾決算”体制を脱すべきです。このまま、この問題を放置するのでは、先進国の一員としてもまことに恥ずべきことです。

★『2006.1.18付、toxandoriaの日記、アートと社会/「株価擬装・耐震強度擬装」と「小泉オレ劇場」のロンド(輪舞)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060118


(猟奇的でバラバラな「上げ底」政治による、余りにも貧相な“マイナス波及効果”)

これは安倍政権の責任(実績)というよりも、その殆んどはヤクザで無責任な前任者・小泉首相の蒔いた種の果実ですが、ここでも猟奇的でバラバラな「上げ底」政治による、まことに恥ずべきで貧相な“マイナス波及効果”が観察されるので、以下にまとめておきます。

@「この親(政府)にして、この子(日本を代表するトップ企業)あり!」を絵に描いたような“寄生吸血資本主義”の醜態=トヨタ自動車の「輸出戻し消費税」関連疑惑

12月30日付の各報道によると、名古屋国税局の税務調査を受けたトヨタ自動車が、2004年3月期までの3年間に約60億円の申告漏れを指摘されていますが、実は、同社には、これ以前からあまり芳しくないマイナー情報(というより、日本を代表するトップ企業としては、とてもセコ過ぎる情報?)がまとわりついています。例えば、その一つは輸出業務に関する「輸出戻し消費税」の問題です。これは、輸出業者に対する「ゼロ税率制度」という税法上の制度があるため発生するもので、例えばトヨタ自動車は2004年度に1、964億円もの還付税(輸出戻し消費税の還付金)を受け取っています。これは、輸出売上げにゼロ%をかけ、そこから仕入れ売上げにかかる5%分を差し引くという計算方式から発生するマイナス額が計算方式上の解釈から「輸出戻し税」として還付されるものです。この計算プロセスで還付額と消費税額の相殺が行われるため、結果的にトヨタ自動車の場合は消費税を1円も払わず、逆に、他社や一般国民などが納めた消費税の中から多額の還付金を受け取っていると関東学院大学法科大学院・湖東京至教授などが指摘しています(詳細の経緯は下記記事★を参照乞う)。

★『2005.10.5付toxandoriaの日記、アートと社会/映画「蝉しぐれ」に見る冷酷な暴政の伝統』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051005

ただし、この問題自体は見かけ上セコイように見えるだけで違法性はないと思われます。なぜなら、「消費税の輸出戻し税」を純粋に消費税の仕組みの観点からだけ見れば、輸出企業は消費税を仕入れ代の形で前払いしているので「輸出戻し税」の還付を受けても問題はないことになるからです。しかしながら、現実的にはトヨタ自動車のような大企業は、当然のこととして、取引上の力関係から弱小の下請企業に対して強大な支配力を持っています。このため、たとえ外見上は消費税分が下請企業に対して前払いした上で自らの仕入れ代にかかわる消費税として転嫁された形になっているとしても、強い立場にある大企業側から何がしかの値引き要求(値引き要求の圧力)があれば下請企業として断ることは困難なのが現実で、これが殆んど恒常化している節があるのです。つまり、このことが大きな問題となるのです。結局、このような取引関係上の事情(親会社と下請企業の力関係)が背景となって、強い立場に立つ大企業側は「仕入れ代にかかわる消費税負担を現実的に逃れることができる」とともに「下請けが負担して納めた消費税部分の還付を受け取ることが可能」となる訳です。このような意味で、やはり「消費税の輸出戻し税」は輸出の比重が大きい大企業の大きなメリットとなっていることが考えられます(消費税が転嫁されるメカニズムの詳細は下記記事★を参照)。

★消費税の仕組み
http://www.nta.go.jp/category/pamph/syouhi/h17/pdf/02.pdf

★林 佳宏:消費税の課題
http://commerce01.doshisha.ac.jp/ykawabata/1998/Ronbun/hayashi.pdf

★林 明(税理士):輸出企業に消費税が還付される仕組み
http://hb8.seikyou.ne.jp/home/o-shoudanren/hayasi.pdf.pdf

