★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK29 > 735.html
 ★阿修羅♪
「西山太吉国賠訴訟」第9回最終口頭弁論傍聴報告(ひらのゆきこ)(JANJAN)
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/735.html
投稿者 天木ファン 日時 2007 年 1 月 06 日 16:31:25: 2nLReFHhGZ7P6
 

(回答先: 沖縄“密約”は明らか―池田龍夫(ジャーナリスト)(日刊べリタ) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 1 月 05 日 23:32:01)

「西山太吉国賠訴訟」第9回最終口頭弁論傍聴報告 2007/01/05

--------------------------------------------------------------------------------

 34年前、沖縄返還協定において日米政府に密約があったことをスクープした元毎日新聞記者・西山太吉さんは、国家機密漏洩を「そそのかした」として罪に問われ、情報提供者の外務省女性事務官とともに有罪判決を受けました。「国民の知る権利」と「表現の自由」が問われたこの裁判は、検察の起訴状にあった「情を通じて」という言葉によって男女問題へとすり替えられ、マスメディアの煽動的な報道もあって、国家犯罪を告発した記者はバッシングを受け、社会的に抹殺されました。長らく沈黙を守っていた西山太吉さんは、2000年と02年に発見された米国の公文書によって密約の存在が明らかになったことを踏まえ、05年春、国に謝罪と損害賠償を求める訴訟を起こしました。

 その第9回口頭弁論が12月26日(火)午後3時より東京地裁で行われ、結審しました。冷たい雨が降る中、大勢の人たち(45名)が傍聴に駆けつけました。

第9回口頭弁論の主なやりとり

 出席者は、裁判官が加藤謙一裁判長ほか2名。原告側は原告(西山太吉さん)と原告代理人(藤森克美弁護士)。被告側は、被告(国)指定代理人5名。傍聴人45名。

 傍聴席がほぼすべて埋まる中、やや緊張した面持ちで法廷に出廷した加藤裁判長は、原告、被告(国)双方に提出書類等の確認をした後「(今日で裁判は)終結と考えています」と述べ、今回の口頭弁論で裁判を終結する旨の申し伝えがありました。次いで「それぞれ最終弁論を行うように」との言葉があり、まず原告側代理人の藤森弁護士が最終弁論を行いました。

 藤森弁護士は、加藤裁判長や裁判官に対し「ぜひ澤地久枝さんの著書『密約』を読んでほしい」と述べたあと、『密約』に記された澤地さんの文章を引用しながら最終弁論を進めました。(筆者注:澤地さんは、西山さんの刑事裁判を傍聴し、78年に『密約―外務省機密漏洩事件―』という本を著しました。)※以下、≪≫内は法廷で読み上げられた澤地さんの『密約』にある文章です。

 藤森弁護士は、「澤地さんは著書の中で、次のように述べています」と断りながら、澤地さんの文章を読み上げました。

 ≪西山氏も蓮見さん(筆者注:外務省女性事務官)も、問題の本質の重要度、当時者責任からいったら、一番末端に位置していた人たちである。1971年6月17日の沖縄返還協定調印までの外交交渉において、佐藤栄作内閣ならびに外務省中枢の主務者たちによって米国政府との間に密約は結ばれた。相手国あっての外交であれば、限られた期間守られるべき秘密があることは当然ともいえる。しかし、代理民主制を建前とするこの国で、国民にも知らせることのできないような国家機密は、きわめて限定されるべきであろう。譲歩につぐ譲歩。妥協につぐ妥協によって基地の島沖縄をそのまま買いとったのが返還交渉の実情であり、蓮見から西山への連携によってかろうじて公になった基地復元補償400万ドル肩代りは、いわば隠された密約の氷山の一角に過ぎない。真実の全容は闇から闇へ、である≫

