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経済産業省の大改造が緊急の課題だ
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投稿者 不動明王 日時 2007 年 5 月 17 日 01:42:14: Wge0l2yvbkAIg
 

経済産業省の大改造が緊急の課題だ

http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98/hoseido.html#30

(1)はじめに(今や経済産業省の解体乃至大改造が必至)
 
  現在、日本経済は1990年のバブル経済の崩壊から既に17年を経過し、低迷する経済から一向に抜け出せずに、呻吟する日本経済の立て直しにも何ら効果的な対策を出せずにいる。その最大の責任は政権当局は勿論、政府当局の経済官庁の総本山の経済産業省にあると言えよう。今や、経済産業省の役割をここに来て、根底から見直して解体し、新たな体制を構築していく時期に来たようだ。

  最早、経済産業省の改造無くして日本経済の再活性化が有り得ないようだ。この辺の認識が殆どの経済専門家にも無いようだ。戦後のキャッチアップ型経済の追求においてはそれなりに効果的だったことは否定しない。しかし、今や大きくデフレ経済、グローバル経済、創造立国への移行、国内産業の空洞化などで、新たな視点で産業政策を捉えていく時期に来たようだ。こうした危機に対する認識が経済産業省の官僚連中には全く欠如しているようだ。

  経済産業省(旧通産省)の解体乃至改造に関する提言や議論は既に1980年代中頃から一部で現れているようだが、国家的指導者の間からは、表面だっては誰もその重要性を根底から認識して口にしてきたことは無いようだ。なお、経済産業省の産業政策的な明らかな破綻は、既に、地域振興公団によるテクノポリス構想の工業再配置計画の失敗により、1980年代後半頃から見られるもので、現在の経済の不振は既に経済産業省の時代に即した改革を怠ってきたことにも起因すると言えよう。経済の活性化に際して、時代環境を大きく見誤ってきて、現在でもなおもその重大性に全く気が付いていずに、責任を回避していると言うことだ。

  戦後の高度経済成長を担ってきて、旧大蔵省や外務省と並んで、三大官庁の一角を占めてきた旧通産省、現経済産業省であるが、旧大蔵省や外務省が世間の非難を浴びて大きく崩壊し破綻してきているのに対し、経済産業省は2001年スタートの行政改革にも影響を被ることなく、逆にぬくぬくと肥大化して、世間の目を誤魔化してきたと言えよう。一部の経済学者からは、国家の産業政策は全く功を奏していないと言う指摘はあるようだが、経済産業省の解体乃至改造までは構想できていないようだ。

  周知のように、日本の土下座外交や謝罪外交、卑屈な屈辱外交を展開してきて、国民の税金に集って、私利私欲に走って外交機密費の私物化を図ってきた外務省は世間から既に糾弾されて、目下、改革の暗中模索の中に追い込まれているものだ。そして旧大蔵省も、財政と金融の分離の是非は兎も角、その驕り高ぶった体質を木っ端微塵に解体し意識の変革を迫る意味でも、金融監督庁に分離し、更には政府内に財政金融諮問委員会を立ち上げて、予算編成も政治主導や内閣主導で望む体制を構築しつつあると言えよう。

  旧大蔵省の責任は余りの多額な不良債権を築き、国家財政の破綻を招来させたことでも明らかであろうし、目下の銀行の不良債権処理を巡っても、当時の銀行行政に対して、その天下り体質の弊害も関係して問題の先送りをしてきて、今や経済恐慌の引き金すら引きかねない緊迫化した状況を作ってきた責任者の一端を、癒着した政治家や業界と共に担っているものだ。

  そして当該経済産業省であるが、これは外務省や旧大蔵省の背後に隠れて戦後の日本を構築してきた栄光の中に埋没して、ぬくぬくと無責任を決め込んで旧態依然とした体制と発想の中に安住している有様だ。経済産業省も外務省や大蔵省に劣らず、否それ以上に、同様な体質を有し、今や経済産業面に限定しても、その無責任体質、権威・権力志向、国際情勢音痴、知ったか振りのエリート気質、天下り確保の行政姿勢、産業政策の無策行政を今なお堅持している。

  即ち、経済産業省は現在の停滞し空洞化する産業の衰退現象に対して、何ら効果的な対策を講じることも出来ずに、高い失業率の下に、有効な産業政策を打ち出せずに、おろおろしているのが実態だ。国際競争を恐ろしく喪失してきている大企業にこれまで天下りで集って吸血してきた付けが、今ここに天下り困難な状況の到来で、自分達の第二の人生の在り方にも響いてきているというのが現状であろう。現在の経済産業省の業務も事実、膨大な過剰設備の処理を巡る敗戦処理の対策、行政施策の埋没に成り下がってしまった。

  今や、高度経済成長の時には目立たなかった天下り確保の政府機関だけが、他省庁と同様に、今や突出して肥大化し残存している荒涼とした光景を醸し出している有様だ。この中でも経済産業省関係の特殊法人は突出しているのが実態だ。そして国内産業の空洞化を食い止めるような新規産業の育成や創出には何も創造性もなく思い至らないようだ。ただ、特許の分野には、将来性があると見て、特許庁から業務を奪い取る戦略を立てて着実に省内侵略を繰り返している有様だ。要するに、国益を考えずに省益を重視したような体質は何ら変わってはいないと言うことだ。

  ハッキリ言って、現在の経済産業省は大企業省とでも言える体質であり、実態から言っても全く反論の余地はないと言えよう。形ばかりの中小企業庁は傍らに存在するが、あくまで支流・傍流であり、本流ではない。今や、日本経済の活性化にあっては、大企業優先の産業政策ではなくて、中小企業、ベンチャー企業の育成・発展を展開していく必要性が出ているものだ。既に開業率が閉業率を下回って4,5年も経過している。新しい時代の産業創出、雇用創出は、正にこうした新規産業を構築していくベンチャービジネスの興隆、活性化にこそあることは今や常識である。

  然るに、経済産業省の主流である大企業省と言う体質の大幅な解体、改造を試みることなく、旧態依然とした大企業省の看板の下に、大企業優先の政策を展開している有様だ。これは取りも直さず、その天下り確保の行政姿勢にあると言って良いだろう。今や、経済産業省を解体して、中小企業庁を経済産業省に大きく衣替えして、現在の経済産業省は多国籍化し海外移転を率先している大企業を相手にして、米国のような通商代表部のようなマクロ経済的な視野での貿易中心の企画官庁組織にしていくことであろう。

  実に米国の商務省は中小企業省とでも言えるものだ。大企業はむしろ通商代表部が管轄していると言っても良い存在だ。日本の経済産業省が発展途上国段階では、国家の施行する政策が大企業優先であった時代は確かにある面では効果的であったと言えよう。然るに現在は、国際環境や産業構造、至っては日本がこれまで採用してきた通商立国や貿易立国の国是自体が大きく様変わりしていく必要性が出てきたものだ。現在の日本経済を取り巻く政府の中枢の機能が麻痺しつつあるところに、国内外の様々な環境の変化に対応できていないと言えるものだ。

