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松岡自殺 安倍家二代の恩讐 [文芸春秋]
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投稿者 white 日時 2007 年 6 月 08 日 13:26:50: QYBiAyr6jr5Ac
 

□松岡自殺 安倍家二代の恩讐 [文芸春秋]

▽松岡自殺 安倍家二代の恩讐 (1)

 http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070608-01-0701.html

2007年6月8日
松岡自殺 安倍家二代の恩讐 (1)
 五月三十日、与野党党首討論。土気色の顔に大きなショックを引きずる首相・安倍晋三は低姿勢で防戦に努めていた。
「私の内閣の一員としてこういう結果になったことは痛恨の極みだ。任命権者としていま、責任をかみしめている」
 農水相・松岡利勝が衆院赤坂議員宿舎の自室で首を吊り、心肺停止――。衝撃波が永田町を駆け巡ったのは二十八日昼下がりだった。松岡は救急搬送された信濃町の慶応大学病院で息を引き取った。
 テレビニュースでは、心臓マッサージを受けながら、担架で運ばれる松岡の映像を繰り返し流した。実はその前日、ZARDの坂井泉水も同病院で転落死していた。坂井の取材で張り込んでいたテレビクルーは突如、変わり果てた姿でカメラの前に表れた松岡を必死で追いつつ、「最後まで不運な人だな」と囁きあった。
 安倍は政治家では、いの一番に霊安室に駆け付け、遺体と対面した。首相官邸に戻り、記者団に囲まれると任命責任を認めた。努めて「カメラ目線」を保とうとしたが、視線はしばしば宙を泳いだ。
「あんな憔悴しきった安倍さんの顔は見たことがない。上司として部下を死なせてしまったことで、自責の念にかられている。会見で『慙愧に堪えない』と言ったのは、字義通り、自らの行いを深く恥じ入るという気持なんです」
 安倍側近はこう語ったが、官邸は政権発足以来、最大のピンチに見舞われた。自殺三日前の閣議の後、安倍が松岡に呼び止められるのを目撃した閣僚がいる。
「いろいろ迷惑かけちゃって」と憔悴した表情で詫びる松岡に安倍は、「いやいや大丈夫ですから」と励ましたという。
 現職閣僚の自殺は戦後憲法下では前例がない異常事態だ。松岡は巨額の「ナントカ還元水」代を事務所費として政治資金に計上した疑惑で野党から追及を受けてきた。続いて緑資源機構の官製談合事件の問題企業や団体から献金を受け、返していた事実も発覚。熊本県内の松岡の選挙区にある同機構事業所にも強制捜査の手が伸びていた。これらの問題以外に自殺の理由はない。松岡を閣僚に任命し、守った安倍を政治責任論が直撃した。
 政権への打撃は最小限に食い止めなければならなかった。第一報の激震に揺れながら首相官邸は危機管理モードに入った。官房長官・塩崎恭久と病院の間で何度も電話が行き交った。「情報の発表は官房長官が一手にやる。その間、病院には一切政治家を近づけない」「警察の検視が終わり、夕刻に上京する夫人の了解を得るまで死因などの公表は控える」。
 安倍は七月の参院選で東京選挙区からの出馬を決めた元アナウンサー・丸川珠代への公認証手渡しなど午後の日程を相次ぎキャンセル。幹事長・中川秀直も浮足立つ党幹部を全員足止めし、現場の混乱を避けて安倍が誰よりも先に弔問に向かう体裁を整えた。せめてもの「官邸主導」の演出で、ダメージ・コントロールに躍起になったが、焼石に水だった。
 民主党で「政治とカネ」追及の先頭に立ってきた元代表・岡田克也は「首相はここまで松岡氏をかばい続けた。もう少し早く事実関係を明らかにすべきだった」と安倍の「かばいすぎ責任」を痛烈に批判した。自民党内の空気も安倍には冷たかった。七月に改選を控える参院政審会長・舛添要一は「非常に暗い話だ。自民党が良いイメージを持たれるはずがない。参院選は厳しい戦いを強いられる」と深刻な表情を隠せなかった。