小泉政権時代の経団連会長がトヨタ自動車の奥田 碩・取締役会長であったことを考慮すると、このような真にセコイとしか言いようがない利益計上の仕組みは、まさに「この親(政府)にして、この子(日本を代表するトップ企業)あり!」を絵に描いたように醜悪な「政財の濃厚なラブシーン」です。当然ながら、この問題はトヨタ自動車に限ったことではなく、恐らく上で述べた日本政府自身の“GDPに関する上げ底問題”(「93SNA」方式だと偽って善良な一般国民を誑かしつつ、特に貧困層の国民の懐(可処分所得の最終消費支出部分)へ“合法的に”手を突っ込み、その消費税の一部分に“最終消費支出の一部”を巧妙に擬装して国庫へ転嫁する仕組み)が、このような「民間大企業の悪弊」(=寄生・吸血資本主義)を許容することの暗黙の口実、またはその背景となっている可能性があります。もし、これが紛れもない実態であるならば、日本は“あざとい泥棒資本主義”の国ということになり真に嘆かわしい限りです。

A「貧富差拡大」と「人心荒廃」の連鎖・共鳴・干渉で底なしに内向化する日本社会

1月12日付けの報道(共同通信、時事通信など)によると、内閣府が同日に発表した2005年度の国民経済計算では家計の可処分所得のうち貯蓄に回した割合を示す貯蓄率が前年度より0・3ポイント低い3・1%となり、統計を取り始めた1955年度以来の過去最低を更新したそうです。この貯蓄率低下の傾向は8年連続であり、ピークの1975年度(23・1%)から実に7分の1弱まで規模が縮小したことになります。この背景には、賃金などの収入の伸びが低いこと、及び高齢者世帯が貯蓄を取り崩していることなどがあるようです。このため、わが国の「無貯蓄世帯の割合」も約25%(4世帯のうち1世帯が無貯蓄)にまで拡大しています。

また、これに先立ち1月5日付の毎日新聞は「欧米と比べると日本の所得再分配が低所得層に恩恵が薄くなっている」と報じています(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2954887/detail?rd )。それによると、内閣府経済社会総合研究所の太田清特別研究員(日本総研主席研究員)が「日本では税や社会保障による所得再分配の恩恵が欧米と比べ低所得層に薄い」と指摘するレポートをまとめており、そのレポートは“日本は税金や社会保障負担を引く前の所得では欧米平均より格差が少ないが、所得再分配した後の可処分所得では格差があまり改善しない”と指摘しています。このレポートは、日本の「税+社会保障」の負担率が低所得層では欧州並みであるが世帯年収が500万円以上(平均)の層では欧州より低いことがその原因と考えられます。ドイツでは、再分配によって低所得層の所得と平均所得の格差は20.5%も縮小したが、日本では米国の5.4%より小さい2.0%の改善にとどまると分析しています。 また、経済協力開発機構(OECD)の調査(2000年)によって「所得がその国の平均的な水準の半分に満たない人口の割合」を示す「相対的貧困率」について見ると、日本は米国に次いで第2位となっています。 これらのことから、太田氏は“現在の日本の所得再分配の制度は、低所得層に恩恵が薄く、相対的貧困率を高めている”と見ています。

小泉政権下における「過剰に市場原理主義的な改革手法」及び、その「余りにも“あざと過ぎる”ヤクザ流儀あるいはマフィア流儀の恫喝政治」(この具体的内容については、下記記事★など「toxandoriaの日記、アートと社会」のバックナンバーを参照乞う/特に、当記事と共鳴するバックナンバーは【★『2005.9.3付、toxandoriaの日記、アートと社会/日本が取り憑かれた「ワグナー型劇場政治」の病理学(試論)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050903】です)が「貧富差の拡大傾向」に大きな影響(マイナスの波及効果)を与えていると考えられますが、同時に、その最も根深い部分では、やはり上で述べた日本政府自身による“GDPに関する「擬装・上げ底」問題”(=「GDP計算+消費税」のトリック)がボディーブローのように効いていると考えられます。しかも、この“GDPに関する「擬装・上げ底」問題”は、これからの消費税増とも絡む重要課題であるにもかかわらず、一般国民が殆んど自分自身の問題として自覚できていないことが懸念されます。というよりも『小泉劇場型、ヤクザ流儀の政治』に馴染んでしまった「日本政府と中枢官僚機構及び、これに迎合する御用学者」らによって一般国民が気づかぬように意図的に誘導されてきたのではないか、という疑義が湧き上がってきます。このような意味で『人を人とも思わぬ現在の日本政府による、日本国民(国家の主権者たる!)に対する居丈高な“お上意識”による冷酷な仕打ち』こそが、近年の日本社会で連続・多発する「猟奇殺人事件、深刻なイジメ事件と自殺者数増加傾向の高止まり、多発する家族間の陰惨な殺し合い」など、余りにも悲しすぎる“内向きな人心荒廃”(=“信用・信頼”と“人間の絆”の崩壊現象)の淵源ではないか、と思われます。

