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福島瑞穂、辻本清美といった女性議員は「女性は子供を産む機械」という言葉になぜヒステリックに反応するのか? 
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投稿者 TORA 日時 2007 年 2 月 01 日 15:48:16: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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福島瑞穂、辻本清美といった女性議員は「女性は子供を
産む機械」という言葉になぜヒステリックに反応するのか? 

2007年2月1日 木曜日


◆男は男らしく 女は女らしく 渡部昇一 (著)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4898315275.html

現代女性の機能快の喪失感

ところで、この機能快という概念を現代の女性にあてはめてみるとどうであろうか。

女性は、前にも述べたように、普通の状態なら十回くらい妊娠し、その最も女性的な器官をフルに働かせるのであるから、機能快を十分味わえることになる。ところが現状ではその機能が押えられている。ピル、あるいはその他の手段で押えているわけである。もちろん、性的交渉はいくらでも持てるのであるが、性的な喜びは、マスターズ・アンド・ジョンソンの研究にあるように、かなり浅い点にあるらしい。

ところが元来、女性に深い喜びを与えるものは、あるいはほんとうの意味の創造的喜びを与えるものは、子宮の中に新しい生命をつくること、そしてそれが生まれ出たらお乳をやること、そしてそれが大きくなるのを見ることだったろうと思われるのである。事実、そうするように自然は女性の体をつくってあるわけであって、これについては争う余地がない。ところが現代ではそれが十分にできないものだから、現代の女性は深いところで機能快に悩んでいるに違いないのだ。

それからもう一つ、現代の女性が機能快をさえぎられている面に、家事の単純化がある。私の母の代だと、梅干しを漬ける、潰け物を漬ける、それに納豆や豆腐や味噌まで作ったものである。もちろん違反ではあるけれども、お酒まで作っている人もあった。そういうことができるのが田舎のちゃんとした主婦だった。私の知っている西ドイツの田舎の主婦たちも、ハムからソーセージまで作っていた。ソーセージにも「おふくろの味」があったのである。もちろんパンは自分の家で焼くのである。

ところが現代の都会の女性たちは、子供もつくりたいだけつくれなくなったし、味噌も梅干しも、何も作れなくなってしまった。根本的なところで作る楽しみが大幅に減じられているのであるから、女性として機能快の喪失感は、意識するしないにかかわらず、まことに深いものであるはずである。昔の田舎の主婦は、町の人から見れば「まアあんな苦労して」という生活であったが、当の主婦たちはけっこう生きがいがあったのである。味噌汁がおいしいと言われたら、それは単に料理のみならず、味噌の作り方までうまかったとというのであるから、喜びも深かったと思われる。

現代の女性には、そういう根源的な喜びへ至る道がふさがれている。それで彼女らはどうしても、活動の分野を女性的な子宮関連の機能快から離れたところに発見しなければならない。もちろんその代償行為は筋肉的な仕事に行くはずがないので、その他の仕事ということになるであろう。現代の女性たちが職業を持つことに熱心なのは、機能快の面からも十分考えられることである。

十人の子供がいれば、幼稚園の先生になりたいとは思わないに違いない。しかし二人しかいなければ、幼稚園の先生に、あるいは小学校の先生になりたいであろう。また家事も、洗濯といえば洗濯機にほうり込むだけ、料理といえばほとんど全部でき上がっているような食材を買い求めてくる生活であれば、やはり自分が何かにおいて有用であるという、自分の存在理由を確かめるために会社に勤めてもしたいであろう。

そして「○○さん、この伝票書いといて」と言われて喜んでいたいであろうと思われる。ほんとうは育児や家事よりも手ごたえのある事務的仕事などがあるわけがないが、それによって給料をもらい、その給料によって自己の存在価値を確認するのである。

先のカトリックの女性観から言うと、精神的な面では男女は平等なのであるから、今後の女性の職業において、最も男性と同じになりうるのは知能にウエートをかけた仕事であると想像される。しかしこれは同時に、女性としての機能快を奪われたうえでの話である、という状況を考えざるを得ない。

したがって、そういう女性たちが男と同じ仕事につけば、男のごとく仕事に対して幸福感を持ちつづけられるかどうか、これは大きな問題である。というのは、少数の女性しか男並みの仕事についていない現状においては、そういう女性たちは選ばれたものという意識が強いので、その喜びのほうが大きく、他の不満感を相当程度忘れられるということが考えられるからである。

将来、ほとんど全部の女性が同じに働くようになれば、同じ職場においても男よりははるかに不満度が多くなるのではないか、ということが推定されうる。事実、イスラエルのキブツ(協同組合的な生活共同体)では、最初、女性を育児と夫への依存から解放するという形態を採用した。しかしいつの間にか男女の適性で仕事の種類も分かれ、特に、育児に専念することを希望する女性の圧力で、伝統的な家庭形態に戻っているキブツが着実にふえたとのことである。