 藤森弁護士は、密約の内容については69年の日米協定時点で佐藤栄作首相、福田赳夫大蔵大臣、愛知揆一外務大臣らによって決まっていたことが、返還が実現した72年5月15日から2カ月後に完成した『沖縄返還―省庁間調整のケース・スタディ』と題すると題する米国務省の秘密文書で明らかになっている、と述べ、さらに国家犯罪が男女問題へとすり替えられた経緯について述べた澤地さんの文章を読み上げました。

 ≪アメリカが議会に対する約束を楯として、沖縄返還にあたり1ドルの支出もできないことを強く主張して「国益」と議会に対する信義を守ったのであれば、日本側も、国会(ならびに主権者)に対して、妥協譲歩しつつ沖縄返還の実をとらざるを得ない歴史的状況・政治力学を明らかにする義務があったと私は思う。しかし、「密約なし」と国会で強弁をくりかえした佐藤首相は、日米間の電子文という動かぬ証拠をつきつけられて、あたかも政治責任をとるかのような意思表明をしながら責任を回避、検察当局は《密約》暴露に一役買った男女を告発し、いわゆる「下半身問題」を表面化させることで世論の矛先をそらせると同時に、問題の本質を比較にもならない卑小で低次元なものにすりかえてしまった。(略) 主権者の投票によって選ばれた政治家であり、与党であり、さらに政権担当者であることを考えれば、肩代り400万ドル、収支において800万ドルの損失を生じ、余分な税金をつかった責任は、タックス・ペイヤーである国民に対して明らかにするべきものであったはずである。だいたい、基地復元費用の1点に限ってでも、ともかく日本の主張が通ったという見せかけをつくるために、わざわざ肩代りの財源を提供する姑息な面子とはなんだったのだろうか。それが国家公務員法でいうところの「国家秘密」とよび得るものであったのかどうか。ごく平静に常識的に判断をすれば、結論は「否」でしかない≫

 藤森弁護士は、澤地さんが著作の中で述べていることは、『沖縄返還―省庁間調整のケース・スタディ』及び、00年、02年の米公文書で明らかであると述べ、原状回復費の400万ドルは氷山の一角に過ぎず、密約の金額は2億700万ドルであるとした上で、「国家の秘密」を取材した記者が法廷で裁かれることへの不条理を問い質した澤地さんの文章を読み上げました。

 ≪西山氏は「国家秘密の取材」にかかわって法廷で裁かれる最初の新聞記者であった。「国家秘密」を取材した新聞記者が罪に問われる法律があるなら、国会と主権者に対し欺瞞と背任をおこなった政治家を告発する法律があってもよさそうなものである。しかし、「国民の知る権利」という正統的で受身な主張はなされたが、主権者の側からの法律上の告発はなかった。(略)真実も正義も、大切なものほど泥にまみれ汚濁に包まれている可能性の方が大きい。その余計な夾雑物をかきわけて、事の本質を見究めようとする意識的な努力の積み重ねられない限り、これから私たちが生きてゆく時間の長さだけではあまり意味はないはずである。アメリカの場合は、特定の限定はあるにしても、すべての国家文書は、一定年限ののちに公開されるという原則をもっている。アメリカの「情報公開法」は、1966年に連邦議会で制定され、1974年に大幅に改正されたものであるというが、これは、アメリカのジャーナリストの粘り強い運動の結果であるという。(略) 憲法21条が保障した「表現の自由」は、本来無条件に認められるべきものであり、その前提にたって、国家機密、外交秘密をふくむすべての資料が、ある年限ののちに公開されるという立法措置がなされるべきではないだろうか。やがて「公開」される前提のもとでは、いかなる政治家も官僚も、おのずからその姿勢を正さざるを得ず、国会や法廷において偽証をおこない、あるいは亡失をよそおって事実を隠蔽するなどの行為をなすことに「恐れ」を感じるはずである。このチェック・アンド・バランスなくして、民主政治も報道の自由も知る権利も、しょせんはみせかけであり、から念仏に終わるのではないかと思う≫

