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政治的活動は人生の脇役でしかない【天木直人ブログ】3/4
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投稿者 天木ファン 日時 2007 年 3 月 04 日 22:28:31: 2nLReFHhGZ7P6
 

2007年03月04日

閑話休題  政治的活動は人生の脇役でしかない
      

  これから書くことは文字通り閑話休題である。政治問題、社会問題とは何の関係もない。そのつもりで読み流して欲しい。
  私は、誰に命令される事もなく、好んで毎日せっせとブログを書いている。メディアの裏側に潜む権力者の「いかさま」を喝破し、政治家、官僚、その他あらゆる権威の言動に嘘はないか、メディアは正しく真実を伝えているかについて、私なりの思いを伝えたいと思って書いている。できれば世界中の読者に読んでもらいたいと思って英語で要訳までつけている。好きでやっている事とはいえご苦労なことだと自分でも思う。
  しかし毎日書きながら、自分の残された人生はこんな事をするためにあるのだろうかと疑問を持ち続けて書いている。毎日書いていて決して楽しくないのだ。
  ちなみにアクセスは少しずつ増えつつあり一日6000程度になった。いずれ一万は超すだろう。「この程度のアクセスで世の中を啓蒙できるのか」などという不遜な事を少し前にブログに書いた。その事を反省している。私は勝手に書いているだけだ。その私の一方的な独り言を読んでくれる人たちが一人でもいる事に感謝しなくてはいけないのだろう。その読者のためにこれからもしばらく書き続ける。
  二ヶ月間で私にメールをくれたのはわずか155人である。それもそのはずである。私はこのブログで読者と論争する気はまったくない。読者からのメールは私しか読む事は出来ない。一対一の対話である。読者間の広がりは起こらない。もっとも私は寄せられたメールには殆どに返事を書いてきた。幸いであるというべきか、当然というべきか、寄せられてくるメールはすべて激励のメールである。私の考えに反対の意見を持つ読者は私に噛み付いてもどうしようもないと思っているのだろう。批判的なものは来ない。私と考えの違う読者はやがて離れていくに違いない。それでいい。世に出回っているブログの中にはアクセス数を競うあまりクリックしてくれと頼み込んでいるものがある。何を考えているのかと思う。またブログの中には、ふざけたり、茶化したような表現を使うものがある。私は、時として言葉が激しすぎるということはあるかもしれないが、最善の言葉を選んで私の考えの全てを表現しようと努めている。書いた物を何度も読み直し、表現を推敲して掲載している(それでも誤字、脱字が避けられないところが情けないのであるが)。毎日真剣に書いているのである。
   話が脱線した。本題に入ろう。155通のメールのなかで、「天木さんとビジネスをはじめたい」というメールが最近届いた。私はそのメールをうれしく思った。勿論私はその読者とビジネスを本気ではじめたいと思っているわけではない。その読者も具体的に何かをオファーしているわけではない。私に寄せられるメールのすべてが政治的なメッセージであるのに対し、そして私はそのようなメールを歓迎するのであるが、この人のメッセージは、「天木さん、政治批判もいいけれど、世の中もっと面白いことがあるよ。金儲けをしようよ。天木さんと一緒ならビジネスで成功すると思うから」というものであった。もちろん言葉遣いはこの通りではない。もっと上品である。しかし私にはそう聞こえたのだ。そしてそれが嬉しかったのだ。私は毎日政治的なブログを書き続けているが、政治的なことなど本当は生きていくうえでどうでもいい事だと思い始めている。だからこのメールが嬉しかったのだ。
   実は私は外務省を首になってから、生計を立てる必要性に迫られ、一人で起業して金儲けの可能性を探ってきた。そして今のところすべてに失敗し、あるいは騙されて、つくづく自分の人生は官僚しかなかったのだ思い知らされている。その意味でこのメールを寄越した読者の「天木さんとならビジネスで成功すると思う」という見立ては、完全に外れているのである。しかし、失敗の連続であるとはいえ、私は官僚時代には味わった事のない生きがいのある人生を送っている。生きている実感をかみ締めながら生きる事が出来るようになったのだ。「政治的発言よりももっとほかにする事があるはずだ、それを一緒にしよう」というメッセージが私の心に響いたのは、まさにその通りであると思うからだ。
   我々は限られた人生を何のために生きているのか。その答えは勿論人さまざまである。しかし私を含めて大半の人は食べるために日々一生懸命働いている。少しでも成功し、出世をし、お金を稼ごうとして生きている。そこに喜怒哀楽のすべてがあり、人生があるのだ。世襲議員のように政治活動しかしなくても食べていけるような人間には本当の人生はわからない。
   個々の人間の営みに比べれば、政治は必要悪のようなものだと思う。人々の生活がうまく行くように、あるいは不正がないように、更には敗者や弱者が救済されるように、そういった社会的仕組みをつくることが政治である。そして何よりも、人々が一度しかない人生を送る為の最低条件である「平和な社会」を確保することこそ政治のつとめであるのだ。
つまり世の中の主役は一人一人の人間の人生である。政治は脇役なのだ。ところが最近のメディアを 見ていると政治や政治家があたかも主役のように扱われている。それはおかしい。世の中がうまく行っていれば、そもそも政治など要らないのである。ましてや政治家が法外な手当てを貰って特権を享受することなどは間違いなのである。
   残念ながら現実の世の中はうまく行っていない。そこで政治の役割もまた必要になってくる。しかし我々は原点に立ち戻ったほうが良い。政治の事ばかりを考え、政治的活動に係わることが偉い事、重要な事ではない。政治に関心のない事が悪いことではない。政治家や政治評論で飯を食っている連中は、そこのところを自覚するべきだ。自分たちのやっていることは、まじめな個々人の人生に比べれば立派でも尊いことでも何でもないのである 
   例えば政権交代である。それが出来れば民主党は嬉しいであろう。しかし我々国民にとっては政権交代が目的ではない。政権交代が起こると少しはまともな政策が期待できるのではないかと期待するだけだ。我々の関心は唯一つ、良い暮らし、平和な暮らしができるかどうかなのである。どんな政権であろうと、どんな首相であろうと、そういう社会を確保してくれさえすれば それでいいのである。
  護憲運動にしてもそうだ。憲法9条を守ろうと声高に叫ぶ事は、特に安倍政権の下では憲法9条が放棄されるかもしれない危険性があるので、重要ではあると思う。しかし問題は、憲法9条を守る事が出来たとして、その後に日常生活にもどって平凡な生活をすることこそ重要なのである。政治的な活動を生きがいとしている一部の人たちは、環境、人権、差別など次々と政治的テーマを見つけて、終わることのない政治活動を続けようとするかもしれない。しかしそれは本当の人生ではない。人生で一番重要なことは、平凡な日常生活を、楽しく、仲良く、面白く、人に迷惑をかけずに生きていくことである。退屈な人生を行き続けることである。苦しい人生を生き抜くことである。
  世界には、それさえ出来ない人々がいる。そしてそれは政治が悪いのだ。日本はそういう国に比べれば恵まれている。しかし最近は日本もそういう状況に近づきつつあるのではないか。政治は必要悪でしかないが、それが悪政になりつつあるのではないか。そうさせてはならない。私がブログを書く意義があるとすれば、悪政を監視することなのだ。そう思って面白くもないブログを私は書き続けていく。自分がなすべき人生、ほかにある筈だと思いながら。


http://www.amakiblog.com/archives/2007/03/04/#000284

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