妊娠という創造カの減少

女性にとって、機能快が現代の社会では満たしがたくなっているという事実、これを考えるときに二つばかりの面を考慮に人れるとわかりやすくなるのではないかと思う。

一つは、深い本性にもとづいたオルガスムスを経験しない女性、すなわち深いところで機能快を満足させられない女性はおちつかなくなるということである。同様な現象は男にも見られることであって、自分の能力に適しない仕事についた男性はなかなか職が定まらなくて転々としたりするのである。これは先天的に地道な職業に向かないとか、あるいは先天的に、後天的でもかまわないが、わがまますぎて一つの職業に腰が定まらないとか、理由はいろいろあるだろうが、昔のほうが自分の能力に適した職業につけないことがもっと多かったということが考えられると思う。

私の父は何度か職業をかえた。今から考えると父は才能も人並み以上にあった人で、それに適した職業もあっただろうと思うが、明治末期の東北の田舎の教育状況では、父は自分に適した仕事につくチャンスがそもそもなかったのだろうと解釈しているしだいである。肉体的な労働には向かない、しかし考えることは好きである、といったような人間は昔の東北の田舎では実際上いる場所がないのである。昔のような単調な農作業、あるいは単調な肉体労働に向かない人は、結局のところ職業をかえることになったのだと思う。

父は晩年になってやや自分の性格に適した職業についた時代があったが、そのときは家族の者から見ても、実に生き生きしていた。それは私が高校から大学在学当時にかけての年ごろであった。この体験から、私は職業を転々とかえた人、あるいはかえる人を簡単に責めてはならないという実感を持つに至っている。

今の世に父が生まれたのであったならば、初めから自分に適した職業を見つけることができたであろう。われわれの間にも適性を発見することがなく、なんとはなしに世間の評判だとか、あるいは母親だとか周囲の者だとかにすすめられて、心にもない職業についている人がたくさんいると思うが、その人たちはかなり深いところで機能快を阻害されているであろう。そして憂欝な職場の日々を送ったり、転職ばかりなどということをやっているのではないであろうか。

その人本来の機能、つまり自分の才能、適性などがうまく運転していないとおちつかなくなるということは、女性の場合は生理的な面からも考察する必要があるように思う。たとえば女性が妊娠可能期から妊娠できなくなる年ごろに至る間、数人ないし十人近くの子供を生むとすれば、それは女性としての肉体的機能をフルに回転させているということであって、ほかのことに気を散らす暇がほとんどない。それなりに充実した感じ、あるいは特に生きがいなどということを意識する必要のない人生を送ることができるであろう。

たまたま上坂冬子さんの『私ひとりのウーマン・リブ』という本を読んで知ったことだが、上坂さんのお母さんは十人の子供を産まれたそうである。あるときお母さんに生きがいについて聞いてみたら、「自分は夜中、子供に起こされないで寝られたらなアと思うことぐらいしかなかった」という趣旨のことを言われたそうである。

はたから見ると「そんな生活……」と思う人もいるかもしれないが、生きがいなどということを考える必要がないということは、実に充実した人生と考えられる。この妊娠が自由にできなくなったこと、これが近代の女性を根本的におちつかせなくしている最大の理由の一つであろう。

多少品の悪い例であるが、これは私がしかるべき権威から聞いた語である。たいへん説得力のある話であり、ほかにも引用したことであるが、ここでも引用するのが適当だと思う。それは、女性でオルガスムスを経験できない人は男性遍歴がやりやすいということである。

女性としてほんとうのオルガスムスを得ると、その後二、三日、長い場合は一週間、十日と余韻が残り、ほかの男性に注意を向けるとか、おちつかなくて男性遍歴をやるとかいうことはほとんどないものだそうである。しかし、そういうことを本からの知識その他で知っておりながら、自分にはそういうものがないとなると、なんとなくおちつかなくなって、いわゆる尻軽女となり、次から次と男を求めていく。

「こんどの男は与えてくれるんじゃないかしら」と思って、いちいち意識するかどうかは知らないが、男性遍歴をやるのだというのである。そういう見方からすると、男性遍歴の華麗なる女性というのはたいへんかわいそうな女性であるということになる。

また逆に、多くの男性を職業上とらなくてはならない売春婦には、オルガスムスの体験が欠けるということはしばしば専門家によって指摘されるところである。前にもふれたように、山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館』においても、登場する女性は一日ニケタぐらいの男性を客としてとったそうであるが、一生の間、一度も男をいいと思ったことがないと告白しているのである。

