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戦争は遠いアフガンやイラクではなく、他ならぬこの日本国内で起きている
http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/505.html
投稿者 へなちょこ 日時 2007 年 4 月 16 日 05:08:44: Ll6.QZOjNOr.w
 

(回答先: 自由主義者・ファシスト──外山恒一のファシズム論「ポリティカル・アフェアーズ」 投稿者 へなちょこ 日時 2007 年 4 月 14 日 22:13:47)

http://www.warewaredan.com/contents/senso.html
戦争は遠いアフガンやイラクではなく、
他ならぬこの日本国内で起きている


 戦争が、始まっている。
 この戦争を、ブッシュやラムズフェルドといった人たちは、「まったく新しい戦争」と呼んでいる。
 「まったく新しい戦争」は、どこがどのように「まったく新しい」のか?
 9・11直後、アメリカのアフガン攻撃の最中に書かれた『文明の内なる衝突』で、大澤真幸は次のように分析している。

(アメリカのテロリストへの、あるいはタリバンへの反撃は、そもそも戦争と呼べるのか否か、ということが盛んに議論されたが)戦争なのか、それとも戦争ではないのか、という見解が大きく分裂するのは、どうしてなのか? その理由ははっきりしている。この戦いにおいては、軍隊が警察として振る舞っているからである。普通、戦争とは、主権国家と主権国家の間の戦闘――外戦――である。だが、9・11テロが引き起こした「戦争」においては、当面の敵として措定されている主権国家らしきもの――タリバン政権――は偽装的なものであって、真の標的は犯罪者集団(テロリストたち)であった。だが、もし主たる葛藤が、権力とそれに抵抗する「犯罪者集団」の間に生じているのだとすれば、それは内戦でなくてはならない。つまり、この「戦争」は、外戦とも内戦とも判別しがたいのだ。あるいは、それは、国外で展開された内戦だと断ずべきかもしれない。(大澤『文明の内なる衝突』)

 大澤は、「戦争のこうした様相は、敵が外部に属するとも内部に属するとも判別しえないことの直接の帰結である」とする。今回の「敵」は、主権国家ではなく、テロリストの国際ネットワークなのであるから、その構成員はアメリカ市民を装って、アメリカ社会の内部にも深く浸透し、例えば「炭疽菌騒動」などを引き起こす。

 (今回の「戦争」でアメリカが「敵」とみなしている相手が帯びている)敵対性は、領域国家を前提にした敵対性、あるいは冷戦下の敵対性とはまったく違っている。領域国家の敵は、遠くに、国境を隔てたところに、画然と区別されていたからである。アフガニスタンにいる敵、ほとんど忘れていた辺境にいる敵は、一方では、冷戦下の敵よりも遠く隔たっている。それは、アメリカから見ると、心理的には最も遠い場所だと言ってよい。が、他方には、そのあらん限り遠くにいるはずの敵が「われわれ」の共同体――アメリカの国内――に深く浸透しているという感覚、ごく身近にこそ敵がいるという感覚がある。(同書)

 「敵が外部にいると同時に内部にいる」という感覚が、「全面的な内戦化」をもたらす。つまり、「警察の権限の未曾有の強化と前面化」である。

 国外の軍事活動ですら、警察的なものである、と今述べた。まして、「国内のビンラディン」(テロリストやその支援者)を摘発し、拘束するための警察の権限は、――「ビンラディン」が一掃されるまで――いくらでも強化されていくだろう。(同書)

 「9・11テロがもたらした最も顕著な変化は、セキュリティ(安全保障)に対する配慮の未曾有の高まりである」と大澤は言う。単にタリバンやアルカイダなど国外の敵と実際に戦闘をおこなうのみならず、「ネット上の通信を含む、生活のあらゆる局面に対する監視が徹底的に強化されたこと、言論の自由すらも、事実上、部分的に停止されたこと、他国の主権下にある領土にまで、米軍が警察のように送り込まれつつあること……」。

 ここに至って、われわれはとてつもない政治的転倒が始まりつつあることに気づかざるをえない。もともと、セキュリティの確保の必要が謳われたのは、(テロリストたちの攻撃からアメリカの)自由と民主主義を守るためであった。だが、セキュリティの水準を徹底的に上昇させた場合には、自由や民主主義そのものが、セキュリティによって侵食されてしまうのである。つまり、自由と民主主義のためにセキュリティを確保しようとしたとき、われわれは、肝心の自由と民主主義を失うのだ。(同書)

 大澤の分析を長々と引用してきたが、そこでは現在進行中の「まったく新しい戦争」の本質が、ぴたりと言い当てられているからである。
 大澤のようには考えていないだろうが、今回の戦争がこれまでの戦争とは違う「まったく新しい」ものであることは、それを指揮しているブッシュやラムズフェルド自身がよく自覚している(冒頭で述べたように、そもそも「まったく新しい戦争」という言葉自体、彼らの口から出たものだ)。
 ところが、この戦争に反対する人々が展開する「反戦運動」は、冷戦下のそれと変わらない、旧態依然たる感覚と論理に支配されている。彼らは、かつてベトナム戦争に反対したのと同じ言葉とノリで、今回の戦争に反対している。
 現在真に必要とされているのは、「まったく新しい戦争」に対応する、「まったく新しい反戦運動」ではないのか?