  国内産業の空洞化、地域振興、失業者増大の吸収による新たな産業の創出、産業構造の高度シフト化などの現代的課題の要請に全く対応できていないものだ。その意識すら芽生えていないようだ。古い体質の中で、古い思考で一体何が出てくるのであろうか。何も出て来やしないだろう。経済産業省の大幅な解体、改造無くして、日本経済の再生や活性化が有り得ないことを根底から認識していく時期に来たようだ。

  2001年スタートの行政改革でも、多くの省庁が改革の対象になったが、経済産業省だけは、時代感覚の全く欠如した政治家、マスコミ、学者連中の無策により、経済産業省を時代の要請に合わせて改革するどころか、郵政省の一部の部局を取り込んで益々肥大化してきた。部局の看板だけは新しく改装し直して取り繕ってきたが、その本質的な体質は全く変化していないものだ。特殊法人にしてもやっと石油公団の乱脈振りが指摘されて解体に動き出したようだが、殆どが他の官庁と同じように、否それ以上に無能官僚の暗躍、跳梁、跋扈に任せている有様だ。

  実に経済産業省の解体乃至改造無くして日本の経済の活性化は有り得ないと言うことを指摘しておこう。経済不振の背景や真の原因、そしてその改革の核心が殆どの有識者が解っていないようだ。枝葉末節的な点に関心が奪われていて、本質的な問題の把握が出来ていないようだ。経済産業省という政府の中枢機能の解体が必須であることを身命を賭して提言したい。正に企業で言えば、無能経営者の追放にも似たものであろうし、用済みの部署や時代遅れの部局の解体が必須と言うことだ。

  経済産業省が真の産業政策を実施しているならば何も問題は無いと言えよう。ところが真に国民のためになる政策を実施しないで、自分達の天下り確保とも言えるほどに、大企業偏重の政策を実施し、形ばかりの中小企業対策を演じている有様だ。本心は大企業優位の政策の展開に終始している有様だ。これを解体しなくて何が日本経済の活性化が期待できるであろうか。勿論、解体とは言っても、廃止・廃棄という意味ではなく、むしろ中味の大幅な改訂である大改造という意味だ。

  吾々が真っ先に着手するべき行政改革は、正に経済産業省の解体乃至改造であろう。恐らく、現在の経済産業省の官僚共は猛反対していくことであろうが、これに対しては、猛反撃をもって粉砕して行かねばならないだろう。従来のあらゆる行政改革にも見られなかった歴史的にも最大の改革に成るであろう。経済産業省の官僚の追放であり、再任用は殆ど考えられないものだ。

  要するに、大企業偏重で、天下り優先、天下り確保の行政との決別が主要目的であり、主眼であるからだ。彼等を再任用して行けば、再度、同じ行政をやらかすだろう。今や、歴史的転換点に来ているものだ。旧来思考の役人根性で凝り固まった連中を再雇用していっても、何も役立たないどころか、とんでも無いところで寝首を掛かれることに成るであろう。時は今、正に幕末の大動乱である。新しい時代に向けて、一体誰が旧来の旗本や家老連中を活用し雇用し、ご意見を仰いでいくものであろうか。薩摩の芋侍だけで充分だろう。

 実に誰も経済産業省の改造を指摘することがないのは不思議なことだ。小泉政権ばかりを表面的に問題化するが、その実態、実質である経済産業省の本質には迫ることは殆ど無いようだ。司令塔ばかりか、その司令塔に情報を提供して背後で操っている存在こそ、実に改革の対象として捉えて行かねばならないものだ。行政改革の時にも、当方以外は誰も経済産業省の解体乃至改造に関しては言及することもなかったが、今こそ声を大にして警鐘を鳴らしておこう。

(2)経済産業省の旧態依然とした発想と実態

  ここで少し立ち入って、経済産業省の内部状況を奥深く観察し、入手した様々な情報やデータ、そして確かな伝聞情報を下にして、内部組織の硬直化、政策展望を展開する創造性の欠如、元気喪失の無気力性の蔓延や、国際情勢音痴の深刻な痴呆(ボケ)症状の進行、日本経済の最大のガン的存在、そして国内経済の活性化に向けた最大の障害物になり下がってきた存在や背景を踏まえて、今や国際競争力確保のためにも解体すべき最大の対象であることの緊急性・重要性・必要性等を言及し分析してみよう。

  今や特に、経済産業省・旧通産省の肥大化が持たらす様々な対外的影響や内部的弊害は日本経済の司令塔としても深刻だ。2001年に始まった新しい経済産業省は旧通産省に比べて、新たに旧郵政省の電波・通信関係の部署を取り込んで肥大化したものの、根本的理念においては何も変化無く、相変わらず、キャッチアップ型の1940年頃からの前身である軍事省の旧戦時体制来のものと言えよう。

  現在の経済産業省は、外局に特許庁を始め、資源エネルギー庁、中小企業庁、産業技術保安院を擁し、中央の官庁機構としては実に最大の規模となっている。こうした機構・組織の肥大化の為に、経済産業省内部でも,また各省庁との間でも様々な意志の疎通が起こって摩擦や弊害が発生している。機構や組織が拡大すること自体が悪弊を生じるのではなく、内部においては変な差別や不均衡を生み出したり、対外的には他省庁の業務に関与して行ったりして重複化を生み、しかもそれを国家的レベルからではなく、一官庁レベルの利害得失から、そして一部の特権官僚の利己的立場から低次元でやろうとするから問題なのである。

  現在の経済産業省は、大きく分けると、本省、資源エネルギー庁、中小企業庁の経済産業省の行政部門と、特許庁の特許等の審査や審判に関する半行政・半司法部門と、技術保安院の研究開発部門との三グループに機能的に分類できる。三者は採用もその後の人事移動も全く別である。そしてどちらかと言えば、特許庁や技術保安院は、長官や院長を始め総務、会計、秘書等の主要管理部課長を本省等の行政部門からの出向者で占められ、いわば下位に置かれて管理された状況と言える。

  本来、経済産業行政全般を円滑に機能させるには,研究部門が行政ニーズに応えたり、研究成果としての特許等を審査する特許庁とも連携を取り合ったり、優れた特許等は行政に反映させたりする様にも組織全体が機能的に運営されて行かねばならないのは言う迄もない。然るに、技術保安院の研究部門や特許庁の審査等の部門は本省から、それも事務系官僚を中心として一方的に管理支配されるばかりで、何ら双務的な関係になく、予算や政策決定の実権を握られ、技術系管理職が10年以上も年下の入省間もない事務系係員にぺこぺこ頭を下げて説明を強要されている。