参院選後の逮捕情報
「捜査当局から、松岡氏や関係者を取り調べたという事実もないし、これから取り調べを行う予定もないという発言があったと承知している。故人の名誉のために申し上げておきたい」
 安倍は同日夕、記者団に捜査当局のコメントにまで言及する異例の踏み込んだ発言をし、緑資源機構事件が真因という観測を懸命に打ち消そうとした。
 ただ、「松岡逮捕」は東京地検特捜部にとって悲願と言って過言でなかった。二○○二年に盟友の鈴木宗男を逮捕した時をはじめ、これまで何度も松岡を取り逃がしてきた。今年一月に特捜部長に就任した八木宏幸は「政官財に潜む不正は見逃さない」と当初から、松岡に狙いを定めていた。いくつかある「松岡案件」の中で、もっともスジがよかったのが、緑資源機構だった。
 公正取引委員会は昨年から調査を続けてきたが、当初は金額もさほど大きくないため告発する予定はなかった。それを八木率いる特捜部が突然、「刑事告発してくれ。こちらで引き取るから」と持ち掛けたため、公取は検察からの出向職員を担当につけ、刑事事件化を目指すことにした。松岡の逮捕に執念を燃やす特捜は「緑」の背後に松岡の姿を認めるや、すかさず食いついたのだ。
 容疑は緑資源機構関連の談合受注業者との贈収賄。特捜部は直告一、二班の全員を投入し、参院選後の逮捕を目指していた。自民党のある有力議員は「松岡は地元の同機構事業所のガサ入れにショックを受けていた」と打ち明けた。
 安倍はただちに環境相・若林正俊を農水相臨時代理に指名した。天皇、皇后両陛下が欧州訪問から帰国する三十日夕までは新閣僚の認証式ができないと分かったからだ。「これを参院選に向けて心機一転の機会にするしかない」。局面転換を狙うサプライズ人事か、農水行政の専門家の登用か。支持率に直結する後任の人選に安倍は全神経を集中した。一方、党内ではかねてくすぶってきた参院選前の内閣改造論が息を吹き返した。
「女は産む機械」発言の厚生労働相・柳澤伯夫や松岡を早く切り、内閣を刷新しろと言う元首相・森喜朗や元外相・町村信孝らの進言を安倍は退けてきた。
 自殺直前の二十六日には衆院予算委員長・金子一義が党岐阜県連の総務会で「松岡氏は捜査が地元に及んだという状況を受け、国会終了後に自ら辞任すべきだ」と公然と辞任要求を突き付けていた。結果的には、安倍が松岡を守ろうとする余り、かえって松岡を追い込んだ格好になり、守勢に回ったのは否めない。


▽松岡自殺 安倍家二代の恩讐 (2)

 http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070608-02-0701.html

2007年6月8日
松岡自殺 安倍家二代の恩讐 (2)