★『2006.7.25付、toxandoriaの日記、アートと社会/ ワーキング・プア社会を放置する「日本の政治権力者と御用学者の底なしの貧困 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060725

★『2006.6.15 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「総括・小泉改革」、それは冷酷な「日本のハイリスク・ハイリターン 社会化』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060615

★『2006.5.09 付、toxandoriaの日記、アートと社会/小泉流「狂気のリアリズム政治」で“地獄変”化するニッポン 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060509

★『2006.3.28付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「格差拡大の時代」(政治的事故)を予見したポール・ヴィリリオに学 ぶ』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060328

★『2006.3.15 付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 日本の「格差社会の拡大」を助長する「情報の非対象性」の問題 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060315

★『2006.3.12 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「ヘタレ民主党」崩壊の灰塵を背に浮上する『軍事国体論の亡霊』 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060312

★『2006.2.27付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 映画『オリバー・ツイスト』に見る小泉劇場『劣等処遇原則』(格差主 義の原像)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060227

★『2006.2.21付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「国民の人身御供」を容認する「残忍な金融資本主義国」、ニッポン 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060221

★『2006.2.4付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「真の構造改革と民営化」のための根本課題とは何か?』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060204

★『2006.2.2 付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060202

★『2006.1.26 付、toxandoriaの日記、アートと社会/“OPERA、Koizumi & Horiemon's Love Game” is Over ! 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060126

★『2006.1.22 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「神憑る小泉劇場」と「ホリエモン」が煽ったトリクルダウン幻想 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122

★『2006.1.18 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「株価擬装・耐震強度擬装」と「小泉オレ劇場」のロンド(輪舞) 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060118

★『2006.1.12付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「サルのマスタベーション」化するマルチチュードの世界 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060112

★『2006.1.9付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「幻想のセレブ経済」にパラサイト(寄生)する大増税時代の始まり』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060109

★『2006.1.8 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「グローバリズムの進展で崩壊の一途を辿る「日本の原風景」」の波紋 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060108

★『2006.1.7付、toxandoriaの日記、アートと社会/グローバリズムの進展で崩壊の一途を辿る「日本の原風景」』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060107

★『2005.12.19付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 『小泉劇場』が培養する悪徳の栄え/耐震構造偽造問題の深層』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051219

★『2005.11.16 付、toxandoriaの日記、アートと社会/小泉流「自己陶酔の美学」がもたらす日本ファシズム化への誘惑』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051116

★『2005.11.14 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「小泉劇場」の七つの大罪/「ポスト小泉体制」を批判する心構え』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051114

★『2005.10.05 付、toxandoriaの日記、アートと社会/映画「蝉しぐれ」に見る冷酷な暴政の伝統』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051005

★『2005.9.23付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「国家理念」及び「温かさと緻密さの眼差し」が欠落する小泉劇場政治』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050923

★『2005.9.18付、toxandoriaの日記、アートと社会/『踊るポンポコリン化した小泉劇場』の深淵を探る』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050918

★『2005.9.14 付、toxandoriaの日記、アートと社会/小泉劇場で『政府の民営化』が実現した先にあるものとは? 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050914

★『2005.9.10付、toxandoriaの日記、アートと社会/ マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(2/2)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050910

★『2005.9.7 付、toxandoriaの日記、アートと社会/マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(1/2) 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050907

★『2005.9.3付、toxandoriaの日記、アートと社会/日本が取り憑かれた「ワグナー型劇場政治」の病理学(試論)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050903

★『2005.9.1付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 『郵政焦点・総選挙』(付“飾り窓の女”)で何を隠蔽するのか?』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050901

★『2005.8.29 付、toxandoriaの日記、アートと社会/『小泉H.C.ポルノ劇場』が蹂躙するエクリチュール』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829