  こうした組織運営に対し、内部でも本省のキャリア特権組に対する不平不満は非常に高まって来ている。そして過去に何度か、旧工業技術院(現技術保安院)や特許庁が本省からの分離を推進しようとしたり、また戦後に外国占領司令部によって特許庁内部から技術系の特許庁長官が生まれた事もあったが、本省当局によって弾圧されて来たのが事実であり、現在でも本省の外局技術系部門に対する軽蔑的で威圧的な態度や姿勢は何ら変わってはいない。

  最近の経済産業省は、従来の通商行政のみならす、技術開発の分野にも異常なる情熱を傾注して来ているが、組織的に見れば、法律系を最優遇して技術系を極めて冷遇しているのが実情である。経済産業省の本省内の局長には技術系が一人もいなく、数年に一人存在している程度である。こうして、経済産業省の機構全体を見ても必ずしも連携が円滑に機能していると言えず、互いの利害得失が一致することもなく、感情的に反目し合っており、経済産業省全体の内部的団結など殆んどないと言える。

  特に事務系の中でも法学部系が経済学部系を一段下位に置いて差別しており、組織内部は専攻学部等によって最初から能力的に区別され、大きな不平不満となって組織全体に動脈硬化を発生させていると言える。一見、経済産業省が経済官庁として華やかに見えるのも、一部の特別待遇の官僚のはしゃぎ過ぎによるものであり、裏では軽蔑、差別、高慢等による怨念が渦巻き、著しく組織全体の連帯性や協調性を阻害化させて、活力を低下させていると言えよう。要するに余りにも肥大化し過ぎ、且つ、カースト制度体制が無意識の内に省庁内に蔓延(はびこ)って円滑な運用が出来ずに、組織の硬直化が始まったと言えよう。

  さて、経済産業省は、かつての旧通産省の全盛期と言われて凋落の岐路となった80年代頃から国内外の諸情勢を大きく見誤ったと言えよう。即ち、80年代を乗り切る為の我国の採るべき進路として、@経済大国としての国際社会における役割と、A資源小国としての克服、Bそして活力とゆとりある社会の実現を謡い、これ迄の通商政策一辺倒に加えて技術政策をも対等にとりあげ、即ち、通商立国と技術立国を国の政策議題の両輪として、前記三大課題の実現を図って行くことをビジョンとして提案した。しかし、過去の二度に亘る石油ショックを無事乗り切った驕りもあって、ここからが国内外の諸情勢、環境の変化の潮流を見誤って大きく旧通産省の政策が狂いだし、栄光に陰りが現れだしたとも言えよう。

  つまり、かつての80年代ビジョンの内容が、実に経済産業省全体の担当分野の全議題を単に寄せ集めただけの作文に終始し、実質的且つ具体的な方策を欠き、机上の単なる理念としての展開に過ぎない面が多々見出されたのである。実にこの80年代通産ビジョンへの対応においては、単に国民に示した教科書的スローガン上の発想でしかなく、経済産業省目らが国家的な責任と自覚を持って積極的に激動の80年代を乗り切るに向けての意欲と情熱に欠けるものであった。

  即ち、国内外の激動の情勢が全く読めずに、来るべきバブル崩壊にも対処することなく、依然として安易な拡大路線を踏襲していて、省内でも真摯な議論や常識が全く通らなくなっていたようだ。某民間団体が提出した提言書が、省資源、省エネルギーの絶大なる効果を持たらし、その波及効果は図り知れないものであり、正に関係省庁とも連携して国家的大事業として推進すべきであるとしたことに対し、経済産業省の行政を担当している全課の課長や総括班長から部長、局長、事務次官に至る全員が無視し、否定し拒絶した事件があったらしい。それ以来、様々な事態が影響した為か、経済産業省の衰退・衰亡の予兆が現れだし、それを感じ取った有能な若手官僚が経済産業省の将来を見限って辞職が相次いでいるようだ。

  なお、旧通産省の80年代ビジョンは、省資源化とか省エネルギー化等と提言の中で述べている程、意識と情熱を伴って国家社会の将来を真剣に憂慮して、通産ビジョンの課題達成に向けて全力投球してはいないということに他ならないものだったようだ。業界や国民に省資源・省エネルギー化の推進を呼びかけるばかりで、自ら積極的に先頭に立って推進する姿勢に著しく欠けるものである。石油業界に大量に天下り確保をしてその為の行政を展開している経済産業省(旧通産省)に一体、どれ程の省資源、省エネ政策が出来るのか全くの茶番であったと言えよう。

  また経済産業省は、通商立国と技術立国を対等に達成すべき目標に掲げて前進すると省内外に表明して来た以上、その機構・組織の運営においても、それに対応した適切なものに整備して行かねばならなかった。然るに、省内改革でも、依然とした1940年代の戦時体制の継続するキャッチアップ型の組織運営であり、何ら根本的に解消されていなかった。そもそも、旧通産官僚に来るべき産業政策を実施するべき組織運営に係る改革を期待し、実行させること自体が大きくピント外れであったと言えよう。
 
  即ち、技術立国としての中核を果たすべき産業政策の中枢を担うべき技術保安院や特許庁に対する従来の軽視的な意識を根底から大変革することであり、経済産業省内部における技術系職員の地位向上を図ることであった。これらが真剣に検討されて前向きに考慮されない限り、単なる掛け声だけに終り、内部全体の協力を仰いで結束して推進して行けないのは明々白々であった。キャリア官僚・法律官僚優遇の実に沈滞した無能連中の右往左往の無策ばかりが横行しているようだ。

  然るに当時の状況は、80年代に突入して以降、国際環境も一段と厳しくなって来たというのに、技術立国に向けての具体的且つ効果的な政策を推進する為の組織的な問題や人事上の配慮は何ら検討されず、旧態依然とした予算バラマキの組織運営であり、意識も従来と何ら変わっていなかったようだ。これが、経済産業ビジョンが単なる頭脳的な感覚のみが理念として先行して意識と情熱が伴っていず、机上の作文の作成に終始しており、国際情勢に対して知ったかぶりをしている高慢な集団と断言し糾弾する次第だ。

  ここで突込んで勘ぐってみると、省資源・省エネルギー化を強力に推進することは、海外依存率が極めて高くて国際的危機の前ではひとたまりもない我国にとって、充分に国家基盤を強固にし得て国家的利益となり国民生活の安定にも資するものであるのは当然だ。しかし、当該資源エネルギーを経営基盤とする一部の産業界を姶め、当産業界に数多くの諸先輩を送り込み、そして指導育成する立場にある経済産業省(天下り大企業の産業保護省)にとっては、案外困ることになったのであろう。

