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<明日沖縄戦「終結」62年>日本兵が住民を殺した/「軍隊」は県民を守らない」/現場を目撃した瑞慶覧長方さん
http://www.asyura2.com/07/senkyo36/msg/1020.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 6 月 22 日 17:10:03: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: 6月23日慰霊の日を前に「沖縄戦について知ろう」(JANJAN) 投稿者 gataro 日時 2007 年 6 月 22 日 15:39:02)

文部科学省が、来年4月から使われる高校日本史の教科書検定で沖縄戦での住民の集団自決に「日本軍の強制があった」とする表現に検定意見を付け、修正を求めたことに対し、本日、沖縄県議会では全会一致でこの検定意見の撤回を求める怒りの決議が可決された。

折しも明日は沖縄戦が「終結」してから62年の日を迎える。今夜NHKでは「“集団自決”62年目の証言〜沖縄からの報告〜」(NHKクローズアップ現代)が放映を予定されている。 ― http://www.asyura2.com/07/senkyo36/msg/971.html 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 6 月 21 日 19:07:32: 2nLReFHhGZ7P6 ―

「しんぶん赤旗」(6月22日付4面)にも元沖縄社会大衆党委員長で、沖縄戦を実際に体験された瑞慶覧長方さんの生々しい証言が掲載されている。残念ながら電子版には載録されていない。真実を知る一助として紙面から直接貼り付け、紹介する。

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明日沖縄戦「終結」62年
日本兵が住民を殺した
「軍隊」は県民を守らない」
現場を目撃した瑞慶覧長方さん

「軍隊は決して住民を守らない」。農業のかたわら、沖縄戦の語り部の活動をしている瑞慶覧長方(ずけらん・ちょうほう)さん(75)=沖縄社会大衆党元委員長は、静かに語り始めました。瑞慶覧さんが語る沖縄戦の教訓とは―。(前田泰孝)

糸満市摩文仁(まぶに)。太平洋戦争で、日本で唯一地上戦を経験した沖縄でも、特別の地です。いまは、「平和の礎(いしじ)」が建ちますが、六十二年前は―。

2万人放心状態

当時、北に米軍、南は海に突き出た断がいに、米軍から逃れさまよい、疲弊、放心状態になった約二万人の人たちが集まっていました。瑞慶覧さんも米軍に追われ南へと逃げ、母、姉、弟や親せきの人たちと一緒にたどり着きました。

「静かな朝だった」。一九四五年六月二十日、不思議と弾一発も来ない静かな朝を迎えました。事件は、現在、沖縄県平和祈念資料館の一角に建立されている「沖縄工業健児の碑」一帯で起こりました。

すぐの丘の上に、暑さで上半身裸になった米兵たちの一群がいました。双眼鏡でこちらの様子をうかがっていました。

白い小旗を持った小柄な男性が、ゆっくりとこちらに歩いてきました。よく見ると米兵ではなく三十歳ぐらいに見える沖縄の人でした。

その男性は「男はパンツかフンドシだけ、女は着ているもの以外、捨ててついて来なさい」「衣食住は心配ない。殺されることはない」と「投降」を説得に来たのでした。

「スパイ野郎!」

当時、「鬼畜米英につかまれば男は殺され、女は陵辱される」と、日本軍に恐怖心を植え付けられていました。それでもみんな、説得に聞き入っていました。

その時でした。岩陰から刀を抜いて現れた日本兵三人が「スパイ野郎!売国奴!」と叫んで男性の首を切り落としました。説得に促され、服を脱ぎかけた男性も、追いかけて殺害しました。

「血が凍る、修羅場、生き地獄。表現しようのない情景だった」と瑞慶覧さん。事件の一部始終を見ていた米軍は、これを機にいっせい攻撃を始めました。二万人のほとんどが死にました。

生き残った瑞慶覧さんたちは米軍の火炎放射器に追われ、海に突き出た断がい絶壁を降りて、ギーザバンダという場所の岩と岩の間に身を潜めました。

「あの時、投降しておれば、多くの命は助かったはず」。今も悔しさがにじみます。

瑞慶覧さんは、防衛隊だった親せきのおじさんを通じて手榴弾(しゅりゅうだん)を渡されていました。

それは日本軍の手榴弾であり、日本軍の指示で、自決用に民間人に持たせたものでした。

「捕虜になるくらいならと何度も自決を考えました。ほとんど飲まずくわず、五日間、自問自答を繰り返しました。幻覚が現れ、なにか食べたい、食べてから死にたいと思うようになった。投降を呼びかける米軍のスピーカーを聞いて、意を決して外に出た。私の場合、生きたいという人間の本性が勝ったのでしょう。捕虜になって助かったのです」

添えた両手震え

しかし多くの人が捕虜になることを許されず、自決以外に選択肢のないところへ追い詰められていきました。話が「集団自決」をめぐる教科書検定問題になった時、瑞慶覧さんは、歯で手榴弾の信管を抜くしぐさをして見せました。口元に添えた両手は震えていました。

「文部科学省は『軍命の有無には諸説ある』と言い出した。でも多くの民間人が私も含め手榴弾を持っていた。私は自決の際の使用法まで軍から教えられていたのです。軍の関与がなければ集団自決はあり得ない」

沖縄は二十三日、六十二回目の沖縄戦「終結」の日を迎えます。

「安倍政権は『かつての戦争は悪くなかった』『集団自決はなかった』と歴史を変えて、再び、死ぬことが美徳とされた時代に戻そうとしている。恐ろしい。許せません」。瑞慶覧さんの警鐘です。

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虐殺と「集団自決」は同根

安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授

なぜ日本軍による住民虐殺が起こったのか。それは彼らが、住民すべてがスパイになり得るとみていたからです。スパイとは軍事機密を敵にもらすことです。

住民たちは陣地を掘ったり、軍に動員され、だれでも「どこにどのくらい兵隊がいる」といった情報は知り得た。だから日本軍は「住民が捕虜になると情報が漏れかねない」と考えたのです。

そのため彼らは住民に米軍に対する恐怖心をあおり、「捕虜は恥だ」と言って、自決を強制・誘導したのです。そして自決しようとしない者、捕虜になろうとした者は殺しました。虐殺と,「集団自決」は同根なのです。

「集団自決」に軍の関与がなかった、という議論があります。しかしそれは当時の沖縄の状況下では考えられません。

当時、沖縄本島は空も海もすべて米軍に包囲され、軍事用語でいう「合囲地境」(ごういちきょう)の状態でした。合囲地境には民政がない。

沖縄戦を理解する際、この認識が必要です。軍命があるかないかという議論は、天皇制軍隊の残虐性を隠すものでしかありません。

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