そして、「贈収賄事件などは当然と言うが如き背任的・犯罪的な国会議員等政治権力者の増殖、ホリエモンらのような反社会的・非倫理的企業経営者の増加、高級官僚等公僕による背任的犯罪の増加、悪魔に魂を売り払ったような軽薄又はカルト的な御用学者の増殖、貧困層・貧困世帯及び年収100万円以下の極貧世帯・超極貧世帯の増加、ワーキングプアと新ロスト・ジェネレーション層の増加」などが次々と連鎖ループを形成し、それが「巨大な負のうねり」となり社会システムの基層を直撃しているのが現代日本の実態です。いいかげんに『美しい国』などという、まるで日本という国を美容整形でもするかのような軽薄きわまりない「上げ底言葉」(“ハケンのヒンカク”や“納豆ダイエット”のように無意味な美辞麗句で飾り立てたインチキ放送番組も含めて)はキッパリとかなぐり捨てて、地に足がついたヒューマンな政策へ一刻も早く転換するべきです。やみくもの市場原理主義とグローバリズムの呼応による、地球環境の破壊と世界的な貧富差拡大傾向についての予測値を踏まえると、このようにグローバルな破局を回避するための残り時間は少なくなっています。そして、既述の「スターン報告」と「映像詩プラネット」は、その重要な取り組みのために残された時間は僅か向こう10年に過ぎないと指摘しています。この間に手をこまねけば、向こう50年で人類は確実に絶滅の危機に突入する恐れがあるのです。従って、今こそ、我われ人類は、16世紀オランダの人文主義者(ユマニスト)、デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus/ca1467−1536)の次の言葉(→)を肝に銘じ、先ず、自分一人ひとりができることから行動に移す必要があります。→『疑わしいことを問うのを恥じるな、過ちが正されるのを恥じるな』

[参考図表]貯蓄ゼロ世帯率など社会格差に関する各種統計(“しんぶん赤旗”/http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-28/2006012803_01_0.htmlより引用、部分転載)
f:id:toxandoria:20070123182353j:image

<注>お手数ですが、この参考図表は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070123


(独断&偏見的な提言=緊急に日本政府が取り組むべき基本的方向性)

◎以下、四つの方向性について強いメッセージを発信し、日本政府に対する内外からの信用を回復するとともに、「人間主義的(ユマニスム的)な改革」の実現可能性を具体的に示して見せることが肝要である。

(1)「格差拡大のトリック」を仕込んだ「現行GDP算出方式」(修正グロスアプローチ方式/内閣府・93SNA統計手法解説書による)を早急に改善し(参照、http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/051117/gijiroku.pdf)、その顛末について政府としてのアカウンタビリティ(説明責任)を果たす。

(2)「市場原理主義的な雇用条件整備」の根本的見直し=日本版ワッセナー合意(オランダモデル)の検討(バカげているほどカルト的な格差拡大主義の軌道修正)

・・・1982年11月に、オランダでは「ワッセナー合意」(=オランダモデルの原点)が結ばれた。ワッセナーはオランダ経団連会長の自宅がある場所の名称で(ハーグの北、約40km)、ここに首相、労働団体幹部らが集まり三者合意を締結した。その合意の要点は次のとおりである。

●労働団体は賃金抑制に協力する(それまでの不況下での過剰な賃上げを抑制)

●使用者団体は、雇用を拡大しつつ時短を実現する(ワークシェアリングの実行)

●セーフティネットの充実とバランスさせるため、それまで不公平になっていた高額所得者の減税を実施する

●「同一労働同一賃金」の原則で労働市場の柔軟化を図る(『差別禁止法』を制定して、正規労働者と非正規労働者の全ての壁を取り払う/賃金・労働時間・有給休暇・解雇条件・特別休暇・育児休暇・失業手当・年金・試用期間などの全てを平等に扱う)

●社会保障制度の見直し(給付中心の社会保障から雇用中心の社会保障への見直し)

●IT革命による雇用拡大可能性(Employability)の具体的追求(業務のIT化による省力と併行して全く新しいビジネスの可能性を探り、IT革命と新たな雇用拡大を絶えずバランスさせて「IT革命→雇用喪失」のバカげた負の連鎖を断ち切る/IT(機械、メカ)が主役ではなく、生身の人間が主権者だという発想へ転換する)

<注>オランダモデルの土壌

・・・元々、彼らが住み始めた土地の殆んどが海面下に等しい湿地帯という悪条件であるため、オランダ人たちは様々な困難を克服しながら、気が遠くなるほど長い歴史的な時間をかけて、自らの努力で治水・利水技術の開発と自らが住まう国土の建設に取り組んできた。他方、その特異な地政学的環境は、ヨーロッパ諸国を始めとする異国の人々との間での異文化交流を促すという、まさにグローバリズムの坩堝でもあった。このような特色から、オランダの文化(オランダの光)の根本には、あらゆる異質な要素を統合しつつプラスの方向へ纏め上げてゆくという独特のしなやかさを伴った強い個性(Integrated-Approach)が潜在している。やがて、それがオランダの人々の精神と風土に深く滲みこみソフィスティケイトされる中で、17世紀オランダのユマニスト、エラスムスの寛容の精神が生まれた。このようなオランダ文化の個性的土壌からオランダモデルが誕生した訳である(詳しくは下記記事★を参照乞う)。