  経済産業省が、資源エネルギーの備蓄化や海外供給地域の多角分散化を推進することはあっても、大々的な消費節減を推進して国家基盤を強化ならしめることは、単なる精神的訓示にしか過ぎず、国家の将来よりも一産業界や諸先輩の立場、それに当の経済産業省の利害得失を計算して、強力に実施する意識と情熱を有していないものと考えられよう。

  どうも過去のそして現在でも経済産業省は、省益追求で業界利益代表の一省庁レベルでの発想しかなく、石油需給が逼迫化して国家の危機が到来する際には、国家の混乱化を憂えるよりも、逆に自分達経済産業省の統制・配給の権限が強まり、経済産業省の再生が図られるものと内心では期待しているのではないかと勘ぐられるようだ。全く国家的行政機関としての本来の義務と責任を忘却して、一企業・一業界の発想と同列に国家行政を私物化し、倒錯した思考に埋没しているのものと思われる。

  高度経済成長の頃ならば、国は指針を提示して、後は企業の自主的活力に委ねておればそれで通用したが、石油危機以降、経済は低成長(安定成長)期に入り、そして80年代は実に政治的にも経済的にも軍事的にも、冷戦終結を向かえて国内外の環境は大きく変化し始め、実に激動期に突入し始めていったし、国際情勢の枠組みは急速に変化の一途を辿っていたものだ。単に民間企業にのみ織烈な合理化や国際競争力強化への「活力」を期待し、旧通産省(現経済産業省)は、指針や展望のみを作文的に提示して、後は「ゆとり」を持って構えていれば良いというものではなかった。

  こういう厳しい国際情勢、国内環境は80年代から一段と熾烈に変化してきているものの、根本的には状況の本質的な潮流や傾向は全く変化していないと言えよう。それどころか、特に1990年代に入ってグローバル化と共に益々厳しさを増しつつあると言えよう。今や国自らが卒先して、一省庁の利害得失を超越して国益を最優先させて、国内外の険悪化しつつある諸状勢に機敏に対処して行くべき時期に至っているのである。

  然るに、某民間筋から多大なる国家的利益を持たらすと指摘された様々な提案に対しても、経済産業省の全官僚群の様々な無知、無理解は、自ら示したが80年代通産ビジョンの中味の実践に思考的に連動していず、当ビジョンが単なる机上の教科書的理念であって明確な意識を伴った情熱に欠け、そして経済産業省の立場や利益を第一義的に考慮して、国家の利益を軽視せんとする体質、姿勢を見事に露見させたものと言えよう。

  実に表面的に美辞麗句を並べたてて言葉の遊びをし、口と心が大きく異なる経済産業省当局の言葉の裏にある幾多のまやかしを看過すべきではなく、今後展開される新素材の大々的な普及促進と平行して、その経済産業省・旧通産省当局の意識のズレとズルサを徹底的に糾弾して行くべきであろう。

  今や、1950年代頃から坂の上の雲を目指してガムシャラに突進・盲進して来た経済産業省・旧通産省の官僚達は、1990年代のバブル崩壊以降、実に坂の上から転げ落ちながら、坂の下にある泥沼を見つけて、その泥沼に足を取られまいと極めて慎重になって、異常なるゆとりの中に埋没し、日本国家の正しい進路を見失っているものと思われる。高度経済成長を達成し得たのは何も経済産業官僚の行政指導が格別に優れていた訳ではない。安価で豊富な石油を中心とした各種資源エネルギーが容易に入手し得た幸運な国際環境や、企業の努力や国民の勤勉性に依るところが実に多い。その成功体験も高々30年ほどにしか過ぎないものだ。

  そうした真の原因や背景を見誤って、今なお、自分達の力量を驕り高ぶっているところに、日本経済に行く末に暗澹たる破局が待ち構えていると言っても良いだろう。むしろ経済産業省の行政指導の至らなさの為に、その経済優先の諸政策が持たらした様々な歪が多く出て来ているのである。そして先の経済産業省の諸先輩連中も、石炭や石油の輸入の拡大政策を推進して産業振興に全力を投入して来たものであるが、現下の国家的課題である資源、エネルギーの大幅な消費節減化の推進の前には、意識の大々的な転換が出来ずに既に過去の人になったと言えよう。

  そうした諸先輩連中の路線を何時までも踏襲している現在の経済産業省の官僚群も、今後の大変動を招来させる国際情勢の悪化に対して、なおも輸入先の多様化とか、輸入物資の備蓄化とか、輸入物資の別の物への代替化(石油から石炭への代替化)とかの輸入一辺倒の政策を意識的に転換できず、国内消費節減や海外依存の低下等の自立化政策を創造力豊かに考えることも出来ず、その意識は既に過去の群像になりつつあると言えよう。そうした集団である現在の経済産業省自体も、既にその役目を終えて今や過去の官庁になりつつあると思われ、新しい激動の時代に適応した行政改革を推進して行く必要も出て来たと言えよう。

(3) 今や経済優先の時代は終った
 
  さて、日本は第二次世界大戦後の荒廃期から復帰して、なおも多くの不安定要因を抱えながらも、今や世界でも有数の経済大国に成長した。しかしながら、経済的に異常な程の高度成長を達成し得たことは、全ての面で国民生活に利点のみを持たらしたものでは決してない。世界中から全ゆる資源、エネルギーを調達して来て、狭い国土全体を一大生産工場・廃棄物処理場と化して生産・消費・廃棄の一方的悪循環を推進して来たが故に、騒音や大気汚染、水質汚濁、山林の破壊、松原海岸の減少等の環境破壊を著しく増加させて来た。その為に、経済的繁栄の下で、物質の洪水に見舞われて一見生活は向上した様に思われるが、別の面では、大自然の環境の改悪化によって、また物質優先の思考の蔓延によって、精神的生活環境は実に悪化の一途を辿っていると言えよう。

  昨今の家庭生活における離婚や夫婦・親子の対立の増大、学校内外での暴力行為の激化、自殺や他殺の増大化等の社会不安化の諸現象は、何も経済的不足、不満から招来されているものではなく、むしろ逆に物質的に充足して、更に飽くない物質追究に走ったり、わずかの不足にも耐えられぬ程の心理を生み出している環境下で発生していると言えよう。経済の異常な迄の発達や物質的満足の飽くなき追究が、人間の精神構造を貪欲な願望や欲望に駆り立て、華美、贅沢を助長し、健全な道徳や倫理の感覚を喪失させて行くのであり、国家社会を内部から崩壊させるものと言えよう。