安倍親子との因縁
「私が父の秘書をしていた時代からの付き合いです。大変、エネルギッシュで行動力のある人だった」
 こう偲んだ安倍と松岡の関係は意外に深かった。林野庁出身の松岡が安倍の父・晋太郎が率いた派閥「清和会」(現町村派)から衆院選に打って出たのは一九九○年二月。晋太郎はこの選挙で同派から二十二人もの大量の新人議員を当選させた。八七年、竹下登と争った総裁選で敗れ、最大派閥竹下派の「数の力」を思い知った晋太郎は、幹事長に就くと、ポスト竹下に照準を定め、なりふり構わぬ派閥の大膨張戦略に乗り出したのだ。
 八九年、晋太郎は膵臓がんに冒され、闘病を余儀なくされた。最後の気力を振り絞り、やせ衰えた体で何とか政務に復帰すると、九○年の総選挙で政治生命を賭けて自派候補の応援に駆け回った。
 無理に背伸びしてかき集めた新人の一人で、選挙前は泡沫同然の扱いだったのが松岡だった。殺人的なスケジュールで全国を駆け巡った晋太郎は最後の最後、松岡の応援に回りきれなかった。それでも執念が乗り移ったのか、大量当選した「安倍チルドレン」の一人として松岡も勝ち上がった。晋太郎の秘書だった晋三はこの選挙の記憶を今も胸に刻む。
 晋太郎は九一年五月に死去した。文字通り、命とひき換えに当選させたのは松岡のほか衛藤晟一、古屋圭司、長勢甚遠、石原伸晃、河村建夫ら多くは今の六回生である。同派の傍流扱いながら資金力と面倒見の良さを誇った亀井静香や平沼赳夫の下に集まり、タカ派色の強い一派を形成した。衛藤が厚生、古屋が郵政、松岡が農林の各族議員として競い合って力を付けていった。晋太郎を継ぎ、次の九三年の衆院選で初当選した晋三は、一期上の彼らとの交友から議員生活を始動したのである。
 松岡は初当選当時から暴れん坊で通っていた。時は金丸信元副総理、竹下登元首相、小沢一郎幹事長の“金竹小トリオ”の全盛時代。小沢が主導して小選挙区制導入に動くと、真っ先に小泉純一郎が異議を唱えた。それに同調したのが清和会を中心とした一年生議員たち。松岡は衛藤や小林興起らと徒党を組んで、党中枢に喧嘩を仕掛けた。コメの自由化反対運動の先頭に立ち、同志の連判状を作って、国会前で座り込みの抗議を行ったこともある。派閥の親分である晋太郎が初当選後まもなく亡くなったこともあり、派閥での教育もロクに受けていない“愚連隊”のような松岡らに、党の長老はしばしば眉をひそめた。
 九四年十一月の熊本市長選では、前代未聞の大乱闘まで演じている。松岡の自民党と前衆院議員・魚住汎英の新生党(当時)が相乗りした候補が落選したのがきっかけだった。選挙事務所で落選候補の挨拶が始まる直前、松岡と魚住は「選挙の仕方が悪か」と罵り合い、つかみ合いとなった。空手二段の松岡は口から出血し、眼鏡も失った。
 松岡にとっての転機は九三年の自民党の下野だった。細川護熙連立内閣は最高実力者の小沢が中心となって、コメ市場の開放に乗り出したが、小沢に続いて自民党を離党した中には、羽田孜、加藤六月、鹿野道彦ら、大物農林族議員が多かった。その結果、自民党では農林族がほとんどいない“真空状態”が生まれた。そこにまんまと入り込んだのが、鈴木宗男と松岡だった。農水省の役人や業者相手にコワモテぶりを発揮した二人は瞬く間に農林族を完全に支配下に置いた。
 宗男と松岡は野中広務と亀井静香をそれぞれの親分と仰いだ。捜査情報や裏社会に通じ、類は友を呼ぶとばかりに結託して急速に党内実力者にのし上がった野中―亀井ラインの威光が背後にあったからこそ、「新・農林族」コンビに誰も手を出せなかった。
 とはいえ、鳥取大学農学部卒で、林野庁の技官として十九年間勤務した経験もある松岡が、農政に精通していたのは間違いない。第二次森喜朗内閣で農水副大臣に起用されると、WTO(世界貿易機関)農業交渉などにも精力的に取り組んだ。相手国との交渉に臨む際の松岡流の“鉄則”があったという。
「松岡さんはどんな相手にも絶対に言われっぱなしにしないんだ。最後は必ず切り返して終わる」(清和会関係者)
 こうした“戦闘能力”の高さに注目していたのが、安倍だった。安倍はとかく疑惑が囁かれていた松岡を入閣させた理由を聞かれるたび、周囲に繰り返しこう説明していた。
「大きな転換期を迎えている農政を改革していくには、松岡さんのような馬力がある人がいいんだよ。今後、FTA(自由貿易協定)や特にオーストラリアとのEPA(経済連携協定)に力を入れ、日本の農産物を海外に輸出していくためには、日本も門戸を開かなければならない。彼なら、反対する農家を説得したり、農林族議員を、『俺が頼んでるんだからさ』と押し切れるでしょ」
 一方で、松岡の入閣への渇望も鬼気迫るものがあった。総裁レースが本格化し、安倍総裁誕生に向けて、現金融相・山本有二と現総務相・菅義偉のコンビが再チャレンジ議連を立ち上げる。すると、原則当選四回以下という入会条件にもかかわらず、当選六回の松岡は強引に割って入った。議連の会合でも最前列に陣取って猛アピールを繰り返す。昨年、行革担当相を事務所費疑惑で辞任した佐田玄一郎と張り合うように、官房長官だった安倍への面会を求めて足繁く官邸に通った。自ら志願して安倍選対本部の副本部長まで務める念の入れようだった。晴れて入閣を果たし、満面の笑みで迎えた認証式が、彼の人生の頂点であり、また、転落への始まりだったのだ。