★『2006.9.28付toxandoriaの日記、アートと社会/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/オランダ・総集編1』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060928

(3)「社会的経済の理念」(日本社会発展のための公正な経済を目指す)及び平和主義・地球環境保護・ヒューマニズムに基づくゴルディロックス成長(ほどほどの安定成長)を目指すという国家意志を宣言する

・・・安倍流「美しい国」の改革方向は、内需拡大(国内消費の一層の拡大)が目下の大命題であるにもかかわらず、相変わらず「小泉改革から引き継いだ、アナクロで、カルト的で、狂信的で、かつ貧相な格差拡大主義のドグマ」に呪縛されている。別に言えば、今の安倍流「美しい国」の改革方向は視野が狭く、あまりにも愚かしい短期利益指向型である。ユマニスムと地球環境問題を視野に入れるならば、少子高齢化へ向かう時代だからこそ、それぞれ能力差があるとはいえ日本国民の全てが貴重な人材と労働力であるとともに貴重な消費者でもあることが理解できるはずだ。しかし、大方の企業経営者も同じようなバカらしいカルト的な呪縛に囚われている。別に言えば、表現が汚くなるが(しかも、敢えて男女差別的、セクハラ的であることを承知で言えば)、フリードリヒ・ハイエク、ワシントン・コンセンサス、ネオコン一派が代表するアメリカ型市場原理主義に心底から恫喝された現代日本の多くの政治家・官僚・経営者たちは、皆、その小さ過ぎるキンタマが更に奥の方へ小さく縮みあがり全身総毛立ってしまう『キンタマ萎縮型・臆病』(der Hodenatrophie)という名のビョーキを患っていると思われる。根本から発想を変えるため、オランダ・モデルを参考としつつ、適切な労働分配率に配慮した長期戦略的観点から世界に冠たる「平和主義&省エネ技術国家・日本」の繁栄を目指すことが、ゴルディロックス経済の下で最大の利益をもたらすはずである。今こそが、そのための知恵の出しどころではないか。


(4)内発的な国民主権のレベルから発想する、きめ細かな社会システムの研究

市町村合併、道州制導入、教育改革なども結構ですが、“いかにもセレブで偉そうなコナトウス(Conatus)型の二・三世の世襲政治家たちが上から下へ民主主義を賦与すること”を有りがたがる“お上意識信仰ともいうべき特異な日本人の精神環境”を変革せぬかぎり、これから何をやっても、どれだけ小細工してみたところで今の日本社会の混迷状態は解決できないと思います。最も重要なのは、お上から与えられる「形式民主主義」から「国民主権を尊重する内発型民主主義」へ向けて発想を転換することです。別に言えば、それは「アクティブ(又はラジカル)民主主義」とでも言うべきかもしれません。無論、それはブッシュ大統領や小泉前首相のように先制攻撃で悪の枢軸から民主主義を奪還するというようなコトではありません。それは、憲法の授権規範性の意味を最大限に尊重し、せめてEU型のような民主主義のあり方をめざすべきだということです。拡大EUは憲法問題(EU憲法)で頓挫したように見えますが、決してそうではないと思います。EUは、今、アメリカ型の市場原理主義を制御しながら自由・平等・連帯・公正など民主主義の根本となる価値観を現実に合わせて再定義しようと模索し、呻吟しているように見えます。また、その根底にはドイツの率直で徹底した戦争責任への反省ということもあります。ともかくも、小泉劇場を引き継いだ「安倍の美しい国」は、このような「本当の美」からあまりにも懸け離れすぎています。以下に、内発型で、きめ細かい「社会システム研究の事例」を二つ挙げておきます。