  今や国際的にも、資源エネルギーを安価で大量に確保して、なおも高度成長を期待して行こうとすることは、土地や人件費の大幅に安価な国際競争力のある中国などの台頭による国内産業の空洞化に見られるように、困難な状況とさえなって来ている。また政府の財政事情や銀行の不良債権問題も悪化して来ており、経済政策の再構築を迫られている現在、これ迄の様な経済最優先の物質至上主義の政策を採ることなく、むしろその結果持たらされた様々の歪の是正や解消に意を用い、調和のとれた健全な国家社会の実現を目指さなければならない。

  即ち、真実真正なる道徳・倫理・宗教上の理念を確立し、それの全面的な実施に向けて、文化面、教育面、家庭面等の社会全体の健全な精神環境の実現を図って行かなければならない。何よりも社会生活の最小の構成単位は家庭や個人であり、それ故に、正しい家庭や個人の心の確立は健全な社会実現に向けて最大の重要課題であると言えよう。

  経済産業省(旧通産省)による経済優先の物質至上主義の社会のこれ以上の推進は、必要以上の物質を世界から収奪して、また世界中に利己的に商品を流出させて悪循環を繰り返し、多くの無駄、贅沢、華美を助長させる精神的環境を生み出している。社会の全ゆる階層に亘る異常な拝金主義の横行や利得行為の蔓延は、実に経済産業省(旧通産省)主導による物質万能主義が持たらした結果であり、物の真の尊さや大切さを忘却した国民心理を大量生産させている。そして自らも邪悪で猜疑な想念に埋没して行き自己の利害得失にのみ敏感な利己主義になり、それをまた社会全体に蔓延らせて社会における多くの人々の心を崩壊し促進させていると言えよう。

  今や、大量生産、大量消費、大量廃棄の経済の悪循環を断ち切っていく中での、実に創造性に富んだ施策の展開が求められているものだ。現在、世界中のゴミ焼却場の実に4分の3が日本に集中している実態がある。それでも足らずに、県外や海洋、山間に不法投棄しているのが実状だ。世界中の森林の伐採でも日本が飛び抜けて森林破壊を行っているのが悲しい現実と言えよう。

  国家社会が経済的に困窮していた時代ならば、経済産業省(旧通産省)の役割もある程度重要だったが、今や衰退気味ではあるが、世界的にも異常とも思える経済大国となって、経済産業省(旧通産省)の存在を大きくさせ、益々高慢化させている。こうした事態が今後とも継続して行くならば、国民の心理をますます物質願望や利権追究の欲望に押しやって行くことだろう。所詮、経済産業省(旧通産省)の官僚群が描く日本国家の理想的将来像は、とても世界の指導的役割を果たすに相応しい見識と風格を備えた堂々とした国家ではないようだ。

  精々が自己の利害得失に敏感で、目先の利益追究に汲々として、商買的取り引きにのみ長じた「町人国家」でしかない。経済が極度に肥大化して、国民心理がバランスを失って経済大国のみが一人歩きして行くところに、国家の将来に多大なる危険を感じざるを得ない。国家社会の均衡を図った適切な発展を目指し、健全な国家社会を実現して行く為にも、経済優先の考え方を根本的に是正し、経済産業省(旧通産省)の役割をも根底的に問い直して再編成する時期に来たと思われ、これを検討しないでは日本の健全な将来もないであろう。

(4) 経済産業省の解体と経済産業省官僚の整理・淘汰
 
  今日、経済産業省(旧通産省)は、全ゆる産業物資の生産、流通、輸出入を管掌し、そして様々な技術開発業務にも進出し、我国産業界に絶大なる勢力を浸透させており、正に経済大国の中心を担っていると言える。その事業分野の絶ゆまぬ拡大は行政機構の肥大化にも大きく関係しており、他省庁との摩擦や対立も極めて多く、国家機能を効率的に運営させる為の大きな阻害となって国家の弱体化に拍車をかけている。

  現在、経済産業省(旧通産省)が全ゆる産業物資の所管に大きく関係している。特に、各省庁どの摩擦や対立を発生させたり、摩擦や対立が予想される二元的行政等の非効率な面を洗い出して見よう。

 @通商や技術協力等における経済産業省(旧通産省)の対外的経済外交政策は、国家全体の大局的な外交政策を推進する外務省と競合・対立。
 A産業界の利益や立場に立った経済産業省(旧通産省)の産業政策は、国家全体の大局的観点から金融政策や租税対策を立案実施する旧大蔵省と競合・対立。
 B一部の不況産業界の利害に傾き易い経済産業省(旧通産省)の景気浮揚政策は、金利体系全般に大きく影響を持って大局的に推進する日本銀行と対立。
 C産業界を重視する経済産業省(旧通産省)の経済動向分析やその対策は、国民経済全体を大局的に把握し対策を打ち出して行く金融財政担当官庁・旧経済企画庁と競合・対立。
 Dエネルギー行政の強化を目指した行政改革において、経済産業省(旧通産省)は、行政改革を国家的見地から推進する旧行政管理庁と競合・対立。
 E産業政策の単なる一環として担当する経済産業省(旧通産省)の原子力行政は、総理大臣直属の原子委員会を擁して国家的な見地から、原子力政策を検討し大々的に推進する旧科学技術庁と競合・対立。
 F産業界の、特に大企業による国際競争力を重視する経済産業省(旧通産省)の産業政策は、国内的に私的独占を禁止して公正取引の確保を図って、自由な競争の下に製品の高品質化と低価格化の実現を目指し、国民全体の経済活動を活性化させる任務を有する公正取引委員会と競合・対立。
 G産業経済の発達を第一義的に考慮する余り、人間の生活圏への悪影響を充分に配慮しないで種々の環境破壊を発生しかねない産業界寄りの姿勢をとる経済産業省(旧通産省)は、自然環境.破壊を防止して人間の居住環境を快適ならしめて、環境保護を国家的に推進する環境省と競合・対立。
 H住宅や建設用資材の生産、流通、技術開発に係る経済産業省(旧通産省)の建設産業政策は、住宅やその部品の認定や、建設関係の各種国家試験を実施し、また建設関係の専門的な公的研究所を有して建設行政を大局的に推進する国土交通省(旧建設省)の行政と競合・二元化。
 I自動車、車両、船舶、航空機等の運輸手段の生産に係る経済産業省(旧通産省)の運輸産業政策は、これらの各種運輸手段の利用や運行を体系的に把握して、運輸政策を大局的に推進する国土交通省(旧運輸省)の行政と競合・二元化。
 J各種医薬品や医療機器の製造に係る経済産業省(旧通産省)の医療産業政策は、これらの医薬品や機器の認可、利用を通して国家の医僚政策を大々的に推進する厚生労働省(旧厚生省)の行政と競合・二元化。
 K産業技術(応用技術)政策を担当する経済産業省(旧通産省)の行政は、特に基礎技術と応用技術との境界がつき難い宇宙、海洋、原子力の各分野において、科学技術(基礎技術)の開発を応用的側面をも充分に考慮して国家的見地より推進する文部科学省(旧科学技術庁)の行政と競合・二元化。
 