また一方、一夫一妻という制度は、女性側の機能が深いところでフルに回転していないと、もたないものなのかもしれない。また性的な満足感は別として、女性の体全体が何人かの子供に授乳し直接育てるようにできていることは確かであろう。たとえば女性の体はやわらかいうえに、おっぱいが出るという厳然たる事実がある。

これはたまたま私が経験したことであるが、いつかうちの男の子供に、いっしょに昼寝してやろうと言ったら、いやがるのである。そのとき、子供たちは「痛いからいやだ」と言った。私は特に筋肉を使う人問でもないのであるが、やはりゴツゴツしていて、母親に抱かれ慣れた子供にしてみれば痛くていやだったのだろうと思う。

それに反して、女性の体は子供にとってはきわめて快適な肉体、あるいは脂肪組織を持っていろようである、特に乳房は決定的である、

肉体的にオルガスムスがないこと、しかも一番根本的な創造力である妊娠回数が押さえられていること、それに授乳の機能を働かすことができないこと、などなどは近代女性を潜在的にいらいらさせている重大な要因であるに違いない。 (P93〜P102)


(私のコメント)
今日も国会は、柳沢厚生大臣の「女性は子供を産む機械」と言う失言をめぐって空転していますが、与野党の女性議員たちは厚生大臣の辞職を求めている。確かに失言には違いないが国会を空転させるほどの失言なのかとも思う。それよりも少子化対策が大切ならもっと国会審議に時間を費やして欲しいものだ。

異常なのは福島瑞穂議員や辻本清美議員などの国会の女性議員たちの反応ですが、女性の代表としての活動なのでしょう。しかしあまりにもヒステリックな反応は異常さを感じる。自分達が子供を産んでいないという後ろめたさがあるからなのでしょうか?

柳沢厚生大臣は少子化対策の担当大臣として、地方の講演であのような失言をしたのですが、その場で訂正をしているし謝罪もしている。にもかかわらず野党は今日の国会審議の拒否までしている。

女性議員たちは子供を産んでいない後ろめたさから「子供を産まなければ女性として欠陥人間」なのかと自民党の高市早苗議員は言っていましたが、女性でなければ子供は作れないのだから、高市議員のような女性ばかりになったら日本から子供がいなくなってしまう。これでは少子化問題も前に進まない。

少子化問題では様々な原因が考えられますが、女性の社会進出が進めば、結婚もしない、結婚しても子供は作らない女性が増えるのは当然だ。仕事と育児とが両立できないのははっきりしている。子供が少人数で大きくなればパート程度の仕事は出来るがフルタイムの仕事は難しい。

渡部昇一氏の「男は男らしく、女は女らしく」という本は反ジェンダーフリー運動の為に書かれた本ですが、女性解放運動なども本当に女性のためにプラスになっているのだろうか? このような問題では女性はなかなか本音は語れないから建前的な発言だけが一人歩きをしているような気がする。

多くの女性は大学などの高等教育を受ければ、それを生かすために就職して働くようになる。しかし仕事が一人前になる頃は30歳過ぎてしまい、結婚しても高齢出産で体力的に難しくなってしまう。東京などで働いている女性は皆このようなジレンマに立たされているのですが、30代40代になって男社会で対等に働いていくことは体力的にかなり厳しい事だ。

女性でしか子供を作れない以上、女性が子供を産まなくなれば国は滅んでしまう。経団連などは海外から外国人労働者を輸入すればいいとまで言う人もいる。こうなると本末転倒であり、やはり女性には二人程度の子供を産んでもらわないと日本は先細りになってしまう。その後ろめたさがあるから子供のいない女性議員たちはヒステリックに騒ぐのだ。

渡部昇一氏の意見は一昔前のアナクロ的な意見に聞こえるのですが、結婚しようがしまいが、子供を産もうが産むまいが本人の勝手であり、誰もそのことは責める人はいないだろう。東京などではキャリアウーマンとして一生独身の女性も沢山いる。だからいちいち柳沢大臣のような失言にヒステリックな反応を示すのは後ろめたさがあるからだろうが、しかし気にすべきではない。

私は少子化問題では楽観的であり、日本では明治維新の時は人口は3000万人でしたが昭和初期には6000万人になり、終戦後は1億2000万人と倍増してきた。人口を倍に増やすには30年もあれば十分であり、今まで二人産んでいた家庭が4人産めば簡単に人口は倍増する。

少子化問題で考えなければならない事は女性の生き方の問題であり、仕事をしたい人はすればいいし、結婚して子供を育てたい人はそうすればいい。二つの生き方の選択は自由であり、国としては子供が産めるような環境を整える事ですが、産婦人科医も少なくなっているが、何の対策も立てられていない。辻本議員や福島議員がつまらない事で騒いでないで国会審議で少子化問題を話し合って欲しいものだ。


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