<注>コナトウス(Conatus)について

・・・17世紀オランダの哲学者スピノザ(Baruch De Spinoza/1632-1677)によれば、人間は“本性的に自らの存在そのものを限りなく欲望する生き物”であり、この本性的な人間の性質をコナトウス(Conatus)と名付けた。そして、コナトウスは経済力・政治権力・技術力・知識力・情報力をまとった人間に特に強く現れるようになり、この種の人間が集団化して自らのグループ仲間や階層を守ろうとするクピディタス(Cupiditas/集団としての利己的な意志・欲望・自衛願望)を持つようになり、やがて彼らの“欲望”は更に限りなく深まり、彼らは人間社会に深く寄生する、まことに功利的な生き方を選ぶようになる。このような訳で、コナトウスは社会にしぶとく寄生して生きる階層の人間を指すことになる(参照、http://fr.wikipedia.org/wiki/Conatus)。

・・・古典的な意味での代表的なコナトウスは絶対王政時代の専制君主、貴族、特権的聖職者、特権的官僚、大地主などの階層グループであるが、更に社会システムが複雑化し多様化した現代の民主主義社会では様々なタイプの「寄生的な人間集団」が生まれており、その代表格が世襲・寄生政治家たち(日本の小泉・安倍・麻生・中川・石原など)、世襲高級官僚、御用学者、御用マスコミなどである。特に、現代日本の政治では、御用学者・御用マスコミとポピュリズムを巧みに操り「僭主」化した、小泉・安倍ら寄生政治家による深刻な弊害(民主主義政治の劣化)が次第に大きく目立ち始めている。

・・・また、高度情報化とグローバリズムが絡み合ったウエブ社会化の傾向が深まるにつれて、例えばGoogleタイプの企業や、その企業が提供する巨大化したWebネットワーク型情報データベースやキーワード検索サービスにドップリ漬かって生きる、別にいえば古典的な意味での「生身の人間関係社会」から遊離して生きるタイプの人間や企業群が増殖しつつあるが、これらは新しい種類のコナトスの発生と見做すことができる(参照、佐々木俊尚著『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 』(文春新書)/2007.1.21放映・NHKスペシャル、総合テレビ番組『グーグル革命の衝撃〜あなたの人生を“検索”が変える〜』)。バイオスフィア(Biosphere/地表にごく薄く張り付いた生物圏/the outermost part of the planet's shell ? including air, land, surface rocks and water ? within which life occurs, and which biotic processes in turn alter or transform./参照、http://en.wikipedia.org/wiki/Biosphere)における人間も含めた生態系や地球環境の限界を考慮すれば、“Googleタイプの企業やGoogleサービス症候群患者”のような新種の「Web型コナトウス」の出現は、目下、日本に侵入したカエル・ツボカビ症(カエルなどに寄生して両生類を絶滅させる恐れがあり、その生態系破壊の連鎖波及の先には局地的な生態系全体の壊滅による食糧危機の発生などが懸念される/参照、http://www.asahi.com/science/news/TKY200701110397.html)の問題を連想させて不気味である。

(事例1)グラミン銀行(価値観の転換1)

バングラディシュの経済学者であるムハマド・ユヌス氏(Muhammad Yunus/1940− )は「グラミン銀行」(Grameen Bank/Grameenはベンガル語で“村の”という意味/http://www.grameen-info.org/)を創設した功績が認められ、2007年のノーベル平和賞を受けています。「グラミン銀行」の仕事は、貧困に苦しむ女性に対し、ごく小額の資金(数ドル〜30ドル程度)を無担保で貸し付けます。これは日本人から見れば小額ですが、せいぜい1日あたり1ドル未満で生活している、まったく蓄えがないバングラディシュの貧困層にとっては大金です。6〜7%の金利で融資を受けた女性たちは、先ず鶏を育てて卵を売って資金を作り、やがて羊や牛が買えるようになって、融資の返済をしながらある程度お金が貯まると今度は裁縫道具を買って衣服を作り、それを売るレベルまで豊かになる、というような前向きの生き方ができるようになります。このように、人間は先ず生産手段(又は働く手段)を手に入れることで希望が持てるようになれるのです。そして、この「グラミン銀行」の仕事は公的なものではなく、あくまでも民営であるという点に特色があります。

一方で、日本のODA(政府開発援助)資金の殆んどが途上国政府関係者(政治権力者、コンサル、ブローカーなど)や高級官僚等の懐中へ消え去ったり、あるいは、その資金の大部分が建設請負工事や設備購入資金の形で海外の先進国企業へ逆流していることは周知のとおりです(イラク戦争におけるアメリカの軍需産業(産軍複合体)の暗躍も同じようなパターン)。しかも、そのようにして完成した高度なインフラは出来上がった途端に劣化が始まるため、保守資金とメンテナンス技術が途絶えれば、せっかくの高度な設備は貧しい人々の経済生活向上とは無関係のまま放置されてしまいます。つまり、ODAのような形での最貧国の人々に対する先進国からの資金援助には明らかに欠陥と限界があります。しかし、この「グラミン銀行」は貧しい人々へ積極的に生きるための動機づけを与えており、内発型のパワーを引き出すための、きめ細かな支援システムという観点からすれば、先進国によるODA援助、IMF基金、あるいは世界銀行などの高度な仕事よりも遥かに有効であるように思われます。

