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殺す裁き/不安と死の報復【亀井静香―いかなることがあろうと、国家が人を殺してはいけない】(日暮れて途遠し)
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投稿者 天木ファン 日時 2006 年 12 月 29 日 00:36:54: 2nLReFHhGZ7P6
 

殺す裁き/不安と死の報復


雑 / 2006-12-27 22:45:34


PLAYBOY 2007.1月号(2006.11.25発売)で森達也氏の記事を拝読。
世界死刑廃止デーや、世界の死刑制度の状況、とりわけフランスの動きに目を啓かれる思いでした。また何といっても敬愛する亀井静香氏へのインタビューが含まれていました。
全文は長いので、永山則夫裁判で示された基準の変化、小林薫被告の公訴取り下げ、安田弁護士バッシングなど具体的な部分を省略して骨子部分をコピーさせていただきました。

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A3 麻原彰晃への新しい視点
連載24回 死刑 
森達也

オウムの事件が触媒となり、
マスメディアに煽られた一般市民の不安や恐怖は、
死刑判決の増大という結果を生み出している。
多くの先進国が漸進的に死刑廃止を決定している中、
この国の報復の連鎖は止まらない。
そして死刑制度反対を唱える少数派に、
世間の風当たりはますます強さを増していく……。

(前略=厳罰化の実例など)

ここであなたに質問。小林薫被告が控訴取り下げの書面を裁判所に提出した、10月10日は、そもそもは何の日でしょう?

もしこう訊ねられたら、年配の人のほとんどは「体育の日」と答えるだろう(現在は10月の第二月曜日)。もうひとつある。10月10日は、死刑廃止世界連盟(WCADP)によって定められた世界死刑廃止デーだ。でも多くの人はこれを知らない。
小林被告は知っていたのだろうか。死刑になることを望むと嘯いていた彼は、あえてこの
日に控訴取り下げの書面提出をしたのだろうか。
とにかく毎年10月10日は、死刑廃止連動を進める団体や個人が、世界各地で様々なアピールを繰り広げている。2006年の10月10日は火曜日だ。ほとんどの日本人にとっては連休明けの初日となる。もしこの日にイベントを企画したとしても、大きな動員は見込めない。そういった事情を背景に、連休の初日である7日の土曜日、 都内で死刑廃止を呼びかけるシンポジウムが開催された。場所は台東区根岸。
5分ほど遅れて着いたけれど 会場である区立の小さなホールは、とても閑散としていた。席数は100くらい。でも主催の市民団体スタッフたちの顔に、とりたてて落胆や失望の色はない。つまり最初から、この程度の動員だとわかっていたわけだ。わかっていなかったのは、初めて死刑廃止デーの催しに参加した僕ぐらいだ。すでに死刑を廃止したEU諸国でさえ大きな催しが行われているというのに、死刑存置のこの国に募らす大多数の人は、この制度についてほとんど考えようとはしていない。

(中略=会場の様子、オウム幹部死刑囚岡崎とのことなど)

死刑について、かつて僕も、あまり深くは考えない大多数の一人だった。社会にはいろんな制度がある。死刑はそのひとつでしかなかった。でも『A』を撮り、結果的にはオウムについていろいろ考察するうちに、この制度について考えざるを得なくなった。
今年に入ってから、すでに13人の上告が棄却され、死刑確定囚は93人になった。
麻原彰晃と小林薫は上告棄却ではないから、ここには入っていない。つまり厳密には死刑確定囚は95人。年内にはもう少し増えるだろう。
5年前までは54人だった。たった5年で倍近くに増加した。どう考えても急激すぎるけれど、この背景は、前述したように量刑判断が大きく変わったからだ。
2005年10月の木曾川・長良川事件の二審判決で名古屋高裁は、主犯格の少年一人に死刑、共犯の二人の少年に無期を申し渡した一審判決を破棄し、被告の少年三名全員起死刑判決を下した。四名の命が失われた事件自体は、ここに概要を書くことが嫌になるくらいに凄惨だ。犯行当時に十代であっても死刑判決が下された事例は、前出の永山則夫判決以外にも幾つかある。しかし、複数の十代の被告が、同時に死刑判決を受ける事例はこれまでない。

このあたりで書いておかねばならないが、「三人殺したら死刑で二人なら無期が相場」との暗黙のマニュアルについて、僕は支持する気などまったくない。もちろん、情緒に流されることに対しては最も警戒せねばならない司法が、判例主義をとることはある意味で仕方がない。でもそれを勘案しても、人の営みというとても曖昧な領域を考察する法廷で、型どおりのマニュアルヘの全面的な依拠にはやはり同意しかねる。だから司法の原則が揺れることそれ自体を、頭ごなしに否定するつもりはない。
ただし良い悪いはともかくとして、司法をコントロールする世相が、激しく変化しつつあることに対しては、絶対に無自覚でありたくない。オウムは明らかに世相を変えた。善悪の二分化を促進した。そしてその変わった世相によって、司法も大きく変わった。簡単に書けば厳罰主義だ。木曾川・長良川事件の被告の少年三人にしても、小林薫にしても、地下鉄サリン事件前に起きていた事件だとしたら、死刑判決が出たかどうかは疑わしい。いやおそらく出なかっただろうと僕は思う。

