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「行き過ぎた自由」の名のもと、永遠に奪われようとしている自由;その代償は命にまで。
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/743.html
投稿者 heart 日時 2007 年 6 月 04 日 01:14:02: QS3iy8SiOaheU
 

自由が根付かないうちに、また、真の自由とは何かということを考えることもしないまま来てしまったがゆえに、巷では、自由とわがままが混同されています。国民の努力不足です。

結果、「行き過ぎた自由」などということが自民系の政治家やその御用弁舌家の口から平然と語られるようになり、国民も、この「自由」には確かに歯止めが必要かもしれない、などと思い込んでしまう。国民を思うように操りたい政治家の思うツボです。

集団の中で個を殺すことで生き延びてきた日本国民のサガかもしれませんが、集団の中で自分の意思を殺すということがすなわち自由の死だと私は思います。もちろん、集団の中では他人の意見に従うことが必要なことも多々あります。しかし、自分の意見を言い、皆で議論し、納得した上で集団意思に従うのと、自分の意見を抹殺された中で集団意思に無理やり従わされるのとでは、精神の自由度、精神の生き具合は全然違います。
「行き過ぎた自由」論は、究極のところ、精神の自由を殺すことを目的としたものだと思います。

今の教育改悪もその一翼を担うものです。
子供に、「国を愛する態度」表明を力づくでもさせる。君が代を歌うか否かだけでなく、声量までチェックするということが、一部の学校だけでなくすべての学校でまかり通るようになるでしょう。
また、型にはめた、おそらくは奴隷根性レベルの忠誠心だけを強調した道徳教育を推し進める。

最近、とある書店で、
「道徳の教科書―善く生きるための七十の話 」
という本がずらりと表向きにして三段ほど うずたかく積まれているのを見ました。
著者は、「愛国心の教科書―誇り高く生きるための五十の話 」を書いたのと同じ、渡邊 毅という人です。

内容は、一見、納得してしまいそうな「いい話」も含まれているようでした。
しかし、文面、言葉の端々からは、ナショナリズムを煽り、日本を批判する者を「反日」呼ばわりする者たちと同じにおいがしてきます。

「日本は素晴らしい<自分が日本人であることに対する誇り>
⇒その日本を批判するなどもってのほかだ<自尊心を傷つける言動に対する拒否反応>
⇒日本を批判する奴は日本人ではなく、「朝鮮人」か「支那人」に違いない<相手を排除し、(彼らの基準の中での)蔑視対象と同一視する、また、思い込むことによって、安心を得、自分を守ろうとする>」

こういう思考回路を持ち、間違った安心感に満足してしまった人たちが、今の安倍・ネオナチ政権を支えていると言っていいでしょう。

本当の安心感は、人を排除することからでなく、人を受け容れることから生まれてくると思います。

また、本当の精神の自由も、お互いがお互いを受け容れることから生まれてきます。

日本を批判する者を反日呼ばわりしてきた者は、「ちょっと日本、ここがおかしいんじゃないか」と思うことがあっても、それを口にしたら自分も反日視されるのではないかと怖くて、言えない。
つまり、人を排除することにより安心感を得てきた者は、自分が排除されることを極端に不安視するのです。したがって彼らは、自分の考えを無視してでも、周りに付和雷同するしかなくなります。自分の感覚を無視することで安心感を得る。まさしく精神の死です。そこにあるのは、他者に追随するという選択肢のみ。自分の意思が入る余地はないのです。
精神の自由とは自分の意思に従って物事を考え、場合によってはそれを行動でも表す自由ですから、付和雷同しか選択肢のない人には精神の自由はないということになります。
そして、なぜ付和雷同しか選択肢にないと思い込んでしまうかと言えば、それは、排除により安心感を得るという心のもちように問題があります。
排除でなく、相手を受け容れる心、すなわち寛容の精神を持ち、そこに安心感を見出せるようになれば、皆精神の自由を得ることができる。
私はそう考えます。

しかし、政府は国民に精神の自由を享受させるつもりはさらさらない。
精神の自由などを下手に国民が学ぶ前に、取り上げてしまおう、という魂胆です。

共謀罪という名の密告・監視社会化、精神の抹殺を目的とした法案に対し与党がずっと執着してきているという事実も、このことを証明しています。


精神の自由を殺したら権力者にとって、財界の経営陣にとって、軍需産業にとって一体何が好都合か。

集団意思、主人の命令には絶対従う奴隷を作り出すことができる。ロボットを作り出すことができます。権力者のために何も言わずに命を投げ出す兵士が作り出せます。

小泉、安倍の靖国への執着も、権力者のために命を投げ出すことは政府要人の参拝に値するほど素晴らしく名誉なことなのであると、国民に、とりわけ、将来の兵士予備軍の若者に対し、印象付けることに狙いがあります。

こうした裏の意図を知らずして、「行き過ぎた自由」だの、「靖国参拝は当然だ、中国や韓国は四の五の言うな」といった議論に引きずられてしまうと、国民は最終的には精神のみならず命をも捨てることになります。

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どこへ行く、日本。(安倍の「戦後体制からの脱却(=戦前・戦争体制への回帰)」を日本国民は許してしまうのか)
http://ameblo.jp/warm-heart/

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