  経済産業省(旧通産省)以外の省庁でも、こうした各種の摩擦や競合、二元化や非効率性は見られるが、今や経済大国の中心にある経済産業省(旧通産省)は、その業務内容や体質から言って最も摩擦が多いのが実態であり、新しい時代を切り開いていく上で由々しき事態であろう。つまり経済産業省(旧通産省)の業務が各省庁の業務にも深く関係している性質から、四方八方に対立や摩擦を発生させて、その闘争に血道をあげた「攻め」の行政を展開し、国家全体、国民全体の立場からの高い次元での行政を考える様な余裕もない様に思われる。実に現在の経済産業省(旧通産省)は、自らの存在を固守せんとする為に、自分達に都合の悪い各省庁の行政を支障するべく、政界や官界や業界に多くのスパイを育成して情報収集や破壊工作の暗躍を展開しているものと思われる。

  厳しい国際情勢の中で、我国が進むべき道の選択を誤らずに強固な国家行政基盤を確立して行かねばならない以上、こうした行政組織間の縄張り争いや競合・二元的行政は、正に国家行政機能を著しく非効率にさせて国家行政基盤を弱体化し、国内外の諸政策を国家的見地から大々的に推進することを大きく阻害させるものと言えよう。

  それ故に、こうした弊害を解消して、極めて簡素で効率良く且つ強力な行政を推進して、国家行政の基盤を強化ならしめる為には、各種行政の一元化を図って行くことが大切である。その明確な理念の下に、現在の経済産業省(旧通産省)を解体して、経済産業省(旧通産省)の各種業務を各省庁が分掌し、経済大国日本を各省庁が等しく支えて行く協力体制を構築することが何よりも必要であろう。日本が経済的にも弱体だった頃は、経済産業省(旧通産省)の存在意義もあったが、今や衰亡しつつあるとは言え経済大国となって、大規模な国家経済を支える大産業界を一省のみが中心となって監督し指導して行くには、余りにも各省庁との不均衡が顕著となって摩擦や矛盾が大きくなってしまった。

  正に経済産業省(旧通産省)を全面的に解体して各省庁に分散統合を図ることによって、行政から幾多の無益な摩擦や対立を除去し、各省庁が大局的な見地から諸政策を一元的に遂行し得て、各種行政の効率化と強化に資することが出来よう。そして国内外の環境が大きく変化し、海外移転し空洞化した産業界を監督指導する肥大化した経済産業省(旧通産省)の諸業務を解体して、各省庁が分担し見直し合うことが出来よう。

  そしてこれによって、各省庁の行政にも熾烈な国際協力を強いられている産業界の真剣な生存競争の息吹が吹き込まれて、活気に満ちた経済官庁の側面が享受でき、行政官の意識や行政庁の体質にも大きく改善化を持たらして行き、経済大国の活性化を真に正しい方向に引導する為の連帯感や協調感、そして使命感が生れて来るだろう。実に経済産業省(旧通産省)の解体は今日的な行政改革の課題をも充分に満足させて、官庁気風や官庁体質を大きく変革させて行くだろう。

  経済産業省(旧通産省)のこれ迄の役割に終始符を打って、新しい時代への要求や激動する内外の情勢変化に対応するべく、経済産業省(旧通産省)を発展的に解消することは、飽くまでも国家社会の利益を第一義的に考慮しての上であり、経済産業省の旧通産官僚に対する無能から、国家の前途を最大に憂うるもので、旧通産官僚に対する嫉妬や妬みの感情からではない。これだけ産業規模が肥大化し、情勢も目まぐるしく変化して来れば、一省のみで何でも推進して行こうとすること自体がまず無理であり、経済産業省の官僚群の先見性や洞察力の欠如、そして高慢な態度・姿勢はむしろ必然的に生れて来たとも言える様であり、同情すら覚えるものである。

  経済産業省の官僚は、皆、一応の優秀な学業成績で入省して来たものばかりで、創造性や口と心の一体性や器の大きさはともかくとして、極めて優れた記憶力や国語力を有するものが多い。これは活用を誤らなければ、別の面から国家社会に十分に役立たせることも出来るだろう。また経済産業省(旧通産省)が産業界と密着した行き政姿勢をとる余り、産業界の悪い面も良い面も共に受けており、それは経済産業省(旧通産省)の官僚にも少なからぬ影響を与えているものと思われる。

  即ち、悪い面では、産業界の織烈な技術戦争や販売戦争による様々な謀略的活動が渦巻く面から種々の影響を受けており、経済産業省(旧通産省)も、各省庁の業務に食い込んで行ったり、業務を支障させたりする等の各種謀略活動や知略戦争に極めて優れた才能を有している。

  また良い面では、世界的な貿易自由化の波や産業界の合理化努力に見られる前向きの経営感覚の影響を受けて、経済産業省(旧通産省)も、各種許認可業務を手放して政策官庁に脱皮して来ており、業務の拡大にも比較的積極的で、変化の激しい経済の彼に絶えず洗われていると言えよう。そして多様な思考を展開して、多角的に政策を論じ合える様な比較的目由活達な環境を伝統的に形成していると言える。

  もっとも最近は沈滞した経済界のムードと変化の激しい国際情勢の為に、やや疲れ気味で方向を見失って自信喪失が著しく、極めて慎重になって、安定成長型・衰退型の経済と同様に、安定成長型・衰退型の官僚が増加してはいるが、一部にはまだ古き良き時代の面影を有している若手もいるようだ。経済産業省(旧通産省)の伝統的な良き体質は、一部の経済産業省の官僚にも部分的に反映され、ユニークな性格や自由で独立独歩の気風を育成し易くしているとも言える。昔はまたこうした空気がわずかでも残っていたが、今ではもう殆ど無いことも確かだ。その証拠に若手がどしどし退職している実態が雄弁に物語っているであろう。

  それにも拘わらず、経済産業省(旧通産省)の一風変わった風土の下で育った経済産業省(旧通産)の一部の官僚が、各省庁に分散されることによって、その気風や気質を各省庁が吸収し、各省庁の官僚全体の意識や姿勢等も大きく変革することが期待できるであろう。即ち、経済産業省(旧通産省)を解体し、旧通産官僚を有効に活用するべく、経済産業省(旧通産省)の業務と官僚を各省庁が吸収し統合することによって、国家の行政基盤が強化されるばかりでなく、官庁気風も大きく変革でき、各省庁が許認可官庁から政策官庁へと脱皮転換して行くことも大きく期待できるものと思われる。