▽松岡自殺 安倍家二代の恩讐 (3)

 http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070608-03-0701.html

2007年6月8日
松岡自殺 安倍家二代の恩讐 (3)

幻の初入閣
「私が任命した閣僚なんだから。自分から辞めると言ってこない限り、こちらから辞めさせたりはしない」
 農水相就任直後から、様々な疑惑が噴出したが、安倍は終始かばい続けた。
「ここで農水相を辞任するようなことになったら、人生終わりだ」
 松岡もこう漏らし、安倍の信任に応えて辞任要求を耐え忍んできた。
「ナントカ還元水」疑惑の際も、親しい人間には口をとがらせてこう訴えた。
「俺は本当に『ナントカ還元水』飲んでいるんだよ。一本五千円で一日二万円。領収書だって全部取ってある。俺は出してもいいんだけど、(国対委員長の)二階(俊博)さんに止められているんだ。同じように事務所費問題で追及されている(文科相の)伊吹(文明)さんに飛び火するからなんだそうだ」
 その伊吹が、松岡の自殺を受けて、「死人に口なしですからね」とうそぶいているのだから、何とも皮肉な話である。
 松岡には、安倍の他にも知られざる政治的バックアップもあった。「影の援軍」の一人は前首相の小泉だった。
 五月二十五日、食品流通団体や生産者らで構成する「農林水産物等輸出促進全国協議会」(会長=茂木友三郎キッコーマン会長)が都内で開いた総会に、首相退任後は表舞台には滅多に登場しない小泉が珍しく姿を見せた。
「日本の食文化を世界に広めるには、農産物輸出に力を入れるべきなんです」
 小泉は名誉会長に就任し、挨拶で持論の「攻めの農業」に力を込めた。小泉がこの時期に農水関係の新しい役職をあえて引き受けたこと自体、松岡後押しの無言のサインだった。
 二○○三年の衆院選で小選挙区で落選して先行きに危機感を強めた松岡は、亀井から離れて小泉に急接近した。郵政民営化の推進論者に宗旨変えし、衆院特別委員会の理事まで引き受けた。冷徹な小泉は反小泉勢力の先頭に立つ亀井潰しの絶好のカードとして松岡を矢面に立たせたのだ。それでも松岡は不平も言わず、小泉が提唱した農産物の輸出振興の旗も振り、小泉の腹心の飯島勲を「DNAが全部入れ替わったんじゃないか」と驚かせる鮮やかな変わり身を見せていた。
 その論功行賞から、二〇〇五年十月の小泉内閣最後の改造では入閣が有力視されていた。実際、小泉官邸による“身体検査”には何とか合格したが、その後、選挙違反が発覚し、チャンスを逃した。積み残された松岡を安倍が入閣させたのも、運命のいたずらか。
 参院議員会長・青木幹雄も松岡をかばい続けた一人だ。青木の側近中の側近、同じ島根県選出の参院議員・景山俊太郎の娘と松岡の息子が結婚しているため、青木が松岡更迭の火の手を上げる気配はなかった。安倍はこうした党内力学もしっかり見極め、松岡を守ってきた。景山は連日のように松岡を励まし、自殺した日の朝も電話を入れたが、兆候は察知できなかった。松岡をよく知るある官僚は「攻めに出るとコワモテだが、意外にデリケートな人だった。そういう人物ほど守りにはからきし弱いものなのかも知れない」と嘆息した。