また、日本国内の民営・民活モデルでは、例えば、政府管轄下の経済特区制度で誕生した「株式会社運営の新設大学」が教員等に関する整備内容が不備(デタラメ?メチャクチャ?/参照、http://www.asahi.com/life/update/0118/005.html)であることがバレて大騒ぎになる類の事件が後を絶ちません。これでは、折角の民営化路線に沿った「構造改革政策」も相変らず税金の無駄遣いをもたらすだけです。もし、本気で日本政府が自由市場で民間活力を引き出すつもりであるならば、例えば、日本国内でも「グラミン銀行」のような本当に資金が必要な貧困層の人々や多重債務者に対し安心で安全な低利資金を融資できる新しい金融業務(例えば、マイクロクレジット業務/参照、http://www.results.jp/resultsjp/mc.htm)が民営でスムースに実現するための環境整備に先ず取り組むべきです。また、それに先立ち必要なのは、社会的公正が優先される国内金融市場等に関する条件の整備に力を注ぐことです。しかし、残念ながら、わが国の実態は、相変わらずハイエナのような暴力団絡みの悪徳金融業者の暗躍を殆んど野放し状態にしたまま、揚句の果てには管轄・監督官庁である司法・警察OBがそれらノンバンク等の関連業界へ天下ることを黙認する有様です。きめ細かな内発型の社会システム(=より困難なグローバル時代に備えて日本の土壌とすべき新しい社会システム)を軽視する、こんな体たらくではイノベーションを活かした「美しい国」の創業支援政策も、ベンチャー支援政策も、その他のへったくれ政策も、これらの全ては実現が不可能なホラ話に過ぎません。

(事例2)人間の個性を尊重する教育と家庭のあり方の実現(価値観の転換2)

安倍首相の諮問機関である「教育再生会議」(野依良治・座長)が「教育改革の方向性」(七つの指針)を2006年11月13日までに取り纏めており、その方向性の要点は次のとおりです(この指針が出された経緯等の詳細については、下記記事★を参照乞う)。

★『2006.11.16付toxandoriaの日記、アートと社会/Ooh oh!安倍総理好みの「教育統治」で本当にイジメも児童虐待もなくなりますか?』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061116

●コーポレート・ガバナンス型の強力な「教育統治」の確立(市場原理の導入による教育の生産性向上?)

●教育委員会制度の全面的な見直し(教育の中立性の破棄?)

●指導力不足教員への厳格な対応と良い教師の激励(市場原理、教員の商品化?)

●教育再生のための具体的な行動計画の策定(教育現場への“責任転嫁”徹底プラン?)

●教員養成及び同任用の抜本的改正(教員の商品化? 教育市場主義の深化?)

●必要授業の確保とカリキュラムの見直しによる学力の向上(子供たちの商品化・市場ツール化?)

●学校以外の家庭・地域・マスコミを含めた全国民的な当事者意識の醸成(国家主義に相応しい美しい国の完成?)

この「教育統治」は「企業統治」(コーポレート・ガバナンス)の教育版ということになります。つまり、「企業統治」のやり方(=市場原理)を参考にしながらイジメ問題や必修科目の履修漏れ問題等の不祥事の発生を防いで教育行政全般を立て直すために、教育に関する国家統制型の一元的スタイルを強化するという訳です。安倍首相は、“すべての子供に高い学力と規範意識を身につけさせる”と宣言しているので、この4月に行われる全国学力テストの結果に基づいて、学校評価制度の導入・教員免許更新制・教育バウチャー制・大学改革・イジメ自殺対応マニュアルなどに順次着手する予定です。しかし、よく考えてみれば、このような「上からの威圧的なガバナンス」と「市場原理主義による教育改革」よりも前に、シッカリ押さえるべき「教育的な視座(エピステーメ)」は次の三点にあることが理解できるはずです。

●市場原理主義ではなく、子供たちの多様な可能性に合わせた就業支援の検討
・・・人間としての子供たちの無限の可能性に対する産婆術(ソクラテスの言うmaieutike)として教育を理解すべきである。市場主義が大切だとしても、それはあくまでも費用対効果(コストパフォーマンス)を評価するための一つのツールに過ぎない。

●子供たちの多様な可能性に合わせた、教育メニューの多様化
・・・子供たちの人間としての多様性が開花することを期待するとすれば、市場のメニューは必然的に豊かになる。これを全く反対に考える、カルト的な市場原理主義の理解は間違っている。市場の主役は、あくまでも人間である。仮に、人間不在の「完全に合理的な市場」だけが世界に残ったとしたら、それは、どんな意味があるというのか?