  また各省庁に分散した経済産業省の一部の官僚も当面は、各省庁に分散された各経済産業の業務を担当して人事異動を展開して行けば、各省庁間の人事交流を活発化させる突破口にもなり、省庁間の連帯も生れて来るものと思われる。しかし、これもごく一部の有能な官僚だけだろう。そうでないと再度同じ感覚で行政を実行していき、利権の復活や天下り確保の行政をやらかすだろう。

(5) 各種行政組織の一元化が必須

  現在の行政組織は相互に重複している分野が実に多い。その為に、互いの境界領域で省庁間の縄張り争い、主導権争いが絶えず、実に無益であり、対外的にも国内的にも弱体化の元凶となっていて、国策の強力な遂行上、誠に遺憾なことである。その最たる諸悪の根源は、全ゆる産業物資の生産や輸出入等の流通に絶大なる影響力を有している経済産業省で、省庁間における摩擦や対立等の最多発震源地であると言えよう。これも一省庁一家主義の省利省略による閉鎖的で、小局的見地からでしか物事を把握しない一種の役人根性の現われと言えるだろう。

  行政の多元化、重複化は、互いの省庁間で競争意欲を煽って、創造意欲を刺激するという見方もできるが、各省庁は個別独立した一企業であってはならす、国家という一大企業の構成単位としての行政機構でなければならない。国家行政を強力に推進できる為にも、各省庁は、国家の統一的行政全体の一構成組織であるという自覚の下に一致団結し、競争対象を他省庁にではなく外国に振り向けて、創造的な政策を巡って刺激し合い競争して行くようにならねばならない。外国に模倣し追従して行く時代や、国内各省庁が互いに対立し合って精力を消耗して行く時期は去ったのである。今や激動の国際情勢の中を、国の進路を誤らせずに乗り切って行く時であり、国家機能の強化を図って行く時でもある。従って互いに足を引張り合う様な競合分野や不合理な諸分野は、極力一元化の下に統合すべきであり、それによって国家基盤を強固にしなければならない。

  次に必要な一元化の構想の一端を、先述したような競合・二元化の解消と裏返しになるが、参考までに紹介しておこう。
 1.国の外交面では、政治と経済は密接不可分の関係の下に展開される必要性が強い現下の国際環境の中では、国家全体の外交を推進する外務省と、独自の通商外交を展開しようとする経済産業省(旧通産省)との主導権争いを解消する為に、外務省の下に、或いは独立して貿易庁(経済援助庁)として経済産業省(旧通産省)の貿易・通商政策業務を統合し、政治外交と経済外交の一元化を図る。

 2.新エネルギーの中核をなす原子力の研究開発や運営を巡って、国家的見地から推進する旧科学技術庁と、一産業政策として担当する経済産業省(旧通産省)との間で無益な主導権争いや縄張り争いを演じているが、科学技術と産業技術とは明確に区分できず、むしろ−体として推進すべきものであるから、経済産業省(旧通産省)の資源エネルギー庁や産業技術保安院(旧工業技術院)、鉱山保安関係部局は旧科学技術庁の下に統合して、原子力を含めた種々の主要技術行政(海洋、宇宙、電子、新材料等)の一元化を図る。

 3.経済産業省(旧通産省)が所管する産業物資の中で、鉄鋼とセメントは国の基幹産業物資であり.特に建築、土木の建設事業分野に圧倒的な需要がある。目下、鉄鋼、セメント、砂利、砂、住宅部材等の各種建設資材の生産、流通を経済産業省(旧通産省)が所管し、その利用、施工は国土交通省(旧建設省)が所管して流通全体における管轄が二極化されており、円滑で統一的な行政が期待できない。従って、経済産業省(旧通産省)の鉄鋼、セメント、砂利、砂、住宅関係の種々の担当課を国土交通省(旧建設省)の下に統合して、生産から施工に至る建設産業における流通全般の建設行政の一元化を図る。

 4.自動車、車両、飛行機等の運輸手段の生産を経済産業省(旧通産省)が所管し、生産された後の運行、整備等は国土交通省(旧運輸省)が所管して運輸政策が二極化しているが、これも研究開発から生産、運行、整備等に至る流通システム全体を旧運輸省が所管するべく、経済産業省(旧通産省)の関係担当謀を旧運輸省の下に統合し、運輸行政の一元化を図る。

 5.産業の発達や人間社会の密集化と共に、様々な自然環境破壊に伴う悪影響が出て来ており、我々の生活圏が非常に悪化して来ているのは残念なことである。こうした環境問題の検討や対策を単に産業面からのみでなく、国家全体の全ゆる観点から総合的に検討し推進する為に、経済産業省(旧通産省)の旧立地公害局関係の関係担当課(旧公害防止企画課、旧公害防止指導課)は環境省の下に統合し、環境行政の一元化を図る。

 6.国土全体の総合利用を検討し、必要施策を大々的に且つ効率的に推進する為に、単に産業面しか担当しない経済産業省(旧通産省)の旧立地公害局関係の旧工業再配置課、旧立地指導課、旧工業用水課、旧地域振興対策室等の関係課を国土交通省(旧国土庁)の下に統合し、国土の総合開発利用行政の一元化を図る。

 7.産業経済の円滑な運営を推進する為に、全ゆる産業における生産から消費に至る流通全般の大局的観点からの経済動向分析、景気対策、国民経済の安定・向上等に係る行政指導を遂行し得るべく、経済産業省(旧通産省)の旧産業政策局や中小企業庁を総務省(旧経済企画庁)の下に統合して、経済政策行政の一元化を図る。

 8.国の行政を簡素、効率化し、地方行政の活性化を促進する為に、経済産業省(旧通産省)の地方経済産業局や地方事務官制度は廃止するか、地方行政庁に移管するか、旧自治省の下に統合して、特定地域振興行政の一元化を図る。

  なお、各行政庁も経済産業省(旧通産省)の解体に対応して組織の整備を図って、国家の行政機能の簡素合理化を推進して行く必要があるだろう。

(6) 最後に
 
  現在の経済産業省は余りにも大企業に偏重した行政姿勢であることが最大の懸念材料であり、この打破が必須であろう。こうした姿勢を生むのは実に天下り確保の行政姿勢や体質から招来されるものであろう。特許に対しても、特許庁長官自らが、本音の部分で、「特許なんて無い方が良い」と陰で囁いている有様だと聞く。何故なら、特許は正に、中小企業が大企業に対して素手で立ち向かっていくための最大に武器であるからだと言う。大企業にとっては特許を取ること自体のメリットは、同じ大企業の同業他社や外国企業との関係でしかない。これらは談合により何とか業界常識で解決されてきた経緯があるものだ。

