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「九条の会」呼びかけ人のひとり、小田実さんがガンで闘病中(旧ベ平連HPに掲載された手紙を転載)
http://www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/288.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 5 月 03 日 23:56:34: KbIx4LOvH6Ccw
 

以下は http://www.jca.apc.org/beheiren/469OdaMakotosannnoTegami.htm からの転載(旧「ベ平連」運動関連のニュース―http://www.jca.apc.org/beheiren/news.html)。

469. 小田実さんが知人に送った手紙の全文紹介。 (2007/05/03掲載)

本「ニュース」欄の No.468 で、小田さんのガンのことについてお知らせしましたが、その詳しい情報を知りたいというお問い合わせが多くきています。また、「ベ平連に関する最近文献」欄の No.130 で紹介した瀬戸内寂聴さんの文も、この手紙のことについて触れています。
 小田さんは、この手紙は公表しても差し支えないと書いておられますので、長文の手紙ですが、以下に、その全文をご紹介します。なお、この手紙の最後のところで「五月に手術して」とありますが、「ニュース」欄 No.468 でお知らせしたように、手術はしないで、入院・抗がん剤治療をすることになりました。

―― (ここから手紙が始まる) ――

 同封してお送りするのは、この三月、私が jury(審判員)のひとりとして参加した「恒久民族民衆法廷」(Permanent Peoples’ Tribunal ――「PPT」)のフィリピンの怖るべき事態にかかわっての「判決文」のコピーです。現在のフィリピンの事態について、日本では、また世界では、あまりにも知られていないので、お送りします。

 「PPT」は、日本ではまったくと言っていいほど知られていませんが、ヨーロッパ、「第三世界」ではよく知られた民衆の国際的組織ですが、私は、イタリアの思想家、レリオ・バッソによって設立され、現在ローマに本拠をおいて活動しつづけているこの組織に、1979年の設立当初から参加して来ています。

 これは、一口に言ってしまえば、ベトナム戦争時の「バートランド・ラッセル裁判」の衣鉢を継ぐものと言えるでしょうが、国家の犯罪を「民」(民族・民衆)の側から裁く――そこで理非曲直をあきらかにしようとする企てです。

私はこの企てに加わることを78年に来日されたバッソ氏に求められ、彼のその主張を聞いた後、主張に賛同し、私は法律の専門家でないが、Common People としての common sense, Human Beings のひとりとしての Human Wisdom は持っているつもりだ、その二つに基づいて参加すると答えました。

 以後、1979年にボローニャでの発足の式典に参加、さらには80年のアントロープで開かれたマルコス政権下でのフィリピンの事態にかかわっての第一回の法廷に jury として参加しました。実は、この三月の法廷は、その80年の第一回につづいての第二回のもので、第一回に参加した以上、第二回に参加するのが私のはたすべきことだと考えて、後述するような体調不良にかかわらず、第二回の法廷に出た私は、現在の事態について、ほとんど何ひとつ知っていないことが、参加し、審議を重ねているなかで判りました。しかし、これは私だけのことではない、世界の多くの人にとって同じだと考えて、この判決文を同封してお送りする次第です。

 今、フィリピンで起こっている事態は、まとめ上げて言えば、ブッシュ政権がひきいるアメリカが民主主義と自由を標榜しながら、「9・11」をタテにとって、アメリカに完全に支えられ、結託したアロヨ政権の下で、「 impunity 」(合法をよそおって、非合法の殺し、弾圧、拷問をする)の犯罪を大々的に反対勢力(のなかには、「左」はおろか、一般民衆、カソリック、プロテスタントの神職者たちも入る)の一掃をはかっていることです。私たちの「判決文」がブッシュ・アメリカ大統領とアロヨ・フィリピン大統領に対するものになっているのはそのためですが、「法廷」は五日間にわたって、いろんな立場のフィリピンの証言を聞きました。(仔細は「判決文」につけた文書のなかにあります)。

 この「 impunity 」をアメリカは、フィリピンの他にも、コロンビアで大々的に行なっているようです。フィリピン同様、コロンビアも、アメリカが大きな支配力をもって来た、アメリカの世界支配の軍事力の展開にとって重要な国としてあるので、民主主義と自由をうたい上げながら、同時に、「 impunity 」を強力に行なう必要のある国です。

 昨年秋、私たちの「PPT」とはちがった主体によるものでしたが、その名も「 Tribunal Contra La Impunida 」(「 Impunity に反対する法廷」―スペイン語)と題した民衆法廷が開かれていて、そこから二人がこのハーグでの「PPT」に来て、参加されていました。(そのひとり、ベルギーのウータール教授は、ボゴタの「民衆法廷」の議長をして来た人物ですが、このハーグでの「PPT」の議長もしました。彼は今年八十二歳になる、ベルギーで「第三世界研究所」を開いた高名な学者です)。