 藤森弁護士は、吉野文六・元外務省アメリカ局長が偽証を認める発言をしたのも、澤地さんが指摘したこの「恐れ」を感じたからではないか、との見方を示しました。さらに、澤地さんが「あとがき」で述べている、≪どんな目つぶしをくらっても、私たちは目をくらませることなく、信じるところにしたがい、自ら信じるところを語りつづけていく。(略) この事件の本質を見すえるところから私たちはまた歩きはじめるべきなのであろう≫ との言葉を引用しながら、「その歩き始めが今回の国賠訴訟である」との考えを述べ、裁判官に対し、「真実を洞察し、歴史の審判に耐える審判を期待しています」と訴えて最終弁論を終えました。

 原告側の最終弁論が終わったあと、裁判長が被告に対し「被告はないか」と尋ねると、被告指定代理人は「ありません」と答えました。裁判長は「弁論終結。判決の言い渡しは、3月27日、13時30分」と告げ、「長い間ご苦労さまでした」と原告と被告双方にねぎらいの言葉をかけ、裁判は終結しました。

裁判のあとの説明会

 裁判のあと、藤森弁護士より傍聴人に対し、前回の裁判のあと入手した文書(刑事一審・控訴審公判調書の一部など)を提出したことや、最終弁論にあたって澤地さんの著書を引用したことなどについての説明がありました。

 また、西山さんからも、傍聴人の質問に答える形でそれぞれの質問に対し、丁寧で明快な説明がありました。西山さんは名誉毀損や検察側の捜査権行使の問題などについても意見を述べながら、吉野発言の重要性について言及し、特に03年に吉野さんが口頭で述べた『オーラ・ヒストリー』には重要なことが語られていると述べ、「見逃せる問題ではない」との指摘をしました。

 最後に、西山さんは傍聴人に対し「ありがとうございました」と深々と頭を下げました。その西山さんを見ながら思うのは、澤地さんが西山さんについて書いた『密約』の中にある次の文章である。

 ≪傍聴券の配布を待っているすぐそばを、旅行カバンをさげた西山氏が通り過ぎてゆく。挨拶をかわしたこともないし、その心中は想像もできないが、孤影悄然という形容がぴったりするような雰囲気があった≫ 

 当時と同じように、西山さんは今も裁判のたびに九州から上京してくる。澤地さんが評しているように、今も「孤影」という雰囲気はあるものの、今の西山さんに「悄然」とした雰囲気はない。不条理な裁判の被告となった裁判と違い、自らが原告となって国家の不正を告発している裁判とでは、その心情に異なるものがあるのは当然とはいえ、裁判の傍聴を通して抱く西山さんの印象は「裁判は自分にとって形を変えたジャーナルである」と西山さんが繰り返し語っているように、昔と変わらぬ情熱で国家の不正と闘っている1人のジャーナリストの姿である。

 国家権力の嘘を暴いた新聞記者が、なぜ罪に問われなければならないのか。この裁判を傍聴するキッカケとなったその疑問は、裁判を重ねるにしたがってますます強まっている。

筆者の感想

 第3回口頭弁論から傍聴してきたこの裁判も、今回で最終弁論となり、次回に判決が言い渡される。この間、沖縄返還交渉当時、日本側の事務方最高責任者だった吉野文六元外務省アメリカ局長が、北海道新聞の取材に対し、密約を認める発言をした(06年2月)。しかし、米国の公文書に続き吉野発言によって、密約の存在が明らかになった今も、日本政府は一貫して密約の存在を否定し続けている。藤森弁護士と同じように、一市民として裁判官のみなさんに望みたいのは「真実を洞察し、歴史の審判に耐える審判をしてほしい」ということである。

 判決言い渡しは、07年3月27日(火)13時30分、東京地裁。

(ひらのゆきこ)

     ◇

「西山太吉国賠訴訟 第8回口頭弁論」傍聴報告
東京地裁、結審をいそぐ――西山国賠訴訟
“吉野発言”追い風となるか――西山国賠訴訟
「西山太吉(元毎日新聞記者)国賠訴訟 第3回口頭弁論」傍聴報告

http://www.janjan.jp/living/0701/0701047580/1.php

 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK29掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。