  然るに、中小企業に特許を取られて独占されては困るのである。従って、現在の特許出願状況を見ても、大企業が中小企業からの防衛のために取得すると言った防衛特許が実に6割も占めているものだ。その結果、使用しない未利用特許の山を築いている有様だ。ここにこそ、我が国の特許制度の歪さがあるとも言える。即ち、出願手数料や審査負担や年金などの多額の維持管理費用を投入して制度の運用を図っているものの、結果的には、使用されることの極めて少ない大企業の防衛特許に悪用されている面が非常に多いと言えよう。従って、経済産業省幹部が、「特許なんて無い方が良い」という言動の背景が理解できるというものだ。

  今や、経済産業省は大企業省から大きく解体・改造して、中小企業庁に大変身させることであろう。換言すれば、現在の経済産業省と中小企業庁の地位や役割を主客逆転させることであろう。米国の商務省は正に、日本の中小企業庁の様な存在である。そして米国では日本の経済産業省に相当する大企業、多国籍企業を統括し監督する官庁組織はUSTR(通商代表部)に他ならない。現在、日本でも、企業の多くが海外移転して、国内の産業の空洞化が発生し、産業構造の基板が大きく揺らいでいる有様だ。

  今こそ、経済活性化に向けた中小企業の育成やベンチャービジネスの活性化が求められてきているの、依然として大企業優先の行政姿勢であるのは、先述したように天下り確保の姿勢に他ならない。今や、経済産業省を根本から解体し、この米国式に改造していくことであろうと思われる。

  経済の活性は発展途上国ならいざ知らず、高度先進諸国の成熟した国家社会においては、中小企業やベンチャービジネスの育成・発展に力点を置いた施策の展開が求められていると言えよう。旧態依然とした経済産業省の解体乃至改造は、今や急迫してきた日本経済の活性化に向けた方向転換に際して、是非とも必要な重大課題だと言うことを指摘しておこう。

  今や、特殊法人・政府機関の会計の不透明性を打破し、財政投融資資金の透明性を確立し、財政再建を促進するためにも、整理・解体する動きも出てきており、石油公団の解体に伴って、石油資源開発と言った経済産業省の天下りの国家の税金でお抱えの企業の上場も進んで来ており、次第に役人的経営が淘汰される環境の整備も出てきたことは好ましいことと言えよう。石油公団においては実にその放漫ぶりには目に余るものがあるようだ。実に天下りによる自分たちの利益ばかりを考えて国民の税金を食い物にしているのが実態だ。この石油公団の解体の是非は兎も角、放漫経営に鉄槌を下すためにも、一時的には必要でやむを得ないことと言えよう。

  いずれは吾々が、このHP上で提示する様々な新しい国家社会の建設に向けた壮大な計画を実現させていく中で、特許庁や特許制度の改定を始め、経済産業省の解体乃至改造と、資源エネルギーの海外依存を大幅に低下・低減させた資源エネルギー立国の確立を達成していくことになるだろう。資源エネルギーの面で創造力を発揮して自立化を達成しなくて、一体、何が自立した国家の建設が出来るであろうか。単なるお題目的なスローガンを並べ立てているだけで、利権集団と化した無能な経済産業省の解体が必須だと言うことが理解できよう。

追記:米国通商代表部のような対外経済交渉の専門組織の設置が必須だと言うが・・・ 

 200X年7月20日付け日経新聞紙報道によると以下のような記事があった。通商代表部設置に関するものだが、既に当方は経済産業省の大改造で指摘しているものだ。東大教授や経団連と言えども、案外創造力や企画力や分析力がないようだ。それにしても経団連が当方と同じような方向で考えていたとは驚きでもある。

 当方は既に20年以上も前から指摘しているものだ。当方を引っ張る勢力は経済界からだと聖心先生も言っておられたが、しかもその勢力は火山灰など知らずに引っ張るだろうと言うことであったが、これを見ると、経団連の関心が不思議なところで一致するということを知った。まだまだ当方の知らないところで、当方の小論文が評価されていくのかも知れないと痛感した。

 当該教授にしても経団連にしても、何が正解なのかよく解っていないようだ.万事がこの調子ではないだろうか。今や改革と言っても、結局が皆が納得するような細かい調整が大切なのだ。即ち、殆どの連中が言っていることは極端な見解ばかりなのだ。それ故に対立し反目し合うことになるのだ。何が核心であり本質なのかを究めれば正解が出てくるものなのだ。この辺が有識者ほど出せなくなってきていると言えるであろう。もっとも正解を提示しても、きちんと評価すらも出来ないのではないかと懸念するものだ。権威と学識が先入観や固定観念として邪魔するからだ。

200X年7月20日付け日経新聞紙
【経済外交】「官主導はスピード不足」と題する東大田中昭彦教授のインタビュー記事の中で、「経済団体連合会などは米通商代表部(USTR)のような対外経済交渉の専門組織をつくるべきだ」ということに対し、彼は、以下のように応えていた。

「日本版USTRを内閣につくっても経産省、外務省、農水省、財務省から出向者が集まり、またもう一つ役所が増えるだけになる可能性がある。問題は実力のある政治家が首相の意を受けて統一的な交渉の実権を持つかどうかだと思う」「司令塔がはっきりしないのが問題。日本の経済交渉の通弊だが、外相と経産相と農相などが雁首並べてみても、相手にしてみるとどの人と交渉すべきなのか分からない。
 例えば自由貿易協定(FTA)の交渉は基本的には経産相に全権を委任し、農相や厚労相の管轄も経産相に調整させるとか、特命の対外経済担当相を置くなどの可能性を検討すべきだ」とコメントしていた。

 経済産業省の大改造
http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98/hoseido.html#30

 参考までに某団体への投稿文を紹介
【新しい国際環境の激変を背景に国家再生に向けた経済産業省の大改造が必須だ】 
「今やグローバル経済化で、既に日本は世界の工場の地位を中国に明け渡し、産業の国内空洞化を招来し、片方で国内企業の多くが外資系に乗っ取られて地方の衰退や失業者の増大を招いている有様だ。有識者の間でも、未だに日本を加工貿易立国だとか、輸出立国だと錯覚している者が非常に多い。既に高付加価値製品を外国に販売して外貨を稼ぐと従来の加工貿易構造が大きく崩壊している状況下では、経済産業省の役割は大きく後退した。国家再生の基本は経済であり、その国家的司令塔は経済産業省である。然るに経済産業省は1940年来の戦時体制のままで、今や激動する国際情勢にも対応不充分だ。現在の経済産業省は何ら適切な産業政策も打ち出せず、最早時代遅れの官庁でしかない。今や経済産業省の天下り確保や大企業省としての行政姿勢を転換し、真に国民のための産業政策を実施させ、更に知ったか振りの国際感覚欠如の体質を転換させるべきだ。そこで経済産業省は多国籍企業を所管する米国の通商代表部のような機関に改造し、現在の中小企業庁を中小企業を担当する米国商務省の組織に転換し、産業活性化に向けて中小企業やベンチャーを主体とする行政に転換させるべきだ。」

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