 本当に政界の一寸先は闇だ。松岡が命を絶った議員宿舎の自室に残された二十八日付の複数の朝刊各紙。このところ持ち直し機運が鮮明になったかに思われた安倍の内閣支持率が一転、一○ポイント以上も急落したことを伝えていた。日本経済新聞の場合、安倍への不満の第一の理由は「年金など社会保障政策」、第二が「政治とカネの問題」だった。二十七日夜に松岡を電話で元気づけたという自民党関係者は「あの朝、世論調査の数字を見て、逃げ場がないと追い詰められたのではないか」と漏らした。
 安倍は二十七日、夫人の昭恵とともに府中の東京競馬場へ日本ダービーに出かけていた。首相としては五年前の小泉、その前に遡ると祖父の岸信介が観戦したのに続く三人目。「牝馬だから」と昭恵が単勝で買ったのが三番人気のウオッカ。小泉が訪れた際に勝ったタニノギムレットの子でもある。つられた安倍も複勝でウオッカを買い、夫婦そろって見事に馬券を的中させた。
 祖父と小泉にあやかり、参院選に向けた吉兆、と思ったのも束の間、首相公邸に帰り着いた安倍を支持率急落の一報が待っていた。年金保険料の五千万人分もの納付記録が不明で、支給漏れが生じている事態への不信感が最大の理由であることは明白だった。安倍は即断した。幹事長の中川に電話し、「年金請求権の時効(五年)を撤廃する特例法案を議員立法で今の国会に提出して欲しい」と命じた。秋の臨時国会を待つのでは参院選で致命傷になりかねないとあわてたのだ。
 思えば、松岡もこの日、既におかしかった。日本中央競馬会(JRA)の所管大臣として、皇太子や安倍らにダービーへの招待状を送り、府中競馬場で出迎える役回りだったにもかかわらず、ドタキャンして姿を見せなかったのだ。
 三年前の参院選でも幹事長だった安倍に「負けた幹事長」の烙印を押した「年金」の逆風再燃の悪夢。そこへよもやの追い打ちをかけた「松岡ショック」。
 憲法改正のための国民投票法を成立させて持ち前の保守的な政治信条を前面に打ち出し、強気の政権運営に転じた矢先に安倍の前途は一転五里霧中となった。衝撃から一夜明けた二十九日、自民党は三十日の安倍と小沢の党首討論の延期を民主党に申し入れた。松岡の地元での密葬に安倍が出席するためと説明したが、民主党は「自殺問題追及を恐れた安倍隠し」とにべもなく拒否した。自民党は二十五日に委員会で強行可決した社会保険庁改革法案も逆風を恐れ、年金救済の特例法案を審議後、一緒に衆院本会議にかける弱気な戦術に転じざるをえなかった。政局は重大な潮目を迎えていた。
 振り返れば、凶兆は五月十九日、安倍が二○○八年の主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)の会場として自ら白羽の矢を立てた「ザ・ウィンザーホテル洞爺」を視察した時からのぞいていた。
 海抜六百十六メートルの山上から洞爺湖を見下ろし、太平洋をも望める絶景が最大の売り物なのに、この朝、安倍の前にはあいにくの濃霧が広がっていた。
「何も見えないねえ。ちょっとミステリアスな雰囲気だ」
「洞爺湖の霧」はいまだ見通せない参院選の結末と安倍の命運を不吉に暗示していたのかも知れない。(文中敬称略) 

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