●教育現場の労働環境の改善
・・・教員たちも子供たちも、彼らは全て機械やゲームソフトではなく、あくまでも生身の「人間」である。過酷な環境下でオーバーワークになれば生身の人間である限り疲労するのは当然だ。教員たちも、子供たちも市場原理主義の道具(ツール)でもなければ、バーゲンセール教育の商品でもないのだ。

家庭のあり方も教育と同じで、基本的には多様であるべきです。家庭の経済環境を持ち出すまでもなく、日本中のあらゆる家庭が同じ教育コースを選ぶ必要はないし、同じ学歴を追い求める必要もないはずです。安倍首相は、“日本中の全ての子供に、同じ程度の高い学力と規範意識を身につけさせる”と宣言していますが、このような発想は乱暴すぎると思われます。これでは、上で述べた「子供たちの多様な可能性」を封殺するか、あるいは皆殺しにしてしまう恐れさえあります。それは、まるで「優秀なゲルマン民族の人工飼育」を発想したヒトラーのような恐るべき考え方に見えてきます。特に、家庭での教育の選択肢は多様に、柔軟に、十分複線的に考えるべきだと思います。

子供を週5日シッカリと熟へ通わせる親がいてもよいし、勉強には一切干渉せずスポーツに熱中させる親がいてもよいし、あるいは家庭では教育的なことは何もしない親がいてもよいと思います。余裕があれば積極的に子供を海外旅行へ連れて行くのもよいでしょう。小泉前首相のお得意のコトバを拝借すれば、まさに“人生イロイロ、家庭のあり方もいろいろ、人間の幸せのあり方も色々”だと思います。これから様々なコースを辿る子供たちの未来については、たとえ親であっても先行きは分らないし、パーフェクトな責任は持てないはずです。子供の親も学校の教員と同じで、親として生きている限りは「産婆役」(maieutike)に徹するしか方策はないはずです。従って、安倍政権が掲げる画一的な「家庭の教育力の向上」という方向性は非常に危険です。

ましてや、これに市場原理主義が絡んだら、どのように恐ろしく破局的な事態が起こるか想像もつきません。そして、「家庭の教育力の向上」のために「パーフェクト・ファザー」あるいは「パーフェクト・マザー」の役割を親たちに国家(権力)が強制することにでもなれば、今以上に陰惨で猟奇的な事件が全国で多発することが予想されます。それは、まるで鬼気迫る恐怖に満ちた「美しい国」ではありませんか。ここでは「美しい国」などの軽薄きわまりない美辞麗句は何の役にも立ちません。今、政府がやるべきことがあるとすれば、それは様々な子供たちの生き方の違いが家庭間の格差の問題として露骨に現れたり、それが原因となる差別やイジメの問題が起こらないような、そして気の毒な星の下で誕生した子供たちのための温かい受け皿となれるような「ネットワーク型の新しい社会システム」を衆知を結集して創ることです。一つのヒントは、できる限り幼い時から社会とのつながりを意識させることであり、事例としては「フランス型のアソシエーション」が参考になるかもしれません(フランス型アソシエーションについての詳細は下記記事★を参照乞う)。

★『2006.3.21付toxandoriaの日記、アートと社会/「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321

最後に、このような「内発的で個性を尊重する教育と家庭のあり方」について参考となりそうな国内の事例があるので、下に紹介しておきます。

■長野幼稚園 (静岡県磐田市)『おいしく科学しよう <高校生との心のふれあい>』http://www.sony-ef.or.jp/preschool/practice/vol3/3-3.html

■金沢地区農林漁業女性連絡協議会(石川県金沢市)『“海の子・山の子・畑の子”交流会を通して海・山・農の幸と第一次産業を学習することにより食農教育を図る』http://www.weli.or.jp/zenken/activity/shokuno/shokuno-15.html

(参考URL)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

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