 そもそも、今回の戦争は、いつ始まったのか?
 たしかに9・11は、決定的な転換点であった。「まったく新しい戦争」は、あの日に開戦したと言ってもよい。
 しかし、先の大澤の分析を踏まえて考えれば、少なくとも日本では、9・11のはるか以前に、とっくにそれは始まっていたことに気づかされる。
 もちろん95年3月20日の、地下鉄サリン事件のことを言っているのである。
 あの日を境に、日本社会は決定的に変わってしまった。
 「地下鉄サリン事件がもたらした最も顕著な変化は、セキュリティに対する配慮の未曾有の高まりである」と我々は言ってもよい。多くの日本人が、決定的なことはもはや何も起こらず、平和ではあるが退屈な「終わりなき日常」が、これから延々と続いていくのだと半ば諦観を含んで思い定めつつあった時期に、突然それは起きた。一見平和そのものに見えた我々の社会の内部に、「わけのわからない危険な連中」が、いつのまにか大量発生もしくは浸透していることに、突然我々は気づかされた。オウムだけではない。北朝鮮の工作員、外国人犯罪者、ストーカー、「20代無職男」、キレる子供たち、キレない子供たち(引きこもり)、我が子を虐待する親もいれば、少女を7年も自宅に監禁する青年もいる。よくよく考えればどいつもこいつも怪しい。しまいには、ゴミをきちんと分別しない奴や、繁華街で歩きながらタバコを吸って平然としている奴まで、不気味な犯罪者予備軍に思われてくる。何とかしなくてはいけない。
 我々は団結して、「良識ある市民」の共同体を防衛しなくてはならない。しかし「敵」は、一見フツーの市民のような姿をして、我々の共同体の内側に、何食わぬ顔でまぎれ込んでいる。異常な犯罪が露見するたびに、周囲の人々は、「とてもそんな大それたことをやるような人には見えなかった」と口をそろえるではないか。我々は警戒心を研ぎすませて、どんな些細な兆候をも見逃すことのないようにしなければならない。兆候は必ずあるはずだ。怪しい奴、不気味な奴、ヘンな奴、アブない奴、要するに我々の「良識」に照らしてよく分からない奴、分かりにくい奴に対して、監視の目を怠ってはならない。奴らはきっと「何か」やる。その前に、つまりその「何か」をやらかしてしまう手前の段階で、奴らをすみやかに摘発し、除去しなくてはならない。そのためには、法を整備しなくてはならない。これまでなら大目に見られていたような軽犯罪レベルの違法行為――つまり「兆候」の段階――を、今後は容赦してはならない。のみならず、これまでは軽犯罪ですらなかったさまざまの不愉快な“迷惑行為”についても、摘発の対象とし得るように、新たな法律を制定しなければならない。
 こうして、「警察の権限の未曾有の強化と前面化」が始まる。

 日本の反戦派が見落としているのは、戦争は遠くアフガンやイラクではなく、他ならぬこの日本国内でおこなわれているのだということだ。
 否、それどころか、日本軍(「自衛隊」などという欺瞞的な呼び方は、そろそろやめようではないか)の海外派遣に反対している当の彼ら自身が、ストーカー規制法やDV防止法を推進するフェミニストであったり、ゴミの分別を面倒くさがる怠け者に対して怒りに震えるエコロジストであったり、歩きタバコ禁止条例を推進する嫌煙権論者であったり、つまり実はこの「まったく新しい戦争」を積極的に推進する“タカ派”である場合がほとんどなのである。そもそも「犯罪被害者の人権」を声高に叫び加害者への厳罰を要求しはじめたのも、元をたどれば性犯罪に怒るやはりフェミニストたちであったことを思い起こすべきである。

 一体、何が起きているのか?
 アフガンやイラクでの戦争に対する参戦派と反戦派とが、実は共同して国内の「まったく新しい戦争」を推進する一大勢力を成しているという事実。両者の論争が、結果的には国内の真の戦争から目をそらさせる役割を果たしているという構図。
 我々はこの現実をしっかりと直視しなければならない。
 なぜなら、我々こそはまさに、彼らが真に敵とする「怪しい奴、不気味な奴、ヘンな奴、アブない奴、要するに彼らの“良識”に照らしてよく分からない奴、分かりにくい奴」そのものであるからだ。彼らは、他ならぬ我々に対して、戦争を仕掛けてきている。
 この状況で、我々に与えられている選択肢は、二つしかない。降伏か、応戦かである。
 降伏とはもちろん、「良識ある市民」として彼らの仲間入りをして、我々に対する戦争に協力することであるから、その時点でその者は「我々」の一員ではなくなる。
 この戦争には中立の立場はあり得ない。なぜなら、彼らがそれを認めないからである。「良識ある市民」であれば当然、わけのわからない不気味な危険分子を徹底的に摘発し排除する必要を痛感しているはずで、その程度の危機感も共有せず危険分子狩りを躊躇するような輩こそはまさに彼らにとって「わけのわからない不気味な敵」そのものなのだ。
 結局、我々は応戦するしかない。
 反戦を叫ぶのは無駄である。我々が応戦しようがすまいが、彼らは容赦せず攻撃の手を決して緩めないからだ。我々は戦うか、さもなくば摘発され除去される(分かりやすく言えば犯罪者として収監される。念のために付け加えればその時に我々は決して「政治犯」としては扱われず、単に破廉恥な「一般刑事犯」とされる)しかない。
 くりかえすが、我々は応戦するしかないのである。
 そしてそれこそが、この「まったく新しい戦争」に対応する「まったく新しい反戦運動」の唯一の形である。

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