(中略=安田弁護士バッシング等)

アムネスティ・インターナショナルによれば、世界197カ国のうち、すべての罪について死刑を廃止した国は、現段階で88、普通法の犯罪に限って廃止した国は11、10年以上死刑を執行していない事実上の廃止国は30。つまり死刑制度を実質的に廃止した国の合計は129。死刑制度を残す国は68。特に90年以降、EU(欧州連合)が加盟の条件として死刑制度の全面廃止を決めたこともあって(EU基本憲章第一章第二条「何人も死刑を宣告され、または執行されてはならない」)、40カ国が新たに死刑廃止を決めた。

死刑についての世界の大きな潮流は、明らかに廃止へと向かっている。でも日本では逆行した。EU加盟国が全面的に廃止した現在、今も死刑を存置する先進国の代表は、日本とアメリカだ。つまりオウムと9.11によって、報復の連鎖に巻き込まれた二つの国は、それぞれ犯罪者の抹殺にとても強い情熱を傾けているということになる。

しかし処刑の際には、死刑囚の家族や被害者の遺族、検事と弁誕士、時にはマスコミまでが立ち会うことが慣例となっているアメリカに比べれば、日本の執行はとにかく秘密裏に行われる。情報はほとんど公表されることがなく、死刑囚やその被害者の遺族ですら、後日に一方的に知らされる状況だ。

9月17日付の朝日新聞ウェブ版に『死刑廃止から25年の仏、42%が復活望む』との見出しの記事が掲載された。
「18日に死刑廃止から25周年を迎えたフランスで、国民の42%が死刑復活を望んでいることが世論調査機関TNSソフレスの調査(13〜14日実施)で分かった」
この出だしだけを読めば、死刑廃止という決断を、フランス国民は今になって悔いているとの文脈に読み取れる。しかし最後には、こんな記述がある。「同じソフレスの当時の調査によると、国民の62%は死刑廃止に反対していた」つまりこの25年間で、死刑制度存続を求める声は減少しているわけだ。

フランスで死刑が廃止されたのは81年の10月9日。死刑廃止を以前から訴えていたロベール・バダンテールを、ミッテラン大統領は法務大臣に任命し、この内閣のもとで廃止法案が可決された。バダンテールのこの行動は、もちろん予想できたことだ。つまりミッテランも含めて政府には、民意の多数派に確信犯的に抗ったのだ。このときのバダンテールの国会での演説は、今も死刑廃止理論のひとつとして頻繁に引用される。

「多くの人々は、殺人者がまた罪を繰り返すかもしれないと怖れています。殺人者を消してしまえば、この恐怖は簡単にとり除けると単純に考えています。この“殺す裁き”を求める人々は、二重の確信をもっています。ひとつは、世の中には完全に罪深い者がいるということ。そして、もうひとつは、絶対に誤りのない裁きが存在するという確信です。
しかしこの世界には、骨の髄から罪深くて、将来もまったく更生する可能性のない人間など、存在しません。また裁きは人間がするものだから、絶対に誤りがないとはいえません。私たちは、この偶然に左右される“殺す裁き”、すなわち“不安と死の報復”を拒みます。なぜならばそれは、本来の裁きに反するものであり、恐怖という感情に理性と人間性が屈服することを、意味するからです。

フランスの死刑廃止論の歴史は古い。1791年の憲法制定議会のときから、廃止と存置をめぐってはすでに論争が始まっていた。このときは廃止にまで至ることはなかったが、死刑囚の苦痛を避けるために、新たな処刑器具、ギロチンが考案された。
四世紀には『死刑囚最後の日』を書いたヴィクトル・ユーゴーをはじめ、多くの学者や表現者たちが死刑制度の廃止を訴えたが、国会では否決され続けてきた。

これほどまでに廃止論が活発に唱えられながら、最終的に廃止に至るまでに2世紀近くもかかった理由のひとつとしては、フランスの近代史が、革命や動乱に常に揺さぶられ続けてきたことが挙げられるだろう。フランスを代表する歴史学者のジャン=クロード・ファルシーは、「社会に動乱の不安があると、死刑は反対派をはらいのけ、民衆の反逆を抑えるために有効だと考えられる」と語っている。

死刑制度を残す国が多い地域は、アジアやアラブ世界だ。しかし2006年、フィリピンでは死刑廃止が正式に閣議決定された。台湾も近年、陳総統が死刑廃止の意向を表明して刑法が全面的に改正され、死刑廃止まで秒読みといわれている。この10年間執行ゼロの韓国は、実質的死刑廃止国になりつつある。

でも日本は変わらない。変わらないどころか、世界のこの動きからは逆行している。
念を押しておきたいけれど、世界の標準に合わせるべきだなどと主張するつもりはない。国や地域にはそれなりの事情がある。たとえ世界中の国が死刑を廃止しようとも、確固たる理由と必然性がもしも存在するならば、これに合わせる必要などないと僕は考える。
でも少なくとも今のところ、死刑制度に確固たる理由と必然性があるとは思えない。たとえば死刑制度存置論の最大の根拠とされる犯罪抑止論については、死刑を廃止した欧米を含む世界各国の犯罪率がまったく上昇していないことからも、その効力がないことは明らかだ(むしろ低下しているケースのほうが多い)。