 これ以上、くだくだと「法廷」について、述べることはやめます。五日間の「PPT」に出席して、「民主主義と自由」に加えて、「平和主義」の「9条」をもつ日本の思想的、また、現実政治的重要性をあらためて考えたと、ひと言申しそえて、あとは、ぜひとも、「判決文」をお読み下さい――と申し上げることにとどめます。

私自身をふくめて、私たちは、世界のこうした事態について、あまりにも知らなさすぎるように思われます。私は「PPT」の「法廷」の席で、自分の無知を恥じると言いました。帰国後、せめてホンコンの市民たちがしたように、事実調査の一団を組織して、現地におもむきたいと考えて、フィリピンの人たちに言ったものでしたが、以下に述べる私の健康状態では、それはかなわぬことになってしまっています。

 どなたか、そうしたことをしていただける人がいられたら、ありがたいと存じます。

---------------------●---------------------●------------------●----------------------

 これまで、この手紙をお読み下さったことを感謝します。これからここで書くことは、私個人のみにかかわることなので、書くべきことでないと、いったん考えたのですが、上記の私の「頼み」にもかかわることなので、あえて書かせていただくことにしました。

 私は、この手紙の先のところで、体調を崩していたのにかかわらず、ハーグへ出かけたと書いていましたが、体調不良はそのあと、トルコへ出かけたときも、かわらずつづいていました。このトルコ行は、さらにいっそう「私事」にかかわることで書くべきことでないかも知れませんが、現在のアメリカの民主主義と自由をふりかざしての覇権行使にもかかわることなので、少し書いておきたいので、書いておきます。

 トルコ行のひとつの目的は、古代ギリシア(ことにアテナイ)の民主主義と自由、その繁栄をウラから大いに支えたのが、黒海沿岸のギリシア植民地都市であったことを現地へ出かけて少しでも確認したかったことと、私は、マーティン・バナールが『黒いアテナ』で主張する「古代文明のアジア・アフリカ起源」に根本的に賛成するもので、藤原書店に強引にたのみ込むかたちで出版してもらったのですが(訳者にも、私の「弟子」格の金井和子君に強引にたのみ込んでなってもらいました)、もう少しヨーロッパやアジアをひろがりのある視点で考えておきたかった――それが、トルコ行の第二の目的でした。そう考えれば、トルコはユーラシア大陸のマサにカナメになる位置の国です。

今回出かけたのは、トロイに始まるエーゲ海のギリシアとともに、黒海の沿岸地域で、シルクロードの西端のトラブゾンまで足を伸ばしました。マーティン・バナールは最近だした『黒いアテナ』の最終巻 vol.V で、言語の起源は一本のカシの木のようなものでなく、マングローブの根のようにゴチャゴチャとつらなり合ったものだと主張していますが、私は、言語にかかわらず、人間の文化、文明、思想、論理、倫理もそうしたものでないかと、長年の世界とのつきあいから考えて来ています(この点で、ヘロドトスの『歴史』はギリシア中心の史観がなくて、きわめて示唆にとんだものだと、最近、あらためて考えています。)

以上のようなことを考え、たしかめながら、体調不良を何とかしのぎながら、強引にトルコも旅して歩いて帰国したのですが、帰国後、病院で受けた検査で、体調不良は末期――またはそれに近いガンによるものであることが判明しました。

英語の言い方で、「 His days are numbered 」(余命は限られている)というのがありますが、私の状態はまさにそれで、あと、3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月、あわよくば1年――というぐあいに考えています(検査を受けた病院は、大阪の大阪駅近くの福島の病院でしたが、福島は私が生れた場所です。今年6月2日に私は75歳になりますが――生きていればの話ですが――75年、人生を一巡してもとのところに戻ってきた感があります)。

短いあいだですが、デモ行進に出ることも、集会でしゃべることももうありませんが、書くことはできますので、できるかぎり、書き続けて行きたいと考えています。五月に手術して、あと、化学療法などやりますが、できるかぎり自宅にいようと考えています(この手紙も、病院からいったん出て、自宅でかいています)。

「私事」にわたる報告は以上です。ではおたがい、奇妙な言い方かも知れませんが、生きているかぎり、お元気で。

    2007年 4月 21日

                          小 田  実

―― (以上) ――

(添付書類)Permanent Peoples’ Tribunal    Second Session on the Philippines
The Hague, the Netherlands   March 23-258,2007
(A4版でタイプ 19ページのもの。ここでは掲載省略)

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