「私は警察出身です。だから冤罪がいかに多いかを知っています。しかし死刑は取り返しがつかない。だから反対するのです。」
死刑廃止を推進する議員連盟会長の亀井静香は「なぜあなたは死刑廃止を訴えるのですか」との僕の質問に、あっさりとそう返答した。
「遺族の無念はわかります。しかしね、報復感情を国家が共有すべきではない。憎悪と報復の連鎖が止まらなくなる」
そう言ってから亀井は、周囲の反発は?との僕の問いに、
「なくはないですよ。会長に就任したことで、支持者からもよく批判されるんですよ」と苦笑いを洩らした。
「あれだけはやめてくれと言うんです。悪い奴を死刑にすることの何がいけないんだって。でもね、どんなに悪い奴といえども、国家が命を奪うべきではない。私はそう考えます。私はやめません。もう少しです。今は自民党の天下だけれどもう少しで風向きは変わります。ならば廃止法を立法化できると思っています」
僕はメモをテーブルの上に置く。傍らではテープレコーダーが回っている。テーブルの上に置かれたままになっていたお茶を一口すする。いつのまにかすっかり冷えている。
「・・・ 亀井さん、ならばお聞きしますが」
「はい、どうぞ」
「先日、麻原彰晃の死刑判決が確定しました」
頷く亀井の表情が、こころなしか硬くなったような気がする。そうきたかというような表情にも見えるけれど、それは僕のバイアスによる見方かかもしれない。そんなに簡単に内面を表していては、たぶん政治家は務まらない。
「一審のみで確定しました。これについて、亀井さんの意見をお聞きしたいのですが」
「個々の事案については、コメントできないなあ」
「賛成ですか、それとも反対ですか」
「制度自体が駄目なんです。個々の事案についてはコメントしない」
そう言ってから亀井は、正面から僕を見つめた。
「しかしね、いかなることがあろうと、国家が人を殺してはいけない。私はそう考えます」
「ならば麻原彰晃についても?」
「誰であろうとです」

数日前の亀井とのそんな会話を思いだしながら、僕はホールを後にした。玄関でスタッフに打ち上げを誘われ、少しだけ参加することにした。会場はホールのすぐ近くの居酒屋の二階の大広間だった。老舗のようだ。柱は脂や煤が塗り込められたかのように黒光りしている。打ち上げには60〜70人ほどが集まった。つまり会場にいた人たちの半分以上が参加したわけだ。言い換えれば、今日のこのシンポジウム自体が、身内の集まりということにもなる。そのことを僕は考えてしまうが、みんなは元気よく乾杯の声を挙げた。つまりこんなことは、彼らにとってもう当たり前のことなのだ。死刑廃止の訴えは広がらない。特にここ10年、風当たりはどんどん強くなる。僕にも覚えがある。死刑廃止と口にしたその瞬間に、被害者遺族の気持ちになれと言い返されるのだ。
遺族の気持ちになるのなら「絶対に許せない」と思うことは当たり前だ。同じ空気を一秒足りとも吸いたくないと思うことも当たり前だ。でもこれを続けるかぎり、報復の連鎖は永劫に続く。この連載ではこれ以上触れないけれど、死刑について、僕は今一冊の書下ろしを準備している。亀井へのインタビューも、その一環で行われた。この年末に上梓したかったけれど、どうやら少し遅れそうだ。麻原彰晃について思うことは、この国の歪みについて考えることと重複する。少なくとも僕にとってはそうだ。だからこそ彼は、僕にとっても特異点なのかもしれない。

1時間ほど歓談が続いた頃、幹事役のスタッフから、一言挨拶してほしいと突然指名された。その時点でビールのジョッキを3杯と焼酎のお湯割りも何杯か飲んでしまっていた僕は、その場で自分が何をしゃべったのかよく覚えていない。
でも思わす口走った以下の言莱だけは覚えている。
「少数派は辛いけれど、でもここで多数派に合わせてしまうと、何もかもがなし崩しになる。僕は毎日そんな思いでいるし、きっと死刑に反対する皆さんもそうだと思う。出口はさっぱり見えないけれど、でももう少し探し続けます」

もりたつや1956年、広島県生まれ。映画監督、ドキュメンタリー作家。98年、自主制作ドキュメンタリー映画「A」を発表。ベルリン映画祭に正式招待される。2001年、続編の「A2」が山形国際ドキュメンタリー映画祭にて審査員特別賞、市民賞をダブル受賞。著書に「Aマスコミが報道しなかつたオウムの素顔」「職業はエスパー」(以上、角川文庫)、「下山事件」(新潮社)、「ご臨終メディア」(森巣博との共著/集英社新書)など多数。最新刊は、「東京番外地」(新潮社)。

http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/c0a5e728cc83cb256af44031ff607a3d



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